福島県「浜通り」に残る津波の印象
先月は 2011年 3月 11日の東日本大震災から 12年目ということで、各地でいろいろな行事が行われたが、昨日と今日、その爪痕の消えていない福島県「浜通り」に仕事で行って来た。茨城県から県境を越えて、宮城県境に近い相馬市まで、自分でクルマを運転して行って来たのである。
上の写真は仕事を終えた昨夜から今朝まで宿泊した、いわき市内のホテルの窓から撮影した朝の風景である。中央から右の、空と陸との境目で白く光っているのは太平洋なのだが、その海岸に至るまで目立った建物はない。ほとんどあの時の津波で洗い流されてしまったもののようだ。
福島県は、海沿いの「浜通り」、中央の「中通り」、その西の「会津」という 3つの地方に分けられる。天気予報もこの 3つの地区に分けて発表されるので、東北出身者にはお馴染みの表現だ(参照)。
我が家は夫婦ともに東北生まれなので、帰郷の際にはクルマで福島県を縦断する。とはいえいつも、常磐道でいわき市まで北上し、そこから西にターンして阿武隈山地を抜け、「中通り」を走る東北道を北上していた。昔は常磐道が福島県南部までしか開通していなかったためである。
さらに郡山市や福島市には仕事でもよく行っていたので、「中通り」には馴染みがある。しかし考えてみると、これまで海沿いの「浜通り」のいわき市以北を自分の運転するクルマで走ったことは一度もなかった。ということは、「浜通りの縦断」というのは、今回が初めての経験だったのである。
で、その印象だが、やはり「震災の爪痕」は大きいと言わざるを得ない。そもそも仕事を終えたのは浜通りの北の端に近い相馬市なので、そこで宿泊できれば一番楽だったのだが、手頃なホテルが見つからなかったのである。とにかく海沿いは、「決定的にインフラ不足」という印象なのだ。
以前は田畑や街があったのだろうと思われるところでも、今はガランとして何もなく、あちこちに太陽光発電パネルのみが延々と広がっている。ある意味、異様な光景とも言える。それで、何にもない日の暮れた道をずっと南に戻って、いわき市内のホテルに泊まったというわけだ。
ちなみにいわき市内に戻るまでクルマのガソリンがかなり淋しくなっていたのだが、ガソリン・スタンドもなかなか見つからずに本当にヒヤヒヤしてしまったほどである。手頃なファミレスのようなものもなくて、晩飯はコンビニで弁当を買って済ませた。
この地域では原発事故関連での「帰宅困難者」以外でも、住む家がなくなったので移転してしまったという人も少なくないらしい。実際に「何もない光景」を目の当たりにして、それを実感した。
現場に身を置かなければ実感するのが難しいということは、確実にある。そして 12年という年月は、長いようで短い。
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