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2022年8月に作成された投稿

2022年8月31日

「人工降雨」は英語で "cloud seeding"(雲の種まき)と言うのだね

Gigazine の 8月 29日付に ”干ばつにあえぐ中国がついに「巨大雨降らしドローン」を投入、雨が降りすぎて今度は洪水のリスクが急浮上” というニュースがある。最近の中国は「何でもやり過ぎ」感があるが、人工降雨でもそんなようなことになっているらしい。

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ただ、それよりも興味を引かれてしまったのが、このニュース中で紹介されている ThePrint(インドのデジタル・メディア)の見出しだ。"After cloud-seeding activities in China’s Chongqing, experts warn of possible floods" というのである。

へえ、「人工降雨」って、英語では "cloud-seeding" (雲の種まき)なんて言うのだね。初めて知った言葉だが、個人的にはかなりしっくりきてしまう。ちなみに Wikipedia の「人工降雨」の項目には、次のようにある(参照)。

人工降雨(じんこうこうう、英語:cloud seeding、rainmaking)とは、人工的に雨を降らせる気象制御の一つ。降った雨は人工雨(artificial rain)ともいう。雪を降らせる場合は人工降雪という。cloud seedingは「気象種まき」とも訳される。

なるほど、公式には「雲の種まき」ではなく、「気象種まき」と訳すわけだ。ただ、これでは雰囲気的な「もっともらしさ」はあるものの、具体性には欠けてしまう気がするから、私の中ではやっぱり「雲の種まき」としておきたい。

さらに「雪を降らせる場合は人工降雪」というのは "cloud seeding" では区別できないから、もう一つの言い方の "rainmaiking" を "snowmaking" と言い換えるのだろうね。ただ雨になるか雪になるかは気温次第だから、保証できないだろう。

さらに言えば、私の知っている「人工降雪」というのは、スキー場などで巨大な扇風機みたいなものを使うやつで(参照)、「雲の種まき」とは別の世界の話という気がするのだが、一体どうなっているんだか、よくわからない。Wikipedia も時々テキトーなことを言うことがあるからなあ。

 

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2022年8月30日

「夏休みの宿題」というもの

カーラジオを聞きながらクルマを運転していると、この時期は「リスナーの声」などに、子どもの夏休みの宿題を手伝わされる親のグチというのが多い。親にとって大変なのは、「お絵かき」と「自由研究」のようだ。

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子どもの「お絵かき」がまだできていないというので、学生時代に美術部だったという母親が代わって描いてやったところ、先生にめちゃくちゃ褒められ、あまつさえコンクールで入選して市立美術館に展示されたことがあるという話には笑ってしまった。なんとまあ、同じような体験が複数紹介されている。

高校時代に美術部だった妻によれば、「なまじ絵が得意だと、下手に描くってできないのよね」ということなのだそうだ。私は必死に描いて下の絵ぐらいのものなので、絵の上手な人が羨ましい。

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ちなみに一番上の画像で紹介した tweet は、「ろ過」というテーマで子どもの自由研究を手伝った ほうおん さんという方のもの。文科省の因習的価値感からすると、「あってはならないこと」になってしまっている。

HPを参考に頑張って作ったろ過装置よりも、比較実験として作った「ティッシュを何枚か重ねたもの」のほうが遥かに綺麗にろ過できてしまい、頭を抱えている

「ろ過装置」というものが現役で活躍していた時代には、今のようなティッシュペーパーが存在しなかったから、昔の技術は取り残されてしまったのだろうね。私だったらいっそのこと、「技術の進歩は凄い!」というテーマに切り替えて書いてしまうのに。

それにしても、今どきの小学校の「夏休みの宿題」というのはかなりの負担らしく、親の手を借りるケースが多いようだ(参照)。私は親に手伝ってもらった覚えはないし、自分の子どもにも手を貸さなかったから、信じられない思いである。

夏休みぐらい、遊び呆けて暮らせるようにすればいいのにと思う。思いっきり遊んだ方が、結局は奥の深い勉強になると思うがなあ。ただ、これに関して私は 8年前にちょっと皮肉なことを書いている(参照)。

今の学校は学年の変わり目となる春休みでも宿題が出るらしいから、何とも世知辛い世の中だ。

 

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2022年8月29日

高齢者にスマホの使い方を教えようとして「詰んだ」話

Togetter に「親に LINE の使い方を教えようとしたけど、UI の意味から伝わらなくて詰んでしまった話」というのがある。「こうした層はどうやって生まれるのか」と、疑問を投げかけているが、こればかりは「生まれる」というより「自分の生まれる前からいた」んだから、どうしようもないよね。

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この人の親は、スマホを持っていて、一応最低限は使いこなしているのだろう。ところが LINE の使い方となると、そもそも UI (ユーザー・インターフェイス)のレベルからして、さっぱり理解できなかったようなのだ。

先日、私より 5つ上(つまり 75歳)の関係者から「手書きの資料を送るから、FAX 番号教えて」と電話が入った。しかし我が家では長らく使っていない固定電話は今年になって解約してしまい(参照)、当然 FAX の受発信もできないので、「文面をスマホ写真に撮って、メールで送ってください」と頼んだ。

正直言って「手書き」と聞いただけでうんざりなのだが、彼はメールはフツーにできるので、いわゆる「写メ」を送るぐらいのことは問題ないと思ったのだ。

しかし、待てど暮らせどその「写メ」が届かない。しびれを切らして電話してみると、彼は「写真は撮ったけど、どうしても送れない。やり方がわからない」と言うのである。これには驚いた。

操作を教えるために彼のスマホの機種を確認しようとしたが、これも要領を得ない。「リンゴのマークがある」というのでやっと iPhone と判明し、一から説明したのだがどうしても通じない。彼にとっては iPhone と Android の違いも UI も、「自分とは無関係の遠い世界」でしかないのだ。

この時は「至急案件」だったので郵送というわけにもいかず、仕方なくクルマで片道 1時間の道を飛ばして、直接受け取りに行ってしまった。まったく 21世紀の世の中とも思われない。

高齢者にスマホの使い方を教えようとして「詰んで」しまうというのは、実はこのように、珍しい話でも何でもないのである。

 

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2022年8月28日

「男の日傘」、実はまだ一度も試していない

先月 3日、"「男の日傘」を巡る冒険" という記事の中で、「男の日傘」は暑さをかなり防ぐことができそうなので、是非試してみたいというようなことを書いた。「その機会に恵まれたら、このブログで報告する」という意気込みまで示している。

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その記事を読んだ方にしてみれば「この夏は暑さが半端なく続いたから、tak-shonai は既に何度も日傘をさして街を歩いたことだろう」と思っておいでかもしれないが、ここで白状させてもらうと、実はまだ一度も試していない。お恥ずかしいことに、「口ばっかり!」という経過だ。

「男の日傘」を急に恥ずかしく思い始めたというわけでは決してない。それどころか、日傘をさす意欲は今でも満々なのである。ただ、いかんせん、その機会に恵まれないのだ。

私の住む茨城県のつくば周辺は「関東の大田舎」で、典型的な「クルマ社会」である。どこに行くにもクルマで行って、駐車場に停めたらさっさと屋内に飛び込めばいいので、日傘をさすチャンスがないのである。

とはいえ、用事があって都内にでかけたり、遠くに出張に出たりしたら、日傘をさす機会はいくらでもあったはずだ。ところが今年の夏は「コロナ第七波」とやらでそうした機会がなくなり、すべてインターネットを使った「リモート会議」や「ネット・ミーティング」で済んでしまった。

屋外である程度の時間を過ごすというのは、運動のために自転車に乗るというような時(早朝が多い)だから、日傘とは縁がない。ちなみにこの辺りでは、日傘を差してママチャリに乗るという信じられないオバサンをよく見かけるが、決して真似しないようにね。

そんなわけで、「男の日傘」という世界にはまだ足を踏み入れていない私なのである。今日は妙に涼しいが、この先は秋になっても陽射しの強いときがあるだろうから、コロナ禍が収まってあちこち出かけるようになったら、滑り込み的に試す機会はあるかもしれないので、その際は

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2022年8月27日

「ツクツクホウシ・・・、暑いよ〜」という聞きなし感覚

ツクツクホウシという名のセミがいる。「ツクツクホウシ、ツクツクホウシ・・・」という独特の鳴き方は、夏後半の風物詩である。

ところでこのセミの鳴き方って、一般的には「ツクツクホウシ、ツクツクホウシ・・・」の部分しか認知されていないようだが、よく聞いていると、しばらくそう鳴き続けるうちに根気が続かなくなり、ついにカンでしまう。おもしろいもので、必ずカンでしまうのだ。

で、その後の鳴き声といえば私は子どもの頃から、セミがカンでしまったのをごまかすために「暑いよ〜、暑いよ〜」とトボけているように聞きなしていた。上の動画の音声を聞いていただきたい。動画開始 21秒後と 56秒後でカンで、そこから先は確かに「暑いよ〜、暑いよ〜」に聞こえるはずだ。

