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2022年10月に作成された投稿

2022年10月31日

人混みには、もう生理的な次元で入れない

ハロウィーンの本番は今日。その本番前の昨日付で、NHK が「渋谷でハロウィーン前に警戒強化」というニュースを伝えている。韓国ソウルでの雑踏事故を受けてのことだが、その渋谷の雑踏を伝える画像を見ただけで、私はぞっとしてしまった。最早、人混みには入れないカラダになっているようなのだ。

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今回の事件、もし遠い彼方から地球をウォッチする宇宙人がいたとしたら、「地球上で増えすぎた人類の比較的若い層が、人口調整のために集団自殺をした」なんて解釈をしてしまうんじゃなかろうかなんて、ふと思ってしまった。不謹慎な言い方ではあるが、まったく別の目で見たらそう思われても不思議じゃない。

首都圏内とはいえ、田園風景の広がるつくばの片田舎で暮らす身としては、上の写真のような雑踏は生理的な次元で受け付けられなくなっている。これでも 10年ちょっと前までは毎日満員電車に揺られて都内に通勤していたわけなのだが。

フリーランスになって在宅での仕事が増え、必要な時だけ仕事先に行けばいいという身分になったおかげで、ラッシュアワーからは長らく遠離っている。雑踏への「耐性」がなくなって久しい。

それでなくても、コロナ騒ぎで都会に出る用事が激減している。先日、久しぶりで都心での仕事に出かけた時は、ラッシュアワーでもないのにかなり気疲れしてしまった。都会人の「ラッシュ慣れ」というのは、実は異常なんだと思う今日この頃である。

そんなわけで、今回の事件を見るにあたっては「遠い彼方の宇宙人」的感覚がちょっと混じってしまった。どうか悪しからず。

ちなみに、ハロウィーン本番の今日は週明けの月曜日でもあり、ソウルの事件の生々しい印象もあるので、人出はそれほど多くならないんじゃあるまいか。それでも渋谷辺りでごった返すとしたら、それはある意味「タナトスの勝利」である。

【同日 18:53 追記】

TBS が渋谷スクランブル交差点の様子をライブカメラで伝えているが、何だかんだ言っても、やっぱりすごい混雑だなあ(参照 ⇐ このリンクは、当日限りかもしれないが)。

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ちなみに、映っている群衆の顔を見ても誰も楽しそうじゃないってのは、どういうことなんだろう?

【同日 20:55 追記】

改めてライブカメラを覗いてみると、渋谷交差点は警察の手によって人流が完全にコントロールされている。歩行者信号が青になると、横断歩道に沿ってさっとロープが張られ、そこからはみ出さないように整然と歩かなければならないようだ。

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こんな不自由なところに行っても、楽しくもなんともないだろうなあ。見ていて馬鹿馬鹿しくなった。

 

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2022年10月30日

イーロン・マスクって、Twitter で何をしたいのか?

イーロン・マスク(Elon Musk)が一昨日(10月 28日) Twitter 社の買収を完了(参照)したことが大きなニュースになっているが、それにどんな意味があるのか、私は推し量れないでいる。

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Twitter は主としてこのブログともう一つの「和歌ログ」の更新通知ぐらいにしか使っていない(参照)ので、個人的には割とどうでもいいのだが、なにしろ巨大メディアのことだから、客観的にはそうとばかりも言っていられないだろう。

端的な話としては、凍結中のトランプのアカウントが復活される可能性が取り沙汰されている(参照)。トランプのアカウントなんて復活したところで近付きたくもないが、鬱陶しい話ではある。

マスク自身は買収完了前(現地時間の 26日)に、Twitter HQ(本社)に流し台(sink)を運び込むパフォーマンスの動画を添えて、"Entering Twitter HQ - let that sink in!" なんて tweet している(参照)。

"Sink in" という熟語には、「沈み込む」という意味とともに「じっくりと浸り込んで考える」とか、「しっかり理解される」というような意味合いもある。本物のシンクを抱えて Twitter 入りし、「じっくり考えてもらうことで、理解されたい」と、洒落たつもりになっているのだろう。

ところが、試しにこの tweet の「ツィートを翻訳」というのをクリックしてみたところ、「Twitter HQ に入りましょう」なんて乱暴な翻訳が表示されたので笑ってしまった。ただ、彼にとっては「Twitter HQ に入ること」こそが重要だったのかも知れないから、あながち乱暴とも言えないか。

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彼は上の tweet と同時刻で、 "Dear Twitter Advertisers"(親愛なる Twitter 広告主諸氏へ)という発信もしている。彼にしてみれば、ユーザー向けよりも広告主への発信を優先するのが当然のようなのだね。

この中で彼は、ソーシャル・メディアが「極右と極左のエコーチェンバーになり、さらなる憎悪を生み出して我々の社会を分断する」という危険性が増していると指摘、その上で、自分が Twitter 社を買収したのは「自分の愛する人類を救うため」としている。

ただ、これでは抽象的すぎて、具体的に何を変えるために Twitter を取得したのかがさっぱりわからない。あるいは、彼のいう "X, the everything app"(万能アプリ X)を組み込むプラットフォームにしたいのかも知れないが、実際的な話はまだ何も見えない。

というわけで、今後の Twitter の変化には十分気をつけて付き合っていかなければならないと思っているところである。

 

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2022年10月29日

それって、「郵政の劣化」なんだろうか?

最近、ネット界隈で蓉堂居士さんという方の「郵政が劣化していて怖すぎた」という tweet がちょっとした話題になっていた。郵便局で普通サイズの封筒を出そうとしたら、神戸から京都まで 2日、東京までは 5日かかると言われたというのである。

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ただ個人的な実感では、茨城県内宛ての普通郵便でも午後の投函だと翌日配達は無理なので、神戸から京都なら大阪府をまたぐし 2日でも別に驚かない。「明日中には無理だけど、明後日なら届くのね」ぐらいに考えれば、それほどイラつかなくて済む。

さらに神戸から東京まで 5日というのも、郵便局に行ったのは 10月 26日(水)の午後のようだから、「週末にかかっちゃうから、それも仕方ないよね」と思う。月曜か火曜に出したら 3〜4日で届くと思うが。

この tweet 自体にも、Bugei さんという方の「郵便局が劣化したのではなく、適正なサービス対価に対して適正な人員配置と従業員の働き方を合わせたら配達日数が長くなった、という良い傾向では?」というコメントが付いている。サービスに対してそれなりの対価を払うのは当然というのである。

私もこの見方におおむね同感だ。土曜も日曜もなく、さらに夜間労働の世話になってまで「普通郵便」を素早く届けろというのは、ちょっと申し訳ない気がする。

今どきは、内容だけ伝わればいいというならインターネット・メールというものがあるし、「日本人のデジタル化への頑迷な抵抗のエビデンスとして悪名高い FAX」(参照) もある。定まった書式の印鑑や署名入り文書などを急いで郵送しなければならないなら、速達書留で送ればいい。

送付の仕方が多様化しているのだから、最適な方法を選ぶことができる。昔は郵送が圧倒的に多かったが、最近はインターネットのおかげでほとんど無料で済むケースが多いから、たまに速達や書留の料金を払ったところで、トータルではずっと安上がりだ。

何だかんだと言う人は言うが、頭がクラクラするほどの炎天下や冷たい雨の中でも、赤い原付でシコシコ配達してくれている配達員の姿を見ると、私としては贅沢は言えなくなってしまうのだよね。

日本ではたまに間違いは生じることはあっても、ほとんどの場合ちゃんと届くのだから、むしろありがたいと思う方が精神衛生のためにもいいと思っている。

 

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2022年10月28日

エコテロリズムと統一教会との共通キーワード「狂信」

「エコテロリズム」なんてことが問題になっていると、これまでもちらりとニュースで読んだことはあったが、FNN プライムオンラインの "「エコテロリズム」芸術品や高級品を破壊 英・環境保護団体を日本メディア初取材" という記事を読んで、改めて「こいつら、頭悪すぎ」と思ってしまった。

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イギリスの環境団体 "Just Stop Oil" は今月 14日、美術館に展示されているゴッホの「ひまわり」などの作品にいきなりトマトスープをかけたことで話題になった。これに関して、この団体の広報担当者のデ・コーニングという男はこんな風に言っている。

パキスタンでは、3300万人が洪水で住むところがなくなりました。
それなのに、気候変動は恐ろしいことだと、全く扱っていません。
でも 2人が、ガラスに守られている絵にスープをかけると、多くの人が気候変動やパキスタンで家を失っている話をすることになるのです。

いや、そんなことには決してならないって。この件で実際に語られているのは、「エコ活動家には、とんでもない奴らがいるんだね」ってことだ。

ちなみに米国のテレビ局 WSKG の ”Protests at art museums are nothing new. Here are 3 famous examples from history” というニュースページには、ゴッホの絵にトマトスープをかけた 2人が得意そうにポーズを取っている写真がある。

