「シカト」が「ツルピン」じゃないのは
今年 2月 28日の記事で、「シカト」という言葉の語源について触れた。花札で「神無月(10月)」を表す鹿がそっぽを向いているので、「知らんぷりをする、とぼける、無視する」とかいう意味で使われるようになった。「シカ 10月」で「シカトウ → シカト」というのは、確かな説である。
ただ私はこの説を知って以来、「しかし花札でそっぽを向いているのは、鹿だけじゃなかろう。睦月(1月)を表す鶴だって、しっかりそっぽを向いてるじゃないか」と思ってきた。それは上の図の通りである。
それで私としては、「シカト」という言葉は、ひょっとしたら「ツルイチ」あるいは「ツルピン」とかいう言葉になっていた可能性もあると思い続けてきた。ちなみに「ツルイチ」よりは「ツルピン」の方がトボけていて、語感的にしっくりきそうな気がするが。
問題は、どうして「無視する」というのが「ツルピン」じゃなく「シカト」になって、それが今日まで続いてきているかということだ。これ、改めて考えるとなかなか難しい問題である。
いろいろ調べてみると、一つの解答になりそうな話が「歴史・意味・由来の雑学」というサイトにあった。「シカトの意味・由来・語源とは?ヤクザとの関係は」というページである。同じようなことを考えるのは私だけじゃないようで、こんなふうに書かれている。
ちなみに動物がそっぽを向くという柄は、鹿の他にも一月の最高札である「松に鶴」もあります。
もしこちらが使われていたら「シカト」ではなく「ツルイチ」になっていたわけですが、「松」も「鶴」も日本では縁起の良いものとされてきたため、隠語としてはどこか仰々しいというところもあったのでしょうか、「シカト」のほうが広まっていきました。
この人の考えを煎じ詰めて言えば、「松に鶴」の札のデザインは、隠語に使うにはちょっと「もったいなさ過ぎ」ということのようなのである。
とはいえ鹿の方だって、春日大社では「神の使い」扱いされているほどなので、もったいないといえばかなりもったいないのだが、まあ、鶴の方がよりもったいない感じがするということなのだろう。
この感覚をより突き詰めていくと、かなり重要なことに気付く。というのは、鶴の方は畏れ多くもかしこくも、太陽を仰ぎ見ているではないか。なるほど、これを「無視する」という意味に使うのは、いくら元々はヤクザの隠語でも「お天道様に申し訳ない」という感覚に通じるだろう。
こんなところから、やっぱり「無視はシカト」に落ち着いたのだということで、一件落着としておこう。
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コメント
花札を使った「おいちょかぶ」で、一のことを「ピン」と言うので…、
九と一でクッピン
四と一でシッピン
これらとの混同を避けたのではないでしょうか?
(あくまで個人の感想であり、効能効果、本来の意味成り立ちとはかけ離れている場合があります。)
投稿: 乙痴庵 | 2022年4月14日 16:10
乙痴庵 さん:
「シッピン クッピン 親の総取り」なんて言いますね (^o^)
「ツルピン」だと「つるっぱげ」みたいなイメージになってしまうのかなあと思っていましたが、お肌がツルツルピンになる保湿剤のようなものがあるようで、世の中、調べるまではわからないものです。
hhttps://jp.mercari.com/item/m581522543
投稿: tak | 2022年4月14日 17:05
↑ に書かれている様に、花札でのおいちょかぶで、
1枚目にあっても2枚目に引いても紅葉を引くと
10=最初の札の数字が変わらない
となります。紅葉に青タンがあろうが、鹿があろうが
紅葉は紅葉は 10は、10。コイコイなら 青タン 猪鹿蝶
など役札になるのに、おいちょかぶでは、役立たず。
人を呼んでも、無視して反応しない。状況が変わらない。
鹿に紅葉 しかとう シカト
投稿: ヒロ | 2022年4月14日 23:45
ヒロ さん:
一段深めた新解釈ですね (^o^)
投稿: tak | 2022年4月15日 11:28