ところがつい先日、何気なく「ツクツクホウシ 暑いよ」のキーワードでググってみたところ、なんと、そう聞こえるという記述が全然見当たらない。私はこの年まで、多くの人が同じように聞きなしていると思い込んできたので、「自分だけだったのか!」と、ショックを受けてしまった。

個人的には昔から、旧盆過ぎの残暑の中でツクツクホウシの声が聞こえ、「暑いよ〜、暑いよ〜」にさしかかると、心の中で「そうだね。確かに暑いけど、もう少しの辛抱だね」なんて呟き、セミと心が通じ合えたような気分になっていたものなのである。これはなかなか風流な感覚だ。

ところが今年の夏は、なにしろこの暑さである。汗だくでバテバテになりかけていたので、セミと心を通じ合わせるなんて風流はとんと忘れてしまっていた。

「ツクツクホウシ、ツクツクホウシ・・・、暑いよ〜、暑いよ〜」の鳴き声が聞こえてくると、「やかましい! クソ暑いのは、今さらお前に言われなくてもわかってるわい。黙ってろ!」なんて八つ当たりしていたのである。いやはや、セミには申し訳ないことだった。私もまだまだ修行が足りない。

しかし今週あたりからようやく猛暑が峠を越えたようで、ツクツクホウシの声を聞いてもムカつかなくなった。これからしばらくは辛うじて、いつもの年の風流感覚を取り戻すことができそうである。

【備考】

聞きなし」というのは、ウグイスの声を「ホ—ホケキョ(法華経)」、ホトトギスの声を「テッペンカケタカ」などと聞くようなことで、バードウォッチングの世界では一般的な言葉らしい。だったら、ツクツクホウシの鳴き声も「ツクツクホウシ」に「暑いよ〜」をくっつけて聞きなすのが正解じゃなかろうか。

 

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2022年8月26日

今シーズンのセリーグ順位表に、ちょっとびっくり

私は野球というスポーツにあまり興味がないので、とくに最近はプロ野球中継なんて見も聞きもしないし、それに関するニュースにも興味を払っていない。それで、今シーズンの巨人が 4位に低迷している(8月 24日時点)という事実を、昨日初めて知った。

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「奢れる者は久しからず」というが、8月下旬の時期に 4位という成績で、しかも 5位の広島に 0.5 ゲーム差と迫られているのだからびっくりだ。あの巨人が阪神よりも下位にいるというのだから、これはちょっとしたニュースである。ただ、どちらも勝率 5割に達していないのだが。

ちなみに仕事で大阪方面に行ったりすると、阪神ファンの多いことに驚く。昔よく一緒に組んで仕事をしていた大阪人は、「僕の『トラキチ』は、父の代からのタチの悪い遺伝病ですわ」なんて言っていた。

「関西の風土病かと思ってた」と言うと、「いやいや、4年間東京の大学に通って転地療法になるかと思ったんですが、全然アカンかったから、やっぱり遺伝性疾患でしょう」と、やたら当意即妙の答えが返ってくる。さすが大阪人である。

ところが世の中の巨人ファンというのはそこまで悟りを開いていることが稀で、「巨人が負けた翌日は機嫌が悪い」なんていうゴーマンなタイプも少なくない。この際せっかくだから、阪神ファンが既に到達して久しい高い境地を学んでもらいたいものだ。

そういえばこの関連で、阪神が優勝した 2003年に "今年の阪神の 「かわい気のない強さ」" という記事を書いている。この年は阪神があまりにも勝ちすぎたので、トラキチたちとしてもどうやって酒を飲めばいいかわからなかったようなのだ。

ということは今年は巨人ファンの方が、逆の意味で酒の飲み方に戸惑ってしまっているだろう。まあ、コロナ禍で寄り集まっての飲み会が少なくなっているから、何とかもっているのかもしれない。

関東で阪神ファンの境地にやや近いのは、強いて言えばヤクルト・ファンだが、彼らには妙なねじれや鬱屈がない。今シーズンみたいに強い時には割と素直に、しかも穏やかに喜ぶ傾向があるので始末がいい。

ただ、これとは別にちょっと気持ちの悪いのは、ヤクルトが優勝した時に限って「自分は東京生まれだから、実は元々ヤクルト・ファンなんだ」なんて言い出す「便乗ファン」が登場することである。今年もきっと出てくるだろう。

彼ら、ヤクルトの弱いシーズンには完全に日和ってるくせにね。

【備考】

「日和る」(ヒヨる)は「日和見主義」の動詞形みたいなスラングで、あまりいい意味ではない。1970年代はよく使われたが、今の若い人は馴染みがないかもしれないので、念のため。

 

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2022年8月25日

これくらいの仕打ちは、甘んじて受けてもらおう

くらりす さんという方が「優先席で寝てる男の人に腹が立ったサラリーマンが、電車停車した隙に片方のサンダルをホームに置いてきたところみて笑った」(#総武線)と tweet しておいでだ。今朝 8時 30分の時点で 7.5万件の「いいね」が付いていて、その中には、不肖私の分も含まれる。

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そう言えば私もかなり前に、ちょっと混雑した常磐線電車の優先席を占領して寝そべっているサラリーマン風のオッサンを見かけてムカついたことがある。この時はそいつの靴が既に人混みの中に紛れかけていたので、ならばいっそのことと思い、さらに離れたところまで蹴飛ばしておいたんだった。

この tweet のケースは写真を見る限り、さほど混雑しているとも思われない車両でわざわざ優先席を占領して寝てたんだから、夜通し働いたんだか、飲んでたんだか知らないが、どちらにしても無神経にもほどがある。安物サンダルの片方失うぐらいの報いは、甘んじて受けてもらおう。

さらにこの tweet、モザイクなしの写真を晒しているという点でも「相当ムカついた!」感が伝わり、その気持ちよくわかる。ちなみに拡大すると、こんな顔のヤツだ。

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この時節にわざわざ優先席でマスクずらして眠りこけてたんだから、言わばこれも自己責任である。しばらくの間、総武線に乗る時には大きめのマスクでしっかり顔を隠し続けといてもらおう。

いやはやそれにしても、今日は論調がちょっと厳しすぎたかな?

 

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2022年8月24日

見た目が若いと、老け始めたら早いらしい

ほぼ毎日訪問して読んでいるブログに『駅前糸脈』というのがある。開業医の先生のものだが、昨日付で「外見年齢」という記事がある。30年も同じところで開業しておいでなので、それぞれの患者さんの「見た目」の変化がよくわかるのだそうだ。

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この記事の中に、「見た目の若い人は同じ年齢でも脳力身体力内蔵機能も若いことが多い」という記述がある。かく言う私も「見た目」に関しては実年齢よりかなり若いようで、「脳力身体力内蔵機能」に関しても確かにほとんど問題なく暮らしている。

ここ 30年ぐらい病気らしい病気をしたことがなく、このブログを 18年以上毎日更新し続けているということでも、それは証明されていると思う。ただ、「外見年齢」の記事にはこの後に「見た目の若い人は一端老け始めると早い傾向がある」という、気になる記述がある。

いやはや、それじゃあ私なんかも、老け始めたらどんどん老けるということなんだろうか。それならそれで、あと 10年ぐらい経って 80歳を過ぎたらどんどん老け始め、さっさと死期に近付くということならありがたい。プロのお医者さんにそのお墨付きを得たような気がしている。

いずれにしても、元気なうちは思い切り元気に生きて、衰えた後はさっさとあの世に行きたいと思っているので、家族には「何かあっても、下手な延命治療なんかしないように」と言ってある。

ただ、老け始めるのが遅かったりしたら、やたら長く生きなければならないのかなあ。

 

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2022年8月23日

Zoom の業績低迷による「とばっちり」?

REUTERS が「米ズーム、通気売上高・利益見通しを下方修正 需要低迷で」というニュースを伝えている。「新型コロナウイルス禍で高まった需要が鈍化しており、株価は引け後の時間外取引で7%超下落した」ということのようだ。

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Zoom の株価が多少下落しようと、そんなのはこちらの知ったことではない。ところがこの低迷による「とばっちり」みたいな影響が既に現れているようなので、ちょっと厄介なことになっている。

先日、仕事で Zoom を使い、遠隔地の関係者とミーティングをしていた時、話の途中で回線がストンと落ちてしまった。すぐに新たなミーティングを設定して再開したので事なきを得たが、ちょっと慌ててしまった。

後で調べてみると、この原因は、Zoom が今年 6月 17日に実施した「無料アカウントでのミーティングの時間制限の変更」だったようだ。以前は私の無料アカウントでも「1 対 1 」のミーティングは「時間無制限」だったが、この変更により「40分」という時間制限が設けられたようなのである。

私の場合、自分でやるのはほとんど 「1 対 1 」のミーティング(多人数での会議は、その主催者の有料アカウントで行われるものに参加するのみ)なので、これまでは無料アカウントで十分だったわけだ。

しかし状況が変わってしまった以上、考え直さなければならない。年に数回程度の「40分じゃ済まない 1 対 1 ミーティング」をするためだけに Zoom に年額 20,100円(参照)というアカウント料を払ったら、1回当たりのコストが数千円という馬鹿馬鹿しいことになってしまう。

