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2023年4月に作成された投稿

2023年4月30日

かつての「点線国道」を、最近は「酷道」というらしい

乗りものニュースというサイトに ”階段にケモノ道…通行困難な "酷道"  実は「あって当たり前」!? 国道なのにショボい道には「理由」があった” という記事がある。世の中には草に覆われた獣道のような「国道」があるという話である。

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上の写真は「酷道」として有名な山口県の国道 491号線で、2台のクルマがすれ違うのが無理な部分が延々と続く。それはこちらの記事に詳しい。

「酷道」と呼ぶに相応しいような「国道」が生まれる理由は、この記事に詳しく書いてある。当初の「計画」がかなり大雑把なものだったために、まともな道にならなかったというのがほとんどのケースのようだ。

ただ、中には昔からあった山道(登山道)がそのまま「国道」として登録されてしまったというのも少なくないらしい。私は登山が好きだったので、そうした道を歩いたことが何度かある。

当時はこうした地図上にまともな道路として標示できないレベルの道を「点線国道」と言ったものである。私はこれを 2014年 10月 19日に"「点線国道」って知ってる?" という記事にしている。

中でも思い出深いのは奥秩父の「雁坂峠」で、当時の登山道と交差した道が「国道 140号線」ということになっていたらしい。ただ、私の記憶から言うと、草に覆われた獣道みたいな様相だった。今はその下に「雁坂トンネル」が開通してクルマでまともに行けるようになっているが。

昔からの登山道のままの状態の旧国道は、はしごで登る道や山小屋のトイレを通り抜ける部分もある。こちらの記事に「便所国道」として写真が載っており、これは今でも健在らしい。

現代人にとってはまさに「酷い国道」ということになるのだろうが、私としてはこうした道をリュック担いで辿るのも、なかなか趣深いことだと思っている。

 

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2023年4月29日

風速 10メートルの中で自転車をこぐ時の体感

今日は久しぶりに自転車をこいだ。近所の小貝川の土手のサイクリングロードを廻ってきた(走行距離は約 16km)のだが、何しろ強風注意報が発令中だったので、行きはものすごい向かい風にかなり難儀した。その代わり、帰りは信じられないほど楽だったが。

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土手に着くまではもろに強烈な向かい風で、ギアをかなり軽めにしてこいでもしんどかった。平地なのに喘ぎながらヒルクライムしているような感覚である。

ようやく土手に着くと、岡堰というところで ”鯉のぼりプロジェクト IN 岡堰「みんな来い恋鯉三昧」” というイベントの真っ最中だった。たくさん飾られた鯉のぼりが、強風に煽られて上の写真のようにほとんど真横にたなびいている。

土手を走ると強風はほぼ横から受けるのだが、蛇行する川に沿った道なのでうねうねと曲がりくねり、斜めからの向かい風と追い風を交互に受けることになる。そのため、カーブを切る度にしんどくなったり楽になったりの繰り返しという、なかなか得られないライディング体験だった。

昼頃に帰宅してラジオを聞くと、天気予報のオネエサンが「鯉のぼりが真横に泳いでいる時の風速は 10m以上で、ちょうど今日の風速にあたります。一般家庭の場合は危険なので、鯉のぼりは降ろしてしまう方がいいですよ」と呼びかけていた。本当に、ヤワなポールだったら倒れかねないほどの風である。

これを聞いて、土手に辿り着くまでしんどかったのも当然と納得した。ポールが倒れるほどの風に真っ正面から向かったのだもの。楽なはずがない。

逆に帰りは追い風を受けて、信じられないほど楽だった。スピードメーターを見ると時速 34〜35km以上で走っているのだが、風の抵抗がまったくないし、高速で走ると耳のそばで鳴るはずの風音すらない。体感的には「不思議な無風状態」である。これ、どういうことなのか、ちょっと計算してみよう。

風速 10m というのは秒速なので、これを時速に換算すると、10m×60×60=36,000m で、つまり 36km/h ということになる。私の帰りのスピードは、これとほぼ同じぐらいのものだった。

このため体感的には「ほとんど無風状態」ということになり、耳のそばで鳴る風音だって聞こえるはずがない。追い風を受けて空気抵抗が「ほとんどゼロ」なのだから、楽なのも当然だ。

その代わり、向かい風で走っていた時が「平地のヒルクライム」状態だったのも、当然だったわけだ。人力でペダルをこぐというのは、なかなか趣のあることである。

 

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2023年4月28日

「お茶の子さいさい」という不思議な言葉

今朝、ラジオで「そんなの、お茶の子さいさいだよ」と言う言葉を聞いて、「これはブログのネタにしなければ」と思った。「お茶の子さいさい」というのは「とても簡単」とか「たやすいこと」という意味で使われるのだが、改めて考えてみれば、なかなか不思議な言葉である。

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とりあえず私は、「お茶の子」というのが何なのか、この年になっても知らなかった。それに「さいさい」なんてのが続くのだから、不思議の上に「摩訶」という言葉を付けてもいいぐらいのものである。

とりあえず、インターネットの「語源由来辞典」というサイトで調べてみると、こんなふうな答えが出てきた(参照)。

お茶の子さいさいの「お茶の子」とは、お茶に添えて出される茶菓子のことで、簡単に食べられることから簡単にできるたとえとなった。

「さいさい」は、俗謡の「のんこさいさい」という囃子詞をもじったものである。

へえ、茶菓子のことを「お茶の子」と言うなんて、初めて聞いたし、「さいさい」は「俗用の囃子詞」だなんて、聞く方の力が抜けてしまうじゃないか。しかしまあ、仕方がないから、そうした由来なのだということにしておこう。これ以上追求してもしょうがない。

ちなみに、私のこよなく愛する「お茶の子さいさい」は、「舞妓はんひぃ〜ひぃ〜」という辛子である。4年ほど前の記事で書いている(参照)。

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これ、国産ハバネロを使用した激辛唐辛子で、辛モノ好きの私としては手放せないものだ。そしてこの「舞妓はんひぃ〜ひぃ〜」を展開するのが、京都の「お茶の子さいさい」というお店なのである。この記事の上にある画像が、そのお店のイメージだ。

ちなみに私は一昨年、このハバネロよりさらに辛い「ジョロキア」という実を使った辛子を試してみたのだが、小瓶を 1瓶使ってみて、やはり「舞妓はんひぃ〜ひぃ〜」に回帰した。というのは、こちらの記事で書いているように、ジョロキアは激辛すぎて、振りかける分量調節に神経を使ってしまうのである。

どういうことかというと、ジョロキアはよほど慎重にほんの一振りだけにしないと、さすがの私でも口が燃えてしまうような辛さになってしまうのだが、「舞妓はんひぃ〜ひぃ〜」の方は、テキトーに振りかけても「フツーの激辛」で済むのでありがたい。まあ「フツーの激辛」というのは変な表現だが。

もっとも本家のお茶の子さいさいでは「激辛」ではなく、「狂辛」と称するようなのだね。ただ、私の感覚では「狂辛」というのはジョロキアぐらいのレベルにふさわしい表現で、「舞妓はんひぃ〜ひぃ〜」は「フツーの激辛」という「安心できるレベル」(「万人が安心できる」という意味ではない)である。

というわけで。「お茶の子さいさい」は私にとって、別の意味で「必要不可欠」なものになっている次第なのである。

 

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2023年4月27日

「コカ・コーラ」の中黒は半角なんだって

「おたくま経済新聞」というサイトに ”「コカ・コーラ」ではなく「コカ・コーラ」?間違えやすい企業や商品の「正式名称」調べてみた” という記事がある。日本コカ・コーラ株式会社の社名、「コカ・コーラ」の中黒は、全角じゃなく半角なんだそうだ。

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この記事には「間違いやすい社名や商品名」として、次のような例が挙げられている。

  • 「大文字小文字」「清音濁音」系
    「キノン」「シチハタ」「キーピー」など
    (「キノン」「シチハタ」「キーピー」じゃない)
    「ビッカメラ」「ブルドッソース」など
    (「ビッカメラ」「ブルドッソース」じゃない)

  • 発音のしやすさによる誤認や思わぬパターンも
    「サイゼリ」「バーミン」
    (「サイゼリ」「バーミン」じゃない)
    福澤朗氏、大仁田厚氏の決め台詞は「ファイー」なのだそうだ

  • 「コカ・コーラ」は「もっともわかりにくい」とされている

これらの問題については。私としてもこれまでにしっかりと記事にしてあるので、下に証拠を挙げておこう。

「キヤノン」「キユーピー」などについては、2019年 6月 7日に取り上げている(参照)。

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この記事では「シチハタ」はもちろん、ほかにも、ジーンズの「エドウ」、ドラッグストア・チェーンの「ルシア薬局」も挙げた。さらに、なぜ小文字にしないのかという疑問への回答は「字が 1つだけ小さいと余計な空白ができてデザイン的に美しくないから」というのが多いと紹介している。

ただ、それに関しては「だったらどうして ”CANON” じゃなく ”Canon" にしているのか、説明がつかないと思うのだが」と、英文字とカタカナで日和見的姿勢が見られることに疑問を呈している。本当に、これよくわからない話だよね。

さらに「サイゼリヤ」については、2019年 9月 26日付で "「サイゼリヤ」って「さいぜり屋さん」なんでしょ" という記事にしている。

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これに関しては、今でも「さいぜり屋」とかたくなに信じていて、口に出す時もそれらしくこだわって「平板アクセント」で言っているので、よろしく。

さらに私の真骨頂とも言えるのが、「和歌ログ」の 2012年 10月 26日付で取り上げた「ブルドックソース」に関する歌である(参照)。

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ブルドックソースといへる歴史あり平成の代にも振られてあるか」という和歌を詠んでいるのだが、下の句の「平成の代にも振られてあるか」というのは、ポスターに「必ず振って御使用下さい」」とあるのを受けたものだ。

こうしてみると、私は社名や商品名の表記には結構こだわってきたわけだが、さすがに「コカ・コーラ」までは知らなかったなあ。ただ、私はここ数年、自分の記事中で使う中黒はほとんど半角で表記することにしているので、知らなかったとしても間違えることはないはずだ。

 

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2023年4月26日

「人を笑わせるあいさつ」って、どんなんだろう?

