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2023年2月に作成された投稿

2023年2月28日

バナナ 1本を、割り箸で食うという機内食

HUFFPOST の本日付に "「侮辱的に感じた」JALの ヴィーガン食に衝撃広がる ⇒「メニューの変更を検討」" という記事がある。写真を見ると、まさにバナナ 1本に割り箸が付けられているので、笑ってしまった。

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この写真は、JAL(日本航空)のビジネスクラスに搭乗したある乗客が、アメリカの旅行系フォーラムサイト "FlyerTalk" に投稿したものだという。食事としてヴィーガン・ミールを希望したところ、出てきたのがこれだったのだそうだ。

この投稿には、「ちょっと冗談じみたアペタイザーかと思ったが、実際にはこれで全てだった」とある。ビジネスクラスでこれとは、さすがに驚いてしまっただろう。

HUFFPOST が JAL 広報部に確認したところ、「バナナは軽食の位置付け」で、侮辱でも間違いでもなく、「特別食を注文した乗客には軽食にバナナを提供するのが常」という回答だったらしい。ただ、「お客様の多様性の高まりもあり、メニューの変更を視野に入れ検討している」とも述べたという。

いやはや、JAL という航空会社の企業文化としては、「菜食主義」というのはかなり特殊なものなので、この程度の対応をするしかないぐらいに考えていたもののようだ。JAL に限らず、日本では肉食を避けようとすると、選択肢がめちゃくちゃ限られてしまう。

私も機内食に限らず、旅先で肉の入らない夕食を摂るのにかなり苦労することが多い。2年近く前に飛騨に行ったときも、夕食時に開いているのは「飛騨牛を食わせる店と高山ラーメン(飛騨ラーメン?)の店ばかり」だった(参照)ので、コンビニでおにぎりを買うしかないかと思ったほどである。

ちなみにこの乗客は、この時に出てきたバナナの味に関しては「最近食べたバナナで一番美味しかった」と、粋なジョークを交えている。このおかげで、少し救われるよね。

 

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2023年2月27日

「さくらんぼ食いたさ」のふるさと納税は ・・・

Twitter 界隈で、釣魚不全さんという方の tweet が話題だ(参照)。いわゆる「ふるさと納税」関連で、山形県が「返礼品提供事業者にかかる逮捕事案が発生したことにより、お届けすることができない状況でございます」とアナウンスしているらしい。

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山形県といえば他ならぬ私の出身県だが、事情がさっぱりわからない。「山形 ふるさと納税 逮捕」というキーワードでググってみたところ、山形県のオフィシャルサイトで「ふるさと納税寄附者の皆様へ ふるさと納税の返礼品取扱事業者にかかる逮捕事案への対応について」というページが見つかった。

ただ、お役所仕事の常とて、これでもまともに飲み込めない。そこでさらに調べると、山形県寒河江市の「ふるさと納税」に関わる不正で、さくらんぼ業者 2人と元寒河江市職員 1人が逮捕されてしまっているのだとわかった(参照 1参照 2)。

かいつまんで言うと、寒河江市へのふるさと納税の「返礼品」を扱うのは寒河江市の業者でなければならないのだが、市外の業者が市の職員に賄賂を払って市内の業者の如く装い、しかも返礼品の送付費用を実際より多く受け取るという不正を行っていたというのである。

元職員への賄賂は 2回に分けて支払われ、30万円と 50万円の合計 80万円だった。こんなもんで安定した公務員の仕事を棒に振るなんて、「ちゃっちいウソ」が「大きな代償」に結びついてしまった典型的な例と言える。

さらにおいしいさくらんぼの返礼品を期待していた納税者にとっては、「がっくり事案」というほかない。3年ほど前に ” 「ふるさと納税」の返礼品って、食い物ばっかり!" という記事で書いたように、この手の話は、どうにも「うまいもの食いたい」という欲望が先に立つようなのである。

納税者が結束して「ちゃんとさくらんぼ食わせろ!」という訴訟なんか起こしたりしたら、話のちゃっちさに拍車がかかってしまいそうである。私は元々「ふるさと納税」という制度には疑問を感じてしょうがないのだが、これを機に一歩進んで「批判的」ということになってしまいそうだ。

 

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2023年2月26日

生い立ちを調べて発表する「授業」があるらしい

Yahoo ニュースの ”生い立ちを調べて発表する「授業」 写真がなければ絵で代替という「配慮」” という記事を読んで、かなり驚いてしまった。筆者は名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授の内田良さんである。

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今の小学校では「生い立ちの授業」というのがあるらしい。学習指導要領に「生活科」という科目の一環として記載されており、小学校 2年時の実施が原則であるという。自分が誰に支えられて育ってきたのかを調べ、感謝をあらわし、発表するという内容であると述べられている。

この授業の実施に先立ち、学校から父兄に「学校の授業でお子様の成長を振り返るために、次のものをご用意ください」という連絡があるという。これが「はあ?」と言いたくなる内容だ。

【写真】
生まれたとき(誕生前のエコー写真も可)、1歳~3歳頃、4歳~6歳頃、小学校に入学したとき、それぞれ 1枚ずつ(計4枚)。

【お子様への手紙】
生まれてきたとき、はじめて〇〇ができたとき、幼稚園や保育園に通っていたとき、小学校に入学したときのことなど、さまざまな思い出とともに、これから未来に向けてお子様に願うことを記してください。

写真に関しては、なければ絵でも OK という「配慮」がされているというが、私は「そんなもの、配慮でもなんでもないだろう!」と思ってしまった。そもそも、そんなプライベートなことに関する写真や「手紙」なんてものを、どうして学校に提出しなければならないのだ。

これに関しては、里親や虐待などの事情のある家庭で、大きな戸惑いがあるという。各家庭の「特殊事情」に関して「配慮」されているとはいうものの、その内容は実効的なものとは到底思われない。

私は子ども時代を三世代同居の家庭で過ごしたが、祖父母とは実際には血がつながっていなかった。これについては、2008年 9月に「祖父母が 3人ずついる私」という記事に書いている。

私の母は祖父母の「養女」であり、そこに父が「婿入り」したので、家系としてはちょっとだけ「複雑な事情」がある。そのことを詳しく知ったのは、私が小学校 6年の時で、その頃には結構成長していたので、幸いにもそれによってスポイルされたりはしなかった。

しかしそんなデリケートな話を小学校 2年の年頃で調べて知ってしまったら、それを写真入りの作文にして発表したいとは、いくらノー天気な私でも決して思わなかっただろう。そんな授業が私の時代にはなくて、本当によかった。

この授業というのは、かなり「問題あり」という気がしてしまうがなあ。

 

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2023年2月25日

世界の「よいしょ、どっこいしょ!」

同世代の友人と会うと、「最近は年のせいか、何かする度に『よいしょ』とか『どっこいしょ』とか、言っちゃうんだよね」なんて話になってしまうことがある。かく言う私も、単に立ち上がったり物を持ち上げたりするだけで、ふと気付くと「よいしょ!」なんて声をかけている。

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ちょっと情けない気もするが、見方を変えると、この掛け声さえあれば結構な力仕事でも若い頃と変わらず何とかなってしまうのだ。「よいしょ!」と「どっこいしょ!」は、そうした意味で日本最強の言葉である。

そう思いつつふと気になったのは、「ほかの国では『よいしょ、どっこいしょ』はどんな風に言うんだろう?」ってことだ。そこで「世界の掛け声」というキーワードで調べたところ、 "世界各国の「よいしょ」「どっこいしょ」。掛け声を何て言うか調べてみた" という記事が見つかった。

これは「おなじ阿呆なら踊ろう」というブログの記事で、日付を見れば 2013年 9月 19日となっている。筆者の In0sea(いのせ)さんには、10年も前によくぞこんな素晴らしい記事を書いてくれたと感謝のほかないが、2014年以後に更新されていない様子なのが残念である。

さて、この記事によれば。英語では「これ!というピッタリのものはなさそう」とある。そうだよね。私も英語との付き合いは長いが、「ズバリ!」という言い方に出会ったことがない。

