トリックスターに(ほんのちょっとでいいから)幸あれ
note というサイトに「ウィル・スミスはなぜ許されないのか?」という記事がある。筆者は文脈くんという人だが、これ、「我が意を得たり」と言いたくなるものだった。
記事の内容は、例のアカデミー賞授賞式の、ウィル・スミスが司会役のクリス・ロックの「ちょっとキツいジョーク」に怒って平手打ちを食らわせた件についてなのだが、その平手打ちは「断じて許されないことなのだ」と非難している。よくぞ言って下さった。
紹介した記事でも触れられているが、クリス・ロックは「スダンドアップ・コメディアン」である。それについては Wikipedia の「スタンダップコメディ」の項で、次のように紹介されている。
題材はユーモラスな物語やジョーク、人間観察、下ネタ、政治、宗教、人種差別など幅広く、演者が皮肉交じりにしゃべるのが特徴である。伝統的なジョークの形態と異なり、時として観客を不快にさせることがあるという点で「オルタナティヴコメディ(英語版)」の一つとも言われる。
「時として観客を不快にさせることがある」というのが真骨頂で、当たり障りのないネタばかりでは、彼らの存在意義がない。そしてクリス・ロックはとくに「キツいジョーク」をかますことでで知られるらしい。
今回の件がニュースになった時、私は「そんなことでツカツカ歩み寄って平手打ちをくらわせるなんて、無粋じゃないか」と思っていた。「いやいや、やられちまったね」みたいな感じで苦笑して首を振ってみせていればよかったのである。
文脈くんは記事の中で、アメリカでは「言論の自由」を守るために、伝統的常識を意図的に解体する必要があり、「その役割を一手に担うのがスタンドアップコメディアン」なのだとして、次のように言っている。
スタンドアップコメディアンには、常識の攪拌が求められている。その代償として、彼らには「何を言ってもいい(たとえ差別的な言辞であっても)」という特権が与えられている。
これ、実はアメリカばかりではなく、世界中にあることで、日本でもそんな役割の芸人がいた。昔の「幇間」などがそれで、曽呂利新左衛門(実在は疑わしいとの説もあるが)なんかはその発祥と言われるトリックスターである。
幇間は「太鼓持ち」なんて呼ばれて、どうでもいいおべんちゃらばっかり言うものと思っている人も多いが、実はそんなものではない。かなり機知に富んだことを言えなければ商売にならず、その機知というのはアブナい話まで含むのである。
日本では近年、表面的な放送コードなんかに縛られて「アブナい芸」を売り物にするタレントがいなくなってしまったが、放送に乗らない場でのタモリとかたけしはそんなような存在なのかもしれないね。
というわけで、トリックスターに幸あれ。ほんのちょっとでいいから。
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コメント
なるほど、こういう文化背景のもとでトランプみたいなのがタレントとして人気を集め、政界進出まで行っちゃったわけですね。
神話のトリックスターはわりと反乱を起こして世界を滅ぼしたりしますから^^;)
投稿: 柘榴 | 2022年4月 3日 05:22
柘榴 さん:
うぅむ、そもそも権力志向した段階で、トリックスター失格だと思いますけどね。
トランプはトリックスターの下手で悪趣味なやり口のまま、権力を握っちゃったから最悪なんですよ。きっと。
投稿: tak | 2022年4月 3日 10:35
脱毛症に悩まされている夫人が、夫の晴れ舞台に丸坊主のスタイルで出席するという気風の良さを見せてくれたなら、その嫌味コメディアンの一言に対して、「誉め言葉有難う!」という仕草で返してくれたら良かったのに残念です。
投稿: K.N | 2022年4月 4日 17:09
K.N さん:
座布団 3枚!
投稿: tak | 2022年4月 4日 17:13