Twitter で宮坂洋生さんという方が「ハードル高い」と指摘しているのは、下の写真にある地域ポスター(参照)。「きいちのぬりえ」風イラストに、「あいさつで 地域の人を 笑わせよう」という、俳句調の標語が書かれている。一見すると「昭和レトロ」だが、よく見ると思いっきりシュールなポスターだ。

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フツーの感覚で言ったら、「あいさつ」で醸し出される「笑い」は、同じ笑いでも英語で言えば "laugh" (声を立てる笑い)ではなく "smile" (微笑み)の方だろう。しかしながら「笑わせる」という日本語は、フツーには "smile" ではなく、”laugh" の方の笑いを誘う場合に使われる。

というわけで、このポスターには「素っ頓狂で滑稽な挨拶をして人を笑わせちゃおう」みたいなニュアンスを感じてしまう。「笑わせるんじゃねえよ!」ってなもので、このケースで実際に地域の人を「笑わせてしまった」のは、「あいさつ」じゃなく、この「ポスターそのもの」だったようだ。

敢えて添削させていただけば、「あいさつで 地域の人に 微笑みを」ぐらいにするのが無難だっただろう。この方がまともな 五七五 になるし。

ちなみに、宮坂洋生さんが「ハードル高い」と tweet したのは、人を笑わせるようなあいさつをするのは難しいというような意味だと思う。本当に、人を笑わせるあいさつってどんなものだろうと考えてみたが、ついぞ思いつかなかった。

マジな話、かなりの難問である。

 

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2023年4月25日

最近のラーメン店の醸し出す「一種独特の世界」

昨日の記事で「肉食を止めたことで、チャーシューが付きもののラーメンを食わなくなった」と書いたのをきっかけに、最近のラーメン事情について調べてみたところ、”「クソ素人が来たな」二郎系ラーメン店主が批判レビュー客を公開非難し物議…その後謝罪し投稿は削除” という記事を見つけた。

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ずいぶんわかりにくい見出しだが、要するに某「二郎系ラーメン店」(どんな店だか、私は知らない)の味について「不味い」「もう 二度と行かない」と tweet した客に、当の店主が次のように直接リプライしたのだそうだ。

もちろんもう二度と来ないでください!お残しに募金を頂いてるのですが、不快だったので声もかけず、ありがとうございましたも意識的に省略しました。

コールの時に「にんにくなし」って言われた時点で、クソ素人が来たなと思ってたんですけど案の上だったので、そもそもこういう輩が入って来ない店を目指したいです

ふぅむ、なかなかのものである。ちなみに「お残しに募金」というのは詳しくはわからないが、もしかしたらこの店では、食べ残しをする客からは募金を徴収することにしてるんだろうか。それから「案の上」は「案の定」と表記するのがフツーなので、そのあたりはよろしく。

このリプライについてはさすがに非難殺到したために、店主は謝罪文を tweet し、さらに関連 tweet を削除したのだそうだ。

この記事を読んで思ったのだが、最近のラーメン店というのは、かなり「イメージが濃い」というか、「さぞかしスープも濃いんだろうなあ」と思わせるような店構えが多いので、ちょっと下にコラージュしてみた。今回の記事は「二郎系」という店なのだそうだが、「家系」というのもかなり多い。

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こうした店を支持する客層の「濃さ」も尋常ではないようで、店と客とのコラボによって「一種独特の世界」を構築しているようにも見受けられるのである。自店の味を支持しない客を「素人」と決めつけ、「こういう輩が入って来ない店を目指したい」というのは、かなり「閉鎖的かつ戦闘的」なもの言いである。

「一極集中の価値感」を追求しつつ、その姿勢を支持する客とともにますます先鋭化していくというイメージだ。「たかがラーメンで、スゴいことだなあ」と思ってしまうのだが、そんなことを言ったら、たとえその後すぐに「されどラーメン」というお約束の対句を続けたとしても、即刻排除されてしまいそうだ。

まあ、こちらとしてもこうした店のラーメンを食ってみようとはまったく思わないので、別に構わないのだが、このような「一種独特の世界」が今後どのように進化(あるいは退化)していくのかということについては、ちょっと興味が湧いてきてしまったのだった。

 

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2023年4月24日

やっぱり、安物の割り箸は避けたいので

昨日の記事がきっかけで、割り箸そのものについてもう一度触れざるを得ないという気がしてきた。というのは、近頃「割り箸は間伐材を使っているので、むしろ環境保護に役立っている。マイ箸なんて使うのは単なる無知の自己満足」という論調が高まっているからだ。

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実は私は今も「マイ箸派」である。2007年 1月 19日付の "マイ箸を持ち始めた" という記事で「昨日から使い始めた」と書いているので、もう 16年と 3ヶ月以上になる。上の写真は、その頃からの愛用品だ。

この時の記事で、私は次のように書いている。

つい最近まで、マイ箸なんて持ち歩いて環境保護に貢献しているつもりになるのは、単なる気分の問題で、自然保護とは関係ないと言われていた。割り箸は間伐材を原料としているので、決して森林破壊につながるものじゃないどころか、森林保護に役立つというのである。

つまり、「割り箸は森林保護に役立っている論」は、決して今に始まったことじゃなく、2000年代初頭からずっと言われてきたのである。ところがそれは、ある意味「幻想」に近い話だったのだ。そこで私は記事中で、次のように続けている。

今や、国内の森林の間伐材を使った割り箸なんてのは、需要の 4~5%程度に落ち込んでいて、ほとんどは中国からの輸入品に頼っているらしい。そして、中国では割り箸を作るためにのみ、森林を皆伐方式で伐採しているらしいのだ。

中国で森林破壊が進めば、当然ながら我が国でも影響を受ける。今年の黄砂被害を持ち出すまでもない。さらに同年 6月 26日の ”またしても「マイ箸」にこだわってみる” では、たまたまマイ箸を忘れて行きつけの蕎麦屋で割り箸を使ったところ、なんだか薬臭い「いやぁな味」がしたと書いている。

中国製の割り箸はほとんどが防かび剤、防腐剤、農薬、漂白剤で処理されていると聞いていたが、この時ばかりはそれを如実に感じたのだった。多分、割り箸から遠離って半年以上経ったので、ほんの少しの味の変化を敏感に感じてしまったのだと思う。

最近「マイ箸」が下火になったのは、「中毒問題」が大きかったと言われる。FC2 の「マイ箸は飲食店側からすれば迷惑」というスレッドは、マイ箸の衛生管理が悪かったために雑菌が繁殖して食中毒になった場合、飲食店が営業停止になる恐れがあると指摘している。

しかしこれは妙な話で、要するにマイ箸の使用者がちゃんと洗って使えばいいだけのことだ。仮に食中毒になった場合でも、自分の(不潔な)箸が原因と考えるのがフツーだから、特定の店に迷惑をかけることはないと思うがなあ。あるいはズボラなマイ箸使用者は、店のせいにしたがるのだろうか。

さらに言ってしまうと、「マイ箸 食中毒 事例」のキーワードでネット検索してみたのだが、きちんとした裏付けのある話は見つからなかった。「そんなケースはなかった」とまでは言わないが、これは一体どういうことだろう。かつての O157 騒ぎの時に過剰反応しちゃったんだろうか。

ちなみに、最近ちゃんとした蕎麦屋では、国産材使用の「高級な割り箸」(一目でわかる)で食わせてくれるところが多くなったので、こんな場合は、私もそれを使って蕎麦をたぐる。やっぱり割り箸の方が、「蕎麦食ってる感」があるのでね。

そもそもコロナ禍以後は外出の機会が減って、外食も減った。さらに肉食を止めたことで、チャーシューが付きもののラーメンを食わなくなった(T's たんたん などは別)ので、安物の中国製割り箸を使っているような店に入ることが滅多になくなった。

そんなわけで私の「マイ箸」の出番も、最近はかなり減り気味である。

 

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2023年4月23日

割り箸を左右均等にきれいに割るのは、簡単じゃない

Grape というライフスタイル関連のサイトに ”割り箸を一瞬で『左右均等に割るコツ』 「見違えた」「教えたらみんな感動」” という記事がある。割り箸を割る際に、横(水平位置)に構えてやるときれいに割れるんだそうだ。

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言葉だけではわかりにくいので、この記事にある写真を借りて説明すると、こんな感じである。左側のように縦に構えて割ると均等になりにくく、右側のように横に構えればきれいに割れるんだそうだ。(どうでもいいけど、背景の色にはもうちょっと気を使ってもらいたかったなあ)

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記事を読んだ時点では単純に「へえ、理窟はよくわからないけど、いいことを知った」と思ったのだが、すぐに「ちょっと待てよ」と考え直した。昨日の記事の末尾で「何事も自分で試してみるというのは大切」と書いた身としては、そのまま鵜呑みにするわけにいかないじゃないか。