ただ、敢えて言うなら、"One, Two, Three!"、"Here we go!"、”Heave ho!”、"yo‐heave‐ho!" が近いだろうとある。"Heave" というのは「力を入れて動かす」といった意味の単語で、こうしてみると英語ってよくも悪しくも「具体的表現」の言葉で、「直感的表現」には乏しいのだね。

フランス語では "Hop la"(オップラー)、"Oh hisse"(オーイス)だそうで、後者は日本の綱引きの「オーエス」という掛け声の元になったという説があるという。どちらも日本語の「よいしょ!」とかなり近い使われ方だそうで、イタリア語でも同じように言うらしい。以下、こんな具合である。

ドイツ語: "Hau ruck"」 ハウ ルッ(ク)
オランダ語: "Hupsakee!" フップ スケェー、"Huplakee!" フップラケェー
ロシア語: "Давай" ダヴァイ
中国語: 「嗨哟」(hāiyō)、「吭哧」(kēngchi)
韓国語:「으샤 으샤」(ウシャ! ウシャ!)、「으이샤 으이샤」(ウイシャ! ウイシャ!)「영차 영차」(ヨンチャ! ヨンチャ!) 

韓国語は、日本語の「よいしょ」にかなり近い。さすが、海を隔てているとはいえ隣の国である。ただ、日本人としてはやはり「よいしょ、どっこいしょ!」が一番力が入る気がしてしまう。

 

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2023年2月24日

"The" を「ザ」と読むか、「ジ」と読むか

最近、知人に「『ザ・インターネット』っていう映画があるけど、本当は『ジ・インターネット』が正しいよね」と質問された。試しに自分で口に出して ”The Internet" と発音してみて、「う〜ん、ビミョーすぎるけど、少なくとも私は『ジ・インターネット』とは言わないなあ」と答えるしかなかった。

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多くの日本人は中学校時代に、「定冠詞の "the" は、子音で始まる語に付いたら『ザ』、母音で始まる語に付いたら『ジ』と発音する」なんて習った。ところがこれって結構アブナい話で、少なくとも私の知り合いのネイティブ・スピーカーたちは、そんなことにはほとんどこだわってないんじゃないかなあ。

英語の "the" の子音は、舌先を上の歯の先に当てて(舌先を上下の歯の間からしっかり出す人もいる)発音するので、そもそも日本語の文字では表現できない。だから「ザ(za)」なのか「ジ(ji)」なのかなんて言ってもしょうがないことで、フツーに "the" と言えばいいだけの話である。

ただ、そこはそれ、人間が口に出して言うのだから、単純には決めつけられない。例えば "the apple" と言う場合は、日本人の耳にはことさらなほどに「ジ・アポー」に近く聞こえるが、問題の ”The Internet” となると、 "the apple" の時ほど「ジ」には聞こえないはずだ。

実際にネイティブ・スピーカーに ”The Internet and The Beatles" と言わせてみても、"the" の発音に際立った違いなんて感じられないと思う。逆に、 ”The Internet” で "the apple" の時のように 【 i 】の発音を強調したら、かえって言いにくくなるように思う。

なんてことを考えながらインターネットを検索すると、ズバリの回答が見つかった。English lab というサイトの "「the apple」はどうして「ジ・アップル」? 口の形から英語文法を見直そう"、半ば以後の「"the apple と the internet はちょっと違う?「出しやすい音」のルール" という項目である。

これ、かなりわかりやすい。とくに次の指摘には納得だ。

「the」の「ザ」という音は、英語の「あいまい母音」で終わっています。あいまい母音というのは、「他のどの母音とも違う音」です。乱暴に言えば、何でもいい音なのです。

そうなのだよね。そんなことは深く考えてもしょうがないことで、要するに言いやすく言えばいいだけなのだ。

話は急に飛ぶが、この「あいまい母音」というのは、庄内弁の発音のキーポイントでもある。例えば庄内弁で「寿司」という場合、決してきれいな「スシ」にはならず、カタカナでは「スス」と書く方が近い。とはいいながら、二つの「ス」の発音はまったく同じではなくビミョーに異なる。

「最初のス」の母音は "The Internet" の "the" の母音に近く、二番目の「ス」は「シ」の訛りの「ス」ということもあってか、 "the apple" の場合の "the" の母音にちょこっと近付く。ただ、この辺りの使い分けなんて、ネイティヴ庄内弁スピーカーでもほとんど明確には意識していない。

これって、英語のネイティブ・スピーカーが ”the" が母音に続く場合と子音に続く場合の発音の違いなんてことをほとんど意識していないというのと、同様のパターンだと思う。

 

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2023年2月23日

連続 7,000日の毎日更新を達成

当ブログは昨年のクリスマスの日に「連続 19年毎日更新」を達成したばかり(参照)だが、実を言うと今日のこの記事で(計算が間違ってなければ)、「連続 7,000日毎日更新」ということになった。当の本人が「ほぇ〜!」と驚いてしまう数字である。

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子どもの頃、夏休みの宿題に「絵日記」なんてものがあったが、1週間と続いた例しがない。ところが、その 1週間を 10倍して、さらに 100倍したのが  7,000日というのだから、そりゃもう、自分で驚いてしまうのも無理もない。

ちなみに、「連続 19年」には冷静でいられて、「連続 7,000日」に驚いてしまうというのは、私の「数字感覚」がプリミティブだからにほかならないと思う。ただ単純に、2ケタ数字より 4ケタ数字にワナワナしてしまっているというだけのことで、我ながら子どもじみた話だ。

「数字に弱い」というのは昔からのことで、このブログでも何度か触れている。ググってみたところ、こんな感じだ。

「数字数式認識障害」とでも言いたくなるほど、数字に弱いのだよ(2011年 7月 13日)
苦手なのは「数学」じゃなく、「数字」なのだった(2018年5月17日)
「数学嫌いの若者」に関する考察(2021年2月26日)
"さんすうテスト" レベルの問題で冷や汗かいた(2022年10月23日)

「数字に弱い」というテーマで、手を変え品を変え、まあ、それなりに視点も変えつつ、4本も書いている。これぐらいのことをしなきゃ、「連続 7,000日更新」なんてことはできないよねということまで、改めて気付かされてしまった。

それから、本当にどうでもいいことではあるが、上の画像の黄色い「星形」みたいな図形、当人としては「先端が 7つ」ということにこだわったつもりである。先端 1つが 1,000回分の図形ということで、よろしく。

 

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2023年2月22日

関東平野の「砂嵐」がスゴい

下の写真は、昨日の午後、牛久方面から帰ってくる時、信号停車中に出会った光景。大変な突風が吹きまくり、畑の広がっている地域は土が舞い上げられてさながら「砂嵐」の様相だった。

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「こりゃ、スゴい!」と思ってスマホを取り出し、シャッターを切ったのだが、一番大変な瞬間は撮り逃してしまった。この 5〜6秒前は、交差点の一番前で停止しているクルマが霞んで見えなかったほどである。

こんな場面を見ると、「関東平野、砂漠化しちゃうんじゃないか?」なんて思ってしまう。近頃、ほとんどまともな雨が降らなくて、地面が乾き切っているのだ。家に帰った時は、フロントガラスが砂でジャリジャリになっていた。

この地域に移転してきた頃も、こんなことがないではなかったが、最近ほど頻繁じゃなかった。近頃の天気は極端から極端に走りがちで、この先どうなってしまうのか心配になってしまう。

3月に入る頃には、適度なお湿りで少しは地面を潤してもらいたいものだ。本日は仕事が溜まってしまっているので、これにて失礼。

 

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2023年2月21日

痛散湯の CM、「ひとつ 25キロの収穫物」って?

