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2023年2月 5日

節分行事の鬼が怖くて、保育園に行きたがらない子

朝のラジオを聞いていたら、「子どもが節分行事の鬼が怖くて保育園に行きたがりません」という聴取者からの投稿があった。保育園や幼稚園によっては「セイフティー・ゾーン」なるものを設定し、「この中にいれば鬼に会わずに済む」なんて妙な配慮をしているところもあるのだという。

230205

私は子どもの頃から節分の鬼が怖いなんて一度も思ったことがないので驚いてしまい、「保育園 節分 鬼が怖い」のキーワードでググってみたところ、何と 17万件以上のページがヒットしてしまった。ますます驚きである。

ここで自分が鬼を怖いと思ったことがないのはなぜかと考えてみたところ、「鬼に馴染みがあったから」としか思えない。子どもの頃から鬼の登場する民話や童話をどっさり聞いて育ったので、ある意味「耐性」ができていたのではなかろうか。

民話の「桃太郎」なんかでは、鬼ヶ島の鬼どもは桃太郎 1人とその家来の犬、猿、雉子に簡単に退治されてしまうし、「こぶ取りじいさん」では、鬼にこぶを取ってもらったりする。さらに新作童話の「泣いた赤鬼」では、心優しい 2人の鬼の友情に感動せざるを得ない。

そんなこんなで、「鬼って、決して怖い存在じゃない」という印象が自然にできあがっていたように思うのである。節分行事の鬼がどんなに乱暴そうな様子で出てきても、それって一応鬼らしく振る舞うためのの「ポーズ」に違いない。それに、お面を取ればいつもの先生に決まってるのだから。

鬼が初めからにこやかだったりしたら、そこから先のストーリーが展開できないということは、子供心にも理解できる。それならそれで、こちらも「お付き合い」である。初めのうちはさも怖がっているようなフリをしてあげようじゃないかと、殊勝なことさえ思っていた。

ちなみにこの時ヒットした中から「保育園の節分行事 鬼が怖いという子どもへの対応はどうすべき?」というページに目を通してみると、こんなことが書かれていた。

節分行事の前に、鬼がテーマの絵本の読み聞かせをしてみましょう。
絵本に描かれている可愛らしい鬼であれば、子どもの恐怖心も和らぐかもしれません。
絵本の内容は、鬼が怖いお話よりも、「鬼の中にも優しい鬼がいるんだよ」ということが伝えられるようなお話がおすすめです。

これには、「我が意を得たり!」と膝を打ってしまったね。

最近の子供たちって、民話や昔話に馴染みがなくなってしまってるんじゃなかろうか。そうだとしたら、ちょっとした「文化的損失」である。ましてや「セイフティ・ゾーン」で鬼を見ることなく過ごすなんて、「心の損」でもある。

 

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コメント

https://www.youtube.com/watch?v=l5Sv64Zqpv4
今やってるスーパー戦隊からして桃太郎をモチーフにした『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(「暴太郎」はアバターの桃太郎という含みの造語、ドンブラは例の擬音語から)ですし、馴染みがなくなってるということはないと思いますけどね。


私としてはそれより

>絵本の内容は、鬼が怖いお話よりも、「鬼の中にも優しい鬼がいるんだよ」ということが伝えられるようなお話がおすすめです。

という物言いのほうが、それこそ、カチカチ山から婆様汁のくだりをカットしたり、邦訳の際にグリム童話の内容を改変したりといった「文化的改竄」に近い発想じゃないかと気にかかるところです。鬼はしばしば疫病のメタファーとしても使われますし、必要以上に恐れるべきでないのと同時に必要なぶんだけは畏れを忘れてはいけないとも思います。
まあ、怖がりの子供への処方箋を捕まえてこれを言うのも野暮な話ではありますけれどもw

投稿: 柘榴 | 2023年2月 6日 05:28

柘榴 さん:

『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』はちっとも知りませんでした。ご教授ありがとうございます。

「鬼の中にも優しい鬼がいるんだよ」というのは、私としては、「鬼って怖いばかりじゃなく、情けないヤツもいれば、なかなかいいヤツもいる」ってことと捉えてます。

民話の中の鬼のあり方は、大抵の場合「ずっと怖い存在だったが、一人のヒーローによって平らげられる」か、「強面のくせに、時々急に変てこな都合で情けないことを言い出す」というようなもののように思っています。

そのようなことを含めて、「鬼って、怖れることはない」と受け止めていけるのでしょう。一方的に「鬼は優しいから大丈夫」というようなことではないと解釈しています。

もっとも、鬼を怖がる子に対しては、まず「優しい鬼」の話から入るのがいいとは思いますけどね。

ご指摘の「文化的改竄」については、私としても「それって、ヤバいじゃん!」と思っています。民話って、実はおどろおどろしい要素もしっかりと含んでいて、それでこそ民話というものですからね。

『カチカチ山』ばかりでなく、民話には「婆汁」が結構登場しますし、それをじいさんに食わすのは、なぜかタヌキというのがパターンですね。タヌキがばあさんを殺し、その上でばあさんに化けてじいさんに、たぬき汁と偽って「婆汁」食わせちゃいます。

ウチの田舎では、タヌキが「たぬぎ汁食(こ)どって、ばんば汁食たちゃ。流しのしったの骨見っちゃ!」(狸汁食おうとして、婆汁食ったじゃん。流しの下の骨見ろや)と捨て台詞を残して山に逃げて行くところまで語ります。これ、庄内人には案外お馴染みのセリフで、そこまで語ってこそ、民話というものです。

こうした多様性、重層性に馴染んでこそ、「何だかわからないけど、鬼ってそれほどまでに怖れることはないみたい」と知ることになるんだと思ってます。いつまでも怖れていたら、自分の子どもに語って聞かせられませんからね。

ちなみにこういうの語って聞かせるのは、たいてい男親です (^o^)

投稿: tak | 2023年2月 6日 08:37

家でやらなくなったからじゃないですかねえ。
私の通った幼稚園に鬼役が出たかどうかは覚えていませんが、自宅では父が鬼の仮面(スーパーで豆と一緒に付いてくるような簡単なもの)を被って鬼は外を受けていました(笑)。そんなのどんなに幼くても自分の父親だとわかっていますので怖さなど微塵もなく、「お父さんに豆を投げるイベント」を楽しんでいましたね。
家でそういうことをやっていれば、保育園でも怖いなんてことにはならないと思うのですがねえ。

投稿: らむね | 2023年2月 6日 12:42

らむね さん:

なるほど、それもあるでしょうね。

家でお父さんが鬼のお面を被るだけというのと、保育園の結構な扮装をした鬼とは、ちょっと次元が違う気もしますが、まあ、中身はお父さんか先生かということはわかるでしょうからね。

投稿: tak | 2023年2月 6日 14:52

「動く鬼が怖い」のと、「豆を投げるのは食育に…」との観点から、とある幼稚園(?)では「鬼をあしらった的にボールを投げる」行事があったようです。(先週金曜日?のラジオで聞いた話)

まぁ当家では、子どもも成人して家に寄りつかないし、なによりアタクシが一般的な時間に家に帰られない生活。
豆まきも恵方巻きもいたしませんので、「文化・伝統の継承」から外れておりますが、それなりに「その意図」は理解しているつもりです。

「ひとぉつ、人の世に生き血をすすり…」
桃太郎侍に、永田町あたりで暴れてもらいたいものです。

投稿: 乙痴庵 | 2023年2月 6日 20:00

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