草書体というものの厄介さ
筆文字工房さんという方が ”これが「わ」でこれが「り」なの納得できない” と、嘆きの tweet をしておいでだ(参照)。添付された画像を見れば、確かに現代日本人の多くが「なんでこれが『わ』と『り』なんだよ!」と憤慨してしまうのも分かろうというものだ。
種明かしをすれば、左は「和」、右は「利」の字の草書体。といってもほとんど区別が付かないぐらいのものだが、実際場面では文章の続き具合によって「け」(「介」の字の崩しが多い)の次にこんなようなのが来たら「〜けり」と読んじゃってほぼ大丈夫だったりするので、ある種テキトーなものだ。
実は私、学生時代は江戸期の歌舞伎なんてものを研究テーマにしていたので、こうした古文書の訳のわからない草書体には散々悩まされた。下のようなのをいきなり「読め」と言われても、進退窮まってしまうよね。
たとえ振り仮名がついていたとしても、その振り仮名自体が読めそうで読めないんだから、シェークスピアの英文テキストを読む方がまだずっと楽だ。
平仮名が誕生したのは漢字を崩した「草書体」というものからというのは、誰もが義務教育で教わることだが、そもそも「草書体」そのものに我々はからきし馴染みがない。そんなわけで、昔の「崩し字」を持ってこられてもお手上げになってしまう。
例えば、下の文字を解読できるだろうか? 昔の手紙などの書文にはよく用いられた言い回しである。
こんなもので勿体ぶってもしょうがないので種明かしをすると、次のようになる。
- 右:「有之間敷候」(これあるまじくそうろう)
- 中:「参上可仕候」(さんじょうつかまつるべくそうろう)
- 左:「金子預り証文」(きんすあずかりしょうもん)
いやはや、こんなのフツーは無理だよね。とくに右なんて、「有之」で「これある」と漢文の返り点みたいな読み方をさせられた後に続くのが、「〜間敷候」で「〜まじくそうろう」と読ませるなんて、今の常識からしたらとんでもない当て字なんだから、「おいおい、勘弁してくれよ」となってしまう。
今年 8月16日の "江戸の昔と現代では「読み書き」の質が別次元" という記事でも書いたように、「現代の我々なんて、ナマの古文書に関しては落語に出てくる八っつぁん、熊さん程度と言っていい」ということになってしまう。これ、大げさでも何でもない。
せめて、蕎麦屋の看板でうろたえないぐらいの準備はしておこう。解説はこちら。
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コメント
候
だけで、どれだけの「オリジナル」が存在するのか…。
前の文字あるいは言葉で変化してしまうことは折込済みではございますが…。
本
と言う字も、横!くるりん!縦!ハイくるりん!ちょっとはねて右にてん。(ご想像いただけましたでしょうか?)
の、亜流オリジナルの多いこと…。
投稿: 乙痴庵 | 2023年10月 2日 22:03
乙痴庵 さん:
字の崩し方って、もう無限ですね ^^;)
「候」なんて、もう、文末にちょろちょろっとあったら大抵「候」だろうってなもんですね。
活字というもののありがたさを感じます。ただ、面白みはないですけどね。
投稿: tak | 2023年10月 3日 13:20