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2022年6月に作成された投稿

2022年6月30日

来週になれば、猛暑が少し収まりそうだが

あまりの暑さで、外を少し歩くだけで頭がボウッとして息が荒くなるほどだ。これって、熱中症の一歩手前なんじゃあるまいか。少なくとも「夏バテ」の領域に脚を踏み込みかけているのは確かだと思う。

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この暑さがこのまま続いてしまったら、7月や 8月になったら生きていくのも大変なことになるんじゃなかろうかと心配になり、ウェザーニュースでつくば地域の 10日間の予報を見たところ、上の図のような具合だった。「週末まで高温傾向で局地的に体温のような最高気温になるおそれあり」とある。

ただ、週を越すと、4日の月曜日の最高気温は 31℃で、その後は 20℃台が続くようだ。天気は曇りがちで雨がぱらつくようだが、雨でも降らなければこの暑くなりすぎた地面が冷えないから、かえってありがたい。もしかしたら「戻り梅雨」みたいなことになるのかもしれない。

5日の火曜日なんて、最高気温が「26℃」なんてことになっている。このくらいの気温だと、40℃近い暑さを通り過ぎた体には、少し肌寒いぐらいに感じてしまうんじゃあるまいか。願わくは、この予報が暑い方に外れたりしないでもらいたい。

これで暖まりすぎた地面が少し冷やされて「フツーの夏」に戻ってくれれば嬉しいが、7月中旬以後にまた熱波に襲われたりしたら、行ったり来たり(というか、行き過ぎたり戻り過ぎたり)のめまぐるしさで、それこそ「命の心配」をしなければならないだろう。

世界の気候変化については、HUFFPOST の 6月 4日付 "気候変動は、実際どれくらい「ヤバい」のか?専門家に聞いた" という記事に詳しく書かれている。

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この記事には次のようにある。

今のままでは、パリ協定で合意した​​産業革命前からの世界の平均気温の上昇幅を「1.5℃」以内に抑える目標はおろか、「2.0℃」さえ難しい状況にある。

さらに、このままでは「いつか気候危機を止める手段がなくなるかもしれない」という警告まで発せられている。

こんな記事を読んでしまうと、「ああ、私も来月は 70歳になるし、さっさとこの世におさらばできるから、もうどうでもいいや」なんて、申し訳ないことを思ってしまう。しかし幸か不幸か妙に健康で丈夫なもので、実際にはいつまで生きるか知れたものではない。

そうなると、ずっと「この世ならぬ暑さ」に耐えていかなければならず、「あの世」に行くよりずっとしんどいことになってしまう。生きていくって、大変なことなのだね。

【7月 1日 追記】

今朝の NHK ラジオ天気予報で、私のご贔屓の気象予報士、伊藤みゆきさんが、「来週になれば気温も 35℃ぐらいに落ち着いて・・・」と言っていた。「35℃ぐらいに落ち着いて」というのは、ちょっと前までならあり得ないレトリックだが、今はフツーに言えちゃうのだね。

 

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2022年6月29日

見るだけでうんざりしてしまう行進スタイル

見るだけでうんざりしてしまう行進スタイルというものが、世の中にはある。一昨日付の毎日新聞で【愛国青年育成へアメとムチ 習指導部、若者の「香港人」意識警戒"】という記事の冒頭にあった写真は、その典型だ。

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写真のキャプションは「中国国旗の掲揚式の練習をする香港の小学生たち = 香港で 2022年6月14日、ロイター」となっている。この記事は有料記事なので、無料では冒頭の 20行ほどしか読むことができないが、それだけで「もうたくさん」と言いたくなる内容である。

香港の人たちの帰属意識を問う調査では、とくに若い層で「自分は(中国人ではなく)香港人」とする回答が圧倒的だという。中国当局はこの状態に相当ムカついているようで、「愛国教育」に躍起になっている。こんなことまでさせるのは、その一環のようだ。

軍隊以外でこんな気持ちの悪い行進を強要するのは、今の世の中では北朝鮮と中国ぐらいのものだろう。ちなみに北朝鮮式は極端すぎて、下の動画を見ると「うんざり」どころか、「ゲッ!」となってしまう。

毎日新聞にはさらに、【全教師の手に「バイブル」 “愛国” の波、学校を支配 香港は今】という記事まである。小学校の全教員が、香港国家安全維持法(国安法)の意義などが書かれた『読本』を持たされているというのだ。こうなると「愛国」というより、「ファシズム」である。

ちなみに、日本にはまた独特の行進スタイルが存在する。私が密かに「旧日本陸軍式行進」と呼んでいるものだ。西洋式では膝を自然に延ばす行進が主流だが、日本では股のみを高く上げることが意識されたようで、故・武智鉄二氏はこれを「農耕民族式」と言っていた。

私が小・中学生だった頃は、教師たちの間にこれを「よし」とする思い込みが脈々と残っていて、とくに体育会系の教師は運動会の行進の練習などでことさらに「股を高く上げて!」なんて叫んでいた。これ、この類いのことに関する私の「うんざり感」の元となる原体験である。

そして今の世でもこれがしっかりと残っているというか、さらに極端化されたようにさえ見えるのが、甲子園の高校野球大会開会式での「入場行進」だ。(下の動画の、2分 30秒ぐらいからの動きに注目)

私が高校野球に馴染めないのは、これのせいでもあるのだよね。

 

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2022年6月28日

猫も熱中症になるほどの暑さだそうで・・・

暑い!  部屋の中は辛うじてエアコンを効かせているが、廊下に出て階段を昇り降りする時に、手すりを握るとずいぶん熱く感じる。驚いて壁を触ると同じように熱い。これって、体温以上の気温で熱せられているのだね。

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関東甲信は昨日付で観測史上最も速い梅雨明けが発表されたが、実際にはその 3日前あたりから真夏の暑さそのものだった。ということは、後になって修正され、さらに早い梅雨明けという記録になる可能性もある。

昨日ラジオで「こんなに暑いと、猫も熱中症になることがある」と、飼い主に注意を呼びかけていた。猫は日当たりのいいところで寝転びたがる習性があるので、猛暑日でも「ついクセで」それをやってしまい、ふと気付いた時には「うっ、体がおかしい!」とアセったりすることがあるらしい。

ネットで調べてみると、獣医師監修で「猫の熱中症とは? 気になる対策とその症状を重症度別に解説」と題したページまである。いやはや、我が家でもあの東日本大震災の前頃までは猫を 2匹飼っていた(参照)が、熱中症なんて意識したことはなかったなあ。

猫と言えば寒がりの動物の代表格で暑さには強いはずなのだが、最近の暑さは、ちょっと前までとはレベルが違うということなのだろう。ここまで来てしまうと、「猫もビックリ!」というわけだ。

我々人間も「ついクセで」なんてことで油断することなく、まめに水分補給するなどして、この暑さには十分に気をつけなければならない。なにしろまだ 6月なのだから、夏の暑さはあと 2ヶ月、あるいはそれ以上続くのだよ。

 

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2022年6月27日

昨日はココログのサーバがダウンしていたので

昨日は仕事先から午後 4時過ぎに戻り、このブログに付いたコメントにレスしようとしたところ、全然できない。さらにこのブログを置いてある「ココログ」トップページからのログインさえできず、下のような表示が現れる。

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「こりゃ、ココログ側のサーバがダウンしているな」と、ようやく気付いた。今世紀初め(2010年以前)は時々こうしたことがあって、かなりムカつきつつ、こんな記事や、こんな記事を書いていたものだが、最近はずいぶん安定していたので、気付くまでに結構時間がかかった。

ちなみに昨日は日曜日で、私のような零細個人事業主には土曜も日曜もないが、ココログの技術者なんかは呑気に休日を楽しんでいるに違いないなんてことまで思う。これ、「やっかみ」というわけではなく、どちらかといえば「あきらめ」の境地だったのだが。

こちらの "Today's Crack" の方は朝のうちに更新を済ませていたが、『和歌ログ』は夜になってから更新のつもりだったので、不具合が長引くにつれて、結構あせる。とりあえず、Twitter に不具合情報を流すしかなかない(参照)。

「ついに、『和歌ログ』の毎日更新は途切れてしまうかな」なんて思い始めた 21時前頃、ようやく復旧。ただ、ココログの「おしらせ」には「22時10分ごろ解消されました」とある(参照)ので、全国的な復旧が確認されるまでにはさらに 1時間以上かかっていたようだ。

というわけで、2つのブログの毎日更新は無事に続くことになった(参照)。めでたし、めでたし(なんて言うほどには「めでたい話」じゃないが)。

 

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2022年6月26日

情報化時代における「いきなりの真夏」の過ごし方

「梅雨寒」から一転して、「いきなりの真夏」である。下の画像は昨日の午後 2時過ぎの NHK ニュースから拝借したもので、「6月では観測史上初 群馬 伊勢崎で 40度超 熱中症に厳重注意」となっている。とにかく昨日の暑さは「熱い」と表記したくなるほどだった。

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さらにニュースは刻々と更新され、午後 3時過ぎには 40.2℃ を記録したと知らされた。そんなのが私の住むつくば周辺の話でなくてよかったと思うが、いやいや、この辺りも十分に「熱かった」。