というわけで、さっそく台所の引き出しに死蔵気味だった割り箸を取り出して試してみた。念のため、それぞれ複数回(3回)のトライである。まず、縦に構えてやってみた結果が下の写真だ。左側はかなりヒドいが、右の 2組はそれほど悪くない。

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次に横に構えて割ろうとしたのだが、実はこれ、思いのほかやりにくい。縦位置だとシンプルに左右に開けば済むが、横位置だと片方を上に、他方を下に引くという、ちょっと不自然な動きになるためか、単に「割り箸を割る」という以上のストレスを感じてしまう。

そして、そのストレス作業の結果が下の写真である。大方は「おいおい、言うほどきれいに割れてないじゃないか!」と思うだろう。

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縦に構えた時の写真の左端ほどのヒドさにはなりにくいようだが、なにしろ「ビミョー」である。この程度の違いのために、敢えて横に構えて割るなんてストレスの大きいやり方をする必要はないだろうというのが、私の率直な印象だ。まあ、好き好きではあるけど。

というわけで、少ないサンプル数(冒頭で紹介した記事で示されたのは、たったの 2例ずつ)でもっともらしいことを言う記事を、あっさり信じてはいけない。そして本日の実証的結論は要するに、「実際には縦に割ろうが横に割ろうが、割り箸をきれいに均等に割るのは簡単じゃない」ということである。以上。

 

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2023年4月22日

いざという時、定規だけで曲線をきれいに引くやり方

横山健次 - アニメーター Kenji Yokoyama さんという方が Twitter で「いざという時のために、定規だけで曲線を綺麗に引くアニメーター流のやり方です」と、動画付きの tweet をしておいでだ(参照)。さすがなもので、剣がきれいに描けていいる。

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この tweet、コメントを見ると、「すげ〜! 自分にはとてもできない系」と「このやり方だと、観単にできてしまうのよね系」がかなり多い。残りは「理窟で納得系」というところだ。

ちなみに「すげ〜系」は、こんなような感じだ。

いざという時が来ても描ける気がしないw

す、すげぇ〜

ふんふんなるほど・・・って出来るか!!
って出来るからプロなのか・・・

どう考えてもいざというときにも素人には、これで綺麗な曲線は描けませんです。プロの凄さを垣間見ました。ありがとうございます。

そして「できてしまうのよね系」というのは、こんな感じだ。

自分も洋服の型紙を作る時にこの方法で曲線描きます。

中学時代、二次関数のグラフ書くのに友達みんなでこれやって上手さ競ってたの思い出した

アニメーターじゃないけど、これやってたw

見たところ「すげ〜系」のほとんどは、自分ではやってみたことがなく、ただ驚いたり感心しているだけという印象で、一方、「できてしまうのよね系」のほとんどは、自ら「やっていた(あるいはやっている)」という実体験に基づいている。

自分で試すことなしにいろいろ言っても、ただ空しい印象だけとなる。ということは、やってみるほかない。とりあえず tweet の真似をして剣のようなものを書いてみると、こんな感じに仕上がった。

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もっと不細工なことになると思っていたのだが、最初のトライでこの程度のできになる。完全にフリーハンドで描くよりはずっときれいで、それほど不細工というわけではない。練習すればもっときれいに描けそうな気がするし。(もっとも、練習を重ねるモチベーションなんて全然ないのだが)

何事も自分で試してみるというのは大切だと実感した次第である。

 

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2023年4月21日

Bluesky は Twitter からの移行先としていいかも

Gigazine に ”「Bluesky」のアカウント作成手順&実際に使ってみるとこんな感じレビュー、Twitter に激似なので乗り換え・引っ越し先としてかなりアリ” という記事がある。読んでみると確かに、「ふむふむ、意識しておいてもいいかも」という気がする。

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私は昨年 11月 17日に「Twitter はボイコットする方がよさそうだ」という記事で、次のように書いた。

Twitter はイーロン・マスクの元で、確実にヒドい会社になりつつあるようだ。私としても、とりあえず今日の記事のタイトルを当の Twitter 上に晒しつつ(参照)、代替メディアを早めに決めることにしたい。

ただ、1ヶ月ちょっと経った 12月 22日に、次のように追記している。

ここしばらく、Twitter をボイコットするためのタイミングを図りつつ、代替メディアの選択に難儀していたのだが、昨日、イーロン・マスクが Twitter のトップを辞任すると発表したので、ボイコットはしばらく保留することにする(参照)。

というわけで、そのまま今日まで来てしまったわけだが、グズグズしていたのは、Twitter に取って代わるに十分な代替 SNS が見つからなかったからでもある。代わりが見つかれば早いところ移行したい気持ちが、消えているわけでは決してない。

そして今日、この Bluesky の記事を読んで、「これって、移行先としていいかも」という気がしている。ただ、これはまだ β版 の段階のようで、ユーザーになるにも「招待制」になっているらしいので、急に引っ越せるわけでもない。

移行先としてしっかり意識しつつ、しばらく様子を見たいと思っている。

ちなみに、今回のイーロン・マスクと Twitter の関連では、上述の記事の前に 2本書いているので、合わせてよろしく。

イーロン・マスクって、Twitter で何をしたいのか? (2022年 10月 30日付)

ごくフツーのユーザーにとっての Twitter って(同年 11月 11日付)

 

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2023年4月20日

福島県「浜通り」に残る津波の印象

先月は 2011年 3月 11日の東日本大震災から 12年目ということで、各地でいろいろな行事が行われたが、昨日と今日、その爪痕の消えていない福島県「浜通り」に仕事で行って来た。茨城県から県境を越えて、宮城県境に近い相馬市まで、自分でクルマを運転して行って来たのである。

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上の写真は仕事を終えた昨夜から今朝まで宿泊した、いわき市内のホテルの窓から撮影した朝の風景である。中央から右の、空と陸との境目で白く光っているのは太平洋なのだが、その海岸に至るまで目立った建物はない。ほとんどあの時の津波で洗い流されてしまったもののようだ。

福島県は、海沿いの「浜通り」、中央の「中通り」、その西の「会津」という 3つの地方に分けられる。天気予報もこの 3つの地区に分けて発表されるので、東北出身者にはお馴染みの表現だ(参照)。

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我が家は夫婦ともに東北生まれなので、帰郷の際にはクルマで福島県を縦断する。とはいえいつも、常磐道でいわき市まで北上し、そこから西にターンして阿武隈山地を抜け、「中通り」を走る東北道を北上していた。昔は常磐道が福島県南部までしか開通していなかったためである。

さらに郡山市や福島市には仕事でもよく行っていたので、「中通り」には馴染みがある。しかし考えてみると、これまで海沿いの「浜通り」のいわき市以北を自分の運転するクルマで走ったことは一度もなかった。ということは、「浜通りの縦断」というのは、今回が初めての経験だったのである。

で、その印象だが、やはり「震災の爪痕」は大きいと言わざるを得ない。そもそも仕事を終えたのは浜通りの北の端に近い相馬市なので、そこで宿泊できれば一番楽だったのだが、手頃なホテルが見つからなかったのである。とにかく海沿いは、「決定的にインフラ不足」という印象なのだ。

以前は田畑や街があったのだろうと思われるところでも、今はガランとして何もなく、あちこちに太陽光発電パネルのみが延々と広がっている。ある意味、異様な光景とも言える。それで、何にもない日の暮れた道をずっと南に戻って、いわき市内のホテルに泊まったというわけだ。

ちなみにいわき市内に戻るまでクルマのガソリンがかなり淋しくなっていたのだが、ガソリン・スタンドもなかなか見つからずに本当にヒヤヒヤしてしまったほどである。手頃なファミレスのようなものもなくて、晩飯はコンビニで弁当を買って済ませた。

この地域では原発事故関連での「帰宅困難者」以外でも、住む家がなくなったので移転してしまったという人も少なくないらしい。実際に「何もない光景」を目の当たりにして、それを実感した。

現場に身を置かなければ実感するのが難しいということは、確実にある。そして 12年という年月は、長いようで短い。

 

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2023年4月19日

人民元のマークも「¥」だったなんて知らなかった

朝日新聞デジタルのサイトの本日付記事に "通販サイトの「¥」表記、実は人民元 20倍の額で決済…相談相次ぐ" というのがある。「¥1,680」という価格表記を日本円の「1,680円」と思って購入申込みしたら、実は人民元の「1,680元」で、日本円にすると約 20倍になってしまったんだそうだ。

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「おいおい、なんだよ、それ!」と思って調べてみたところ、なんと、中国元での価格を表示する場合でも「¥」のマークがフツーに使われるのだそうだ。そんなこととは、今日の今日までちっとも知らなかったよ。我ながら、ゼニカネの問題には本当に疎い。

「人民元」の「元」は日本語読みだと「げん」だが、実際の発音をそのまま英語表記すると "Yuan" になるんだそうだ。それで「人民元」は "Renmin Yuan" (省略表記は "RMY")であるという。ちなみに日本円は ご存知の通り ”Japanese Yen”(JPY)である。

ふむふむ、確かに人民元の「1,680元」を「¥1,680」と表記してもデタラメではないというのはわかった。しかし「筆記用具ガイドブック」という日本語表記のすぐ下に「¥1,680」なんて書いてあったら、フツーは「日本円」だと解釈するだろうよ。

これは限りなく「詐欺」に近い手口で、意識的なものと思うほかない。ネットを通じて中国製品を購入する場合は、かなり気をつけなければならないだろう。

 

