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2022年10月26日

日本人の「電報好き」を巡る冒険

ちょっとだけ旧聞だが、New York Times が 9月 9日付で "How Do Japanese Show They Care? By Sending a Telegram"(日本人はどのように気持ちを表すか? 電報を送ることで)というおもしろい記事を載せている。

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サブタイトルは、「日本では今でも毎年何百万もの電報メッセージのやり取りで、よりモダンな通信では不可能な祝意や弔意を示している」という、ちょっと意表を突いたものだ。何だか「東洋の神秘の国」みたいな感覚になってしまいそうである。

記事の最初に紹介されているエピソードは、東京の警備会社で働く菅野浩史さんが今夏結婚式を挙げた際、義理の両親を感動させるために、社長に「祝電」を送ってくれるように頼んだというもの。まあ、日本ではよくある話である。

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その社長からの祝電がキティちゃんの縫いぐるみ付きだったというのには、現役日本人の私も正直驚いた。何とまあ、昨今はそんなことになってるのだね。新婦アスカさん(日本語表記不明) は「セレブになった気分でした」なんて妙に盛り気味にコメントしているわけだが。

同紙は「電報は "Roaring ’20s" (狂騒の 20年代)を思わせる通信形式だ」としている。要するに「100年も前の通信手段」ってことだ。

とは言いつつも日本の現状に関しては、「日本人のデジタル化への頑迷な抵抗のエビデンスとして悪名高い FAX とは違い、電報は礼儀を尊ぶ国民性のシンボルである」と持ち上げている。ただ「当然、電報の申込みは FAX で可能」と付け加えるのを忘れず、きちんと笑わせてくれるわけだが。

その上で、次のような評価には「なるほどね」と納得だ。

ある年代の多くの日本人にとっては、まさにこの過剰で儀礼的でノスタルジックな(電報という)メディアそのものがメッセージなのだ。

さらに、少なからぬ政治家が統一教会系の行事に祝電を送ったりしていたことに、さりげなくもしっかりと触れて、その複雑怪奇な意味合いにまで言及している。この辺りは、さすが New York Times だよね。

ちなみに私自身はここ 10年以上、祝電も弔電も打ったことがない。結婚祝いはメールや Facebook への書き込みで十分なので、今後も打つことはないだろうが、遠方の知人が亡くなったりしたら、遺族のメルアドなんて知らない場合が多いから、弔電を送ることはあるかもしれない。

調べてみると今どきの電報は D-MAIL なんて言って、(別に FAX でなくても)web 上で申し込めるようだ。裏側ではインターネットで動いていて、印刷されて届くときだけ「電報の形」になる。なにしろ「メディアそのものがメッセージ」だから、この「形」こそが重要なのだ。

試しに弔電の申込みページを見ると、キティちゃんならぬ、お線香やプリザーブドフラワーなどとのセットで 1万円以上なんて「定番商品」もザラのようなのである。何とまあ、知らないところでいろいろスゴいことになっていたのだね。

同紙が日本人の電報に関して「過剰で儀礼的でノスタルジックな」と言っているのは、決して「過剰な表現」じゃないのだと、さらなる実感で納得してしまったよ。 

 

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世間話」カテゴリの記事

コメント

消防団入ってますと儀礼の場にセンセイがたからの電報はつきものでして。
最近は減りましたがひと昔前は3~4人は送られてきて司会が読み上げていました(今でも来ているが1人に絞っているのかも)。これがまあ超絶つまらない。実際にしゃべる以上に無味乾燥の定型文になるわけで、そしてその間我々は直立不動で傾聴しなければなりません。夏は暑い、冬は寒い、足は痛い、電報が来れば来るほどセンセイがたが嫌いになるという、誰にもメリットが無い慣習です(泣)

投稿: らむね | 2022年10月26日 13:53

らむね さん:

そりゃまた、大変ですね。

センセイ方にしても、結構な出費なんでしょうに、そのせいでかえって嫌いになられては、立つ瀬がないですね ^^;)

受け手の方のそうした感覚が伝わったら、悪慣習も廃れるのでしょうけどね。

投稿: tak | 2022年10月26日 16:01

父親の葬儀の際、地元の滑稽…、基、こっかぁぎぃんのセンセイや、けんかぁぎぃんのセンセイ方から弔電をちょうだいいたしました。ありがとうございました。

オヤジは仕事リタイヤ後に、市のボランティア的活動をしていたので仕方ないのでしょうが、遺族としてはらむねさんと同じく無味乾燥…。

そのうちお一方は、弔電送っときながら、その後もオヤジ宛に「広報冊子」を送りつけてくる厚顔無っ恥ムチ。
2度は「まぁ事務方さんもすぐには対応できないかも」と仏の顔をしておりましたが!

さすがに3通目が届いたときは、「オヤジはもう死んでるっから!アンタ!葬式きとったし弔電ももらっとる!遺族をコケにするのもどうかと思う!」的な内容を「社会通念上の限界近く」まで精査してハガキを出しました。(アタクシも合って話したことありますし、オヤジの息子であることもご承知です。)

先日市内のイベント(展示会)でその方のご尊顔を拝しましたが、避けて通りましたもん。

投稿: 乙痴庵 | 2022年10月26日 21:07

乙痴庵 さん:

そのあたりって、結構ムッときちゃいますよね。

事務方はしっかり気をつけないと。

投稿: tak | 2022年10月27日 11:37

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