ラジオを聞いていると、「痛散湯」という薬の CM をよく耳にする。その中でとくに印象的というか、「それって、一体どんなんだろう?」と気になってたまらないのが、約 12年前から痛散湯を愛用しているという、茨城で農業一筋 50年の Hさんの体験談だ。

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その CM では、Hさんが茨城人らしからぬ、きれいすぎる標準語アクセントで(参照)、「ひとつ 25キロの収穫物を扱うのは大変で・・・」と、しみじみこぼすのである。これ、演じているのは、多分 この人 だと思われる。

しかし、待てよ。「ひとつ 25キロの収穫物」って、一体どんなのだ?

絵本にある「おおきなかぶ」ほどじゃないにしても、そんな馬鹿でかい農産物はこの歳になるまで見たことがない。あまり気になるのでインターネットで検索してみたところ、まさしく痛散湯のサイトで「ああ、この人だ!」と思われる人物の登場する、上の画像のページが見つかった(参照)。

このページに、ラジオで流れるのと同様のセリフが紹介されている。こんな具合だ。

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念のため重要部分をテキスト化しておく。

ひとつ 25キロほどの収穫物を一日で何百と扱いますから。30年来、腰が痛くて動きづらく、寝込むこともありました。

ここで、ラジオ CM とのビミョーなディテールの違いに気付いた。放送では時間の関係なのか、「ひとつ 25キロの収穫物を扱うのは大変で・・・」と短縮されていて、「何百と扱いますから」とまでは言っていないように記憶する。(もし細部で間違ってたらゴメン)

というわけで、ここに至って「不思議」は、2つに増えてしまった。

  1. 「ひとつ 25キロの収穫物」って、一体何だろう。
  2. 「ひとつ 25キロの収穫物」を一日で何百と扱ったら、仮に 400 だとすると 10トンという想像を絶する量になってしまうんだが。

このページによれば、Hさんが作っているのは、人参、乾燥サツマイモ、メロン、トマト、ジャガイモ、ホウレンソウ、ダイコンなどだが、どれも「ひとつ 25キロ」になるようなものじゃない。そしてさらに、毎日 10トンもの収穫物を扱ったりしたら、いくら痛散湯を飲んでもくたばってしまうだろう。

念のため断っておくが、Hさんは「一袋 25キロ」とか「一箱 25キロ」ではなく、あくまで「ひとつ 25キロ」と言っている。それに「ひとつ」だろうが「一袋」だろうが「一箱」だろうが、何百と扱ったらとんでもない総量になるのは同じことで、いくらなんでも二重におかしい。

誤解してもらいたくないのだが、私はこの Hさんの話がデタラメと言っているわけでは決してない。ただ、「話として不思議でしょうがない」ってことだ。

どこかに言葉の使い方としての誤りがあるに違いない。例えば、本当のところは「何百もの収穫物を、25キロずつ袋に詰めて扱いますから・・・」ということだったとかね。

痛散湯の再春館製薬所にしても、CM を製作した広告代理店にしても、演じているタレントにしても、それを流す放送局にしても、このくらいのことに気付いてもらいたかったなあ。

それにしても本当に、茨城の Hさん、どんな仕事をしておいでなんだろう?

 

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2023年2月20日

「アンテナショップ」というもの

東京新聞に ”都内の「アンテナショップ」が曲がり角 店舗数初の前年割れ コロナ禍影響” という記事がある。冒頭の写真は、銀座の目抜き通りから脇道に入ったところにあった群馬県のアンテナショップ、「ぐんまちゃん家」(「ぐんまちゃんち」と読ませたらしい)だが、昨年末に閉店したという。

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確かに銀座の脇道は、ふとしたところにいろいろな県のアンテナショップがある。我が山形県のアンテナショップ「おいしい山形プラザ」も銀座 1丁目にあって、かなり前のことだがちょっとだけ寄ってみたことがある。ただ、この時は急いでいたので、何も食べずに出てきてしまった。

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地図を見ると、付近には高知県、広島県などのほか、なんと茨城県のショップもあったりするので、ちょっと妙な気持ちになったりする。

都内のアンテナショップは 2021年には 62店あったのだが、昨年は撤退が相次いで 59店にまで減少したという。それでも全国の都道府県の数(47都道府県)よりずっと多いのは、1つの県が銀座と青山などで 2店舗を運営していたりするかららしい。ただ、記事は次のように続く。

売上高が 1億円以上の店舗もコロナ前(19年度)の 37店に対し、21年度は 30店にとどまった。担当者は「ブランド力が高い自治体でなければ、生き残るのは厳しい」と指摘する。

こんなところにまで「ブランド力」というのが出てくるのだね。その点では故郷の山形県も、今住んでいる茨城県も、イメージは決して高い方じゃない(それどころか、茨城県は最下位の常連だ)から、なかなか大変だろう。

そもそも都道府県のアンテナショップというのは、わざわざそれを目指して出かけるなんていうのはごく稀で、通常は通りかかったついでにちょっと寄ってみるというのが多いだろう。となると、コロナ禍で人出自体が減ったのだから、来店者が減るのは当然の話だ。

さらに地方の特産品が欲しければ、インターネットにアクセスすれば詳しい情報がいくらでも得られるし、ネット注文すれば早ければ翌日には配達される時代である。わざわざ銀座まで出かけ、荷物を抱えて帰ってくる必要はない。

とはいえ、そのうち「おいしい山形プラザ」に出かけて、「山形サンダンデロ」で絶品ランチを食べるのもいいなと思ってしまったよ。ただ、肉抜きのメニューがあるかなあ。

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2023年2月19日

自転車とヘルメット・・・ 4月はもうすぐ

YTV が ”4月から自転車のヘルメット着用が全世代で「努力義務」に 自転車事故の死亡者の約 6割は頭に致命傷” と伝えている。ニュースには、大阪ミナミの街頭で 「4月からヘルメットを」とのチラシを配って PR している警察の姿が登場する。

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私は昨年 12月 21日付の "自転車のヘルメット、「努力義務」になるらしいが・・・ " という記事で、4月以後もこれまでと大して変わらないだろうという見方を示しておいた。ケンケン乗りのオバチャンたちがしっかりヘルメットを購入して着用し始めるなんて、どうしても考えづらいのだ。

何しろ「努力義務」というのは「できれば守ってね」程度の拘束力なんだから、あまり期待できない。「自転車は左側通行」という、れっきとした罰則規定のある道路交通法さえほとんど守られていないのだから、罰則のない「努力義務」じゃどうにもならないだろう。

下の写真は、先日、島根県安来市を訪れた際に見た駅貼りポスターである。ここでは「安来 ぶらりチャリ」という自転車を使った観光プロモーションに力を入れているらしく、自転車に跨がる 4人の両端は、安来市らしく「どじょうすくい」の扮装のオジサンとオバサンである。

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私はこのポスターを見た瞬間、無粋かも知れないが「頭に被るなら、編み笠じゃなくてヘルメットにしてくれよ」と思ってしまった。さらに「自転車に乗るなら、草履じゃなくて靴の方が安全でしょ」とも言いたくなる。安来を訪れた観光客という設定らしい 2人のギャルも、当然の如くノーヘルである。

このポスターが制作されたのは、服装から察して去年の夏頃だったのだろう。とはいえ「4月から自転車でもヘルメットを」と呼びかけられている今年 2月になってもお蔵入りさせず、堂々と使い続けているということは、この問題について世間の意識が全然追いついていないことを示す。

冒頭で紹介したニュースの冒頭には、「4月から自転車のヘルメット着用が『努力義務』になるのを存じですか?」という質問に「ちょっと乗るだけでもいるわけ?」と聞き返すオジサンが登場する。全然わかってない。

この場面の字幕には「(その日が)来たら守りますよ」とあるが、実際にはこのオジサン、「決まったら守りますよ」と言っている。これには「既にしっかり決まってるんだよ」と言うほかないので、妙にソンタクしたビミョーな字幕にしちゃったのだろう。

そもそも本当にヘルメットを着用する気があるなら、今からさっそく購入して被るべきである。そうでないということは、「4月が来るまでは決して着用しない」と言っているようなもので、さらに言えば、4月以降についてもかなりアヤシい。