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2023年4月18日

『ラジオ体操の歌』の歌詞の違和感

幼い頃からずっと(確実に 60年以上)抱き続けている違和感を、この年になって初めて書いてみたいと思う。それは NHK の『ラジオ体操の歌』に関するものだ。念のため、歌詞は下に画像として貼り付けておく(赤の下線は筆者による)。その下の ▷印をクリックすると、歌も聞こえるはずだ。

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「違和感 その 1」は、上の歌詞の 2行目の部分である。小学生の頃に見た歌詞も、現在ネットで検索される歌詞も こちら を初めとしてことごとく「喜びに胸を開け」である。ところが毎朝のラジオを通じ、耳に聞こえるのは明らかに「開き」なのだ。

試しに、上の ▷印 をポチッとして聞いてみて頂きたい。「開き」としか聞こえないはずだ。これって、一体どういうことなんだ。

ちなみに作曲者である藤山一郎自身は、ちゃんと「喜びに胸を開け」と歌っていて、「さすが」と言いたくなる。ただ実際は「当たり前」の話でしかないのだがね。(さらに個人的には、「開け」「あおげ」と命令形を 2つ続けるよりは「開き」の方が歌詞としてきれいな気もするし)

そして「違和感 その 2」は、歌詞の 3〜4行目である。「ラジオの声に 健やかな胸を/この香る風に開けよ」とあるのだが、とりあえず「この歌の作詞家(藤浦洸氏)は、『胸を開く』のが好きなんだなあ」と思うほかない。

さらに気になるのは、この二度目の「胸開き」の対象が「ラジオの声に」「この香る風に」と、2つ挙げられていることだ。一つの動詞に補語が 2つあるというのは、くどいだけではなく、結局曖昧すぎる言い方になる。「一体、どっちに向かって『開け』と言うんだよ ⁉」と聞きたくなるではないか。

幼い頃から言葉にこだわっていた私には、この歌詞は「雰囲気だけを追ったナンセンス」にしか思われなかったのである。私が「雰囲気のもの」というのを意識し始めた最初のきっかけと言ってもいい。ところが誰もそんなことを気にしている様子のないのが、私としては不思議でたまらなかった。

敢えて深読みすれば、歌詞のこの部分は「ラジオの声に合わせて、 この香る風に健やかな胸を開けよ」というココロなのかもしれない。「合わせて」(あるいは「乗って」でもいいが)を省略し、その後を倒置法にしてしまったとみれば、なんとか納得もできそうだ。

ただそうだとしても、朝一番の体操の歌としてはモヤモヤしすぎで気持ちが悪いじゃないか。もう少しスッキリとしてもらいたかった。「ラジオに合わせ 健やかな胸を〜」ぐらいだったら、まだ救われたかもしれない。

というわけで、個人的にはこの歌詞は、子どもの頃から「駄作」としか思っていないのだよね。藤浦洸さんには悪いけど。

ちなみにこの歌は、Wikipedia によれば『ラジオ体操のうた』という表記が本来らしく、しかも現在聞けるのは 3代目の歌で、1956年から使われているらしい(参照)。そして毎朝 6時半から流れてくるのは、大阪の茨木市立北中学校の合唱版なんだそうだ。

もしかして、この中学校で録音した時に使った歌詞カードが間違ってたのかなあ。そうだとしたら、責任者、出てこい! (と言っても、もうこの世にいないか)

ちなみに、初代の『ラジオ体操の歌』というのも見つかった。かなり時代を感じるが、それほど軍国主義っぽい歌詞ではないのは救いである。

個人的には 2代目(下の動画)が一番いいと思うのだが、たった 5年でボツになったのは、きれいすぎてちょっと「体操っぽさ」に欠けるとでも思われたのかなあ。ちなみに 2代目の体操の動きそのものも「体操っぽくない」ものだったらしい(参照)。

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2023年4月17日

日本の「同調バイアス」って、「同調圧力」のレベル

ナゾロジーというサイトに ”「もうみんな避難していますよ!」 本当に日本人の避難指示に役立つと判明” という記事がある。千葉大学の心理学研究で、日本では自然災害時の避難指示に「もうみんな避難していますよ!」という情報を含めると、実際の避難行動が促進されるとわかったのだそうだ。

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この研究の発端は、あの有名なエスニック・ジョークだという。沈没しかけた船の船長が、乗客たちを早く脱出させるために飛び込ませようと、次のような言葉をかけるというものだ。

  • アメリカ人には 「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
  • イギリス人には 「紳士は飛び込むものです」
  • ドイツ人には  「規則なので飛び込んでください」
  • イタリア人には 「さきほど美女が飛び込みましたよ」
  • フランス人には 「決して飛び込まないでください」
  • 日本人には   「もうみんな飛び込みましたよ」

避難の場合に限らず、日本人には何にせよ「みんな〇〇していますよ」という言い方が非常に効果的なんだそうで、こうした傾向を「同調バイアス」というらしい。記事では次のように説明されている。

同調バイアスとは、 集団の中にいると知らず知らずのうちに他人と同じ行動を取ってしまう心理状態のことを指します。

ふむふむ、なるほどね。そういうことだから、周りと同じことをするのはなるべく避けたがる私なんか、この国では「変わり者」みたいに思われてしまうのだろう。自分としては、決してフランス人ほどじゃないと思うのだが。

で、この記事を読んで即座に思い出したのが、今月 10日に書いた「空いた道をノーヘルにマスク着用で自転車に乗る人たち」という記事だ。この中で私は、次のように書いている。

驚いてしまうというより、むしろ笑ってしまうのは、自転車に乗っている人の多く(確実に 80%以上)が、ヘルメットは被らないのに、マスクは律儀に付けているということだ。

先月から「マスクの着用は個人の判断で」ということになったのに、圧倒的多くの日本人は外そうとせず、一方で今月から法制化された自転車でのヘルメットは、前々から被っていたスポーツ・サイクリスト以外は誰も着用しない。これって、「同調バイアス」のコンセプトで観単に説明できてしまうのだね。

ちなみにこうした傾向は、私みたいな者には「同調バイアス」というよりむしろ、世界でも稀なほどに強力な「同調圧力」と感じてしまう。そんなわけで、私はこの記事の末尾近くで次のように書いている。

要するにこの国では、「気が引ける」とか「恥ずかしい」とかいう情緒的要素の方が、きちんと明文化された「社会的原則」なんかより遙かに優先してしまうのだよね。フツーには「常識的な人が多い」なんて思われている日本社会だが、視点を変えると、実は「まともな常識にかからない人の集まり」でもある。

私は個人的には外国と言えば米国とドイツ、フランス、香港しか行ったことがないのだが、その代わり、単なる観光目的じゃないから現地の人たちと結構深く付き合っている。その経験からすると、日本以外の国では「同調バイアス」ってそれほど決定的な常識ファクターじゃないようなのだね。

なるほど、なるほど。私って、日本から出るとちょっと気が楽になったりするのは、そのせいだったのか。

 

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2023年4月16日

漁師のオッチャンの技は、「羽交い締め」じゃない

このブログの読者の中には「格闘技好きの tak のことだから、きっとこだわって言い出すに違いない」なんて思った方がおられるに違いないが、その予想、ズバリ的中である。例の和歌山での岸田首相襲撃事件でヒーローとなった「漁師のオッチャン」の技は、決して「羽交い締め」なんかじゃない!

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昨日は運転中にカーラジオで事件の一報を聞き、帰宅してからニュースをググってみると、爆弾のようなものを投げた男を「男性漁師が羽交い締め」にして取り押さえたという表現がやたら多い。「羽交い締め」のオンパレードだ。

とくに日刊ゲンダイの見出しなんて、「SP顔負けの機敏さで筒投げ男を羽交い締め」なんてセンセーショナルなことになっている。「こりゃあ見ものだ」と思い、さっそくニュース動画にアクセスしたのだが、どう見ても「羽交い締め」なんてしていないのである。

上の ANN ニュースを見ると動画開始後 15秒あたりから、漁師のオッチャンは男の後ろから素早く近付き、右腕でラリアットを一発かまし、すぐに左腕で首を押さえつけて制圧している。そのまま駆けつけた SP たちに任せたので、その後に「羽交い締め」に移行したなんてわけでもない。

で、本来の「羽交い締め」というのは、念のため画像で説明するとこんな技である。相手の後ろ両脇から自分の腕を差し入れ、鳥が羽を広げたような形にさせて動きを制圧するので「羽交い締め」と名付けられたのだろう。

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この技、プロレスの世界では「フルネルソン」という。「フルネルソン」があるということは、当然ながら「ハーフネルソン」もある。片方の肩と腕を決めるもので、フルネルソンとは異なり、主に寝技で用いられる地味な技(参照)だが、格闘技においては実戦的に使いでのある技だ。

技の名の「ネルソン」は、英国海軍の雄「ネルソン提督」から来ていると言われるが、詳細は不明。さらにややこしいことに、同じ技を米国では "masterlock" (マスターロック)という。これ、「南京錠」のブランド名から来ているのだが、なるほど、どちらもがっちり締まっちゃうからね。

ちなみに、日本のプロレスでは「フルネルソン」のままスープレックスに移行すると「フルネルソン・スープレックス」、さらにそのままブリッジでフォールに持ち込むと「ドラゴン・スープレックス・ホールド」(下の写真)となる。芸術的ホールドだ。

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で、話を元に戻すが、漁師のオッチャンの取り押さえ方は、本来の意味の「羽交い締め」(フルネルソン)の形には全然なっていない。敢えて言うとすれば、「ラリアットからヘッドロックに移行した」が正解だろう。

とくに News Cafe (冒頭で示した画像)の「赤い袖のおじさん誰? 羽交い締めヘッドロック漁師の名前や顔画像は?」というのはヒドい。「羽交い締めヘッドロック」なんて、腕が 2本しかない人類には、一人では不可能である。もう少し格闘技の勉強をしてもらいたいなあ。

ところで、取り押さえられた容疑者の様子を見ると、とくに往生際が悪いわけでもなく、表情は異様なほど冷静である。

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爆弾も手作りのようだが、爆弾の作り方なんて、ちょっとググっただけでいくらでも見つかる(ここでは敢えてリンク先は示さないけど)。どんな思想背景なのか、あるいは単に異常なところのある男なのか、詳細が伝えられるまではわからないが、かなりイヤな感じのニュースではある。

 

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2023年4月15日

アパホテル、これで 15,000円は「ボリ過ぎ」だろ!

