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2022年5月に作成された投稿

2022年5月31日

Pixiv って会社だけの問題じゃないんだろうけど

Pixiv(ピクシブ)というイラストコミュニケーション・サービスの会社が、ちょっと大変なことになっているようだ。そもそもの発端は、同社のトランスジェンダー女性が上司からセクハラを受けたこと(参照)のようだが、これが知れ渡って炎上し、この会社のサービスの退会者が続出しているという(参照)。

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そもそも私はイラストコミュニケーション・サービスというのがどういうものか仔細には知らないのだが、まあ、「柔らかめ」の分野のサービスではあるらしい。ただ、いくら「柔らかめ」とは言っても今回のニュースはちょっとね。

記事によれば、コトの経緯はこんなことのようだ。

2018年 4月にデザイナーとして入社した当日、歓迎会で同社執行役員の男性上司から腰に手を回された上で、原告の性自認(性同一性)や、これまでの男性・女性との性的経験などについて聞かれ、わいせつな言葉もかけられた。

別の機会には「キャバ嬢にしか見えない」「ハプニングバー通いしてそうな顔だ」などと性的な発言も投げかけられた。

2018年夏ごろには、男性上司から原告に対してセクハラについての謝罪があったが、「男だから平気だと思った」「これからはお前を一人の女性として見る」などと言われるなど、性同一性について理解を欠く内容だった。

謝罪後も、手を握られた上で性的な質問をする、原告の陰部に顔を押し当てられるなどのセクハラは続いた。

「おいおい、いい加減にしろよ!」と言いたくなってしまうじゃないか。この上司、職場と風俗店との区別が付いてない。

記事の見出しにもなってるように、「男だから平気だと思った」なんて言ったようだが、そもそもの話として、おっさんに腰に手を回されてぞっとするのに男も女もないよね。こいつ、頭とセンスが悪すぎるだけじゃなく、ほとんどビョーキのレベルだ。

こんなのを執行役員なんて地位に就かせる会社だけに、当初の対応もいい加減なもので、記事にはこんなふうにある。

原告は「周りにも同様の被害を受けている女性がいて、(会社に)一緒に相談したが、生来の女性と私に対するセクハラでは『重みが違う』と言われ、本当に悔しい思いをした」と会社の取り扱いを批判。

この会社、元社長のアイドルへのセクハラ事件なんてのも取り沙汰されている(参照)ほどだから、こんな対応しかできなかったのだね。そして昨日になってようやく、自社のサイトで「弊社におけるハラスメントに関する報道について」という文書を発表した。こんな具合である。

一連の報道にありました、弊社従業員によるハラスメント行為があったこと、およびハラスメントを行った当該従業員を懲戒処分したことについては事実となります。

書いた担当者はちょっと日本語が不自由なんだろう。「事実となります」という言い方には「一体、いつなるんだ?」とツッコみたくなり、ついでに社全体のレベルも知れる。

いずれにしても、同じようなことは Pixiv だけでなくいろいろな企業で起きているのだろう。「ゴキブリを 1匹見たら、100匹いると思え」というほどだからね。

個人的には LGBT の友人や知り合いは何人もいる(ゲイが多いんだけど)が、とくにどうということもなく、ごくフツーに付き合っている。日本の世の中って、LGBT との「フツーの付き合い方」を知らない人間が多いみたいな気がするのだが、要するに「フツーに付き合えばいい」ってことなのにね。

【付記】

この会社が運営しているらしい「ピクシブ百科事典」というサイトでは、「セクハラ」という項目に次のようにある。

昭和の日本までは存在すらしなかった概念。
1989年流行語大賞に選ばれてから「そんなものが世に存在するとは」と日本人男性が初めて知ることになったハラスメント行為のこと。
このため特に昭和世代のオッサンたち(特に昭和漫画を読んで育ったオッサンたち)は、一体どこからがこのセクハラにあたるのかの想像すらつかない人が多く、令和になってもナチュラルに職場で女性社員にスリーサイズや男性経験を聞くなどして、気づかぬままセクハラ親父と化している。

なるほど、この会社は 2007年創業とのことだが、上層部は「昭和世代のオッサンたち」なのだね。元社長というのは昭和の末の生まれとはいえ、きっとマセてて、昭和のマンガを愛読してたのだろう。

 

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2022年5月30日

香港のトラック・ドライバーの「グッジョブ」

YouTube に「車線変更させない意地悪な車を撃退するドラレコ主がカッコ良すぎる!!」というタイトルの動画がある。クルマが左側通行しているので初めは日本かと思ったが、バスに  "KMB" (Kowloon Motor Bus)と表示があるので、どうやら香港で録画されたもののようだ。

左から 2番目の車線を走行中のバスが左に車線変更しようとしてウィンカーを出したところ、後ろからきた乗用車が左横に並んだ途端にブレーキをかけ、そのまま併走して車線変更させてくれない。バスが減速するとその乗用車も明らかに減速するので、意地悪をしているとしか思われないのである。

そこで、このビデオをドラレコで録画していたトラック・ドライバーが助けに出る。右側からバスを追い越すと左側車線に移動して減速し、意地悪な乗用車の前をふさぐ。その間にバスは前に出て、左に車線変更することができた。

この後、バスが「サンキュー・ハザード」を点滅させて感謝の意を示し、動画は終わる。トラック・ドライバー、「グッジョブ」である。

ここまで露骨な妨害運転というのは、さすがに日本ではないんじゃないかと思ったが、動画へのコメントを見ると、そうでもないらしい。こんなのがある。

消防士です。
救急車での搬送中、もちろん緊急走行中、似たようなことされました。
合計6年機関員(運転手)してますが、そういった経験は1回だけです。
大型トラックの方は、けっこうナイスプレイしてくれることが多いです。

まさに新東名でこれで助けられた経験ありますわ!並走ミニバンの前にスっと冷凍車が入って減速してライトカットしてくれた
優しいドライバーばかりなら事故も起きなくていいのに

夜の高速で煽られて照らされて眩しかったところに、後ろギラギラのトラックが割って入っててくれて助かったの思い出した

日本でも危険な妨害運転をするクルマはいるんだね。とくに救急車の妨害をするやつがいたというのには驚いた。

ちなみに日本だと、決して意識的に意地悪をしているつもりではないんだろうが、追い越し車線をいつまでもゆっくりと走って、後ろに延々と長いパレードを作ってしまうドライバーが少なくない。右側車線は追い越し用と認識していないサンデー・ドライバー(平日にもよく現れるが)が多いようなのだ。

この問題については、4年半ほど前に "高速道路上の「あおり」問題を、ちょっと別の視点から" という記事で論じている。

 

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2022年5月29日

「プーチン峰」に掲げられたウクライナ国旗

AFP BB News に "「プーチン峰」のウクライナ国旗、キルギス登山連盟が撤去” (5月 28日付)というニュースがある。その前日に報じられた "「プーチン峰」にウクライナ国旗、警察が捜査 キルギス" の続報だ。ちなみに「プーチン峰」(Putin's Peak)というのは、ロシアじゃなくキルギスにある山である。

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キルギスにある山に「プーチン峰」なんて名前が付いているのは、このキルギスという国が「ロシアの忠実な同盟国」であることによるらしい。何しろこの国には、「エリツィン峰(5168メートル)」や「レーニン峰(7134メートル)」という山もあるというのだから、念の入った事大主義である。

そのややこしい国の、その名も「プーチン峰」に、誰かがウクライナ国旗を立ててしまったというのだから、警察は焦ってしまったんだろう。それで「捜査」を始めたというのだが、一体どういう罪で逮捕するのか、部外者としてはよくわからないところである。

ちなみに上の画像を見てもわかるように、このニュースに添えられた写真には、ロシア国旗(右)とキルギス国旗(左)しか映ってない。「ウクライナ国旗なんてないじゃん!」と思ってしまったが、写真の下に「2012年 9月 17日撮影」というキャプションがある。何だよ、紛らわしいなあ。

じゃあ、ウクライナ国旗の映った画像がどこかにないかと探したところ、ちゃんと Twitter で見つかった。MFA of Ukraine のお墨付きで、下の画像をクリックすれば、紛れもない動画に飛べる。

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残念ながらこのウクライナ国旗は早速撤去されてしまったようだが、動画が見られるだけでも嬉しい。撮影した人、エラい!(ただ、国旗の下の金属板の文字は残念ながら私には読めないので、英語訳も添えてくれたらよかったのに)

ちなみにキルギスの登山連盟会長はこの件について、「政治に巻き込まれるのは不愉快だ」として、「キルギスの山にはキルギスの国旗が掲げられるべきだと私は信じている」と述べたと伝えられている(参照)。

しかし、そんなことを言いながら、ロシアの国旗が一緒に掲げられていることについては目をつむるらしい。「政治に巻き込まれるのは不愉快だ」と言ってる当人が、好んで政治に巻き込まれているようなのだね。

キルギスって、「ロシアの忠実な同盟国」どころか、これではほとんど「属国」だ。悲しいお話である。

 

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2022年5月28日

スーパーのステッカーで知る、世間一般のエコ意識

近所のスーパー(5月 12日付の記事でも書いた店)の入り口に "E O HOP" と表示された意味不明のステッカーがあるのに気付いた。「何のこっちゃ?」と思ったが、下に「地球にやさしい・いいお店」とあるので、”ECO SHOP” の ”E" と ”S" が退色して消えたものと推量できた。

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ググってみると茨城県庁のサイトに「エコショップ制度」というページがあり、"環境にやさしい商品の販売やごみ減量化・リサイクル活動に積極的に取り組んでいる小売店舗を「エコ・ショップ」として認定するエコ・ショップ制度を設けています" と謳われている。

このページによれば、「エコショップ」として認定された店に与えられるステッカーは、下の写真のようにグリーン地となっている(茨城県庁サイトより)。ところがどうやら、使用されたインクが「赤」と「黄」の耐光性の弱い安物のようなのだ(参照)。

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(クリックすると、茨城県庁サイトの完全版を新規タブで表示)

それで "C" と "S" の周囲の赤と黄の部分が完全に消えた結果、白抜きの文字が認識されなくなっている。のみならず「緑マイナス黄イコール青」ってなことのようで、全体の地の色まで青になってしまった。こういうの、「画竜点睛を欠く」というのだろうね。

というわけなのだが、このスーパー、せっかく認証された "ECO SHOP" が意味不明の "E O  HOP" になってしまっても、一向に気にしていないようなのである。まあ、ステッカーを作り直したら、それだけ CO2 排出増につながるとして遠慮しているのかも知れないが。

ちなみに 12日付の記事ではそこまで触れていないのだが、例の店内ポスターの下の方には下の写真のように、「冷房時の室温 28℃ で、従業員はクールビズスタイル(夏の軽装)にて対応させて頂いております。お客様のご理解をお願い申し上げます」と、一見もっともらしいことが書いてある。

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ところが実際のところ、ほとんどの従業員は「夏の軽装」どころか、ニットのカーディガンなどを羽織り、どちらかと言えば「寒さ対策」をしているように見えるのだ。このあたり、ハマッコー さんが次のようにコメントしてくれている。

