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2022年4月に作成された投稿

2022年4月30日

真夏が来る前に、マスクから解放されたいのだが

一昨日「 東京、大阪では 10人に 1人がコロナ経験者」という記事を書いたところ、basara10 さんから「東京は多分半分くらいの人が感染していると思いますよ。無症状の人がたくさんいるし、熱が出ても高熱じゃなければ検査しないだろうしね」というコメントをいただいた。なるほど、納得できる話である。

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というわけで「ほぼ 10人に 1人」というのはいわゆる「公称数字」に過ぎず、統計に表れない実数はもっとずっと多いのだろうと思われる。「実際は半数が感染済み」と言っても、あながちでたらめとも思われない状況ではある。

ところで今日の昼過ぎ、ラジオの報道番組にフランス在住の日本人が登場して「フランスではコロナ感染のピークを脱し、今では街中でマスクをしている人はほとんど見かけない」と語っていた。今年初めのピーク時は 1日に 45万人ほどの新規感染者だったが、今は 5〜6万人まで減っているという。

ちなみにフランスのほぼ 2倍の人口を擁する日本で、最近の 1日当たりの確認数が 3万人程度なのだから、フランスの数字はまだまだ多い。しかし既に多くの人が感染済みみたいなことになっており、現在はそれほどの脅威とは思われていないらしい。

そんなこともあって、世界のコロナ感染の実態を調べようとググってみたところ、ロイターの運営する ”CORVID-19 Global Tracker” というサイトが見つかった。世界各国のコロナ感染最新情報がいながらにして入手できる。

このサイトで、まずはフランスの状況を示すページにアクセスしてみたところ、コロナ感染者数は累計で 2,840万人に達している(参照)とわかった。フランスの人口は約 6,740万人だから、既に国民の 2.4人に 1人、つまり半数近くが感染済みということだ。

さらにドイツは人口が 8,320万人で累計感染者数は 2,470万人(3.3人に 1人)、英国は人口が 6,720万人で累計感染者数が 2,200万人(3人に 1人)。いずれも結構な数字である。

それどころか、一昨日のロイターニュースはもっと先を行く(参照)。EU の執行機関である欧州委員会が「域内人口の 60%から最大 80%が新型コロナウイルスに感染している」との推定を発表したというのだから、確かに、今さら誰もマスクなんかしたくないよね。

一方、米国は人口が 3億 3,000万人で累計感染者数 8,130万人(4人に 1人)。そして南米のブラジルは、人口が 2億 1,260万人で累計感染者数が 3,040万人(7人に 1人)だが、それでも今年はリオのサンバ・カーニバルが大盛り上がり(参照)だったようだ。

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米国やブラジルでも、実際には欧州同様に 60%以上は感染済みと見てもバチは当たらないだろう。オミクロンはほとんどが軽症で済むし、もはや「特別の病気」じゃなくなっている。

ちなみに我が国は人口が 1億 2,500万人で、累計感染者数は 786万人と、欧米と比べるとウソみたいに慎ましい数字だ。公称ベースで 16人に 1人だが、実際には 10人に 2人か 3人以上は感染しているのだろう。

というわけで、ワクチン接種の進展と累計感染者数の増加が相まって全体的な免疫ができれば、我が国でもマスクから解放される日がそう遠くないと期待したい。

早くその日が来てもらいたいが、果たしてあの暑い真夏が来るまでに間に合うかなあ。何しろこの国の人はマスク好きが多い上に、何事においても変に「空気を読みたがる」から、たとえ公式に「マスク解除」になっても、実際にマスクなしで人の中に入ったら当分の間は白い目で見られかねないし。

実際にも比喩的にも、息苦しいことではある。

(言うまでもないが、この記事で示した数字はすべて概算である)

 

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2022年4月29日

今年の春は、冬と初夏とを行ったり来たり

春の天気が不安定なのはいつものことだが、今年はとくに変動が大きすぎる気がする。ポカポカ陽気のいかにも春らしい日というのが少なくて、初夏の暑さと冬のような寒さの繰り返しが続き、少々体に堪えるほどだ。

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私は『和歌ログ』なんて物好きな写真入りブログも毎日更新しているので、天気の移り変わりは過去ログから伺えるのだが、今年は 3月中旬頃、妙に暖かい日が続いた。「遅咲きの梅といへどもこの春は待ちきれず今朝弾けたるなり」なんていう歌を詠んだ 3月 12日の写真は、既に本格的な春である。

こうして 3月中旬はしばらく 1ヶ月先ぐらいの暖かさが続いたが、20日頃から急に寒さがぶり返して、22日には雪まで降った(参照)。

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寒くなってもまたすぐに暖かくなるというのが今年の春のお約束で、その翌日から 28日頃までは暖かさが戻ったが、そのお約束は逆方向にもしっかりと作用して 29日からまた冷え込み、4月 1日の未明には筑波山で雪が降る(参照)。

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それ以後は 2日おきぐらいで暖かい日と寒い日が目まぐるしく入れ替わっていたが、9日から 13日まではやたら暑くなってしまった。4月 10日の歌は「暖かき風」なんて詠んでいるが、この日、東京は最高気温 26.8℃ の夏日となっている(参照)のだから、実際には「暑き風」だった。

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中旬以後は、天気の変動がさらに激しくなり、極端な寒さに戻ってしまった 14日には「幾たびも冬と初夏とが繰り返す川の流れに遊ぶ鴨たち」なんて歌を詠んでいる。

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というわけで、今月の 5日頃に衣替えで一度は洗ってしまい込んだ冬物を、翌々日にはまた引っ張り出すことになってしまった。中旬の暖かさでさすがに「いくら何でももう大丈夫」と思い、もう一度洗ってしまい込んだが、14日にまた引っ張り出し、以後はずっとしまうことができないでいる。

一昨日の 27日は本当に夏のような一日になって、日が暮れてからも Tシャツ一枚で土手を散歩した(参照)ほどだが、今年の春は油断できない。明けて昨日はお約束通りに冬のような寒さに戻ったので(参照)フリース・ジャケットを着込み、今日も朝から冷たい雨が降り続いている。

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というわけで、この 10日間ほどはそれまでの極端さがさらに増幅して、暑い日の翌日には冬のような寒さが戻るという「毎日行ったり来たり状態」である。衣替えなんて、いつしたらいいのか見当も付かない。というか、ほとんど毎日衣替えしてると言う方が適切か。

15日には早くも台風 1号が日本列島に接近した(参照)し、「まったくもう、一体どうなってるんだ?」と言いたくなってしまうが、これもまた地球温暖化の現れなのだろう。「温暖化」と言っても単純に暖かくなるというのではなく、「極端化」という方が相応しいようなのだ。

当分はこの極端さに付き合っていくしかないのだろう。5月になったら安定した初夏の陽気が続いてもらいたいが、なかなかそうもいかないのだろうね。

 

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2022年4月28日

東京、大阪では 10人に 1人がコロナ経験者

今日の昼前、階下に降りるといつも付けっぱなしの TBS ラジオで「ジェーン・スーの生活は踊る」の時間帯だが、いつもの声が聞こえない。妻が「スーさん、コロナになっちゃったらしいのよ」と言うので Twitter を覗くと、本人が「まったくもって不覚にも。くやしい」と呟いているじゃないか。

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この番組、つい最近も水曜パートナーの小倉弘子アナウンサーがコロナに感染して復帰している(参照)し、お昼過ぎの名物番組「赤江珠緒のたまむすび」の赤江さんも一昨年にコロナで休んでいる(参照)。さらに、この番組の水曜パートナー、博多大吉もつい最近コロナから復帰したばかりだ(参照)。

「いやはや、今やコロナって、全然珍しくなくなっちゃったんだね」と驚いてネットのニュースを見ると、東京都の本日のコロナ感染確認者数は 5,394人と報道されている。「先週より 1300人余減」というのだから、先週の木曜日は 6,700人ぐらい確認されていたわけだ。

一時は 1日に 1万人以上の感染者というのもザラだったし、こうなると東京都在住のコロナ累計感染者の数は大変なことになっているんじゃあるまいかと、ちょっと調べてみた。

東京都庁のサイト内の「都内の最新感染状況」のページによると、今月 27日現在の累計陽性者数は 1,426,497人ということになっている。ざっとみて都民(1,400万人)の 約 10%がコロナを経験しているというわけだ。10人に 1人である。

大阪府の状況も大変なもので、本日現在の累計感染者数は 888,371人とされている(参照)。大阪府の人口は約 880万人だから、やはり約 10%。東京と大阪、まじヤバい。

私の住む茨城県だと、本日現在の累計陽性者数は 142,497人(参照)で、今年 3月 1日現在の県民人口は 約 284万人(参照)だから、約 5%。それでも 20人に 1人ということだから、油断がならない。

まあ、私はワクチンを 3回接種しているから大丈夫と言えば大丈夫だろうし、万が一感染しても軽症で済むということになっている。とはいえ、まだまだ気をつけるに越したことはなかろう。

 