さしあたり別のシステムを使うほかないだろう。真っ先に思いつくのが LINE だが、私は前にも書いたように(参照 1参照 2)、LINE は好きじゃない。これでオンライン・ミーティングしようとすると「友達登録」なんてことをしなければならないというのも、何だか億劫である。

ならばと、Zoom と LINE 以外でも、リモート会議のできるシステムはないかと調べてみたところ、いくつかはある(参照)ようなのだが、あまり一般的じゃない。Skype でも リモート会議ができるなんて初めて知ったが、相手によっては戸惑ってしまうこともあるだろう。

というわけで、当面は嫌いな LINE でやるしかないのかなあ。

Zoom としては拙速に「取れるところから取っちまおう」と考えたために、既存ユーザーを他のシステムに流出させる結果になってしまっていると気付かなければならないだろうね。

 

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2022年8月22日

米国人の「妙な裏表」(本音と建前)

山口慶明さんという方の「アメリカ人の報告を直訳すると酷い目に合います… 正確な訳を教えましょう」という tweet が話題だ。ざっと下の画像のようなもので、なるほど、よく言えてる。

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米国人が "Perfect!" と言ってきても「完璧です!」という意味じゃなくて、実はせいぜい「大きな問題はない」程度のことであり、同様に "No problem!" も「問題ない」じゃなく「多分イケそう」ぐらいに受け取っておけばいいというのは、彼らとのビジネスをしている人間にとってはちょっとした実感だろう。

私は幸運なことに、”Should be OK!”(実は "OK" じゃなく、「まずいです」というニュアンス)というような言葉を額面通り受け取って痛い目にあったことはないが、それに類した経験は何度かある。

その昔、会社勤めをしていた頃、米国の関係先から ”We have a little issue." みたいなことを言ってきたことがある。初めは「ちょっと手間がかかるのね」ぐらいに思っていたら、しばらくして実は「ちょっとヤバいっす」ってなことだわかり、「おいおい!」となった。

その後、米国の別のエージェントからのビジネス・レターで、"I found some problems." (直訳だと「ちょっと問題あり」)的な表現をされたこともある。それを上司に伝えると、彼は「それなら、解決するよう十分に努力してくれ」という返事を書けと指示してきたのだった。

私は前のことで痛い目に合ったおかげで、先方のココロは「この件については諦めてくれ」ということなのだろうと読めるぐらいに成長していたので、「そんなこと言っても、いずれダメと思いますよ」と釘を刺しておいた。で、この案件は読み通り、ウヤムヤのうちに流れてしまった。

日本人は褒められると「いえいえ、それほどでも・・・」と控えめに謙遜するが、米国人は臆面もなく楽観的な方向に謙遜(これ、妙な言い方だが)する傾向があるので、本当に油断がならない。

それと同じように、米国人に自分の仕事結果を、"Perfect!" (直訳なら「完璧だよ!」)の一言で褒められても、決して舞い上がらず、「まあ、悪くないね」程度のことと受け取っておく方がいい。彼らが本当に「完璧」と思うなら、もっと具体的な点を挙げてまで「感に堪えない」というほど褒めてくれる。

よく言われるのは、日本人には「裏と表」があるから信じられないということだが、米国人にも「裏と表」は十分にある。ただ、彼ら自身がそう認識していないだけだ。

米国人の「裏と表」って、"compliment" (社交辞令)とか "negotiation" (交渉術)とかいう感覚の延長なのかもしれない。そう言えばこれについて、16年ほど前(もう大昔だね)に「本音と建前の使い方」というタイトルで書いたことがあるのを思い出した。

 

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2022年8月21日

国税庁的には「サケビバ」(sakebiba)なんだそうだ

当ブログでは今月 12日に "酒から遠離る「ソバーキュリアス」というコンセプト" という記事を書いたばかりだが、一方で国税庁は "日本産酒類の振興・発展を考えるビジネスコンテスト 〜サケビバ!〜」" というのを実施中なんだそうだ。要するに、若者の飲酒促進キャンペーンである。

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これ、一般から募集した国産酒類消費促進策をコンテストにかけ、入選作をさらにブラッシュアップして、実際のプロモーションにもっていこうということらしい。上の画像がそのキャンペーン・サイトのトップページの画像だが、どうするとこんなおいしくなさそうなデザインにできるのか、不思議だよね。

さらに "sakebiba.jp" という URL が笑っちゃうほどダサい。「叫び場」じゃあるまいし、「フツー、"sakeviva" でしょ」と言いたくなってしまうじゃないか。

Facebook にお酒プロモーション、”Sakeviva” (正体不明)というのがあるので、カブらないための配慮なのかもしれないが、もしそうだとしたら「サケビバ!」という元々のネーミングからして避けるべきだよね。あるいは国税庁のエラいさんが「サケビバ!」を気に入って、頑として譲らなかったのかなあ。

いずれにしても若者向け飲酒キャンペーンを国が主導するなんていうのは、国際常識的にはあり得ないことである。政府機関が "Sake Viva!"(酒、万歳!)なんて名前のプロモーションをすると聞いたら、フツーの反応では「えっ、ウソでしょ!」ってことになるはずだ。

下の画像 2枚は、BBC と New York Times のこの件に触れたニュースへのリンクだが、いずれも「日本は経済成長のため、若者がもっと酒を飲むように煽っている」という書き方になっている。ストレートではないが、「日本、ついに焼きが回っちゃったか ⁉」という感覚が伝わってくる記事だ。

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(8月 22日 追記)
この記事は日本語になっていると、後で知った。こちらをどうぞ。

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こんなような取り上げ方をされるのも仕方のないお話で、要するに元々からして、かなり聞こえの悪い話なのである。お役人たちはそれを理解できなかったようで、日本はどこまで行っても「東洋の神秘の国」なのだね。

【2022年 8月 22日 追記】

記事中で「Facebook にお酒プロモーション、”Sakeviva” (正体不明)というのがあるので・・・」と紹介しているが、この "Sakeviva" という Fadebook ページには「連絡先」として "http://jo-jima.com/ec/sake/blog/" というのが記されている。

ただ「正体不明」と但し書きを付けた通り、これをクリックしても「くるりんぱ」というサイトに飛んで「お探しの記事が見つかりませんでした」と表示されるばかりだ。で、この「くるりんぱ」というのもまた「正体不明」で、アヤシ過ぎる。

私としては、この記事のコメントにも出てきた「株式会社パソナ農援隊」というのが関係していて、この会社が今回、この名前のプロモーションを国税庁にもちかけ、自ら事業運営事務局として収まって利益を得てるんじゃないかとまで疑がい始めている。(そうじゃなかったら、ごめんなさい)

とにかく、この「サケビバ」周辺、なんだかきな臭い。Facebook の "Sakeviva" は 2016年 7月 5日にスタートしているが、2018年 4月 24日以来更新が途絶えていて、そのうち削除される可能性もあるので、一応 こちら に魚拓を取っておいた。

それから、どうでもいい話だけど、BBC の記事に使われてる写真、いかにも日本人らしい「吊り目」のモデルをしっかりと選んでるよね。

 

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2022年8月20日

白米は「研ぐ」が、玄米は「洗う」で十分

All About News に ”お米はなぜ「洗う」ではなく「研ぐ」と言うの? 研がずに炊いたらどうなる?【グルメライターが徹底解説】” という記事がある。グルメライターの田窪綾さんという方によるものだ。

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まず「研ぐ」というのは、単に「洗う」のではなく、「お米同士を “こすり合わせる” ように洗うことをいいます」と書かれている。このくらいのことは、まあ、誰でもわかってるよね。なんで「こすり合わせる」ことが必要なのかというと、白米の表面の「糠層」を取り除くためだという。

昔の精米技術では、糠をきれいに取り除くことが難しく、表面にたっぷり残っていたため、これを取り除くために「研ぐ」必要があった。しかし最近の米は精米技術の発達のおけげで糠がほとんど残っていないので、そんなに念入りに「研ぐ」必要はなくなり、以下のようなことになっている。

お米の表面にうっすら残る粘着質な「肌糠(はだぬか)」を取り除くために「優しく研ぐ」。そして、軽いホコリなどを取りのぞく程度に「軽く洗う」を組み合わせるのがおすすめです。

なるほど、そんなわけで最近の若い人の中には「米を洗う」なんて言う人も多くなっているわけだ。「研ぐ」という感覚からは遠くなっているからね。

ちなみに「無洗米」をまったく洗いも研ぎもせず、最初に浸した水だけで炊くと、表面に僅かに残った糠の臭いが消えないまま炊き上がると書かれている。ただそれは、好きな人にとっては「風味」なのだと思うけどね。

我が家では 50年近く前から玄米食なので、米を「研ぐ」という行為から遠離って久しい。まあ、玄米は研いだぐらいで白米になったりはしないが、いずれにしても「軽く洗う」程度で十分だ。

玄米を炊くには 30年前ぐらいまでは「圧力鍋」を使っていたが、その後に「鉄釜」に移行し、現在は高性能の電気釜を使っている。「玄米モード」というのがあって、これで炊くと玄米にありがちな「ポロポロ感」がまったくなく、驚くほどふっくらとおいしく炊き上がる。さすが文明の利器だ。

