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2023年10月に作成された投稿

2023年10月31日

いきなりイビキかいて倒れたらヤバいって、覚えとこう

Twitter に oni さんという方が昨日付で貴重な tweet をしてくれている。TX(つくばエクスプレス)の車内で急に大きなイビキをかいて倒れてしまった人を、たまたま隣り合わせに座っていた女性と近くの男性が力を合わせて救護したというお話だ(参照)。

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この tweet が紹介された Togetter の記事には、いきなり倒れてイビキをかいたら脳卒中やクモ膜下出血などが疑われるなどのコメントが多数ある(参照)。救護に関わった 2人はいずれも医師だったということで、こうした緊急事態で適切な対処ができたというわけだ。

そういえば意識を失った人がイビキかいてたらヤバいというのはかなり前に聞いたことがあるような気がするが、普段はそんなこと全然意識していない。ということは、電車に乗っていて自分の隣でそんなことが起きたとしても「何だよ、呑気なオッサンだなあ!」なんて思うばかりで、何もできなかっただろう。

なにしろ自分が健康で病気知らずなものだから、私は病気とか薬とかの話題にとんと疎い。同年代の友人たちが病気自慢(?)や何とかいう薬をどれだけ飲んでるとかいう話をしていても、さっぱりわからなくて話題に加われないのである。

ただ、今回の件だけはかなり重要なことだと思うので、この「イビキ関連」だけはしっかり記憶にとどめておこう。どこかで役に立つかもしれない。

ただ正直な話として、そんな事態に遭遇しないことを祈るわけだが。

 

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2023年10月30日

「あっち系」の和菓子、なかなかおもしろい

タウンネットというサイトに "信長・秀吉・家康のお尻にあんこがタップリと... 「トイレの最中」の和菓子店、今度は「さんえぇけつ羽二重餅」を生み出していた" という記事がある。見出しだけでは「何のこっちゃ?」となりそうだが、本文に添えられた写真を見ると「そういうことか!」と理解できる。

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拡大してみると、確かに「けつ」の形をした羽二重餅である。「さんえぇけつ」はもちろん「三英傑」で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の 3人を指す。そしてパッケージにはご丁寧なことに「鳴かぬなら ケツでも食べよ ほととぎす」という句が添えられているというのが泣かせる、いや、鳴かせる。

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ちなみに、見出しの ”「トイレの最中」の和菓子店” というのがそもそもわからず、ググってみたところこんなようなものと判明した(参照)。INAX ライブミュージアムの中の記事というのが鳴かせる。いや、ここは「泣かせる」でいいか。

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商品説明に「ご自身で、トイレ形状のもなか皮に餡子を詰めてお楽しみください。 ※入れるときは決してトグロを巻かないようにご注意ください」とあるのが、さらに泣かせてくれる。「最中」は「さいちゅう」ではなく、あくまでも「もなか」なのだね。(この件に関して、文末の【追記】を参照されたい)

これらの和菓子を開発したのは、愛知県常滑市の「大蔵餅」という和菓子店。ここは敢えて「なかなかいい趣味!」と言わせてもらいたい。近くに行くことがあったら、ぜひ「お土産」として買って持って帰りたいものだ。

最後に告白しておくが、冒頭で紹介した記事をネットで見つけて読んだ時は、見出しの「"信長・秀吉・家康のお尻にあんこがタップリと...」を、つい「うんこがタップリと...」と読み違えてしまったのだった。これって、多分私だけじゃないよね。

【11月 4日 追記】

「トイレの最中」の読み方に関して、現場に近い乙痴庵さんから貴重なコメントが寄せられた。”読みは「さいちゅう」も「もなか」も両方で構わないとのことですが、大蔵餅さん曰く「さいちゅう」推奨とのことでした” とあるので、その辺り、なにぶん

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2023年10月29日

警官だらけじゃ、ハロウィーンなんか楽しめないよね

ハロウィーンは 10月 31日の火曜日なのだが、直前の週末とあって、渋谷では昨日から厳戒態勢が取られているという。日テレのニュースを見ると街は警官だらけで、私なんかは「うわぁ、こんなところに行くのはゴメンだ!」と思ってしまうよ。

そもそも渋谷区長が 2ヶ月も前から「来ないでもらいたい」と呼びかけ、「渋谷はハロウィーンイベントの会場ではありません」なんて看板を立てまくっているんだから、行っても歓迎されるはずがないのはわかりきっている。警官に「さっさと一方通行で歩け」と促されるばかりだ。

ハロウィーンに仮装して渋谷に集まるのは、写真や動画に撮ってネットにアップしたいからというのが理由の一つと言われている。ほかの街で仮装しても浮きまくるばかりだから、「類は友を呼ぶ」というわけで渋谷に集中してしまうもののようなのだ。

とはいえ、そんなことは「カッコ悪い」ってことにそろそろ気付いてもいい頃じゃなかろうか。本来的には渋谷なんかで群れなくても、各地でそれなりのパーティを開いて楽しめばいいのである。

私は先月 14日付の "ハロウィーンの馬鹿騒ぎが「カッコ悪過ぎ!」になる日" という記事で「沈静化するのは 2025〜26年よりも後と思っていいんじゃなかろうか」と書いている。その頃には本当に「オワコン」にしたいものだよね。

それから最後に触れておくが、この時期は渋谷周辺での路上での飲酒が禁止されるというのだが、公共の場での飲酒はこの時期に限らず制限してもらいたいものだ。

ニューヨーク辺りでは路上飲酒は完全に禁止だし、それは諸外国では珍しいことではない。そもそも公共の場で酒を飲むというのはフツーにお恥ずかしいこととして憚られるのが常識なので、アル中なんかはウィスキーの瓶やビール缶を紙袋で隠したりしてこっそり飲んでるよね。

日本って、飲酒に関してちょっと寛容すぎる。

 

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2023年10月28日

茨城県の魅力度、再び最下位に

「都道府県魅力度ランキング」というのがあって、私の住む茨城県は最下位の常連だったのだが、2020年にそれを脱していた(参照)。ところが今年の調査ではめでたく最下位に復帰したらしい(参照)。過去 15年で 12度目というのだから、これはもう「定位置」と言っていいだろう。

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上の画像は、上位 13都道府県と下位の 11県を合成したものである。魅力度 1位はこれまたお決まりの北海道で、それに次いで京都府というのもお約束である。そして下位の方では 46位の佐賀県を除き、関東のいわゆる「グンタマチバラキ」(群馬、埼玉、千葉、茨城)のうち、千葉を除く 3県が集中している。

ちなみに、私の生まれた山形県の魅力度は 31位で、やはり下位の方にある。学生時代から 20代後半にかけての 約 10年ほどは東京都内に住んだが、それを除けば私の生まれて住む地域というのは、概してイメージが低いようなのである。

とはいえ茨城県が住みにくいかと言えば、決してそういうわけではない。まあ、たしかに関東の中では群を抜いて「田舎っぽい」というのは事実だと思うが、それもまたご愛敬みたいなものである。

ただ、東洋経済の 10月25日付 ”茨城「本当に魅力最下位?」注目すべき意外な実力 人口増加率日本一のつくば市、ロケ地 1位の人気ぶり” というのは、ちょっとことさら過ぎる気がしてしまう。

つくば市の人口増加率が日本一だとか、ロケ地として人気だとか、企業が移転してきているとか、いろいろなことを挙げているが、住んでいる者の感覚から言えば、「はぁ? それが何か?」ってなものである。別にそのせいでどうこういうことはないからね。

というわけで、私はこれからも茨城の田舎でのほほんと住み続けるつもりなので、

Yoroshiku4

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2023年10月27日

せんべい布団の三畳一間で、一泊 7,700円!