「痛いニュース」に、"【芸人】プラマイ岩橋、宿泊先のホテル価格に「これで15000円!?強気な値段設定やな」ファンも仰天「コレは高い」" という記事がある。プラスマイナス岩橋という芸人が名古屋駅前で泊まったホテル、シングルベッドがやっとという幅のワンルームで 15,000円もしたというのだ。

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コロナ禍以後はかなり減っているとはいうものの、以前はずっと月に 2回は出張して、日本全国のビジネスホテルに泊まりまくった経験から言わせてもらうと、写真のようなシングル・ルームは一泊 6,000円前後が相場(5,000円台が珍しくない)だ。15,000円というのは、いくら何でも「ボリ過ぎ」だろう。

このホテル、一体どこなんだろうと気にかかったのだが、プラマイ岩橋の tweet にも「痛いニュース」の記事にも、ホテル名を特定できるような文言はない。しかし写真をよく見ると、手前のデスクの引き出しにホテル案内のようなものが見えるじゃないか。

この部分を拡大してみると、"APA" の文字があり、その下の何やらマークみたいなものも、アパホテルのマークのようだ(参照)。というわけで、アパホテル嫌いの私としては完全にムッときてしまい、今日のネタにさせてもらおうと思った次第なのである。

実は私、アパホテルに泊まったことが過去に 2度ある。ほかのメジャーなホテルチェーン、例えばスーパーホテルとか東横イン、ルートインなんかには何十回も泊まったことがあることと比較して極端に少ないのは、それだけ「意識的に避けている」(要するにほとんど「ボイコット」)ということだ。

最初に泊まったのは、18年も前の 2005年 8月 11日。京都祇園のアパホテルだった。これは昔の「祇園ホテル」をアパが買い取ったものらしく(参照)、やたら古色蒼然として「カーペットやカーテンも相当くたびれていた」と、12年後の 2017年1月20日の記事に書いている(参照)。

12年も経ってから書いたのは、「南京大虐殺を否定する本」がこのホテルの客室に置いてあるというのが中国で大問題になった(参照)のがきっかけだった。いずれにしても、干支が一回りしても思い出せるほどのヒドさだったわけだ。カーペットなんて湿っぽくてボロボロだったし。

この件を別としてもアパって、やたらモダンな造りのところもあれば、古色蒼然としてオンボロなところもあったりと、「チェーンとしてのイメージの統一性」なんて全然考慮していないみたいなのである。とにかく、「泊まってみるまでわからない」というリスクが大きい。

そして 2度目は一昨年 7月 8日のことで、クルマで長野に出張した時のこと。この時は、駐車場確保に問題がない物件を探したらアパしか見つからなかったので、しかたなく予約したのである。

しかしフロントの女性がめっちゃ不慣れで、単にチェックインするだけでやたら手間取るし、部屋には相変わらずアヤシい本がどっさり置いてあるし、トイレの水の勢いが弱くて難儀するしで、しっかり後悔した(参照)。

それにしても、一泊 15,000円はヒドいなあ。いや、そう言えばそんなのはまだマシな方で、2021年 7月の記事への ハマッコー さんのコメントにもあったように、このホテル、繁忙期にはどうでもいい部屋を平気で一泊 3万円なんて値段につり上げるらしい(参照)。

さらに昨年はコロナ宿泊療養者の食事代の「中抜き」なんてしてた(参照)し、かなり「あこぎ」な企業だよね。というわけで、本当に本当に金輪際、アパには泊まるまいと思っている。

 

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2023年4月14日

両側から自民党的イヤらしさの漂う「高市潰し」劇

週刊現代のサイトに ”高市早苗、絶体絶命のピンチへ…「惨敗の奈良県知事選」のウラで進行していた「高市潰し」シナリオのヤバすぎる仕掛け人” という長々しいタイトルの記事がある。私が先月 20日に書いた "高市答弁以上に不愉快な、自民党的「見放し方」" の詳細解説みたいな感じだ。

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私は先月の記事で高市早苗について "もうすっかり「終わり」なのだね" としつつ、次のように書いている。

私は元々彼女の政治姿勢には真正面から反対なので、それはある意味では歓迎でもある。とはいえ、自民党内での「彼女を終わらせるための見放し方」というのも、かなりちゃっちい猿芝居で、むしろ不愉快でさえあると一応言っておく。オッサンたちのやり方って、情けないほど姑息なんだよね。

高市早苗が「終わってしまう」こと自体は、個人的には本当に「歓迎」である。しかしその「終わらせ方」に見る自民党的猿芝居への「嫌悪感」は、この「歓迎感」に勝るとも劣らない。今回の騒動は、両方の側からイヤらしさが漂いまくりである。

週刊現代の記事には、次のようなくだりがある。

結局のところ、政権与党内における高市氏の影響力は「安倍元総理が強く推している」ことに依る部分が大きかった、ということだ。(中略)

一方で、今回の奈良県知事選をめぐる騒動の裏には「高市潰し」の意図があったのではないか、そしてその中心には元幹事長の二階俊博氏がいた、と指摘する者もいる

やっぱり、こういうことにはあのオッサンがからんでくるのだね。この人、奈良知事選で日本維新の会に負けてでも、大嫌いな高市を窮地に追い込みたかったもののようなのだ。何で嫌いなのかというと「アイサツがないから」なんてことになっていて、まるで「任侠の世界」みたいな話である。

こうしたおどろおどろしい組織には、関係したくないと思うばかりなので、

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2023年4月13日

黄砂の飛来と、鼻水、クシャミ

今日も青空が広がっているが、朝の天気予報では「中国から黄砂が飛んで来ているので、洗濯物は室内干をオススメ」なんて言っていた。ただ、我が家では庭の軒下で問題なく干せて「本当に黄砂なんて飛んでるの?」と思っていたが、昼過ぎにクルマの屋根を見て「ありゃ、本当だ!」となった。

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上の写真は、我が家の愛車(黒の軽自動車)の屋根をリアの方から撮影したものだが、ルーフドアとの境目ギリギリのところが黄砂で埋まりそうだ。さらに写真では目立たないが、屋根全体が昨夜の雨のせいで黄色いポツポツだらけになっている。

昨日の方がずっと風が強かったので、飛んで来た黄砂が夜中に降った雨に混じってクルマに付着してしまったのだろう。我が家のクルマは黒いので、黄色っぽい汚れがかなり目立つ。

ちなみに「黄砂被害」については、私は山形県でも日本海に面した庄内地方の出身なので、妙な言い方になるが昔から「馴染み」があった。毎年 4月の風の強い日などは、西の空(日本海側)がすっかり黄色っぽくなっていたものである。

関東に住むようになってからひどい黄砂被害からは遠離っていたので、今回のようなのはかなり珍しい。これ以上ひどくならなければと思っている。

ここでそもそも「黄砂被害」ってどんなものなのか、ちょっとググって調べてみたところ、TBS NEWS DIG に「黄砂で日本が覆われる!黄砂の“正体”と気を付けるべきこと」という記事が見つかった。この中で気象予報士の片山由紀子さんが、次のように説明している。

実は黄砂は、はじめは「ただの砂」なんです。それだけで害があるわけではないのです。ただ、舞い上がって飛来する過程で、汚染物質などが付着していくため、健康被害などの面で近年話題になっているんです。

なるほど、日本に飛んでくるのは「単なる砂」ってわけじゃなく、煤煙などの汚染物質や花粉などをたっぷりくっつけているわけだ。道理でこのところ少し軽くなっていた花粉症の症状がぶり返して、鼻水とクシャミが止まらなくなっている。

ちなみに私はクルマの掃除に手間をかけるタイプじゃないので、黄砂汚れはこのまま放っておこうと思っている。明後日の土曜日にまとまった雨が降るらしいから、それで洗い流されるのを期待しよう。

 

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2023年4月12日

「パンの日」と「パンの記念日」を巡る冒険

Japaaan に "4月 12日は “パンの記念日”「パン」という言葉、実はポルトガル語由来って知ってました?" という記事がある。これを読んで、今日 4月 12日が「パンの記念日」であると初めて知った。

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我が家では天然酵母と玄麦を使って、自家製パンを作っている。私がこねて(参照)、妻が焼く(参照)という分業体制で、40年以上やってきたので、かなりのレベルに達しており、はっきり言って、スーパーで売ってるようなパンなんかよりずっとおいしい。

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それほどまでにパンにはこだわってきたが、今日が「パンの記念日」だったなんて、ちっとも知らなかった。その由来については Japaaan の記事にも説明がなかったのでググって見たところ、「雑学ネタ帳」というサイトに「パンの日(毎月12日 記念日)」というページが見つかった。