というわけで私はだいぶ前から、白米のメシを食うと「物足りなさ」みたいなものを感じるカラダになってしまっている。何だか「甲斐のないもの」を口に入れている気がしてしまうのだよ。

玄米食は米の本来持つ栄養を無駄なく摂取できるし、それに何よりちゃんとおいしいから、オススメしておきたい。もっとも、ピカピカの「銀シャリ」でなきゃ気が済まないという人までムリにとは言わないが。

 

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2022年8月19日

昨日、夫婦揃って 4回目のワクチン接種をしたが

昨日の午後、夫婦揃って 4回目の新型コロナ・ワクチン接種をしてきた。我々は二人ともこのワクチンに強い体質らしく、目立った副反応はこれまでまったくない。今回も前の 3回と同様、腕を上げ下げした時に、注射した部分が少しだけ痛いという程度で済んでいて、それも明日には消えるだろう。

しかし世の中では、重い副反応も報告されている。上のビデオは今年 6月 9日に ANN ニュースで放映されたものだが、昨年 5月の接種以来強い副反応に悩んでいる佐藤さん(仮名)の例である。1年以上にわたるというのだから、なかなか大変なことだろう。

知人の中でも、ワクチン接種後に寝込んでしまったというような例は珍しくない。1日だけならまだいいが、3日間寝込んだという人も、身近に 3人いる。

妻の従姉妹も、3回目の接種の後に熱が出て体がダルくなるという経験をした。今はほとんど問題なく暮らしているが、それでも完全に元通りとは言えない状態だという。そのため 4回目の接種は見合わせるつもりのようだ。

国としてはワクチン接種後に副反応が生じるリスクよりも、感染拡大を抑えたり、軽症で済ませることができるというメリットの方が大きいという見解のようだ。しかしそれは全体的な視野による判断であり、重い副反応を生じている個々の人たちにとっては、また別の問題になるだろう。

未確認とはいえ、ワクチン接種は回を追う毎に効き目が弱くなるというような報告もあり、今後延々と続けなければならないことになったら、私としても考えなければならないだろう。究極的には、この感染症の流行が早く終息することを祈るしかない。

 

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2022年8月18日

地方百貨店は、存在し続けるだけで苦しい

北海道新聞が "「百貨店ゼロ県」の山形 老舗閉店から2年の今は" という記事を伝えている。北海道資本最後の百貨店、帯広市の藤丸が来年 1月末で閉店することになったため、2020年に日本初の「百貨店ゼロ」となっていた山形県を、モデルケースとして取材したらしい。

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藤丸が閉じると北海道の百貨店は、札幌の大丸、東急、丸井今井、三越、函館の丸井今井だけとなり、これらはすべて北海道外の資本である。函館にはテーオーデパート、シエスタ函館などがあるものの、百貨店協会に加盟しておらず、「百貨店」として認められていない。

いずれにしても地方百貨店は、存在し続けるだけで苦しいのである。

ちなみに山形県では、わが故郷の酒田市に「マリーン 5 清水屋」という「百貨店」があったが、1994年に百貨店協会を離脱していたので、2020年時点で「百貨店ゼロ県」の烙印を押されていた。そしてその清水屋も昨年初めに倒産し、今は「名実ともに百貨店ゼロ県」となって、苦しみから解放されている。

Business Journal の 2020年 10月 23日付に「次の “百貨店ゼロ県” 予備軍・14県…徳島もゼロに」という記事があり、この年の 8月に日本で 2番目の「百貨店ゼロ県」となった徳島県の状況を伝えている。

この記事では、百貨店が 1つしかない「“百貨店ゼロ県” 予備軍」が 14県もあると紹介されている。私の住む茨城県も「百貨店が 1店のみ」(水戸市の京成百貨店)ということで、「予備軍」の中に入れられているが、それで不便を感じることなんてない。

茨城県南地域では、どうしても百貨店で買い物したいという人は、東京都内に行くことになる。常磐線の途中の柏市に高島屋、西武丸井などがあるにはあるが、そこで途中下車なんてほとんどしない。こんなわけだから、地方百貨店が苦しいのは当然だ。

私はこれまで百貨店に関して、次のような否定的な記事を書いている。

百貨店は付き合いきれない業界  (2016年 10月 3日付)
百貨店という業態は、既にオワコン (2017年 3月 7日付)
閉店、撤退の続く百貨店業界 (2018年 9月 29日付)
まともにものを考える人間は、百貨店で服なんて買わない (2020年 10月 15日付)

これらの記事で、私の百貨店に関する考えはほとんど述べてあるので、今さら繰り返すことはしない。とにかく百貨店というのは、かなり前からフツーの人間にはとくに必要のない業態になったのだと思っている。

どうしても必要だという少数派のためには、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、博多のほか、金沢、広島あたりにちょこちょこっとあれば済むだろう。百貨店での買い物なんて、多くてもせいぜい年に数回程度だろうから、それだけあれば十分だ。

それで足りないという大金持ちなら「外商」という手があるし。

 

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2022年8月17日

『すずめの学校』と『めだかの学校』

『すずめの学校』 という童謡がある。あの「ちいちいぱっぱ、ちいぱっぱ」で始まるやつだが、「すずめの学校の先生は むちを振り振り ちいぱっぱ」という歌詞のせいで「軍国主義的」な歌とする見方があるのだと、つい最近知った。

私個人としては、この歌の「むち」というのは「指揮棒」代わりぐらいに思っていたのだが、ググってみると、マジで生徒のすずめをシバくためのもので、「全体主義的な歌」などと語っているページが結構多い。Wikipedia でもこんなふうに紹介されている。

雀の先生がムチを振るって命令し、生徒の雀は自己思想を禁じ国策に向かって突き進む事を歌っているとされ、雀のたった1つの鳴き声である「チイパッパ」を比喩的表現として、全ての日本国民が1つの言葉を胸に日本国を守ろうとすることも同時に歌ってあり帝国主義的な表現を含めて描いているという見方があるが、それに否定的な見方もある。

いやはや、正直なところ驚いた。まあ、戦前に作られた歌でもあるから、そのあたりは無意識のうちにも入っていたのかもしれないが、「深読み」というのは、なかなかスゴいものである。

それとは対照的に『めだかの学校』の方は、かなり好意的な紹介が多い。戦後に作られた歌だけに、先生と生徒が区別されず、平等な立場が説かれているというのである。なるほど、そう言われてみればそんな気がしないでもないが、いずれにしてもステレオタイプだよね。

とにかく二曲とも「童謡」であって「文部省唱歌」ではないから、教育現場で「強制的に歌わされていた」というものではない。そんなこともあって、私としては「テキトーに楽しんでおく方が、精神衛生にいいかも」程度に思っている。

多くの日本人が抱くイメージはどんなものかと思い、試しに「すずめの学校」で画像検索してみたところ「雀の学校」「雀の卵」というお菓子がやたら多くて、童謡に関したものでは、こんなようなのが見つかった。いずれも「帝国主義的表現」からはほど遠い気がして、少し安心した次第である。

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ただ、中に 1つだけ強烈なのが見つかった。歌イメージ加工合成写真 番外編 (すずめの学校) というもので、こんな感じである。

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ただこれは、「だから! 違うって」というキャプションからもうかがわれるように、もろに「帝国主義的解釈」のパロディである。

そしてこれを取り上げた翆野大地さん(鳥の生態に詳しいらしい)という方も、冷静な目で、「メダカはただ群れているだけで、実際にはスズメの方が、生き抜くために教えを請うています 」とおっしゃっている(参照)。「スズメの学校」は、スズメにとって必要なことのようなのである。

とはいえ、この童謡をどう捉えるかは本当に人それぞれで、つい自分の考えの方に引き寄せて解釈しちゃうのだよね。面倒くさいのは、実はスズメより人間の方である。

 

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2022年8月16日

Siri の「カタカナ英語」聞き取り能力、格段に向上!