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2022年4月27日

オンライン授業を倍速で聞くという発想

今朝のラジオ・ニュースの大きな話題は、コロナ禍の緊急事態宣言が解けて街に人があふれ出しているという話だった。大学の授業もようやく対面に戻りつつあるというのだが、学生たちの間では「倍速で聞けるオンライン授業の方がいい」という声が上がっているのだそうだ。

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それを聞いて私は、「なるほど、その手があったか!」と膝を叩いてしまった。インタビューに応えて、「久しぶりに実際の授業に出たら教授の話が倍速に慣れた耳にはゆっくりすぎて、もっと速くしゃべってくれないかなと思いましたが、まあ、無理ですよね」なんて語っている学生もいたほどである。

授業を倍速で聞くことに関しては、ググってみたところ、今年 1月 3日付の Gigazine に "オンライン授業は「2倍速で見ても理解度は下がらない」という研究成果" という記事があった。一応「講義」なのだから「2倍速で見ても」というのがちょっと違和感だが、まあ、動画なのだからいいか。

これは米国で行われた研究で実証されたのだそうで、元記事は "Watching A Lecture Twice At Double Speed Can Benefit Learning Better Than Watching It Once At Normal Speed"。ノーマル・スピードで 1回視聴するよりも、倍速で 2回視聴する方が効果が上がるというのだから面白い。

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これからの大学の授業は、対面でも早口でしゃべることが求められるようになるかもしれないね。オンライン授業に限らず、レクチャー的な動画は倍速で聞くのが手っ取り早いだろうから、私も今後はそうしよう。

 

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2022年4月26日

知床の海難事故について

下の写真は、一昨年 3月に仕事で網走まで行った時のものだ。土地の人たちに「今の時期に網走まで来てくれたんだから、流氷を見ないうちに内地に帰すわけにいかない」と強く勧められたので、遊覧船に乗って流氷見物をしたのである(参照 1参照 2)。

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あの日、流氷は既に岸から離れていたが、少し沖に出ると海面のかなりの部分が氷に覆われていた。今思えば、波の静かだったのが本当によかった。ほんの 2年前にこんな体験をしたものだから、今回の観光船「KAZU 1」の事故は、なんだか他人事と思えないような気がしている。

ラジオで第一報を聞いた時は、3メートルの波が立っていたというので、「よくまあ、そんな日に海に出たものだ」と驚いた。私だったら船に乗る気がしなかっただろう。

ところが続報では、出港時には波は 30センチほどしかなく、3時間ほど立ってから急に高くなった(参照)ということなので、乗っている人たちはかなり焦っただろう。

こういうことがあるから、海は怖い。亡くなられた人たちは、本当にお気の毒なことである。これから責任問題がクローズアップされるだろうが、推移を見守りたい。

 

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2022年4月25日

"FRUIT OF THE LOOM" と「ルームウェア」

昨日の記事で "room(部屋)" と "loom(はたおり機)" の違いについて触れたが、そういえば、日本で "loom" という単語が一番馴染まれているのは、"FRUIT OF THE LOOM" という洋服ブランドを通じてのことだろうと思い当たった。直訳すれば「織機の果実」で、なるほど、布製品だものね。

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ちなみにこのブランド・ネーム、"FRUIT" の部分は "R" で "LOOM" の部分は "L" なので、多くの日本人はなかなかまともに発音できない。

「フゥロブザルム」みたいな感じで言えば辛うじて通じると思うのだが、どうしても「フルーツ・オブ・ザ・ルーム」というカタカナ表記が邪魔をする。これって、”McDonald's” は「マクダーヌゥ」みたいな感じと教わっても、どうしても「マクドナルド」になってしまうようなものなのだろうね。

ここで話はアサッテの方に飛んでしまうが、日本の "FRUIT OF THE LOOM" ファンの中には、このブランド・ネームが「お部屋の果物」って意味で、それで主力商品が「ルームウェア」なんだ(参照)と信じ込んでいる消費者も多いらしい。

もしかしたら昨日の記事で触れた "HAIR LOOM" の店主も、その一人なのかもしれないね。うむ、きっとそうに違いない。そうでなければ、”Room” と ”Loom" を取り違える可能性なんて極々小さいだろうから。

ちなみに、このブランドのロゴマークが最近変わってしまっているのを、今日初めて知った。私がアパレル業界の仕事をしていた頃は、上の写真でいえば真ん中の上 2つのデザインだったが、近頃は真ん中の下のようになっているようなのである。個人的には違和感だが、こればかりは仕方がない。

"FRUIT OF THE LOOM" の米国本社も、潰れたり買い取られたり、いろいろ変遷が激しかったようで、ロゴ・デザインもその度に変わってしまったのだろう。この業界も、いろいろ大変だ。

それから最後に触れておくが、上で触れた「ルームウェア」というのは完全な和製英語で、フツーは ”loungewear" (ラウンジウェア)が使われるじゃないかと思う。日本で「ラウンジ」と言うと、空港の待合室なんて想像されがちだが、この場合は「くつろぎ空間」ぐらいの意味なので、そのあたり

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2022年4月24日

"HAIR LOOM" という表示に驚いた

これまでも美容院や理髪店の看板については何度か書いた。「腕づく」で勝負するらしい「軍備(Arms)」という名の美容院とか、「切られ家(Cut House)」とか、「割り込み床屋 (CUT IN)」とか、とにかく「雰囲気だけの横文字」(参照)がやたら多いのである。

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というわけで、「この業界って、そういうものなんだ」と思ってはいたのだが、今度ばかりは本当に驚いた。茨城県内某所をクルマで走っていたところ、"HAIR LOOM TOKIO" という表示の理髪店があったのである。

店主としては "HAIR ROOM" というようなつもりなのかもしれない。「髪の部屋」というのも十分におかしいけど、きっとそうなのだろう。ただ、 "R" と ”L" の取り違えは日本ではよくあることとはいえ、”ROOM" が ”LOOM" になっちゃってるのは、さすがに初めて見た。

私は昔、繊維、アパレル業界でメシを食ったことがあるのでことさらに反応してしまったということもあるのだが、”loom" という英単語は、「織機(しょっき)」のことを指す。そう、カッタンコットンと布を織る、あの「はたおり機」のことだ。

もっとも最近はそんな悠長なものではなく、下の動画のように、空気を噴出する力で超高速に緯糸を通す「エアジェット・ルーム(air jet loom)」なんてものも登場して久しいのだが、とにかく基本的には、経糸(縦糸)と緯糸(横糸)を組み合わせて布を織る機械が、”loom" というものである。

そんなわけで、"HAIR LOOM" なんて文字を見た私としては「髪の毛で布を織る」なんてイメージが浮かんで、ゾッとしてしまったのだよ。民話『鶴の恩返し』では美女に化けた鶴が自分の羽根を使って見事な布を織るのだが、人間の髪の毛を撚り合わせた糸で布を織るなんて、かなり壮絶過ぎるよね。

【4月 25日 追記】

やっぱり、そのココロは ”HAIR ROOM TOKIO" のようなのだ(参照)が、それならそれで、店の表示は訂正しておく方がいいよと、老婆心ながら言わせていただく。

 

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2022年4月23日

アメリカと英国の定番スナック菓子

我が家には 2種類の必需品的なスナック菓子がある。一つは私が過去記事で何度か触れたナビスコの「プレミアム・クラッカー」(代表的な記事は、こちら)、もう一つは妻の必需品、マクヴィティの「ダイジェスティブ・ビスケット」だ。

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この 2種類のスナック菓子、近所のスーパーではなかなか手に入らない。プレミアム・クラッカーは、ヤマザキが日本でのライセンシーとして製造販売していたが、2016年の契約終了以後は「モンデリーズ・ジャパン」という会社が日本での展開を行っている。

そしてここからが問題なのだが、今のプレミアム・クラッカーはイタリアで製造されたものをモンデリーズ・ジャパンが輸入販売しているので、ヤマザキが国内で製造販売していた頃よりも明らかにおいしい。要するにヤマザキって会社は、営業力はあっても商品力は落ちるのだよね。

というわけで、私は今、プレミアム・クラッカーはネット販売を通じて入手している。

そして妻の贔屓であるダイジェスティブ・ビスケットはスコットランド発祥で、英国の誇るスナック菓子である。”Let It Be” で、ジョージ・ハリスンがスタジオに持ち込んだのをオノ・ヨーコがつまみ食いして、ジョージが激怒したというのは知る人ぞ知る実話だ。

このビスケットも以前はどこのスーパーでも手に入ったが、最近はあまり見られなくなってしまっので、やはりネット販売を通じて入手している。

日本のスナック菓子市場というのは大手メーカーの営業力に支配されていて、彼らによる目新しさを追った新製品が売り場の大半を占めている。その結果、プレミアム・クラッカーやダイジェスティブ・ビスケットなどの、昔から定評ある定番品が劣勢に立たされているようなのである。

欧米で暮らす日本人の知り合いは、「日本のお菓子の市場はめまぐるしく変わりすぎて、わけがわからない」と言う。欧米ではお菓子の新商品なんて滅多に出てこなくて、ずっと同じ定番品しかないのだそうだ。つまり親から子、孫に至るまで同じお菓子を食って育つというわけだ。