私は山形県の海のある方、庄内平野の酒田市で生まれたのでこの名を名乗っているが、同じ山形県の内陸部、山形市では 1933年に 40.8℃ を記録した。これは 2007年に岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で 40.9℃ を記録するまで、74年間も日本の最高気温記録として語り継がれてきたものである。

ちなみに山形県では、1978年 8月 3日にも 40℃ 超えを記録していて、それは私の生まれた酒田市の 40.1℃ というものだった。この日に日本付近を通過していた台風によるフェーン現象がもたらしたものだったとされている。

ちょうどその日、26歳の若さだった私はこともあろうに南アルプスを単独行していて、3,000メートル近い稜線直下で、その台風をやり過ごすために停滞していた。強風でバホバホ揺れるテントの中で、雑音だらけの携帯ラジオを通してそのニュースを聞いた私はびっくりたまげてしまったのである。

このことについては、ほぼ 26年後の2004年 7月 21日付 "猛暑と「知らぬが仏」" という記事で、次のように書いている。

後で聞くところによると、その日は、壁でも襖でもテーブルでも、触るものすべてが熱かったという。他人の座った座布団に座ると、ひんやりと感じたというから、ただ事ではない。しかし、まだ冷房がそれほど普及していなかった中で、酒田の人々は 「今日はなんだかおかしい」 などとつぶやきながら、普段どおりに働いて暮らしていた。

夕方のニュースで、その日の最高気温が 40度以上になったと聞かされてからである。酒田の人の 9割近くが「だぁ~!」と叫んでひっくり返ったまま、それ以上、体を動かす気力を失ってしまったのは。

私は南アルプスの稜線で大風に煽られながら、2時過ぎ頃には「酒田市で 40.1℃ を記録」という情報を得ていたというのに、当の地元の人たちの多くはリアルタイムでそれを知らずに、「なんだかおかしい」なんて言いながら過ごしていたというのである。情報化以前のお話で、スマホも何もなかったからね。

ということは、もしかしたら現代の我々も 44年前の酒田の人たちのように、あまりニュースなんかに触れず、せいぜい「何だかおかしい」と呟きながら過ごすぐらいの方が、この暑さに耐えられるのかもしれないね。下手に知ってしまうと、ひっくり返ったまま動くのが嫌になる。

ただ、今のところは梅雨も明けておらず、体がまだ高温に慣れていないので、やっぱり冷房のスイッチは入れておく方が身のためだとは思うが。

それにしても、かつての日本では 40℃ 越えはとてつもなく珍しいことだったのに、2018年以後は 4年間で 30回以上も記録している。とくに 2018年 7月 23日に埼玉県熊谷市で記録した 41.1℃ なんて、お風呂でも熱湯(あつゆ)の部類だ。(とはいえ、こんな世界もあるが)

地球の気候は急激に変わって来ていると見て、間違いない。

 

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2022年6月25日

単語登録は、やっぱりしておく方がいいいだろうね

Hatelabo に "おつ→「お疲れ様です。」よろ→「よろしくお願いいたします。」とか最初から辞書登録してあるPCはないの?" という投稿があるのを見て驚いてしまった。「変換ボタン 100回/日の削減」なんてことも書いてある。

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これに関する反応に「辞書登録くらい一瞬で出来るだろ 無精を言うな」というのがあって、まあ実際には「一瞬」というわけにはいかないが、「無精を言うな」については「そうだよね、無精しなきゃいいんだよね」と思ってしまった。

思い起こせば私は、ほぼ 8年半前の 2013年 11月 12日に "どうして単語登録の手間を惜しむ?" という記事を書いている。さらに思い出したように、"単語登録を巡る冒険 "(2019年 3月 9日付)、 "「単語登録」なんて「キホンの基本」なのだが "(2019年 11月 21日付)という 2本の記事が続く。

これらは「どうしてみんな、単語登録という便利な機能を利用しないんだろう」という疑問を呈したものだったが、ある時、その疑問への回答が見つかった。それについて "単語登録って、本当に難しかったりするようなのだ"(2016年 3月 7日付)という記事で触れている。

私が Wondows PC で MS-IME を使っていた頃は、単語設定の作業は「言語バー」から「単語登録」のメニューをクリックすれば簡単にできた。ところが最近の PC では、この「言語バー」が画面に表示されないというのが標準になっているようなのである。これって、Microsoft の意地悪としか思われない。

というわけなのだが、やっぱり単語登録は非常に便利な機能に違いはないので、こちらのページの記述を参考に、積極的に使いこなすことをオススメする。

私は Mac ユーザーのくせに日本語入力システムは長らく(Windows を使っていた頃から)ATOK を使っているので、30年分近い登録単語が蓄積されていて、PC を使った作業の必須要素である。いつもメールする先に読みが同じで別漢字の名前の人がいるので、これなしではアブなくてしょうがない。

例えば、株式会社 A の「庄司」さんと、B 協会の「荘司」さんがいたら、「Aしょう」と「Bしょう」で単語登録しておけば、メールの書き出しでの「うっかり変換ミス」が確実に減る。

ちなみに「単語登録」とは言うが、「お世話になっております」とか「よろしくお願いいたします」などの決まり文句も、「おせわに」「よろおね」などの短い字数で登録できる。「お尋ねの件についてご説明申しあげます」なんてのも「おたせつ」で一発変換されるので、もうこれなしでは済まされなくなる。

 

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2022年6月24日

ついにこの夏初めて、エアコンのスイッチを入れた

暑い! 下の図は、日本気象協会のサイトにのトップページにある本日の天気である。東京の最高気温は 32℃になるとの予想で、金沢なんて、35℃の猛暑日である。

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今日は朝から PC に向かってデスクワークで、部屋の窓を二方向にわたって開け放していたのだが、10時半を過ぎたあたりから入ってくるのは熱風だけとなり、頭がボウッとして息苦しささえ感じてしまう。ついに今シーズン初めてエアコンのスイッチを入れた。

まだ夏至を過ぎたばかりだし、梅雨も明けていないのだから、夏の暑さというものに慣れていない。何しろ今月初旬までは梅雨寒で、朝晩はフリース・ジャケットを着込む日さえあったし、妻もタートルネックのウールセーターを着ていたほどだから、いきなりの暑さに体がびっくりするばかりである。

天気予報の情報で頭では「ついに本格的真夏日だな」と理解することはできても、体はすぐに追いつくわけじゃない。明日も暑さが続くというのだから、このまま我慢していたら体調を崩してしまいかねない。

ありがたいことに我が家は屋根に太陽光発電パネルを載せているので、エアコンを付けても東京電力にそれほど頼らなくて済む。それで一昨年の 9月も「太陽光発電を始めていて、本当によかった」なんて、次のように書いている。

この自家発電がなかったら、消費する電気はまるまる東京電力から買わなければならない。ということは、少なからず原発に依存し、火力発電分では CO2 をまき散らすことになる。

というわけで、あたかも免罪符を得たカソリックのごとく、こうしてブログでもエアコン使用をおおっぴらに書くことができるってわけだ。このありがたさに、どういうわけか漱石の『猫』の最後のくだりを思い出してしまう。こんな具合だ。

南無阿弥陀仏々々々々々々、有難い々々々。

ありゃ、カソリックのはずだったが・・・

 

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2022年6月23日

「バーコード頭」という文化遺産

下の写真は中日新聞の「鉄板の薄毛ネタ、アドリブで誕生 海原はるか・かなた 50周年」という記事から拝借したものだ。この超ベテラン漫才コンビの「売り」は、海原はるか の「(いわゆる)バーコード頭」を かなた が一吹きすると、見事に「めくれ」てしまうという定番ネタである。

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ふと気付いたのだが、最近この「バーコード頭」というのを見かけなくなった。一時はラッシュ時の電車に乗れば周囲に必ず 1人や 2人はいたものだが、すっかり廃れてしまった。思うに「バーコード頭世代」はとっくに定年を過ぎて、ラッシュ時の電車に乗らなくなったのだろう。

あのヘアスタイルって、私なんかの眼から見ると正直言って奇異そのものだが、当人としてはごくフツーのこととしてやっているように見える。これ、「成人男子の標準は、きっちり七三に分けたヘアスタイル」という、いにしえの常識の延長だからなんだと思う。

この常識を当然のこととして疑いなく受け入れていた世代だけが、あのヘアスタイルを採用している。要するに、団塊の世代の一つ前のジェネレーションの固有文化だ。

「きっちりと七三に分けた髪型」をずっと続けて来た人たちは、頭頂部に近い所からだんだん髪が薄くなり、ごく自然のこととしてまだ毛の残っている側頭部からもってくることになった。床屋でも黙ってそうしてくれるみたいだし、当人はそれで当たり前と思ってしまう。

こうして「七三」だったものが「7.5:2.5」ぐらいになるが、案外ゆっくりとした進行だから、当人は習慣として当然のように続ける。さらに進んで「八二」になり、しかも頭頂部がすっかり禿げてしまっているのが見え見えになっても、今さら引っ込みがつかない。

なにしろこの世代というのは、あの「坊ちゃん刈り」を卒業してからずっと「きっちり分けた七三」でやってきて、自分のヘアスタイルとしてはそれ以外の発想がない。だからすっかり毛がなくなるまで続けるしかない。

というわけで、あの「バーコード頭」は一時代を象徴する固有の「文化遺産」と見ることができる。その時代に終止符を打ったのが、あのビートルズのロングヘアだったのだ。

 