石田ショーキチさんという方の tweet で「急な大阪出張でやっととれた宿は三畳一間の和室で 7700円 すごい世の中になった」というのがある。写真を見ると押し入れみたいな収納もなく、せんべい布団と小机のみの小部屋で、これでは確かにヒドすぎる気がする。

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30年以上前の夏頃、どんないきさつだった忘れたが、大阪だったか神戸だったかでドヤに毛の生えた程度のこんなような部屋(畳はもっとボロボロだったが)に一泊 1,800円ぐらいで泊まったことがある。エアコンが付いていなくて、窓を開けたまま寝たんじゃなかったかなあ。

石田さんの泊まったのは写真を見る限りではエアコンが付いているので、私の 30年前の経験よりはましなように思えるが、今どき、こんなのがあるとはちょっと驚きだ。

コロナ禍から抜け出しつつあり、私の仕事でも出張が復活してきているのでつくづく感じるのだが、最近はホテル代がかなり高くなっている。昨年あたりは一泊 5,500円ぐらいだった部屋でも、今年は 8,000円以上というのがザラだ。しかし三畳一間で 7,700円というのは、いくらなんでも見たことがない。

いずれにしても、出張の予定が入ったら早めに宿の予約をするに越したことはない。2〜3週間前に探せばヒドすぎるレベルの部屋しか見つからないなんて事態は避けられると思うのだが、とにかく今年は注意する方がいい。

 

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2023年10月26日

「忙しいビジネスパーソン」じゃないので、年賀状は・・・

Brother Online のサイトに「年賀状日和」というコーナーがあり、そこに「【年賀状は人脈強化ツール!?】忙しいビジネスパーソンこそ年賀状を勧めたい 3つの理由」というページがある。2017年の同社調査で、年賀状をもらって嬉しいと感じる人が 80%近くいるというのがその根拠らしい。

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ただ、その「80%近く」という数字の中身をみると、「年賀状をもらうと嬉しいですか?」という質問に「とてもそう思う」が 25%、「ややそう思う」が 55%で、足して 80%近い数字になるということのようだ。積極的に嬉しがるのは 4人に 1人で、半分ぐらいは「お付き合い程度」の嬉しさのようなのだ。

さらに「年賀状をもらって好感度はアップしますか?」との質問には「ある」が 48%、「ない」が 52%と、読み進むほどになんだか尻つぼみ的な印象を抱いてしまうのだった。

まあ、2人に 1人近くが好感度をアップさせてくれるなら「効果大あり」と解釈すればいいのかもしれないが、中には「おざなり」そのものでイメージダウンにしかならないのもある。こればかりはなかなか一概には言えない。

いずれにしてもこのページがプリンター・メーカーのブラザーのものであるというのは、前提としてしっかり認識しておく必要がある。年賀状印刷にプリンターとインクをばっちり使ってもらいたいという意図があるのは見え見えだからね。

ちなみに私は、2022年の年賀状でいわゆる「年賀状じまい」を宣言してしまっている。今年からは紙の年賀状は出さず、代わりにネット上でオリジナル・デザインの年賀状を公開するだけということにしてしまった。

もう 70歳を過ぎたし、最小限の仕事を厳選して続けているのみで「ビジネスパーソン」なんかじゃなくなったので、全然問題ない。今さら「人脈強化」なんてしなくていいし。

年賀状じまいをしてつくづく感じたのは、年末に時間の余裕ができたということである。私はずっと自前のデザインの年賀状を自宅でプリントして出していたので、これにはほぼ一日がかりだったのだ。とくに「宛名印刷」というのは、結構時間がかかっていた。

さらに 100枚以上のプリントをしなくなったので、プリンター・インクを消費しなくなったことも案外大きい。インクって、案外値が張るからね。

ということでブラザーさんには悪いけど、今年も紙の年賀状は出さずにネット上でのご挨拶に集約させていただくので、

Yoroshiku4

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2023年10月25日

「クマとの共存」と言っても、なかなか難しいよね

今年は人間の生活圏へのクマの出没がやたら多く、人が襲われて怪我をしたというニュースも目立つ。何しろ私の生まれた山形県酒田市の市街地でもクマがうろついたほどだし(参照)、東京都内でも目撃情報が 111件(10月 20日現在)にのぼる(参照)というのだから、ハンパな話じゃない。

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関東でもクマは結構生息していて、東京都には 100頭前後のツキノワグマがいるという。さらに私の暮らす茨城県はこれまでクマはいないとされていたのだが、最近になって福島県の山塊から茨城県北部に移動してきたのがいるようで、それは茨城県警も認知してる(参照)。

私は若い頃、奥秩父と南アルプス、そして東北のあまり人のいない山々を中心にちょくちょく単独登山していたのだが、ありがたいことにクマを目撃したことは一度もない。その当時と比べると、クマが人間の生活圏にまで降りて来たというのは驚きでしかない。

3年前の 2020年もブナの実の大凶作でクマが食べ物を求めて人里に降りてくるケースが多く、私も 9月 30日付で「クマの人里出没が増加している」という記事を書いているが、それでもこの年の人的被害は 9月末時点で 86人だった。ところが今年は 109人に増えている。

クマ出没の対策で難しいのは、自然保護の観点からすればやたらと駆除しまくるわけにいかないということだろう。それでなくても今月 7日の記事でも書いたように、クマを駆除したというニュースが流れる度に、当事者の市町村にはあちこちから抗議電話が殺到する。

そりゃ、相手も生き物だから殺さずに済めばそれに越したことはない。しかし現場の観点からは、人間の生活圏近くに棲んでヒトをあまり怖れなくなった「アーバンベア」はかなりの脅威である。秋田県では今年、既に過去最高の 53人がクマに襲われたというし。

冒頭で紹介したニュースでも、登場する酪農学園大学の佐藤喜和教授が「クマとの共存に向けた新たな対策が必要」としているが、具体的なことは何も語られていない。それほど難しい問題ということだ。

日本は狭い国土に 1億人も住んでいるので、クマの住処と人間の住処の間の緩衝地帯が思いのほか狭い。とりあえずは、人間の側でできる限りクマの習性を知った上で注意して暮らさなければならないのだろう。

【11月 2日 追記】

この関連で「実際にクマが頻繁に出没する現場からのナマ情報」という記事を書いたので、是非併せてご一読いただきたい。

 

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2023年10月24日

”「他にやることがない時間」を嫌がらない” って ?