2019年 5月 7日に「Siri で遊ぶ」という記事を書いている。Siri というのは、iPhone などに言葉で話しかけていろいろな操作ができる機能なのだが、この日は、日本語モードに設定された Siri に、つい英語で話しかけたところ、トンチンカンな応答をされたのがきっかけで、いろいろ遊んでみたのだった。

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この記事では、朝に目覚めた時に Apple Watch が見当たらなかったので、寝ぼけ気味で iPhone の Siri に頼んで探してもらったのだが、そのいきさつをこんな風に書いている。

そもそも ”Hey Siri” と話しかけたのがきっかけなものだから、ついその勢いで "Could you tell me where my Apple Watch is?" (私のアップルウォッチがどこにあるか教えてくれない?) と英語で聞いてしまった。

ところが、日本語モードの Siri は英語が聞き取れないようで、こんな風なトンチンカンな応答だった。

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どうやら "Could you..." が 「90」に、"where my apple watch is" が「山家(やまいえ)ポワチエ」に聞こえたようで、先月 17日の「 英語に親しむための、今どきの情報」の、"girl" が「ぐおー、"bottle" が「ばーろー」、"train" が「ちゅえいん」に聞こえるというようなことなのだろう。

驚いて Siri の設定を英語モードに切り替えて同様に聞いてみると、今度は何の問題もなく ”It's nearby." (そばにあるわよ)と、ベッドの下に落ちていた Apple Watch から音を出してくれたのだった。

この時はさらに遊びついでに、英語モードのままの Siri に、試しに思いっきりカタカナ英語で話しかけてみたのである。すると、こんな風なことになった。

モロにカタカナ英語で「クドゥユーテルミー、ホエアマイアップルウォッチイズ?」と聞いてみると、彼女には "Do you turn on me who am i" と聞こえちゃったらしく、「私は誰?」みたいなタイトルの映画を 5本提示して、”Which one?" (どれのこと?)と聞いてきた。

というわけで、3年前の英語モードの Siri は、日本人のカタカナ英語をまともに聞き取ることができなかったのである。ところが、「最近の Siri はカタカナ英語をかなり理解する」という噂を聞いたので、昨日の午後に「どれどれ」と試してみた。

3年前とまったく同じく 「クドゥユーテルミー、ホエアマイアップルウォッチイズ?」と質問してみると、なんと、今度はしっかりと通じてしまったのである。名前は同じ "Siri" でも、実体はほとんど別人だ。

その時の応答が、この記事の一番上にある画像である・"Looking for your Apple Watch..." (今、あなたの Apple Watch を探してるわ...)と応えた途端に、すぐに見つかったらしく "It' nearby. Pinging your Apple Watch now..." (そばにあるわ。今鳴らしてみるわね)と言ってくれたのだった。

Apple としては、日本市場が iPhone のマーケットとして非常に重要と認識しているので、日本人特有のカタカナ英語識別力まで向上させてくれたのだとしか考えられない。やっぱり「お得意様」には特別の便宜を図ってくれるようだ。

ただ、日本市場を大切にするなら、別に「カタカナ英語」を理解しなくても、日本語モードを充実させればいいだけの話とも思われるのだが、そのあたりの事情は、よくわからない。

ちなみに、2020年 5月 5日付の東洋経済 ONLINE に ”英語の発音矯正に役立つ「Siri」の意外な活用法” という記事があるが、この視点からすると、これは「進化」ではなく、余計なことによる「劣化」ということになるだろうね。カタカナ英語の発音矯正には、ちっとも役立たなくなったのだから。

 

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2022年8月15日

「同じ 38℃」でも、気温と湯温で感じ方の違うのは?

先月 28日にヨーロッパの軒並み 40度以上という熱波に関して、「45度なんて、風呂でもアツ過ぎて耐えられない」という記事を書いた。この時は密かに「うぅむ、このタイトルはツッコミどころあるかも」と思いつつ、つい「えいや!」 でこのまま行ってしまったわけである。

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それで今でも「風呂の湯温と気温では、感じ方がかなり違うよね」と、忸怩たる思いが残っているわけなのだ。ところが何と、この問題を愛知県刈谷市の中学生たちがまともに掘り下げてレポートしているのを見つけてしまった。

タイトルはまさに「38℃の日は暑いのに38℃の風呂に入ると熱くないのはなぜか」というもので、これでしっかりと、第 43回自然科学観察コンクール(シゼコン)の文部大臣奨励賞を受賞している。しかもこのコンクール、昨年が 第 62回目というのだから、20年も前の話じゃないか。

これは確かに、とても不思議な問題である。きちんと理窟立てて説明するのは、かなり難しそうだが、それを中学生たちがやってしまったのだから、なかなかのものではないか。

ネット上に掲載されている研究発表を読んでみると、どうやら「外部温」(周囲の温度)、「皮膚温」(体表面の温度)、「深部温」(体の内部の温度)というのがポイントのようなのである。中学生たちはこの「深部温」というのをオムロン耳式体温計“けんおんくん” で測定している。

まず、38℃ の風呂に入った場合、瞬間的には温かく感じる。そして皮膚温がすぐに湯温の 38℃まで上昇するが、深部温との差が小さいことに加え、幼い頃から慣れてきた 40℃ ほどの湯温との違いもあって、ぬるく感じるのだと結論づけられている。

一方、38℃ という気温の部屋に入ると、皮膚温は風呂の場合よりゆっくりと上昇して 8分くらいで 36℃ ほどになるが、やがて発汗効果により下がり始め、34℃~35℃ で安定する。その結果、直接接し合う外部温と皮膚温の間に、3〜4℃ほどの差が生じる。

つまり「同じ 38℃ という温度」でも、風呂の場合は、湯温、皮膚温、深部温の差が小さいが、38℃ という気温の中にいると、外部温と皮膚温の差が風呂の場合より明らかに大きい。そのために異なった感覚になるというのだ。なるほど、なるほど。納得である。

ただ気温の場合は、38℃ まで上がらなくても 30℃ ぐらいで十分暑く感じるのだが、そこにはやはり、22℃ ぐらいの気温を「快適」と感じる人体の「つくり」ということもあるのだろう。さらに「高湿度」という要素も加わると、汗の蒸発による冷却機能も落ちるので、ムチャクチャに不快と感じるわけだ。

猛暑日に長時間にわたって炎天下にいたりすると、体温そのものも上がってしまって、風邪を引いて高熱を発した時みたいなしんどい状態になってしまうのだろう。違いは、熱せられるのが内側からか外側からかということだけだ。

それにしても、今年の夏の暑さは異常というほかない。先月のヨーロッパみたいに気温が 45℃ 越えなんてことになったら、熱めの風呂以上だから、本当に耐えきれない。

 

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2022年8月14日

「危険な暑さ」が、まさに ”ホット・ワード”

「危険な暑さ」という言葉がニュースなどでよく聞かれ、まさにこの夏の ”ホット・ワード” だ。Yahoo! Japan ニュースも「お盆休み後半の天気 北海道・東北は大雨 関東以西は危険な暑さ 40℃ に迫る所も」と伝えている。

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今日は 熊谷と前橋で最高気温が 39℃ になるとの予報だ。これまでにも瞬間風速的に 40℃ を超えるような「高温記録」というのは度々あったが、今年の夏は「猛暑」が数日間連続してしまい、夜になっても地面や建物の冷える間がなく、翌日の太陽でさらに熱せられるのだからたまらない。

先週の木曜日、救急車がサイレンを鳴らしてやって来て隣家に横付けし、しばらくそのまま動かない。どうしたのかと思っていると、さらにもう 1台の救急車まで到着して、1時間半後ぐらいに去った。

日が暮れる頃、近くに嫁いでいた隣の娘が戻っていたので事情を聞いてみると、なんと夫婦が揃って熱中症で倒れ、緊急入院してしまったのだそうだ。コロナ騒ぎと熱中症の増加のため、搬送先が見つかるまで 1時間半もかかってしまったのだという。

脳卒中だの何だのというような重大な話ではないというので、とりあえず安心はしたものの、今年は熱中症で命を落とす人もいるらしいから、油断がならない。何しろあれから三泊四日してもまだ戻ってきた様子はないので、結構な重症だったのだろう。

隣の夫婦はウチよりも 4〜5歳は若いはずなのだが、それでも揃って倒れたというのだから、まさに「危険な暑さ」である。そんなわけで今年の夏ばかりは、我が家も無理して頑張ったりせず、素直にエアコン(設定は 28℃)を使っている。

それにしても、今後はこんなとんでもない暑さが「普通の夏」ということになってしまうのかなあ。できれば「いくら何でも今年は特別」ということであってもらいたいが。

 

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2022年8月13日

スーパーの店頭からイカが消えてしまった

私は魚介系の中ではマグロなんかよりイワシとイカが好きという、金のかからない男である。一時、イワシが不漁でやけに値段が高くなった時期があったが、ようやく少しこなれてきた。しかしそれに代わってイカが不漁になったようで、最近はスーパーの店頭から姿を消してしまっている。

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北海道新聞は 8月 13日付で、深刻なイカ不漁のため道南の加工業者が危機に見舞われていると伝えている(参照)。函館市水産物地方卸売市場の昨年度のスルメイカ取扱量は1,203トンで、なんと 1999年度の 37分の 1まで落ち込んでおり、今年も改善の傾向はないのだそうだ。

朝日新聞も 7月 24日付で「アカイカ初水揚げ 不漁で価格は昨年の倍 八戸港」というニュースを伝えている。イカは日本近海からいなくなったわけではないものの、その資源は極端に減少しているようなのだ。

このイカ不漁の要因は、気候変動という要素もあるが、直接的に大きいのは中国漁船の違法操業であるらしい。Yahoo! Japan ニュースは 2020年 7月 30日付で "AI と衛星が暴いた!日本の食脅かす中国の「暗黒船団」―対北制裁にも違反" というニュースを伝えている。

このニュースは「北朝鮮領海内で中国漁船による大規模なスルメイカ漁が対北制裁に違反して行われていることを突きとめた」としている。イカは回遊する性質があり、産卵期を迎える前に北朝鮮領海で成長するので、ここでの乱獲は漁獲資源の減少にストレートにつながっている。

さらに問題は北朝鮮領海のみではなく、日本の領海でも中国船は違法操業を繰り広げているらしい。2020年 12月 23日付読売新聞オンラインは "スルメイカ不漁続く「中国船いなければ、もっと釣れていたはず」" と伝えている。つまり中国のせいで、私は好きなイカを食えなくなってしまっているというわけだ。