私と妻は「それでこそ」と思ってしまうのだが、フツーの日本人はそれでは満足しないらしい。実はそのせいで、「本当においしい定番品」から遠離ってしまう結果になっているのにね。

ちなみに、プレミアム・クラッカーはコーヒーとよく合い、ダイジェスティブ・ビスケットの方は紅茶に浸して食べるのが一番おいしいと言われている。我が家では私がアメリカ好みで妻はヨーロッパ趣味と、明らかな棲み分けが出来てしまっているのだよね。

 

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2022年4月22日

一日も早くマスク着用から解放されたいのだが

東洋経済 ONLINE が、 "アメリカ「マスク撤廃」で巻き起こっている大論争" というニューヨーク・タイムズの記事を伝えている。"「感染の恐怖」から旅行を取りやめる人も” というサブタイトル付きだから、かなり深刻な話題なのだろう。

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この記事は、次のような書き出しである。

それは上空で始まった。連邦地裁判事が空の便でのマスク着用義務を取り消した直後、パイロットが機内放送でこのニュースを伝えると、一部の乗客は歓声を上げながらマスクを外した。

こんな具合なのだから、アメリカ人には「マスク嫌い」が多いんだろうね。私も決して好きじゃないから、その気持ちはよくわかる。

ただ、乗客の全員がマスクを外したわけじゃなく、「一部の乗客」と記されているのが問題だ。この便に幼児を連れて搭乗していた乗客の一人は「周囲の乗客がマスクを外すのを見て恐怖を感じた」とコメントしている。その気持ちもまた、痛いほどわかる。

私は混雑していない道を歩く時はマスクなんて外しているが、頻繁に人とすれ違うぐらいになったら、しぶしぶながらマスクをする。そして電車や飛行機に乗るとなったら、しぶしぶどころではなく当然のこととしてマスク着用することになる。

一時はマスク着用によるコロナ感染防止効果が疑問視されたこともあり、さらには過激な「マスク反対派」というのもいて、ノーマスクでデモしたり、ワクチン接種会場に殴り込んだりしている。彼らの中には「コロナは国際的陰謀」なんて主張する向きもあるようで、かなりエキセントリックだ。

ただ最近は、マスク着用には一定の効果があるというのが定説になっているようだ。日本でコロナ感染者がそれほど爆発的に増加しないのは、日本人が律儀にマスクを着用するからということもあるだろう。

それだけに、私としてもマスク着用に反発しようとは思わない。ショッピングセンターで買い物をする時など、店の入り口まで来て、クルマの中にマスクを置き忘れたことに気付いたりすることがあり、そんな時は広い駐車場をとぼとぼと戻ることになるが、それもまた仕方のないことだ。

ただ、これから(というか、実は「既に」という感じでもあるのだが)暑い夏になると、マスクを着用し続けるのがかなり苦痛になる。それだけに、コロナ禍が終息してマスクから解放される日が、一日も早く来ることを心の底から願う。

こればかりは本音の本音である。

 

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2022年4月21日

NY 図書館による「禁書」の復権

共同ニュースに "NY 図書館、禁書 4作品貸し出し  「ライ麦畑でつかまえて」も” という 4月 18日付の記事がある。ただ申し訳ないけど、私にはこの記事の意味がよくわからなかった。

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記事の冒頭は、こんな文章である。

【ニューヨーク共同】全米最大の地域図書館であるニューヨーク市のニューヨーク公共図書館が、米国内の学校や図書館で禁書とされた書籍 4作品を、ネットを通じて米国のどこからでも借りられるようにする活動を始めた。今月 13日から 5月末まで。

ここで太文字にした「ネットを通じて米国のどこからでも借りられるようにする活動を始めた」という部分だが、これ、さらりと読み進めることができる人っていないんじゃなかろうか。NY 公共図書館の本を「ネットを通じて米国のどこからでも借りられる」だって?

せっかくネットを通じるのに、紙の本を借りるのか? あまりにもナンセンスで、しかもはっきり言って、まともな運用が不可能な話じゃないか?

というわけで、米国での元記事を探そうと "New York public Library banned books" というキーワードで検索したところ、Open Culture というサイトの ”The New York Public Library Provides Free Online Access to Banned Books: Catcher in the Rye, Stamped & More” という記事が見つかった。

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共同ニュースの記事では、禁書になっていた 4作品のうち『ライ麦畑でつかまえて』しか紹介されていないが、こちらの記事では 4作品の表紙の画像まで紹介してある。しかるべし、しかるべし。

しかも基本的な問題として、共同ニュースでわからなかった疑問は、この記事の見出しを見るだけですぐに解決された。"Probides Free Access" というのだから、「米国のどこからでも借りられる」というのではなく、「ネットで無料でアクセスできるようにする」ってことじゃないか。

しかもこのニュースは、"SymplyE" というアプリを通じたアクセスができるとしており、それ以外の限定条件があるとは読み取れない。ということは、「米国のどこからでも」というより、世界中からアクセスできるんじゃあるまいか。もう少しきちんとした翻訳をしてもらいたいものである。

ところで、問題の 4作品というのは、以下の通り。

Speak | Laurie Halse Anderson (Square Fish / Macmillan Publishers) 

King and the Dragonflies | Kacen Callender (Scholastic)

Stamped: Racism, Antiracism, and You | Jason Reynolds and Ibram X. Kendi (Little, Brown Books for Young Readers / Hachette Book Group)

The Catcher in the Rye | J.D. Salinger (Little, Brown and Company / Hachette Book Group)

"The Catcher in the Rye" 以外の 3冊は全然知らないので、ちょっと調べてみたところ、"Speak" は金原瑞人訳で『スピーク』として出版済み(参照)だが、"King and the Dragonflies" "Stamped: Racism, Antiracism, and You" の 2作品は、日本語訳の情報は見つからなかった。

ちなみに "The Catcher in the Rye" はご存知の通り、野崎孝訳(『ライ麦畑でつかまえて』)と村上春樹訳(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)が出ている。

ただ、私は申し訳ないけど、野崎訳の最初の 1ページの立ち読みで違和感を覚えたので、ペーパーバックの原文の方で読んでしまった。後になって村上訳も立ち読みしたが、悪いけど印象は似たようなものだった。

この小説、原文は確かに下品なスラング満載ではあるけど、日本語の翻訳よりはずっと馴染めた。この件に関しては2007年 3月 22日付け「翻訳の難しいアメリカ小説」という記事で触れている。

いずれにしてもこれら 4作品は、「下品なスラングが多い」というような理由で禁書扱いにされてしまっているらしいが、これはかなりヤバい話だとは思う。その意味でニューヨーク公共図書館の試みには拍手を送りたい。

 

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2022年4月20日

「くら寿司」店長が焼身自殺というニュース

文春オンラインに "「くら寿司」店長が店の駐車場で自殺していた 従業員は「上司のパワハラ」を証言" という記事がある。紙媒体では『週刊文春』の 4月 28日号に載っているらしい。

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記事は "4月1日早朝、山梨県甲府市にある寿司チェーン店「無添くら寿司」に勤務する 30代の男性店長が、店の駐車場で自殺していたことが「週刊文春」の取材でわかった" という書き出しで始まる。駐車場に停めた自分の車に火を放ち、焼身自殺したのだという。

この店長に関しては、記事では "「本当に優しい人でバイトの子にも怒らない。面倒見が良く、従業員に好かれていた」(現役の従業員)" と書かれている。ところが「今年 3月に着任した上司のスーパーバイザー(SV)・X氏から日常的にパワハラを受けていた」と複数の従業員、元従業員が証言している。

そのパワハラというのは記事を読めばわかるが、かなり酷いもので、それを苦にした自殺だろうということは容易に想像できる。ところがこの問題について、当の上司やくら寿司本社にコメントを求めても、まともな回答はない。

この寿司屋に関しては、当ブログでも過去に 2本の記事を書いている。

「くらコーポレーション」 の試験官が辞表を書いた方がいい理由(2010年 9月 6日付)

「くらコーポレーション」社員から内部告発があって(2010年 9月 20日付)

2本目の記事は、前の記事に付けられた、くら社員の内部告発コメントを元にしたものである。内容はリンク先を読んでもらえばわかるが、くら寿司の内部事情は聞けば聞くほどひどいものであるらしい。

というわけで私はこの記事を書いて以来 12年ほど、くら寿司は徹底してボイコットしている。そんなひどい店でメシを食おうなんて気には、到底なれないからね。

ところが問題は、私が大の贔屓にしているビジネスホテル、「ホテル昭和」(参照 1参照 2)というのが、中央道の「甲府昭和インター」を降りてすぐのところなのだが、そのホテルのすぐ隣に、なんと「くら寿司」があるのだ。

日が暮れて到着した時など、つい「晩飯はとなりの回転寿司でちゃちゃっと済ますか」なんて思うこともあったが、皓々と光る「くら寿司」の看板を見た途端に、「ああ、いかん、いかん、他で食べよう」となってしまう。