Gigazine の記事なんだが、”クリエイティブな人々は「他にやることがない時間」を嫌がらない傾向がある” という見出しは、一読しただけでは意味が伝わらない。とにかく曖昧すぎる二重否定で、日本語としても下手くそすぎる。

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他にやることがない」という言い回しは、「ある特定のこと以外にやることがない」と受け取るのが自然だろう。ということは、タイトル全体としては ”クリエイティブな人々は「ある特定の仕事で忙しすぎて、それ以外にやることがない時間」を嫌がらない傾向がある” というように受け取られがちだ。

となると、「へえ! クリエイティブな人が特定の仕事で時間的に縛られるのを嫌がらないなんて、意外な話だ!」と思ってしまうよね。ところが記事の本文は、いきなりこんなふうに始まる。

忙しいときや仕上げたいタスクがあるとき、「何もやらない時間」をもったいなく感じてしまうことがあります。しかし、クリエイティブな人ほど何もすることがない時間を嫌がらず、退屈を楽しんでいる傾向にあると研究で示されています。

「おいおい、話が逆じゃないか!」と言いたくなってしまう。このムチャクチャな誤解を生じさせるのは、記事タイトル「他にやることがない時間」の「他に」という余計な言葉に他ならない。ということは、まともなタイトルにするにはこれを省きさえすればいい。

クリエイティブな人々は「やることがない時間」を嫌がらない傾向がある

ふむ、これでスッキリわかりやすくなる。あるいは「他に」の代わりの言葉を使ってもいい。こんな具合だ。

クリエイティブな人々は「別にやることがない時間」を嫌がらない傾向がある
クリエイティブな人々は「とりたててやることがない時間」を嫌がらない傾向がある

他に」を「別に」と言い換えるだけで意味が通じるようになるというのは、ちょっと衝撃的だよね。

ちなみにこの記事の元記事は Taylor & Francis Online というサイトの記事で、タイトルは "Creative Minds at Rest: Creative Individuals are More Associative and Engaged with Their Idle Thoughts" だ。

日本語にしてしまうと、「静止するクリエイティブ・マインド: 創造的な人は怠惰思考とより強く繋がり関わっている」という直接的なタイトルで、「他にやることがない」なんて言い回しは混乱を呼ぶばかりだ。

この記事は要するに「怠惰から創造が生まれる」といった、逆説的だが直感的に理解しやすい真理を語っているわけなんだけどね。

 

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2023年10月23日

ハロウィーンの「異教性」を巡る冒険

渋谷での大騒ぎが問題になっている「ハロウィーン」だが、チェコでは子供たちが作ったカボチャのランタンをキリスト教の神父が破壊し、謝罪に至ったという。どうやらこの行事の「異教性」が問題であるらしい。

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クルデヨフ村の公園に並べてあったカボチャのランタンを踏みつぶしたのは、カトリック教会「洗礼者ヨハネ教会」で司祭を務めるヤロミル・スメイカル神父という人だという。彼は村のフェイスブックページに謝罪文を公開したが、記事によれば次のように自身の主張も交えているらしい。

「自分の信仰と、神父として、そして私に託された子供たちの保護者としての義務に従い、これらのシンボルを取り除いた」と述べた。

また、現代のハロウィーンの伝統については、カトリックの万霊節に対抗するものであり、「異教の現代世界」で考案されたものだと、自身の見解を示した。

ハロウィーンは公式なキリスト教の公式な祝日である「万聖節(All Hallows' Day)」の前夜祭と位置付けられるという説もあるが、そもそもの起こりとしてはもっとフォークロアリスティックなイベントから来ているらしい。Wikipediaは、ケルト人の祝祭が発生だったとしている(参照)。

それだけにキリスト教でも解釈がいろいろあって、「異教的なもの」として退けられることもある。今回のニュースの主役、チェコのスメイカル神父はそうした中でもとくに強硬な存在みたいなのだ。2日間にわたってカボチャを踏みつぶしてたというのだから、「強硬 + マメ」でもある。

そんなような複雑な事情もあって日本での定着の仕方もクリスマスほど単純にはいかず、いろいろと試行錯誤している。私はそれに関して、次のような記事を書いている。

ハロウィーンのバカ騒ぎと 1970年頃までのクリスマス(2018/10/29)
ハロウィーンの馬鹿騒ぎが「カッコ悪過ぎ!」になる日(2022/9/14)

いずれにしても「ハロウィーンのこなし方」はチェコ辺りでも混乱するぐらいなのだから、東洋の島国日本でなかなかすっきりすることがなくゴタゴタするのは、当たり前と言っていいのだろう。

 

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2023年10月22日

ペットボトルの栓の開け方に関する諸々の問題

食品産業新聞というのは食品関連の業界新聞なのだろうが、伊藤園と鹿児島大学医学部の共同研究による「ペットボトルの開け方で筋力把握」という記事を載せている。下の写真右側の「逆筒握り」というのは「筋力低下と関連あり」で、「要注意」のサインであるらしい。

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私も 70代に突入してしまっているのでちょっと気になってしまい、冷蔵庫にあった新品のペットボトルで試してみたところ、栓の固い最初のうちは左上の「側腹つかみ」ってやつで握り、一度「プチッ」と鳴って緩んだらその右下の「3指つまみ」に移行すると確認された。

というわけで、今のところは筋力低下の問題はなさそうなのである。一応安心したのだが、「筋力」以外のポイントで「あること」に気付き、「ありゃ?」と気になってしまった。

それは、紹介された写真はすべてボトル本体を左手でつかみ、右手でキャップを開けようとしているのだが、私の場合は逆ということだ。どうしても右手でボトル本体をつかみ、左手でキャップを開けてしまうのである。

私は幼い頃は左利きだったらしく、死んだ祖母によって右利きに矯正されたようなのだ。そのためか 2011年 5月 14日の「左利きの痕跡」という記事に書いたように、私はトランプを切って配ったり、トイレで尻を拭いたりするのは左手でないとできない。さらに他の例として次のように書いている。

iPhone で文字を入力するとき、普通の右利きは左手で iPhone を持って右手の指でチョンチョンするようなのだが、私は逆だ。さらに、歯磨きのチューブの蓋を取るときも、チューブを右手で持ち、左手の指で蓋を捻るし、袋から何かを取り出す時も、右手で袋をもって左手を突っ込む。

お札を数えるとき(数えるほど持ってないのだが)もフツーの右利きと逆だし、時計のネジを回したり時刻合わせをする時などは、ネジが右側なのでイライラしてしまう。

今回のペットボトルのキャップを開ける動作というのは、上述の「歯磨きのチューブの蓋を取るとき」と同様の話になるのわけだ。もしかしたらまだ自覚していない「フツーの右利きと逆の動作」が他にもあるかもしれない。

