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2022年9月11日

「LGBT を隠して生きろ」という理不尽さ

HUFFPOST の【 「ゲイはみんなエイズを持っている」という偏見も。消防士を辞めた僕は、“無意識の我慢“ に疲弊していたと気づいた】という記事を読み、栃木県下野市議会議員の「(LGBTを)静かに隠して生きていただきたい」という発言の理不尽さがますますわかった。

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問題の発言は 今月 4日の「そう思うのは自由だが、政治家なら隠して生きてね」という記事で触れたのだが、石川信夫という幸福実現党所属の市議が市議会の一般質問で LGBTQ の人たちに関し、「できたら静かに隠して生きていただきたい。その方が美しい」なんて口走ったというものである。

この市議の発言が LGBT 差別に他ならないというのは、冒頭で紹介した HUFFPOST の記事を読めばわかる。この記事に登場するのは平田金重さんというゲイの元消防士である。

彼は子どもの頃から自分の性的志向を認めることができず、「普通」に憧れて生きてきたという。だから SNS で知り合った同性の KOTFEさんに告白された時にはどうしていいか悩み、混乱するばかりだった。

しかし彼を失うのが辛かいとわかって同棲を始め、「時間を共有するうちに 2人でいることがかけがえのないものになり、1、2年かけてKOTFEさんを好きになっていった」と書かれている。その間も勤務先の消防署では自分がゲイであることを隠し続けていたが、ついに昨年、新しい挑戦のために退職した。

退職して初めて、ゲイであることを隠すことで「無意識の我慢が自分を疲弊させていた」ことに気付いたという。人のためになる消防士の仕事に大きな生き甲斐を感じていた彼が退職したのは、この「疲弊」も大きな要因となっていた。

職場での会話の中には、「ゲイはみんなエイズ持っとるわ」「息子がゲイだったら嫌やわ」といった心ない発言が少なくなかった。「彼女おらんのか?」と聞かれ、合コンや性風俗にも誘われていたという。これらは彼にとって「言葉の暴力」だっただろう。

石川市議の発言は、LGBT は自分の性的志向を隠し、心ない言葉にも黙って耐えて、静かに生きろというものだ。それは「表現の自由の否定」であり、大きな「言葉の暴力」でもある。「LGBT には人権がない」と言っているのと同じことだ。

信仰者であり、政治家でもある人がこうした理不尽を言うのは、私には驚き以外の何ものでもない。

【追記】

紹介した HUFFPOST の記事の後篇【独身は半人前、「ゲイだとバレたら働けなくなる」元警察官が、“男社会“から抜け出した理由】が今朝発表されたので、オススメしておく。

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コメント

アタシャねぇ、野郎から「ケツカセ」って言われても(その逆も)断固拒否ですし、野郎から言い寄られても「そりゃどうもお気持ちだけ」ありがたく頂戴しますが…。

なんか、うまく表現できないんですけど、「LGBTでんでん」だけでなく、「フェミニストのでんでん」、「女性上位社会推進のでんでん」、「なんでも社会問題化したいトライブでんでん」の、単なる主張(と言う名の放言)が、群雄割拠佳境活況の状態なんだと…、思います。

いちいち絡んで食い付いてしてくる層の存在が、これらをややこしくしてるんじゃないかなぁ。

そりゃ「野郎同士で肩組んで酒を酌み交わす」ことにはまったく抵抗ありませんし、「なんか達成したときの野郎同士のハグ」は喜びと清々しさこそあれ、抵抗感はありません。なんとも思いません。(その中に女子がいても、雰囲気で分かち合えるなら、セクハラにはならないと…、信じたい…。)

喜びを分かち合うこと。
それを「ナントカがー!」って言ってる方々の方が、よっぽど「分かち合う気のない刺々しい方々」に映ってしまいます。

すんません。

投稿: 乙痴庵 | 2022年9月13日 19:11

乙痴庵 さん:

「ゲイと楽しく付き合える感覚」というか、「別にいいじゃん、ゲイで」という感覚でいるのが、世間では難しいものと思われているようなのです。

それって、かなり困ったことだと思うのですよね。

投稿: tak | 2022年9月13日 20:48

一例ですが、ゲイを否定する男性に多くみられるのが「オレをエロい目で見るな!気持ち悪い」という捉え方です。

しかしこれは大きな勘違いです。

なぜなら、ノーマルの男性は一定数の女性を「性的に魅力的である」と見ます。もちろんほとんど表には出さないし、お互いにそういう目線があるという了解のもとで社会は成り立っています。
ゲイ否定男性の「オレを性的に見るゲイと同じ空間には居られない」という主張は、ノーマル女性が「私を性的に見るノーマル男性と同じ空間には居られない」という主張とイコールです。これを認めたらどうなりますか。完全男女別社会を全人類に対して求めることになってしまいます。そんなことは現実的ではありません。

ゲイの人からすればそんな男はかえって願い下げでしょう。「お前なんかになんの魅力も無いわ!」と。

投稿: らむね | 2022年9月14日 10:05

らむね さん:

なかなか鋭い分析、納得です!

ありがとうございました。

投稿: tak | 2022年9月14日 10:13

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