ニュースには「毎日使って乗るとなったら、髪のこととかもあるし」なんて、今さらのようにつべこべ言うオバサンも登場するし、自転車にはヘルメットが付きものと思っている私から見ると、はなはだ心許ない状況である。

 

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2023年2月18日

つくばの変化はスゴい

デイリーポータルに「つくば市で 18年前と同じ写真を撮る」という本日付の記事がある。下の画像は、同じ場所を 2005年と今年 2023年に写したものというのだから、笑ってしまう。

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つくばというところは今でも十分に田舎っぽいが、18年前と言ったらさらに田舎だった。それがだんだんと都市の様相を示し始めたのは、この記事の発端にもなった「つくばエクスプレス」が 2005年に開業して以来と言っていい。

18年前が田舎だったのだから、私がこの土地に引っ越して来た 1980年頃は、もう本当に、何にもないところだった。ウチの娘たちの幼かった頃は、休日に「どこか連れてって」とせがまれたら、船橋のららぽーとに行くしかなかった。

ウチから船橋まではクルマで 1時間半かかるのだが、休日となると渋滞で 2時間を越えることもある。往復 4時間ぐらいかけても、「それらしいショッピングセンター」としては一番近かったのだから、隔世の感がある。

つくば市の中心部が開発整備され、何とか子ども連れの休日を過ごすことができるようになったのは、「つくば科学万博」が開かれた 1985年以後のことである。この年に開店した西武筑波店の店長は、「畑仕事の長靴のままで来店する人が多かったので、床掃除が大変だった」と述懐していた。

この西武筑波店も 2017年に閉店し、その跡地は「トナリエ」とかいうショッピングセンターになっている。というわけで、つくばというところは 2005年からの 18年間の変化もすごいが、それ以前と比べたらもろに「別世界」になってしまっている。

しかし我が家の周囲は相変わらず田園風景が広がり、「別世界」からも縁遠い雰囲気を残しているのだよね。

 

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2023年2月17日

"最高の電源タップ" というのが紹介されている

くらテクというサイトに 「"最高の電源タップ" はこれ ー Twitter 上で話題 開発したサンワサプライに適切な選び方を聞いた」という記事がある。載せられた写真を見ただけで「おお、これはいいな!」と思い、早速 Amazon(参照) で注文してしまったよ。

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仕事部屋のデスクの上は PC(2台)、プリンター、インターネット接続の ONU とルーターなどの他、DVD プレーヤーなどの各種 USB 機器と、電源接続の必要な機器がどっさりで、壁にある電源から電源タップを 2系統引いている。その他にも暖房、コーヒーメーカーーなどが別系統で引かれているから大変だ。

私のデスク廻りの配線はかなり整理されている方だと思うが、「もっとすっきりまとめたい」と思っていた矢先だったので、この記事はかなり胸に響いてしまったわけである。実際に導入すれば、使いやすさもさらに向上するだろう。

この電源タップを Twitter 上に紹介した まつもとりー さんは、「電源タップに拘り始めて 18年、数百のタップを買い続けた結果出た最高の電源タップはこれです」と書かれている。「数百のタップを買い続けた」というのもスゴいが、その結果の「最高」というのだから、信用に足るだろう。

このタップのメリットは、次の点だと思う。

  • 10個の差し込み口があるので、多くの機器を接続できる。
  • 差し込み口の間隔が 各 45mm と十分で、大きな AC アダプターにも対応できる。
  • 雷ガード付き。
  • マグネット付きなので、デスクサイドなどに固定しておける。
  • 一括で操作できる電源スイッチがある。

同じラインナップに差し込み口ごとに個別に管理できる電源スイッチ付きもあるようだが、経験上、個別に管理してもあまり意味がないと思っているので、一括管理で十分だ。

というわけで、届くのが楽しみである。

【追記】

半年以上経ってからで恐縮だが、”「最高の電源タップ」使用感の報告” という記事を書いたので、よろしければご覧戴きたい。

 

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2023年2月16日

学校というところの、特殊なまでの馬鹿馬鹿しさ

昨日までの山陰への出張中、YMCAT さんの「息子が高校入学当時、妻が散髪して登校させたら『頭髪不合格』と」という tweet(参照)が話題になっていた。最近の当ブログでの学校関連の話題(参照 1参照 2)とも関連するので、ちょっと遅くなってしまったが、取り上げてみたい。

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一応、tweet の続きを下にテキストとして引用しておく。

納得いかないので説明を受けに行くと『散髪は理容師か美容師のみ、素人の親はダメ』と騒ぐ校長と担任。
仕方ないので「静まれ!」と妻の『管理美容師免許』を差し出したときの水戸黄門感。

思わず拍手を送りたくなったが、コトの発端に思いを致すと拍手どころじゃないと気付いた。学校というところの特殊なまでの馬鹿馬鹿しさが浮き彫りになった話というほかない。

まず第一に、「散髪は理容師か美容師のみ、素人の親はダメ」という理窟が、さっぱりわからない。ちょっとした散髪ぐらいは、素人でも十分いけるんだから、どうして学校ごときに「余計な金を払え」と強制されなければならないのだ。

何しろ私なんか、中学・高校時代は床屋なんて行ったことがない。私は当時としては学校で「長髪」と目されていたが、伸びすぎたら自分でレーザーカッターを使って毛先をちゃちゃっと切っていた。

教師としては苦々しく思っていたようだが、正面切ってどうこう言われたことは一度もない。私に対して下手に理不尽なことを言ったら、即座に 10倍ぐらい反論されて返答に窮することになるとわかっていたようだからね。

ところがあれから半世紀以上経った今の世で、ちゃんとした免許を持った親が散髪したのに「頭髪不合格」と言われるなんて、信じられない思いがしてしまったよ。担任の教師は後から「どうりで素晴らしいカットです」と言ったというのだが、だったら、その「素晴らしいカット」がどうして「不合格」なんだ?

まったくもって学校というのは、「誰もが一時的に体験する理不尽な懲役刑」だ。私なんかその雰囲気がイヤで、しょっちゅう学校をサボって抜け出していたし(参照)、感覚的に鋭いところのある子が「登校拒否」になってしまうというのも、ある意味しょうがないことだと思ってしまう。

 

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2023年2月15日

「飛び恥」なんてことまでは、思ってなかったが

米子出張の任務を無事完了し、帰りの新幹線の中でこれを書いている。今回は米子までの往復に、東海道・山陽新幹線(東京〜岡山間)と伯備線の「特急やくも」(岡山〜米子間)を使った。東京〜米子間の所要時間が ほぼ 6時間で、自宅〜東京間を加えたら、片道でおよそ 8時間がかりの旅である。

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ちょっと前までだったら、鳥取県まで行くのに迷わず飛行機を使っていた。2018年 8月末に鳥取県に行った時の記事を見れば、米子空港ロビーの写真を使っている(参照)から、やはり空を飛んで往復していたのである。この当時は、それでごく当たり前と思っていた。

ところが最近は、飛行機に乗るのが何となく嫌になってしまった。昨年 1月に九州の熊本に出張した時でさえ、新幹線を使っている(参照)。

ただ、5月に高知(参照)、6月に松山(参照)と、2ヶ月連続で四国に行ったときは、つい飛行機を使ってしまった。よく考えてみれば、今回のように岡山まで新幹線で行き、そこから先は特急の「しおかぜ」や「南風」で瀬戸大橋を渡るという手もあったのに。

次に四国に行く機会があれば、鉄道で行こうと思っている。是非瀬戸大橋をわたってみたいとも思うしね。

なんでまた飛行機を避けたいと思うようになったのか、実は自分でもあまりよくわかっていなかった。ただ何となく、「飛行機って、大袈裟すぎるよね」という気がしていただけのように思う。

昨夜、泊まっていた米子のホテルで、たまたま NHK『クローズアップ現代』の「揚げ油で空を飛ぶ」という特集を見た。飛行機は移動手段としては飛び抜けて大量の燃料を消費するため、世界では飛行機に乗るのが避けられるようになりつつあるという。