ちなみにペットボトルのキャップを右手で開ける動作を試してみたところ、辛うじてうまくできた。「辛うじて」というのは、右手でキャップを持つと普段と「逆回し」みたいな感覚になってしまい、動きが不自然でボトルの中身をこぼしそうになってしまったのだよね。

我ながら「変な右利き」である。

 

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2023年10月21日

「言っちゃいけないこと」を言っちゃう「正しい人」

TBS NEWS DIG に、”40代男性に「働きもしないで、プー太郎男」などと言った男女 3人を名誉棄損の疑いで逮捕「真実を言っただけで名誉を棄損するつもりはなかった」容疑一部否認 宮城・登米市” というニュースがある。

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逮捕された 3人、困った人たちである。まあ、言われた方も「困った人」ではあるのだろうけど。

3人は「真実を言っただけで・・・」なんて開き直っているらしいが、「真実」(truth)と「事実」(fact)は違うということがわかっていない。目に見える単純事実を「真実」なんて言っちゃうような人は、他人をとやかく言う資格がない。こんなことは、ちょっと気の利いた小学生でもわかることだ。

さらに百歩譲って、たとえ「事実」だとしても、世の中には言っていいことと悪いことがある。「名誉を毀損するつもりはなかった」なんて言い訳してるようだが、「〜するつもりはなかった」で済むなら、警察はいらない。

ニュースによればこの 3人は「プー太郎」呼ばわりだけでなく、「お前たち泥棒なんだよ」とまで言ったらしい。ここまで来たら、いくら何でも「言い過ぎ」だ。「お前たち」と複数形で言ったということは、一人だけでなく似たような存在をすべて一括りに泥棒扱いしたことになるし。

この 3人は、それぞれ自分のことをよっぽど「正しい人」と思っているのだろう。私は「正しい人」ほど付き合いづらい存在はないと思っていて、その関連で過去に何度か書いている。こんな感じだ。

当たり前すぎることと細かいことしか言わない人 (2014/3/14)
「うがい薬騒動」で薬局に殺到する「正しい人」たち (2020/8/6)
「正しい自分」を押し通したい人 (2020/9/9)
「正しい自分を押し通したい人」が「炎上」に参加する (2020/10/6)

2002年に亡くなった名コラムニスト、山本夏彦氏の存在は対照的だった。私はこの年の 10月 26日に、"「正義」に楯突いた山本夏彦氏" という追悼文めいた記事中で、彼のコラムを「現代の悪人正機説」と書き、次のように続けた。

「善人」とは、自分で自分を疑いもなく「正しい人」と思っている人である。他人から非難されると怒る人である。感謝されないと怒る人である。他人が自分より報われると怒る人である。

確かに、「正義」ほど扱いづらいものはないのである。

今回の宮城県の事件で、こうした感覚がよみがえったような気がしている。

 

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2023年10月20日

”X” を ”Twitter” と呼び続けることに、文句あるか !?

SNS の "X" のことを、私はずっと "Twitter" と呼び続けている(参照)。何しろ URL が ”https://twitter.com” のままなのだから、「文句あるか」ってなもんだし、MMD の調査によれば世間的にも ”「X」と呼んでいる人は 9.1%、「Twitter」と呼んでいる人は 67.7%" なんだそうだ。

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要するに調査期間の今年 9月 29日~ 10月 3日の期間で、"X" と呼んでいるのは 10人に 1人もいないし、Twitter の名を引きずっているのは私だけではないことが図らずも確認されてしまった。そもそも ”X" なんて名称はセンスなさ過ぎで、口にするのもこっ恥ずかしいし。

さらにこのサービスの有料化については、「賛成」が 4.6%、「やや賛成」が 8.7%とだったという。合計 13.3%が「賛成」となるわけだが、「反対」が 67.5%、「やや反対」が 19.2% だから、合計86.7% の圧倒的多数が「反対」というわけだ。そりゃそうだよね、ずっと無料だったんだから。

そして今後どうするかについては、「今後アクティブに利用したい」が 16.1%、「アクティブではないが利用したい」が 58.7%、「利用を止めることを見当している」が18.6%、「利用を止める予定」が 6.6% だったようだ。6割近くが日和見的に利用し続けたいってわけなのだね。

私は「利用を止める予定」なのだが、問題はどのサービスに乗り換えるかである。7月 27日付の記事でも書いているように、それを決めかねて久しいのだ。どれもみな「帯に短したすきに長し」みたいな感じなのである。

このせいで、止めるタイミングを掴めないでいるのだよね。

 

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2023年10月19日

クラシック・コンサートでの「咳」を巡る冒険

音楽関係の情報が多い amass というサイトに「クラシック・コンサートでの咳 通常時よりも 2倍も多く しかもその多くがわざとしている 研究結果」という記事がある。「おいおい、それってホントかよ !?」と言いたくなるが、確かにクラシック・コンサートって、観客の咳の気になることが少なくないよね。

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ドイツのハノーファー大学の Andreas Wagener 教授によれば、「クラシックのコンサートでは、観客の咳が通常時よりも 2倍も多く、しかもその多くがわざと咳をしている」という研究結果になったのだそうだ。その心理状態の分析がおもしろいといえばおもしろい。

咳の量は、演奏のゆっくりとした静かな瞬間や馴染みのない曲、複雑な曲の時に増える傾向があり、教授はこれを「咳の雪崩」と称している。ただ、この雪崩のスイッチは切ることができるらしい。記事には次のようにある。

ピアニストのアルフレート・ブレンデルは、かつて観客に「咳を止めるか、私が演奏を止めるか、どちらかです。コンサートが終わるまで咳をしないでください。私はこの音楽をとても愛しているのだから」と呼びかけたところ、その後、コンサートは中断されませんでした。

ふぅむ、てことは、観客の咳の多くはしなければしないで済むもののようなのだ。つまり逆に言えば、観客は「わざと咳をしている」と捉えることもできる。

ちなみにコンサートでの咳が気になるのはやはりクラシック音楽の場合で、ギンギンのロックなんかの場合は全然気にならない。さらに言えばちょっと落ちついた感じのポップスでも、咳はあまり聞こえない。記事の末尾には結論めいたこととして、次のようにある。

指揮者のコリン・デイヴィスは、観客が咳をするのは退屈だからだと思うと語っています。教授は、退屈な場面では咳をする観客が増えることを確認しています。それは「観客が処理すべき情報が少なくなり、その結果、喉の潜在的な炎症に観客が気づく確率が高まるから」と述べています。

なるほど、なんとなくわかるような気がする。咳って、退屈な時間における一種の「気晴らし」とも言えそうなのだね。それって必ずしもコンサートの場面に限らないが、突き詰めて言えば、クラシックのコンサートは「咳以外に何もできない退屈な時間」の代表格なのだろう。

最後に断っておくが、私はこの記事でクラシック音楽がつまらないと言ってるわけでは決してないので、そのあたりのところはくれぐれも

Yoroshiku4

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2023年10月18日

「東海道・山陽・九州新幹線でも喫煙ルーム廃止」歓迎!

