沖縄復帰 50年に思うこと
今日は高知に来ているのだが、やはり沖縄の話を書いておきたい。何しろ「沖縄復帰 50年」にあたる日なのだそうだ。
沖縄が日本に復帰した 1972年、私は山形県庄内の地から上京して 2年目だった。大学は政治闘争で荒れ果て、閉鎖されている期間の方が長かった。
復帰前年の 1971年、大学内では「70年安保闘争」が早くも風化し、代わって「沖縄闘争」が目玉となっていた。私の通うワセダ大学を牛耳っていた革マル派は「沖縄解放」というスローガンを掲げ、中核派の掲げる「沖縄奪還」というのを「ナンセンス」として批判していた。
たまたまある日の講義を「粉砕」して「オルグ」に入って来た革マル派の幹部に、クラスの一人が「あなたたちの言う『沖縄解放』は、中核派の言う『沖縄奪還』とどう違うんですか?」と、とてもプリミティブな質問をしたことがある。
するとその幹部は、「解放は、解放だよ! 『奪還』なんて、ナンセンスでしかないんだよ!」と言うばかりだった。これ、質問への回答に全然なってない。当時の学生運動の幹部の頭の中なんて、こんなようなものでしかなかった。自分で理解してもいないことに命をかけるなんて、到底できないと私は思った。
こんな消耗な繰り返しのうちに年は変わり、1972年 5月に沖縄は日本に返還されたが、基地問題などは「別のお話」とされたまま年月は経った。私はその 36年後の 2006年に初めて沖縄を訪れ、このブログに 3日間連続して写真入りで載せている(参照 1、参照 2、参照 3)。
行ってみてわかったのは、「解放」も「奪還」もナンセンスなお話でしかなかったということだ。空虚な言葉遊びなんかより、沖縄には沖縄の歴史と、現在の暮らしとがあるのだった。それこそが大切なテーマなのである。
政治的なスローガンなんて屁の役にも立たないのだと、しみじみわかった。
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