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あまりにもアホらしすぎてまともな言葉では語れないが、敢えて言ってしまえば彼らのやっていることは「狂信的な見当外れ」に過ぎず、この「狂信的」という点では、旧統一教会と共通する。壺を売るか美術品を汚すかというのは、その狂信の結果としての相違に過ぎない。

「狂信」の底にあるのは、「自分たちは満たされていない」という漠然とした不満だ。美術品を汚したり公共物を破壊したりするのは、その不満解消のための代償行為に過ぎず、そこに「エコ」という一見もっともらしい言い訳を無理矢理くっつけただけである。

そんなことをしたらその修復のために余計なエネルギーを使い、石油も消費されるということまでは見えていないんだろうね。

 

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2022年10月27日

"Free market" と "flea market"

JAPAAAN のインデックスに "フリーマーケットのフリーは「自由」にあらず。日本や諸外国のそれぞれの起源をたどる" というのがあるのを見つけ、「何言ってんだ? "Free market" は『自由市場』じゃん!  もしかして、中国の回し者?」なんて思ったが、ページを表示した途端に疑問が解けた。

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表示してある写真が、どう見ても「蚤の市」なので、すぐに「そうか、"flea market" のことね」と納得。日本語の表記では "L" と ”R” が区別できないので、こんなようなトンチンカンがよく生じる。

本当に "light" と "right" をきちんと区別して発音できる日本人は案外珍しい。さらに "reality"(現実)とか "umbrella"(傘)なんてことになったらグチャグチャだ。

私は小学校 6年生の時の新潟地震でもらった救援物資に、どういうわけか英会話ソノシートなんてものが入っていて、ネイティブの発音をひたすら感覚的に真似していたために、 "L" と ”R” の発音の区別は自然にできてしまった。それに関しては、3年近く前に書いている(参照)。

そして生涯でただ一つだけ通った学習塾(英語教室)の上野先生がみっちりと叩き込んでくれた(参照)ので、さらにしっかり身についている。ありがたいことで、いくら感謝しても足りないぐらいだが、せっかく同じ英語教室に通っても 8割以上の生徒はカタカナ発音だった。

というのは、彼らが英語を覚えるのにカタカナ頼りだったせいだと思う。せっかくあの英語教室に通ったのに、カタカナで発音を覚えては意味がない。

何しろあの頃は、「ビートルズの歌をビートルズのように歌いたい」という一心だったので、とにかく「ちゃんと英語に聞こえる発音」を身に付けたかった。ビートルズをカタカナで歌ったのでは台無しで、まさに英語にカタカナは天敵だ。

ちなみに私が若かった頃、多分 1970年代半ば頃までは「フリマ」なんて言葉は存在しなくて、フツーに「蚤の市」と言われていた。モロに "flea Market" の直訳が、ちょっとした異国情緒を伴って市民権を得ていたのである。

そしてその後にカタカナの「フリーマーケット」という言い方が、ちゃんとした検証なしに受け入れられてしまったという印象がある。その過程で、「誰でも自由に出品できる市場(いちば)」という誤解が生じたんだろう。

ちなみに「"Flea market" は『自由な市場』じゃない」というのは、インターネット上で昔から時々思い出したように取り上げられるネタで、そういえば私も 18年も前に「フランス語訛り」というタイトルの記事の中で触れている。

この記事の中で、私はフランス人が "H" の音を発音できずに、"history" を「イストリ」と言ったり「日本語」を「におんご」なんて言ったりするのが気になると書いているが、実を言うとフランス語の "r" の発音は、ちょっと官能的で好きなんだよね。

そんなわけで、Sylvie Vartan (シルヴィー・ヴァルタン)のファーストネームの "l" と苗字の "r" は、ちゃんとフランス語風に区別して発音できる。フランス語は 1〜4 までしか数えられないのに、「3」(troi)はちゃんと舌の先の方じゃなく奥の方を使ってフランス語風に発音できるのだから妙な話である。

結論。とにかく、外国語はカタカナで覚えちゃいけない。

 

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2022年10月26日

日本人の「電報好き」を巡る冒険

ちょっとだけ旧聞だが、New York Times が 9月 9日付で "How Do Japanese Show They Care? By Sending a Telegram"(日本人はどのように気持ちを表すか? 電報を送ることで)というおもしろい記事を載せている。

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サブタイトルは、「日本では今でも毎年何百万もの電報メッセージのやり取りで、よりモダンな通信では不可能な祝意や弔意を示している」という、ちょっと意表を突いたものだ。何だか「東洋の神秘の国」みたいな感覚になってしまいそうである。

記事の最初に紹介されているエピソードは、東京の警備会社で働く菅野浩史さんが今夏結婚式を挙げた際、義理の両親を感動させるために、社長に「祝電」を送ってくれるように頼んだというもの。まあ、日本ではよくある話である。

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その社長からの祝電がキティちゃんの縫いぐるみ付きだったというのには、現役日本人の私も正直驚いた。何とまあ、昨今はそんなことになってるのだね。新婦アスカさん(日本語表記不明) は「セレブになった気分でした」なんて妙に盛り気味にコメントしているわけだが。

同紙は「電報は "Roaring ’20s" (狂騒の 20年代)を思わせる通信形式だ」としている。要するに「100年も前の通信手段」ってことだ。

とは言いつつも日本の現状に関しては、「日本人のデジタル化への頑迷な抵抗のエビデンスとして悪名高い FAX とは違い、電報は礼儀を尊ぶ国民性のシンボルである」と持ち上げている。ただ「当然、電報の申込みは FAX で可能」と付け加えるのを忘れず、きちんと笑わせてくれるわけだが。

その上で、次のような評価には「なるほどね」と納得だ。

ある年代の多くの日本人にとっては、まさにこの過剰で儀礼的でノスタルジックな(電報という)メディアそのものがメッセージなのだ。

さらに、少なからぬ政治家が統一教会系の行事に祝電を送ったりしていたことに、さりげなくもしっかりと触れて、その複雑怪奇な意味合いにまで言及している。この辺りは、さすが New York Times だよね。

ちなみに私自身はここ 10年以上、祝電も弔電も打ったことがない。結婚祝いはメールや Facebook への書き込みで十分なので、今後も打つことはないだろうが、遠方の知人が亡くなったりしたら、遺族のメルアドなんて知らない場合が多いから、弔電を送ることはあるかもしれない。

調べてみると今どきの電報は D-MAIL なんて言って、(別に FAX でなくても)web 上で申し込めるようだ。裏側ではインターネットで動いていて、印刷されて届くときだけ「電報の形」になる。なにしろ「メディアそのものがメッセージ」だから、この「形」こそが重要なのだ。

試しに弔電の申込みページを見ると、キティちゃんならぬ、お線香やプリザーブドフラワーなどとのセットで 1万円以上なんて「定番商品」もザラのようなのである。何とまあ、知らないところでいろいろスゴいことになっていたのだね。

同紙が日本人の電報に関して「過剰で儀礼的でノスタルジックな」と言っているのは、決して「過剰な表現」じゃないのだと、さらなる実感で納得してしまったよ。 

 

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2022年10月25日

「セイロガン糖衣 A」が「セイロガンと言えぃ!」

2日前になってしまうが、23日の TBS ラジオ『安住紳一郎の日曜天国』の聴取者からのメッセージテーマは、「私の勘違い」というものだった。その中でおもしろかったのは、胃腸薬の「セイロガン糖衣 A」が「正露丸と言えぃ!」(あるいは「正露丸とイエー!」)だと思っていたという勘違いである。

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このメッセージが紹介されると「私もそう思ってた」というメッセージが次々に寄せられたという。それを聞いて、「この番組の聴取者はスゴい!」と妙に感動してしまったよ。

私も幼稚園に通っていた頃、天気予報の「波浪注意報」は「ハロー注意報」で、外国人を見かけたら即逃げなければならない日だと思っていたのだが、それより数段上のノー天気さである。

興味深いのは、この勘違いをしていたのが「35〜6歳の人に集中している」と安住アナが言っていたことだ。これには理由があるはずだと思い、調べてみたところ、大幸薬品の「企業情報/沿革」ページで、「セイロガン糖衣 A」の販売が開始されたのは、1981年 11月だとわかった。

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今 35歳の人は 1987年生まれなわけで、幼稚園か小学校に入ったばかりの頃にテレビやラジオから盛んに聞こえてくる「セイロガン糖衣 A」が、「セイロガンと言えぃ!」や「正露丸とイエー!」というキャッチフレーズみたいに聞こえたというのは、十分に頷ける。

それ以前の世代は「正露丸糖衣」という薬に関して聞き覚えがあったはずので、妙な勘違いをしないで済んだのだろう。また、35歳より若い世代にとっては、あの「黒茶色のクレオソート丸薬」ではない「糖衣錠」が当たり前になってしまったので、単に「セイロガン」で済んでいるのだと思う。

ちなみに「セイロガン糖衣 A 」と「正露丸糖衣」は別の製薬会社から出ているもので、大幸薬品のものは表記がカタカナ混じりになっているのがミソだ。これに関して商標権の問題でいろいろなゴタゴタがあったというのは、知る人ぞ知る事実である(参照 1参照 2)。