食品系のスーパーだったら店内の温度は食品の品質を保つためどちらかと言うと低いです。
営業時間中そこで働く人たちは寒さから身を守るために厚着です。軽装なんてできません。
このスーパー何をしたいのでしょうか。

まさにその通りで、このスーパーの店内に入ると、半袖 Tシャツ 1枚では肌寒く感じるぐらいに冷房が効いており、さっさと買い物を済ませて出て来ないと震えるほどだ。「冷房時の室温 28℃」なんて、「嘘ばっか!」と言いたくなってしまう。

というわけで、このスーパーに限らず、世間一般のエコ意識なんて残念ながらこの程度のもので、掛け声と比べるとかなりの落差があるようなのだ。

 

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2022年5月27日

チンパンジーが「会話してる」というので

Gigazine の「チンパンジーが 390もの構文を使って会話をしていることが鳴き声 5000回の録音から示唆される」というニュースに思わず反応してしまった。野生のチンパンジーの鳴き声を録音解析した結果、12種類の異なる鳴き声を複雑に組み合わせて 390通りの「構文」を作っているというのである。

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つまり、チンパンジーも会話を交わしているんじゃないかということだ。これ、このブログの「言葉」のカテゴリーで、過去に 666本(平均して、1ヶ月に約 3本)もの記事を書いている者としては、どえらく興味深い記事である

ちなみに犬だって、人間の「言葉」を解することはよく知られている。大抵の犬はきちんと教え込めば、「お座り!」と言われればお座りするし、「お手!」と言われたら前足を差し出す。「お座り」と言われて「お手」なんかするおバカな犬もいないわけじゃないだろうが、ごく少ないはずだ。

厳密な意味で「言葉を理解」ということなのかどうかはわからないが、犬がこれほどのことをするのだから、チンパンジーが仲間同士で「会話」していると聞かされても、それほど驚くには当たらない。「していても不思議じゃないよね」と思うばかりだ。

鳥たちも鳴き声で異性にアピールしたり、警戒を呼びかけたりしているし、仲間同士で言葉、あるいは音声によるコミュニケーションを取るのは、取り立てて特別のことじゃないのだろう。人間の場合は、コミュニケーションに使う「言葉」がやたら複雑になっているというだけだ。

ただ、複雑化する過程ででいろいろな言語に分化してしまったせいで、使用する言語が違うと通じ合えないなんてことになってしまった。その意味では我々は、プリミティブなコミュニケーション感覚を忘れてしまったのかもしれない。

というようなことまで思いを巡らせると、上でリンクした日本語記事の、チンパンジーが本を広げて読んでいるみたいな写真は、どう見てもちょっとやり過ぎで、ニュースの意味を理解していないさえ思われる。英文の元記事に添えられた写真は、こんなのとか、

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Chimpanzees combine calls to form numerous vocal sequences

こんなのになっている。この程度の方がしっくりくるよね。

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Thousands of Chimp Vocal Recordings Reveal a Hidden Language We Never Knew About

こうした写真から感じられる原初的なレベルのコミュニケーション感覚を取り戻すというのは、人間の神経症治療などにきっと役立つと思う。

【付記】

犬が「お手」と言われて前足を差し出すのは、人間の方も手を差し出しながら言うから、それによる条件反射的な反応と言うこともできるだろう。ただ、それ以外でも、人間の言葉(言い方とか声の調子とかも、広い意味の「言葉」として)に反応していると見られる行動は少なからずある。

さらに同じ Gigazine の昨年末の記事で、「犬は平均して 89個の単語やフレーズを理解しているとの研究結果」というのもあるので、そのあたり、

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2022年5月26日

「小股」に関して、再び、三度(みたび)

Japaan に 【いい女の代名詞 「小股の切れ上がった女」の "小股" って何? 江戸時代の庶民文化から探る】という興味深いページがある。ただ悪いけどこの問題、ウチのサイトでは 19年近くも前に取り上げ済みなんだよね。

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それは私が「本宅サイト」としている「知のヴァーリトゥード」内「知の関節技」コーナーの 21番目の記事、"「小股ってどこか」よりも大切なこと 「よくわからない」まま置いておく美意識" という記事だ。日付は「H15.07.29」(西暦だと 2003年)だから、この日に生まれた子は、既に成人してることになる。

しばらくの間は、2006年 9月 8日の記事で触れているように、「小股」という漢字 2文字でググると、私のこの記事が圧倒的トップに表示され続けていた。最近は後になって書かれた便乗ページみたいなのが上位に入っているが、あくまでもこの話題の元祖は私なので、そのあたりよろしく。

ただ、上述の「元祖ページ」はちょっと長いので、こちらのブログでそのダイジェスト版みたいなものを、2005年 10月 30日付で書いている。”「小股」は「足指の股」だけじゃない” という記事だ。フツーはこっちの方が手っ取り早く読めると思う。

この記事を書いたきっかけは、この頃に放映された「世界一受けたい授業」という番組で、「小股とは、足の親指と人差し指の間」と言っていたらしいとわかったからである。しかし実際にはそうした意味もあるにはあるが、私はそれは「和装・足袋業界の専門用語に過ぎない」としている。

そりゃ当然で、「足の親指と人差し指云々」なんてことは、この言葉を「いい女」を表す文脈で使うケースとはまともにつながらない。それに第一、そんなところが妙に切れ上がったりなんかしたら、まともに歩けないよね。

冒頭に紹介した Japaaan の記事は「足の親指と人差し指の付け根」説を含め、いろいろな説を並記しているだけだが、私としては次のようなことだろうと結論づけている。

私は自分のページで、「小股の切れ上がったいい女」という場合の「小股」に関しては、「小耳にはさむ」とかいう場合と同様に、「体言挟みの係り」説を原則的に支持している。要するに、「股がちょっと切れ上がった」という意味だと解釈しているのである。

「小腹が空いた」という場合、決して体のどこかに「小腹」という部位があるわけではなく、「ちょっと腹が空いた」という意味であるのと同様だ。

「体言挟みの係り」については、こちらを参照されたい。さらにその上で、私はブログ記事の最後を次のように締めくくっているので、よろしく。

しかし、それでも、「小股」 ってどこかというのを曖昧にして、ああでもないこうでもないと詮索するのも、なかなか広がりがあってオツなものだと、私は主張している。「足指の股」という業界用語のみにもっともらしく固執するのは、無粋の極みである。

それにしても、上の浮世絵の坊さん、一体何してるんだろう?

 

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2022年5月25日

ギシギシ、カモガヤの刈り取りで、花粉症が軽減

世間では「カモガヤ花粉症」の季節と言われている。ところが私の場合、それもないではないようだが、実際には「ギシギシ」(下の写真)という植物の方により強く反応しているようで、くしゃみ、鼻詰まり、目の痒みが辛い。

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これ以外にはとくに持病はないのでありがたいのだが、2月下旬からのスギ花粉に続き、ヒノキ、カモガヤ、ギシギシと、1年のうち半分近くは花粉症に悩まされてしまうのだから、ちょっとだけ因果な体質である。

今年はギシギシの育たないうちに刈ってしまおうと思っていたのだが、先月末頃に市が大々的に土手の草刈りをしてくれたので、安心していたのがいけなかった。この季節、雑草はあっという間に育つので、気付いた時にはギシギシがかなり大きくなっているじゃないか。

というわけで、今日は天気も良さそうなので、早起きして暑くならないうちにギシギシ刈りを決行した。やたら大きく育ってしまったギシギシの下にカモガヤも結構生えていたので、それも一緒に刈り取り、1時間足らずで近くのアレルギー源は一掃できたと思う。

おかげで今朝はくしゃみも鼻詰まりもなく、快適に過ごしているが、安心はできない。このギシギシという草の生命力はかなりのもので、刈り取ってもいつの間にかまた大きく育つ。1ヶ月後の 6月末にはまた刈り取らなければならず、もしかしたら 8月頃にもやらなければならないかもしれない。

真夏の雑草刈りは汗だくになるが、運動になるからまあいいか。

 

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2022年5月24日

大阪の「モータープール」という看板

NHK 大阪放送局の作る ”Nan で nan?" (なんでなん?)というサイトに、「大阪はモータープール なんでなん? 東京では消えた?」というページがある。そういえば「モータープール」という表示、近頃は大阪に行った時ぐらいしか見かけないよね。

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その昔は、東京にも「モータープール」という看板を見かけることがあったように思うが、最近はほとんど消えてしまった。NHK の記事によると、この言葉は終戦直後に米国の進駐軍が軍用車、乗用車の置き場という意味で使い始めたのが広まったのだそうだ。

当然ながら東京にもモータープールは多くあったのだが、一等地が多かったので、すぐに商用施設などに転用されて姿を消したのだという。ところが大阪ではそのまま残ったというのが真相のようだ。地図会社のゼンリンが「モータープール」と名の付く物件をプロットすると、こんな具合になるという。

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青い点で示されているのが「モータープール」物件のようだが、確かに大阪府の形に近くびっしりと集中し、あとは神戸と奈良辺りにちょぼちょぼある程度だ。なるほど、「大阪でしか見ないよね」という印象になってしまうのも無理はない。

ちなみに、モータープールは民間、それも個人の経営であることが多いという。これが最近では、大手の駐車場経営会社の「無人コインパーキング」に変わる傾向があるらしく、それにつれて表示も「パーキング」に変わることが多くなっているとある。

そうなると、「ああ、大阪に来たなあ」と思わせる風物詩的な看板も、今後は徐々に減っていくのだろうか。そうだとすると、ちょっと淋しい気もしてしまう。

いっそ「コイン・モータープール」にすればいのにとも思うが、それだと字数が多くて面倒なのだろうね。

 

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2022年5月23日

高知城歴史博物館でもらった「土佐国絵図」の絵葉書

下の写真は、先日高知に出張した折に立ち寄った高知城歴史博物館でもらった絵葉書。「土佐国絵図」というタイトルで、江戸時代に作成された、いわば「絵地図」のようなものだ。博物館のサイトの中にもある(参照)が、私の訪れた日はこれの展示室が改装中だったようで、本物は見られなかった。

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何となくファンタスティックなもののように見えるが、画像のクリックで拡大してみると、かなり精密なものであることがわかる。ど真ん中に黄色に黒で縁取りされた「土佐国」という表示があり、その周囲の山々の間に、地名を表示した楕円形表示がたくさん散りばめられている。

この地名表示、絵葉書の画像が小さ過ぎて文字を読みにくいが、「土佐国」の右下の四角表示「高知」は、お城のある中心地だけにしっかりと読める。その他の地名も、土佐の人なら想像力を駆使すればかなり読めるだろうと思う。

さらによく見ると、東側の室戸岬と西側の足摺岬が、全体からの比率的にはかなり大きめに書かれていると気付く。室戸岬なんかは岬の先端に注ぐ川の河口が、入り江のようにさえ見える。この辺りは、こうして誇張されて描かれるほどの要所だったのだろう。