で、さらなる問題は、この酷い事件のあったのが "山梨県甲府市にある寿司チェーン店「無添くら寿司」" と報じられていることだ。「おいおい、『ホテル昭和』の隣の店じゃないだろうな」と驚いて調べてみたところ、「ホテル昭和」の住所は甲府市ではなく、「中巨摩郡昭和町」とわかった。

ネット検索してみたところ、甲府市にあるくら寿司は「甲府上阿原店」しか見当たらない(悪いけど、店名晒しちゃった: 参照)。別の店舗らしいとわかってちょっとだけ安心したが、だからといってホテル昭和の隣の店舗なら入ってみようかという気には到底なれないので、そのあたり、

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2022年4月19日

「本音」を語って「露悪」に陥った、吉野家常務発言

急な用件が夕方に一段落してやっと帰宅する途中のカーラジ・ニュースで、「吉野家常務が生娘をシャブ漬け云々」みたいな話をしていた。こちらとしては、どうしてそこに私の母校の名前まで出てくるんだという素朴な疑問まで重なって、「一体何のこっちゃ?」と思っていた。

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帰宅してウェブのニュースで調べて、ようやくコトの次第がわかった。早稲田大学の開いた社会人向けマーケティング講座で、講師として登壇した吉野家の伊東正明常務(既に解任されたらしいが)が、若い女性を顧客として取り込むための戦略を語った際に、ヤバい発言をしていたらしい(参照)。

いくつかのニュースをまとめると、問題発言の要旨はこんな感じのものだったようだ。

  1. 田舎から出てきた若い娘が、男に高い料理をおごってもらうようになると、それ以後は牛丼なんて食べなくなる。

  2. そうなる前に、生娘を「シャブ漬け」にするように「牛丼中毒」にしてしまう。

このレトリックは伊東氏の個人的な価値感からすれば、「本音で語ったユニークなマーケティング論」ということになるのだろう。これまでは結構ウケていたに違いない。

ただ、これには落とし穴がある。その一番大きな穴は、伊東氏が「生粋の吉野家育ちってわけじゃなかった」ということだろう。彼は元々は P&G 社でブランド・マネージメントをしていたが、2017年に独立し、吉野家に常務取締役として招かれたという(参照)。

というわけで、彼の意識の中には「俺は、牛丼なんてダサい食い物のマーケティングのために来てやったんだ」という、思い上がりがあったのだろう。だからこそ「男に高い料理をおごってもらうようになったら、牛丼を食わなくなる」なんて、平気で言えたわけだ。

そこから「シャブ漬けにするように」という発想に行き着くのは、彼流の思考では自然の流れなのだろう。とにかく「本音」で語ろうとすると、こんな風に「やたらと露悪趣味の論理展開」をしたがる人間というのが珍しくない。いや、珍しくないどころか、世の中では珍重されたりする。

そしてこの「アブナい露悪趣味」が妙にウケる環境に馴染みすぎてしまうと、同じようなことを他の場面でも得意満面で語ってしまうようになる。少しは気をつければいいのに、人間というのは「よくよく調子に乗りすぎる動物」なのだね。

そんなような例は政治家の世界ではクサるほど多くて、私は昨年 2月に "「悪くもないのに謝ってやってるんだ」と思ってる人" という記事でうんざりしながら語っている。そういえば、この記事で批判した森喜朗というオッサンも、ワセダ出身だったなあ。伊東正明氏は慶応出身らしいけど。

 

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2022年4月18日

そういえば、「はてなブログ」もやってたんだった

「はてなブックマーク」の「あなたへのお知らせ」というのに、「tak-shonai’s Today’s Crack 2 の今月の PV が 100を突破しました」というのがあったので、「ありゃ、一体何のことだっけ?」と思いながら行ってみたところ、こんなブログをやっていたのを思い出した。

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昔、こちらのココログのシステムがかなり不安定な時期があり、しょっちゅう更新やアクセスに支障をきたしていたので、そんな時のためのリザーブとして、同じ内容のブログを「はてなブログ」にも作っていたのだった。それで、タイトルを ”tak-shonai's Today's Crack 2" としている。

リザーブだけに作りも間に合わせ的で、プロフィール写真も設定していない。我ながら申し訳ないぐらいのものだ。

とはいえ 2004年から 2015年まで 11年もの間、律儀にこちらのココログと同文の記事を保存し続けていた。ところがその間にココログのシステムが十分に安定したので面倒になってしまい、2015年 12月 3日付で「こちらのブログ 更新停止のお知らせ」という記事を最後に放置してある。

いやはや、今となってはそんなことすっかり忘れてしまっていた。

ところが「蛇の道はヘビ」みたいなもので、放置したブログにアクセスしてくれる人もいないわけではないらしい。それが 1ヶ月に 100件ほどになるというのだから、世の中、悪いことはできないものである。まあ、はてなブログの方が「悪いこと」ってわけではないのだけどね。

ちなみに、この ”tak-shonai's Today's Crack 2" へのアクセスはどんなルートなのかと調べてみたら、70%が Google 検索、25%が Yahoo 検索を経て来てくれているらしい。試しに Google で "tak-shonai" をキーワードで検索してみると、上から 5番目にはてなブログが表示されたので驚いた(参照)。

世の中には、"tak-shonai" で検索してくれる人がいるとは、まことにありがたいことではある。ただそれにしても Google って、時にはずいぶん無駄な検索結果を表示するものなのだね。

 

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2022年4月17日

最近の気候は、極端から極端に振れる

昨日の『和歌ログ』は、「昼過ぎて雲に切れ間が見えたれば冬に戻らぬ春であれかし」という歌だった。夏と冬の間を行ったり来たりする落ち着きのない天気からはもうそろそろ解放してもらいたいという、あまり風流とも思われない願いを詠んだものである。

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ちなみに上の写真は、今月 1日の朝に筑波山の麓で撮ったもの。前夜、平地では雨だったが、筑波山の標高 400メートル辺りから上は雪になっていたようだ。里の桜と雪の対称がまるでエイプリルフールみたいな光景だが、この日の和歌ログでもマジに書いている(参照)から決してウソじゃない。

天気が極端から極端に振れる傾向は今に始まったことじゃないが、今年の春はその振れ幅がとくに大きいような気がしている。

2月は雪(参照)や雹(参照)が降ったかと思うと下旬には急に暖かくなり(参照)、3月しょっぱなもその暖かさは変わらなかったが、春一番の吹いた翌日の 6日には冬の寒さに戻った(参照)。以後は数日毎に冬と初夏が入れ替わるような雲行きが続く。

せっかく梅が咲いたと思っていた 22日にはまた雪が降る(参照)という極端さ。そして 3月末はかなり暖かくなったが、4月に入るとまた北風の冷たく吹く天気が続く(参照)。おかげで今年の桜は満開時期が長かったようだが、とにかくわけのわからない天気である。

そして予報士たちは「10日からはようやく春らしい日が続いて、もう冬への逆戻りはないでしょう」と言っていたのだが、実際にはそれが見事に裏切られ、14日からまた冬の寒さが戻った(参照)。多くの人は、せっかくしまった冬物をまた引っ張り出すことになっただろう。

今日辺りからは「ようやく平年並みの春の陽気」なんて言われているが、何度も「夏日」を経験した体には、まだ少し肌寒く感じてしまう。そうかと思うと東の海上を台風 1号が通り過ぎたりしているのだから、わけがわからない。

日本は「春夏秋冬の四季の豊かな国」と言われてきたが、最近はこの考えを修正しなければ追いつかない気がする。関東に住む者の実感としては、次のような感じだ。

1月〜2月半ば = 一応「冬」
昔ほどではないが結構冷え込む日が続くものの、2月に入ると急に暖かくなる日もある。

2月半ば〜4月半ば = 一応「春」
梅や桜が咲くので「春」っぽいが、急に冬に戻ったり初夏の陽気になったりして、変動が大きい。

4月半ば〜5月半ば = 既に「初夏」
突然「真夏日」になることも珍しくないので、注意。

5月半ば〜10月半ば = 長い長い「夏」が半年近く続く
梅雨を過ぎると死ぬほど暑い日が続くが、たまに「冷夏」だったりすることもある(参照)から注意。

10月半ば〜11月 = 一応「秋」
暑い夏が過ぎて、ようやく人心地の付くのがこの頃だが、台風が強力になっているので注意。

12月 =「晩秋」
昔は「12月は冬」と思われていたが、今の 12月はそれほど寒くはならないので、実感的には「晩秋」と言う方がいい気がする。

つまり、春 = 2ヶ月、初夏 = 1ヶ月、夏 = 5ヶ月、秋 = 1ヶ月半、晩秋 = 1ヶ月、冬 = 1ヶ月半 というのが実感だ。「初夏」と「夏」を合わせると 6ヶ月になり、つまり 1年の半分は「暑い季節」ということになる。

「秋」から「春」にかけての季節は短い。ここで「早春」という季節を敢えて無視したのは、2月末からは「冬」と「初夏」の間を行ったり来たりすることが多くなるので、呑気に「初春」なんて風流を感じてる隙がないからだ。さらに秋には集中豪雨がしょっちゅうで、その災害規模は昔の比ではない。

