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2022年8月12日

酒から遠離る「ソバーキュリアス」というコンセプト

週刊はてなブログに "それって「ソバーキュリアス」?  あえてシラフでいることを選ぶ、お酒を飲まない生き方について" という記事がある。洒落のつもりか、冒頭に盛り蕎麦の写真が使われているが(キュウリも使えばよかったのに)、酒なしで蕎麦を食うというような話では決してないので、よろしく。

220812

「ソバーキュリアス」というのは "sober" (しらふの、実直な)と "curious" (興味がある)を合わせた言葉で、この記事では「しらふでいることへの興味」と訳されている。なるほど、それで「酔っ払っているとブログも書けない!」というサブタイトルにつながるわけだ。

調べてみたところ、これは英国出身でニューヨーク在住の文筆家、Ruby Warrington が 2020年に "Sober Curious" という著書を世に出してから注目され始めた言葉のようだ。つまり、比較的新しいライフ・コンセプトで、著書の正式タイトルは以下の通りである。

Sober Curious  The Blisfull sleep, Greater focus, Limitless Presence and Deep Connection  Awaiting us All on the Other Side of Alcohol
(『ソーバーキュリアス 至福の睡眠、より大きな集中力、無限の現在、深い関わりが、
アルコールの反対側で私たちを待つ』)

ちなみに私もここ 10年以上、ほとんど酒を飲まなくなってしまった。自分のブログを遡って検索してみると、2017年 7月 8日付で「お酒は卒業しちゃったようだ」という記事を書いている。こんな具合だ。

私なんかは、このブログを始めた 14年ぐらい前は毎日酒を飲んでいたが、最近はとんと飲まなくなった。昔は「週に一度は『休肝日』を作りたいなあ」と思いつつ、その願いは全然叶わなかったのである。

というわけで、確かに 2003年頃には、毎晩酒を飲みながらこのブログを書いていた。これは「酔っ払っているとブログも書けない!」ってことの反証にもなるが、 2014年 3月 24日付で「酒は大好きだが、酔うのがいやになったこと」なんて記事を書いているのだから、人間、変われば変わるものである。

私が感じた「酔うのがいやになった」という思いは、実質的には「ソバーキュリアス」に近いもののようだ。週刊はてなブログの記事には、次のようにある。

「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合、禁酒や断酒はある意味でそれを脅かす行動になることもありそう。そんなときに新たな概念を知ることは、新しいアイデンティティーを獲得して、自身の行動を変えるきっかけになるのかもしれません。

なるほど、うまいことを言う。"「酒飲み」が自分のアイデンティティーになっている場合" には、確かに「酒を飲んでこそ本来の自分」みたいな気がしてしまうものなのである。自分自身が毎日飲んでいたのだから、それはよくわかる。

そして、ここで言う「新しいアイデンティティー」というのは、まさにこの「ソバーキュリアス」ということで、それまでの「酒飲み」としてのアイデンティティを、このコンセプトで置き換えるわけだ。そして一度酒から離れてしまえば、「自分」と「酒」とは「カンケーないね」という感覚になる。

ただ私の場合は、取り立てて「新しいアイデンティティー」を獲得したというわけではなかった。どういうわけか単に酒に飽きてしまったような気がして、自然に酒から遠離り、結果的に「ソバーキュリアス」になってしまっていただけということである。

この辺りのところをきっちりと自己分析していたら、Ruby Warrington より先に画期的なことを提唱し始めることもできたのにね。あまりにも自然な成り行きだったので、我ながら呑気なことだった。

【付記】

”Sober Curious” は日本語に翻訳され、『飲まない生き方 ソバーキュリアス』という邦題で出版されているようだ。

この本の帯にある「ソバキュリァン」というのは、「ソバー + エピキュリアン」というココロなのだろうが、"sobercurean" でググっても一件もヒットしなかった。日本だけで通用する洒落のようなので、ご注意。

 

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コメント

母の地元(実家)信州北部では、「そばつまみ」と言う文化もある様で…。
地元公会堂での「集まり」で、MCさながら場を仕切る方から聞きました。

祖父を見送る会の宴席で、「そばをつまみに飲み明かす」ことをおっしゃったことと、記憶しております。

ただアタクシ、「そば」は飲みを伴わず、ただただすすりたい種族です。

投稿: 乙痴庵 | 2022年8月17日 21:49

乙痴庵 さん:

>母の地元(実家)信州北部では、「そばつまみ」と言う文化もある様で…。

聞いたことあります。江戸でも、酒と蕎麦は付きものみたいなところがありますね。

>ただアタクシ、「そば」は飲みを伴わず、ただただすすりたい種族です。

私、昔は蕎麦屋に入ったら、まずお酒をいただいてましたが、つくばの里に引っ越してからは、クルマの運転が付きものになったため、その習慣から遠離ってしまいました。

投稿: tak | 2022年8月18日 07:36

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