もっと面白いのは、この地図の上の方の文字は、上下が逆になって書かれていることだ。左右の端にある「西」「東」という文字も、それぞれ左側と右側から読むように、横向きで書かれている。

上の方の文字はどれも草書体で小さくしか見えないので判読しにくいのが残念だが、いずれにしても、この地図は元々はかなり大きなものなので、実際に広げて上の方の文字を読み取る時には、反対側に回り込んでいたのかもしれない。ものすごくフレクシブルなのだね。

高知城歴史博物館のサイトには「自宅でジョーハクを楽しもう~おうちミュージアム~」というページもあり、動画などのコンテンツもあって、いながらにしてかなり楽しめる。

 

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2022年5月22日

ドーミーインとスーパーホテル

PRESIDENT Online に ”大浴場のシャワーが勝手に止まらない・・・出張族がビジネスホテル「ドーミーイン」を偏愛する理由” という記事がある。実は私も、先日の高知出張の折に「天然温泉 紺碧の湯 ドーミーイン高知」というクドい名前のところに泊まったばかりなので、つい反応してしまった。

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私は 2017年 11月 4日付の「ビジネスホテル品定め 2」という記事でも書いているように、全国チェーン展開のビジネスホテルの中では、このドーミーインスーパーホテルをお気に入りのベスト 2 としている。というわけで、今回の高知のドーミーインも、しっかりと満足した。

ただ、冒頭に紹介した PRESIDENT Online の記事は、クリックして行ってみればわかるように、デザインがドーミーインを展開する共立リゾートのページ(ドーミーイン高知もその 1つなのだが)にそっくりなのが気になる。写真も共立関連会社からしっかりと提供されているようだし。

つまりプレジデントのこの記事って、「ワニブックス PLUS 新書」の非公認ガイドブック『Have a nice ドーミーイン 「一泊すると住みたくなる」最高のビジネスホテル』" という本の紹介みたいな体裁だが、実は共立リゾート協賛の、俗に言う「広告記事」なんだろうと思ってしまうのだよね。

ワニブックスの本も「非公認」とは言いながら、おそらく共立リゾートの肝いりで、つまり半分は「自画自賛」なのだろう。だからと言ってこの記事が「金の力で書かせた嘘八百」ってわけでは決してなく、確かに素晴らしいビジネスホテルではあるのだが、「半分は広告」という点は意識しておく方がいい。

で、私の「ビジネスホテル品定め」に戻るのだが、お気に入りのドーミーインとスーパーホテルを比較すると、ドーミーインの方の値段がやや高い。その分、満足度の高いのも当然だが、スーパーホテルはコストパフォーマンスがいいと言うこともできる。

例えば、スーパーホテルでは一つの大浴場が時間帯によって男女入替制になっていたりするところもあるが、ドーミーインはどこもちゃんと男性用と女性用の 2つの浴場に分けられている。つまり、時間を気にせず入れるというわけだ。ただ店舗数で言えば、スーパーホテルの方が断然多いので、予約はしやすい。

というわけで、私としてはできるだけこの 2つのビジネスホテルのどちらかを選びたいと思っているのだが、出張先によってはこのどちらも無かったりすることも多い。まあ、ベッドがあってインターネット接続できさえすればいいわけなのだが、やはり大浴場とビュッフェスタイルの朝食は、かなりありがたい。

そんなわけで来月に出かける福島県では東横インになったりするのだが、はっきり言って満足度はガクンと落ちるのだよね。このホテル、日本中どこにでもあるけど、大浴場がなくて、朝食は基本的にパン(または、おにぎり)と飲み物だけ。それでいて宿泊費はそこそこ取られるんだもの。

 

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2022年5月21日

「三角関数」と「金融経済」は比較対象たり得ないよね

藤巻健太という日本維新の会所属の衆院議員の「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」という tweet がずいぶん話題になっている。この人、それで結局一体何を言いたいんだかわからないので、私としては今日まで放っておいたのだが、一応ここらでちょっとだけクサしておくことにする。

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まず最も基本的なことを言えば、「三角関数」という「数学の中の一命題」と、「金融経済」という「一定の範囲をもつ学問分野」とは、直接的な比較対象たり得ないってことだ。つまり、どっちがより重要かという議論の対象にはならないのである。

彼の発言に対する批判の声の中に「三角関数は金融経済においても使われることがある」という指摘が見受けられるのは、つまりそういうことだよね。

そもそも単純比較してはいけない事項を一緒くたにして、「金融経済の方が重要」みたいに論じていること自体がこの人の頭の悪さを物語っているし、さらに下記のような下手な言い訳みたいな tweet まで付け足して、火に油を注いじゃってる。

三角関数は例えば木の高さを測るのに使われる。
1人が木の高さを測ればいい。
残りの99人は、木の高ささえ知っていればいい。
99人にとっては、安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくかの方が遥かに大事だ。

100人のうちの 1人が木の高さを測って、その結果が残りの 99人に明確に伝わるなんてことは、まずない。半分ぐらいに伝わるのがせいぜいで、残りは蚊帳の外だ。だったら、忘れた頃に別件で木の高さを知る必要が生じた時のためにも、残り半数の中に三角関数をわかってるやつが少なくとも数人いる方がいい。

さらに彼は、「残りの 99人」にとっては「安全のために木を切る必要があるのか、どう切るのか、あるいはどうやって木を紙に変えるのか、その紙をどう流通・管理・販売していくか」の方が重要だとしている。しかし実際には、そんなことをまともに考えられるのは、99人中 10人にも満たないだろう。

「金融経済」とやらを学校教育で学んだとしても、この 10人が 30人に増えるとは思われないし、「どうやって木を紙に変えるのか」に至っては、金融経済の範疇じゃない。

「三角関数なんて学校で教わったけど、あんまりよく覚えてないし、使ったこともない」と言うのと同様に、あるいはそれ以上に、「金融経済なんて学校で教わったけど、あんまりよく覚えてないし、使ったこともない」となるのが関の山だ。

結論。三角関数と金融経済の、どっちの方により学ぶ価値があるかなんてことは、命題として成立しない。要するに、学びたいヤツがしっかり学べばいいのだ。

私はワセダで「芸術学」なんてものを専攻したのだが、「すべからく芸術なんて役に立たないモノよりも金融経済を学ぶべし」なんてことを言うヤツが目の前に現れたら、心の底から軽蔑させていただくので

Yoroshiku4

 

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2022年5月20日

世の中に流れるいろいろな時間

今月 16日に高知から帰って来た日は肌寒さに驚いたが、翌々日から急に夏っぽくなって、今日は Tシャツ 1枚でも汗をかいていた。もうそろそろ、「春先のような寒さ」のぶり返すこともないだろう。

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暖かくなって、というか、暑くなって、いろいろと忙しくなった。これまではコロナ禍であちこちに出張することができなかったが、急にまた旅が増えてきている。

今月は高知に行ったが、来月もまた四国に飛ぶことになり、道後温泉に入れそうなので楽しみだ。さらにまた、東北にも行かなければならない雲行きである。そんなこんなで、今日はいろいろな話で忙しくなり、このブログの更新も遅くなってしまった。

出先から帰ってくる途中、近くの岡堰という所を通ると、1匹の猫が呑気に日向ぼっこしていた。絵になる光景なのでクルマを停め、近付いて写真に撮ろうとしたところ、猫は「やれやれ、厄介なヤツが近付いてきたなあ」というような雰囲気で億劫そうに起き上がり、場所を移動するのだった。

邪魔してごめんね。

世の中、いろいろな時間が流れていて一様じゃないと感じられた一瞬だった。何しろ「つい 4日前」も、「ついさっき」と「つい 154年前」が同期されてしまったほどだからね。

 

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2022年5月19日

屋外では、積極的にマスクを外そう!

NHK が 「”屋外で会話少なければマスク必要なし” 専門家会合メンバー」というニュースを伝えている。夏に向かってどんどん暑苦しくなるから、この見解発表は嬉しい。

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これは熱中症のリスクが高まる夏を前に、改めて屋外でのマスク着用についての考え方をまとめたもの。端的にはニュースの冒頭で、次のように報じられている。

厚生労働省の専門家会合のメンバーらがまとめた考え方によりますと、マスクの着用は、屋外で人との距離が十分に取れない場合でも徒歩で移動する際などに周りで会話が少ないか、ほとんどなければ「必ずしも必要ない」としています。

さらに松野官房長官は記者経験で、「特に気温・湿度が高いときは、熱中症のリスクが高くなることから、屋外での人との距離が少なくとも 2メートル以上確保できている場合にはマスクを外すことを推奨している」としている。

ここまで来てしまったら、コロナよりも熱中症のリスクの方が現実的ということなんだろう。ただ、私は先月 30日に「真夏が来る前に、マスクから解放されたいのだが」という記事で、次のように書いている。

何しろこの国の人はマスク好きが多い上に、何事においても変に「空気を読みたがる」から、たとえ公式に「マスク解除」になっても、実際にマスクなしで人の中に入ったら当分の間は白い目で見られかねないし。

というわけで、「屋外ではマスクを外しても OK」というムードをよほど積極的にアピールしないと、いつまでも「白い目」が続きかねない。そんなようなことにならないためにも、私としては、屋外では積極的にマスクを外して歩いてしまおうと考えている。

「屋外ではマスクをしないのが当たり前」という空気の方を、支配的なものとしてしまわなければならないからね。

ただし、屋内や電車などの中ではこの限りにあらずで、引き続きマスク着用が求められ、私としても敢えてそれに逆らおうとは思わない。冷房が効いていればそれほど苦痛ではないだろうが、やはり鬱陶しさは否定できず、思いやられる。

早くコロナ禍が収まって、マスクから解放される日が来るのを待つばかりだ。

 

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2022年5月18日

「ごめんあそばせ」という言い回しの由来

Japaaan のサイトに 【「ごめんあそばせ」の ”あそばせ” ってなに? ルーツは歴史の意外なところにあった】という記事がある。

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記事では、「ごめん」は「許す」というような意味で、「あそばせ」は「あそばす」(「する」の尊敬語)の使役系。合わせ技で「お許しください」という意味の丁寧な言い方としている。そしてその由来には諸説あるとし、その代表的な 2つを紹介している。

まず 1つめは、室町時代に宮中で使えていた女性たちが使っていた「女房詞(にょうぼうことば)」に発するというもの。これは「そうなんだろうな」と思わせるに十分な説だ。

そして 2つめは、西南戦争のときに他の県から熊本に集まった士族たちが別れの際に「御免阿蘇馳せ参じ奉る(意味:悪いが、阿蘇へ急いでいくんだ)」とあいさつしたというものだ。悪いが、これ、単なるダジャレとしか思われない。

というのは、この言い回しには、「ごめんあそばせ」以外にも「お食べあそばせ」「ご覧あそばせ」などいくつものパターンがあるので、これだけでは説明しきれないからだ。こうした「ダジャレ説」を一件マジに語ってテキトーに済ませてしまうというのは、いかがなものかと思うがなあ。