「地球温暖化」なんて言われるが、そのココロは「気候極端化」と言う方がいいぐらいのものだ。

 

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2022年4月16日

「高級セダン」を巡る冒険

東洋経済 ONLINE に 「さらばシーマ! 日産高級セダン生産終了の真意」という記事がある。あっさりとこんなことを言っては申し訳ないような気もするのだが、個人的には何の感慨も湧かないお話だ。

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シーマというのは個人的には一番乗りたくないクルマで、「値段の 95%、無条件で補助してあげるからどうぞ」と言われても「イヤだね」と言うだろう。とにかく高級セダン(別に「高級」というわけじゃなく「フツーのセダン」でも同様だが)には乗る気がしない。

2017年 12月 2日、「35年のクルマ遍歴でわかったこと」という記事を書いている。これを書いた時点では 9台のクルマを乗り継いだことになっていて、9台目の「ミラ e:s」(ダイハツの軽自動車)にすっかり満足しているのがわかる。

とにかく、セダンを買ったことは一度もないのである。記事のムスビの一文が「とにもかくにも、スーツにネクタイ姿で 4ドア・セダンのハンドルを握るという自分の姿を、まったく想像できないのである」というのだから、私がクルマで見栄を張るタイプじゃないというのがおわかりだろう。

これまで乗ったクルマで一番高かったのはトヨタの RV、「エスティマ・ルシーダ」である。これは 3人の子どもを乗せて帰郷したりキャンプに行ったりするために「必要だから買った」というだけで、とくに思い入れがあったわけじゃない。子供たちが独立してからはリッターカー、軽自動車と乗り継いでる。

冒頭で紹介した東洋経済の記事は 「上級4ドアセダン復活の日を待ちたいものだ」という一文で結ばれているが、やっぱり「モータージャーナリスト」という商売のお人というのは、何だかんだ言ってもセダンがお好きのようなのだね。「セダン=最もクルマらしいクルマ」って位置付けなのだろう。

私のような「田舎での長距離移動の手段として、仕方なく乗ってる」というタイプの者としては、「ま、お好きなように」としか言いようのないことである。

ちなみに、件の記事は「ミニバンや SUV に奪われたセダン復権の可能性」というサブタイトル付きだが、実際の市場を見れば「軽自動車に奪われた・・・」という方がずっと事実に近いとわかるはずだ。

ただ彼らにとっては、軽自動車なんて問題外なのかなあ。

 

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2022年4月15日

「とっぴおしもない」という新語(?)に驚く

ヤシロぶに "「とっぴおしもない」人たち【Tweetまとめ2020-2022】" という記事があり、「とっぴおし」という耳慣れない(いや、「見慣れない」の方が適切だが)言葉が紹介されているので、見出しだけではちょっとうろたえてしまった。

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種明かしをすればこの記事は、「日夜ネット世間に現れるクリエイティブな日本語を鑑賞するシリーズ」の一環なのだそうだ。なるほど、かなり皮肉なクリエイティビティである。

世の中には「突拍子もない」という言葉を「とっぴおしもない」と覚えてしまった人が少なくないみたいなのである。そして、気の利くことでは定評があって多少の入力ミスはカバーしてくれるかな漢字変換システムも、「とっぴおし」となると、さすがに想像力の範囲を越えてしまうようなのだ。

ヤシロぶでは Twitter から "「とっぴおしもない」13人" を拾って紹介している。ある意味、労作記事である。

収集された表記をみると、「とっぴおし」の部分の変換は「とっぴ/突飛/トッピ」と「おし/押し/推し」の組み合わせとなり、「ない」は「ない/無い」に変換されているようだ。ただ「とっぴ推しも無い」という組み合わせパターンは発見できなかったという。

「突拍子もない」という言葉の語源に関して、"imidas" では次のように説明されている(参照)。

「突拍子」は、今様歌での秘伝の技法とされる「突拍子(なだらかな調子が急に高くなる歌い方)」からという。「ない」は、否定の意ではなく、「せわしない」「はしたない」「切ない」などの「ない」と同じく「甚だしい」の意を示す接尾語。

それにしても「突飛推しも無い」なんて表記は、その「突飛なまでの突拍子のなさ」が抜群だよね。

 

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2022年4月14日

新聞社が「イナゴをチョコレートにした」というお話

「新聞社が昆虫食ビジネスに挑戦」というので、どんなことなのかと思ったら、信濃毎日新聞社が、社員の手作業で捕獲したイナゴをチョコレートのトッピングにした商品を、数量限定で販売するのだそうだ(参照)。

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商品パッケージは上の写真のようなもので、パッケージの上の方に開いた窓から、チョコレートがチラリと見えている。全体像がわからないので別の写真をあたってみると、こんなようなもののようだ。フェア・トレード・カカオのタブレット・チョコに、イナゴが 8匹モロに乗っかっている。

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個人的には、子どもの頃から「イナゴの佃煮」に馴染んでいるので全然平気で食べられると思うが、フツーにチョコ好きの女の子なんかは、かなり抵抗を感じてしまうんじゃなかろうか。大好評であっという間に完売みたいなことになるとは思われない。

記事には、「チョコレート一面にぎっしりとイナゴを敷き詰めることも考えたが、大量に捕まえられず断念した」とある。確かにぎっしりと敷き詰められている方が、むしろ抵抗なく食べられそうだ。この程度だと、一匹一匹の個体がモロに強調されるよね。

信濃毎日新聞社では、「佃煮だけでない、昆虫の新たな食べ方を国内外に提案していく」としている。ただ私としては興味はそそられものの、価格が税込み 2,000円というのでは、実際に買って食べてみようとまでは思わないなあ。

それから余計なことかも知れないが、記事の見出しの「社員が手づかみで捕獲した・・・」という言い回しには、ちょっと違和感を覚える。広い田んぼに出てイナゴを「手づかみ」で捕るなんて、決して不可能というわけではないが、どう考えても難しくて効率悪すぎだ。

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実際には、記事に添えられたこの「減農薬栽培の田んぼでイナゴを捕る太田シェフ」というキャプションのある写真を見ればわかるように、やっぱり捕虫網を使ったもののようである。

この見出し、虫捕り経験のない「今どきの編集者」が付けたんだろうね。

 

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2022年4月13日

「シカト」が「ツルピン」じゃないのは

今年 2月 28日の記事で、「シカト」という言葉の語源について触れた。花札で「神無月(10月)」を表す鹿がそっぽを向いているので、「知らんぷりをする、とぼける、無視する」とかいう意味で使われるようになった。「シカ 10月」で「シカトウ → シカト」というのは、確かな説である。

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ただ私はこの説を知って以来、「しかし花札でそっぽを向いているのは、鹿だけじゃなかろう。睦月(1月)を表す鶴だって、しっかりそっぽを向いてるじゃないか」と思ってきた。それは上の図の通りである。

それで私としては、「シカト」という言葉は、ひょっとしたら「ツルイチ」あるいは「ツルピン」とかいう言葉になっていた可能性もあると思い続けてきた。ちなみに「ツルイチ」よりは「ツルピン」の方がトボけていて、語感的にしっくりきそうな気がするが。

問題は、どうして「無視する」というのが「ツルピン」じゃなく「シカト」になって、それが今日まで続いてきているかということだ。これ、改めて考えるとなかなか難しい問題である。

いろいろ調べてみると、一つの解答になりそうな話が「歴史・意味・由来の雑学」というサイトにあった。「シカトの意味・由来・語源とは?ヤクザとの関係は」というページである。同じようなことを考えるのは私だけじゃないようで、こんなふうに書かれている。

ちなみに動物がそっぽを向くという柄は、鹿の他にも一月の最高札である「松に鶴」もあります。

もしこちらが使われていたら「シカト」ではなく「ツルイチ」になっていたわけですが、「松」も「鶴」も日本では縁起の良いものとされてきたため、隠語としてはどこか仰々しいというところもあったのでしょうか、「シカト」のほうが広まっていきました。

この人の考えを煎じ詰めて言えば、「松に鶴」の札のデザインは、隠語に使うにはちょっと「もったいなさ過ぎ」ということのようなのである。

とはいえ鹿の方だって、春日大社では「神の使い」扱いされているほどなので、もったいないといえばかなりもったいないのだが、まあ、鶴の方がよりもったいない感じがするということなのだろう。

この感覚をより突き詰めていくと、かなり重要なことに気付く。というのは、鶴の方は畏れ多くもかしこくも、太陽を仰ぎ見ているではないか。なるほど、これを「無視する」という意味に使うのは、いくら元々はヤクザの隠語でも「お天道様に申し訳ない」という感覚に通じるだろう。

こんなところから、やっぱり「無視はシカト」に落ち着いたのだということで、一件落着としておこう。

 

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2022年4月12日

「新 500円硬貨」とか「新紙幣」とか、鬱陶しいことで

日テレNEWS が ”「新500円硬貨」浸透しない理由とは? 多額のコストかけても 2年後には・・・” というニュースを伝えている。昨年から流通している「新500円硬貨」が、多くのバスの料金支払機や、立食い蕎麦屋などの自動券売機で使えない状態のままなのだそうだ。