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2022年6月22日

「プレスリリースの書き方」以上に大切なこと

東洋経済 ONLINE に "プレスリリース「広報」が陥りがちな思い込み 2選 たくさん書けば OK じゃないし意味ないわけでもない” という記事がある。広報コンサルタント、ジャーナリストの日高広太郎という人によるものだ。

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「どんなプレスリリースを作成すればいいのか」を指南する記事なのかと思ったが、どうもそんなわけでもないようだ。読んでみると、要するに「たくさん書けば OK じゃないし意味ないわけでもない」という、サブタイトル通りの内容である。それだけのことだ。

まず「プレスリリースは枚数を書けばいいわけじゃない」という前提が挙げられているが、それは、プレスリリースを「出しただけで取り上げられるのは超大企業ぐらい」だからだという。そしてフツーの企業の広報担当者が読んだら、仕事のやり甲斐を失いそうなことが書いてある。

一般的な企業がやみくもにリリースを出しても、記者はあまり見ていません。(中略)残酷なことを言うようですが、実際、記者クラブに配布されたほとんどのリリースは、記者の手で丸められ、ゴミ箱へ直行しています。

じゃあ、プレスリリースなんて無意味ということになるが、彼が「意味ないわけじゃない」というのは、紙面に書くネタがなくて困った時に助けられるからということのようだ。デスクの上にたまったプレスリリース中に、何とか記事になりそうなものが見つかることがあるというのである。

なんだ、これって単に、記者がネタに困った時の「埋めグサ」として利用できそうな、気の利いたリリースならありがたいってなことである。なんと身も蓋もない話じゃないか。

ついでと言えば何だが、この際だからもっと身も蓋もないことを言ってしまおう。それは、プレスリリースを記事にしてもらいたいなら、広告に金を使えばいいということだ。アドバタイズメント(宣伝)とパブリシティ(広報)は、たいていの場合「抱き合わせ」という「悲しい事実」があるのだ。

日高広太郎氏の記事で、プレスリリースがコンスタントに取り上げられるのは「数百万社もある日本企業の中で数十社しかありません」と書かれているのは、そういう意味である。コンスタントに広告を出してくれる超大企業のリリースは優先的に記事にしてもらいやすい。

プレスリリースを作る側と記事にする側の両方に身を置いたことのある者として、これは当然の話として語らなければならない。宣伝費を使わずに大きな記事にしてもらうには、プレスリリースの書き方云々という話じゃなく、よほど画期的な新製品を開発して発表するほかないってことだ。

ただ、そうした開発力があるのは、やはり超大企業に限られる傾向が強いというのも事実である。ジブリみたいなところなら宣伝しなくても記事に書いてもらえるが、「フツーの企業って、なかなか大変だよね」という話になってしまう。

 

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2022年6月21日

週末は猛暑日になりそうで、天気が極端すぎる

夜の 9時頃に帰宅して PC を起動させてみると、ネット界隈で、アバンギャルド河津という気象予報士の "干支が一周するぐらい天気の仕事してますけどはじめてですよ、「ふざけんなよ」って声出して言ったの" というtweet が話題だ。

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添えられた画像を見ると、なるほど、私も声出してそう言いたくなってしまう。今度の週末、東京の予想最高気温は 34℃(25日 土曜日)、35℃(26日 日曜日)なんてことになっている。今日が夏至で、そのわずか 6日後が「猛暑日」になるというのだ。

私は昨日の『和歌ログ』で、「初めての真夏日に身は追ひつかずただ一つなる梅の実を見る」なんて歌を詠んでいる。「身」「実」「見る」と、「み」の音を重ねた言葉遊びみたいな歌だが、初めての真夏日に体が追いつかないというのは、偽らざる実感だ。

思えば、5月下旬は夏の陽射しが続いて Tシャツ 1枚で過ごしていたが、6月 3日に福島県の郡山に出張した時は、クルマから降りてあまりの寒さに震えてしまった。そして関東に戻った途端に梅雨入りし、極端なほどの梅雨寒が続いた。

そしてここに来ていきなりの「真夏」なのだから、行ったり来たりの気候である。数年前から「近頃、天気が極端だよね」というのが口癖みたいになっているが、いくらなんでも極端すぎる。春の彼岸が過ぎた頃から、夏服と冬服を交互に着ていて、春の服を着ることがほとんどなかった。

こう見えても来月は 70歳の誕生日を迎えるのだから、こんなにチョー極端な天気が続くと、さすがに体に堪える。せっかく屋根に太陽光発電パネルを載せているのだから、あまり暑いときには遠慮なくエアコンを使わせてもらおうと思っている。

 

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2022年6月20日

ダンロップさん、元々私のタイヤなんですけど

ちょっと旧聞ぽいが、ダンロップが今年 3月から新しいテレビ CM を開始したんだそうだ(参照)。私はテレビをほとんど見ないので知らなかったのだが、今日たまたまタイヤに関する検索をしていたら、いきなり「あなたのタイヤに履きかえよう」なんて呼びかけられたので、驚いてしまったじゃないか。

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何事かと思ったが、確認すれば別にアヤシいサイトじゃない。あのダンロップのメイン・ページである。

思わず「ダンロップさん、何か勘違いしてません? ウチのクルマが履いてるのは他人のタイヤを拝借してるわけじゃなくて、元々私のタイヤなんですけど」と言いたくなってしまったよ。自分の金で買ったタイヤに、いちゃもんつけられる筋合いはない。

思えば、このブログでは妙な英語コピーをずいぶん取り上げてきた。例えば東京ステーションシティの "Start with You" (お前と一緒に始めなさい)とか、森の仕事ガイダンスの ”Be Myself” (私自身でありなさい)とか、マツダの "Be a driver" (運転手であれ)とかね。

Docomo が桑田佳祐を起用してやっちゃった ”Walk with You" (お前とともに歩け)とか、佐川急便の "Fit your business"(お前の仕事に適合しなさい)とかもよく知られていて、枚挙にいとまがない(参照

中には、ゼクシーの "Get Old with me"(私と共に年を取ってね)みたいな例もある。これ、初めは "Get Old with You"(お前と共に年を取れ)だったのだが、途中で「ヤバ!」と気付いたらしく、澄まして元々そうだったかのように変えちゃってたのである(参照)。

これらはまあ、日本人が陥りがちな「おかしな英語表現」ということなのだが、今回のダンロップのコピーは、日本語でやってるのだから恐れ入ってしまった。

さらに言えば、「ホントはこういうことを言いたいわけなのね」と推量することさえ難しく、無理矢理に深読みすると、こんなことになりそうだ。

小難しいことを言わせてもらうけど、あなたのクルマについてるタイヤは、実は全然フィットしてないから、この際ウチのすすめる「本来あるべきあなたのタイヤ」に履きかえてしまいなさい。

これが正解だったとしても、私としては「余計なお世話だ!」と言いたくなってしまうんだが。

のみならず、この CM に使われている視覚効果は「タイヤグラム」(「ダイヤグラム」じゃない)と言うんだそうだ。やれやれ、広告代理店の口車に乗りすぎると、笑えない笑い話になってしまう。

 

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2022年6月19日

ゾウは忘れない そしてもちろん人間も

本日付の COURRIER に "なぜここまで凶暴に? 「類を見ないほどの不可解な謎」ゾウに踏みつけられ亡くなった女性の葬式に群が再来する" という記事がある。野生のゾウに踏みつけられて亡くなった女性の葬式の準備をしている時に、そのゾウが群れをなして現れ、遺体を空中に放り投げたというのだ。

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この記事は「村人はインド紙『タイムズ・オブ・インディア』に『こんなにも恐ろしいゾウは、見たことがありません』と話し、ここ数年で最大の謎だと述べている」と結ばれている。しかしこれを伝えた Twitter 記事のコメント欄は、かなり違ったトーンだ(参照)。

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ヒンドゥー語(・・・だと思う)のコメントはまったく読めないが、英語のコメントのほとんどは、「殺された女性は意図的にではないにしろ、ゾウに対して何か害になることをしてしまったのだろう」と推測している。ゾウの領域を侵して汚してしまうとか、小さなゾウに何かしてしまうなどのことだ。

"Elefants never foget" ・・・ そうしたことを、「ゾウは忘れない」というのである。

記事を読む限り、ゾウは単に手当たり次第に暴れまくったというわけではない。明らかにターゲットを 1人の女性に絞り込んでいるのだから、そう考えるのが自然なことに思われる。殺された女性には本当に気の毒なことではあるが。

そして「忘れない」ということで言えば、同じ日のニュースに【「いじめた人は一瞬で忘れるが僕は一生恨んでいる」“ジャンポケ” 斉藤慎二さんが壮絶な体験を語り続ける理由】という記事がある。

彼ががテレビに出演して小中学校時代ににいじめられていた体験を語ったところ、かなり大きな話題になったらしい。すると、当時いじめる側の中心にいた人物から電話がかかってきたという。

それは「いじめのやつ記事で見たんだけど、いじめてる側に俺って入ってる?」という確認の電話だった。彼は「家族ができたから、名前を出さないでくれ」と言って電話を切り、謝ることは一切なかったとある。

何て卑怯なヤツだと呆れてしまった。このことだけで、名前を出してしまうに十分値する。

害を与えられた側は、そのことを忘れない。ゾウも人間も同じである。

 