ちょっと前までは、山の手の上品な奥様たちのよく使う言葉と思われていたが、最近は全然使われない。こうした言葉にも流行り廃りというのがあるようだ。

 

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2022年5月17日

ピアノの黒鍵から、オクターブ、コードを考える

先日、友人のカメラマンと食事しながら話していると、彼が「ピアノの鍵盤は、視覚的にどうしても納得がいかない」と言い出した。黒鍵が 2つ並びと 3つ並びの繰り返しで、写真的にどうしてもバランスが取れない」と言うのである。うむ、視覚派らしい主張だ。

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「だって、『ミ』と『ファ』の間に黒鍵入れても、その音は『ファ』と同じだから、無駄になっちゃうからね」と言うと、彼は驚いたように「えっ、そうなの?」と言う。

「そうだよ。『ド』の半音上は『ドのシャープ』だけど、『ミ』の半音上は『ファ』なんだよ。『シ』の半音上も『ド』になっちゃう。だから、『ミ』と『ファ』、『シ』と『ド』の間には黒鍵入れてもしょうがないんだよね」

「えっ、そんな変な区切り方しないで、均等に上がったり下がったりすれば、黒鍵なんていらなかったのに!」

なるほど、それはもっともな疑問である。しかし実際には、そんな区切り方をするわけにいかない。

「そんなことしたら、ピアノの横幅が広くなりすぎて大変だよ。それに人間の自然な音感にそぐわなくて、コードも自然に聞こえないかも」

「コードって何?」

「和音のこと。『ドミソ』とか『ファラド』とか『ソシレファ』とかをいっぺんで鳴らすといい感じの響きになるでしょ。1オクターブを均等割にしちゃったら、不自然に響くんじゃないかなあ。実際には聞いたことないけど」

彼はこの説明に半分納得し、半分納得できないという風情だったが、これ、確かに不思議な話である。どうして人間の耳って、いわゆる和音が心地良く聞こえるようになってるんだろう。

それを考えるには、「オクターブ」を理解しなければならない。オクターブというのは、例えば「下のド」から「上のド」までのことで、「ドレミファソラシド」の 8音あるから「オクターブ」という。(8本足のタコが「オクトパス」なのと同じ語源で、暦の ”October” も同様:参照

音楽の基本の音は、どういうわけか「ラ」ということになっていて、音名では ”A” (日本語では、イロハの「イ」)という。いわゆる「ド」は、そこから数えて 3番目だから "C" で、日本語では「ハ」だから、これを主音とすると ”C major(ハ長調)" とか "C minor (ハ短調)" なんてことになる。

そして、ピアノの真ん中辺りの ”A” の音の周波数は 440Hz で、それより 1オクターブ下は 220Hz、1オクターブ上は 880Hz ということになっている。これ、ギターのチューニングでも基本の音になっているほど大切なもののようなのだ。

1オクターブ上がるごとに周波数が倍になって、どんなに長く延ばしてもズレないから、人間の耳には「オクターブ違いの同じ音」に聞こえるのだろう。そしてその間をうまい具合に区切ったので、「ドミソ」とか「ファラド」もいい具合に響くのだという単純な理解で、そんなには外れていないと思う。

ただ、現在の音階に辿り着くまではいろいろ微妙な変化があったようで、「平均律」とかいう妙に数学的すぎる区切り方を経て今の心地良い音階になったようだ。

音楽というのも、なかなか大変なことのようなのである。

 

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2022年5月16日

高知を軸に「ついさっき」と「つい 154年前」が同期

今日は夕方発の JAL で、高知から帰ってきた。写真は高知駅前にある幕末の三志士の銅像で、左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎である。

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ところで、昔は 50年前とか 100年前とか言われると、遙か昔のように感じていたが、昨日「沖縄復帰 50年に思うこと」なんて記事を書いたせいもあって、「50年なんて、あっという間じゃん!」という気がしてしまっている。とくに還暦を過ぎてからというもの、時の経つのが本当に早い。

そういえば「明治 100年」なんて祝賀式典があったのは、私が高校 1年の 1968年だった。1964年の 1回目の東京オリンピック開会式の記憶がはっきりとあるほどだから、明治 100年も当時の佐藤栄作首相が妙に盛り上がって、薄気味悪かったのをしっかりと覚えている。

で、ここで「ちょっと待てよ」となってしまった。「明治 100年」が 1968年だったということは、「明治 150年」もとっくに過ぎちゃってるわけじゃないか。いやはや、これについてはほとんど意識していなかった。

ちょっとググってみたら、「明治維新 150年で薩長土肥 4県知事が高知へ集結」なんていう YouTube 動画が見つかった。うひゃあ、まいったなあ。その高知に、私は「ついさっき」までいたんじゃないか。まったくもう、近頃いろいろなことがシンクロし過ぎてしまう。

で、ことのついでに坂本龍馬が暗殺された年を調べてみたら、 慶応 3年(1867年)11月 15日で、こうなると「つい 154年前」と言いたくなってしまう。私は今日の昼前に「高知城歴史博物館」で土佐の歴史に思いを馳せたばかりなので、この「つい」というのはまさに実感だ。

この世で生きている時間が物理的に長くなっちゃったもので、時間の流れを捉える際の「基準時間」(と言えばいいのかなあ)も、自然に長くなっているのだろう。その結果、印象の方は反比例して、「時の経つのが早い」みたいな感覚になるのも自然だ。

「ついさっき」と「つい 154年前」が頭の中で不思議に同期が取れちゃってるお陰で、気分はいつまでも若いつもりでいられるのだけどね。

【同日 追記】

今日は、和歌ログの歌までシンクロしてしまった。

今の世と江戸の昔を見たる日に初夏と春先も往きつ戻りつ

 

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2022年5月15日

沖縄復帰 50年に思うこと

今日は高知に来ているのだが、やはり沖縄の話を書いておきたい。何しろ「沖縄復帰 50年」にあたる日なのだそうだ。

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沖縄が日本に復帰した 1972年、私は山形県庄内の地から上京して 2年目だった。大学は政治闘争で荒れ果て、閉鎖されている期間の方が長かった。

復帰前年の 1971年、大学内では「70年安保闘争」が早くも風化し、代わって「沖縄闘争」が目玉となっていた。私の通うワセダ大学を牛耳っていた革マル派は「沖縄解放」というスローガンを掲げ、中核派の掲げる「沖縄奪還」というのを「ナンセンス」として批判していた。

たまたまある日の講義を「粉砕」して「オルグ」に入って来た革マル派の幹部に、クラスの一人が「あなたたちの言う『沖縄解放』は、中核派の言う『沖縄奪還』とどう違うんですか?」と、とてもプリミティブな質問をしたことがある。

するとその幹部は、「解放は、解放だよ! 『奪還』なんて、ナンセンスでしかないんだよ!」と言うばかりだった。これ、質問への回答に全然なってない。当時の学生運動の幹部の頭の中なんて、こんなようなものでしかなかった。自分で理解してもいないことに命をかけるなんて、到底できないと私は思った。

こんな消耗な繰り返しのうちに年は変わり、1972年 5月に沖縄は日本に返還されたが、基地問題などは「別のお話」とされたまま年月は経った。私はその 36年後の 2006年に初めて沖縄を訪れ、このブログに 3日間連続して写真入りで載せている(参照 1参照 2参照 3)。

行ってみてわかったのは、「解放」も「奪還」もナンセンスなお話でしかなかったということだ。空虚な言葉遊びなんかより、沖縄には沖縄の歴史と、現在の暮らしとがあるのだった。それこそが大切なテーマなのである。

政治的なスローガンなんて屁の役にも立たないのだと、しみじみわかった。

 

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2022年5月14日

「ハゲ」という言葉と「かつら」で、性差別の問題提起

はてなブックマーク を見ていたところ、NewSphere に ”男性に「ハゲ」と言うのはセクハラ、英審判所 「女性の胸への言及と同じ」” という記事があることに目が止まった。これは英国の話(元記事は こちら)ではあるが、我が国に置き換えてもちょっとした問題提起となり得るだろう。

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そういえば、その昔に大橋巨泉が言い出した「ボイン」という言葉は、最近ではほとんど使われない。まさしく「女性の胸への言及」であり、昨日の記事で触れた「性差別(sexism)」につながってしまうということなのだろう。

ところがはてなブックマークではそのすぐ横に、ランドリーボックスというサイトの "「女性にもはげる権利が欲しい」へアドネーションがいらない社会を目指して" という記事へのリンクがあった。たまたまそうなっただけなのだろうが、かなり示唆的な偶然である。

その記事は、「ヘアドネーションという罪。「いいこと」がもたらす社会の歪みについて」という記事の後半として書かれている。2本に分けて書かなければいけないほど、かなり面倒な問題ということのようだ。

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まず NewsPhere の記事では、英国の工場勤務者だった人が現場監督者に「ハゲのクソ野郎」と罵られ、不当解雇されたと報じられている。そしてその言葉は雇用審判パネルによって、次のように「セクハラ」と認定されたわけだ。

「(会社側の弁護士は)男性だけでなく女性も薄毛になる可能性があると主張しており、これは正しい主張だ。しかし、パネルメンバーの 3名は、薄毛は女性よりも男性のあいだでより広くまん延していると確信している」「性別と切り離せない関係にあることを認める」とコメント

というわけで、ここでは「ハゲ」は主として男性の問題とされているわけだが、一方でランドリーボックスの記事のような問題も看過できない。

かつらを作るためにヘアードネーション(髪の寄贈)する人たちは、髪の薄い女性のためになることをしているという自意識がある。しかし、そうした思い込み自体が「社会の押し付け」につながっているとは、なかなか気付かれない。

これはかなり微妙な問題である。まず、「ハゲ」という言葉が男性にとって差別用語として機能するというのは、既に確定済みと言っていいだろう。

その一方で、「女性はどうしてもはげたくないはずなので、ヘアドネーションは、そうした思いに応えるものだ」という、一見「好意」のように見える考えもまた危ない。その思いが固定観念となってしまうと、女性への性差別につながり得るわけだ。

ストレートに言えば、「男のハゲはまだいいけど、女の場合は悲惨じゃん!」とする暗黙の空気が、性差別でなくて何なのだということである。性差別には、一目瞭然の「浅い次元」のものと、なかなか気付きにくい「深い次元」のものがあるのだ。

そんなこんなで、4月 2日の記事に書いたアカデミー賞での殴打事件(クリス・ロックがウィル・スミスの妻の髪型を茶化したことに始まる)にまでつながったのだろうね。

【5月 15日 追記 (閲覧注意: ヤバい言葉あり)】

NewSphere の記事では、英国の工場勤務者だった人が現場監督者に「ハゲのクソ野郎」と言われたということになっているが、元記事によれば それは "bald cunt" という言葉だったようだ。”Bald” はモロに「ハゲ」だが、"cunt" は「クソ野郎("shit" とか)」よりヤバい言葉である。