嬉しいニュースである。まあ、中には嬉しくない人もいるだろうが、来年の春から東海道・山陽・九州新幹線の「喫煙ルーム」がすべて廃止されることになったんだそうだ(参照)。

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「タバコを吸わないお前には、喫煙ルームがあろうがなかろうが関係ないだろうが!」と言われそうだが、とんでもない、関係大ありなのである。それに関しては、10年以上前に次の 2本の記事で書いている。

新幹線「のぞみ」、せっかく全面禁煙にしても (2010年 12月 28日)
新幹線の「喫煙ルーム」はどえらい迷惑 (2012年 2月 14日)

要するに、新幹線で隣に座ったスモーカーが喫煙ルームに行くと、しばらくしてから全身がものすごくタバコ臭くなって戻ってくるのである。これはノンスモーカーにとってかなり不愉快で、息苦しいほどのものだ。2010年の記事には次のように書いている。

私も以前、のぞみに乗っているとき、隣のオッサンがちょっとどこかに消えたかと思うと、ものすごくタバコ臭くなって戻ってきてビックリしたことがある。私はそんな時には遠慮しないから、手元にあった書類でバタバタ扇いでやった。

来年の春以後は、スモーカーとしても喫煙ルームから戻ったとたんにバタバタ扇がれるなんてことはなくなるから、幸せに思った方がいい。

ちなみに今年 6月 23日付の「陸路で北海道にやって来た」と言う記事には、盛岡駅での停車時に列車から降りてホームの「喫煙所」に駆け込む人が多いのに驚いたとある。東北新幹線には喫煙ルームがないので、こんなことになるわけだ。

盛岡駅では秋田新幹線車両の切り離し作業が発生するために多少停車時間が長くなるとはいえ、3〜4分程度の時間で新幹線車内からホームに降り、喫煙所でタバコを吸ってまた戻ってくるというのは、当人としても結構慌ただしいことだろう。かえってストレスが溜まってしまうんじゃあるまいか。

一方、東海道・山陽新幹線では東北新幹線のような切り離し作業がなく、全ての駅で停車時間が短いから、目的地に着くまで我慢しているほかない。だったらいっそ、タバコなんか止めてしまえばいいのにとつくづく思ってしまう。

私だって昔、禁断症状でのたうち回りながら禁煙した(参照)のだから、やればできないことじゃない。

 

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2023年10月17日

「ど根性スイカ」とやらを珍重したがる都会人の意識

御堂筋の中央分離帯で育った「ど根性スイカ」は、おそらく今シーズンの日本で最も注目されたスイカだろう。これ、大阪市によってプランターに移し替えられて市の施設に保管された後、「市民に公開することも検討」されているんだそうだ。何とまあご丁寧なことだ。

YouTube の動画で見れば何のことはない、単なる小玉のスイカである。こんなものは珍しくもなんともないが、御堂筋の中央分離帯という場所で育ったということが、とても大きな「差別化ポイント」なのだろう。

しかしそれを持ち帰り、御堂筋の中央分離帯でないところで市民に公開した時点で、それは「単なる小玉のスイカ」に戻ってしまい、面白くもなんともなくなってしまう。それに加えて、放っておけば腐ってしまうから扱いにも困るだろう。

どうしてこんなところでスイカが育ってしまったのか、そのいきさつは「不明」ということだが、フツーに考えれば郊外の畑でスイカの実を突ついたカラスが御堂筋まで飛んで来て、ポトリと落とした糞の中に種があったのだろう。スイカ畑から御堂筋までは結構な距離だろうが、そう考えるのが自然だ。

いや、もっと下世話な推理をすれば、クルマの中でスイカを食いながら、窓の外にププっと吐き散らした種の一つが根付いて育ったのかもしれない。もしかしたら「あの時、俺がププっとやった種がこんなことになったのか!」なんて、心密かに思ってる人がいるかもしれない。

というわけで、こんな全国ニュースになるまでに注目されてしまったスイカだが、いずれにしてもあっという間に忘れ去られてしまうだろう。だったら「市民に公開」なんて余計なことを考えずに、さっさと食えばいいのに。

あるいはここまで来てしまうと、市の職員が食ってしまったら公道で生産された農作物の「窃盗罪」みたいな法的問題が発生してしまうんだろうか? 「減俸 3ヶ月の処分」なんてことになったりしたら、お笑いである。

 

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2023年10月16日

最近の人はアコースティック・ギターを弾かないのだね

島村楽器が 2023年度上半期の「売れた楽器ランキング TOP 10」というのを発表している(参照)。「コロナの規制緩和によりバンド系、管楽器系楽器が好調」なのだそうだ。

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発表された  BEST 10 は以下の通り。

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1位がホルンというのは意外だが、これはコロナ禍が収まって学校行事が復活し、吹奏楽の演奏機会が増えていることによるのだそうだ。前々からの管楽器は、4〜5年間放っておかれておシャカになってしまったんだろうか。

ただこの順位は販売数量によるものではなく、前年比(数量ベースか金額ベースかも不明)を基準にしているようで、その意味では結構紛らわしいデータである。数量ベースで捉えれば、ギターの方が多いのかもしれない。

さらに以外なのは、エレキギターとエレキベースが 3位と 4位に入りながらアコースティック・ギターが圏外ということである。最近の若い子はアコースティック・ギターで弾き語りなんてしないもののようなのだ。

売れるのはエレキギターとエレキベースというのだから、「バンド系」である。「マルチエフェクター」とか「コンパクトエフェクター」とかで音をコントロールしながらギンギンに演奏するのがフツーになっているのだね。

ちょっとググってみたところ、ne+e というサイトの ”ズバリ質問 !「ギター」弾けますか?” というページに、質問への回答が「弾ける 6.5%、少し弾ける 16%、弾けない 77.5%」だったとある。つまり 4人に 3人以上はギターを弾けないということだ。

そして「弾けると回答した人の世代別割合」というのがさらに興味深い。「10代 16.7%、20代 1.9%、30代 7.0%、40代 2.9%、50代 9.4%、60代以上 18.5%」で、10代と 60代以上が際立って高く、あとは 1ケタ台でしかない。20代なんて、100人のうち弾ける人が 2人いないってことだ。

60代以上で弾ける人の割合が 18.5% となっているが、私の年代の「70代前半」に絞り込めば多分 20%を越えるだろう。ギターは「多少は弾けて当たり前」みたいな楽器で、弾き語りができるぐらいは珍しくも何ともなかった。

ところが今やギターって、「弾く楽器」じゃなくて「聞く楽器」になってしまったのだね。「残念」と言う以上に「情けない」気がしてしまう。

10代の 16.8% が弾けるというのが救いだが、それにしてもエレクトリック・ギターが主体なのだろう。アコースティックなんて触ったこともないかもしれない。

 