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2022年6月18日

「酒を飲まない方がクール」というライフスタイル

HUFFPOST に 「お酒は飲まない方がクール、若者の新たなライフスタイル、ソバーキュリアスとは?」という記事がある。「ソバーキュリアス」の元の英語は "sober curious" だという。

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「しらふの、真面目な」という意味の "sober" と、「奇妙な、興味がある」という意味の "curious" を合わせたもので、「酒を飲まない選択的ライフスタイル」を表す。なるほど、それってこれまでの価値感からすると、「真面目で奇妙」なことと言えるのかもしれない。

記事には "欧米のミレニアル世代を中心に数年前から広がりを見せている「ソバーキュリアス」ムーブメントが、ここ最近日本でも広がりを見せている" とある。私も最近、酒を飲まないライフスタイルになっているので、ありがたい傾向だ。

決して禁酒しているというわけではないのだが、酒は飲んでも月に 1〜2度、ほんの少量でしかない。今年 3月 16日に ” 「減酒」には「忘酒」するぐらいになるのが一番” という記事を書いているように、普段は酒をほとんど忘れてしまっている。

ところで、近頃コロナ禍が下火になってまたしても出張が増えているが、出張先で夕食を食うのにかなり難儀している。私は肉も食わないので、「酒なし、肉なしの夕食」を摂ろうとすると、店の選択肢が本当に限られてしまうのだ。

先日の松山出張の際も、ホテルのフロントで「この辺で夕食の店はありますか?」と聞くと、「はい、鯛飯屋さんが何軒かあって、お酒を召し上がりながらの食事にいいですよ」なんて言う。とにかく「旅先での夕食は酒を楽しみながら」という前提での回答しか用意されていない。

ハンバーガー・ショップや牛丼チェーン、ラーメン屋、とんかつ屋みたいな店なら、探せば見つかるが、肉を食わないのだからこれらは初めから選択肢に入らない。そしてそれ以外で日が暮れてからも開いているのは、「酒が付きもの」といった風情の店がほとんどだ。

ファミレスなら酒なしでノーミートのメニューを選べるが、そうした店はちょっと郊外の幹線道路沿いに多く、地方都市の駅に近いホテルの周りには滅多にない。そんなわけで、最悪だと駅構内の立ち食い蕎麦屋で食うしかなくなってしまったりするのだ。

日本でもこの「ソバーキュリアス」が広まってくれれば、日の暮れた街で、酒を飲まずに夕食を食べるための選択肢が少しは増えてくれるだろうし、そうなったら本当にありがたい。しかしとくに地方都市などでは、自分が現役で仕事をしているうちには実現されそうにない気がする。

ちなみに "sober curious" というのは、「ソバーキュリアス」より「ソーバ・キュリアス」とする方が実際の英語に近く、カタカナ言葉としての語感もいいと思うんだがなあ。

 

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2022年6月17日

ビジネスメールの宛名は、シンプルに「〇〇 様」で

東洋経済 ONLINE に "いいかげん「仕事メールのムダマナー」根絶しよう 経済衰退をもたらす「日本人の抜きがたい悪癖」" という記事がある。筆者は妹尾輝男という人で、「ヘッドハンター」という仕事をしているらしい。

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この手の人の書く記事は、タイトルがやたら思わせぶりな割には、読んでみると「そんなのどーでもいいじゃん」なんて思うことが多いのだが、今回のこの記事に限っては「まったくその通りだよね」と思ってしまった。それはメールの冒頭に付ける宛名の書き方の問題で、こんな風に書かれている。

部署名が長く、かつ階層も多い会社にお勤め人の場合、以下のような長~い宛名つきのメールが送られてくることも少なくないのではないでしょうか。

〇〇株式会社××事業部◇◇部△△課☆☆係〇〇様

彼は、こんなことをいちいち間違えないように確認しながらタイプする手間を省こうよと言っているのである。私としては珍しくこの手の記事に共感してしまったのだが、そのすぐ後に「まてよ?」と思ってしまった。

というのは、私自身はこんなに長々とした宛名のメールをもらったことがないのである。だから、わざわざこんなことを問題にしようなんて思ったこともない。

「それは、お前がフリーランスだから、単に『〇〇 様』という宛名のメールしかもらわないんだろう」と言われるかもしれないが、いやいや、面倒くさい名称の団体に所属して働いていた昔でも、そんな仰々しい宛名のメールなんかもらったことがない。

さらに自分がメールを書くときだって、書き出しはいつも「〇〇 様」で済ませている。もらった名刺にある社名や部署・役職を全部書き込もうなんてことは、発想したことすらない。

あるいは最近の堅苦しいビジネス社会では、長々しい宛名を書くことが主流になりつつあるのだろうか。そうだとしたら、とんでもなく鬱陶しいことである。

「フリーランスになっといてよかった!」と思いつつ、さらにメールの宛名をいちいち面倒くさく書くなんてあり得ない業界の人としか付き合っていないという状況についても、「本当によかった!」と胸を撫で下ろしたのであった。

 

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2022年6月16日

福岡パルコの「攻めのジョーク」と「坊っちゃん団子」

朝日新聞の「性風俗店の無料案内所模した案内展示に苦情、急きょ撤去 福岡パルコ」という記事に笑ってしまったのは、この記事に添えられた写真の「まんま」みたいなケバい光景を、四国の松山市内で見かけていたからである。

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日の暮れかかった頃に道後温泉の辺りを散歩したのだが、例の改築中で 1階しか開いていなかった「道後温泉本館」(参照)の裏の通りが、まさにこんな感じの看板で溢れていた。それで、漱石の『坊ちゃん』を思い出したのだった。

『坊ちゃん』には、「おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた」というくだりがある。そのせいで坊ちゃんは翌日、学校の教室で「団子二皿七銭」とか「遊廓の団子旨い旨い」とかいう、生徒たちの落書き攻勢に遭ってしまう。

私が 11年前に松山を訪れた時(参照)は、道後温泉本館の 2階で団子を食ったような気がするのだが、明治の昔の団子は、近くの色町の入り口で食うものだったのだね。ただ、明治時代にはいくら何でもこんな感じのケバい案内所はなかっただろうけど。

ちなみにこの記事には、朝日新聞・今井邦彦記者の「3年前に大阪から福岡に来て驚いたのが、風俗の無料案内所の多さです。大阪にもありましたが、福岡の中洲ではバス通りに面した場所にもいくつもあって、最初は戸惑いました」というコメントが付いている。

私が道後温泉の一画で見たような派手な看板、博多ではそこらじゅうにあるみたいで、ある意味「博多名物」と言ってもいいほどなのだろう。ちなみに東日本はどうなのかとググってみたところ、こちら をみる限りでは、西日本ほどには濃くないみたいである。

というわけで、福岡パルコとしてはこの「ケバい博多名物」を果敢に取り込んだ店内プロモーションで話題作りを目論んだのだろう。しかし今どきのファッション・アイテムを買いに来た若い層には、こうした「攻めのジョーク」が通じなかったというわけだ。

お気の毒に。

 

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2022年6月15日

「同性婚」「選択的夫婦別姓」と、河野太郎氏の詭弁

HUFFPOST に "「同性婚」や「選択的夫婦別姓」に党として賛成しないのはなぜ? 河野太郎広報本部長インタビュー【U30×自由民主党】" という記事がある。"NO YOUTH NO JAPAN" という組織の代表という能條桃子さんの、河野太郎・自民党広報本部長へのインタビューをまとめたものだ。

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この記事をざっと読むと、 "「同性婚」や「選択的夫婦別姓」に党として賛成しないのはなぜ?" というタイトルに疑問をもつ人もいるだろう。河野氏は「同性婚」に党として賛成できない理由は彼なりに述べているが、「選択的夫婦別姓」については何も明確にしていないからだ。

この 2つのことについて、河野氏は次のような原則論を述べている。

一人っ子同士が結婚をするという割合が非常に高い時に、夫婦別姓にすれば両方の姓が次の世代に残る。今は女性が男性側の姓を名乗ることが多いですが、すると結婚する前に自分の名前で発表していたことが、苗字が変わってしまうと「あれ」となってしまうこともあってはいけない。

選択的な夫婦別姓を望む人が選べるというのは大事だと思いますし、同性婚もそれがいいと思ってる人が選べる制度というのは凄く大事です。

ここだけを読むと、彼自身は個人的に「同性婚」にも「選択的夫婦別姓」の必要性について理解していて、少なくとも反対しているわけではないと読み取れる。ところがそのすぐ後に、次のように述べている。

選択的夫婦別姓にしろ同性婚にしろ、政党で一つのポジションが決まらないから国会で議論しませんみたいなことになっていますが、議員に説明させて投票させろよ、と私は正直に思います。党議拘束をなくして議員で決めましょうと言えば動くものだと思います。

案外もっともらしく聞こえるかもしれないが、要するに、自民党の広報本部長としては一歩も二歩も引いているわけだ。その「引き方」が、私にはかなりズルく感じてしまい、「逃げ」のようにさえ思われる。

さらに「同性婚」について、彼は次のように言う。

同性婚は他と違って、憲法で「両性の合意」と書かれているから、まず憲法改正をして、同性婚を他の結婚と同じように認めます、としないといけない。なかなか国会だけで一概には決められません。