イカの漁業資源が回復するまでに、どのくらいの時間がかかるのだろうか。一時イワシが少なくなって、まともに食えるようになるまで 10年以上我慢した印象があるが、イカも同じぐらいかかるのだとしたら、私は生きている間にイカを好きなだけ食うことができないかもしれないじゃないか。

まったくもう、食い物の恨みは大きいのだよ。習近平のあの尊大そうな顔に、イカ墨ぶっかけてやりたくなってしまう。

 

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2022年8月12日

酒から遠離る「ソバーキュリアス」というコンセプト

週刊はてなブログに "それって「ソバーキュリアス」?  あえてシラフでいることを選ぶ、お酒を飲まない生き方について" という記事がある。洒落のつもりか、冒頭に盛り蕎麦の写真が使われているが(キュウリも使えばよかったのに)、酒なしで蕎麦を食うというような話では決してないので、よろしく。

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「ソバーキュリアス」というのは "sober" (しらふの、実直な)と "curious" (興味がある)を合わせた言葉で、この記事では「しらふでいることへの興味」と訳されている。なるほど、それで「酔っ払っているとブログも書けない!」というサブタイトルにつながるわけだ。

調べてみたところ、これは英国出身でニューヨーク在住の文筆家、Ruby Warrington が 2020年に "Sober Curious" という著書を世に出してから注目され始めた言葉のようだ。つまり、比較的新しいライフ・コンセプトで、著書の正式タイトルは以下の通りである。

Sober Curious  The Blisfull sleep, Greater focus, Limitless Presence and Deep Connection  Awaiting us All on the Other Side of Alcohol
(『ソーバーキュリアス 至福の睡眠、より大きな集中力、無限の現在、深い関わりが、
アルコールの反対側で私たちを待つ』)

ちなみに私もここ 10年以上、ほとんど酒を飲まなくなってしまった。自分のブログを遡って検索してみると、2017年 7月 8日付で「お酒は卒業しちゃったようだ」という記事を書いている。こんな具合だ。

私なんかは、このブログを始めた 14年ぐらい前は毎日酒を飲んでいたが、最近はとんと飲まなくなった。昔は「週に一度は『休肝日』を作りたいなあ」と思いつつ、その願いは全然叶わなかったのである。

というわけで、確かに 2003年頃には、毎晩酒を飲みながらこのブログを書いていた。これは「酔っ払っているとブログも書けない!」ってことの反証にもなるが、 2014年 3月 24日付で「酒は大好きだが、酔うのがいやになったこと」なんて記事を書いているのだから、人間、変われば変わるものである。

私が感じた「酔うのがいやになった」という思いは、実質的には「ソバーキュリアス」に近いもののようだ。週刊はてなブログの記事には、次のようにある。

「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合、禁酒や断酒はある意味でそれを脅かす行動になることもありそう。そんなときに新たな概念を知ることは、新しいアイデンティティーを獲得して、自身の行動を変えるきっかけになるのかもしれません。

なるほど、うまいことを言う。"「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合" には、確かに「酒を飲んでこそ本来の自分」みたいな気がしてしまうものなのである。自分自身が毎日飲んでいたのだから、それはよくわかる。

そして、ここで言う「新しいアイデンティティー」というのは、まさにこの「ソバーキュリアス」ということで、それまでの「酒飲み」としてのアイデンティティを、このコンセプトで置き換えるわけだ。そして一度酒から離れてしまえば、「自分」と「酒」とは「カンケーないね」という感覚になる。

ただ私の場合は、取り立てて「新しいアイデンティティー」を獲得したというわけではなかった。どういうわけか単に酒に飽きてしまったような気がして、自然に酒から遠離り、結果的に「ソバーキュリアス」になってしまっていただけということである。

この辺りのところをきっちりと自己分析していたら、Ruby Warrington より先に画期的なことを提唱し始めることもできたのにね。あまりにも自然な成り行きだったので、我ながら呑気なことだった。

【付記】

”Sober Curious” は日本語に翻訳され、『飲まない生き方 ソバーキュリアス』という邦題で出版されているようだ。

この本の帯にある「ソバキュリァン」というのは、「ソバー + エピキュリアン」というココロなのだろうが、"sobercurean" でググっても一件もヒットしなかった。日本だけで通用する洒落のようなので、ご注意。

 

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2022年8月11日

イッセイ・ミヤケ の死去と、「媚びないファッション」

iPhone Mania のサイトで、ファッション・デザイナーの三宅一生の死が報じられている(参照)。なんでまた iPhone のサイトでこのニュースが取り上げられているのかと言えば、スティーブ・ジョブズが生前いつも着用していた黒のタートルネック・セーターが、イッセイのデザインによるものだったからだ。

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ファッションなんかとは縁遠い存在と思われがちな私だが、ところがどっこい、その昔にはファッション・ライターをしていた時期があって、主に海外向けに英語で東京コレクションを紹介していたのだよ。だから、自分の身なりにはほとんど構わないが、ファッションに関しては少しは語れたりするのだ。

何しろ東京コレクションが一番輝いていた 1980年代に、イッセイ・ミヤケやコム・デ・ギャルソン、ヨージ・ヤマモトなどのシーズン毎のコレクションを、最前列のプレス席で取材していたのである。そっち方面の好きな人からは、死ぬほど羨ましがられてもいいぐらいだろう。

当時、欧米から日本に東京コレクションの取材に来るファッション関係者の案内もよくしていた。彼女たちにとってのイッセイ・ミヤケは、ほとんど神格化されたみたいな存在で、彼の話題になると目をトロンとさせながら、”Oh, Issey Miyake!" とため息交じりに呟いていたものである。

それまでのファッションというのは、欧米、とくにパリ発の情報をいかにこなすかというのが重要だった。それだけに、ファッション・デザインというのは基本的にボディラインを美しく表現するものというのが「常識」だったのである。

ところがイッセイは、素材(布地)そのものの持ち味を前面に出し、見ようによってはプリミティブと言えるまでのアバンギャルドなコンセプトを強調した。私はそれを密かに「媚びないファッション」と呼んでいたが、これは実は、ココ・シャネル以来の「媚びない」系譜の発展形だったと思っている。

最近もっぱら愛用しているユニクロの服も、私の中では「媚びない」という点で共通しているのだよね。シャネルやイッセイと比べたらずっと安上がりだけど。

 

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2022年8月10日

半世紀前の ”暴力地獄” だった頃のワセダ

NewsSocra に「半世紀前の早大は "暴力地獄"」という記事がある。紹介された書籍の『彼は早稻田で死んだ』というタイトルの「彼」というのは、川口大三郎君という学生だった。まさに「半世紀前の早大」に在籍していた者にとっては、忘れようにも忘れられない名前である。

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このことに関しては、4年ちょっと前に書いた「JR 東労組の組合員大量脱退というニュース」という記事の中でも、こんな感じで書いている。

ちなみに JR 東労組の内部には、革マル派がかなり浸透していると認識されている。そしてこの「革マル派」という言葉を聞くと、私なんか、とても「いやぁな感じ」になってしまうのだ。

(中略)

さらに 1972年の秋には、革マル派による学内でのリンチ殺人事件が発生して、大学は長期休講に追い込まれた。これが世に言う「川口大三郎君事件」である。

とにかく私は半世紀前のワセダで、"暴力地獄" を間近で体験してしまっているので、この本の内容のかなりの部分は既に知っているような気がしてしまう。とはいいながら、一応「総括」のつもりで読んでみようと、たった今 Amazon で注文したばかりだ。

ただ、「既に知っている」とは言うものの、死んだ川口大三郎君が「早稲田精神高揚会に所属したこともあるし、左翼とは逆の原理研究会系の学生新聞の記者をしていたことも」あったというのは、噂では聞いたこともあったが、この NewsSocra の記事で初めて確認できた。

「原理研究会」(原理研)とは、今をときめく(?)統一教会系学生組織である。そっちの側の学生を「中核派のスパイ」と誤認してリンチ殺人したなんて、当時の革マルの情報力はお粗末過ぎである。いずれにしてもあの頃の学生運動って、右も左も「思い込み」だけで突っ走る傾向が強かったわけだが。

この本は著者の樋田毅氏が、当時の早大文学部自治会委員長だった田中敏夫氏にインタビューするため、2020年に自宅を直接訪問した時の描写から始まるという(参照)。ただ田中氏はその前年の 2019年に死去していた(参照)ようで、私はそのことについても初めて知った。

ちなみに田中氏は当時、文学部内では「田中ボーイ」なんて呼ばれていて、あまたいた革マル派学生の中では珍しくクールな印象だった。「田中ボーイ」というのは、同じ革マル派女子学生の「田中ガール」(フルネームは忘れた)との差別化(?)の意味があったと思う。

この「田中ガール」の方は、1971年度の新入生クラス担当だったらしく、よく我々の授業に乱入して政治論をふっかけたりしていたが、「お約束の決まり文句」しか言えず、議論してもつまらないタイプだった。今どうなっているのかは、全然知らない。