この日の「私の勘違い」のコーナーは、これ以外にも

  • 新潟出身の同僚が「昔、鎌倉に住んでいた」と言うのを聞いて、思わず「(雪の)かまくらに住んでたんですか !?」と口走った。
  • 子どもの頃からずっと、「別府毎日マラソン」は「毎日走るマラソン」だと思っていた。
  • 実家の姉です。食べてください」と書かれたメモが、「実家の柿」の間違いだった。

・・・ 等々、素晴らしい勘違いに溢れていた。3番目は「勘違い」より「書き(柿)違い」と言った方がいいかもしれないが、とにかく日本もなかなか捨てたものじゃない。

 

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2022年10月24日

中国共産党大会の「異様」な光景

朝日新聞が昨日付で "胡錦濤氏の退席は「体調不良」 新華社 「人事に不満」を打ち消しか" というニュースを伝えている。添えられた YouTube 動画を見れば、胡錦濤前総書記は出席し続けるのが困難なほどの「体調不良」とは見受けられず、当初は退席を拒否している様子なので、かなり「不自然」な印象だ。

現総書記の習近平はこの間ずっと、「さっさと消えな」と言わんばかりのつれない表情だし、胡氏の左隣の人物が何か言いたそうに立ち上がった時は、その隣の人物に制止されている。さらに彼が退席する間、心配そうに見送る者なんて一人もおらず、一様に無表情で前を向き、無関係を決め込んでいる。

「不自然な印象」は、こうした光景で決定的なものとなる。いや、これは「不自然」というより「異様」と言う方が適切だろう。全てが習近平の意向に沿って舞台裏で決められ、誰もそれに逆らえないというのが見え見えだ。

唯一、胡氏の去り際に軽く肩を叩かれた NO.2 の李克強首相がさりげなく頷くのが見えるが、その李氏も、党規約の改正案などには異を唱えず賛成している。これによって、自らが新執行部から外れる原案に形式上ではちゃんと同意しているわけだ。

李氏としてはここで下手に抵抗したりしたら、後で妙な言いがかりで拘束されてしまうなど、とんでもない扱いを受けることになりかねないので、賛成するほかなかったのだろう。しかし賛成してしまったからには、拘束されるまでには至らなくても冷や飯を食うことになるのは確実である。

というわけで、この動画は中国という国家の露骨なまでに嫌らしい体制を如実に象徴している。さらに、こうして独裁体制を一層強固にしたように見える習近平にしたところで、今後の体制変化によってはどんなことになるか知れたものじゃない。

月並み過ぎるほどの芸無しな言い方だが、そんな国に生まれなくて本当によかったよ。もっと書いても不愉快になるばかりだから、以上、終わり。

 

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2022年10月23日

"さんすうテスト" レベルの問題で冷や汗かいた

「えのげ」というサイトに【「嘘でしょ…」ある通信制高校の数学テストが “さんすうテスト” だと話題に】というブックマークがある。見てみると、Twitter に m さんという方が「みなさん通信とはこういう所です」として、ある通信制高校の「数学 I」の試験問題の画像を紹介している。

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「“さんすうテスト” だと話題に」と、「算数」をわざわざひらがな表記しているほどだから、小学校 1〜2年生レベルの問題なのかと思いつつ安易に写真の問題を見て、「ヤ、ヤバい!」とアセった。この程度は一瞬で答えられなければいけないんだろうが、実際問題として、ちょっと考えてしまったよ。

まあ、(1)〜(3)はほぼ一瞬だったが、(4)の「(−9)÷(−3)」は、「ありゃ、3 かな、そうだよね、−3 じゃないよね」と、一瞬以上の間が開いた。さらに(5)と(6)の「(−3)²」と「−3²」の違いなんてことになると、やや冷や汗ものである。

上の写真からは外れていて、Twitter の元記事写真にある、(7)と(8)の分数計算は、さすがに通分というのを忘れていなかったのでひょいひょいっと解けたが、問題はこれで終わりじゃなさそうだ。元記事写真からも外れている (9)以後の問題は、さすがにもっとややこしいんじゃなかろうか。

私は 11年前の ”「数字数式認識障害」とでも言いたくなるほど、数字に弱いのだよ” という記事でも書いたように、「数字」というものに極端に弱い。というわけで、きっとさらに冷や汗をかきそうである。

いずれにしても通信制高校を馬鹿にしちゃいけない。個人的な知り合いの中にも、子どもの頃に経験した「いじめ」などのせいで対人恐怖症になり、高校は通信制だったという人が複数いる。彼らは後に障害を克服して、世間で「難関」と言われる大学に入り、立派な仕事に就いた。

ちなみに元々の tweet だが、「みなさん通信とはこういう所です」とあるので、「みなさん通信」ってどういう通信なのかと思ってしまったよ。読点を入れて「みなさん、通信とは・・・」とすべきだろうね。ついでに言えば「所です」も、「実際にある特定の場所」じゃないので「ところです」の方が望ましい。

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いずれにしても問題は、安易に通信制を差別するような感覚が、ややもすると「いじめ」の元凶になってしまいがちなことである。

 

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2022年10月22日

東京カリント(株) さんに「いいね」してもらった

昨日、自分の Twitter アカウントを眺めていたところ、18日付 ”「東京カリント」と「くまモン」のコラボ ” という記事の tweet に東京カリント株式会社の公式アカウントから「いいね」されていることに気付いた(参照)。いやはや、まことにありがたいことである。

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私はこれまで、自分のブログで特定の企業の商品やサービスに関して褒めたことが何度かあるが、それに対してまともな反応をしてもらったことはほとんどない。それだけに、今回の「いいね」はかなり嬉しく受け取らせていただいた。

東京かりんとさんきっと、インターネット上の自社の取り上げられ方に関しては、日常的にチェックされているのだろう。なかなか立派なことである。さらにチェックするだけでなく、きちんとリアクションを取ってくれるというのは、素晴らしいマーケティングだ。

それだけに、くまモンとのコラボもウィンウィンの関係でうまく行っただろう。

今日は久しぶりで都内での仕事があって都心まで出たついでに、東京カリントを買って帰ろうかと思っていたが、つい遅くなってしまって叶わなかった。今、帰りの電車の中で、Amazon のサイトで「煉蜜かりんとう」を注文したところである。届くのが楽しみだ。

それにしても、東京は人が多すぎるね。疲れてしまったよ。10年ちょっと前までは毎日東京に通勤していたのがウソみたいだ。

【10月 24日 追記】

この記事を知らせる tweet にも、東京カリントさんがいいねしてくれた(参照)。ありがたいことである。

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2022年10月21日

新型コロナ "第8波" の来るのは確実らしい

NHK が 「新型コロナ "第8波" は来る? 来るならいつ? 専門家の分析は」というニュースで、"ようやく新型コロナの「第7波」がようやく収まってきたかというタイミングで、もう「第8波が来る」という話が出てきています" と報じている。いやはや、もううんざりなのだが。

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私は 9月 15日付の "コロナのパンデミック、3年経ったら「飛んでいけ〜」" という記事で、世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルスのパンデミックについて出した「まだ到達していないが、終焉が視野に入っている」という声明を歓迎している。しかしその「視野」というのは、かなり遠くを見ているらしい。

NHK は今回のニュースで、「このところ、新型コロナの次の感染拡大「第8波」への危機感をあらわにする発言が専門家から相次いでいます」と伝えている。こんなような具合だ。

「専門家の間では、コロナに関してはかなり危機感がある」(10月12日 厚生労働省専門家会合 脇田隆字座長)

「日本でもこの冬、かなり大きなコロナの感染拡大が起きるおそれがあるという認識を共有している。これにインフルエンザの流行が重なれば医療体制にさらに深刻な負荷がかかるおそれがある」(10月13日 新型コロナ対策分科会 尾身茂会長)

13日には分科会の尾身会長も「医療の専門家からは新型コロナ単独で第7波を大きく上回るような感染拡大が起きる可能性があるという危機感が示された。

7月から始まった「第7波」は 8月のピーク以降、ずっと下降傾向にあるが、最近になって横ばいから増加傾向に転じているとされる。気温低下による換気不足や旅行支援策による人との接触機会の増加などの要因で、感染増加のリスクは確実に高まっているようなのだ。

名古屋工業大学の平田晃正教授が行った AI を使った予測によれば、ここしばらくは感染者数はそれほど変わらなそうだが、年末年始はかなり増加するということのようだ。さらにインフルエンザとの同時流行も懸念されるというから、厄介な話である。

今年の年末から正月にかけても、これまで同様に家で大人しくしている方がよさそうである。もうそろそろマスクを外して自由に出歩きたいのだが、それはもう少し先になるようだ。

 

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2022年10月20日

マイナンバーカードと健康保険証の一体化を巡る冒険

Livedoor News が「マイナカード "事実上の義務化" ・・・ 市役所に問い合わせ殺到  "写真の撮り直し" 希望も」というニュースを伝えている。わかりにくい話なので、「じゃあ、具体的にはどうしたらいいの?」ってことになるのは当然だ。