これに対応して航空機業界では、既存の燃料の代替として使い終わった食用植物油を分解し、SAF(サフ:Sustainable Aviation Fuel/持続可能な航空燃料)と呼ばれる航空燃料に作り変える動きが進んでいるようなのである。そんなことはちっとも知らなかった。

この番組では、ヨーロッパではそれほど必要もないのに安易に飛行機を使うのを「飛び恥」(flight shame)と言うようになっていると紹介していた。そういえば、そんな話を前にも聞いたことがあった。

そうか、私はそれほど明確には意識していなかったが、飛行機は環境負荷が大きいから避けたいという気持ちになっていたようなのである。「飛び恥」なんて、過激な言葉までは意識していなかったが。

我が国には「飛び恥」という言葉が嫌いという人が少なくないようだ。ただ、"shame" というのは日本的な「恥」とか「世間体」とかいうより、自分の良心に恥じるというようなニュアンスが強いと思う。

よく考えれば、自分が飛行機に乗らなくても飛ぶ飛行機の消費する燃料自体はそれほど変わらず、乗っている人の 1人当たりの環境負荷が高まるだけだ。「単なる気分の問題」というのもわからないではない。

とはいえ、「飛び恥」とまで言ってしまうほどの強い意識が、航空燃料の環境負荷を減らす開発の動きを促進しているのだとしたら、まんざらナンセンスなことでもない。というわけで、私も今後しばらくはなるべく飛行機を使わないようにしようと思った次第である。

まあ、外国に行くにも船で行けというほど過激なわけじゃないが。

 

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2023年2月14日

足立美術館の日本庭園と北大路魯山人

昨日の記事に書いた通り、今日は安来市の足立美術館に行った。行ってみるまでは、山陰の田舎の美術館だし平日だし、ガラガラなんじゃないかと思っていたが、安来駅から 30分間隔で出る無料送迎バスに乗ると、何とほぼ満席である。それに加えて自家用車で来ている人もいるし、かなりの来館者数で驚いた。

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で、この美術館には 10時半前に到着し、午後 1時発の送迎バスに乗るまで、ほぼ 2時間半いた。一つの美術館にこんなに長く滞在したなんて、多分生まれて初めての経験だ。ニューヨークのメトロポリタンでも近代美術館でも、2時間いなかったと思うからね。まあ、あの時は忙しかったということもあるが。

この美術館の最大の「ウリ」は、日本庭園横山大観コレクションということで、これはもう、私ごときがどうこう言うまでもなく圧倒的なものだった。とりあえずリンク先を見て、ちょっとだけ雰囲気に触れてもらいたい。

で、自分でも驚いたことに、私がさらに惚れてしまったのは北大路魯山人コレクションだった。魯山人については昔から「ちょっと気になる」程度には思っていたが、この旅で初めて彼の生の作品に触れ、「粋」の中の「粋」と思ってしまったよ。

彼は、あの漫画『美味しんぼ』の海原雄山というキャラのモデルと言われ、性格的にはかなり傲慢なおっさんだったと伝えられる。というわけであの陶器や書画の魅力については、作者の人格とは切り離して考えておこう。

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ただそれにしても、こうしたところを訪れる 4〜5人のおばさんグループって、どうしてあんなに声高のお喋りが止まらないんだろうね。ほんとに間断も遠慮もなくビャーピャー喋り続けるので、うるさくてしょうがない。

彼女らはじっくり作品を観るなんてことはまずなくて、しばらく我慢してやりすごせば案外さっさといなくなってくれるからいいけど、また後から新たなおばさんグループがやってきちゃうので、気が休まらない。やれやれ。

 

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2023年2月13日

鳥取県米子市に来ている

本当に久しぶりで遠方に出張している。昨年も何度か出張はしたものの、ほとんど自分のクルマを使っての近場が多かったので、新幹線を使う旅なんて 13ヶ月前の熊本出張(参照)以来だ。毎月 1〜2度は新幹線か飛行機に乗っていたコロナ禍前と比べたら、何という違いだろう。

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今回の出張先は、鳥取県の米子市。鳥取県は 7年半前に初めて訪れて、めでたく日本全都道府県制覇を達成した(参照)という記念の県で、2度目は 4年半前(参照)。これまでに 2度しか行ったことがないという、比較的縁遠かった県が久しぶりの出張先になるなんて、人生というのはわからないものである。

今回は新幹線で岡山まで来て、そこで出雲行きの特急やくもに乗り換え、初めて中国山地を横断してやってきた。前の 2度の訪問は真夏だったが、今回は早春。中国山地は線路の両側に雪が積もっていて、空もどんよりと黒く、うすら淋しい風景が続く。

実は仕事の本番は明後日なのだが、今日出てきたというのは、近くの安来市にある足立美術館に行くためである。これは昨年 12月 25日の「連続 19年毎日更新」記念記事で、米誌の日本庭園ランキングで、足立美術館の庭園が 19年連続 1位をキープしていると紹介した(参照)のが縁となった。

今月 6日に「当ブログの LGBT に関する "coincidence"」(coincidence: 偶然の一致)という記事を書いたが、LGBT 関連だけじゃなく、「連続 19年」ということでも、偶然の一致が生じているわけだ。もっとも、足立美術館の方は最近、「20年連続日本一」になったそうだが。

というわけで、明日は足立美術館を訪問するので、今から楽しみである。

 

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2023年2月12日

校則で「男女交際」は禁止しても LGBT なら OK ?

2月 8日付の ”雪が降っても「ジャンパー着るな」の指導に呆れた” という記事に、らむね さんがおもしろいコメントを寄せてくれている。さすが教育関係に詳しいだけのことはある。

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彼は校則を教員にも適用するように一度検討すると、ヘンテコさがわかると言う。

全ての教員は「”職務に集中するため”、防寒着を着てはいけない・下着は白とする・スーツワイシャツネクタイ以外認めない・靴下は三つ折りにせよ・男女交際禁止」とかね。明らかにおかしいでしょ。

この鋭い指摘に、私は「そりゃ、名案ですね。 とくに『男女交際禁止』というのが際立ちます」とレスを書かせてもらった。実際、堀越学園の女子生徒が「男女交際」を理由に自主退学に追い込まれたことが、昨年ネットで話題になっていたしね(参照)。

ちなみに今回の広島の中学校の問題で「かなりキテるなあ」と思ったのは、記事本文の次の点である。

この学校の校則には、寒い時のセーターやマフラー、手袋などは記載されているが、ジャンパーやコートは記載されていないので、学校側は「認めていない」ということのようなのだ

つまり「校則で明文化されているモノ・コト」は問題なく認めるが、「明文化されていないモノ・コト」となると、「たとえ世の中にはフツーにあっても、学校においてはあってはならない」というのである。

これ、文字通りに受け取って、それを一度ひっくり返すしてみるとおもしろい。「禁止項目」として明文化されていないことは、「やっても OK」ということになる。

ということは、「男女交際」は禁止でも、LGBT は校則で禁止されていないから OK ということになる。つまり堀越学園でも「男女交際は校則違反だから自主退学勧告」ということになっても、「LGBT は校則違反というわけじゃないから、ノー・プロブレム」ってことだ。

全国の中学・高校の同性愛者は、堂々と交際しても、少なくとも「校則違反」として問題とされることはないわけだ。「男女交際禁止」を謳っても、「同性交際禁止」なんて校則のある学校はないだろうからね。

この論理が「おかしい」というなら、「男女交際禁止」を初めとする数々の妙な校則も、そもそもおかしいってことに気付かなければならない。

さらに「おかしい」ということで言えば、件の堀越学園の女子生徒が交際していたのは「同じ学年の男子生徒」とされている(参照)が、この男子生徒の方が「自主退学勧告」されたという報道はついぞ見つからなかった。

もし女子生徒だけが退学に追い込まれていたのだとしたら、とんでもない大問題のはずなのだが、ニュースはこの点にはまったく触れていない。実際はどうだったんだろう?