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ニュースの中でも、多くの人が「新500円硬貨」をまだ見たことがないとか、そもそも硬貨が新しくなったことを知らないとかコメントしている。そんな具合なので、支払機や券売機もなかなか対応しきれないのだろう。なにしろ機械の更新には多額の費用がかかるというのだから、仕方がない。

さらに 2年後には、一昨日の当ブログの記事でも触れた「新 1万円札」を初めとする新紙幣が出てくるというのだから、今急いで機械を更新するというモチベーションが生まれない。政府って、実際の市場の都合なんてあまり考えていないようなのだ。

ちなみに私自身も、500円玉が新しくなったなんてことはこのニュースを読むまで知らなかった。なにしろキャッシュレスの時代だし、多くの支払いはクレジットカードを差し出すか iPhone の画面をかざすだけで済むので、近頃は現金なんてまじまじと見たことがない。

今やどうしても現金が必要なのは、私の知るところではスーパー銭湯と、スーパーのロピア(参照)ぐらいのものだ。ロピアは私の住むつくば周辺にはほとんどないので、個人的にはどーでもいいし。

ちなみにスーパー銭湯という業界は、全体的にキャッシュレス化が滅茶苦茶遅れているみたいである。入る時の下足や、脱衣所で脱いだ服を入れるコインロッカーみたいなのは、デポジットとして 100円玉を入れなければならないし、券売機もほとんど現金以外は受け付けない。

この業界、顧客の多くがプリペイドやクレジットなどのカードに縁のないじいさんばあさんなので、しょうがないのかなあ。そうだとしても、上のニュースで紹介された「東急バス」なんかは、SUICA の使用を促進すればいいのにと思ってしまうのだが。

とにかく私は「現金」ってやつを「ものすごく鬱陶しいモノ」と思っているので、こんなようなニュースを読むとかなりイラついてしまうのだよね。昔からこんなだから、お金に縁がないのかなあ。

 

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2022年4月11日

田舎の道のアブナい溝(というか、大穴)

近所の知人の家を訪ねたところ、ちょっと驚くような光景に出くわした。道路脇が写真のようにざっくりとえぐられているのである。どう見ても子どものイタズラなんかじゃない。工事現場で使うようなショベルで掘ったものだろう。数ヶ月以上にわたってずっとこのままの状態だそうだ。

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元は下水のドブ溝が通っていたらいが、今は写真にあるマンホールの蓋を見ればわかるように、道路下に下水道が通っているので、必要ではなくなっているはずだ。

ドブの名残りは写真の奥の方の道路脇にも残っているが、いくら何でもこれほどまでの深い穴にはなっていない。写真ではわかりにくいかもしれないが、これ、深さは 2メートルぐらいあるのだ。

これだけ深いと、間違って子どもが落ちたら擦り傷どころじゃない怪我につながりそうだ。いや、子どもだけじゃなく、最近はどこもかしこも年寄りだらけなので、足許の覚束なくなったじいさんばあさんには、もっと危なかろう。

もし誤って誰かが転落なんかしてしまったら、その責任はどこに持っていけばいいのかわからないらしい。いやはや田舎というのは、アブナい状況のままでほったらかしになっているところが、かなり多いのである。とくに夜道なんかだと気をつけなければならないね。

 

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2022年4月10日

新一万円札のデザイン、ビミョーに気持ち悪いが…

新一万円札の発表されたデザインが不評で、ネット上では炎上気味になっている(参照)。コメントの多くは単に素人っぽい印象論でしかないのだが、スレッド 163番、しょうこちゃん(もしかしてデザインのプロ?)の、下に示した指摘が具体的で説得力抜群だ(参照)。

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しょうこちゃんがとくにシリアスに批判しているのは、デザインの中心(左右の真ん中)がズレまくっていることと、「10000」のフォント選択のまずさだ。ほかにもいろいろあるのだが、主にこの 2つのせいで、「なんじゃ、こりゃ!」感が満ち満ちる結果となっている。

中心のズレについて、しょうこちゃんは「日本銀行券の文字の中心と円の中心を合わせようぜ! 下の奴もズレまくりやないか」と、かなり苛立っている。実際問題として日本銀行の担当者たちは、このデザインを見て自分で気持ち悪くならなかったんだろうか。

そしてフォントに関してもしょうこちゃんは、左上にある「壱万円」の文字の方を取り上げ、「こっちの字を中央に持っていって大きくしようよ」と言っており、それに関しては私も同感だ。いずれにしても英数字の「10000」のフォントは、どう見てもシロートの仕業である。

このデザイン、請け負ったデザイナーの作成した原案に、お役人があれこれ注文を付けすぎて収拾が付かなくなった結果じゃないかという気がする。デザイナーとしても「連中の言うことを全部取り入れたら、こんな感じにしかならないよ。もうイヤ、お手上げ」と、匙を投げてしまったのかもしれない。

とはいうものの、これでも左右の中心を合わせて「10000」の数字をまともなフォントに変えるという微修正を施せば、少しはマシになると思う。ただ、最近はキャッシュレスの時代なので、実際問題としては別にどうでもいいような気もするが。

私としてももっぱらクレジット・カードを使ってるので、このままのデザインの 1万円札が出回ったとしても、現物をまじまじとながめて気持ち悪くなるなんて機会は、あまりないだろうしね。

 

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2022年4月 9日

西暦と元号がゴチャゴチャになってしまって

私はこう見えても、結構な伝統派である。大学卒業時の論文のテーマは歌舞伎の「九代目市川團十郎」だし、修士論文は「七代目団十郎」だった。さらにこのブログと並行して『和歌ログ』なんてのも毎日更新していることでもおわかりいただけると思う。

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というわけで、メインサイトの「知のヴァーリトゥード」を作った頃は、当然のように記事の日付を元号で表していた。たださすがに、例えば「平成 18年 4月 14日」は「H18.04.14」などと略式表示だったが(参照)。

ところがこの年になってしまうと、昭和と平成の御代が長かった上に、さらに令和の世の中に入ったもので、甚だわかりにくくなってしまった。元々数字に強くない(参照)身としては、もう元号で言われても頭の中がゴチャゴチャになってしまうのである。

というわけで、近頃は年を表すのにもっぱら西暦を使うように宗旨替えしてしまった。その方が混乱せずに済むからね。

ところがいろいろな文章を読んでいると、元号を使っているのがずいぶん多い。例えば「平成 23年(2011年)」みたいに書いてくれれば、ああ、今から 11年前のことで、東日本大震災のあった年だよね」とピンとくるのだが、「平成 23年」だけだと、今から何年前なのかもわからなくなってしまう。

本当に数字に弱いというのは因果なことで、元号のみの記述に出会う度に iPhone の「西暦・和暦・年齢・干支早見表」というのを開いて、西暦でいえば何年に当たるのかを確認する始末だ。これ、今や私の必須アプリである。

ただ、自宅で Mac に向かって仕事をしている時には、デスクの横っちょに貼り付けた自作の「元号 西暦 早見表」というのをチラリと見れば済むようにしている。上の画像がそれだ。

この表では 5年毎に区切って、西暦と元号を表示している。いくら何でも全ての年を表示したら、縦長になりすぎるし、間の 4年については、数字に弱い頭でも何とか計算できるからね。

右端の欄には、その時代の感覚が一目でわかるように、「第一次オイルショック」とか「バブル崩壊」とかのトピックスを入れている。いろいろ書き込んだら大変なことになるから、本当に代表的なものに厳選してあるのだが。

この表はなかなか便利なので、皆様も自分好みにアレンジして作ることをオススメしたい。

【同日 追記】

ちなみに私の運転免許証(自慢じゃないがゴールド)には「平成34年08月26日まで有効」なんて書いてあるので、ずっと「それって、いつ?」なんて思っていたが、計算してみれば今年の夏じゃないか。アブナい、アブナい。

こんなこともあるから、もう西暦表示に一本化してくれる方がいろいろな面でミスが減って、コスト面でも節約できると思うがなあ。

 

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2022年4月 8日

新入生の制服が入学式に間に合わないという話

スラドに「新入生の制服が入学式に間に合わず」という記事があるので、「一体どういうこと?」と思いつつリンク先の東京商工リサーチの記事に飛んで読んでみたが、「どういうこと?」感はますます強まってしまった。

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よくよく記事を読んでみれば、ムサシノ商店という学生服の製造販売会社が、キャパを超えた受注を取ってしまった結果、学校の入学式までに制服を届けられない状態に陥ってしまっているらしい。また、届いた制服がサイズ違いで着られないというケースも多いという。それだけのことだ。

チョンボといえばチョンボだが、命に関わる大問題でもなんでもない。単に、このムサシノ商店という会社の信用がガタ落ちになったというだけのことだろう。

要するに制服がないなら仕方がない。届くまでは私服で登校すればいいだけの話だと思うのである。スラドの記事にも、「東京都教育委員会では、当面の間中学の制服や私服での登校を認める措置をとっている」とある。

