「廊下に立たされる」のも悪いものじゃない
Twitter で 8 さんの子どもさんが学校でしょっちゅう廊下に立たされている件で「担任に不信感が募って悶々としている」という tweet に、ふゆひー9 さんが「昭和っぽくてすごく懐かしい感じですよね!」とコメントしておいでだ(参照)。
これに関して私は、さらに次のようなコメントをさせてもらったところ、ふゆひー さんと、そして当の 8 さんからまで 「いいね」を頂いてしまっった(参照)。
これにはちょっと付け足しがあり、それは、私がいつも 1人で廊下に立っていたということだ。授業中に無駄話や悪さをするのはほとんどの場合、単独行為ではなく「共犯者」がいるわけなのだが、教師に「廊下に立ってなさい!」と言われて、素直に「はぁい」と応じるのは、いつも私だけだったのである。
私は結構「ノー天気な悪童」だったようで、ほかの「共犯者」たちはうろたえてか、トボけてか、決して廊下に出ようとしない。結局のところ、私があっさりと廊下に立つだけで教室全体に期待以上の「ガス抜き」効果が発揮されてしまい、教師も拍子抜けしてそれ以上の追求をする雰囲気ではなくなっていた。
それで私はいつも、1人だけで廊下に立っていたわけである。初めのうちは「他の連中はズルいなあ」なんて思っていたが、「1人で立ってる方が気楽でいいわ!」と気付くまでに、それほどの時間はかからなかった。
実際、教師公認で退屈な授業を抜け出せるのだから、こんなにありがたいことはない。こう言っちゃナンだが、私は常に苦もなく成績トップだったから、正直なところクラスの授業なんてレベルが低すぎて付き合いきれなかったしね。
それよりも廊下で誰にも邪魔されず、窓の景色を眺めながら自由にいろいろな思いを巡らせている方がずっと楽しかった。これはまったくの実感で、小学生時代のこうした体験が、高校生になってからも(そしてもちろん、大学に入ってからも)尾を引いていた。
高校時代はいつも授業をサボって最上川河口の渡し船に乗り(出羽大橋ができる前のこととて、当時は乗船無料だった)、庄内砂丘の宮野浦側に渡って昼寝していた。これについては昨年 6月 15日付の「授業をサボり、庄内砂丘に寝転がる」という、とても平和な記事にしているので、未読の方はどうぞ。
というわけで、今日の結論は、「廊下に立つのは、決して悪いもんじゃなかった」というごく単純な話で、昨日の記事のような、学校の指導がどうのこうのということとは一線を画すので、そのあたり、なにぶん
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