 

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2023年2月11日

マスク着用が「個人の判断」に委ねられるというが

政府の決定により、来月 13日を機にマスク着用が「個人の判断」に委ねられることになったのだそうだ(参照)。個人的にはマスクが苦手なので、ちょっと嬉しい話である。

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マスク着用があたかも「国民の義務」みたいな様相になったのはいつ頃からだったのかと、自分のブログを検索してみたところ、2020年 3月 10日付の「慣れないマスク着用で」という記事が見つかった。ということは、我々はほぼ 3年ほど「マスク文化」の中で生きてきたことになる。

この記事には、こんなようなことが書いてある。

昨日、仕事上のミーティングがあったのだが、「時節柄、必ずマスク着用でおいでくだい」なんていう通知を受けていた。そんなこと言われてもドラッグストアのマスク売り場なんてすっからかんで買えないし、やりにくい世の中になったものである。

そう言えば、コロナ禍の初期はマスク不足が問題になっていたのだね。さらにこんな笑い話も書かれている。

マスクしたままコーヒーカップを口に運んで、「ありゃ」なんて言ってしまう。

スケジュールを確認しようとスマホを取り出せば、マスクで顔を覆っているため Face ID (顔認証)が機能しない。その度に「ああもう、イラるなあ!」なんて口走る。

今ではマスクの供給もやたら豊富になって、ドラッグストアの売り場に箱単位で積み重ねられているし、マスクをしたままコーヒー飲むなんてこともなくなった。そしてスマホのログインもパスコードでさっさと済ませるのが当たり前なったし、世の中、変われば変わるものである。

ただ、来月 13日から「個人の判断」でマスクをしなくてもいいなんてことになっても、それが定着するまでには少し手間がかかりそうな気がする。政府も「医療機関の受診や混雑した電車やバスでは、マスクの着用を推奨」なんて言っているから、かなり玉虫色だ。

とにかく「日本人の国民性」(これって、こういう時に便利な言葉だなあ)として「個人の判断」なんて苦手中の苦手だから、結局は「周りを見て大勢に従う」ことになるのだろう。要するに、「周囲の雰囲気」優先だ。

そうかと思うと、世の中にはマスクの好きな人(女性に多い気がする)がいるみたいで、閑散とした田舎道での散歩や庭で洗濯物を干したりする時も、しっかりマスクをしているオバサンが少なくない。こうした人たちって、「個人の判断」でずっとマスクをし続けることになるのかなあ。

いずれにしても来月中旬以後は、「日本人観察」の楽しみが増えそうだ。

 

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2023年2月10日

国会答弁がつまらないのは、ほとんど原稿通りだから

Newsweek の昨日付に ”国会で「議論」がない ─ アドリブで答弁できない政治家と批判しないマスコミの共犯関係” というコラム記事がある。他ならぬ日本の国会の話で、筆者の西村カリンさんは、このテーマについて今年初めにもインタビューに応えている(参照)。

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日本の国会での「大臣答弁」は、事前に提出された「質問書」に沿って官僚作成の「答弁原稿」を読み上げているだけというのは、既に常識である。要するに、当意即妙のやり取りなんてあり得ないのだ。

ちなみにこの記事は当初「国会答弁がつまらないのは、すべて原稿通りだから」というタイトルで書き進めていたのだが、途中でふと気付いて「ほとんど〜」に修正した。というのは、「原稿の棒読み」というだけでもかなり情けないが、さらにその「棒読み」すらできない大臣もいるからだ。

近い所では、先代の総理大臣(参照 1参照 2)とか、東京オリンピック前の担当大臣とか(参照 )のお粗末さがかなり話題になった。そんなわけだから官僚としても、ますます当たり障りのない(そのココロは「多少読み違えても大きな問題にならない」)原稿を書くことになる。

つまり日本の政治家の多くはアドリブでまともな答弁ができないし、さらにそれより下のレベルの政治家までゴロゴロいるってことだ。何しろそんなもんで総理大臣やれちゃうんだから、決して珍しい存在じゃないんだろう。

西村さんの記事には「私の母国のフランスでは日々、閣僚が生放送の番組に出演して、記者や視聴者の質問に答えている。アドリブで答えられない政治家は閣僚になれない」とある。考えれば「ごく当然」のことだが、日本から眺めたらやたら羨ましく思えてしまう。

それでも「マクロン政権になってからは政治家としての経験が浅い若い人が閣僚になり、マスコミからの質問に的確に回答できないから、日本のように『決まった表現』を繰り返す傾向が強い」とある。しかしそれに対してマスコミはしっかりと批判するという。

「こんな決まりきった表現は議論の終わりだ」「政治に興味のない国民が増える 1つの原因」などと言われるらしい。日本から見たらやたら「高次元」の話に思われてしまうじゃないか。

日本では、政治家が無内容の決まり切った答弁を繰り返しても、マスコミはあまり批判しない。マスコミ自体もステロタイプの論調を繰り返してそれでよしとする風潮があるから、あるいは「似たもの同士」なのかもしれない。

 

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2023年2月 9日

なか卯の新メニュー「あさりバターうどん」はイケる

2019年 12月 15日の "「環境、吉野、きつねうどん」という三題噺" という記事の末尾で「「なか卯」のきつねうどん、なかなか悪くない」と書いたのだが、実は最近、この店の「おあげ」がちょっと変わってしまって、私は「前のきつねうどんの方がよかったなあ」と思っていた。

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で、ここしばらく「なか卯のうどん」は食べていなかったのだが、今日は昼過ぎに時間が空いてしまったので、ひさしぶりで入ってみたのだった。そして「きつねうどん以外においしそうなものはあるかな?」と探したところ、「あさりバターうどん」という新メニューが見つかった。

これ、新メニューも新メニュー、取り扱い開始が本日 11時からというので、「これも何かの縁」とばかりに試してみたところ、なかなかイケた。きつねうどんより「ずっと上」と言っていい。

そして夕方に帰宅して Gigazine を覗いてみたところ、”一口であさり風味が突き抜けていくガッツリ濃厚な「あさりバターうどん」” という記事があるじゃないか。なか卯さん、ずいぶん力を入れているみたいなのだ。

どんなうどんなのかは、リンク先の記事を読んでもらえば画像もたっぷりでよくわかる。とにかく殻付きあさりがたっぷりでバターの風味もよく、価格も並で 580円というのだから、寒い今どき、なかなかのオススメだ。

これでしばらくは外食に何を食うか迷わずに済む。私は何しろ肉を食わないと決めており、ちょっとした昼食でも、ラーメンだの牛丼だのハンバーガーだのは選択肢に入らないので、うどんと蕎麦のバリエーションは本当にありがたいのである。

 

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2023年2月 8日

雪が降っても「ジャンパー着るな」の指導に呆れた

NHK のサイトで "寒い日でもジャンパー着て登校 「校則」で認めず 広島の中学校" というニュースを見て、呆れた。先月下旬、広島市の公立中学校でジャンパーを着て登校した生徒が、「校則」に基づいて教員から脱ぐように指導され、それに従ったところ、発熱して学校を休んだんだそうだ。

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このニュースには次のようにある。

保護者や学校によりますと、広島市内で雪が強まった先月 25日の朝、市立の中学校で 2年の男子生徒がジャンパーを着て登校したところ、校門で教員に呼び止められて校則にあたる「生徒指導規程」に基づき、着てこないよう指導を受けたということです。

徒はジャンパーを脱ぎ、下校する際も着なかったということです。

この日の広島市は、最低気温が -4.2℃、最高気温が 3.1℃ だったという。そりゃ寒いわ。

ところがこの学校の校則には、寒い時のセーターやマフラー、手袋などは記載されているが、ジャンパーやコートは記載されていないので、学校側は「認めていない」ということのようなのだ。何と馬鹿馬鹿しい。

こんな馬鹿馬鹿しいことを生徒に強制するために、教師が雪の降った寒い朝にわざわざ校門で見張っていたなんて、「一体どこの国の、いつの時代の話だ?」と言いたくなってしまう。それが 21世紀の日本であった話というのだから、情けなくなってしまうじゃないか。

