給食の「完食指導」って、なんだかなあ
東洋経済のサイトに ”同級生の前で「残してごめんなさい」心の傷に・・・ 教師の完食指導で「会食恐怖症」になる子ども達” という記事がある。いやはや、今の世の中でもそんな無茶な指導をする教師がいたのか。
私自身は「給食を食べ残す」なんてことは、ただの一度もなかった。とにかく昼時になったら腹が減ってしょうがないから、どんなに不味くても目をつむってかき込むように食っていた。これについては、「私の早食いは、昔のまずい給食のせいかも」という 2年半前の記事に書いてある。
だから時々、昼休みが終わって教室に戻った時に、どうしても食べきれなかった給食を前に泣きそうになって俯いている女の子なんかがいたりすると、どえらく複雑な気分になった。その子は教師に「全部食べ終えるまでは、席を離れちゃダメ」と命じられていたのだった。
ひどい話だが、こうした給食を食べきれない子への仕打ちを、学校用語では「完食指導」なんて言うらしいと、この記事を読んで初めて知った。「ものは言いよう」とはこのことで、要するに「食うことの無理強い」である。
とにかく小学校というところは「どうでもいい平等主義」があるかと思えば、一方で「露骨な差別主義」もあったりして、本当に居心地が悪かった。この 2つの「合わせ技」みたいなものが、こうしたひどい「完食指導 = 無理強い」である。
私としては給食をどうしても食べきれない子を見る度に、心の中で「あの子に分ける分を少なくして、その分、俺に多くしてくれれば何の問題もないのに」なんて思いながらも、静観するしかなかった。各自の希望によって分ける量を変えるなんて提案したら、「どうでもいい平等主義」に反して大変なことになる。
いやはや、どうしても食べられないで泣きそうになっている子への同情よりも、自分の食欲がビミョー以上に勝ってしまっていたことによる発想という部分もあるので、ちょっとお恥ずかしい昔話だが。
ちなみに、記事には「食べられなかった生徒は、みんなの前で『ごめんなさい』と謝罪させられた」なんていう実例まで紹介されている。私はそれを読んで、啞然としてしまったよ。
食べられなかった生徒に、皆の前で謝まる筋合いなんてまったくない。そんなことで謝られても、まともな感性の生徒なら複雑でイヤな気分になるだけだ。
謝らなければならないのはむしろ、小食な子に無理な量を押しつけてその子を苦しめる(後々まで「会食恐怖症」という後遺症が出たりするというし)だけでなく、クラス全体の雰囲気まで重苦しくしてしまう教師の方だろうよ。
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コメント
3月生まれ、小学生の頃は背の順でいつも一番前のチビでした。
給食の時、食べられず、よく一人残されました。
美味しくなかったせいもありますが……。
小学生低学年での早生まれは、下手すると10ヶ月くらい成長差があるから
そこんところ、先生も分かっててほしかったですねぇ。
今の給食はずっと美味しいはずでしょうが、好き嫌いもあるでしょうしね。
みんなの前で謝らせるっていうのは、許せませんね。
投稿: さくら | 2022年6月 9日 16:54
今時、完食無理強いする教師がいるなんて驚きです。私自身、早生まれだったことと、当時の給食のまずさが原因で、完食推奨は迷惑以外の何物でもなかったです。
その記憶があったので、わが子が小学校入学の際、担任教師に確認したところ、「同学年であっても、食べられる量や、苦手な食べ物はそれぞれなので、完食無理強いなどはしない。」という返事が返って来て安心したものです。これ、何十年も前の話で、子供もとっくに社会人で自分の家庭を持っています。
「勿体ない」意識は大切ですが、教師がそういう形で生徒に強要するのは完全に見当違いです。これ、教師によるハラスメント以外の何物でもないです。
投稿: K.N | 2022年6月 9日 17:41
給食の時間が近づいてくると恐怖を感じる子供がいるという想像ができないのは教師として失格ですよ。
そんな想像ができない人物が教員免許を持ってるのがおかしい。
教育委員会が「完食を無理強いしてはいけない」と一言、校長も一言いえば済む話なんです。
納豆を食べることを拒否して廊下に立たされた人の話を聞いたことがあります。虐待です。
投稿: ハマッコー | 2022年6月 9日 18:34
「残してごめんなさい」
アタクシも酷なことと思います。
中華思想は「もう喰えない」と客に残させるのが、主人の矜持。(あくまで裕福層のことだとは思いますが)
給食、アタクシの頃より格段に進化していて、「お試し給食」に赴いた家内が驚いておりました。アタクシも喰いたかった…。
アタクシ当時の給食は、「化学調味料」全盛期だったこともあり、今では使えない「味付け」もありましたねぇ。
まぁ万年欠食児童然のデブ小学生でしたから、ほかの子のお残しを漁っておりました。
最近は「シェア」って言葉が流通しているんで、サッサと「喰える子喰えない子」でシェアしたら良いやんなぁ。
「ウチのクラスは給食完食」って、これで実現できないかなぁ。
いっぺんその先生を、中華の裕福層で喰わせたれ!(ムリムリ…)
投稿: 乙痴庵 | 2022年6月 9日 18:37
さくら さん:
>給食の時、食べられず、よく一人残されました。
量が多すぎて食べられないっていうんなら、しょうがない話ですよね。どうしてそこまで強要するのか、本当に理解できません。
そんな時、「もっと食べたがってる子に上げていい」というクラスの同意事項があれば、私みたいなのがどんどん食ってあげて、オール・ハッピーになれたはずなんですけどねぇ ^^;)
投稿: tak | 2022年6月 9日 21:27