というわけで今は、本の届くのが待ち遠しい気持ちと、当時の記憶が生々しく蘇るのが鬱陶しそうだという感覚が、奇妙に入り交じってしまっている。

【付記】

本文中でリンクした NewsSocra の記事は会員登録しないと全文は読めないのだが、どういうわけか Yahoo ニュースのサイトだとフリーで全文読めるので、「会員登録なんてウザい」という方は、こちらにどうぞ。

 

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2022年8月 9日

電車内の英語アナウンス、再び

Q&A サイトの Quora に、「関東地方に住んでいますが、電車で車掌さんが The Doors in the right side will open. と駅ごとにアナウンスするのですが、正しい英語なのでしょうか?」という質問があるのを見つけた。

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とりあえずはっきりさせておかなければならないのは、前置詞が "in" か "on" かということだろう。Quora の質問では ”The doors in the right side will open" となっているが、この "in" は "on" の聞き違いなんだろうと思う。

私の 2019年 5月 20日の記事でも「ザ ドズオザ ライツァイ ウィル オプン」と聞こえるなんて書いていて、「ドズオザ」というぐらいだから ”The doors on the right side" のはずだ。この質問への回答も、すべて "on" が正しいということになっている。(”In" でも通じないことはないだろうが)

ただもう一つ、ちょっと気になるのが、”The doors on the right side will open." という言い方だと、主語が長くて頭でっかちの固い印象になってしまうことだ。

これに関しては、ネイティブ・スピーカーの Jason SH Wang さんが、バンクーバーの電車では "(The) doors will open on the right (side) ." と言っていると答えている。

括弧内は省略可能ということで、車掌さんによってバリエーションがあるのだろう。とにかく端的には "Doors will open on the right." で済むってことだ。

これなら自然な英語っぽいから鬱陶しくない。日本版アナウンスは、いかにも「右側のドアが開きます」という日本語の直訳っぽいが、バンクーバー版は「ドアは右側が開きます」って感じだ。”Right” を語尾にもってくることで強調されるので、紛れも少ないだろう。

というわけで、日本のアナウンスもこの形を採用すればいいのにと思ったのだが、今さら無理だろうなあ。

 

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2022年8月 8日

「何が立秋だよ!」と言いたくなってしまう

今朝ラジオを付けると、「今日は立秋、暑中見舞いも『残暑見舞い』となります」なんて言っていた。時候の挨拶として最も NHK 的な「お約束」なのだろうが、朝からこの暑さでは「何が立秋だよ!」と言いたくなってしまったよ。

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上の図は天気予報サービス、ウェザーニュースによる東京の週間天気予報だが、最高気温は連日 33℃ 以上、水曜と土曜は 35℃ の猛暑日になると予測されている。最低気温もずっと 26℃ より下がることなく、熱帯夜が続く。

思い起こせば、私が子どもの頃は「旧盆を過ぎたらぐっと涼しくなって、海も冷たくなるので海水浴は止めた方がいい」なんて言われていてたものだが、もはや「それって、どこの世界の話?」ということになってしまった。この分だと、9月まで十分泳げそうだ。

さらにちょっと前までは「今夜は熱帯夜で、寝付きにくいなあ!」なんて言っていたが、最近では「今夜は」が「今夜も」になり、さらに「連夜の」になってしまっている。これでは体力が削られるよね。

願わくは「立秋」なんてもんじゃなく、早く「秋のお彼岸」ぐらいになって、少しは涼しい風に吹かれたいものだが、それまでには、まだ一月半も酷暑に付き合わなければならないのか。やれやれ。

 

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2022年8月 7日

カタカナ名前の食い物に疎い私だが

私はカタカナ名前の食い物にとんと疎くて、「ポトフ」とか「カルボナーラ」とか「ペペロンチーノ」とかがどんなものなのか、何度教わっても覚えられない。友人には「お前はカタカナ名前の食い物って、ラーメンとカレーとスパゲティしか知らないんだろう」とまで言われるほどである。

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自分自身の名誉のために言っておくが、いくら私でも「サラダ」とか「スープ」とか「ポテト」とか「サーモン」とか、英語由来の食い物ならわかる。ただ、この程度ではまともな言い訳にほど遠いから、ドイツ語の食い物で唯一知っている「アイスバイン」(参照)というのも挙げておこう。

とまあ、これほどまでにカタカナ名前の食い物に弱い私だが、「チョリーゾ(chorizo)」というのは、そのインパクト故に一発で覚えられそうだ。サラミ・ソーセージの一種であるらしい。

どんなインパクトかというと、こんなことだ。VICE の記事(参照)によれば、フランスの著名な物理学者の Étienne Klein という人の「太陽から 4.2光年彼方の恒星、プロキシマ・ケンタウリ」という tweet に添えられた写真が、実はこのチョリーゾの断面写真だったというのである。

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Clein は当初、この写真を、NASA の James Webb 宇宙望遠鏡が捉えたものとしていたのだが、後になって「オンラインのフェイクニュースに関する教訓」を含むいたずら tweet だったと種明かしした。

彼は「これが James Webb 宇宙望遠鏡の写真と言わなかったら、(このおふざけは)こんなにうまくいかなかっただろう」とも言っている。宇宙好きも、権威には弱いみたいなのだ。

いずれにしても、それほど宇宙好きってわけじゃない私にとって、このニュースに接しての最大の収穫は「チョリーゾ」というソーセージがあると知ったことだ。こんな難易度の高い単語は、こんなことでもなければ一生知らずにいただろう。

ちなみに彼は、正真正銘の James Webb 宇宙望遠鏡の捉えた写真も tweet していて(参照)、それはさすがに美しい。(残念ながらフランス語わからないので、想像力で読むしかないが)

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【付記】

念のため Wikipedia に当たってみたところ、"Chorizo" は、スペイン発祥のソーセージで、日本語では「チョリソ」という表記が一般的だが、チョリソー、チョリーゾとも表記されるらしい(参照)。ここは行きがかり上、単純に英語読みして「チョリーゾ」で通しておくことにする。

まあ、肉食を絶って久しいので、一生食うことはないだろうけど。

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2022年8月 6日

NHK も乗っかり始めた「旧統一教会と政治家」ネタ

政治家と統一教会の関係について、マスコミがどっと報じるようになった中で、NHK だけはこの問題を扱うのに消極的に見えていた。ところがここに来て、ようやくまともに取り上げるようになった気がする。

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昨日付の NHK 政治マガジンでは、「旧統一教会と政治家との関係続々と 選挙に協力した宗教 ⒉世」というタイトルで、この問題をしっかりと取り上げている。ビジュアル的にもかなりセンセーショナルな画像が組み合わせられていて、「NHK、ちょっと本気になったか?」と思わせるものだ。

そんな風に感じていたところ、同じ日付の日刊ゲンダイに「NHK大慌て!全職員に「旧統一教会問題を取材せよ」とゲキ  “#もうNHKに金払いたくない” 警戒か」という記事のあるのを見つけて、ちょっと笑ってしまった。

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まあ、日刊ゲンダイの記事だから多少煽情的なニュアンスになってはいるのだが、NHK としても一応、最近のトレンドには乗っておかないと視聴者離れを起こしかねないと思ってしまったのは確かなようだ。それほどまでに、今回の問題は「全国民的関心事」なのだろう。

それにしても、ニュースを眺めているとこの問題が毎日毎日出てくるわ出てくるわで、尽きるところがない。しばらくはネタには事欠かないんじゃなかろうか。

 

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2022年8月 5日

「命を守るため」の 119番通報だが

BuzzFeed が "119 に繋がらない異例の事態…「命を守るため、本当に必要な人に救急車を」東京消防庁が訴え。いま、現場で起きていること" というニュースを伝えている。救急車の出動率が 9割を超え、救急医療の逼迫も問題になっているという。

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最近、クルマを運転していると、救急車に出くわさないことがないくらいの状況になっている。とにかくしょっちゅうサイレンが聞こえて、道を譲ることが多い。

これは新型コロナウィル感染症の再拡大と、酷暑による熱中症の増加によるものだという。東京都の救急車出動率は連日 9割を超えており、出動から現場に到着するまでの時間も延びている。令和元年には到着までの平均時間が 6分 35秒だったが、今年 7月はほぼ倍の 12分 06秒になっている。

東京消防庁は「命を守るため、救急車の適正利用を」と呼びかけているというのだが、それでは 119番通報の基準がどうなっているのかと言っても、それを誰も具体的に指摘するできない。「本当に必要な人」ってどういう状況の人なのか、よくわからないままやっているだけだ。

「電力事情が逼迫しているので、節電を心がけましょう」と呼びかけつつ、「熱中症を避けるため、適宜エアコンを使用しましょう」と言うのと同じ世界である。「節電とエアコン使用の境目って、どこなの?」と言っても、「そこはまあ、常識の範囲で」としか答えてもらえない。

この国では「命を守るため」というのも、私がよく言う「雰囲気の問題」に帰結してしまうのがおもしろい。ただ、こればかりは「おもしろい」では済ませられないよね。何しろ「命を守るため」の問題だから。