杓子定規な校則があったとしても、寒い日のジャンパーやコート着用ぐらいフツーに見逃しておけばいいだろうよ。なんでまた、そんな日に限って杓子定規なことを言い出す気になったのだ。

市立中学校というのは、私自身の体験からしても本当に馬鹿馬鹿しいところである。昨年の 5月 22日には、「北朝鮮と日本の中学・高校の共通点」という記事を書いているほどだ。

 

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2023年2月 7日

LGBT について「差別発言」する人の考え違い

このところ集中的に LGBT に関して論じたことで、「差別」ということについて考えさせられてしまった。例の「顔を見るのも嫌」発言で更迭された元首相秘書官のニュースは、概ね「差別発言」というトーンで報じられている(参照)ようだが、私としてはむしろ「馬鹿発言」と言いたい気がしている。

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見識のある LGBT の方々の間でも、「差別された」と感じるより、むしろ「今どき、どうしようもなく馬鹿な奴がいるな」と呆れてしまった向きが多いんじゃなかろうか。軽はずみな発言というのは、発した者と受け取った者の意識の違いによって高圧的になったり愚かになったりしてしまう。

私の好きな東京カリントのラジオ CM に次のようなものがある(参照)。

(大阪アクセントで)「東京カリントは、大阪で食べても東京カリントと言うんですか?」
(東京アクセントで)「はぁい、東京カリントは大阪で食べても、東京カリントと、言うんですねぇ!」

これ、「大阪で食べても」だからいいのである。あるいは京都でも、札幌でも博多でもいいだろう。しかしもし、「東京カリントは、北千住で食べても東京カリントと言うんですか」なんて言ったら、ことはちょっとややこしくなる。(変な話になってしまって、東京カリントさん、ごめんなさい)

これって、ブラック・ジョークのつもりで言ったとしても、北千住の人は怒ってしまいかねない。つまりビミョーな話なのだ。

翻って今回の元首相秘書官発言は、「大阪や北千住で東京カリントを食べるのは問題だ」と言ってしまったようなもので、それで周囲から「はあ?」と呆れられてしまったわけだ。これぞ、私が「馬鹿発言」と言いたい所以である。

銀座で食べようが、大阪で食べようが、北千住だろうが、つくばだろうが、東京カリントはおいしい。そして世の中の多数派である異性愛者だろうが少数派の LGBT だろうが、素敵な人は素敵なのだ。今どきはローマ教皇も同性愛者に「神の子」として理解を示している(参照)。

まあ、中には東京カリントが嫌いな人もいないではないだろうが、それならそれで食べなければいいだけの話である。記者たちに向かって「見るのも嫌」なんて言う必要はさらさらない。

 

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2023年2月 6日

当ブログの LGBT に関する "coincidence"

2月 3日付の「同性婚を認めても、別に不利益を被るわけじゃない」という記事に、山姥さんが「子供らがどういう性自認、性的指向を持つのか(持っているのか)は分かりませんが、素敵な人と出会い共に歩んでいって欲しいものです」というコメントを残してくれた。これには共感する人が多いだろう。

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このコメントに私は、次のような返信をした。

子どもの幸せを祈るなら、性的指向がどうのこうのとは言えませんよね。
例の総理秘書官には、「自分の子が LGBT だったら、顔を見るのも嫌になるのか?」と聞いてみたいものです。

「例の総理秘書官」というのは、その翌日付の「総理秘書官は、 LGBT を「見るのも嫌」だそうで」という記事で批判した荒井勝喜という元秘書官(さっそく更迭されたので)のことである。

そしてこのレスを書いた直後に何気なく HUFFPOST を覗いてみたところ、「NZ 国会議員が同性婚反対したことを謝罪していた」という記事が見つかった。"同性婚に反対した議員「ゲイと告白した息子に約束した」。過ち認め謝罪するニュージーランドでの演説が話題に" というものである。

そもそも 3日付の記事自体が、先月 28日の一人で静かに気持ち悪がるだけなら、お前の勝手だが」という同性婚に関する記事への回答みたいなものだった。そして今回の山姥さんへのレスへの真っ正面からの回答が、またしてもニュージーランドの国会演説にあったのだから驚きだ。

こういうのって、英語で "coincidence" という。英和辞書的には「偶然の一致」とか「同時発生/同所共存」とかいう意味だが、もうちょっと深いニュアンスがあるだろう。「神の思し召し」とまではあからさまに言及されないが、それに近い感覚があると思う。

というわけで、"coincidence" も同じテーマで 2度も続いてしまうと、これはもう、コメントへのレスだけで済ませず、ちゃんした記事にして書かないわけにいかないという気がしてしまったわけだ。なにしろ「思し召し」っぽいからね。

荒井元秘書官の息子は、ワセダの卒業式の夜に酔っ払って不祥事を起こしてしまったらしいが、性的指向については不明である。その息子がもしゲイだったりしたら、荒井元秘書官は「顔を見るのも嫌だ」なんて言えるだろうか? 「親子の縁もこれっきりだ!」なんて言っちゃうのだろうか?

これは荒井元秘書官に限らない。あちこちで散々「アンチ LGBT」的発言をしている人たちは、「ウチの子は絶対に LGBT じゃない」なんて確信を持って言えるのだろうか? 仮に自分の息子や娘、あるいは孫が LGBT ということがわかったとしたら、彼らはどう反応するつもりだろうか。

こうした可能性について思いを巡らせてしまったら、これはもう、迂闊に感情的な発言なんてできるもんじゃないよね。この方面の多様性を素直に認めておけば全然問題じゃないのに。

というわけで、「LGBT」というのは現代の重要テーマになっているという認識に至ったので、このほど当ブログの重要なカテゴリーの一つとして登録させてもらった(参照)。そのあたり、どうぞ

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2023年2月 5日

節分行事の鬼が怖くて、保育園に行きたがらない子

朝のラジオを聞いていたら、「子どもが節分行事の鬼が怖くて保育園に行きたがりません」という聴取者からの投稿があった。保育園や幼稚園によっては「セイフティー・ゾーン」なるものを設定し、「この中にいれば鬼に会わずに済む」なんて妙な配慮をしているところもあるのだという。

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私は子どもの頃から節分の鬼が怖いなんて一度も思ったことがないので驚いてしまい、「保育園 節分 鬼が怖い」のキーワードでググってみたところ、何と 17万件以上のページがヒットしてしまった。ますます驚きである。

ここで自分が鬼を怖いと思ったことがないのはなぜかと考えてみたところ、「鬼に馴染みがあったから」としか思えない。子どもの頃から鬼の登場する民話や童話をどっさり聞いて育ったので、ある意味「耐性」ができていたのではなかろうか。

民話の「桃太郎」なんかでは、鬼ヶ島の鬼どもは桃太郎 1人とその家来の犬、猿、雉子に簡単に退治されてしまうし、「こぶ取りじいさん」では、鬼にこぶを取ってもらったりする。さらに新作童話の「泣いた赤鬼」では、心優しい 2人の鬼の友情に感動せざるを得ない。

そんなこんなで、「鬼って、決して怖い存在じゃない」という印象が自然にできあがっていたように思うのである。節分行事の鬼がどんなに乱暴そうな様子で出てきても、それって一応鬼らしく振る舞うためのの「ポーズ」に違いない。それに、お面を取ればいつもの先生に決まってるのだから。

鬼が初めからにこやかだったりしたら、そこから先のストーリーが展開できないということは、子供心にも理解できる。それならそれで、こちらも「お付き合い」である。初めのうちはさも怖がっているようなフリをしてあげようじゃないかと、殊勝なことさえ思っていた。

ちなみにこの時ヒットした中から「保育園の節分行事 鬼が怖いという子どもへの対応はどうすべき?」というページに目を通してみると、こんなことが書かれていた。

節分行事の前に、鬼がテーマの絵本の読み聞かせをしてみましょう。
絵本に描かれている可愛らしい鬼であれば、子どもの恐怖心も和らぐかもしれません。
絵本の内容は、鬼が怖いお話よりも、「鬼の中にも優しい鬼がいるんだよ」ということが伝えられるようなお話がおすすめです。