K.N さん:
このあたり、わかってる学校はちゃんとわかってくれてるんですね。
学校間、あるいは地域間の格差が大きいんでしょうか。本当に何とかしてもらいたい話ですね。
投稿: tak | 2022年6月 9日 21:28
ハマッコー さん:
>教育委員会が「完食を無理強いしてはいけない」と一言、校長も一言いえば済む話なんです。
まったくその通りですよね。
その「一言」をいうのをためらわせるような雰囲気が、どこかにあるんでしょうね。困ったモノです。
投稿: tak | 2022年6月 9日 21:30
乙痴庵 さん:
>最近は「シェア」って言葉が流通しているんで、サッサと「喰える子喰えない子」でシェアしたら良いやんなぁ。
同感です。四方丸く収まりますよね (^o^)
投稿: tak | 2022年6月 9日 21:32
バランスの良い食事が大事で、栄養学の知見に基づいて作られているのでしょうけど、果たしてどうなんでしょうかね。
イチローも本田圭佑も内村航平も、野菜嫌いでほとんど食べません。しかしトップアスリートとなる肉体を作り上げているわけで。
こんな話もあります。
「野菜を1日350g採ろう」とよく言いますが。有史以来人類が一度も食べたことの無いほどの量の野菜を食えと云う現代の栄養学は本当に正しいのだろうか、と。
投稿: らむね | 2022年6月10日 14:00
らむね さん:
フツーの人は、そんなに「バランスがいい」とされる食事を心がけているわけでもないと思います。
私にしても、原則的には「朝は自家製玄麦天然酵母パン、昼はたいてい麺類、夜は玄米食」という単純なローテンションでやってるだけで、おかずの栄養バランスなんて、まともに考えたこともありません。
「玄米、玄麦はおいしいし、あれこれ余計なことを考えなくても済むから、楽じゃん!」って感じです。これで 30年以上病気もせずに健康ですので、「結果が証明してるから、OK!」って感じです (^o^)
>イチローも本田圭佑も内村航平も、野菜嫌いでほとんど食べません。
それを聞くと、率直なところ「野菜を使わない肉だけの料理って、どんなんだろう? ステーキとか焼肉の他は見たことないわ」と思ってしまいます。
肉と野菜の混じったスープとか炒め物でも、肉だけ選り分けて食って野菜は残すんだとしたら、「うわぁ、マメなことで!」と驚くばかりです。(ちなみに、豆は食うのかなあ?)
あるいは「野菜はほとんど食べない」というのは、ニュースになった時点で話が極端化してしまったのだという可能性もあって(よくある話です)、いくら何でも、野菜だけ選り分けて残す手間を惜しまないなんてことではないのかもしれません。
実際には「野菜料理(サラダとか野菜の煮物とか)は食わない」という程度のことなのかも知れず、何とも言えません。それ以上は他人事ですから、考えるだけムダです。
>「野菜を1日350g採ろう」とよく言いますが。有史以来人類が一度も食べたことの無いほどの量の野菜を食えと云う現代の栄養学は本当に正しいのだろうか、
「野菜を1日350g採ろう」というのは知りませんでしたし、「面倒なことを言いなさんなよ」と思うばかりです。
とはいえ、そのくらいの量の野菜なら、時々は 1日どころか、1食で余裕で食べていると思います。(若い頃ほどではありませんが、案外大食なのです ^^;)
量ったことはありませんが、おいしすぎてつい止まらなくなり、ずっしりの野菜を食ったりもしますので、「人類が一度も食べたことの無いほどの量」というわけではないと思いますよ (^o^)
投稿: tak | 2022年6月10日 20:56
「人類が食べたことの無い」というのは個人のことではなく、ある時点での人類(もう少し狭くして民族でもいいですが)の平均摂取量のことです。そしてここには芋類・豆類・きのこ等は含まずですからなかなかの量です。現代のような飽食の時代は稀ですから、カロリーにならない食物を積極的に大量に得るのはさらに難しいでしょうね。
ちなみに350gというのは、厚労省の調査時の日本人平均が280gで、「もっと多く食べて悪いことは無かろう」と350gに決まったのだそうで、栄養や健康面での根拠は無いようです。
付記:本田圭佑じゃなくて中田英寿でした。
投稿: らむね | 2022年6月10日 22:59
らむね さん:
わかりました。ありがとうございます。
いずれにしても 350g という数字にこだわるのは、馬鹿馬鹿しいみたいですね (^o^)
投稿: tak | 2022年6月10日 23:31
>芋・豆・茸抜きで一日350gの野菜
加熱すると意外に楽々食べられます。生野菜だと洗面器山盛り一杯になって到底無理です。芋・豆はノーカウントで、南瓜はカウントされるのが納得出来ないですが。(βカロチンとビタミンEを含むことが理由らしいです。)
ただし、なるべく多種類の野菜を使った加熱料理というのは、野菜の下ごしらえが大変です。私は自分が好きなので、時間がかかっても作りますが、さすがに体調不良時や疲れた時、精神的に辛い時などはサボらせていただきます。野菜ジュース(果汁なし)・人参ジュース・生トマト丸ごと一個とかで。
年を取って、キッチンに立つのがいよいよ辛くなったら「ワタミ」にしようか、なんても考えています。夫には、私が先に逝くから、その時はそのようなサービスを利用するように言ってあります。素材が国産でないことだけが気がかりですが。
投稿: K.N | 2022年6月11日 22:32
K.N さん:
コメント、ありがとうございます。
そういうことだと、私も 350g は楽々食べているみたいですね。
ウチは 3日分ぐらい、鍋に山盛りどっさり作って手間を省いたりしています。
投稿: tak | 2022年6月12日 09:05