ちなみに他の英語記事では、"bald c-t" なんて、伏せ字表記しているケースもある(参照)ほどだから、ここではストレートには訳さないけど。

 

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2022年5月13日

老化と心の持ち方に関する研究

Courriier というサイトに "老化に対して「ネガティブな感情」を抱くと、病気にかかりやすくなり、寿命も縮まる !?" という記事がある。「身体にもメンタルにも良いことなし」というサブ見出し付きで、ニューヨーク・タイムズの記事を翻訳したもののようだ。

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この記事は次のような一文で始まる。

徐々に顔の皺が増えていく、代謝が悪くなっていく、体力が衰えていく ── 加齢に伴う避けられない現象を考えてみると、なかなか老化をポジティブに捉えるのは難しい。けれど、こうした年齢に対する「差別」は、寿命にまで影響をおよぼす可能性があると研究者は指摘する。

米国では年齢差別に関する「エイジズム(ageism/agism)」という言葉が、半世紀も前から定着しているらしい。性差別の「セクシズム(sexism)」、人種差別の「レイシズム(racism)」と同じ根っこの言葉だが、日本では外来語としても一般的に知られてはいない。

老化に対するネガティブな感情が病気や短命につながるなんていうと、またしても「疑似科学」扱いされそうだが、心と体はかなり密接につながっているということは既に様々な研究から明らかになっているから、これは十分に「まともな科学」である。

イエール公衆衛生大学院のベッカ・レヴィ(Becca Levy)博士は長年の研究で、エイジズムは寿命の短縮だけでなく、心不全、脳卒中、心臓発作などの心血管イベントの増加、身体機能の衰え、アルツハイマー病(いわゆる「ぼけ」)の増加にも関係していることを突き止めたという。

ちなみに私は今月 7日の記事で、次のようなことを書いている(参照)。

今年の 7月末で 70歳になる私としては、現在引き受けている種々の役職の「定年」になるので、「ああ、あれをしなくて済むようになる、あの消耗な会議にも出席しなくてよくなる」と、「開放感」はあるものの、「新しい自分に生まれ変わる」なんてことは、ちっとも思わないのだよね。

(中略)

そろそろ「どんなような形で一生を終えればいいか」なんて殊勝なことを考え始めてもいいような気もしている。「何を始めるか」よりも「何をつつがなく断捨離して、何を大切に保持するか」の方がずっと重要に思えるのだ。

こうした考えって「ネガティブな感情」にあたるのかどうか、ちょっと気になってしまったのだが、Courrier の記事を読んでみると、どうやら心配するようなことではないらしい。記事には次のようにある。

彼女は、日本で一学期を過ごす計画を立て、なぜこの国の住民の寿命は世界最長なのかを調査しようとした。

「私は、日本では高齢者の扱われ方が非常に異なることに気づきました」と彼女は話す。

「彼らは祝福されていたんです。100歳を超えた人は、まるでロックスターでしたよ!」

そうか、日本の年寄りは、米国人には「ロックスター」のように見えたのか。

というわけで、私自身は 70歳を過ぎてことさら「ロックスター」みたいになりたいなんてことまでは思わないが、どうやらいろいろなしがらみを捨てる「開放感」を喜ぶというのは、悪いことじゃないらしい。要するに喜んでいればいいようなのである。

まあ、特別に長生きしようなんてことまでは思わないが、とりたてて面倒がなくてよかったよ。何しろ、高齢者の自覚に欠けちゃってるところが多々あるもので。

 

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2022年5月12日

近所のスーパーの ”COOL BIZ" 戦略(らしきもの)

下の写真は近所のスーパーに掲示してあるポスターである。このスーパーは 5月 1日から 9月 30日までを〝COOL BIZ” 期間としていて、この写真からははみ出しているが、ポスターの下の方に、店員も「夏の軽装」となるので理解を求めたいとの旨の文言がある。

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ただどういうわけか、ポスターに描かれている少女のキャラクターは避暑地にいるみたいな格好で、手にはアイスクリームなんか持っているので、”Biz” という文言にはちっともそぐわない。なんでまたこんなデザインなのか、さっぱりわからない。

それでよく調べてみようと、一応写真に撮ったというわけだ。ちなみにこの写真には収まっていないが、ポスターの下の方には「環境省 COOL CHOICE 萌えキャラクター 君野イマ」とある。

調べるための手がかりといえば、これだけだ。要するにこのスーパーは "COOL BIZ" そのものを突き詰めるよりも、何となく「雰囲気のモノとしてのエコ」を訴求するために、環境省の「萌えキャラクター」のイメージに乗っかっておきたいだけなのだろうと推量される。

ググってみると、この「君野イマ」というのは「君野ミライ」というよく似た少女とペア扱いで、「環境省によって地球温暖化の啓発を意図して設計された、COOL CHOICE の萌えイメージキャラクター」(参照)ということになっている。

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私はちっとも知らなかったのだが、この 2人の少女は 2016年から ”COOL CHICE" のキャラクターになっているのだね。そして  2人の位置付けというのは、Wikipedia ではこんな風に説明されている。

不摂生な生活をしている女子高生「君野イマ」の下に、平行世界の自分自身である「君野ミライ」が現れ、COOL な CHOICE を行うことを啓発し、世界を救うというコンセプトになっている。君野イマはアイスクリームが好きで、電気代を無駄遣いしがちな癖がある。君野ミライは、そのような君野イマの生活様式を正していく

なるほどね。これを理解した上で、改めて冒頭に紹介したポスターを見ると、このスーパーは ”COOL BIZ" を謳いながらも、何故かアイスクリームの好きなままの君野イマだけをフィーチャーしているということが確認される。

ということは、”ECO" をきちんと訴求しようという気はないのだと理解されても仕方がないよね。やっぱりこのポスター、「何だかなあ」と言わざるを得ない。

要するに、私の最初の印象は決して的外れではなかったわけだ。いずれにしても、この「萌えキャラ」、まともに機能してないよね。

以上、おわり。

【5月 28日 追記】

「以上、おわり」なんて書いて締めくくったつもりになっていたが、実は終わっていなかった。

この続編を 5月 28日の「スーパーのステッカーで知る、世間一般のエコ意識」という記事にしたので、併せてお読みいただきたい。

 

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2022年5月11日

"Hey Jude" の歌詞(「ラ〜ラ〜ラ〜」じゃないのよ)

先日、運転しながらカーラジオを聞いていたとき、何の番組だか覚えていないのだが、歌詞に「ラララ」の付いた歌を集めて流すという企画をしていた。ちなみに昔、TBS ラジオで「ラ・ラ・ラ ♪ 日ようび」という番組があったが、これはとっくに終了しているので、関係ない。

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で、Mr.Children の『ラララ』とか、大黒摩季の『ら・ら・ら』とか、いろいろな曲を流した後で、「でも、極めつけはやっぱりこれですよね! 『ラララ』がものすごく長いんですけど」なんて言って、The Beatles の ”Hey Jude” を流し始めた。

この時、前半はカットされて、いきなりのように後半の「ラララ〜」(と思い込まれている)辺りから流れ始め、キャスター(残念ながら名前は知らない)まで一緒になって「♫ ラ〜ラ〜ラ〜 ララララ〜」と、ノー天気なノリで歌い始めたのだった。

私は運転しながらどえらくシラけてしまい、「おいおい、"Hey Jude" の後半の部分は、『ラララ』じゃなくて『ナナナ』なんだけどなあ」と呟いていたのである。「ラララ」と思っている人が多いようだが、あれ、実は "na na na....." なのだよね。

嘘だと思うなら、下のビデオの開始後 4分あたりから後を再生して聞いてみてもらいたい。よく聞けば "na na na....." だとわかると思う。

実際の音を聞いても「ちょっと、ビミョーすぎて・・・」と言うなら、もう手っ取り早く原語の歌詞のページに飛んでみればいい。一番上の写真をクリックして、ずっとスクロールすれば、下の画像の部分が表示されるはずだ。確かに「ナナナ」でしょ。

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ちなみにこれ、その昔の 1970年代頃は ”da da da..." と表示されることもあった。何しろ当時は、英語の歌の歌詞表示って、聞いた人が聞こえたように書き写して出版するなんてことがフツーにあったからね。それでも、"la la la..." というのは見たことがない。

そして最近はさすがに、Paul の書いた通りの "na na na....." が正解ということで、しっかりと定着したようなのである。

ところがこの番組を聞いているうちに、ますますシラける事態に至った。このキャスター、いかにも英語っぽく歌おうと下手に気取ったみたいで、やたらキザな調子で「♫ ゥラ〜ラ〜ラ〜、ゥララララ〜」なんて感じでやり始めたのである。太字の部分、発音が "la" じゃなくて ”ra" になっちゃってるのだ。

”Na” の発音は、舌を上顎に付けるから、同じく舌を付ける "la" と聞き違えても「ま、しょうがないか」と思ってあげてもいいが、"ra" はまったく違う発音で舌を付けないから、このデララメ混在は気になる。というより、気に障る。気に障りすぎて、「不愉快の域」に達する。

多くの日本人は ”L” と ”R” の発音が区別できないという定評があるものの、"na na na..." を "la la la..." と間違えた上に "ra" を混ぜこぜにしてしまうとなると、リアルタイムで The Beatles を聞いて育った世代としては、「おいおい、こりゃもう、許せんなあ!」と思ってしまうじゃないか。

「頼む、スタジオのマイク、切ってくれ!」てなものだ。

というわけなので、"Hey Jude" を歌うときは、発音に十分気をつけようねということで、その辺り、どうぞ

Yoroshiku4

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2022年5月10日

「高齢者」の自覚に欠けちゃってるもので・・・

かなり前(3ヶ月ぐらい前かな?)に、茨城県公安委員会から運転免許更新に関する「高齢者講習のお知らせ」という葉書が来ていたのだが、「まだ先のことだからいいだろう」なんて思い、引き出しにしまったまますっかり忘れていた。

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昨夜になってこの通知に改めて気付き、よく見れば「高齢者講習は、有効期限の 6ヶ月前から受けることができます。早めに予約をしてください」と書いてある。それで「じゃあ、そろそろ対応しといた方がいいかも」と、散歩代わりに近くの自動車教習所に予約を取りに行った。

当人としては、十分「早め」のつもりだったのである。何しろ私は誕生日が 7月下旬だから、免許の有効期限はその 1ヶ月後の 8月下旬である。てことは、まだ 3ヶ月以上も余裕があるじゃないかと、かなり軽い気持ちだった。

ところが受付窓口の女性は、「8月以前ですと予約が一杯で、10月以降でないと空いてません。他の教習所に問い合わせてみてください」なんて言うのである。これには驚いた。

「高齢者って今回初めてなっちゃうもんで(「何度も繰り返す人はいない」とツッコまれそう)、システムがよくわからないんだけど、この講習を受けないと免許の更新ができなくて、今の免許は失効しちゃうってわけ?」

「はい、高齢者の方は、免許更新の前に講習を受けることが必須条件になってるんです。他の教習所もかなり一杯になってるようですので、できれば複数のところに当たってみてください」