それによれば、"4月 12日が「パンの記念日」、毎月 12日が「パンの日」" なんだそうである。なんだ、Japaaan のページにはそんなことまでは触れられていないじゃないか。ググってみなければ、中途半端な知識で終わるところだったよ。アブない、アブない。

このページによれば、「パンの記念日」の由来はこんなようなことであるとされている。

1842年(天保13年)4月12日、伊豆国(現:静岡県)の韮山代官(江戸幕府の直轄領を支配するために設置された役所)で西洋流兵学者であった江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもん ひでたつ)が軍用携帯食糧として「兵糧パン」と呼ばれる「乾パン」を作った。これが日本で初めて焼かれた「パン」と言われている。

ほほう、日本最初のパンは「兵糧パン」 だったのか。「乾パン」だっただけに、米のおむすびより軽くて長持ちしたのだろう。

というわけで、12日という日付にはとくにこだわりはないが、これからもおいしいパンを作って食べていこうと思っている。

 

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2023年4月11日

ベルリンの公園と東京の神宮前の間の落差

今朝の NHK ラジオ『マイあさ』に美学者の伊藤亜紗さんという方が出ていて、「植物を見る」というテーマでベルリンの公園についての話をしておられた。これは一昨日の『サンデー・エッセイ』のアンコール放送らしいのだが、私は日曜は聞いていなかったので、今日が初耳の話だった。

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これは『らじるらじる』の「聴き逃し」の「マイあさ! 火曜日放送分を聴く」から「マイあさ 8時台」をクリックすると、佐々木クリスさんの海外スポーツの話、ウルフルズの『ガッツだぜ』に続いて、15分 40秒目あたりから聞くことができる。1週間後の 18日朝まで聞けるというから、オススメだ。

今回の話で面白かったのは、学会で 3年振りにドイツに行き、ベルリンの街を見て廻ったというエピソードだ。ベルリンというのは何しろ「壁」で仕切られていた期間が長く、種が飛ばなかったという事情もあるので、植物視点で見ると世界でも独特の都市であるらしい。

さらに第二次世界大戦の残骸が放置されているところがあり、そこに植物が根を張って森林化しているというのである。中でも「テンペルホーフ公園」というのは、ヒトラーの時代の空港なのだが、そこがそのまま放置されて公園になっているという。

そこは「いわゆる公園」という環境ではなく、「使われている廃墟」とでも言うべきものであるらしい。そこに市民が集まって、バーベキューをしたりして楽しんでいるという。

伊藤さんはこれを称して「敢えて開発せずに、放ってあることの豊かさ」と語っている。それって、素晴らしいじゃないか。

私はこれを聞いて、当然の如くに我が国の「神宮外苑の再開発」を想起してしまった。1,000本近い樹木を伐採し、商業ビルを含む高層ビルの立ち並ぶ区域にするという計画である。

かけがえのない歴史的な景観を台無しにし、金のためのビルを建てるというのは、上述の「放ってあることの豊かさ」とは対極的な「無理矢理に開発することの貧しさ」と言うほかないだろう。昨日の記事でも触れたが、日本は「まともな常識にかからない」ところがある。

ここで話は急に飛ぶが、伊藤さん登場の前に流れるウルフルズの『ガッツだぜ 』が KC & The Sunshine Band の ”That's The Way I Like It" のオマージュであるというのは、知る人ぞ知るお話である。

 

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2023年4月10日

空いた道をノーヘルにマスク着用で自転車に乗る人たち

Newsweek 日本版サイトの 4月 6日付に、"「マスク着用社会」は非常にマズい...今すぐ外すべき、これだけの理由" という記事がある。異文化コミュニケーションアドバイザーの石橋シャハランさんという方が書かれたものだ。

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この記事では、「マスク着用は個人の判断で」ということになった 3月 13日以後もずっとマスクを外さない理由を周囲の人に聞いてみたところ、「花粉症の人を除くと、『周囲の目が気になる』という人が大半だった」としている。つまり「個人の判断」なんて全然してないのだ。

街を歩くのに(個人で判断して)マスクなんてしない私は、日本ではかなりの少数派(多分 10%台前半)のようだ。「マスクをするかしないか」という問題に限らず、ほとんどの日本人は、周囲の 80%以上の中に紛れ込みたがるのだね。

これと「共通したメンタリティ」ながら「現象としては逆のあらわれ」となっているのが、「ヘルメット」である。4月 1日を期して自転車でのヘルメット着用が「努力義務」となったわけだが、この日を境に着用率が増加したなんてことは全くない。(私は前々から被ってるので、よろしく)

驚いてしまうというより、むしろ笑ってしまうのは、自転車に乗っている人の多く(確実に 80%以上)が、ヘルメットは被らないのに、マスクは律儀に付けているということだ。これは人通りの少ない閑散とした道路でも同様なのだから、常識では説明しようのない、摩訶不思議な現象である。

マスクはもう付けなくてもいいんだけど、周囲がみんな付けてるから「外すのは気が引ける」と感じてしまう。そしてヘルメットに関しては、被ることが「努力義務」となってはいるんだけど、実際には誰も着用してないから「自分だけ被るのは何となく恥ずかしい」というメンタリティが勝っているんだろう。

要するにこの国では、「気が引ける」とか「恥ずかしい」とかいう情緒的要素の方が、きちんと明文化された「社会的原則」なんかより遙かに優先してしまうのだよね。フツーには「常識的な人が多い」なんて思われている日本社会だが、視点を変えると、実は「まともな常識にかからない人の集まり」でもある。

この国で生きていくことが時折息苦しく感じられたりするのは、そのせいなのだよね。きっと。

 

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2023年4月 9日

Apple Watch をようやく新機種に換えた

やっと Apple Watch を新機種に換えた。先月 31日の記事で、手持ちの古い機種の実効的な寿命が来ているらしいというようなことを書き、その 2日後の日曜日に新機種(Series 8)を購入したのだが、いろいろ面倒な仕事が立て込んでいたので、設定するのが億劫でつい先延ばしにしていたのである。

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ところがこの間に、手持ちの機種のバッテリーがいよいよ不安定になった。一晩充電してもフル充電にならず、今日の昼前には残量が 30%になってしまっていた。これは先月末に書いたように再起動してやれば多少は改善するはずなのだが、新しい機種が手元にある以上、もう我慢するには及ばない。

で、本日、日曜とはいえ午前中にネットを介してのミーティングがあったのだが、それが終わって久しぶりにまとまった時間ができたので、新機種の設定にとりかかったというわけである。あのオシャレな白いパッケージをおもむろに開けて取り出し、サイドボタンを長押しして起動させた。

最初の作業は手持ちの iPhone とのペアリングで、これはあっという間にできた。そこから先は前に使っていた機種からのデータ引き継ぎで、これはこちらがとくに何もしなくても勝手にやってくれる。20分ぐらい放っておいたら、いつの間にか終わっていた。

というわけで設定作業なんて、ものの 30分足らずで拍子抜けするほど呆気なく済んでしまったじゃないか。こんなんだったら、もっと早いうちにやっとけばよかった。

今回の更新で初めて知ったのだが、最近の Apple Watch は「常時表示モード」になっているようなのである。前の機種は普段は画面が暗くなっており、腕を上げるとその動きを感知して画面が表示されるというシステムだったが、Series 5 以後は常時表示がデフォルトのようなのだ。

そんなことをしたらバッテリーの消費が激しくなっちゃうじゃないかと思ったものの、+Digital というサイトの「Apple Watch の常時表示オン or オフ? バッテリー消費量の違いを検証した」というページを参照してみると、どうやらそんな心配は不要のようなのだ。最近はずいぶんススんだものだ。

で、安心して常時表示を「オン」のまま使い始めたのである。腕を下げた状態の画面を首を傾げて覗き込んでみると、ほんの少し小さめのダーク表示になっており、腕を上げると瞬時に明るい通常表示になる。なるほど、一応はバッテリーの負担軽減も考慮してある訳なのだね。

前の機種は腕の動きを感知する機能も少し鈍くなっていたようで、時々腕を上げただけでは画面が表示されず、画面をタッチしてやらなければならないこともあったので、そのストレスから解放されたのは嬉しい。これでまあ、少なくとも 5年後に 75歳になる頃までは大丈夫だろう。

 

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2023年4月 8日

「コーヒーを飲めなくなる日」だと?

東洋経済 ONLINE に "私たちが当たり前に「コーヒーを飲めなくなる日」" という記事がある。 ”種の脆弱性と、環境の変化がもたらすリスク” というサブタイトル付きで、第15代ワールド・バリスタ・チャンピオン、井崎英典氏の記事だけに、コーヒー好きの私としてはかなり気になってしまうじゃないか。

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記事によれば、世界で流通しているコーヒー種は基本的に「アラビカ種」と「ロブスタ(カネフォラ種)」の 2つで、後者は主にインスタント・コーヒー用だという。さらに最近は「ユーゲニオイデス」という種が注目されているが、めちゃくちゃ美味しいかわりに希少品種で値段も張るらしい。

ということは、私としてはもっぱら「アラビカ種」のお世話になっているわけだ。そんなところまではちっとも知らなかったが、要するに私なんて、その程度の「なまくらなコーヒー好き」でしかないということなのだね。

ちなみにこの「アラビカ種」というのは、霜の影響を受けやすい上に、遺伝子的に「サビ病」に弱いので、常に種の存続のリスクと隣り合わせと言われる。そのため、コーヒーが私たちの口に入らないようになる日が来てもおかしくないというのだから、聞き捨てならない。

もしかしたら、生きている間に「去年は世界中でコーヒー豆がチョー不作だったため値段が高騰して手に入らないから、今年はインスタント・コーヒーで我慢」なんていう年がないとも限らない。そうなったら、いくらなまくらなコーヒー好きでもかなり味気ない毎日になってしまいそうだ。

そういえば 2年半前に、「インスタント・コーヒーをおいしく淹れる達人がいる?」なんて記事を書いていたんだった。ただ、この記事でも書いているように、まともに淹れたコーヒーとインスタント・コーヒーの違いぐらいは、フツーわかるよね。

私としては妙な贅沢は言わないから、せめてフツーのレベルのコーヒーでいいので、好きなだけ飲ませてもらいたいものだ。アラビカ種、頑張ってくれ!

