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2022年5月16日

高知を軸に「ついさっき」と「つい 154年前」が同期

今日は夕方発の JAL で、高知から帰ってきた。写真は高知駅前にある幕末の三志士の銅像で、左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎である。

220516

ところで、昔は 50年前とか 100年前とか言われると、遙か昔のように感じていたが、昨日「沖縄復帰 50年に思うこと」なんて記事を書いたせいもあって、「50年なんて、あっという間じゃん!」という気がしてしまっている。とくに還暦を過ぎてからというもの、時の経つのが本当に早い。

そういえば「明治 100年」なんて祝賀式典があったのは、私が高校 1年の 1968年だった。1964年の 1回目の東京オリンピック開会式の記憶がはっきりとあるほどだから、明治 100年も当時の佐藤栄作首相が妙に盛り上がって、薄気味悪かったのをしっかりと覚えている。

で、ここで「ちょっと待てよ」となってしまった。「明治 100年」が 1968年だったということは、「明治 150年」もとっくに過ぎちゃってるわけじゃないか。いやはや、これについてはほとんど意識していなかった。

ちょっとググってみたら、「明治維新 150年で薩長土肥 4県知事が高知へ集結」なんていう YouTube 動画が見つかった。うひゃあ、まいったなあ。その高知に、私は「ついさっき」までいたんじゃないか。まったくもう、近頃いろいろなことがシンクロし過ぎてしまう。

で、ことのついでに坂本龍馬が暗殺された年を調べてみたら、 慶応 3年(1867年)11月 15日で、こうなると「つい 154年前」と言いたくなってしまう。私は今日の昼前に「高知城歴史博物館」で土佐の歴史に思いを馳せたばかりなので、この「つい」というのはまさに実感だ。

この世で生きている時間が物理的に長くなっちゃったもので、時間の流れを捉える際の「基準時間」(と言えばいいのかなあ)も、自然に長くなっているのだろう。その結果、印象の方は反比例して、「時の経つのが早い」みたいな感覚になるのも自然だ。

「ついさっき」と「つい 154年前」が頭の中で不思議に同期が取れちゃってるお陰で、気分はいつまでも若いつもりでいられるのだけどね。

【同日 追記】

今日は、和歌ログの歌までシンクロしてしまった。

今の世と江戸の昔を見たる日に初夏と春先も往きつ戻りつ

 

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コメント

そうか!

アタクシ「明治102年生まれ」ってこった!


と言って、特に感慨などございませんです。
はい。(´・_・`)

投稿: 乙痴庵 | 2022年5月17日 01:43

乙痴庵 さん:

わはは (^o^)

ちなみに私は、明治 84年生まれ。うわぁ、2ケタなんですね。
(明治 100年を覚えてるんだから、当たり前か ^^;)

投稿: tak | 2022年5月17日 08:12

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