教育委員会のお墨付きがあるんだから、堂々と私服で行けばいいじゃないかと思うのだが、それがなかなか割り切れないことになっているようだ。「入学式に新しい制服が着られないのはかわいそう」みたいな話が、ネット上で飛び交っているらしい。

この話を読んで、私は自分の半世紀以上も前の経験を思い出してしまった。小学校を卒業して、中学入学直前のオリエンテーションに参加したときの話である。

このオリエンテーションは進学する中学校で行われたのだが、通知には「服装自由」と書いてあったので、私は軽い気持ちで私服で参加した。制服なんて大嫌いだし、そもそも入学前でもあったのだから当然の話である。

ところが当日集まった同級生たちは、ほとんどがもっともらしく制服を着ているじゃないか。私は「はあ!?」と驚いてしまった。

さらに驚いたのは、オリエンテーションを先導した中学教師(私が一番嫌いだった、生活指導主任の A)の、開口一番のセリフだ。「いくら服装は自由と書いてあっても、中学校に来るのだから、制服を着るのが当然と思わなければならない」なんて言うのである。

おいおい、そりゃないだろう。だったら初めから「制服着用」と明記すればいいじゃないか。これじゃだまし討ちよりも酷い。

これはもう、「踏み絵」みたいなものである。中学校って、そういう卑劣なところだったのか。私の学校不信はこの瞬間に決定的なものとなって、卒業までさらに増幅しながら続いた。

というわけで、この国では制服ってかなり大きなマターのようなのだね。恐縮だが、個人的には理解の範疇を越えているとしか言いようがない。

 

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2022年4月 7日

桃太郎の歌には 2種類あって…

このブログの人気記事に、"童謡『桃太郎』の歌詞が、最近変わったらしい" というのがあって、結構なアクセスを集めている。もう 8年近く前に書いたものだ。

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ただ、今日の記事ではこの件を蒸し返したいわけじゃなく、『桃太郎』の歌にはもう一つあるということに触れてみたいのである。「♫ 桃から生まれた桃太郎、気は優しくて力持ち〜」という歌詞で始まるものだ。

ちょっと調べてみたところ、こちらの方が古いらしい。こんな感じである。

  • 「♫ 桃から生まれた桃太郎、気は優しくて力持ち〜」の方
    作詞:田辺友三郎、作曲:納所弁次郎
    初出:1900年(明治 33年)「幼年唱歌(初の上)」(参照

  • 「♫ 桃太郎さん桃太郎さん お腰につけた黍団子〜」の方
    作詞者 不詳、岡野貞一 作曲
    初出: 
    1911年(明治 44年)5月の『尋常小学唱歌(一)』(参照

というわけで、「♫ 桃から生まれた桃太郎〜」の方が 11年も前に発表されているのだが、世間的には「♫ お腰につけた黍団子〜 」の方がずっと知られている。私の妻も、古い方は聞いたこともないなんて、すげないことを言っている。

ただ、すげないという点に関しては私も妻を責められない。というのは、私も「♫ 桃から生まれた桃太郎、気は優しくて力持ち〜」以下の歌詞をちっとも知らないのである。

自分で歌うといつも、「♫ 桃から生まれた桃太郎、気は優しくて力持ち〜 向こうの山のふもとまで、どちらが先に駈けつくか〜」となり、「ありゃ、いつの間にか『うさぎとかめ』に変わっちまった」なんて思ってしまうのである。「もしもしかめよ、かめさんよ〜」の、いわゆる『もしかめ』だ。

ただ、今回改めて YouTube で古い方の『桃太郎』を探し出して聞いてみたところ、いつも『もしかめ』になってしまうのは無理もないこととわかった。何しろ、メロディがそっくりなのである。こんな感じだ。

今だったら「盗作」と言われかねないほどだが、『もしかめ』の方も調べてみると作曲は同じ納所弁次郎で、初出は『ももたろう』の翌年、1901年(明治 34年)の『幼年唱歌 二編上巻』 だそうだ(参照)。自分で同じようなメロディを使い回しちゃったみたいなのである。引き出しが少なかったのかなあ。

それにしても、昔の童謡の歌詞って、ビミョーにというか、露骨にというか、軍国趣味なのが多いよね。

 

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2022年4月 6日

「あおんなよ」と言いながら自分で煽るクルマ

先日、クルマでつくばの田舎道(追い越し禁止区間)を走っていたところ、後ろのゴミ収集車が微妙に車間距離を詰めてくる。こちらだってノロノロ運転しているわけじゃないので煽られる覚えはないのだが、「しょうがねえなあ」と左ウィンカーを点滅させて停まったら、さっと追い抜いて行った。

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私は後ろから車間距離を詰められたら、鬱陶しいからすぐに停まって追い抜かせてやることにしている。「先日は 10km 近くずっと煽られっぱなしで、コワかった」なんて言う人がいるが、「なんで、停まって追い抜かせてやらなかったの?」と聞きたくなってしまう。

ところがこの日は、その先に正真正銘のノロノロ運転のクルマがいて、私を追い抜いて行ったゴミ収集車は明らかにイラり気味でそのクルマを煽っている。ただ、前のノロノロ運転手は免許を取ってこの方、バックミラーなんて一度も見たことのないタイプのようで、この煽りに全然気付いていない様子だ。

そして赤信号で停止している間にこちらも追いついてしまい、そのゴミ収集車をよく見たところ、自治体所有のクルマではなく、民間のクルマがゴミ収集事業を請け負ってやっているもののようだ。そりゃ、自治体のクルマだったら、こんな煽り運転はまずしないよね。

上の写真はその信号停止の間にちゃちゃっとスマホで撮ったものだが、このクルマ、後ろにステッカーがペタペタ貼ってある。左側には日の丸をバックにした「あおんなよ」(「なめんなよ」じゃない)、真ん中の下には「低速御免」の文字が見える。

いやはや、「低速御免」で「あおんなよ」との意思表示をしているクルマが、前のクルマをしっかり煽っているのだから、世の中というのはおもしろい。このように「言うことと、することが逆の人」ってのは、どこでも結構多いよね。

 

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2022年4月 5日

JR 東が運賃 10円値上げでホームドアを推進

Impress Watch のサイトに「JR 東、運賃 10円値上げ。都市部でホームドアを推進」というニュースがある。運賃に 10円を上乗せして、その収益でホームドアやバリアフリーの設備を整備していくということらしい。

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この適用開始は来年の 3月頃からとなるらしく、「2025年度までの整備予定は、エレベーターを 23駅に、スロープを 4駅に、バリアフリートイレを 10駅に整備する」としている。ふぅん、2年かけてこの程度というのは、案外トロいのだね。

その後の予定も、2035年までにエレベーター 20駅、スロープ 0駅、バリアフリートイレ 18駅というのだから、トロさが加速する(妙な表現だが)。10円余計に払う程度では、この程度のものなのか。

ただ、ホームドアの設置に関する目標はこの記事では明らかにされていない。もしかしたら、この件に関しては設置がどんどん進むのかもしれない。なにしろ最近は、ホームからの転落死(多くは自殺)が増えているらしいから、対策は急務だ。

思い起こせば私が茨城県に移転してきた 40年ほど前は、常磐線の運行なんてかなりワイルドなものだった。この件に関しては、2006年 9月 7日の「和歌ログ」に、次のように書いている(参照)。

そうえいば、私がつくばの里に越してきたのは、もう二十四年も前(注:今からだと 40年前)になるのだ。その頃の取手駅は、ひなびた田舎駅で、土浦方面からくる中距離電車は、通称 「赤電 (あかでん)」 と呼ばれていた。

この電車のドアは、車両の前後に一対ずつしかなく、開閉は手動だった。超満員の時などは、ドアが閉まりきらないうちに発車してしまい、デッキから振り落とされないように、必死につかまっていたものだ。

取手駅を出て間もないところにある利根川の鉄橋を渡るときなどは、半分はみ出した体の真下に、とうとうと流れる坂東太郎が見下ろせて、なかなかスリリングなものだった。

この頃と比べたら、取手駅はホームドアこそないが、ずいぶんお行儀良くなったものである。

 

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2022年4月 4日

自分の「部族」名を特定するとしたら

おもしろい tweet が見つかった。fumi_aoki さんという方のナイジェリアでの体験である(参照)。警察署で「無犯罪証明書」を取得するための申請書に "TRIBE"という項目があったんだそうだ。

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そもそも「無犯罪証明書」というのがどういうものだかよくわからないが、きっと何か公式なことをする際に、「決して悪いヤツじゃございません」というために必要なんだろうね。そして写真には確かに ”TRIBE”(部族)と、”PLACE OF BIRTH”(出生地)という項目がある。

Tribe の項目に何を書こうかと考えていたら、担当者に「ヨルバ族とかイボ族とかあるやろ」とせかされたらしい。決してナイジェリアの警察官が大阪弁だったわけじゃないんだろうが、それにしても東洋人を相手に「ヨルバ族とかイボ族とか」はないよね。

で、彼は仕方なく ”GUMMA”(群馬)と書いたもののようだが、まあ、それで通ったんだろう。異文化の真っ只中で戸惑ったら、とにかく何でもいいから書いてみるものである。