つまり、「どうしても同性婚したいんだったら、憲法改正だぞ。それでもいいのか?」ということである。さらに勘ぐれば、「そうなったら、改正条項は 1つだけとは限らないかもしれないから、あまり踏み込むとリスクも大きいよ」と言外に言っているようにも聞こえる。

これって、ちょっと「妙な恫喝」だよね。さらに記事中には「同性婚には憲法改正が必須」ということには異論もあるとの客観事実も述べられているので、この「恫喝」自体、問題ありすぎで、要するに自民党としては「同性婚は勘弁してくれ」と言っているのと同じである。

ということは、選択的夫婦別姓と同性婚について、「それがいいと思ってる人が選べる制度というのは凄く大事です」という自分自身の言葉を巧妙に裏切っていることになる。要するに、「いろいろゴチャゴチャ言ってごまかしてるけど、実は両方とも避けて通りたい」という姿勢が見え見えなのだ。

それをこの記事では、「党として賛成しないのはなぜ?」と、大胆に割り切ったタイトルでまとめているわけだ。

つまり河野氏の言う「選べる制度」なんて言葉の上だけのことで、実体はちっとも保証されていない。

 

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2022年6月14日

「祖谷そば」を食ってみたい

昨日四国の松山に着いて、今日が 二日目。明日は朝のうちに発って茨城に戻る予定だが、昨日も今日も、夕食には「うどん定食」というのを食べた。うどんと定食のセットで腹一杯になるので、なかなかお得である。四国という所は、讃岐だけでなく「うどんの国」で、うどんが旨い。

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とにかくそば好きで、どこに行ってもそばを食っている私だが、考えてみれば四国には何度も来ているのに、そば屋を見たことがない。いくら何でもそば屋が一軒もないなんてことはないだろうし、「お前が気付かなかっただけだ」と言われればそれまでだが、それでも他の地域に比べたら本当に見つからない。

というわけで、私は長らく「四国にはそばを食う文化がないのだ」と思っていたが、だいぶ前に「祖谷そば」というものがあると聞いた。『祖谷のかずら橋』で有名な、あの平家落人伝説のある祖谷(いや)である。何しろ秘境だというので、これまで一度も行ったことがない。

ところが今回、web で「祖谷そば」というのを調べてみて、無性に食ってみたくなったのである。つなぎをまったく使わない(つまり、十割そば)のでちぎれやすく、そのようなぶっとくて短い麺に、暖かい出汁をかけて食うのだという。江戸前のそばとは対照的な素朴さ加減のようだ。

今回はもう帰りの飛行機便を予約してあるから無理だが、次に仕事で讃岐か阿波の国に来ることがあったら、祖谷そばを食うためだけに自費でもう一泊してでも、祖谷まで足を伸ばしてみようと思う。それだけの価値はあるはずだ。

ただ、私は高いところが苦手なので、祖谷のかずら橋を渡れるかどうかは、現地に行ってみなければわからないが。

 

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2022年6月13日

飛行機の主翼の「この外側を歩くな」という謎の文字

仕事で伊予の松山に来ている。ANA に乗ってきたのだが、羽田から出発の時、「使用予定だった飛行機が整備不良」ということで搭乗ゲート変更となり、出発直前になって空港第 2ビルの端から端まで歩かされてしまったよ。

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そんなわけで離陸が 30分ほど遅れたのだが、整備不良の飛行機に乗せられるよりはずっとマシなので、よしとしておこう。ところが、ああ、なんと主翼の真上の席である。これじゃ下界が見えず、窓際を希望した意味がない。それでもまあ、無事に松山空港に着いたのだから、これもまたよしとしておこう。

で、今回の話題は、主翼の上に謎の英語の文字が書かれているのに気付いたということだ。上の写真では小さ過ぎてわからないので、下に文字部分の拡大写真を載せておく。

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大文字で ”DO NOT WALK OUTSIDE THIS AREA" (この領域の外側を歩くな)とある。しかも両方向から読めるように、ご丁寧なことに向きを変えて 2行書かれているのだ。「こりゃ、一体何だ?」と思ってしまうじゃないか。こんな注意書きなんてなくても、そんなところは元々歩こうったって歩けないし。

気になってしょうがないのでググってみたのだが、それについて説明された日本語ページは全く見当たらず、Quora の英語版にようやく見つかった(参照)。Robert Barke さんという方の説明である。

この注意書きはほとんどの場合、ライン(線)と一緒に書かれているという。なるほど、それは確かに、上の 2枚の写真を見てもその通りだ。そしてこの注意書きは、「線の外側を歩くな」という意味のようなのだ。

なるほど、上の写真を見ればわかるように、線の後ろ側はズラリとフラップが並んでいる。この部分は上からの重みに耐えるほどの補強はされていないので、整備などでこの上を歩かれたりしたら、故障や破損につながりかねないというのである。

つまりこの注意書きは「フラップの上を歩くな」ということに他ならないわけだ。いやはや、モノは調べてみるものである。景色の見えない主翼の上に座ったおかげで、思いがけなく一つ賢くなってしまったよ。

それにしても、今日搭乗予定だった飛行機は、作業員がよろけて線の外側を思いっきり踏んづけちゃったなんてことじゃないだろうな。

【追記】

”Do Not Walk Outside This Area" という Fish の曲があるが、これを聞いても「飛行機ではキャビン(客室)にいて、カーゴ(荷物室)には行くな」と言っているだけなので、わけがわからないよね。セリフの部分はさらにシュールで、全体を通してもご機嫌な曲ではあるけど。

【さらに 6月 15日 追記】

羽田に戻る飛行機では、この時より 2列後ろの窓際の席で離着陸の際のフラップの上がり下がりがよく見えたので、15日付の和歌ログの題材にした (参照

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なるほど、薄いものである。この薄さを知ってしまうと、この上を歩く気には到底なれない。

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2022年6月12日

最近のやたら大きなランドセルは、中身もびっしり

朝日新聞に「ランドセル、どんどん重く? 大量の教科書とタブレットと水筒と…」という記事がある。添えられた写真を見ると、最新のランドセル(左)は約 30年前のもの(右)のほとんど倍の厚みになっているのがわかる。

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私が小学生の頃は右のものより薄かったような気がするし、その薄いランドセルの中身もスカスカだった。ランドセルが分厚くなっているのは持ち運ぶ中身が多くなっているからで、大正大教授の白土健さんが調査したある子どものランドセルは、下の写真のようにぎゅうぎゅう詰めだったという。

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私は明日から二泊三日の出張に出るが、背負って行くリュックサックの中身は、着替え、折り畳み傘、水筒、MacBook Air などを含めてもこれより少ない。小さな子どもがこんな量の荷物を背負って毎日学校に行くなんて、気の毒というほかない。

記事では "学校に教科書を置いておく「置き勉」が許されていない学校が多いことも大きい" と指摘されており、46%の小学生が「学校で置き勉が禁止されている」と答えている。私が小学生の頃は教科書なんてテキトーに学校の机の中に置きっぱなしだったから、そんなことに「許可」が必要だなんて知らなかった。

そもそも既に半数以上の小学校で「置き勉」が OK というのだから、全面的に解禁しても別に問題ないだろう。さらに最近はコロナ禍対策でタブレットの支給も進んでいるというのだから、紙の教科書を持ち運ぶ必要もなくなってきているだろうに。

学校というのは、よくよくわからないところである。

 

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2022年6月11日

「梅雨だる」なんて言葉を初めて知った

昨日付の『和歌ログ』で、「寝落ちして気付けば日暮れ過ぎてゐて梅雨だるといふ言葉を知れり」という歌を詠んだ。5月 23日付の福井テレビ NEWS で、県済生会病院の前野孝治内科主任部長が、「梅雨だる」で「体がだるい、疲れやすい、目まい、頭痛」などという症状が出やすいと説明している(参照)。

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私の場合は昨日の夕方 PC に向かって仕事しているうちに、不覚にも寝落ちしてしまっていたというだけの話で、だるいとか目まいとか頭痛なんて症状は全然ないが、いくら寝ても寝足りないような感じは確かにある。これって、「梅雨だる」ということだったのか。

試しにこの言葉でググってみると、「梅雨だる」という体調不良を覚えるのは女性が多いとするページが目立つ。典型的なのは "女性の 6割が体調不良。「梅雨だる」の原因と対策" というページだ。

ただ、今年のような寒暖の差がやたら激しい梅雨だと、私のようなオッサンでも「何だか疲れるなあ」と感じてしまうこともあるようなのだ。最近いろいろな用が重なった上に、庭木の剪定や雑草刈りなどでバタバタしていたとはいえ、昔はこんなことはなかった。年は取りたくないものである。

ちなみに自分の『和歌ログ』を辿ってみると、今年は 4月後半頃に夏を思わせるような日が続いたのに、連休に入った途端に急に肌寒くなったとわかる。連休後半から暖かさが戻ったが、中旬の高知への出張から帰ってみるとまたしても肌寒くなっていた。

5月 23日あたりから「ようやく安定した初夏の陽気になった」と思っていたが、6月 5〜6日頃から今度は極端なほどの「梅雨寒」となり、あわてて箪笥の奥からフリース・ジャケットを取り出して羽織ったりしていた。今日は寒さは感じないものの、やたらムシムシしている。