とまあ、こんなわけで、急いで帰宅して別の教習所に電話してみた。

結論を言えば、最初に電話した教習所も予約はほとんど一杯だったのだが、ちょうどキャンセルが 1件出たばかりということで、8月始めに辛うじて潜り込むことができた。これはとてもラッキーだったようで、このキャンセルがなかったらかなり遠くまで行かなければならないところだった。

いやはや、いくら年寄りが増えたとはいえ、最近はこんなに差し迫っていたのか。道理で「早めに予約をしてください」とことさらに書いてあったわけだが、そんなに「早め」でないと免許失効になりかねないまでだったとは、ちっとも知らなかったよ。

何しろ「高齢者」の自覚にとことん欠けちゃってるもので、こうしたことにはかなり戸惑ってしまいがちだ。制度上は一応「高齢者」とはいえ、結構いろいろな仕事を請け負うこともあってブラブラしてるわけじゃないから、6ヶ月も先のことを決めるなんてリスクがあるしね。

とはいえ、運転免許がないとどうしようもないカントリー・ライフを送る者としては、この類いのことには気をつけなければならないようだ。

 

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2022年5月 9日

グリーン車という名の中毒

ネットニュースに表示されたタイトルをひょいとクリックして読むことがあるが、今朝はたまたま「【速報】鉄道乗車証悪用、グリーン券詐取疑い 愛知県警、元国会議員を逮捕」という記事を読んでしまった。

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これ、中日新聞の記事なのだが、この山下八洲夫という元国会議員の逮捕容疑は「現職の国会議員になりすまし東海道新幹線の特急券・グリーン券をだまし取った」ことだという。「セッコイなあ!」と呆れてしまった人は少なくないだろう。

国会議員に新幹線のグリーン車などに無料で乗車できる特権があるのは知られた話だが、この人は既に議員の資格を失っているのに、期限切れの「鉄道乗車証(通称・JR 無料パス)」を悪用していたわけで、県警の調べに「間違いありません。昔の経験が忘れられなかった」と容疑を認めているという。

グリーン車に無料で乗り慣れるとよほど味を占めてしまい、普通席なんて、ちゃんちゃらおかしくて乗れなくなってしまうのだろうか。

で、この人の落選したのはいつなんだろうと調べてみると、2010年だというじゃないか(参照)。ということは、今回バレるまで 12年近くも同じ手口でグリーン車に乗り続けていたと見るのが自然だよね。そうだとしたら(多分そうなんだろうが)、その図々しさはちょっとしたものである。

ただ、この図々しさはこの人特有のものというわけではないようにも思える。俗に、ゴキブリが 1匹いたら 100匹いると思えというじゃないか。

今回はたまたま「元民主党議員」の悪行がバレて逮捕されてしまったわけだが、もしこれが「元自民党議員」で地元有力者につながっていたりなんかしたら、コトは穏便に済まされて闇に葬られていたかもしれない。私は、ついそんなふうに邪推してしまう。

私は仕事で日本中に旅することが多く、2015年 8月に全都道府県制覇を達成している(参照)が、実は特急のグリーン車に乗ったことはたった一度しかない。30年ほど前に帰省した時、帰りの特急普通席が満席だったので、清水の舞台から飛び降りるような気持ちでグリーン券を買ってしまった時だけだ。

この時、グリーン席の物理的な乗り心地はさすがによかったが、何だか身分不相応な贅沢をしているような気がして、心理的な乗り心地はむしろ窮屈だった印象がある。

私ってば、よほどの貧乏性なのだね。ただ、そのおかげで「グリーン車という名の中毒」にはならずに済んでいる。

 

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2022年5月 8日

「体育座り」を「楽じゃん!」と思った世代だが

Yahoo ニュースが伝える山陽中央新報の ”「体育座り」は悪影響が多い? 生徒から廃止求める意見。改めた学校も” という記事を読んで、「そうだよね、あれってツラいよね」と思いつつも、その一方でちょっと複雑な気分になってしまった。

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というのは、私の小学生時代(何と、半世紀以上前だが)は、月曜の朝に全校生徒が体育館に集まって校長の面白くもない話を聞かされる朝礼で、何と「正座」を強いられていたのだよ。畳の上ならまだわかるが、床板に直接正座というのは無茶苦茶ツラかった。

ちなみに 15年前に「私の木造校舎体験」という記事で書いたように、私の通ったのは小学校から高校までずっとおんぼろの木造校舎だった。

とくに、当時「築 60年以上」(ということは、建ったのは 1890年代か、1900年代初頭?)と言われていた小学校が一番ひどく、その記事には「どの天井も微妙な弧を描いていて、柱から離れた真ん中ほど下に垂れ下がっていた」と書いている。

今なら「危険老朽建造物」(そんなカテゴリーがあるのかどうか、知らないが)なんて指定を受けて、立ち入り禁止になってもちっともおかしくない建物だったから、朝礼を行う体育館だって、それはそれはヒドいものだった。

元々天井が低すぎる上に上述の如く垂れ下がっていた(木材って、結構「しなる」ものなのだね)から、バレーボールなんて到底できなかった。さらに木枠の窓は隙間だらけで、冬は地吹雪が吹き込み、床にうっすらと雪が積もっていた。

当然にも床板はゴツゴツした節くれだらけで、そんなところで「正座」なんかしたら、シビれる以前に膝から足の甲にかけて節が当たり、痛くてしょうがない。思えば 1960年代の東北というのは、とんでもないところだった。

私は悪童だったから真面目に正座しようなんて端から思っていなくて、いつも適当にあぐらをかいていたが、真面目な女の子たちなんて、さぞツラかっただろう。本当にもう、日本の学校教育の中で下手に「真面目」でいようなんて思ったら、頭も体もおかしくなってしまう。

そして中学校に入った最初の週、朝礼では正座ではなく「体育座り」が採用されていると知り、「うひゃあ、こりゃ楽じゃん!」なんて思ってしまったのだった。これに関して、上述のニュースには次のようにある。

1965年に文部省(当時)が、学習指導要領の解説書として発行した「集団行動指導の手引き」で、「腰をおろして休む姿勢」として写真付きで示されてから広まった。省スペースで手遊びがしにくく「行儀よい姿勢」という印象が浸透したという。

私が中学校に入学したのはまさしく 1965年だったから、もしかしたら中学校でも、この年になって初めて「体育座り」が採用されたのかもしれない。その採用理由が、「省スペースで手遊びがしにくく」とされていて、生徒の都合なんてどうでもよかったというのが泣かせるけどね。

というわけで、その「楽じゃん!」と思った体育座りも、すぐに「それほど楽でもないよね」と気付く。記事にあるように腰が辛くなるし、内臓が圧迫される気さえする。早い話、正座だろうが体育座りだろうが、体育館の床なんかに長時間にわたって直接座るのを強いること自体が、かなりヤバいことなのだ。

要するに、記事にある山口県下関市の市立豊北中学校のようにパイプ椅子(床に傷をつけないように、椅子の足に専用ゴム付き)を用意すれば済むことじゃないか。

とくに今どきは生徒数が少なくて、この豊北中学校なんて生徒数がたったの 113人というのだから、費用的にも大したことじゃない。私の頃なんて全校生徒数が 1,000人を超えていたから、費用だけでなく椅子置き場の確保も大変だったと思うが、今は椅子導入をためらう理由なんてないだろう。

私はとにかく学校というものをちっとも信用していないのだが、このニュースを読んで 21世紀の世の中でも床に直接「体育座り」するなんて野蛮な習慣が続いていたと知り、本当に驚いてしまったよ。

 

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2022年5月 7日

「9」のつく年齢は危ないらしいが

東洋経済に  "心理学者が「9がつく年齢は危ない」という理由" という記事を見つけた。私は今まさに 69歳な上に、「危ない」を「アブナい」なんて読み替えるクセがあるので、つい嬉しくなってしまい、「どれどれ、どんな風にアブないんだ?」とクリックしてしまった。

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読んでみると、その理由というのは 2段階で説明されている。まず語られるのが「ウィークエンド効果」というものだ。

週末になるといろいろな束縛から解放されて、物事を自分で決められる「自律性」というのが高まる。その結果として、気分がハイになる人が多いのだそうだ。

それを前提として、次に、心理学では 19歳、29歳、39歳、49歳、59歳、69歳など、「9」のつく年齢は危ないと言われるということが語られている。そんなのは私としては初耳だが、どうも、こういうことらしい。

「9がつく年齢が危ない」と指摘しているのはニューヨーク大学のアダム・アルター。

アルターによると、私たちは、これから次の 10年に突入するのだ、という年齢になると、何か新しいことを始めようとするらしいのです。新しい自分に生まれ変わるチャンスだ、と思うのでしょうか。

(「アダム・アルター」については、下の【同日 追記】参照)

要するに「9」のつく年齢になると「新しいことにチャレンジしよう」なんて思うため、つい無茶なことに走りがちだというのである。「自律性」が極端に高まるような「幻想」を抱いてしまいがちということなのだろうか。ただ、「もっともらしいけど、よくわからん話」である。

というのは、今年の 7月末で 70歳になる私としては、現在引き受けている種々の役職の「定年」になるので、「ああ、あれをしなくて済むようになる、あの消耗な会議にも出席しなくてよくなる」と、「開放感」はあるものの、「新しい自分に生まれ変わる」なんてことは、ちっとも思わないのだよね。

そもそも、19歳とか 29歳とかと、私のような 69歳とを一緒にして語るのは「乱暴」というものなのではなかろうか。

69歳では半端かもしれないので、例えば 79歳とか 89歳とかの人に向かって「あなたの年齢だと新しいチャレンジをしたくなるんでしょうが、それはちょっと気をつけた方がいいですよ」なんてアドバイスするのを想像するといい。「はあ? 今さら何言いたいの?」と呆れられるだろう。

私は決して「70歳過ぎたら、新しいチャレンジなんてことは考えない方がいい」と言っているわけではない。私自身、この年になっても健康そのものなので、その気になればまだいろいろなことはできそうだ。

ただそうは言いながらも、そろそろ「どんなような形で一生を終えればいいか」なんて殊勝なことを考え始めてもいいような気もしている。「何を始めるか」よりも「何をつつがなく断捨離して、何を大切に保持するか」の方がずっと重要に思えるのだ。まあ、このブログはもちろん死ぬまで続けるけどね。

というわけで、今回の東洋経済の記事は「老婆心」どころか、言ってみれば「超々老婆心」みたいに聞こえてしまったわけだ。ニューヨーク大学のアダム・アルターって人はFacebook の写真 では結構若そうに見えるが、実は 110歳ぐらいなんだろうか。

(いや、いくらなんでもそうじゃなくて、超ジジイなのは、むしろ東洋経済の記事を書いた内藤誼人という人の方かも)

【同日 追記】

Adam Alter という名前は、私ならカタカナにする際に「アダム・オルター」とするところだがなあと思って調べたところ、むしろその表記で先に定着しているようで(参照)、"Irresistable" という著書も既に『僕らはそれに抵抗できない』(アダム・オルター 著)の邦題で出版されているとわかった。

