「演歌」の誕生、零落、復活、そして枯れた熟成
昨年(と言ってもつい 4日前のことだが)、"「あけおめ」とか「メリクリ」とか" という記事で、「演歌」という言葉が「演説歌」の省略形であるということについてちょっとだけ書いた。演歌の発祥は自由民権運動時代のプロテスト・ソング (社会抗議の歌)だったわけである。
その記事で「一番それらしい」として YouTube へのリンクで紹介しているのが、『のんき節』という歌だ。添田啞蟬坊 (そえだあぜんぼう)という伝説の演歌師の作で、ここでは鳥取春陽(『籠の鳥』の作曲者)の歌で録音されている。最も原型に近いと思われるフィドル(バイオリン)での弾き語りだ。
当時の演歌は書生(学生)が街頭で広めたので「書生節」とも呼ばれていて、動画の最初に出てくるレコードのレーベルには「書生唄」と書いてある。ただ昔のこととて右から書く横書きなので、「唄生書」、「ドーコレ トンエリオ」(オリエント レコード)、「節きんの」なんて読めちゃうのがおもしろい。
初期に街頭で弾き語りされていた歌がだんだん広がって人に知られるようになると、当時のことだからまず「お座敷芸」に取り込まれた。街頭からお座敷に入ってしまうと楽器が三味線に変わり、こんな具合に変化する。
そしてこれが、ついにメジャーな「歌謡曲」にまで採り入れられる。春日八郎バージョンはこんな具合だ。
冒頭の『のんき節』を歌っている鳥取春陽作曲による『籠の鳥』も、東海林太郎が直立不動で歌うとこんな感じになる。洗練と言えば言えるかもしれないが、初期にもっていたエネルギーは薄められてしまっている。そんなわけで、私にはむしろ「零落」とすら感じられてしまうのだよね。
さらに「演歌」が「艶歌」と言われる時代になり、それが押し詰まってしまうと、タイトルは同じ「のんき節」でもこんなのが出てくる。氷川きよしには含むところはまったくないが、こんなのを見せられると「せいぜい長生きしておくれ」としか言いようがない。
ただ、時代はちょっと前後するが、元々の意味の「演歌」のスピリット復活とも言えるムーブメントも登場している。火を付けたのはフォークソングの高石友也だ。フィドルではなく、ギター 1本で弾き語りしている。
3つ上の『籠の鳥』と混同されがちだが、『かごの鳥ブルース』という歌もある。実はこれ、高石友也のデビュー曲(1966年)で、作曲者不詳。なにしろ少年院で歌われていた歌というのだから、出自はもろに「フォークソング」だが、半世紀以上前のこととて曲もアレンジもちょっっと「演歌」っぽい。
さらにフォークソングの世界でも「熟成」ということがある。添田唖蝉坊による『あきらめ節』を、晩年に近い(死ぬ 3年前)高田渡がいい具合に「枯れた」味で歌っている。
フィドル 1丁とかギター 1本 とかには、なかなかのパワーがあることがわかると思う。なにしろ、フォークソングの神様扱いされる Woody Guthrie (ウディ・ガスリー)のギターには ”THIS MACHINE KILLS FASCISTS"(このマシンはファシストを殺す)というステッカーが貼ってあったほどだから。
彼がこのメッセージをギターに托したのは、ドイツでヒトラーが台頭していた 1940年代初頭だった。上の動画で歌われているのは、"All You Fascists Bound To Lose"(お前らファシストはみんなポシャっちゃうんだよ)。
彼は冒頭で「このヒルビリーに何ができるか、ファシストたちに見せてやる」と言っている。「ヒルビリー」というのはアパラチア山脈南部のカントリー・ミュージックだが、この歌って、米国の「演歌」だよね。
プーチンに聞かせてやりたい。
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コメント
「のんき節」のみを新しい方から聞いていくと、誰に向けているか、その範囲を感じました。
大衆歌謡になったら、きっとピンとこない人ばかりなんでしょうねぇ。
ましてや、上から目線の層を築いてしまったのかも。
ああ、どあつかましい自分。すんません。
投稿: 乙痴庵 | 2023年1月 5日 18:12
乙痴庵 さん:
>大衆歌謡になったら、きっとピンとこない人ばかりなんでしょうねぇ。
薄味になっちゃったんでしょうね。
>ましてや、上から目線の層を築いてしまったのかも。
なるほど、そうかもしれませんね。「それは俺のことじゃない」なんてね。
投稿: tak | 2023年1月 5日 20:11