こうなると実際問題としては、コロナが下火になり、酷暑が収まるのを待つしかない。「雰囲気の問題」だから、ひたすらやり過ごすしかなさそうなのである。ただ、そうしてやり過ごしている間にも高齢化はどんどん進行するので、問題は深まるばかりだろう。

 

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2022年8月 4日

山形県では洪水被害が出ているようだ

今朝更新した「和歌ログ」では、「この辺りではこの雨のおかげで地面と建物が全体的に冷やされたようで、久しぶりに涼しい体感の朝となった」なんて呑気なことを書いてしまった(参照)が、私の生まれた山形県の最上川上流では大変なことになっているようだ。

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地元紙「河北新報」は「山形・最上川が氾濫 大江町などで住宅地浸水 JR米坂線で鉄橋崩落」と報じている。記事になっている辺りは、クルマで帰郷する際に通ると本当にいい気持ちの道が続くところなのだが、今回の大雨で、濁流が堤防を越えて住宅地に流れ込んでいる。

今世紀に入るまでは、山形県というのは比較的自然災害の少ないところで、国土交通省のサイトを見ても、最上川の水害は 1913年から 2000年までの 87年間では 7回しか記録されていない(参照)。10年に 1度以下の頻度である。

ところが 2001年以後は 既に 4回記録されており、今回の水害を入れれば 22年間で 5回ということになる。つまり 4〜5年に 1度ということになってしまったわけだ。

災害規模として見れば、1967年、69年、71年の 3回が飛び抜けて大きいが、この当時は河川整備が不十分だったこともあって、多くの住宅が水に浸った。ところが最近は堤防などの整備が進んだにも関わらず洪水は増えてしまっている。

最上川水系だけでなく、日本各地で水害が増えている。知り合いに「平成 29年 7月九州北部豪雨」の被害に遭った人がいるが、被害地域はそれまで決して洪水災害の多いところではなかったが、最近では毎年何度か大雨による避難指示が出ているという。

これはもう、日本の気候が変わってしまったためとしか考えられない。熱帯化してしまっているじゃあるまいかとまで思ってしまう。

今日は実は、運転免許更新に伴う「高齢者講習」というのを受けるために、近場の自動車教習所で 2時間以上(往復と待ち時間を入れたら、ほぼ 4時間)の時間を潰した。何しろ先月で 70歳になってしまったので、こんな面倒なことをしなければならなくなったのである。

面倒だが悠長な時間を過ごして帰宅し、ニュースを見て驚いている次第である。

 

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2022年8月 3日

iMac(デスクトップ)を新機種に換えた

このほど、デスクトップの iMac を更新した。M1(24インチ)の 2021年型だが、iMac ではこれが最新モデル。実は 6月末に店頭予約していたのだが、世界的半導体不足による在庫払底で、ようやく 7月末に入荷されて購入。一昨日から使い始めたばかりである。

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梱包を開いての最初の印象は、「薄いなあ!」ということ。これまでのモデルも薄かったものの、後ろが曲面なので真ん中部分は結構な厚さがある。ところが新型は完全にフラットに薄いので、単なるディスプレイに見えてしまう。つい「ありゃ、本体はどこ?」なんて呟いてしまいそうだ。

Mac を使っていることのメリットは、新しい機種に換えても設定がすぐに終わってしまうことだ。データなどは iCloud に保存されているので、それをまとめて一気に読み込み、MS Office と A-TOK、その他の小さなアプリをインストールしさえすれば、これまでと同じ感覚で使い始めることができる。

ただ、「これまでと同じ感覚」とは書いたが、スピード感はかなり違う。これまでの iMac の反応が「一呼吸ぐらい遅かったんじゃないか」と感じてしまうほどだ。

当初はメモリが 8GB しかないというのが気がかりだったが、かなりたくさんアプリを開いた状態でも十分に早いので、フツーに使う限りは増設の必要はないと思う。要するに、CPU の性能が飛躍的に向上しているのだろう。

それにしても暑い。家の中でもエアコンの効いている部屋以外はどこを触っても熱く、自分の肌の方がひんやり感じる。我が家の壁は基本的に白い壁紙が貼られているのだが、それがすべて熱くなっているのは異様な感じだ。

 

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2022年8月 2日

「命が狙われて初めて政治家って言える」の皮肉な意味

橋下徹氏が「安倍さんの死は納得いかない」と語っている記事を見つけた(参照)。半月前のインタビュー記事で、タイトルに ”安倍元総理に言われた「命が狙われて初めて政治家って言える」の意味とは” というのがあるが、橋下氏的にはこの点で「納得いかない」と言っているようなのだ。

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ちなみに今回の銃撃事件を「暗殺」と言う人がいる(参照)が、これには個人的に違和感を覚えていた。日本語の「暗殺」は、主に政治的な理由で要人を殺害することを指すとされている(参照: 広辞苑/大辞林/大辞泉)が、今回の銃撃事件は「政治的な理由」というよりは「恨み」によるものとみられるからだ。

一方、英米のニュースでは、今回の事件をストレートに ”assassination”(直訳で「暗殺」)と報じている場合が多い。New York Times の見出しも ”Shinzo Abe, Former Japanese Leader, Is Assassinated"(日本の前指導者、安倍晋三、暗殺さる)というものだ。

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ちなみに英語の "assassination" の語義は、ネット上の辞書で調べたところでは「重要人物を殺害すること」といった語義説明で、とくに「政治的理由」とは書かれていない(Longman  Cambridge)。日本語の「暗殺」とはほんの僅かながら、ニュアンスが違うようだ。

もっとも実際問題としては、暗殺される対象は政治家が多いので、Cambridge の ”assassin”(暗殺者)の語義説明では「有名な重要人物を、通常は政治的理由または金銭的取引として殺害する人」となっている(参照)。金で暗殺を請け負う場合もあるのだね。「プロの暗殺者」ということだ。

ここで改めて、冒頭で触れた「命が狙われて初めて政治家って言える」という言葉に戻ろう。安倍元首相の今回の「命の狙われ方」って、「政治的理由」というより「恨み」によるものだったという点で、少なくとも「(国葬に相応しい)大物政治家的」ではなかったという印象をもってしまうのだよね。

ところが、ここでさらに「どんでん返し」が起きるから面倒なことになる。田中良紹氏の「安倍晋三元総理とは何者だったのだろうか」(この記事、オススメしておく)などの内幕情報まで視野に入れてしまうと、今回の銃撃事件の意味合いが変わってしまうのである。

山上徹也容疑者の行為って、当人の直接的な意図や動機から離れて一人歩きしてしまい、実は結果的に「ちょっとした暗殺」になったとも言えそうだ。つまり「命が狙われて初めて政治家って言える」という安倍元首相本人の言葉は、かなり皮肉な意味をもってしまっているわけだ。

まったくもって彼の死の意味は、「政治的意味/個人的恨み/命の重さ」という各観点からしても皮肉過ぎるぐらいのものだろう。

最後に蛇足ではあるが、「命が狙われて・・・」というのは、フツーの日本語では「命を狙われて・・・」だよね。これは「云々」を「でんでん」と読んでしまう人(参照)と、弁護士を職業とする人の日本語力の問題だが。

 

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2022年8月 1日

「国葬反対」の声は、意外なほど大きくなっている

安倍元首相の銃撃事件のあった早々、政府が「国葬」を決めた直後は、私のようなへそ曲がりを除いては「国葬反対」とするのは少数派だったような印象だが、ここに来て反発の声が大きくなっているようだ。

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共同通信は、"安倍晋三元首相の国葬に「反対」「どちらかといえば反対」が計 53.3%を占め、「賛成」「どちらかといえば賛成」の計 45.1%を上回った" と伝えている(参照)。政権支持率までがた落ちしているのだから、参院選直前とは様相ががらりとかわっている。

鹿児島が地元の南日本新聞ではより鮮明な調査結果が報道されていて、国葬に「反対」が 56.5%、「どちらかといえば反対」が 15.7%で、合計すると 72.2%になっている。「賛成」14.0%、「どちらかといえば賛成」9.1%を足しても 23.1%だから、圧倒的な差だ(参照)。

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これって、やはり統一教会問題が影響しているのだろう。事件直後は具体的報道が自粛されてるんじゃないかという気までしていたが、どっと報じられるに至って、これまで隠されていた部分がかなり見えてきた。

政府としては当然ながら、統一教会との公式なつながりを否定しているが、個々の議員や派閥(とくに安倍元首相の清和会)ベースの結びつきは思っていた以上にひどい(参照 1参照 2)。これではいくら「霊感商法」などが問題になっても、警察やマスコミは本格的には手を出しにくかっただろう。

ただ、マスコミとしてはこれまで書きにくかった話が手持ちでいくらでもあるから、今後こうしたニュースはタガが外れたようにどんどん出てくるだろう(参照)。こうしてみると先月の参院選の結果は、まるで「当て逃げ」みたいなものだ。同じ「勝ち組」の維新の会も、統一教会まみれみたいだし(参照

国葬反対派の私は 7月 20日の時点で、国葬当日は「非国民」になる宣言をしている(参照)のだが、この様子では「隠れた非国民」がかなり多くなりそうだ。

 

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