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ニュースの見出しにある "写真の撮り直し" というのは、「写真をこんなに、例えば保険証だったり、ポイントだったり、色々な場面で使うことを想定していなくて、結構適当にスマートフォンで撮ってしまって、写真を撮り直したいということで」(千葉県匝瑳市役所職員)ということなのだそうだ。

よっぽど寝起きの顔のままで撮ってしまったんだろうね。マイナンバーカードの当初のイメージなんてその程度のものだったから、うろたえるのもしかたがない。

私自身は既にマイナンバーカードは取得しているのだが、実際に使ったことなんてないんじゃないかなあ。それに、このカードに健康保険の情報なんて入っていないはずだから、「健康保険証として使う」なんて言われても、すぐには使いようがない。

どうすれば健康保険証として使えるようになるのか調べてみたところ、政府によるこんな動画が見つかった。どうやら自分で「申込み」とやらをしなければならないようなのだ。

要するにスマホを使って、自分のマイナンバーカードに健康保険情報を紐付けするってことらしい。ただ私ならこのような類いの作業だったら「申込み」ではなく「登録」とか何とかいう言葉を使うと思うがなあ。

これを「申込む」という言葉で表現したのでは、「で、結局どこにどう申し込めばいいの?」というような混乱の元にならないはずがないと思う。まあ、政府やお役人の言葉センスって、この程度のものなのだろう。

この「申込み」、やれば簡単にできそうだが、「何が何だかわからん」と言い出す年寄りも多いだろう。勤務先の健保組合に加入していた人が、勤めを辞めて国民健保に代わる場合などの手続きの説明も、今いちよくわからない。実際には混乱確実だと思う。

そもそも "紙の健康保険証を 2024年秋に廃止できるか、マイナ保険証への完全移行に 3つの課題" (日経 X Tech 10月 17日付)とか  ”2年後の健康保険証廃止「可能かどうか非常に懸念」日本医師会長”(朝日新聞 10月 18日付)みたいな記事が早々に出ているのを見ても、かなり心配になってしまう。

政府の言ってることを素直に聞いても、まともに運ぶことなんて少ないというのは、これまでの経験でしっかりわかっているから、ある程度の混乱は今から覚悟しておく方がいいだろう。これって、まさに「冒険」だ。

 

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2022年10月19日

参勤交代の裏事情

Japaaan のサイトに ”江戸時代の制度「参勤交代」の宿事情と排泄事情。大人数で長旅となると…” という記事がある。確かに大人数で「下に〜、下に〜」と練り歩くだけに、下(しも)の方の事情もなかなかビミョーなものがあったようなのだ。

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まず、大名行列の規模はどのくらいだったのかというと、次のように書かれている。

1615年の武家諸法度では、20~100万石の大名は20騎以下、10万石以下の大名は分相応、となっています。さらに、1万石以下の場合は騎馬3、足軽20、人足30という少なさでした。

なるほど、石数によっていろいろだったのだね。加賀百万石の大名行列なんて、人数にして 4,000人に達したというのだから、経費負担も相当のものだったはずで、謀反を起こすための蓄財なんてできるわけがない。江戸幕府の政策というのは、基本的に「歴史を動かさない」ことにポイントがあったようだ。

さて肝心の「排泄事情」だが、大名の排泄物に限っては、「途中で捨てるのではなく、江戸か国に着くまで持ち運んだ」とされている。「大名のような高貴な人の排泄物を人々にさらさないため」だったというのだから、「歴史を動かさない」ために無駄なことまでする配慮は、隅々にまで及んでいた。

それでは、大名行列はどのくらいの日数を要したのかということだが、nippon.com というサイトの「江戸から近い藩、遠い藩の日程・ルートを比べると…」というページには、次のような表がある。

距離 日程
 加賀藩(前田)/ 金沢城  119里(464.1km)  12〜15日
 仙台藩(伊達)/ 仙台城  92里(358.8km)  8〜9日
 鳥取藩(池田)/ 鳥取城  180里(702km)  約22日
 萩藩(毛利)/ 萩城→山口城  267里(1041km)  21〜29日
 宇和島藩(伊達)/ 宇和島城  255里(994.5km)  約30日
 薩摩藩(島津)/ 鶴丸城  440里(1716km)  40〜60日

常陸・下妻藩(ウチからさほど遠くない)の場合は二泊三日程度で済んだようだが、仙台藩は 8〜9日を要した。さらに江戸から最も遠い薩摩藩となると 40〜60日もかかり、そっち方面の担当の人足は下手すると 2ヶ月もお殿様のウンコを担ぐことになる。さぞかし香しかっただろう。

さらに言えば、駕籠に乗って延々と運ばれる大名も楽ではなかったはずだ。どこかの博物館で、参勤交代で実際に使われた駕籠というのを見たことがあるが、いくら昔の人は小柄だったとは言え、驚くほど小さかったという印象がある。図体の大きな私なんかは、到底収まりきれない。

飛行機で欧米に行くときなど、狭いエコノミー・クラスの席で 5〜6時間じっとしてるのも辛く感じる私としては、江戸の世の大名なんかに生まれつかなくて本当によかったよ。

飛行機にはトイレもあるしね。

 

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2022年10月18日

「東京カリント」と「くまモン」のコラボ

昨日、当サイトの右サイドバーにある「人気記事ランキング」の項目で、いきなりのように "「東京カリント」は、大阪で食べても「東京カリント」だが " という 8年前の記事がトップに躍り出ているので驚いた。書いた当人が「なんでまた、こんな記事が・・・」と思うほどの「藪から棒」的現象である。

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これはもう、東京カリントが何か画期的なことをしているに違いないと思い、試しに「東京カリント キャンペーン」でググってみると、「Twitter プレゼントキャンペーン」というのに行き当たった。締め切りが 10月 17日(昨日)だというので、急にアクセスが増えたのかもしれない。

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それにしても、こんなようなことで私のブログにアクセスしてくる人も少なからずいるのだね。なんだか複雑な思いである。

ただおもしろいのは、東京カリントの売り物は社名が示すように「かりんとう」のはずなのに、このキャンペーンの対象はなぜかドーナツで、「ハロウィンドーナツ」なんて銘打たれている。しかも、東京から遠く離れた熊本県の「くまモン」がフィーチャーされているではないか。

一体どういうことなのかと調べてみると、東京カリントが今年 9月からドーナツも扱い始めたとわかった。"くまモンパッケージが熊本県牛乳使用をアピール。深く豊かな味わいの「ミルクチョコドーナツ」" という時事通信の記事(2022年 9月 5日付)に詳しく書いてある。

いやはや、ちっとも知らなかった。いかにかりんとうの名門、東京カリントといえども、今どきはそれだけにこだわっていては時代に乗り遅れるということなのか。しかも「ドーナツはドーナツでもひと味違う」というアピールのため、熊本県とコラボしてるというのも、なかなかおもしろい。

マーケティング的な視点からすると、東京カリントとくまモン、どちらもエラい!  なにしろウチのブログの記事へのアクセスまで急増させてくれてるのだから、他にもいろいろな波及効果があるのだろう。

それにしても、くまモンの存在感というのは圧倒的だね(参照)。

 

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2022年10月17日

他言語が話せるようになると、脳が若返るらしい

Quora に「英語を勉強しなくても良いアメリカ人、イギリス人は英語が母国語ではない他国に比較して、相当有利(時間にして 5000〜10000時間くらい)ではないですか?」という質問があり、それに対してとても興味深い回答が付けられている。

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その前にまず、Quora でこの質問を発した人には基本的な誤解がある。英語を母国語とする人は改めて英語を学ばなくてもいいというわけではなく、英米でもほとんどの学校で "English" という授業がある。日本人が「国語」(つまり「日本語」)を学ぶのと同じことだ。

そして、Naoya Yamaguchi という方の回答がおもしろい。「(外国語として)英語を学ばなければならないことは、若いころに不利で、老後に有利になる」というのだ。以下に引用してみよう。

エジンバラ大学のトーマス・H・バックらによれば、話せる言語が一つ増えるたびに、脳は機能面で少なくとも五年分若返る。この効果はアルツハイマー型認知症さえ抑え込む。

日本語が母語ならば、英語を話せるようになる効果は、例えばフランス語やドイツ語が母語の場合と比べて、ずっと大きいかもしれない。日本語と英語のバイリンガルは老後にとても有利になる。

多言語を話すほど脳が若返り、母語が日本語ならばその効果はさらに大きいかもしれないというのである。

ちなみに、これで思い当たったことがある。私の卒業した山形県庄内の高校の同窓会に出席すると、集まった同窓生は他の関係で付き合いのある同年代の連中より明らかに若々しいのだ。

これ、もしかしたら庄内生まれの人間の「バイリンガル効果」なのかもしれない。というのは、庄内弁というのは共通語と比較したら「ほとんど外国語」というほど違うのだ。他から来た人間が庄内人同士のディープな会話を聞くと、口を揃えて「一言もわからない」と言う。