内藤さん、無駄な混乱を招きかねない表記は、いかがなものか。

 

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2022年5月 6日

「〜してくださる」と「〜していただく」の使い分け

既に何度も書いている(参照)ように、私は自分に「アスペルガー一歩手前」みたいなところがあると自覚している。アスペルガー症候群の典型的な現れというのは、「人の言うことを言葉通りにしか理解できない」ということだ。

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これは半分冗談(ということは、残り半分は十分に本気)なのだが、たまたま入った店のトイレで上のような貼り紙を見たりすると、いつも「ごめんね。うんこも一緒に流しちゃうけど、ここは見逃しといてね」なんて心の中で呟く。

だってこの貼り紙の言葉を文字通りに受け取れば、排泄物をトイレットペーパーと一緒に流すわけにいかないから、取り出して別ラインで処理しなければならないじゃないか。よくまあ、こんな無茶な貼り紙を出せるものである。私には到底できないよ。

と、ここまではかなり下世話な「話のマクラ」で、そろそろ本題に入るのだが、私はラジオを聞いている時もキャスターの発する言葉に妙に引っかかったりする。最近とくに気になるのは、「〜してくださる」と「〜していただく」の使い分けがゴチャゴチャになっていることだ。

例えば「本日の時事解説のコーナーでは、経済評論家の〇〇さん登場していただきます」なんて言い方をしょっちゅう耳にする。私はそのたびに「おいおい、この場合は『経済評論家の〇〇さん』が主語なんだから、述語は『登場してくださいます』だろうよ」と呟いてしまうのだ。

どうしても「いただきます」という述語にしたかったら、「経済評論家の〇〇さん登場していただきます」と言うべきなのだが、最近の放送業界はこのあたりの使い分けがまったくルーズである。本当に勘弁してもらいたい。

念のために書き添えておくが、「経済評論家の〇〇さん登場していただきます」という言い方をする場合の隠された主語は、そのラジオ局の番組関係者である。彼らが「〇〇さん登場していただく」のであって、繰り返しになるが、「〇〇さん」はあくまでも「登場してくださる」人なのだ。

この使い分けはラジオ業界だけでなく、かなり広い範囲でごちゃごちゃになっているようで、自分の関係するイベントなどでも、司会者に「次はこの件に関して、tak さん説明していただきます」なんて言われたりすると、その時点でイヤになって帰りたくなってしまう。

こんな風に感じるのは私だけではないようで、「していただく してくださる」のキーワードでググると、かなりのページがヒットする(参照)。おかしな言い方と気付いている人は多いのだが、いちいち訂正したりすると鬱陶しがられるのが確実なので、ぐっと堪えて心の中にしまっているのだろう。

それでも、そろそろこの辺で誰かが大きく声を上げてしっかり問題提起してくれないと、気付いている人たちにとってはストレスが溜まるばかりになってしまうよね。

 

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2022年5月 5日

前世紀初頭の多機能鋏を巡る冒険 その 2

昨日の続き。「多機能鋏」の使い方の残り半分(10番目から 18番目)である。我ながら物好きなことを 2日連続で書いているわけだが、まあ、連休でもあるし、気楽にお付き合い願いたい。

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  • 10番目は「葉巻箱開け」(Cigar-box-opener)
    一昨日の記事では、たいみちさんのラジオでの言葉通り「缶切り」と紹介させていただいたが、実際は葉巻箱の蓋をこじ開けるもののようだ。

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    開け方は、下の動画 で見ることができる。お急ぎの場合は前半を飛ばして 1分 10秒あたりから先を見るといい。

  • 「カートリッジ・エクストラクター」(Cartridge-extractor)
    この説明書の最大の問題が、この「カートリッジ・エクストラクター」という用途。直訳すれば「カートリッジ引き出し機」だが、わけがわからないので、3日前の記事では「どんなものか、謎」と書くほかなかった。

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    ところがその後、らむねさんのコメントで「銃の薬莢を取り出すもの」(参照) ではないかというヒントが与えられた。調べてみると確かに英語の "cartridge" という単語は、元々の意味が「薬莢」ということのようだし(参照)、それで正解だろう。主目的は狩猟用の銃用かも知れない。
    らむねさんに感謝である。

  • 「金槌」(Hammer)
    当初はこんな小さくて軽い物が金槌になるものかと、18通りの使い方の中で一番の無理筋に思えたが、上述の「葉巻箱開け」の動画で、蓋を開いた後に閉じる際、小さな釘を打ち込む場合があるとわかった。その程度のことなら箱の材質も柔らかそうだし、この軽さでもできるだろう。なるほど、なるほど。

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    いずれにしても、このツールの登場した頃は「葉巻」というのが重要アイテムだったようだ。昔の映画を見ると、酒場のシーンなんかタバコの煙がもうもうと立ち昇ってるし、今では隔世の感がある。

  • 「鉛筆削り」(Penknife)
    絵を見る限り、西洋人は鉛筆を削るときに刃を手前に引くようなのだね。鋸は向こうに押し出すように切るのに(参照)、まあ、いろいろなやり方があるものだ。

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  • 「ガラス・カッター」(Glass-cutter)
    我々日本人がフツーに知っている「ガラス切り」とは、どうもイメージが違う気がするが、それはこの絵では鋏の把手の部分が強調されているためかもしれない。

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    「ガラス切り」として機能するのは、その端っこに付いた小さな石みたいな部分のようだ。

  • 「ガラス・ブレーカー」(Glass-breaker)
    "ガラス・ブレーカー" というのは、フツーにはクルマなどに閉じ込められた際にガラスを割って脱出するための道具を指す(参照)。

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    画像だけではわかりにくいが、要するに分厚いガラスでも簡単に割れる道具ということなのだろう。

  • マーキング・ホイール(Marking wheel)
    把手の端に付いた歯車のようなものを転がしていくと、何かの目印としての点線が刻まれるということのようだ。

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  • 「レイジング・ナイフ」(Raising-knife)
    一昨日の記事では単に「ナイフ」と書いたもの。"Rasing-knife" の英語ではよくわからないので、試しにフランス語の ”grattoir" でググったところ、「字消しナイフ、かき削り道具」と出てきた(参照)。

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    ということは、3日前の記事でいえば、迷亭君の言う「書き損じの字を削る」道具なのだろう。これでやっと謎が解けた。

  • さて、ようやく最後の「ステレオスコープ」(Stereoscope)
    レンズが 1個だけなので、決して「ステレオ効果」があるわけじゃなく、3日前の記事では「スタンホープ・レンズ」として紹介していた。小さな穴から覗くと写真が見えるというもので、迷亭君の持ち込んだものでは水着姿の女性が見えていたらしい。ただ時代が時代なので、決してビキニとかハイレグとかだったわけじゃない(参照)。

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    これ、たいみちさんが 2020年 11月 7日の記事で紹介されている丸善の目録(参照)には、「日露戦争の寫眞を装填したれば叉以て戦勝の紀念とするに足る」なんて書いてある。時代だなあ。

というわけで、これで 18通りの使い方の謎を曲がりなりにも解くことができた。めでたし、めでたし。(ここだけの話、結構な手間がかかったよ)

ちなみに私の 5月 2日の記事では、『吾輩は猫である』で迷亭君がこの「多機能鋏」について「十四通りに使えます」と説明していることについて、ささやかな疑問を呈しているが、これも上述の丸善の目録を見て解決した。

この目録によれば、この多機能鋏シリーズには 3種類あって、実際に 14通りのバージョンもあったのだね。それどころか「25通り」なんていうバージョンもあったみたいなのだ。

そんなにチマチマした用途がたくさんあっても実際の使いやすさとしては疑問で、要するに「話のタネ」になることの方が大切だったのだろう。とはいえ、「このほかの 7通りもの使い途って、いったいどんなものなんだ?」と、新たな疑問まで湧いてしまう。

とはいえ、今日のところはこれで一杯一杯なので、とりあえず一段落とする。興味深いネタを提供してくださった たいみちさんには、心から感謝したい。

 

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2022年5月 4日

前世紀初頭の多機能鋏を巡る冒険 その 1

一昨日の "『吾輩は猫である』で迷亭君が自慢した「多目的鋏」 " という記事で触れた、1世紀以上前の多機能鋏の画像が、嬉しいことに らむねさんのコメントをきっかけに、他ならぬ たいみちさんのブログの中で見つかった(参照)。下の画像は、そのブログにあった写真を切り取らせていただいたものである。

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見れば、結構シブいデザインの鋏である。この たいみちさんの記事には、18通りの使い方を示した説明書の写真も付いており、まず、前半の 9通り目までは、下の画像(説明書の上半分)に示してある。今回はこれを元に、あれこれ詮索してみたい。

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  • まず最初の使い途は、当然ながら「鋏」そのもの(Scisors)
    (用途は 4カ国語で表示されており、上から ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語のようだが、私は英語以外ちんぷんかんぷん。まあ、すべて「鋏」という意味なんだろう)
    鋏は鋏、一目瞭然で、とくにどうこう言ってもしょうがないので、次に進む。

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  • 次は「ボタンホール鋏」(Buttonhole Scisors)
    なるほど、鋏の根元が少しえぐられているので、そのまま切っても生地の端までは切れず、ボタン穴が開くようになっている。

    220504b
    便利そうではあるが、穴をきちんと平行にし、サイズも揃えて切るには、端布で練習してからの方がよさそうだ。

  • 「パイプ・トング」(Pipe Tongs)
    一昨日の記事では、ラジオでのたいみちさんの言葉に沿って「ガスパイプ・トング」としていて、もしかしたらガスライター関連の道具なのかとも思ったが、液化ガスを使ったライターが世に出たのは昭和の御代になってから(参照)のようなので、そうじゃない。

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    ドイツ語の "rohrzange" でググると、「配管用のプライヤー」と出てくる(参照)ので、「パイプ・レンチ」と同様の、細いパイプを取り付けるのに使う配管用具と思うほかないようだ。

  • 次に「葉巻カッター」(Cigar-cutter)
    葉巻の端をカットして吸い口を作るもの。私なんかは「元々鋏なんだから、それでフツーに切ればいいじゃん」と思ってしまうが、それだと吸い口が潰れて興醒めなのかもしれないね。

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    西部劇なんかでは、歯で噛み切ってペッと吐いたりする場面もあるが、それは「お下品」ということなのだろう。

  • 「ペンチ」(Wire-cutter)
    『吾輩は猫である』で漱石は、迷亭君に「針金をぽつぽつやる」 なんて、”wire-cutter” の単純直訳的な言い方をさせている。当時はまだ「ペンチ」というフランス語由来らしい外来語(参照)が定着していなかったのかもしれない。

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    ちなみに力が要るだけに、鋏の根元を使うようだ。

  • 「定規」(Ruler)
    鋏の横の直線部分だが、こんなんじゃ短すぎてあまり実用にならないと思うがなあ。

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    もしかしたら、タイプライターで打った文書のアンダーラインを引くなどの作業を想定していたのかもしれない。手書きの文書ならフリーハンドで線を引いて済ませるところだけど。