これには、「我が意を得たり!」と膝を打ってしまったね。

最近の子供たちって、民話や昔話に馴染みがなくなってしまってるんじゃなかろうか。そうだとしたら、ちょっとした「文化的損失」である。ましてや「セイフティ・ゾーン」で鬼を見ることなく過ごすなんて、「心の損」でもある。

 

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2023年2月 4日

総理秘書官は、 LGBT を「見るのも嫌」だそうで

荒井勝喜という総理大臣秘書官が、LGBT について「見るのも嫌だ。隣に住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言したと、NHK が伝えている(参照)。さすがに撤回謝罪したというが、「よく言うよ」ってなものだ。

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私は昨日付の「同性婚を認めても、別に不利益を被るわけじゃない 」という記事の末尾で次のように書いた。

これに反対する人って、隣に円満なゲイカップルが暮らしているという状況には我慢できないのだろうか。仲が悪くていつも怒鳴り合いの夫婦喧嘩をしているカップルがいても、きっと我慢するのだろうに。

これを書いた時点では、まさかその日のうちに総理大臣秘書官から、それに対する正面切ってのヤバすぎる回答が出てくるとは思ってもいなかったので、驚いてしまった。これには先月 28日付の「一人で静かに気持ち悪がるだけなら、お前の勝手だが」という記事を突きつけるほかない。

この 28日付の記事では、「同性婚が気持ち悪いと言って何が悪い」と発言した渡辺昇という愛知県会議員について、「ちょっと気持ち悪い顔つきの野郎だな」と書いた。売り言葉に買い言葉というやつである。

ここまで来たら今回の主役となった荒井秘書官に対しても、「そんなことを言うやつの顔は見るのも嫌だ」と言わせていただく。ついでに言えば、電車で隣の席に座られるのも嫌だ。この男の顔の気持ち悪さに関しては、前述の渡辺昇議員以上のものがあるからね。(下の写真は文春オンラインより)

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この男、私と同じくワセダ出身だというから嫌になる。さらにこいつの息子もワセダで、卒業式の夜に酔っ払って不祥事を起こしているというじゃないか(参照)。

彼は文春の取材に応えて「息子は身体が大きくて人相も悪いもので・・・」と言っているが、人相の悪さは親父譲りなのだろう。

 

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2023年2月 3日

同性婚を認めても、別に不利益を被るわけじゃない

HUFFPOST に"「同性婚を認めても、関係ない人にはただ今まで通りの人生が続くだけ」。ニュージーランド元議員のスピーチに注目集まる" と言う記事がある。内容を読む以前に、見出しを見ただけで「そりゃ、まったくその通りだよね」と思うばかりだ。

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このニュース、HUFFPOST では 今年 2月 2日付として取り上げられているが、Morris Williamson 氏がこの演説を行ったのは、10年も遡る 2013年に、同性婚を認める法案の最終審議と採決の際に行ったものだという。彼が進んでいたのか、世間が今でも遅れているのか、どちらも言えそうな話である。

HUFFPOST の記事には同氏の演説の翻訳が全文紹介されているが、要点は次の発言に尽きるだろう。

今、私たちがやろうとしていることは「愛し合う二人の結婚を認めよう」。ただそれだけです。

明日も世界はいつものように回り続けます。だから、大騒ぎするのはやめましょう。この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今まで通りの人生が続くだけです。

このブログでも先月 28日付の「一人で静かに気持ち悪がるだけなら、お前の勝手だが」という同性婚に関する記事の告知 tweet がかなりリツイートされた。「同性婚が気持ち悪い」という人は、一人で静かに気持ち悪がっていればいいという話である。

たとえ「気持ち悪い」と思っても、それをことさら声高に吹聴したり反対したりする必要はない。なぜなら、同性婚が認められても別に気にしなければいいだけの話だからだ。別に「お前も同性婚に賛成しろ」と強制する法律じゃないんだしね。

これに反対する人って、隣に円満なゲイカップルが暮らしているという状況には我慢できないのだろうか。仲が悪くていつも怒鳴り合いの夫婦喧嘩をしているカップルがいても、きっと我慢するのだろうに。

 

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2023年2月 2日

寒さの中での運動って、汗もかかないのだよね

寒い! 明後日の 2月 4日は立春だが、それって「見えないところで春が始まりかける頃」ぐらいの意味と思っている方が無難で、実際は 1年で一番寒い時期になる。

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つくばの地では空は晴れても寒風が吹き付けて気温はなかなか上がらないが、一応エネルギー消費節減の意味も込めて、室内温度の設定は低めにしている。そのため朝晩は部屋の中でもフリースとダウンウェアの重ね着で寒さをしのぐ毎日だ。

福島県喜多方市で天然酵母パンと焼き菓子の店「食工房」をやっておられる青木さんも「年寄りは体を冷やすな」と書いておられる。タイトル画像の飯豊山麓の雪景色を見てもつくば辺りとは寒さの度合いが違うのが感じられるので、とくに大切なことなのだろう。

私も昨年 7月で一応 70歳になったので、その辺りは結構気をつけるようになった。若い頃は「暑さを我慢するのは大変だけど、寒い分には体を動かせば汗だってかいちゃうからね」なんてノー天気なことを言っていたが、最近は汗をかくほどの運動をするのもなかなか大変だ。

軽いジョギングやサイクリングなんかでも、終わってみると「ありゃ?」と思うほど疲れていたりすることがある。つくづく年はとりたくないものだ。

というわけで、このところは早足で 3km 歩くことを最低限の日課にしている。これなら疲れもせずに無理なく毎日継続できるし、周囲の自然の変化も味わえるので退屈しない。こうして体力を維持しておけば、時々自転車のロングライドやヒルクライムなんかをしてもなんとかなる。

ただ、これだけ歩いても寒風の中では寒いばかりで、汗をかくこともないのだよね。薄着で汗をかきながら運動できる季節の来るのが待ち遠しい。

 

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2023年2月 1日

ベートーヴェンを聴きながらハンバーガーだそうだ

Gigazine の ”マクドナルドが不良のたまり場にならないための秘策は「Wi-Fi をオフにしてベートーヴェンを流す」” という記事で笑ってしまった。英国ウェールズのレクサムという地方都市での話だという。

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元記事は ”Fast food restaurant will play classical music in bid to stop more Wrexham trouble“ というもの。直訳すれば「ファーストフード・レストランはレクサムの事件がこれ以上起こらないようにクラシック音楽を流す」ということで、「マクドナルド」とも「ベートーヴェン」とも触れていない。

ただ、元記事も同じベートーヴェンの肖像(画質はちょっと粗い)を使っているし、本文中に ' "well-known" fast food retailer"' とあるから、多分マクドナルドなのだろう。

日本語記事は「深夜まで開いているファストフード店やファミリーレストランが抱える悩みの1つに、不良やホームレスがたむろしてしまうことがあります」という出だしなので、ベートーヴェンのお堅いクラシックを流すのは深夜なのかと思ったら、元記事の続編によれば、午後 5時からだという。

この町のマックは、夕方にはもう不良の溜まり場になってしまっていたようなのだね。ちょっと早すぎるような気もしてしまうが、英国の冬の午後 5時は真っ暗だから、気分は夜中みたいなものなのかもしれない。

実際に 1月末の月曜日(多分 23日)にかなり大きな騒動が持ち上がってしまったため、警察としては、強硬策をとる前に店側の自主性を尊重し、「クラシック音楽でも流したら?」と提案したもののようだ。

そして記事には、結果的にかなりの効果があったと報告されている。いやはや、物事はやってみるものである。

ただ、Wifi を切ってベートーヴェンを流したら、確かに若いギャングスターたちは寄りつかなくなるだろうが、私としてはフツーの客まで来なくなってしまうんじゃないかと心配だ。ハンバーガーにクラシック曲は似合わないものね。

まあ、私は最近肉食を絶っているから、マックで流される曲が何だろうと個人的には全然構わないけど。

 

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