鶴岡市の土砂崩れについて
悲しいニュースだが、庄内出身の「庄内拓明」を名乗っている者としては、故郷である酒田市の南隣、鶴岡市で発生した土砂崩れに触れないわけにいかないだろう。行方不明だった老夫婦は本日朝にようやく見つかったが、容態はわかっていないというニュースが入った。心が痛む。
大晦日の朝一番に「鶴岡市で土砂崩れが発生」というラジオ・ニュースを聞いたときは、鶴岡市でもずっと南側の、新潟県境に近い山間部で起きたのかと思っていた。ところがテレビで画像を見ると、決して山間部じゃない。周囲には水田の広がる紛れもない庄内平野の一画だ(参照)。
ただ庄内平野ではあるが、ちょっとした丘陵沿いで、その丘陵の反対側はすぐに日本海の荒波という所である。防風壁のような丘陵で護られているから、まともに地吹雪に見舞われる酒田とは違い、冬でも比較的穏やかな地域なのだろう。ところが今回の災害はその穏やかな地域で起きてしまった。
この地域でどうしてこんな災害が起きてしまったのか、それは開発の経緯を記録した写真を見るとわかるような気がする。こんな具合だ。
左は 1967年当時の航空写真。こんもりした里山(標高 50mほど)である。ところが 1974年になると中央の写真にみられるように、ゆるやかな斜面だった南西部が、土砂採掘のためざっくりと削り取られているのだ。そして右側が土砂崩れ前の様子。削り取られた斜面が造成されて宅地になっている。
宅地になってからも上の写真でわかるように、赤土の露出したままの箇所が見える。これってかなりコワい景色で、雨が降れば急速に直接地面にしみこみ、斜面がゆるゆるになってしまう。雨が止んで表面が乾いても、ゆるゆるの状態は地盤の奥の方で続いて安定することがない。
実を言うと、我が家の辺りも 20数年前まではちょっと激しい雨が降ればすぐに道路冠水してしまう洪水地域で、我が家でも一家で避難したことがある(参照)ので、そのあたりの感覚は研ぎ澄まされてしまったのだ。そして大晦日、鶴岡西目地区の、そのゆるゆるの斜面が崩れ落ちてしまったわけだ。
問題は、どうしてそんなアブナいところに宅地造成をしたかということである。こうした地域に行ってみるとわかるが、平らな所はほとんど農地(水田)になっていて、家は建てられない。そんなわけで、宅地はゆるやかな里山の麓という場合が多いのだ。
そして今回の災害のあったところは、1970年以後の比較的新しい宅地で、それまでは敬遠されていたようなアブナいところでも、無理矢理に造成されてしまったようなのである。被害に遭った方々には本当に気の毒だが、一度破壊された自然の上に住むというのは、大きなリスクがあるのだ。
上の動画はまだ記憶に新しい昨年 6月の熱海の土石流の様子だが、自然破壊が災害につながるということの大きな教訓として、こうしたことが繰り返されないよう今後に生かさなければならない。
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