江戸の昔と現代では「読み書き」の質が別次元
昨日の記事中、ちょっとした行きがかりで、昔の「袋とじ」和本のウニャウニャした草書と変体仮名は難物で、「英語を読む方がずっと楽」と書いた(参照)。ところが江戸時代の町人は寺子屋であの時代に即した「読み書き算盤」を習っていたから、そんなのを結構スラスラ読んでいたのである(参照)。
上の画像は江戸時代の『金々先生栄花夢』という黄表紙の一部である。庶民向けの絵本みたいな娯楽物なので、文字の分量はかなり少ないのだが、それでも変体仮名のオンパレードなので、現代日本人の大多数にとっては「辛うじてところどころ読める」ということになるだろう。
変体仮名は明治の頃までしっかり残っていて、あの島崎藤村の『夜明け前』自筆原稿の初っぱなは「木曽路をすべて山の中である」と読まれがちだ。実は「を」に見えてしまうのは「者」という漢字の草書体をもとにした変体仮名で、「は」と読む(参照)。
蕎麦屋の暖簾なんかにもこの字があるよね(参照)。
というわけで、いにしえの庶民の平均的日本語読解能力は結構なものだったのだ。現代の我々なんて、ナマの古文書に関しては落語に出てくる八っつぁん、熊さん程度と言っていい。
落語の世界では、その八っつぁん、熊さんが「字を読めない」ということで笑いの対象になっていたのだから、ということは、我々だって江戸の庶民たちに笑われてもしょうがない。下の動画の三遊亭竜楽の落語『手紙無筆』でも、前置きとマクラでその辺りのことがちょこっと語られている。
ちなみに、昔は「読み書きできない」ことを「無筆」と言った(参照)わけだが、この言葉、今ではほとんど通じない。字を読めない人がいなくなったので、言葉自体も使われなくなったからだ。もっとも、由緒ある変体仮名の文書を突きつけられたら、現代日本人のほとんどが「無筆」にほかならないのだが。
というわけで「読み書き」ということの質が、江戸の昔と現代とでは別次元になってしまっているのだね。
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コメント
昔の人は今の漢字を読めるんか?
投稿: | 2023年8月18日 03:56
__ さん:
「今の漢字」と言っても、明治以後に漢字が全面改定されたわけじゃあるまいし、いわゆる「楷書」のことを言ってるんか?
投稿: tak | 2023年8月18日 10:01
古文書に触れる機会などなく、寺社仏閣のナンチャラ書きを、読めないけど読めた気でいる程度です…。
学生時代「大日本帝国関連」の実書に触れる機会があり、今で言う「旧字体」に四苦八苦しました。
内容は割愛しますが、その仕事に携わる方々の出身地の記載があり、やたらと「廣島」出身者が多いなぁ、と思ったら、なんか廣と島の間にゴニョっとした文字が入っている表記もあり…。
どうやら「鹿の旧字体」じゃないか?と言うことから、ゴニョっとした文字は「児の旧字体」で「鹿児島かぁ!」って、判明したのですが、「オレたち広と鹿の(旧字体)区別もできんかった…。」とガックリした、良き思い出です。
投稿: 乙痴庵 | 2023年8月22日 17:13
乙痴庵 さん:
いわゆる「続け字」(行書的)を書き慣れると、草書感覚にも何となく追いつけると思いますが、なかなか大変ですわな ^^;)
投稿: tak | 2023年8月22日 19:18