東日本大震災から、干支が一回りしていたのか
今日はあの東日本大震災から 12年目ということで、ラジオは朝からその話でもちきりである。本当にあれからもう、干支が一回りしてしまったのだね。あの年に生まれた子は、もうすぐ小学校を卒業するのか。
それにしても暖かい。いや、暖かいというより、昼頃は暑いと言っていいほどの陽気だ。朝日新聞は一昨日付で「桜の開花、東京・福岡・高知が 16日の予想 暖かい日が続き早まる」と、早咲きの河津桜の写真入りで伝えている。
そんな中で私は、「あの年の 3月はかなり寒かったよなあ」と思い出す。
寒かったのは、震災による電力危機で暖房を自粛しなければならなかったからというだけじゃない。私はこの年の 3月 23日付「こんな中でナイトゲームをやるという馬鹿」という記事で、こんな風に書いている。
彼岸だというのに寒い。つくば周辺の最高気温はようやく 10度になるかならないかという程度で、24日の夜明けは 0度になるという予報が出ている。
この寒さの中で、節電しないと大停電につながるおそれがあるからといって、関東では多くの人たちが暖房のスイッチを切って、あるいは切らないまでも設定温度をずいぶん下げて寒さに耐えている。
そんな中で、野球のセリーグが 4月からナイトゲームをすると言っていたことに呆れてしまった私は、「そんな試合を見に来いと、どのツラ下げていうつもりなのだ」と書いている。これって、本当に腹の底からの実感だった。何しろ私の住む茨城南部は、しっかりと「被災地」だったからね。
それから桜の開花時期については、同じ 3月の 27日付「不謹慎シンドロームで、お花見自粛?」という記事 で、桜の開花直前に井の頭公園で 「園内における宴会の自粛のお願い」という貼り紙が出されたことについて触れている。そう、あの頃は東京の桜は 3月下旬から 4月初めに咲くものだったのだ。
というわけで、12年というのは長いようで短く、短いようで長いと感じてしまっている。いずれにしても私は、小学校 6年の時(1964年)の新潟地震(地震発生時、私は学校で廊下に立たされていた = 参照 1、参照 2)と、12年前の東日本大震災で、大地震を 2度経験してしまっているから、もう 3度目はいらない。
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コメント
あれから12年も経つのですね。
会社内で、津波の恐ろしさをリアルタイムで見たり、
東京か千葉まで歩いて帰ったり、
計画停電やらあったり…
不幸な思い出しかありません。
(まぁ私の苦労など、被災者に比べたら大したことないですが)
最近は「南海トラフ地震」の特集が●HK等であったりして、不安ですね。
投稿: Senna | 2023年3月11日 21:19
Senna さん:
うわあ、東京から千葉まで歩いて帰るのは大変だったでしょうね。
>最近は「南海トラフ地震」の特集が●HK等であったりして、不安ですね。
「私の生きてる間は、来ないでくれ」と願ってます。死んだらどうでもいいってわけでは、決してないのですが ^^;)
投稿: tak | 2023年3月11日 21:57