 

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2023年4月 7日

支払いはなるべくキャッシュレスで済ませたい

ITmedia News が「2022年、キャッシュレス決済利用額が初の 100兆円超 経産省が発表 利用率も過去最高 36%に」と伝えている。22年実績は 111兆円で、21年の 95兆円を超え、決済比率も上昇して 36%になったという。

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キャッシュレス決済が 36%ということは、現金決済が残りの 64%ということになる。最近は近所のスーパーでの買い物でもほとんど「セルフレジ」を使っているのだが、見ているとそこでも現金払いという人が半分以上のようだ。

現金払いの多くはお年寄りなので、財布からおもむろにお札と小銭を出して支払うのに結構な時間がかかる。そんなわけで列に並んで順番待ちをしている間は、イライラしないようになるべく他のことを考えるようにしている。

私自身のことを言えば、最近(多分 10年以上)は支払いのほとんどをキャッシュレスで済ませている。ある程度まとまった金額の場合はクレジットカード払いだが、コンビニなどでの少額の買い物の場合は電子マネーを使うことが多い。SUICA などの電子マネーは、支払いが一瞬で済むのでかなり楽だ。

仕方なく現金を使うのは、小規模な小売店や飲食店などで「支払いは現金のみです」などと言われた場合だ。仕方なく現金払いしてお釣りが多かったりすると、財布の中が小銭で一杯になってしまい、かなりうんざりする。

こんな場合は店を出た後に、小銭を減らすためにコンビニなどで敢えて現金払いの買い物をすることがある。ただ、財布に溜まった小銭が 647円(100円玉が 6枚、10円玉が 4枚、5円玉が 1枚、1円玉が 2枚)とかの時に、レジで表示された金額が 738円なんかだったりすると、心の底からガッカリしてしまう。

ここで単純に 1,000円札 1枚で済ませようとすると、262円のお釣りが返ってきて、財布の中の小銭が 909円になる。その内訳は、100円玉が 9枚、50円玉が 1枚、10円玉が 5枚、5円玉が 1枚、1円玉が 4枚という、悲惨な状態だ。

そんなのは考えるだけでゾッとしてしまうので、頭の中で必死に計算し(私は計算が苦手なので、本当に「必死」だ)、現金で 1,240円出す。すると 502円の釣り銭が帰ってきて、財布の小銭は 907円(500円玉 1枚、100円玉 4枚、5円玉 1枚、1円玉 4枚)と、多少はマシな状態になる。

とはいえ、1円玉 4枚というのはかなり癪なので、そのままレジ前の募金箱に入れたりすることが多い。これで、かなり身軽になってほっとする。

全ての支払いをキャッシュレスで済ませることができれば、こんな面倒なことから解放されるのだが、世の中はなかなかままならないものである。

 

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2023年4月 6日

「政治家女子48党」(旧NHK党)の興味深いバトル

Yahoo!JAPAN が "【独占告白】旧NHK党・大津彩香党首「立花信者じゃない私だからこそ、お金のことも含めてすべて開示して明らかにします」" という記事を伝えている。これ、なかなか興味深い。

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私は先月 8日付で、"それなら、自民党は「政治家じじい70党」だろうよ" という記事を書いている。これは「政治家女子48党が日本を変える理由」という記事にインスパイアされたもので、その記事を書いた森山英樹 さんは政治家女子48党所属の浜田聡議員の私設秘書ということのようである。

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この時点では、私は旧・NHK党がすっかりイメチェンして「政治家女子路線」を進むことになったのだと受け取っていたのだが、どうやらそう単純なわけではないらしい。実態としては、旧党首の立花孝志氏の「わけのわからない一人芝居」が途中でグチャグチャな様相になってしまったということのようなのだ。

そしてその「グチャグチャな様相」の中で、当初は立花氏の勝手な都合で「一時的なお飾り」として党首に任命されただけだった大津彩香さんが、ここに来て意外なまでの「自立ぶり」を見せているのである。そんなこんなで、立花氏のアヤシ過ぎる一人芝居が破綻しかけていると見ていい。

私としては先月 8日の記事で書いたように、「政治家女子48党が日本を変える理由 」という記事に結構共感してしまっているので、この路線が根付いてもらいたいと思っている。しかしそのためには、立花氏が蚊帳の外に消えてくれる方がよさそうなのだが、それがなかなか面倒くさいみたいなのだ。

これも結局は、立花氏が政党を私物化して馬鹿馬鹿しいことをしすぎた(この間の動きを見れば、そうとしか思われない)ことの報いなのだろう。ただ、せっかく「瓢箪から駒」みたいな形で面白い動きが出かかっているのだから、しっかり見守りたいと思っている。

【4月 7日 追記】

JIJI.COM が ”政女党、立花氏が「党首就任」 大津氏を除名、主張食い違いも” と伝えている。せっかくのおもしろい動きだと思ったのに、どうもムチャクチャになっているようだ。

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2023年4月 5日

憚りながら、AI についてはかなり呑気な私

昨日は LINE で使える AI チャットちゃん α版」というのをやってみた件について触れたが、実はほぼ同時に、かの有名な "ChatGTP" にもアカウントを登録した。ただ、これに関しては欧米で脅威論も高まっているというので、ちょっと慎重に構えている。

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Gigazine は「ChatGPT へのアクセスをブロックしたイタリアに続きドイツなどの EU 諸国でもブロックを検討中」と伝えている。データ保護やプライバシーの懸念があるというのだ。これには、「おいおい、そんなこと言ったって、私は既に登録しちゃったもんね」なんて思ってしまったよ。

とはいえ私のは無料版であり、プライバシーの懸念云々は、"ChatGPT Plus" という有料版(月額 20ドル、日本円では 2,400円らしい)の方に深入りすると現実的なリスクが高まるのだと解釈しているので、ちょっと呑気に構えている。登録したアカウントを削除するには及ばないだろう。

いずれにしても、最近の AI やら ChatGPT やらの問題は、「ちょっと騒ぎ過ぎ」という気もしている。本格的に試したわけでは決してないのだが、個人的には昨日も書いたように、「AI、大したことないじゃん」と思っているわけなのだ。

というのは、市場動向予測だの、投資判断だの、仮想通貨取引だのといった分野では、AI というのはかなり強力な武器になるのかもしれないが、実は私って、そうした分野にはとんと興味がないのだよね。そんなもの使ってまで金儲けしたいなんて、全然思わないのである。

むしろ、アートとか人文的な表現とかの分野で生きてきたので、「こっちの方面では、まだまだ人間の頭脳の方がずっと進んでるよね」と感じているのだ。さらに「人情の機微」とか「微妙なニュアンスの勝負」なんてことになったら、どう転んでも AI なんかに負ける気はしないのである。

というわけで、2日連続で AI をテーマに書いてはいるものの、私の場合は呑気な「高見の見物」といった感覚でしかないと白状しておこう。

「そんなこと言ってられるのも今のうちだけだよ」とか「脅威が感じられないのは、ちゃんとした知識がないからだよ」なんて言われるかもしれないが、それはそれで、「私ももう 70歳で、この先は生きてもせいぜい 10年かそこらだから、別にいいわ!」ということにしちゃおうと思う。

ただ、こんなにまで元気だと、30年後の 100歳まで生きてしまうリスク(ここは敢えて「リスク」と言おう)だってあるから、もしそうなったら、ブログの更新は 1週間のうち月曜から土曜までは AI に任せて、当人は日曜日だけ 6日間の「公開あら探し」をして楽しむなんてことにしようかな。

とくに私のもう一つのブログ「和歌ログ」だと、そのスタイルはとてもおもしろそうだ。

 

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2023年4月 4日

AI とは「好み」が合わないようなのだ

MIT Technology Review に ”2023年、EU の AI 規制は「生成 AI」ブームをどう変えるか?” という記事がある。最近やたらと ”AI” を論じた文章を目にする気がしていたが、やっぱり「ブーム」と言っていいぐらいの様相なのだね。

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そこへ行くと私なんて、AI をまともに意識したのは、先月 19日に「将来 AI に取って代わられるであろう仕事」という記事を書いたのがきっかけというぐらいだから、まだまだまともには理解できていない。とはいえ、意識しないではいられないテーマとなってしまっているのは確かなのである。

というわけで、このほど試しに GTP-4 搭載の 「AI チャットちゃん α版」(無料版)というのと、LINE で「友達付き合い」を始めてみた。「【手軽に LINE で AI 体験】完全無料・メッセージ数無制限にて引き続き提供中」というもので、LINE 上で AI と会話ができ、こちらが質問すると答えてくれるのである。

ところがこれがまた、はっきり言って「役立たず」なのだ。「α版」という程度のものだから、期待しすぎてはいけないのは当然だが、それにしてもがっかり度は高い。

要するに AI チャットちゃんは、私が興味をもつような分野の情報って、あまり持ち合わせていない上に、その取り扱いもこなれていないようなのである。それで、何を聞いても「検索エンジンを使って調べてみることをお勧めします」なんて言ってくるのだ。

