地震体験と「苦労自慢」の共通点
昨日の記事の冒頭でもちらりと触れたが、一昨日夜の地震は身の危険まで感じるほどのシリアスな揺れだったのに、日本気象協会の公式発表では、つくば周辺は「震度 4」となっていて(参照)、「いやいや、そんな程度の揺れじゃなかった気がするけどなあ」と拍子抜けしてしまった。
この辺りは結構な地震多発地域で、「震度 4」程度の揺れには「慣れっこ」になっているのだが、一昨日の夜は一瞬ならず「こりゃ、ヤバいかも!」と思ってしまった。
もしかしたら、寝入りばなで部屋が真っ暗だったことと揺れの時間がやたら長かったことで、体感的な印象がやや増幅されてしまったのかもしれないが、いずれにしても「いつものフツーの震度 4」とはレベルが違っていた。
そう感じたのは私だけではないようで、近所の人たちも一様に同じようなことを言っていた。中には「ありゃどう見ても『震度 5強』だろう。『震度 4』なんてのは、国が俺たちを見くびってるってことだよ」なんて息巻くジイさんもいて、「そこまで言うか」と思ってしまったが。
いずれにしても多くの人が「震度 4ではしっくりこない」と感じていたのは、人間心理の面白さだと思う。怖い目にあったら、その後はその「怖い目」を最大限に評価してもらわないと気が済まないのだ。だから、「震度 4 程度で済んでよかったね」とはなりにくい。
これには「あれだけ怖い思いをしたんだから、この程度の評価では割に合わない」とか「あの大きな揺れに耐えたんだから、それなりの数字で報いるべきだ」みたいな、理窟を越えた「情念的」なものがありそうな気がする。
これって、いわゆる「苦労自慢」や「不幸自慢」と共通する心理なんじゃなかろうか。大抵の人は大きなは苦労はしたくないと思っているのに、過ぎ去った苦労については、ことさら大きなものとして印象付けてしまいがちだ。
「俺は若い頃、こんなに苦労したんだ」みたいな話を得々と語りたがる人は、一昨日の地震も「危うく死ぬところだった」ぐらいに膨らませて言いふらせば、気が晴れて精神衛生にはいいかもしれない。
ただ、いずれにしても今回の地震で実際に被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申しあげる。決して他人事ではないので。
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コメント
神奈川東部で震度4ですから、つくばでは最低でも5弱ではないでしょうか(菅さん風に)
苦労自慢する人いますね。ちょっと苦労しただけなのに、「あれは経験しないと分かんないよ」と嬉しそうに言いますね。
そういう人はじきに周囲の人は耳を貸さなくなるので、本人は不満なのか増々話を膨らませます。
投稿: ハマッコー | 2022年3月18日 20:56
ハマッコー さん:
私の印象も「5弱ぐらいかなあ」って感じです。
>そういう人はじきに周囲の人は耳を貸さなくなるので、本人は不満なのか増々話を膨らませます。
それがまた、困るんですよね ^^;)
投稿: tak | 2022年3月18日 21:38