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2023年10月15日

季節がめちゃくちゃだが、付いていくしかない

11〜13日に父の十三回忌のため山形県酒田市に帰郷したのだが、実はこの時、ほとんど「冬支度」をしていた。その前の 9〜10日に関東でもかなり冷え込んでいたので、東北はもう初冬になっているのではないかと思ったためである。

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ところが酒田市に着いてみるとかなりの暖かさで、Tシャツの上に薄いシャツを重ねる程度で充分だった。用意していた厚手のシャツとフリースには、まったく袖を通すことがなかった。

夜寝るときも初めは羽毛布団をかけて寝たのだが、途中で暖か過ぎて寝ていられなくなり、タオルケットに毛布を 1枚重ねるだけにしたら快適になった。つくばの地では前夜まで薄手の羽毛布団を掛けていたのだから、信じられないほどだった。

そして 13日につくばの自宅に戻ったわけだが、その日からまた少し冷え込んで、酒田では必要なかった羽毛布団をかけることになった。本当に目まぐるしいまでに季節が行ったり来たりしている。

今日は冷たい雨で冷え込んだが、明日からは気温が 10℃ ぐらい上昇して「夏日」に戻るかもしれないという予報が出ている。まったくどうなっているんだかわからない。

季節感というものがめちゃくちゃになっている。季節がどんなに行ったり来たりしても、人間はそれに付いていくしかないのだから、無力なことである。

 

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2023年10月14日

フロッピーディスクとがん検診を巡る冒険

筒井.xls@エクセル関数擬人化本著者さんという方が面白い tweet をしておられる(参照)。「フロッピーディスクを知ってる人はがん検診の時期」ということを英語で告知している看板だ。

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看板には、"IF YOU KNOW WHAT A FLOPPY DISK IS IT MAY BE TIME FOR CANCER SCREENING" とある。がん検診のことを ”cancer screening” というなんて、この年になって初めて知った。なにしろ病気と医療の話には疎いもので。

で、私個人の話で言えば、フロッピーディスクは「知っている」なんてもんじゃない。私が PC を使い始めた頃は、データを保存する媒体なんて フロッピーディスク以外にないというぐらいの時代だったからね。

初めの頃は、仕事上のデータを フロッピーディスク 50枚ぐらいに保存していたぐらいのものだ。信じられないような時代があったものである。

ただ、日本はレガシー・メディアの好きな国で、今でもお役所はフロッピーディスクでのデータ提出を求めるらしい。これに関しては昨年の 9月に「Amazon が今もフロッピー・ディスクを取り扱う理由というタイトルで書いている。

ということは、お役所の職員はどんなに若くてもがん検診を受けなければならないだろう。鬱陶しいことである。

さらにお笑いなのは、これも前に書いたこと(参照)だが、昔々、あるオフィスではフロッピーディスクのことを「ビスケット」と言っていた。IBM ではフロッピーディスクのことを「ディスケット」と称するので、一人のオッサンが「ビスケット」と聞き違え、それが定着してしまったようなのだ。

「ビスケットが何かわかる人はがん検診を」なんて言ったら、大変なことになってしまう。

 

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2023年10月13日

山形県内の 2つの高速道を巡る冒険

父の十三回忌を終えて、本日の朝に山形県酒田市を出発し、午後 3時半頃に無事につくばの自宅に戻ってきた。今回のクルマでの往復の収穫は、山形県内の高速道路が知らぬ間に充実していて、かなり便利になっていると知ったことだった(参照)。

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私はコロナ禍の間は一度も酒田に戻らなかったので、福島から先の高速道路の整備状況を知らずに出発したのだった。そして往路は東北自動車道を福島に向かっている時に「東北中央自動車道」という新規の高速道ができていて米沢経由で新庄まで行けると知り、「ものは試し」とこの経路を選んだのである。

福島ジャンクションで東北中央自動車道に入ると、なんと高速道路なのに無料区間が結構ある。11日の記事に書いたように、途中で一般道に降りて山形市の愛庵(めごあん)という蕎麦店で板そば板そばを食ったのだが、また東北中央自動車道に乗り直し、新庄から国道 47号線を辿って酒田に着いた。

山形県内に入ったら一般道を主体に走るしかなかったコロナ禍以前に比べると、かなりの時間短縮である。酒田には日が暮れかけた頃に着くものと思っていたのに、まだ明るいうちに着いたのは驚きだった。

そして帰路は、酒田まで延長された山形道を通ってみた。月山、湯殿山の麓を通る道は、以前は一般道の国道112号線を通るしかなかったのだが、この経路を山形道がカバーしてくれているではないか。そこでこの道を通ってそのまま宮城県内の村田ジャンクションまで進み、そこで東北道に入ったのである。

で、どっちの経路の方が時間短縮できるかというと、往路は一時的に一般道に降りたので単純比較はできないものの、ざっと見てどちらも同じようなものという印象だ。上で紹介したページに貼り付けてある YouTube 動画を見ても、それは間違いないと思う。

だったら、無料区間が設定されている東北中央自動車道の方が「お得」とみることもできる。ただ個人的な考えとしては金銭的な少々の損得勘定は抜きにして、今回のように往復で別経路にするのがいいと思う。どちらの経路でも、それぞれ別の味わいのある景色が楽しめるからだ。

さて、次に酒田に行くのはいつになるだろうか。父の十三回忌も済んだので、それほど頻繁に行くことはなくなりそうで、ちょっと淋しいなあ。

 

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2023年10月12日

父の十三回忌、無事に終了

父の十三回忌は、無事に終了した。午前中に身内だけで集まって、お坊さんに阿弥陀経を読経してもらい、午後は墓参りをした。酒田は 5年以上来ていなかったので、墓参りも本当に久しぶりだった。

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写真は今日の鳥海山の様子。空はほとんどきれいに晴れ渡ったのに、北の方角だけは厚い雲に覆われて五合目付近まで辛うじて見えたが山頂までは見えなかった。昨日も山頂が見えなかったので残念。明日の帰り際には見えるだろうか。

明日は朝に出発して夕方頃に帰宅し、明後日の仕事の準備に入らなければならない。まだまだ忙しい日程が残っている。

【同日 追記】

今日は夕食として、酒田のラーメンを食した。いつも行く「満月」は休業だったので、その近くの「東軒」でワンタンメンを食べた。肉食は数年前から絶っているのだが、今回ばかりは「ご当地ラーメン日本一」(参照)のご祝儀の意味で、チャーシューもおいしくいただいた。

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酒田のラーメンって、昔ながらの「支那そば」を究極まで洗練させたような感覚で、東軒のラーメンは満月のものよりややあっさりめの風味だが、それはそれでやはり上品においしい。今回はいいタイミングで酒田に来ることができてよかった。

 

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2023年10月11日

高速道路を駆け抜けて、酒田に到着

父の十三回忌のために、帰郷している。今朝 9時にクルマで出発し、常磐道、東北道、東北中央自動車道を通って、午後 4時半に到着した。途中での休憩、昼食をはさんで、7時間半のロングドライブだった。