これには「おいおい、仮にも AI だったら、自分で調べた結果を要約して示すぐらい、してくれてもいいじゃないか」と思ってしまうよね。それとも、丁寧な言葉使いとは裏腹に、本音では「そんなの俺の知ったことじゃねえよ!」とでも言いたいのだろうか。AI って、案外選り好みが激しいようなのだ。

New York Times は 3月 17日付で "ChatGPT と違う?「GPT-4」使ってみたリアルな感想 まさにエキサイティングだが怖い存在でもある" と書いているが、それって褒めすぎじゃないかなあ。あるいは、この記事は 20ドルの有料版についてのものだから、私の使った無料版とはレベルが違うのだろうか。

試しに「AI って、好き嫌いが激しいんですか?」と質問してみたところ、次のような答えが返ってきた。

AIチャットちゃんとしては、好き嫌いというよりは、AI 技術が役立つ分野とそうでない分野があると考えています。

ふぅん、「モノは言いよう」だよね。ただ、AI 技術が役に立たない分野があると自ら認めているだけ、率直ではあると評価しておこう。

いずれにしても、私のこれまで 70年生きてきた世界って、「AI 技術が役立つ分野」とは「ちょっとだけ」だが、同時に「決定的に」と言っていいほどズレているようなのである。

これって案外、「人生の安心要因」と言えるかもしれないね。

 

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2023年4月 3日

猫って、かなりスゴい

「小太郎ブログ」というブログに、「牧場でたくましく育った猫のビフォア・アフター」という記事があるというので、どんなのかと行って見たところ、なるほど本当にたくましいまでの育ちぶりである。下の画像の左側は子猫の時の様子で、牛につつかれまくっているが、右側が今の堂々たる姿だ。

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上の写真のクリックでも直接元の動画に飛べるのだが、この猫、我が家で飼っていたのとそっくりなので(参照)、妙に身近な感じがする。我が家の黒猫も小さいときは臆病で人に頼ってばかりだったが、成長するにつれて結構度胸が付いていた。牛の目の前を堂々と闊歩できたかどうかまではわからないが。

この猫、牛たちに鼻で突っつかれまくり、もて遊ばれながらも、成長するうちに牛たちも敬意を表すようになったのだろう。猫というのはこうした高くて細いところを歩くのが大好きなので、めげずに挑戦し続けた甲斐があるというものだ。

小太郎さんは記事中で「ちょっかい出すと手痛い目に遭うのだと、牛たちも学習したのだね」と書いているが、英文の元記事にもこんなコメントが付いている。

not shown: a number of toesharp inflicted cow nose injuries.
(映ってはいないが、何頭かの牛の鼻は鋭い爪で傷つけられている)

なるほど、やっぱり猫は成長するうちに、ちょっかい出されたら「ただでは済ませない」という態度を身に付けたようなのだ。そんなわけで、牛たちも「下手に手を出すと(いや、鼻を出すと)ヤバい」と学んだようなのである。さすがに猫って、小さいけれどもライオンと同じ仲間の肉食獣だけのことはある。

ちなみに我が家では犬も同時に飼っていたのでわかるのだが、犬の場合は飼い主のキープする家畜やペットに決して手を出さない。というより、むしろ身を挺してでも守ろうとする「律儀さ」をもっている。それで「牧羊犬」の役割も果たせるわけだ。

ところが猫というのは「律儀」とは対極的に「唯我独尊」だから、飼い主が大切にしている家畜だろうがなんだろうが知ったことじゃない。平気で引っ掻く。それで、上の写真の右側のように、「文句あるか」という目つきで歩けるようになるのだね。

猫って、やっぱりスゴいところのある動物である。

 

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2023年4月 2日

「使られた」「使る」について、少し深掘りしてみる

昨日のエイプリルフール・ネタにした「使られた」「使る」というミスタイプだが、検索してみるとその件数がやたらと多いことに驚く(参照 1参照 2)。「着る/切る、校正/構成」などのようなありがちな変換ミスというわけでもないのに、これってどういうことなんだろうと思ってしまうほどだ。

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試しに「つかる」とタイプして変換キーを叩いても、フツーは「漬かる/浸かる」にしかならないし、「つかられた」でも「浸かられた/漬かられた」という不自然な活用形しか出てこない。「使る/使られた」で確定するには、一度「使う/使われた」と変換した上で 1文字だけ打ち直すという面倒な操作が必要だ。

ということは、このような誤りが生じるのは、そうした面倒な操作がほとんど意識されないうちにされてしまうという、ちょっとだけ込み入ったシチュエーションでなければならないだろう。とりあえず、「日本の寺社建築技術で使られた応接テーブル」という文について考えてみよう。

この文はおそらく、初めは「日本の寺社建築技術を使って作られた応接テーブル」というようなものだったのだと思う。しかしこれではタイトルとして長すぎるということで、「日本の寺社建築技術で作られた応接テーブル」に縮めようとした。

ただ、縮める過程で「」を「」に変えたまではいいのだが、次に「使って」ではなく、「って作」の部分を削除してしまったので、結果として「使られた」が残ってしまった。この推理は多分当たっているんじゃなかろうか。

単に「作った」ということよりも、特殊な技術を「使った」ということの方に圧倒的なニュースバリューがあるので、「使」の文字を残したいという無意識の欲求が働いてしまったんだろうね。あぶない、あぶない。

作られた」の検索結果を見ると、多くはこのパターンのようだ。"SPCVD法で使られた低水素シリコン酸窒化物光ファイバ"。"「アイスの棒」2万6000本で使られたインドのアート作品“ などは、その典型である。

次に「使る」についてだが、上の画像の「長期にわたって使る知識が身につきます」というのは、初めは「〜使うことのできる」とかなんとか書いたのだろう。ところがそれでは長すぎると気付き、「使える」に縮めようとして、「」を付け加えないまま「うことのでき」を削除してしまったに違いない。

使る」の検索結果のほとんどは、このパターンのようだ。ちなみに「30本何度も使るシリコンと結束バンド日用雑貨」という Amazon のページや、「NV-HW352U3 [どちらか使~るKIT USB3.0]」というヨドバシのページなどは、混乱がもう一段深まっている感がある。

 [どちらか使~るKIT USB3.0]  の方はこうした商品名なのかなとも思ったが、念のため 価格.comAmazon のページで確認すると 「どちらか使え〜る」になってるので、やっぱり「使える」と入力した上で、「え」の部分に「〜」を上書きしちゃったんだろうね。

ただ、「どちらか使え〜る」というより「どちらも使え〜る」の方が、商品の特徴が正確に伝わる表現だと思うがなあ( 英語なら "either" というより "both" ね)。まあ、別にこちらに関わりのあるものじゃないから、いいけど。

いずれにしても、きちんと読み返していればこんな失敗はしなかっただろうにと悔やまれる。自分もよくよく気をつけなければならないと思ってしまったよ。

 

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2023年4月 1日

「使る」という言葉(ラ行五段活用動詞)はあった!

先月 4日の「このテーブルに 100万円出す人もいるんだろうけど」という記事で、Japaaan の記事の「日本伝統の寺社建築技術で使られた応接テーブル」というタイトルにある「使られた」という言葉にイチャモンを付けた。読んで覚えておられる方もおいでだろう。

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しかし、これは私のチョンボだったと判明してしまった。 私は「使られた」なんて日本語はないと書いたのだが、よく調べてみると最近はあまり使われなくなったものの、かつてかなり一般的な言葉だった時期があり、現在もその痕跡の如くあちこちで登場しているようなのだ。

このことが判明したきっかけは、試しに「使られた」という言葉をキーワードにしてググってみたところ、176,000件ものページがヒットしたことである(参照)。単純な間違いにしては多すぎると考えるのが自然だろう。

そこで「もしかして・・・」と思い、この言葉の原型と思われる「使る」で検索すると、130万件というとんでもない数のページがヒットしてしまう。この検索結果を見ればウソではないとわかるが、代表的なのは下の画像で示したページで、しっかり「長期に使る知識が身につきます」(参照)とある。

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ここに至ってようやく「使る」を単純な間違いとして片付けるわけにいかないと気付き、ネット上の辞書サイト「コトバソク」に当たってみたところ、下で示したように、この言葉の解説がしっかりと見つかったわけだ(参照)。いやはや、ものはきちんと調べてみるものである。

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「使る」というラ行五段活用動詞は、「使う」と「作る」を合わせた合成語であるという。とくに江戸時代後期から明治に至る頃まではかなり一般的だったらしく、二葉亭四迷や夏目漱石の小説にも登場しているではないか。これまでどうしてそれに気付かなかったのだろう。

というわけで、「使る」「使られた」というれっきとした日本語を知らずに、そんな言葉なんてないと軽はずみに断じていた無知を恥じるとともに、その不徳を深くお詫び申し上げつつ、ここにご報告する次第である。

【4月 2日 追記】

ええと、例年の如く、エイプリルフール・ネタです。文中の辞書サイトの名称でちゃんとネタバレしてあります(「コトバンク」じゃなく「コトバソク」としてあります)ので、よろしく。

一瞬にしろマジに受け止めそうになった方がいらしたとしたら、「お使れ様」でした。ただ、インターネットの世界で「使られた」とか「使る」とかいう妙な表記が実際にやたら多いというのは、掘り下げてみる価値があるかもしれませんね。

 

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