梅雨時の天気は不安定と相場が決まっていて、例年でも時々妙に寒くなったりすることがあるが、今年はとくに振れ幅が大きいような気がしている。こんなことでは、体に負担がかかって疲れるのも仕方がない。

「地球温暖化」なんて言われるが、その実態は「極端化」といった方がよさそうで、この不安定な天候は今後も続いていくだろうから、体には気をつけた方がいい。とくに梅雨時の疲労蓄積は避ける方がいいようだ。

 

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2022年6月10日

「廊下に立たされる」のも悪いものじゃない

Twitter で 8 さんの子どもさんが学校でしょっちゅう廊下に立たされている件で「担任に不信感が募って悶々としている」という tweet に、ふゆひー9 さんが「昭和っぽくてすごく懐かしい感じですよね!」とコメントしておいでだ(参照)。

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これに関して私は、さらに次のようなコメントをさせてもらったところ、ふゆひー さんと、そして当の 8 さんからまで 「いいね」を頂いてしまっった(参照)。

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これにはちょっと付け足しがあり、それは、私がいつも 1人で廊下に立っていたということだ。授業中に無駄話や悪さをするのはほとんどの場合、単独行為ではなく「共犯者」がいるわけなのだが、教師に「廊下に立ってなさい!」と言われて、素直に「はぁい」と応じるのは、いつも私だけだったのである。

私は結構「ノー天気な悪童」だったようで、ほかの「共犯者」たちはうろたえてか、トボけてか、決して廊下に出ようとしない。結局のところ、私があっさりと廊下に立つだけで教室全体に期待以上の「ガス抜き」効果が発揮されてしまい、教師も拍子抜けしてそれ以上の追求をする雰囲気ではなくなっていた。

それで私はいつも、1人だけで廊下に立っていたわけである。初めのうちは「他の連中はズルいなあ」なんて思っていたが、「1人で立ってる方が気楽でいいわ!」と気付くまでに、それほどの時間はかからなかった。

実際、教師公認で退屈な授業を抜け出せるのだから、こんなにありがたいことはない。こう言っちゃナンだが、私は常に苦もなく成績トップだったから、正直なところクラスの授業なんてレベルが低すぎて付き合いきれなかったしね。

それよりも廊下で誰にも邪魔されず、窓の景色を眺めながら自由にいろいろな思いを巡らせている方がずっと楽しかった。これはまったくの実感で、小学生時代のこうした体験が、高校生になってからも(そしてもちろん、大学に入ってからも)尾を引いていた。

高校時代はいつも授業をサボって最上川河口の渡し船に乗り(出羽大橋ができる前のこととて、当時は乗船無料だった)、庄内砂丘の宮野浦側に渡って昼寝していた。これについては昨年 6月 15日付の「授業をサボり、庄内砂丘に寝転がる」という、とても平和な記事にしているので、未読の方はどうぞ。

というわけで、今日の結論は、「廊下に立つのは、決して悪いもんじゃなかった」というごく単純な話で、昨日の記事のような、学校の指導がどうのこうのということとは一線を画すので、そのあたり、なにぶん

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2022年6月 9日

給食の「完食指導」って、なんだかなあ

東洋経済のサイトに ”同級生の前で「残してごめんなさい」心の傷に・・・ 教師の完食指導で「会食恐怖症」になる子ども達” という記事がある。いやはや、今の世の中でもそんな無茶な指導をする教師がいたのか。

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私自身は「給食を食べ残す」なんてことは、ただの一度もなかった。とにかく昼時になったら腹が減ってしょうがないから、どんなに不味くても目をつむってかき込むように食っていた。これについては、「私の早食いは、昔のまずい給食のせいかも」という 2年半前の記事に書いてある。

だから時々、昼休みが終わって教室に戻った時に、どうしても食べきれなかった給食を前に泣きそうになって俯いている女の子なんかがいたりすると、どえらく複雑な気分になった。その子は教師に「全部食べ終えるまでは、席を離れちゃダメ」と命じられていたのだった。

ひどい話だが、こうした給食を食べきれない子への仕打ちを、学校用語では「完食指導」なんて言うらしいと、この記事を読んで初めて知った。「ものは言いよう」とはこのことで、要するに「食うことの無理強い」である。

とにかく小学校というところは「どうでもいい平等主義」があるかと思えば、一方で「露骨な差別主義」もあったりして、本当に居心地が悪かった。この 2つの「合わせ技」みたいなものが、こうしたひどい「完食指導 = 無理強い」である。

私としては給食をどうしても食べきれない子を見る度に、心の中で「あの子に分ける分を少なくして、その分、俺に多くしてくれれば何の問題もないのに」なんて思いながらも、静観するしかなかった。各自の希望によって分ける量を変えるなんて提案したら、「どうでもいい平等主義」に反して大変なことになる。

いやはや、どうしても食べられないで泣きそうになっている子への同情よりも、自分の食欲がビミョー以上に勝ってしまっていたことによる発想という部分もあるので、ちょっとお恥ずかしい昔話だが。

ちなみに、記事には「食べられなかった生徒は、みんなの前で『ごめんなさい』と謝罪させられた」なんていう実例まで紹介されている。私はそれを読んで、啞然としてしまったよ。

食べられなかった生徒に、皆の前で謝まる筋合いなんてまったくない。そんなことで謝られても、まともな感性の生徒なら複雑でイヤな気分になるだけだ。

謝らなければならないのはむしろ、小食な子に無理な量を押しつけてその子を苦しめる(後々まで「会食恐怖症」という後遺症が出たりするというし)だけでなく、クラス全体の雰囲気まで重苦しくしてしまう教師の方だろうよ。

 

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2022年6月 8日

「代替肉市場」が拡大しているらしいが

お昼前のラジオ番組で「代替肉」を紹介していた。この「代替肉市場」は今や拡大傾向にあり、市販の弁当などでも代替肉を使った物が出てきているという。キャストがその代替肉弁当を試食し、「うん、おいしい!」「これは、肉です!」などと、褒めちぎっていた。

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試しに「代替肉」のキーワードでググってみると、かなり多くのページがヒットする。今や一般的な食品として認知されているようなのだ。大手食品メーカーも、"ZEROMEAT"(大塚食品)、「まるでお肉!」(伊藤ハム)、「大豆のお肉」(マルコメ)など、それぞれの商品名で展開している。

ふぅん、いつの間にか時代は大きく変わりつつあるのだね。ただ、伊藤ハムの「まるでお肉!」というネーミングはセンスを感じないなあ。

ちなみに、だいぶ前から肉を食わなくなった私としては、「食いたいけど我慢してる」というわけでは決してないので、そうした「肉の代わりみたいなモノ」を買ってまで食いたいとは全然思わない。

自分がいつ頃から肉を食わなくなったのだろうと過去ログを調べてみたところ、順を追ってこんなようになっている。

最高級牛肉って、本当においしい?(2007年 9月 14日付)
しゃぶしゃぶをメイン料理にした宴会に出て、仕方なくお付き合いで最高級霜降肉を 2枚ばかり食べたが決しておいしいと思わなかったので、それ以上は食べなかったというようなことを書いている。ということは、それ以前から肉はできるだけ避けていたようだ。

「脱肉食」を巡る冒険(2017年 4月 6日付)
この頃にはほとんど肉を食わなくなっている。しかしながら「それしか食うものがなければ仕方なく食いもするが、最近はどんな高級肉でもおいしいとは感じられない体になった」と書いている。

私が肉食を止めた理由を代弁してくれる動画を見つけた(2019年 10月 1日付)
冒頭に「私は牛や豚などの肉を食うのを極力控えるようになって 5年以上、完全に止めてからでも 2年ほどになる」と書き、世界のトウモロコシ年間生産量約 6億トンのうち、約 4億トンまでが穀物飼料で、その 1割でも人の食用に回せば、世界から餓えはなくなる計算になるとの説を紹介している。

ということは、今世紀に入ってからは肉食からできるだけ遠離っていて、2013年頃からはほとんど食わなくなっていたようだ。それでも 2017年春頃まではほんのたまに(1年に 1〜2度)だが、付き合いなどでそれしか食うものがなければ、仕方なく食っていたことがわかる。

つまり「ほとんどノーミート」でほぼ 20年、「完全ノーミート」で 5年ほど経っているわけだ。それは上で紹介した 2019年 10月 1日付の記事に書いたように、「好き嫌い」とか「自分の健康のため」とかではなく、「倫理的な理由」からである。

これだけ長く肉食から遠離っているからかどうか知らないが、至って健康で風邪も引かない。そして変な話だが、昨年 11月 23日付の記事で書いているように、うんこもおならも臭くないのである。

 

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2022年6月 7日

「蒲蒲線」というのができるらしいが

池袋・渋谷方面から羽田空港に移動しやすくするために、東急多摩川線の「蒲田駅」と京浜急行の「京急蒲田駅」を結ぶ「蒲蒲線」というのを作るんだそうだ(参照)。これは取りあえずの仮称なんだろうが、「カマカマ線」と口に出してみると、区と都が絡んでいるにしてはなかなかの風情である。

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読売新聞はこれについて、「両駅間は約800メートル離れており、これまでは徒歩やバスで移動する必要があった。開通後は渋谷や池袋方面から京急蒲田駅までが結ばれることになり、羽田空港への利便性が向上する」としている。