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上の写真は途中、山形市の愛庵(めごあん)という蕎麦店で食べた板そば。そば粉十割の手打ち蕎麦だが、コシの強さは最初の一口目でびっくりしたほど。なかなかのもので、満足して食べ終えた。国道 13号沿いでわかりやすいので、今度通りかかることがあったら、また寄ってみよう。

最上峡を抜けて庄内平野に入り、晴れてもいたので鳥海山の眺望を楽しみにしていたのだが、残念なことに山頂付近に薄い雲がかかっていて、くっきりとした眺めではなかった。明日も晴れるというので、夜が明けたら見えるかもしれない。

例のご当地ラーメン日本一で湧く「酒田のラーメン」を食ってみようかとも思っていたが、日が暮れたし疲れてもいるので、明日に回すことにする。何しろ法事の本番は明日だし。

というわけで、今日は疲れてもいるので、この辺で失礼。

 

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2023年10月10日

「酒田のラーメンが日本一」って、そりゃそうだよね!

日本ご当地ラーメン総選挙」というイベントで、私の故郷である酒田のラーメンが日本一に輝いたんだそうだ(参照)。Twitter の ”#酒田のラーメン” もどえらい盛り上がりようだ、酒田のラーメン屋さん、おめでとう!

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このイベントは web 投票の予選を勝ち抜いた 10のご当地ラーメンの中から、さらに実食による投票で日本一を決めるというもので、今月 5日から昨日まで東京新宿の大久保公園で行われていた。決選投票の結果は、酒田ラーメンが 2位の 札幌ラーメンにダブルスコアで圧勝だったという。

この「酒田のラーメンが日本一」という話は昨日になって突然盛り上がったような印象をもたれたかもしれないが、実は私にとって「そりゃ、そうだよね!」というぐらい当然の話で、とくに驚きもしない。「それって、昔から知ってたよ」ってな感じなのだよね。

日本の全都道府県に複数回訪問したことのある私は、当然のようにあちこちのご当地ラーメンも食べ歩いた。その経験からして、「何だかんだ言っても、酒田のラーメンが一番うまい!」というのは揺るぎない事実だと思っている。これ、大げさでも身びいきでもない。

何しろ酒田のラーメン屋さんというのは、ラーメンにかける心意気からして違う。麺は当然のように自家製麺だし、魚介系出汁の絶品スープや名物のワンタンにかける手間も違う。そのくせ、一部の変なラーメン屋みたいに妙にイキがったり高飛車に出ることもない。

酒田市民も祖父母、あるいは曾祖父母の代からラーメンへのこだわりを静かながら脈々と受け継いでいて、ラーメンというのは何と言うか、「フツーなんだけど特別のご馳走」みたいな感覚なのだ。だから下手なラーメンを出したりしたら、小さな酒田の街で生きていけない。

13年以上前に酒田ラーメンの名店「満月」でワンタンメンを食した時のことを写真入りで書き、”椎名誠がこのワンタンメンを食べて、ワンタンは『雲を呑む』と書く意味がわかった” というほどのすごいワンタンである」とキャプションめいたことを書いている(参照)。

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実は、父の法事のため明日から酒田に行く。私は数年前から肉食を絶っていて、当然ながらチャーシューが付きもののラーメンからも遠離って久しいのだが、今度ばかりはご祝儀の意味でチャーシュー入りのラーメンを食させてもらってもいいなと思っている。

ただタイミングがタイミングだけに店は長蛇の列になっているかも知れず、実際にありつけるかどうかは行ってみるまでわからない。もし食べることができたら写真入りでレポートしようと思っている。食べられなかったら、私の肉絶ちは今後もさらに続くことになるわけだが。

【10月 25日 追記】

ええと、こちらには書き忘れてたけど、12日の記事に追記したように、酒田の東軒という店でラーメンにありつけた。さすがにおいしかった。

ただ日本一の栄冠に輝いた割には、酒田のラーメン屋はそんなに盛り上がってはいなかったのだが、さすが酒田は呑気な土地柄で、時が経つにつれて盛り上がりが増しているようなのである。こんなようなポスターまで登場したらしい。

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2023年10月 9日

「延命治療の断り方マニュアル」が欲しいところだ

大動脈外科医であるらしい Yuki Ikeno という方の tweet が一部で話題になっている。「延命治療」ということについてのものだ(参照)。

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家族は「延命治療は希望しません」と言いながら、医者に「気管挿管は希望されますか?」とか「透析は?」「胃瘻は?」とか個別の質問をされると、「お願いします」という返事が多くなるらしい。それで、「これくらいの認識の差は普通にある」というのである。

健康で丈夫すぎるほどの私は、病気とか医療に関しては全然詳しくないのだが、治る見込みがない患者に「延命」目的で行う気管挿管、透析、胃瘻などを含む措置の総称が「延命治療」なのだと受け取っている。ところが世間では、この問題に関して「総論反対、各論賛成」に傾きがちだというのだ。

こんなところでも、私のよく言うところの「雰囲気のモノ」が色濃く作用するのだろう。要するに雰囲気として「延命治療で寝たきりなんてイヤだなあ」とは思っても、実際的・具体的なところまで考えたことなんてないから、個別の措置について聞かれればついフラフラと「お願いします」になってしまう。

「介護の教科書」というサイトがあって、その連載 22回目は「延命治療をしない場合に必要な書類は?尊厳死の意思を周囲に伝えておくことが大切」というテキストである。安部行政書士・社会保険労務士・FP事務所 代表の安部静男さんという方の執筆によるものだ。

このテキストの初めの方に「"延命治療は行わず" を望む声が 9割」というサブタイトルがある。ということは、大多数の人が延命治療なんて望んでいないということだ。

ところが、「治療をしても治る見込みがなく、ただ延命措置のために人工呼吸器をつけたり、胃ろうをした場合、それを後から外すことは難しくなります」とも書かれている。よくわからないが日本特有のこととして、こうしたことに関する制度がやたら複雑になっているようなのだ。

このあたりの事情は、最近の記事としては「日本の寝たきり老人数、推定 300万人以上は世界断トツ 1位! 精神科ベッド数も全病床の 21%で世界一…日本医療制度の欠陥と利権のせめぎ合い」に詳しく書いてある。読んでいてイヤになってしまうが、読む価値はある。

さらに上述の社会保険労務士さんの記事にも、延命治療を拒否して尊厳死を望む場合には『尊厳死宣言公正証書』なんてものをを準備しておけなんて、面倒なことが書いてある。このあたりは「証書作成は私どもにお任せを」ってな商売上の意図が感じられて、ちょっと鬱陶しい。

というわけで私としては、損得の発生しない第三者が信頼のおける「延命治療の断り方マニュアル」みたいなものを作成してくれるといいんだがなんて思ったりしてしまうのである。マジな話。