これを読んで我ながら酔狂なことに、「さて、自分ならこの項目に何と書くだろう」と考えてしまった。山形県は庄内の生まれだから "Shonai" と書いてもいいが、それだとブログ・ネームと同じだから、下手するとややこしいことになりかねない。

大阪ミナミの生まれの人だったら、”Naniwa” なんて書くと、自分でもかなりしっくりくるんじゃなかろうか。「浪速族」なんて、いかにもありそうじゃないか。同じ感覚で、"Hakata" (博多族)なんてのもいいし、"Satsuma"(薩摩族)、"Izumo"(出雲族)もグッとくるものがある。

そこへ行くと、東北方面はさすがに地の果てだったということもあって、なかなかしっくりくるものがない。"Dewa"(出羽族)とか "Mutsu"(陸奥族)では、ちょっとインパクトに欠ける気がしてしまう。

いろいろ思案した挙げ句、"Danderro" というのがいいと思いついた。"R" を 2つ重ねるのがミソで、イタリア語的に「ダンデッロ族」と称していただきたい。うん、これで行こう。公式に使うことなんて、一生ないだろうけど。

なお「だんでろ」という言葉については、3年半近く前に書いた "酒田衆の「だんでろ言葉」" という記事を参照いただきたい。

 

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2022年4月 3日

『ネイザンロードのイルミネーション』という小説

”My Documents” フォルダの奥の奥の方から、昔書いた小説のようなもの(未発表)がいくつか出てきた。その中に『ネイザンロードのイルミネーション』というのがあり、どうやら 1987〜8年頃に書いたもののようで、ということは、30代半ばのことである。いやはや、若かったなあ。

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これは当時の仕事で、ファッション業界取材のために香港を訪れた時のことを題材にしたものだ。「ネイザンロード(Nathern Road、彌敦道)」というのは、香港の中心部を南北に走る大通りである。

ただ、この作品、Windows 3.1 が発表される 4〜5年も前の作だから、どうやら大昔のワープロ専用機 OASYS(参照)で書き、オプションの TXT 形式で保存したもののようなのだ。

ところがいかにお馴染みの "****.txt" という名称のファイルとはいえ、30年以上も前ものだけに規格が違いすぎて、手持ちの Mac では読み込めない。「TXT 形式で保存しとけば大丈夫」というのは甘かったようで、「自分で書いた作品が自分で読めなくなってしまったのか!」と失望していたのである。

ただ、同じ頃に書いたものでも「戦争では誰も勝たない」というショートショートは、たまたまインターネット上で発表していたために、読み込みの苦労はせずに済んでいる。いやはや、インターネットはいろいろな意味で心強い。

というわけで半ば諦めかけていたのだが、昨日ふと思いついて押し入れの奥から大昔の Windows PC(OS は ”Windows 7”)を引っ張り出したのである。これで辛うじて起動した「メモ」アプリで、ものは試しと開いてみたところ、なんと、見覚えのある文章が再現されたではないか。

大昔のファイルは大昔のマシンで開くに限るようなのである。こうして読み込んだテキストの Word ファイルへの変換に成功して、どっと脱力するほど安心した。

短編小説としてはちょっとだけ長めだが、中編というほどの分量ではない。もしよかったら、こちら をクリックすれば別画面で読むことが出来る。(なお、上の画像をクリックしてもリンクされる)

最近はロシアのウクライナ侵攻が非難の的だが、私としては中国による香港蹂躙に関してもかなりムカついている。昔の香港は観光以外の視点でも魅力たっぷりで、私はニューヨークの次に大好きな街だった。この小説の中でも、香港の若手ファッション・デザイナーが、こう語る姿を描いている。

「僕らの父親の世代は今でも何とかして香港から逃げ出したいと考えている。そして財産をカナダあたりに移して、移住のチャンスを待っている。だけど、僕はこの香港の街が好きだ。例えどんなことがあろうと僕はこの香港の街と一緒に生きたい」

ちなみに「1997年に、中国に返還されても?」 という私の質問に対しても、彼は次のように答える。

「もちろん。僕のような者がいる限り、香港は香港であり続けるさ」

しかし今となっては悲しいことではあるが、彼が香港の外に無事に脱出していることを願う。結果的に自身の言葉を裏切る状態になっているとしても、私は決して責めようとは思わない。もはや香港は香港でなくなったのだから。

昔の作品を今さらのように発表させていただくのは、魅力的だった 1987年の香港へのオマージュを残しておきたいという気持ちからである。

 

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2022年4月 2日

トリックスターに(ほんのちょっとでいいから)幸あれ

note というサイトに「ウィル・スミスはなぜ許されないのか?」という記事がある。筆者は文脈くんという人だが、これ、「我が意を得たり」と言いたくなるものだった。

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記事の内容は、例のアカデミー賞授賞式の、ウィル・スミスが司会役のクリス・ロックの「ちょっとキツいジョーク」に怒って平手打ちを食らわせた件についてなのだが、その平手打ちは「断じて許されないことなのだ」と非難している。よくぞ言って下さった。

紹介した記事でも触れられているが、クリス・ロックは「スダンドアップ・コメディアン」である。それについては Wikipedia の「スタンダップコメディ」の項で、次のように紹介されている。

題材はユーモラスな物語やジョーク、人間観察、下ネタ、政治、宗教、人種差別など幅広く、演者が皮肉交じりにしゃべるのが特徴である。伝統的なジョークの形態と異なり、時として観客を不快にさせることがあるという点で「オルタナティヴコメディ(英語版)」の一つとも言われる。

「時として観客を不快にさせることがある」というのが真骨頂で、当たり障りのないネタばかりでは、彼らの存在意義がない。そしてクリス・ロックはとくに「キツいジョーク」をかますことでで知られるらしい。

今回の件がニュースになった時、私は「そんなことでツカツカ歩み寄って平手打ちをくらわせるなんて、無粋じゃないか」と思っていた。「いやいや、やられちまったね」みたいな感じで苦笑して首を振ってみせていればよかったのである。

文脈くんは記事の中で、アメリカでは「言論の自由」を守るために、伝統的常識を意図的に解体する必要があり、「その役割を一手に担うのがスタンドアップコメディアン」なのだとして、次のように言っている。

スタンドアップコメディアンには、常識の攪拌が求められている。その代償として、彼らには「何を言ってもいい(たとえ差別的な言辞であっても)」という特権が与えられている。

これ、実はアメリカばかりではなく、世界中にあることで、日本でもそんな役割の芸人がいた。昔の「幇間」などがそれで、曽呂利新左衛門(実在は疑わしいとの説もあるが)なんかはその発祥と言われるトリックスターである。

幇間は「太鼓持ち」なんて呼ばれて、どうでもいいおべんちゃらばっかり言うものと思っている人も多いが、実はそんなものではない。かなり機知に富んだことを言えなければ商売にならず、その機知というのはアブナい話まで含むのである。

日本では近年、表面的な放送コードなんかに縛られて「アブナい芸」を売り物にするタレントがいなくなってしまったが、放送に乗らない場でのタモリとかたけしはそんなような存在なのかもしれないね。

というわけで、トリックスターに幸あれ。ほんのちょっとでいいから。

 

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2022年4月 1日

"Kangol" は、アボリジニ語で「わからない」

「カンガルー」という言葉の元は、アボリジニ語で「わからない」という意味だというのがまことしやかに言われた時期があったが、今では俗説ということで片付けられている(参照)。「カンガルー」と呼ばれている動物は、元々アボリジニ語でも「カンガルー」(跳ぶもの)というようなのだ。

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ただ、この「カンガルー=わからない」説が生まれた背景というのが完全に無視されて、すっかり俗説扱いされているのは、とても残念なことである。というのは、アボリジニ語で「わからない」というのは、「カンガルー」ととてもよく似た発音のようなのだ。

種明かしをすると、アボリジニ語の「わからない」は、「カンゴール」というのだそうである。そう、あのスポーツウェア・ブランドの ”KANGOL” がそれだ。

ただ、当の KANGOL 社も、それについてはよくわかっていないみたいで、英語版の Wikipedia には、ブランド名の由来が次のように記されている(参照)。

The name Kangol reflects the original production where the K was for knitting, the ANG was for angora, and the OL was for wool.

(以下、tak-shonai による日本語訳)

Kangol という名前は、元来の製品、つまり K が knitting (編み物)、ANG が angora(アンゴラ)、OL が wool(ウール)というところから来ている。

これ、一見もっともらしいが、よく考えてみれば苦しいこじつけでしかない。単に行きがかり上、「そういうことにしておこうや」という程度のことというのが見え見えで、煎じ詰めると、あまりよくわからない話である。

ただ、それはそもそも、"kangol" というのが、「わからない」という意味のアボリジニ語であることから発していることを思えば、無理からぬことだろう。

【4月 2日 追記】

申すまでもないことながら、いつもの「ナニ」でありまして、3月 31日付の「ウソがウソを呼ぶ」の翌日というのが心苦しいところではありますが、本気になさらないよう、どうぞ

Yoroshiku4

 

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