ところが、ブラジル出身の友人は母語がポルトガル語だが、「スペイン語なら、ほとんど自然にわかるし、イタリア語も想像力を働かせれば大体わかる」という。こうした感覚からしたら、我々は多少の努力によって「庄内弁と日本語のバイリンガル」になったと言っていいと思う。

なるほど、地元から離れて暮らす庄内人が若々しいわけだ。脳が若いので、見かけも若々しくなるのだろう。さらに言うと、「庄内弁は忘れた」なんて言って共通語だけになってしまった連中より、脳内スイッチを切り替えれば今でもガンガン庄内弁でイケる方がさらに若々しい。

この効果は北関東訛りや博多弁程度の方言では得られまい。津軽や琉球、薩摩とかの、「ほとんど外国語」というレベルの方言でないと無理だ。さらにこうした地域でも最近の若い層のように「方言を話せない」ようになってしまっては、不可能だろう。

私の場合は「ちゃんとした共通語と濃〜い庄内弁の完全バイリンガル」に加え、「それほど不便を感じない程度の英語」も加えて「バイ・アンド・ハーフ・リンガル」と言っていいので、さらに若ぶってガンガン生きて行こうと思っている。

 

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2022年10月16日

NHK 英会話テキストの "stand by" を巡る人生模様

「何十年かぶりに買ったNHKラジオ英会話の会話文例が深刻過ぎて、何があったのか気になってしょうがない」という、Jack Singapore さんの 10月 11日付の tweet がある(参照)。こんなような写真付きだ。

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これはテキストの「by のイメージ ④」という章にあるもので、「by の最終回。基本イメージを復習しながら、いくつかの頻用フレーズを気軽に学んでいきましょう」とあるが、ちょっと「気軽に」とは言えない内容だ。何しろテキストに添えられた「日本語訳例」は、こんなものである。

ケリー: タクマ、私、10月の結婚式を取りやめたいんだけど。
タクマ: 取りやめるって? どうしてだい? 僕たちはもう、招待状を出したんだよ。
ケリー: じゃあ、結婚式をやめることになったという手紙を出せばいいわ。
タクマ: だけど、どうして? 何が問題なんだい?
ケリー: 私たち、今すぐ結婚するべきじゃないと思うのよ。
タクマ: それって僕たちが決めたことじゃないか。自分たちで決めたことは守らなきゃ。
ケリー: でも、あなたは私の考えを尊重してくれるつもりはあるの? そっちの方がもっと大事じゃないの?
タクマ: もちろん、そうだけど。

「by の使い方」ということで言えば、タクマの "We have to stand by our dicision."(自分たちで決めたことは守らなきゃ)という発言がオレンジ色で強調されている。

"Stand by" の意味は、weblio では「そばにいる、(何もしないで)傍観する、(いつでも行動できるように)待機する、(放送開始に備えて)待機する、スタンバイする」ということになっている(参照)が、この場合は、研究者新和英中辞典にある「(約束などを)守る」という訳語が適切だろう。

さらにそれに続くケリーの "But are you going to stand by me?" という発言は「でも、あなたは私の考えを尊重してくれるつもりはあるの?」と、かなり意訳っぽく訳されている。私としては「私のそばにいて守ってくれるの?」と訳すところだが、同じ "stand by" でも、いろいろな意味合いがあるわけだ。

ちなみにケリーは結婚の約束を "stand by" (守る)することは望まず、「別れましょう」と匂わせながら、その一方ではタクマが自分を "stand by" (守る、尊重する)してくれることは望んでいるように見受けられる。「それって、何だかおかしいんじゃないの?」と思わざるをえない。

あるいはケリーとしては日頃から、タクマが自分を "stand by" してくれていないと感じているので、結婚の約束を"stand by" するのを躊躇しているのかもしれない。だったら、初めから結婚しようなんて思わなければよかったのにね。

いずれにしてもこの二人、さっさと別れた方がよさそうだ。

 

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2022年10月15日

使うと時代遅れと思われかねない 10 の ”emojis" (絵文字)

HUFFPOST に「この絵文字を使ってるあなたは時代遅れかも。Z世代が “理解に苦しむ” 10の絵文字」という記事がある。世代によって使い絵文字も変わるので、「❤️」や 「👌 」などの 10の絵文字を使うと、「時代遅れ」と思われるリスクがあるのだそうだ。

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そのため、職場で絵文字を使用する際は、チーム内で絵文字の意味を理解しているかを事前に確認しておくことが薦められている。この記事で紹介されている「リスクのある絵文字」は、次の 10個。

👍  いいね ❤️  赤いハート
👌  オッケー(手)  チェックマーク
💩  うんち 😭  大泣きしている顔
🙈  見ざる 👏  拍手
💋  キスマーク 😬  ちょっと不快な顔

この中で私がたまに使ってしまうのは、最初に示した「👍」かもしれない。妻との LINE でのやりとりで、単に「了解」と入力すると、このアプリの仕様なのか自動で「👍」が付いてしまい、削除修正するのも面倒なのでついそのまま送ってしまう。

他の人に対して使うことはほぼないので、まあ、いいのだが、LINE って実は「時代遅れ」なのかもしれないのだね。だからってわけじゃないが、私が今でも LINE に馴染めないのはこうした独自仕様のせいもある。

「🙈  見ざる」だの「💩  うんち」だのは、これまで一度も使ったことがないと思う。そもそも絵文字なんてほとんど使わず、「^^;) 」と「(^o^)」の顔文字を辛うじて使う程度だ。私ってば、絵文字どこじゃない時代遅れである。

ところで、この記事で驚いたことがある。これは ハフポスト UK版 の記事を翻訳・編集したものだという断り書きがあるが、元記事に飛んでみると、タイトルが ”If You Use These Emojis, Sorry – You're Old Now" となっているじゃないか。

"Emoji" って、国際語なのだね。ちっとも知らなかった。しかも「10の絵文字」だから"emojis" ("emojies" じゃない)と複数形になってる。いやはや、新しい発見ってあるものだ。

 

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2022年10月14日

「マンスプ男」と「カマトト女」では、どちらが強い?

10月 11日付 " 「マンスプ」(マンスプレイニング)を巡る冒険" に関するコメントのやりとりをするうちに、ふと "「マンスプ」の反対語は「カマトト」なんじゃなかろうか?" なんて思い当たってしまった。対極的存在だが、どちらも「鼻持ちならない」点では共通する。

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マンスプ男が得意げにノリまくってご高説を垂れまくっている間、それを聞くカマトト女がかわいぶって「へぇ、そうなんですかぁ、スゴーい! 〇〇さんて、何でも知ってるんですねぇ、尊敬しちゃいますぅ!」なんて反応しまくったら、下手すると傍目にはさも相性良さそうに見えるかもしれない。

ただ実際には、これで疲れ果ててしまうのは何と言ってもマンスプ男の方だろう。徒労感が昂じて、そのうち大人しくなってしまうなんてこともあり得る。ということは、マンスプ男を静かにさせるには、カマトト女が最も力を発揮するかもしれない。

ちなみに女性でも「マンスプ」に相当する存在がいないわけじゃない。このブログで最近論じた 某 T とか、某 M とかは「ウマスプ女」とでも名付ければよさそうな気がするが、静かにさせるために「カマトト男」を演じようとしても、こちらとしては全然板に付かないしなあ。

そうなると、最強は「カマトト女」か。

 

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2022年10月13日

裏磐梯の絶景山岳ロードから帰った

昨日付の「和歌ログ」でも触れたが(参照)、本当に久しぶりで妻と 2人で一泊二日の旅に出た。行き先は福島県の「磐梯吾妻スカイライン」。昨日はその手前の「磐梯山ゴールドライン」と「磐梯吾妻レークライン」を走り、今日は本番のスカイラインを辿った。

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ただ、今日はさすがに本番だけに標高も高く、「まるでアリゾナ」と評判の「浄土平」は、完全に雲の中を走っただけで、その絶景はあまり楽しめなかった。上の写真はその南側に下った「双竜の辻」から、遙かに猪苗代湖を望んだところである。

今回は浄土平を満喫できなかったので、その雪辱のために好天を見計らって再訪したいと、妻と話しながら帰ってきた。その価値は十分にありそうだ。ただ混雑はご免なので、空いた時期のウィークデーにしたい。

裏磐梯はとにかく自然のスケールが雄大で、しかもつくばの地から都心の混雑を通り抜けずに行けるので、何度でも行ってみたいところとなった。今回走ったことで土地勘ができた上に、なかなかイケる料理を出してくれる山小屋風の店もわかったので、次回はさらに楽しめそうだ。

というわけで、今日は朝から晩までドライブして結構疲れたので、この辺でおしまい。

 

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2022年10月12日

「団塊の世代」も、後期高齢者になりつつあるしね

"NHK「Live Love ひょうご」で森麻衣子アナが「団塊」を「だんこん」と誤読する放送事故" に笑ってしまった。今や「団塊の世代」という言葉は文字で見たことしかない、つまり会話などで実際に口に出して言う機会をほとんどもたなかった世代がプロのアナウンサーになってるのだね。

