「武蔵国」と「相模国」の語源に関する冒険
18日に「湘南」について書いたばかり(参照)だが、今度は Japaaan の "和歌を楽しむ豆知識:相模国にかかる枕詞「さねさし」ってどういう意味なの?" という記事が気になった。「武蔵国」(概ね東京都と埼玉県)と、「相模国」(概ね神奈川県)の語源まで紹介されている。
「さねさし」というのはご存知の通り、「相模国」にかかる枕詞とされる。ただ、この枕詞の使われた歌は、弟橘媛の「さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」という歌ぐらいしか知られておらず、あまり一般的な枕詞ってわけじゃないようなのだ。
これ、古事記の神話に出てくる歌だから、それはもう、いつのこととは特定できないほど遙か昔の話である。その「遙か昔」の時代には、今の埼玉県から神奈川県にかけての地域が「佐斯国(さしのくに)」と呼ばれていたとされる。
で、Japaaan の記事によれば、「さねさし」の「さね」は「実」で、「実に素晴らしい」という意味となり、「さし」は「佐斯国」に由来するので、「実に素晴らしい佐斯国」ということになる。これが転じて、「相模」にかかる枕詞になったというのだ。
そして時代は下り、「佐斯国」のうち、京の都に近い方が「佐斯上(さしがみ)」と言われるようになり、やがて「さがみ(相模)」となった。一方、都から遠い方が「下佐斯(しもさし)」と言われ、「むさし(武蔵)」に転じたという。「へえ!」ってなものである。
ただ、この Japaaan の記事でも「さねさし」の語源は諸説あると、まるで言い訳のように記されている。そもそも「佐斯国」という名称にしてからが、文献資料として残っているわけじゃない。Wikipedia によれば、江戸時代になって、本居宣長が推定として唱えたものということになっている(参照)。
さらに本居宣長自身は、「武蔵」は「身佐斯」(「身」は「主となるところ」)から転じたとしていて、「下佐斯」から転じたとは言っていないようだ。
いずれにしても根拠となるのは本居宣長による推定であって、そしてそれは、上述の古事記に出てくる弟橘媛の歌を元として推定したというのだから、ここで「堂々巡り」に陥ってしまう。いやはや、参ったなあ。
ちなみに、賀茂真淵はまず「身狭(むさ)国」があり、のち「身狭上」と「身狭下」に分かれ、それぞれ相模、武蔵となったとしているようだ(参照)。ここまでくると、ますますややこしくなってしまう。
結局のところいくら本居宣長や賀茂真淵などの大先生の説であったとしても、「ものすごくよくできたファンタジー」と受け取る方が無難のような気がするので、そのあたり
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