『ラジオ体操の歌』の歌詞の違和感
幼い頃からずっと(確実に 60年以上)抱き続けている違和感を、この年になって初めて書いてみたいと思う。それは NHK の『ラジオ体操の歌』に関するものだ。念のため、歌詞は下に画像として貼り付けておく(赤の下線は筆者による)。その下の ▷印をクリックすると、歌も聞こえるはずだ。
「違和感 その 1」は、上の歌詞の 2行目の部分である。小学生の頃に見た歌詞も、現在ネットで検索される歌詞も こちら を初めとしてことごとく「喜びに胸を開け」である。ところが毎朝のラジオを通じ、耳に聞こえるのは明らかに「開き」なのだ。
試しに、上の ▷印 をポチッとして聞いてみて頂きたい。「開き」としか聞こえないはずだ。これって、一体どういうことなんだ。
ちなみに作曲者である藤山一郎自身は、ちゃんと「喜びに胸を開け」と歌っていて、「さすが」と言いたくなる。ただ実際は「当たり前」の話でしかないのだがね。(さらに個人的には、「開け」「あおげ」と命令形を 2つ続けるよりは「開き」の方が歌詞としてきれいな気もするし)
そして「違和感 その 2」は、歌詞の 3〜4行目である。「ラジオの声に 健やかな胸を/この香る風に開けよ」とあるのだが、とりあえず「この歌の作詞家(藤浦洸氏)は、『胸を開く』のが好きなんだなあ」と思うほかない。
さらに気になるのは、この二度目の「胸開き」の対象が「ラジオの声に」「この香る風に」と、2つ挙げられていることだ。一つの動詞に補語が 2つあるというのは、くどいだけではなく、結局曖昧すぎる言い方になる。「一体、どっちに向かって『開け』と言うんだよ ⁉」と聞きたくなるではないか。
幼い頃から言葉にこだわっていた私には、この歌詞は「雰囲気だけを追ったナンセンス」にしか思われなかったのである。私が「雰囲気のもの」というのを意識し始めた最初のきっかけと言ってもいい。ところが誰もそんなことを気にしている様子のないのが、私としては不思議でたまらなかった。
敢えて深読みすれば、歌詞のこの部分は「ラジオの声に合わせて、 この香る風に健やかな胸を開けよ」というココロなのかもしれない。「合わせて」(あるいは「乗って」でもいいが)を省略し、その後を倒置法にしてしまったとみれば、なんとか納得もできそうだ。
ただそうだとしても、朝一番の体操の歌としてはモヤモヤしすぎで気持ちが悪いじゃないか。もう少しスッキリとしてもらいたかった。「ラジオに合わせ 健やかな胸を〜」ぐらいだったら、まだ救われたかもしれない。
というわけで、個人的にはこの歌詞は、子どもの頃から「駄作」としか思っていないのだよね。藤浦洸さんには悪いけど。
ちなみにこの歌は、Wikipedia によれば『ラジオ体操のうた』という表記が本来らしく、しかも現在聞けるのは 3代目の歌で、1956年から使われているらしい(参照)。そして毎朝 6時半から流れてくるのは、大阪の茨木市立北中学校の合唱版なんだそうだ。
もしかして、この中学校で録音した時に使った歌詞カードが間違ってたのかなあ。そうだとしたら、責任者、出てこい! (と言っても、もうこの世にいないか)
ちなみに、初代の『ラジオ体操の歌』というのも見つかった。かなり時代を感じるが、それほど軍国主義っぽい歌詞ではないのは救いである。
個人的には 2代目(下の動画)が一番いいと思うのだが、たった 5年でボツになったのは、きれいすぎてちょっと「体操っぽさ」に欠けるとでも思われたのかなあ。ちなみに 2代目の体操の動きそのものも「体操っぽくない」ものだったらしい(参照)。
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