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この人、多分「塊」と「魂」の字がゴッチャになってたんだろう。ただそうだとすると、「団体を組んだ魂」ってちょっとコワい気もするが。

Twitter は案の定、この問題で「外国人多すぎるな」とか「国営放送のNHKはもちろん日本国籍のみ採用ですよね?」とかいう、近頃ありがちなコメントで賑わっている。右側の人たちって、何でもそっちの方のタネにしちゃうという点では感心するほどマメである。

ちなみに「団塊の世代」というのは、フツーは 1947年から 1949年の 3年間に生まれた約 810万人を指すと言われている。1952年生まれの私は「団塊の世代の尻尾」を自認していて、いつも上の世代からの妙な圧力を感じていた。

それだけに「俺はあいつらとは違うからね」なんて、ことさらなまでの対抗意識がある(参照)のだが、とはいえ「だんこん」なんて言われては、ちょっと気の毒ではある。ただ、彼らもついに 75歳以上の「後期高齢者」と言われるステージに足を踏み入れつつあるわけだ。

最近つくづく思うのだが、彼らの弱みは「ネット社会への適応不足」である。もちろん、ネットが得意な団塊の世代だっていくらでもいるが、苦手意識を持つ人が相対的に多い。

これまで「数の力」で圧倒的存在感を示してきた彼らだが、ネット社会は「個人の力」による発信のウェイトが大きいから、これまでのようなわけにいかない。それが「後期高齢者入り」の時期と重なってしまったものだから、ずいぶん大人しくなってしまっている印象がある。

そんなわけで私としては、5年後には「ネット発信力をもつ新しいタイプの後期高齢者」というステージを構築しようなんて思ってしまったので、どうぞ

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2022年10月11日

「マンスプ」(マンスプレイニング)を巡る冒険

一昨日は「リスキリング」という最近知った新語(?)について書いた(参照)が、今日は「マンスプ」である。これは正真正銘、昨日初めて知った言葉だ。

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Haruka Suzuki さんという人の「アメリカ人の友達が、とても不思議な🇯🇵の結婚式に呼ばれたことがあると」という tweet が話題なので行ってみたところ、それ自体は典型的な「日本あるある話」なのだが、「マンスプ湧いてくるまでがセット」という不思議な断り書きが付いている(参照)。

さらにその後に「予想どおりマンスプがわらわら湧いてきました」と書かれているので、「一体どんな虫かいな?」と、ググらずにはいられなくなってしまったわけだ。

調べたところ、「マンスプレイニング(mansplaining)」という新語の省略形と判明した。"Man"(男)と "explain" (説明する)の合成語ということで、Wikipedia では次のように説明されている(参照)。

「(男の)見下したような、自信過剰な、そしてしばしば不正確な、または過度に単純化された方法で女性や子どもに何かについてコメントしたり、説明したりする」という意味の批判的な用語である。

これ、New York Times の 2010年「ワード・オブ・ザ・イヤー」(「流行語大賞」みたいなもの)に選ばれたというから、私ってば干支が一回りしてから初めて知ったことになる。ちなみに現在は対女性や対子どもに限らず、「男が得意げに説明する」という意味で使われるようだ。

で、この言葉を「的確に表現している」漫画というのが、2017年に雑誌『ニューヨーカー』が紹介したこれだ(参照)。

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"私は『これ、何を表してるのかな』とは言ったけど、『何を表してるのか教えて』とは言ってないわよ" というキャプションが付いている。女性としては単に軽く呟いただけなのに、連れの男性がここぞとばかりエラソーに講釈を垂れるので、うんざりしてしまってるわけね。

というわけで、「俺、この『マンスプ』みたいなこと、したことないだろうか?」と考えてみて、ちょっと胸の中がざわついてしまったよ。このブログの過去記事を総点検したら出てこないとも限らないけど、見つけてもどうか笑って見過ごしてね。

それにしても最近の新語、「リスキリング」とか「マンスプレイニング」とか、カタカナを見ただけでは直感的に意味を把握しにくいし、そしてとにかく言いにくい。「新春シャンソンショー」ほどじゃないけど。

 

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2022年10月10日

来年春の花粉症は、キツいことになりそう

NHK が、来年春の花粉飛散量が今年より多くなるという日本気象協会発の情報を伝えている(参照)。今年の春はありがたいことに花粉アレルギーの症状が軽かったが、来年はどうやらキツくなりそうだ。

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花粉の飛散量は前年の夏の気象条件に大きく左右されるという。この夏は梅雨が短く、日照時間が多かったから、花粉も多くなるというわけだ。ということは、主要な条件が既に決定項になっていて、今からでは変えようがない。

特に四国は今年の 2.7倍、近畿と関東甲信は 2.4倍の飛散量が予想され、それぞれ「非常に多い」ということになるという。ここ 10年の平均と比べても、関東甲信は 1.9倍だそうで「多い」という評価なのだそうだ。こりゃ、たまらない。

日本気象協会は、「ことしの春は花粉が少なかった地域も多く、スギの木に花粉を作るエネルギーが蓄えられていることも影響し、各地で多くなる見込み」としている。要するに今年はスギの木も「体力温存」して、来年に向けて手ぐすね引いてるのだね。

猛暑の夏を越したら、秋とは名ばかりで夏と冬を行ったり来たりみたいなことになり、一昨日の記事で今年は厳しい寒さになりそうだと書いたと思ったら、その冬が明けると花粉症のキツい春になるという。やれやれ、せいぜい覚悟して対策の準備をしておこう。

 

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2022年10月 9日

「リスキリング」は、自分で学ぶのが一番

「リスキリング」という言葉を初めて文字で見たときは素っ頓狂にも「リスを殺すんか?」なんて思ってしまったが、最近は 10月 3日付日本経済新聞の「リスキリング支援「5年で 1兆円」 岸田首相が所信表明」という記事の見出しにまでなっているほどで、やっとお馴染みになった。

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元の英語は "reskilling" (「スキル」のやり直し)で、Cambridge Dictionary では次のように説明されている(参照)。

the process of learning new skills so you can do a different job, or of training people to do a different job:

「異なった仕事をするために、新技術を学ぶことの、または人々を訓練することのプロセス」ということで、繰り返しになるがいずれにしても、"to do a defferent job" (異なった仕事をするために)というのがポイントだ。

極端に言えば、パイロットが酪農家になるとかいう「まったく異なった職種」に転向するケースも想定されていないわけではないだろう。しかし現実的には、過去に身に付けたスキルの単純な応用ではこなしきれない新事業に着手するケースで使われることが多いと思われる。

つまり技術的進歩の著しい昨今のビジネス社会では、転職なんかしなくても、この「リスキリング」が不可欠なのだ。ところが実際の現場でこれがなかなかうまくいかないのは、誰もが感じている通りである。

東洋経済 ONLINE の ”35歳過ぎて「全然学ばない人、独学する人」の大差 「独学で、人生が劇的に好転!」超納得の 4大理由” という記事には、リスキリングしないとこんなことになるよという例が 4つ挙げられている。

  1. 変化に追いつけず「やるべきこと」を見失っている
  2. 「自分が育てられたときと同じこと」しか部下に教えない
  3. 「自分にはもう人生の選択肢なんてない」と諦めている
  4. 「自分の考えは正しい」と無理やり意見を押し通す

まあ、こんな手合いは私が現役で仕事をしていた頃からいくらでもいたから、驚くようなことじゃない。

こんな上司と付き合うには、口だけ「はいはい」と言って従うふりをしながら、実際の仕事はどんどん新しいやり方で進めてしまえばいい。初めのうちは何だかんだと文句や嫌味を言われるが、そのうち自然に向こうが引き下がって大人しくなる。何しろ結果を出した方が強いのだよ。

それだけに、東洋経済の記事を書かれた高橋俊介氏も「独学」を強調されているわけだ。こういう話は会社に期待しても多くは得られないから、自分でやるしかない。

 

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2022年10月 8日

この冬は、厳しい寒さを覚悟した方がよさそうだ

今日は平年並みぐらいに戻ったようだが、昨日と一昨日の関東は「肌寒い」どころではない「まともな寒さ」だった。東洋経済 ONLINE が気象予報士の久保井朝美さんの "「10月なのに12月並み」東京 88年ぶりの寒さの理由” という記事を紹介している。

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記事には「寒さの理由の 1つは、上空に寒気が流れ込んだことです」とある。10月 7日の上空 1500メートル付近は、山で雪が降る目安となる 0℃以下の寒気が東北の一部まで南下していたといい、これは偏西風の蛇行が大きかったためだったという。

そんなこんなで、一昨日はたまらず Tシャツの上にフリース・ジャケットを重ねたが、昨日は Tシャツの上に長袖プルオーバーを重ね、その上にフリースを重ねないと我慢できなかった。今月 1日は少し動くと汗ばむほどだったが、1週間足らずでいきなり夏から冬になったようなものだ。