開業は 2030年代を目指すということなので、あと 10年はかかるだろう。私にはほとんど関係のない話なので、20年かかろうが 30年かかろうが構わないが。

これが完成すれば、山手線西側から羽田空港までの行き来は確かに便利になるだろうが、現状でもどうしようもないほど不便というわけではない。例えば、渋谷から羽田空港に向かうのに一般的なのは、次の 2ルートだ。

  1. 渋谷〜(JR)〜品川〜京急蒲田〜(京浜急行)〜羽田空港第1・第2 ターミナル【料金 470円】
  2. 渋谷〜(JR)〜浜松町〜(東京モノレール)〜羽田空港第1・第2 ターミナル【料金 700円】

どちらも所用時間は乗り換えのための歩きを入れても 50分足らずで、京浜急行線で急行に乗れば 45分ぐらいで行ける。一方、東急線の渋谷駅から蒲田駅まで行き、京急蒲田駅まで歩いて羽田空港まで行くと、こんな具合になる。

渋谷〜蒲田 (30分足らず)、蒲田〜京急蒲田(徒歩で約 10分)、京急蒲田〜羽田空港(11分)

待ち時間を入れると、ほぼ 1時間近くになるだろうが、徒歩で 10分かかる区間が電車に乗ったまま 1分ほどで通過できると、直通なら 40分ちょっとになり、なるほど、確かにある程度の短縮とはなる。ただ、上の 2ルートと比べれば、わずかな差でしかない。距離的には、品川ルートが一番近いし。

ちなみに私は来週月曜日に四国に飛ぶので、取りあえず羽田空港に行くことになるが、つくばの地を出てから羽田空港第2ターミナルに着くまで、ほぼ 2時間かかる。これだけで十分な「旅行」だ。取り立てて有効なショートカットもないので、10年経っても変わらないだろう。

便利なところに住んでいると、わずかずつとはいえさらに便利になり、不便なところにいると、不便なままで取り残される。これも世の習いか。

 

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2022年6月 6日

関東甲信が梅雨入りで、来週の四国はどうか?

今日、関東甲信地方の梅雨入りが発表された(参照)。平年より1日、昨年より 8日早い梅雨入りだという。一方、東海から九州にかけての梅雨入りはまだ先になりそうという予報だ。いつもの年なら西からだんだん梅雨入りするのだが、今年はちょっと変則的である。

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先週土曜日は福島県に出張して晴天に恵まれたが、来週の月曜から水曜まで(13〜15日)は、四国の愛媛県に行かなければならない。四国の梅雨入りがいつになるか、気にかかるところだが、tenki.jp は次のように伝えている。

16日は九州から北海道まで晴れる所が多いですが、その他の日はすっきりしない所が多い見込みです。この頃には、関東甲信に続き、続々と梅雨入りしそうです。

うぅむ、16日は晴れても、「その他の日はすっきりしない所が多い」というのが気にかかる。ただ「梅雨入り」が 17日以後ということなら、それより前の天気は「すっきりしない」とはいえ、それほど大きく崩れることはなかろうと期待するばかりだ。

こうなったら、あれこれ心配するよりも自分の晴れ男振りを信じるしかないだろう。いずれにしても、道後で温泉につかれるのが楽しみといえば楽しみだ。

ちなみに、梅雨に入ったとたんに気温が急に下がってしまい、かなり肌寒い。こうした肌寒さを「梅雨寒」と称するが、これって関東特有の現象らしい。他の地域では、「梅雨は蒸し暑い」と思われているが、関東では蒸し暑い日もあるかわりに、こうした肌寒い日も珍しくない。

 

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2022年6月 5日

「自己否定」を成熟させて「アンラーン」に辿り着く

一昨日の朝、ラジオのスイッチを入れると、NHK 第1放送の「マイあさ!」という番組で、アナウンサーが耳慣れない言葉を繰り返している。途中からだった上に受信状態が万全ではなく聞き取りにくかったものの、とても興味深い内容だった。

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それから忙しさに追われて忘れかけていたが、さっきふと思い出して NHK の聴き逃し番組を聴ける「らじるらじる」に行ってみたところ、それは東大経済学部の柳川範之教授の解説による「アンラーンって何? 学ばない “学び方”」という放送だったとわかった。

らじるらじるは「放送後 1週間以内なら何度でも聴ける」ということなので、上の画像クリックでリンクされるページの「7時台」の項を選択すると、今週の木曜日までなら聴ける。

「アンラーン」は "Unlearn" で、”learn" に "un" が付いたものだから、「〔学んだことを意識的に〕忘れる、〔知識・先入観・習慣などを〕捨て去る」(参照:英辞郎)ということだ。

柳川教授は「当たり前だと思っていたことを、頭を切り替えて違う発想で考えられるようにする」ために、「思考のクセを取り除く」ことと考えればいいという。これを強制的にではなく、自発的に行うことが大切なのだそうだ。なるほど、それはよくわかる。

例えば既存の社内文化に染まりすぎると新しい仕事がしにくくなるので、発想を変えることがビジネスの役に立つ。そればかりでなく、既存の発想に固執するとと学びの発想まで縛られるので、「アンラーン」によって学びの場でも新しいインプットができるようになるというのである。

自分が「既存の発想」に染まりすぎているかどうかは、次の 6項目のチェックで判断できるというので、試してみるとおもしろい。

  1. 何か決まった口癖がある。
  2. 最近、ワクワクすることが減った。
  3. 周囲の人との会話が毎日同じような話題ばかりだ。
  4. 仕事とは別の分野の学びをしていない。
  5. どんなことにも「そんなこと当たり前」と思いがち。
  6. すごい成果を出した人は、自分とは別世界の人だと思う。

何項目が当てはまると問題かというような目安はないのだそうだが、まあ、少ないほど発想が自由ということなのだろう。ちなみに私は 1項目が当てはまった。(このブログに馴染んでおられる方は容易に想像がつくだろうが、それは 1番の項目である)

思えば 1970年代初頭には、「自己否定」なんて言葉が流行り、やたらと既成概念を否定する風潮だったが、それをやんわりと成熟させると「アンラーン」になるかもしれない。

そんなわけで、1970年代に 10代から 20代を過ごした私としては、「ムチャクチャな自己否定」からは距離を置きつつ、かなり歓迎したい魅力的な発想である。

 

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2022年6月 4日

中国の「潤学」というホットワードって?

自分でクルマを運転して、昨日から今日にかけて一泊二日で福島での仕事をこなして帰って来た。とくに、今日は 4時起きで一日走り回ったので、さすがに疲れた。

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そんなわけで、今日も何か書かなきゃいけないのだが、頭がしっかりと働かない。そんな状態で Courrier というサイトの 【海外移住を真剣に考える人々 「この国に未来はない」いま中国からの“脱出”を意味する「潤学」という言葉がホットワードに】なんていう記事を読んで、混乱してしまっている。

「中国のネット上で “潤学” という言葉がにわかに流行している」というのだが、この言葉のココロはこんなことであるらしい。

“潤学(rùnxué/ルンシュエ)”とは、潤の発音記号「rùn」を英語の「run」にかけて「逃げる」「とんずらする」を意味し、その多くは「海外移住」を指す一種の隠語なのだそうだ。

へえ、さすがに中国人も自国の体制に嫌気がさして、国外脱出したがっているのかと思ったのだが、そのきっかけは、「中国の厳しすぎるゼロコロナ政策が “潤学” の流行を後押ししている」ということのようなのだ。はあ? それって、一体どういうことなんだ?

この記事は「会員限定」で、これ以上読みたければ、無料登録して会員になれということのようで、そんなの面倒だから、関連のほかの記事を探したところ、DIAMOND ONLINE の "「やっと人間の世界に戻った」と涙… 中国で日本移住の人気が急上昇の事情" という記事が見つかった。

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この記事を読んでみると、上海では新型コロナウイルスによる感染症対策の「ロックダウン」が厳しすぎて、灯が消えたような状態となり、それに音を上げた人たちが海外移住、とくに日本への移住を希望しているということらしいのである。要するに、「ロックダウン」に嫌気がさしたってことなのね。

ちょっとわかってきたが、それでも腑に落ちないのは、「ロックダウンによる厳しすぎる規制」によって、上海の街の賑わいがなくなってしまったことがイヤなのか、それとも、そもそも中国の全体主義的な政治体制に嫌気がさしているのかということなのだよね。

コロナが収まって「ロックダウン」が解除され、「物質的な繁栄」さえ保証されれば、中国にとどまってもいいというのか、それとも、物質的にはどんどん豊かになりつつあっても、不自由な政治体制に息が詰まりかけているのか。この一時的な現象の「奥にあるもの」が見えてこない。

個人的には、「個人の自由の制限された全体主義的体制」への反感が、コロナによるロックダウンをきっかけにして噴出しかけていると解釈してしまいそうなのだが、一体どうなんだろう。

もう少し行方を見守らなければならないだろうね。

 

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2022年6月 3日

「デジタル田園都市国家構想」のサイトって・・・

昨日の記事の冒頭で、「それにしても、この内閣官房の作ったページ、エラく読みにくくて目がチラチラする」と触れた「デジタル田園都市国家構想」というウェブ・ページだが、目がチラチラするのは私の年のせいだけじゃないようで、らむねさんも「これ見づらいですねえ」とコメントしてくれた。