  • 「物差し」(Measure)
    定規の裏の部分に目盛りが付いているだけみたいだ。これもやはり、長いものは計れないよね。小物専用だ。

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  • 「爪ヤスリ」(Nail-file)
    爪ヤスリを英語で Nail-file なんて言うとは、初めて知った。書類などの "file" とは同音異義語で、「推敲」という意味も併せ持つらしい (参照)。一つ利口になった。

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  • 「ドライバー」(Screw-driver)
    ネジの溝が十文字の「プラス(+)ドライバー」なのか、あるいは「マイナス(−)ドライバー」なのか気になったが、調べてみたところ、プラス・ネジがこの世に登場したのは 1935年頃(昭和初期)のようなので(参照)、『吾輩は猫である』の時代にはあったはずがない。

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    マイナス・ネジしかない時代のことなので、「マイナスねじ用」みたいな断リ書きをする必要もなかったわけだ。なるほどね。モノゴトは調べてみるものである。

ふう、これでやっと半分。18通りの使い方を全部やったら長くなりすぎるので、残りは明日付とさせていただく。

 

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2022年5月 3日

「極寒」でなくても、人は「寒さで死ぬ」らしい

当ブログの 4月 29日付「今年の春は、冬と初夏とを行ったり来たり」という記事で書いたように、近頃は夏の暑さと震えるほどの寒さの繰り返しという極端な天気が続いている。暑さと寒さが日替わりでやってくるだけでなく、一日のうちでも急に寒くなったりする。

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「夏も近付く八十八夜」の昨日、日中は晴れて快適だったが、夕方頃から一転し、雷の鳴るザーザー降りで、またしてもすっかり肌寒くなってしまった。本当に油断がならない。

日が沈んで急に冷え込んだとはいえ、気温としてはせいぜい 12℃ ぐらいのもので、真冬の寒さというほどではない。しかし、25℃ 以上の「夏日」を一度ならず経験してしまったカラダには、それでも肌寒く感じられ、またしてもフリースを着込んでしまった。今年はいつまで経っても冬物をしまえない。

そんなこんなで「はてなブックマーク」を眺めていると、ECON 101 というサイトの "タイラー・コーエン「メキシコ人は寒さで死んでる」" という記事に目が止まった。元記事は Marginal Revolution (「ささいな革命」って、いいね)というサイトの "Mexcans die from the cold" という記事である。

メキシコの死亡者のうち 3.8%(年間 26,000名)は「適正水準に達しない気温」によるものだとして、次のように解説されている。

天候に関連した死亡者のうち,92パーセントは寒さに起因するもので,「寒い」天候(摂氏 12度以下)や「いくぶん寒い」天候(摂氏 12度~20度)によって生じている.暑い天候による死者は,わずか 2パーセントにすぎない.

さらに、低所得層では気温による死亡率は 2倍になっているという。これって、驚くべき事実である。人って(とくに貧しい暮らしでは)下手すると、12〜20℃ の「いくぶん寒い」程度の気温でも「凍え死ぬ」ことがあるのだ。

今日はありがたいことに穏やかな天候だが、つくば周辺の夜明けは 8℃ まで冷え込んだらしい。ということは、劣悪な環境で寝ていたら死んでもおかしくなかったというわけだ。隙間風のない家で暮らしていられる身の幸いを思ってしまったよ。

子ども時代を過ごした 1960年代初めには、児童雑誌なんかによく「21世紀の人類の、夢のような暮らし」みたいな内容の特集が組まれていた。しかしその 21世紀になって 20年以上経った今、「夢のような暮らし」どころか、ウクライナでは戦争があり、メキシコでは「いくぶん寒い」程度で人が死ぬ。

そしてその「天候」は、人々の生活による CO2 排出の増大で、21世紀に入ってからというもの極端化する一方である。夢なら醒めてもらいたいぐらいのものだ。

 

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2022年5月 2日

『吾輩は猫である』で迷亭君が自慢した「多目的鋏」

昨日、TBS ラジオ『安住紳一郎の日曜天国』に、古文房具収集家のたいみちさんが登場され、いろいろとおもしろい話を披露してくれた(本日 16時までは こちら にて無料で聴取可能)。今回とくに聞き入ってしまったのは、夏目漱石の『吾輩は猫である』で迷亭君が自慢した「多目的鋏」の話である。

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たいみちさんはこのほど、この鋏の実物(なんと取扱説明書付き!)をネット・オークションで入手されたのだそうだ。すごい! 小説の該当部分は朝日新聞デジタルで読める(参照)ものの、実物を拝みたくて必至にググってみたのだが、残念ながらそのものズバリの画像は見つからなかった。

ただ、「多分、こんなような感じなんだろう」と思われるものが Amazon で見つかったので、上に画像をコピペしておく。「アイガーツール(EIGER TOOL)アクティ8 万能鋏 AT-100」というもので、使い方はこんな感じだ。

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ただ、おもしろいのはこの「アイガーツール」は 12通りの使い方ができるわけだが、たいみちさんの入手された問題の骨董品は小説にある通り「赤いケース入り」で、説明書によれば下記のように 18通りもの使い方ができるというのである。

  1. ボタンホール鋏(こんなようなものらしい)
  2. ガスパイプ・トング(こんなようなものらしい)
  3. 葉巻カッター(こんなようなものらしい)
  4. ペンチ
  5. 定規
  6. 物差し
  7. 爪ヤスリ
  8. ドライバー
  9. 缶切り
  10. カートリッジ・エクストラクター(どんなものか、謎)
  11. 金槌
  12. 鉛筆削り
  13. ガラス・カッター(こんなようなものらしい)
  14. ガラス・ブレーカー(こんなようなものらしい)
  15. マーキング・ホイール (こんなようなものらしい)
  16. ナイフ
  17. スタンホープ・レンズ

最後の「スタンホープ・レンズ」というのは小さなレンズで、この商品では覗くと水着女性の写真が見えるという。当時(1905年頃)は案外、この「ご愛敬機能」のおかげでヒット商品になったのかもしれない。ちなみに上の写真のアイガー商品には、さすがにこれは付いていない。

さらにおもしろいのは、漱石の『吾輩は猫である』では、迷亭君がその鋏について「十四通りに使えます」と説明していることである。ところが実際の小説の文章には、以下の 11通りしか書かれていない。

  1. 「葉巻を入れてぷつりと口を切る」: 上の 4番の「葉巻カッター」
  2. 「針金をぽつぽつやる」: 上の 5番の「ペンチ」と思われる
  3. 定規: 上の 6番
  4. 物差し: 上の 7番
  5. ヤスリ(爪磨り): 上の 8番
  6. 金槌: 上の12番
  7. 「うんと突き込んでこじ開ける」(蓋とり):上の 9番の「ドライバー」か?
  8. 錐(きり): 上のリストでは何に当たるのか、不明
  9. 「書き損ないの字を削る」: 強いて言えば、上の 13番か?
  10. ナイフ: 上の 17番
  11. レンズ(面白い写真): 上の 18番

そして、元々「鋏」なのだから、上のリストの 1番は言わずもがなとして、これを入れても 12通りにしかならず、迷亭君自ら主張する「十四通り」には 2つ足りない。さらに、公式に説明されている 18通りからは 6つ足りない。

たいみちさんは、この多目的鋏を漱石自らが丸善で購入し、どうしても自慢したくて、小説にまで登場させたのだろうと推定されている。ただいずれにしても、彼は全ての機能を使いこなしていたわけではないようだね。

そしてこのことは付け加えなければならないが、最近の缶詰はほとんどプルトップ式に変わったので、「缶切り」機能はもはや無用の長物になってしまったよね。

蛇足になるが『吾輩は猫である』ではこの万能鋏の件に続いて、かの有名な「蕎麦の話」(参照)になるので、是非お読み戴きたい。迷亭君はあまり大量の蕎麦を一口に啜りすぎて喉につっかえそうになり、涙まで流している。これって、江戸っ子の陥りやすい罠である。

【5月 5日 追記】

18通りの使い途のある多機能鋏についてなぜかハマってしまい、5月 4日付5日付 の記事でしつこく詮索した結果、その謎をかなり解明することができた。「カートリッジ・エクストラクター」がどういうものか解明できたことが最大の成果と言える。

さらに迷亭君の言う「うんと突き込んでこじ開ける」(蓋とり)が、上の 9番「ドライバー」ではなく、10番の「缶切り」と記したもの(実は「葉巻箱開け」)で、 「書き損ないの字を削る」というのが、上の「13番」ではなく「17番」だとわかったのも収穫である。


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2022年5月 1日

「見出し」の付け方って、本当に難しい

4月 30日付の J-CAST ニュースに "韓国の観光調査で「日本の人気」浮き彫りに 「行きたい海外旅行先」トップは日本、韓国は2位" という記事がある。当初、この見出しを読んで頭の中に「?」が 3つぐらい灯った。「韓国人って、自分の国を『海外旅行先』と認識しちゃってるのか?」と。

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この疑問は本文の最初の部分を読んで、一応は解けた。要するにこの「観光調査」は韓国の政府関連機関が、世界の 21か国・地域で行ったオンライン調査の結果ということのようなのだ。つまり、韓国にとっての「外国人たち」を調査対象とした「海外旅行先人気度調査」ということなのだね。

というわけで、最初の疑問は解けたのだが、すぐに次の疑問が浮かんだ。世界の国々の人たちの間で、旅行先として日本が一番人気で、韓国が二番人気というのは、いくら何でも信じられない。フツーなら、スイスとかフランスとかが最上位になるんじゃないかと思うのだが。

この疑問も、記事を読み進めるうちに解けた。この「観光調査」の調査対象は、「主要訪韓国 21か国に居住する満 15歳以上の男女 3万800人」だったというのである。

まったくもう、それを最初に言ってくれよ! そもそも、よく韓国を訪れている国の人たちを対象にしたというのだから、韓国が上位に来るのも当然である。

まあ、アジアとその周辺の国々が主要調査先だったんだろうね。それだったら、日本が 1位で韓国が 2位というのもうなずける。というか、当たり前過ぎる話で、おもしろくもなんともない。

それにしても、こうした記事の見出しの付け方って、本当に難しい。 J-CAST ニュースのままでは紛らわしくて、一瞬にして内容を掴むという見出し本来の役割が全然果たされていない。

私だったら、「日本がトップで、韓国は 2位 韓国周辺を主要対象とした『訪れたい外国』調査で」みたいにするところだがなあ。私としては、国同士が地続きになっているのが当たり前の大陸国家を含む話で「海外旅行先」なんて言い方をすることにも抵抗があるし。

さらに言えば、日本、韓国に続く「ベスト 5」ぐらいまで報じてくれれば、それなりに意味のある記事になっていただろう。個人的には、以前なら断トツ人気だったはずの「香港」が 5位以内に入っているか、あるいはそれ以下になってしまっているかに大きな興味がある。

 

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