記事のサブ見出しも「秋は短く、冬は厳寒に」とあり、本文中にも「今年はラニーニャ現象の影響で、快適と感じられる秋の陽気は短い見込みです」とある。ラニーニャが発生していると、夏は暑いが冬は寒い傾向があるという。

この冬(12月~2月)の平均気温は、東日本と西日本を中心に平年より低い見込みとなっているらしい。9月 30日の記事で私は「この調子では、冬は豪雪なんてことにならなければいいがと、今から心配になっている」と書いた。豪雪はどうだかわからないが、厳しい寒さは覚悟しておく方がいいようだ。

 

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2022年10月 7日

「右」の方の界隈の「一心同体」意識

例の三重の小林貴虎県議の「SNS 上の国葬反対意見の 8割は隣の大陸発」という誤情報のソースが高市早苗氏だったことについて、その後の情報をみると、私が当初考えていたよりも危険な話だったと思わざるを得ない(参照)。

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私は一昨日の記事で次のように書いた。

高市氏としては当然ながら、「国葬反対の SNS 発信の 8割が隣の大陸から」なんてことは言っていないのだろう。ただ、講演ではいろいろなところに話が飛び、聞きようによっては「そんな風に受け取られかねない」みたいな言い回しが混じってしまったのかもしれない。

しかし昨日の記事で書いたようなことも踏まえると、これでは「高市氏に親切すぎ」と思わざるを得なくなった。実際は 「聞きようによっては」どころか、「フツーに聞けばそうとしか受け取れない」みたいな言い方をしたんじゃなかろうか。

何しろネタ元となった 10月 2日の日本会議主催による講演(参照)だが、らむねさんが昨日付の記事にコメントで知らせてくれたように、日本会議が自らのウェブページのイベント案内に乗せていないほど(参照)、「極めて内輪向け」のものだったようだ。要するに「相当に濃い内容」のイベントだったのだろう。

それだけに高市氏としてもつい張り切って、完全に内輪向けの「盛りに盛った話」をしてしまった可能性がある。だからこそ、自身の言い訳 tweet でも、「そんなことはまったく言ってない」と明確に否定することができなかったんだろう。熱烈な同志を「嘘つき呼ばわり」するわけにいかないからね。

日本会議に限らず、そうした界隈の人たちって、内輪の集まりだと無茶苦茶「濃〜い話」をして、「そうだそうだ、その通り!」と、熱く盛り上がりたがる傾向がある。「日の丸の下、一心同体!」みたいな感覚が優先して、細かいことはどうでもよくなってしまうようなのだ。

一昨日の記事の「追記」でも触れたが、小林氏の tweet (削除済み)にあった「私が総理大臣になって頂きたいと強く願っている高市早苗先生が、政府の調査結果としてお伝えいただいた内容です」という「典型的悪文」にも、そうした感覚が満ちあふれている。

「私が/高市早苗先生が」という 2つの主語が交錯して、「お伝え頂いた内容です」という述語が、どっちの主語を受けるのかこんぐらがっている。これって、「私」と「高市早苗先生」の区別がついていない深層意識の現れだ。「一体感があり過ぎ」なのだね。

とにかく過剰なまでに愛国的なことを言いさえすれば、それだけで「心は一つ!」みたいになってしまう空気感がある。将来的には彼らの中でも細かい主義主張の違いによって「セクト」が生じる可能性もあるが、まだまだまだその段階ではないようだ。それだけに、かえってコワい。

【同日 夕 追記】

毎日新聞の 11:34 配信の記事によると、高市氏は 「発言はなかったです。ないです」と否定したということだが、「そもそも大陸という言葉、私は使いません」(使わないわけないだろ!)というような苦しまぎれっぽい話で、どうみても完全否定というわけではなさそうだ(参照)。

 

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2022年10月 6日

「情緒的な思いやりコメント」と「直情的な誤解」

今日は図らずも、昨日の "高市氏と小林氏の tweet に見る「デマ」の発生要件" という記事の続報みたいなことになる。小林氏が問題の tweet を「誤り」と認め撤回するとの記者会見を行ったとやらで、彼としてはこの問題について、表面的には「一件落着」としたいようなのだ。

何しろ、自分自身が「情報ソース」とした、尊敬して止まない高市早苗氏が自らの tweet で「不正確な情報 」と言っているのだから、撤回せざるを得ない。他の問題で単に炎上しただけだったら、「いや、俺は間違ってない!」と言い張るところだろうが。

ただ、これで小林氏が望むように「一件落着」とするわけにはいかない気がする。というのは、昨日の記事で書いたように、高市氏の講演を聞きに集まるような人の中には、小林氏と同じような「直情的な誤解」をしたくてたまらない人が少なくないだろうからだ。

今回は直情径行的な小林氏がたまたま Twitter に書いて炎上したために大問題になったが、これさえなければ同じような「直情的誤解」のまま、同じようなことをあちこちで吹聴する人が結構いたはずだ。これは間違いないと思う。

昨日の記事でも触れたが、高市氏が妙にやんわりと小林氏の誤りを指摘した「腕の耐えがたい痛みでMRI検査を受けている間に、不正確な情報が」という tweet には、彼女の体調を案ずる思いやり溢れるコメントがどっさり付いてはいるものの、小林氏を批判するようなものはほとんど見当たらない。

つまり彼女及び彼女の支持者たちは、小林氏のあのとんでもない tweet をさほど大きな問題にしたくないようなのである。そりゃそうだ、「身内のちょっとした勇み足」みたいなものだからね。

それで私は昨日、"「情緒的な思いやりコメント」と「直情的な誤解」の間のギャップって、実はそれほど大きくないのかもしれない" と、思わせぶりなことを書きたくもなってしまったわけだ。

さらに「追記」の中で、"「高市早苗先生」と「自分」とが一体化しすぎている彼の「無意識的構造」" ということにも触れている。これって、案外重要なポイントであり、改めて書くかもしれないので、そのあたりも

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2022年10月 5日

高市氏と小林氏の tweet に見る「デマ」の発生要件

高市早苗議員の「腕の耐えがたい痛みでMRI検査を受けている間に、不正確な情報が」という tweet が話題になっている(参照)。

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ここで言う「不正確な情報」というのは、例の小林貴という三重の県会議員の「国葬反対の SNS 発信の 8割が隣の大陸から出ている」という無茶苦茶な tweet(10月 2日付)のことだろう。2日後に「ソースは高市早苗先生」と明かされているので(参照)、一言対応せざるを得なかったようだ。

高市氏としては当然ながら、「国葬反対の SNS 発信の 8割が隣の大陸から」なんてことは言っていないのだろう。ただ、講演ではいろいろなところに話が飛び、聞きようによっては「そんな風に受け取られかねない」みたいな言い回しが混じってしまったのかもしれない。

とはいえ常識的に考えれば、そんな極端な誤解は生じようがないのだが、彼女の講演を聞く聴衆の中にはこうした類いの「直情的な誤解」をしたくてたまらない小林氏みたいな人物が、少なからず存在するのだよね。それを一般大衆への警鐘のつもりで Twitter なんかに書き込んでしまうのだから、始末に負えない。

「デマ」といわれる「誤情報」の中には、こうしたプロセスで発生してしまったものがかなりあると思われる。

ちなみに高市氏の「腕の耐えがたい痛みで・・・」という tweet には、「お大事に」とか「心配です」とか、彼女の体調を思いやる情緒的なコメントがやたらどっさり付いているものの、小林氏の「不正確な情報」に対する批判はほとんど見当たらない。これには、ちょっとコケた。

「情緒的な思いやりコメント」と「直情的な誤解」の間のギャップって、実はそれほど大きくないのかもしれない。

【付記】

高市氏の tweet にある「日本には情報操作(偽情報)対策の法律が無いので、政府が調査をすることは出来ません」というのは、それこそ政府による情報取り締まり強化を意図しての「偽情報」であるとしっかり認識しておきたい。

実際には「デマ」を流した場合、ちゃんと罪に問われる可能性がある(参照

【10月 6日 追記】

上で触れた小林氏の tweet は、自身が「誤り」として撤回したので、クリックしても表示されなくなっている。こんなこともあろうかと、魚拓を取っておいたので、下に貼っておく。

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細かいことを言うと、「私が総理大臣になって頂きたいと強く願っている高市早苗先生が、政府の調査結果としてお伝えいただいた内容です」というのは、「二重構文」で、典型的悪文。念のため付け足すが、いわゆる「二重主語構文」(「象は鼻が長い」など)のレベルじゃない。

この悪文、「高市早苗先生」と「自分」とが一体化しすぎている彼の「無意識的構造」を表していると思う。

 

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2022年10月 4日

今世紀末頃までに、台風はより強力になるらしい

9月 24日の「台風 15号は温帯低気圧に変わったようだが」という記事で、「地球温暖化とやらで、日本列島全体が少し南に下がってしまったような感覚」と書いた。これについては、気象予報士の千種ゆり子さんも似たようなことを書いている。