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リンク先にに飛んでみればわかるが、のっけからやたら大きなフォントのタイトルの下に、上の画像に示したやたら色使いがうるさくて、ぐちゃっと押し潰したような画面が現れる。「デジタル庁」という役所の管轄にしては、モロに「ド素人の作ったページ」である。

らむねさんは、「文字強調に太字と赤字と下線が混在し、そして汚さに定評のあるMSゴシックだからですね」とコメントしておられ、私は次のようにリプライした。

同じMS系でも、MS明朝にして、画面の横幅を縮め、行間をまともに取りさえすれば、少しは読みやすくなるんですが。
行間がびっしり詰まって、しかも横にダラダラ続くと、たとえ文章自体はまともでも、見た目だけで読みたくなくなります。

リンク先の URL をみると PDF ファイルのようで、これ、こともあろうに「横位置」で作成した文書を PDF 化し、それを縦にずらっと並べて表示しているようなのである。おざなりといえばおざなりだよね。

例えば上の画像にある上部の文章は、下のようなレイアウトに変更するだけで、格段に読みやすくなる。(画像クリックで、拡大表示される)

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これ、上述の如くフォントを MS明朝(英文字フォントは century)にし、レイアウトを縦位置にして横にダラダラと流れないようにした上で、行間をまともに取っただけである。お役所言葉で書かれた内容も校正すればずっとわかりやすい文章になるのだが、ここでは敢えてそのままとした。

行間を取ると、上下に長くなりすぎるというかもしれないが、そもそも元のページからして、改ページすべき所をしないで長く続けた結果、やたらとスクロールしなければならなくなっている。要するに読みやすいレイアウトにして、ちゃんとページを区切ればいいだけのことえだ。

思うに、官僚たちというのは理解力はそれなりにあるのだろうが、それをフツーの人たちにわかりやすく伝える術を知らない。「伝える術」というのは、言葉遣い、レイアウト、編集など、すべてにわたるテクニックである。

もっとツッコんで言えば、実は「わかりやすく伝える」ということ自体が、官僚の世界では「暗黙の御法度」なのだろうとさえ思う。そのココロは「うやむやにしとく方がいい」ってことで、今回取り上げたページにしても、案外「下手に読まれない方がいい」なんて思ってるのかもしれないね。

【同日 追記】

昨日の記事に柘榴さんが付けてくれたコメントで、この「資料 2」というページは、元々はプレゼン用のスライドらしいとわかった。ただ、このスライドを見せられる方も「読みにくくてかなわんなあ」と思うだろう。

資料 1」というページもあって、これは読みにくさはそのままの、単なる「お飾り」。そして「資料 3」は、やたら面倒くさい内部的なもので、一般に説明するためのものじゃない。

要するに、「わかりやすく伝える気はないようだ」という結論には変わりがない。

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2022年6月 2日

「デジタル推進委員」は、さぞかし疲れるだろうなあ

デジタル田園都市国家構想」(← それにしても、この内閣官房の作ったページ、エラく読みにくくて目がチラチラする)というのが岸田政権の目玉政策の一つなのだそうで、この実現のために、高齢者らに IT の使用方法などを教える「デジタル推進委員」を全国に 2万人配置するのだそうだ。

「全国どこでも誰もが便利で快適に暮らせる社会」とか「地方に仕事をつくる」とかいう構想自体は悪くないが、実際は過剰な期待を抱かない方がいいと思う。別に政府がどうこう言わなくても「デジタル化」の必要性は明白なのに、音頭取りをする行政機関自体がまだまだアナログなのだもの(参照)。

この「デジタル推進委員」の募集は、既に開始されているらしい(参照)。老人などのデジタルに不慣れな層に、基本的な利用方法を教えるのが主な仕事なのだそうだ。

ただ私としては、こうした問題に関しては次のように言うほかないと思っている。

  • 使える人はことさら教わらなくても、あるいは、最初の糸口を聞くだけで、既に使えるようになっている。

  • 今になっても使えない人というのは、いくら教えられても、そしていつまで経っても、決してまともに使えるようにはならない。

これは私自身が周囲の同年代以上の人たち(とくに 75歳以上がひどいのだが)に頼まれて、スマホや PC などの操作方法を教えてきた経験から、もろに実感として言えることだ。

例えば、知人の A氏の場合はこんな具合だ。

彼は離れて暮らす孫の顔見たさに、息子が里帰りしてきた時に頼んで、自分の時代物の PC に Facebook をセットしてもらった。おかげでマウス・クリック一つでいつでも孫の近況を知ることができ、満足していた。ここまでは微笑ましい話である。

ところが最近、彼の母校の同窓会が Facebook で連絡を取り合うことになったため、「私のパソコンでも『ふぇいすぶっく』というのを使えるようにしてもらいたい」と言い出したのである。これには驚いた。

「いつもお孫さんの顔を見てる、それが Facebook ですよ」
「いや、あれじゃなくて、ウチの同窓会の情報が見られる『ふぇいすぶっく』を使いたいんですよね」

ちょっと呆れつつも Facebook で彼の同窓会グループに入るための手続きを教えたのだが、どうしても理解できない。仕方がないから私が彼の PC を操作し、グループ主催者の承認を得て入れてあげたのだが、それでも同窓会画面にどうしても辿りつけないみたいなのである。

「この画面のここをクリックすれば、同窓会の画面に行けるんですよ」と、しっかりと表示してあげたのだが、その晩になって「孫の顔を見られなくて困ってる」という電話が来た。その時は 10分以上かけて解決してあげたのだが、それ以後は怖くて同窓会ページには行けないと言う。

彼の PC にセットされた Facebook は、孫の顔を見るため以外の目的では使えない「おじいちゃん専用ツール」と化しているのである。

彼の場合は、曲がりなりにも好きな時に孫の顔を見られる(それ以上のことはできないのだが)だけまだマシだが、世の中にはせっかくスマホを購入しながら、通話以外のことに使えないという年寄りがいくらでもいる。よくかける電話番号は手書きでメモしてるなんて人もいるぐらいだ。

そして彼らは、いくら教えてあげてもまともに使えるようにはならないのである。ここまで来てしまったら、生きてる間はムリだろう。

というわけで、無給(なんだってさ!)で働くことになる「デジタル推進委員」という人たちは、使命感に燃えて真面目にやろうとすればするほど、ものすごく疲れることになるだろうと思いやられるのだよね。

 

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2022年6月 1日

「桜を見る会」と、サントリーと、『四谷怪談』と

「桜を見る会」にサントリーが 2016年から 2019年までの 4年間にわたって「酒を無償提供」していたという。2019年が最後となったのは、この年に 森友学園問題加計学園問題と合わせて「モリカケサクラ」なんて言われて政治問題化し、以後は行われなかったからというだけである。

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このニュースを聞いて「もうサントリー製品なんて買うものか!」と思ってしまったが、実際には近頃、酒をほとんど飲まないし、たまに飲んでも日本酒ばかりで洋酒はほとんど飲まないから、個人的には日常生活に影響なしである。「伊右衛門」なんてお茶も飲まないし。

この問題がクローズアップされたのは、日本共産党の 5月 29日付『赤旗日曜版』のスクープによるもののようだ(参照)。日曜版編集部が東京地検で前夜祭をめぐる事件の記録を閲覧し、サントリーが酒類を大量提供した事実を突き止めたのだという。

日本共産党って、時々は結構いい仕事するよね。上の画像からもリンクされる TBS ニュースはこの件に関し、次のように伝えている(参照)。

サントリーは無償提供の経緯について「会の開催は安倍議員事務所から教えてもらった。多くの方が集まる会だと聞き、自社製品を知ってもらう良い機会と考えて無償で協賛した」と説明しています。

このサントリーのコメントのポイントは 2つ。

1つめは、会の開催を「安倍議員事務所から教えてもらった」(「議員」なんてさりげなく言ってるけど、実は時の首相)と言うが、こんなのはわざわざ教えてもらわなくても知れたことである。そのココロは要するに、「首相サイドから酒類の無償提供を打診された」のだと読み取れる。

2つめの「自社製品を知ってもらう良い機会」なんてのは、今どきの日本人の大人でサントリーの製品を知らない人はいないのだから、言い訳にもならない。よくまあこんな寝言をもっともらしく言えるもので、結果的には「自社の劣化を知ってもらう機会」になってしまった。

そもそも 2014年にサントリーの社長に就任した新浪剛史氏は「アベ友」として知られる(参照)人物で、こうしたことからも安倍晋三の「おともだち政治」が明白に窺われる。

というわけで、安倍晋三の政治姿勢に批判的な人は、サントリーのウィスキーやビールなんて(おっと、「伊右衛門」なんてお茶も)飲まない方が夢見がいいんじゃなかろうか。

最後に、本日のタイトルの "「桜を見る会」と、サントリーと、『四谷怪談』と" というタイトルの種明かしをする。

私が「伊右衛門」を飲まないのは、歌舞伎『東海道四谷怪談』のお岩さんを殺した亭主の名が「民谷伊右衛門」で、「恨めしや、伊右衛門殿〜」というのは、個人的にはお茶を飲んでリラックスしたい時に思い出したいようなセリフじゃないというのが理由ということなので、どうでもいい話だが

Yoroshiku4

 

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