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HUFFPOST の【「経験したことない」と警告された台風。温暖化が進んだ未来、これは “日常“ になるかもしれない】という記事だ。かなりコワい話である。

記事によれば台風の発生総数は、この百年で明確な変化傾向はみられないという。ただし「強い台風の割合は過去 40年間で増加」しているというから、聞き捨てにならない。これは言い換えると、台風の総数は変わっていないが、これまでより北で台風がピークに達しやすくなっているということのようだ。

これは私の書いた「日本列島全体が少し南に下がってしまったような感覚」を科学的に表現していると言える。以前の台風は南方でピークに達し、日本列島に近付く頃には勢力を弱めていることが多かったが、最近は日本列島付近で勢力がピークに達する傾向が強くなっているというのだ。

先月 18日に鹿児島に上陸して日本列島沿いに進んだ台風 14号は「経験したことのない」という形容詞付きで最大限の警戒が呼びかけられた。今後はこうしたことが「日常」になるかもしれないというのだから、かなり恐ろしい。

アメリカの大気海洋庁や、日本の海洋研究開発機構の研究によると、今世紀末までに、世界の熱帯低気圧の発生総数は 20%前後減るが、個々の台風は強力になるとされている。具体的には 21世紀の末頃、以下のようになるという。

  • 強い台風は現在に比べて約 6.6%増加
  • 台風に伴う降水量は約 12%増加
  • 強風域の半径は 10.9%程度拡大
  • 台風の平均強度は 5%増加

大きな台風が増え、そして大きいほど降水量が増え、広範囲に影響を及ぼ傾向が強まるというわけだ。

21世紀末いうことは、最近生まれたばかりの子たちが高齢者になるころには、かなり危険な台風が頻繁に来るということなのだろう。まあ、私はそこまで生きないけど、だからといって自然環境を放ったらかしにしてもいいというわけではない。

 

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2022年10月 3日

ダイソーのレジでくれる小さなシールの意味

たまに 100円ショップのダイソーで買い物すると、レジで小さなシールみたいなものをくれることがある。下の写真のようなやつだ。これ、何の意味があるのか、さっぱりわからないので、これまではあっさりと捨ててしまっていた。

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ところが今回はちょっと気になってしまい、「ダイソー レジでくれるシール」でググってみると、ダイソー自身のサイトに「シールキャンペーンとは何ですか?」というページが見つかった。こんなようなものである。

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「レジで 1回のお買物 300円(税込)ごとにシールを 1枚お渡し、集めていただいたシールの枚数によりお得に景品をご購入いただけるキャンペーンです」とある。今回は 200円(税別)の品物を 3個買い、シールを 2枚もらったので、多分これのことだろう。

で、"詳しくは「HP」よりご確認ください" とあるので、その「HP」というリンク部分をクリックしてみたのだが、「NOT FOUND ご指定のページが見つかりませんでした」と表示される。

自分でリンク設定しといてこれはないよねと、むっときてしまいながらも、気を取り直してさらに「ダイソー シールキャンペーン」でググってみると、こんなページに行き当たった。

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なにやら、紙のシールと LINE を使ったデジタルシールのどちらかを選択してためることができ、それで「豪華景品」が当たるという具合に読み取れる。で、どんなものなのかというと、関東・山梨エリアではこういうもののようだ。

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示された No.1 の「フルーツナイフ」は「シール 25枚 + ¥220」で購入することができるとあり、ちょっと「あれれ?」となる。フツー「景品」といえば無料でもらえるものだが、ダイソーの場合は 7,100円以上使ってシールを 25枚集め、その上に自腹で 220円足すと「購入」できるというのである。

そういえば、最初に見つけた「シールキャンペーンとは何ですか」のページに、「シールの枚数によりお得に景品をご購入いただけるキャンペーン」なんていう妙な文言があったが、そういうことだったのか。「景品を購入する」って、景品表示法に厳密に照らした場合、どうなんだろう?

さらに No.2 の「三徳包丁」とか No.3 の「シェフナイフ」とかだと、10,500円以上使って シール 35枚を集め、自腹で 660円足さなければならない。いやはや、ダイソーさん、おたくでそんな何千円とか 1万円とかの買い物なんてしないよ。

というわけで、もともと何の期待もしていなかったので別に腹は立たなかったが、さすがにちょっとコケてしまい、シールはさっさと捨ててしまった。以上、おしまい。

 

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2022年10月 2日

菅さんの弔辞の「使い回しネタ」がバレてコケた件

 安倍元首相の国葬にはほとんど興味がなかったから、菅義偉氏の弔辞なんてニュースで 4〜5秒チラッと聞いただけだった。「感動した」とか「菅を見直した」とかいう声が上がっていたようだが、私としてはフツーに「そんなの、スピーチライターが書いたに決まってるじゃん」と思っていた。

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仮にも「国葬」と銘打ってるんだから、あの原爆記念日のスピーチ原稿を途中で読み飛ばして気付きもしなかった(参照)人物に、弔辞を「すべてお任せ」できるわけないじゃないか。今回はもらった原稿でよほどしっかり事前練習してきたのだろう。原爆記念日の方は軽く考えて、練習してなかったみたいだが。

いずれにしても、こうした席での話にスピーチライターの介在しないはずがないのである。そんなのは世の常識だ。かくいう私も昔、いろいろな業界行事での「理事長挨拶」の原稿を書いていたしね。

と、昨日までは単にそう思っていただけなのだが、LITERA の ”菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三が JR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを” という記事を読んで、思いっきりコケてしまった。つい感動してしまってた人たちは、なおさらだろう。

弔辞に出てきた「山県有朋の歌」の話が、当の安倍晋三が故葛西敬之 JR東海名誉会長の葬儀の翌々日(今年 6月 17日)に Facebook で触れていたことの「使い回し」だと判明したというのである。そのエビデンスも、あっさりと確認できてしまった(参照) 。

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これ、書いた(はずの)当人が既にこの世にいないのだから、少なくとも当面は削除されようがない。

もしあっさり削除されるようだったら、代わって書いていた誰かが慌てて削除したと思うほかないだろう。いずれにしても、彼の Facebook には自身の映った写真やビデオがこれでもかというほど臆面もなく多用されていることもあり、ゴーストライターがいたとみる方が自然な感じがする。

ちなみに、テレビ朝日のニュースショーで、弔辞に「電通が入っている」と発言して後に謝罪撤回した玉川徹氏に、あの三浦瑠麗氏が噛みついて、「安倍チームには(中略)極めて有能なスピーチライターたちがいたことを知っていれば・・・」と tweet している(参照)。

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彼女の発言についてはほとほとうんざり気味だから、もう触れないつもりでいたのだが、今回はとくに当事者に極めて近い筋からの(半ば墓穴気味の)有力証言として、敢えて取り上げてみた。

要するに彼女は、今回の弔辞はわざわざ電通なんかに頼るまでもなく、いつものお抱えスピーチライターたちに任せたんだってことを言いたいのだね。なるほど、納得できる。だからこそ、手持ちネタがカブっちゃったってわけだものね。

それにしても菅さん、「盟友」の Facebook を全然読んでいないのがバレバレだね。そもそも彼自身の Facebook なんて、スタッフ任せの「業務連絡」ばっかりで、自分の言葉で語ってるエントリーなんてほとんどないし(参照)。

 

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2022年10月 1日

アントニオ猪木の死と、プロレスというもの

アントニオ猪木が今朝亡くなった。スポーツ各紙が報じているが、ここはやはり何と言っても東スポ WEB にリンクしておくので、詳細を知りたい向きはリンク先にどうぞ。

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1960年代後半から 1980年代にかけての私はかなりディープなプロレス・ファンで、「プロレスの技で知らないものはない」とまで豪語していた。口だけじゃなく実践も欠かさず、ブレーンバスターの受け身ぐらいはしっかり取れた。プロレスの見栄えは「受け身」で決まるので、これは誇っていいことだ。

そんなわけだから、私にとって彼の死は安倍元首相の死よりも重い。向こうがいくら「首相在任期間最長」なんて言っても、2期合わせてもたかだか 9年足らずだが、私は猪木のプロレスを 25年以上にわたってウォッチしていたのだ。

とはいえ、私は 1990年代以後はプロレスから離れ、シリアスな格闘技に視点を移している。ぶっちゃけて言えば、プロレスは「ショー」なのであり、それだからこそ「名優」がいないと魅力がなくなってしまうのだ。猪木以後のプロレスには、その「名優」が存在しないのである。

「猪木プロレス」から「シリアスな格闘技」への流れを、私は過去に以下の 3本の記事で書いている。

プロレスの時代的使命は終わった (2005年 7月 18日)
「感覚のプロレス」から「論理のプロレス」へ (2006年 9月 16日)
プロレスは本当に 「やらせ」 か?  (2006年 10月 28日)

というわけで、既にプロレスの時代的な使命は終わっているのだから、アントニオ猪木にはあの世でゆっくりと休んでもらいたいと思っている。

 

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