やたら人数の多い「団塊の世代」がそろそろ 70代後半になりつつあり、悪いけどはっきり言って長いことないのだから、これって大切なことなんじゃあるまいか。

 

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2023年10月 8日

「大阪万博」を巡る冒険

菅前首相が東京MXテレビの討論番組「田村淳の訊きたい放題」とやらに出演し、2025年大阪・関西万博は「国を挙げて取り組むべき」とし、膨らむ建設費に関しては「誠実に説明を」と発言したのだそうだ(参照)。どうみても上滑りな話である。

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そもそもこの大阪万博開催の決定したのは 2018年の話で、当時の菅氏は第四次安倍内閣の官房長官だった。そりゃ、「大阪万博は国民の関心も薄いし、まあテキトーに・・・」とは言えないよね。

ちなみに、開催決定時の日本経済新聞の記事の見出しは「2025年 大阪万博が決定、55年ぶり」というものだった。「55年ぶり」の意味は、記事では「大阪では 1970年以来 55年ぶりの開催」ということになっている。

ここで確認しておくが、これは 2005年に開かれた「愛知万博」からだと 20年ぶりで、さらにこの前には 「沖縄海洋博」(1975〜76年)、「つくば万博」(1985年)「花と緑の万博」(1990年)なんてのもあった。で、1990年の「花と緑の万博」の開催地は、ほかでもない大阪だった。

このイベントは Wikipedia によれば「博覧会国際事務局(BIE)認定の国際博覧会」だったのであり(参照)、さらに Wikipedia の BIE の項目によれば「博覧会国際事務局によって承認された博覧会のみが、国際法上「国際博覧会(万博)」を名乗ることができる」とある(参照)。

ということは、「大阪では 1970年以来 55年ぶり」というのは、立派な(?)「誤報」である。要するに関係者やマスコミでさえ 1990年の万博なんていわゆる「特別博」とはいえ、意識から消えてしまっていたようなのだ。この分だと 2年後の万博だって、何年も経たないうちに忘れられるだろう。

その程度のイベントの会場建設費の問題に関して、記事は次のように伝える。

会場建設費は 18年の誘致決定時は 1250億円だったが 20年に 1850億円へ増額された。政府関係者によると、資材価格や人件費の高騰などで再度の増額は避けられず、最大で総額 2350億円にまで膨らむ可能性があるという。

インフレというわけでもないのに 7年で 2倍近くにまで膨らんでしまうというのは、民間企業主催のイベントでは考えられない。そして記事は次のように続く。

タレントで司会の田村氏に「増額についての説明は尽くされているのか」と問われ、「ようやく動きだしたところ。誠実に取り組んでほしい」などと回答。

これ、ちっとも「回答」になってないよね。菅氏の口から出る言葉なんていつもこんなようなもので、受け取る方が勝手に「ソンタク」するだけである。ただ今回の場合、「ようやく動きだしたところ」なんて言うのはいくら何でも寝ぼけ過ぎだし、そんな話に誰が「誠実」に取り組むというのだ。

個人的には「つくば万博」は近所だったので、子供たちの遊園地代わり(実際、その程度の印象だった)に連れて行った覚えがあるが、他はまったく行っていない。今度のも、行こうなんて発想すらない。

 

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2023年10月 7日

クマの「駆除」への抗議電話ということ

秋田県美郷町が、人里に現れて作業小屋に閉じこもっていたクマ 3頭を「駆除」(要するに「殺処分」)したことで、県や町に抗議が殺到しているという。AERA も ”「責任者の名前を言え!」 クマ 3頭駆除に秋田県や町に抗議殺到 長時間電話で職員に疲れ” と報じている。

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7月に北海道で牛 60頭以上を襲ったヒグマ「OSO18」の駆除の時も、役場には抗議が殺到したらしい。正直に言えば私もこうしたニュースを聞けば、少しは心が痛む。いくら「危険な動物」であったとしても、「命の尊さ」にはかわりがないからだ。

しかしながら、これはとんでもなく難しい問題である。「かわいそう」などの感情論や、一面的な見方の「命の尊さ」という論理での抗議は、反対方向からの感情論や論理(襲われる人間の方がかわいそうとか、クマが人や家畜の命を奪うこともあるなど)とぶつかるだけになってしまう。

視野を広げれば、アフリカのサバンナでは太古の昔から今に至るまでライオンがシマウマを襲って食っている。シマウマは草を食って生き延びるが、ライオンは他の動物を殺してその肉を食わなければ生き延びられないのだから、ライオンに「お前も草を食え!」と言っても始まらない。

「それとこれとは別問題」などと言わないでもらいたい。繰り返すが、「命の尊さ」にはかわりがないのだ。

今回のような問題では「殺してしまわずに、山奥に放せばいいではないか」という人もいるが、一度人里に降りて楽に食料を得ることを知ってしまったクマは、再び降りてくることが多いとも言われる。その度に同じ繰り返しになってはたまらない。

地元の人たちにしてみれば、「駆除」のおかげで少しは安心して暮らせるようになったのである。そのことを思えば、役場の業務が進まなくなるほどやたらな抗議電話をするのは考えものだ。感情的過ぎる電話となれば、なおさらである。

AERA の記事には、次のようなくだりがある。

「責任者の名前を言え!」などと乱暴な言葉で対応を迫る人も。対応した職員の言葉が気に入らなかったようで、「バカにしているのか!」などと怒りはじめ、クマとは無関係な職員の言葉遣いへの苦情に転じて電話を続ける人。電話先で泣き続ける人……。

はっきり言わせてもらえば、「よほど暇な人たち」である。強いて言えば、動物の命を奪ったことにそれほどヒステリッに抗議するなら、自分も牛や豚の肉を食うのをやめなければならない。

またまた繰り返すが、「それとこれとは別問題」とは言わないでもらいたい。家畜である牛や豚を殺して食うのはいいが野生動物であるクマを殺すのはダメというのは、「殺して食うための命と、殺してはならない命」を分けているということで、ずいぶんゴーマンな論理である。

ちなみに私は肉を食うのをやめて数年になるが、今回のようなことに関する抗議電話で役所の仕事の邪魔なんかしないよ。

 

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2023年10月 6日

明日から、急に忙しくなってしまうので・・・

今日の空は気持ちよく晴れ渡り、一昨日のような寒さもなく、絵に描いたような「秋晴れ」の一日だった。近所の岡堰の水も青空を映して美しく、こんなような日が続いてくれたらさぞ気持ちがよかろうと思うほどだったが、天気予報によれば連休二日目と三日目は雨模様になるという。

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まあ、私としてはこの連休は行楽に出かけるわけでもないから、雨はちっとも構わない。とはいえ家でのんびり過ごせるというわけでもなく、それほどお金になるわけでもない仕事が詰まってしまっている。さらに来週半ばは父の十三回忌で帰郷しなければならず、戻ってきてからも会議が立て込んでいる。

そして再来週は先月に続いてまた山梨県にクルマで出張することになっており、「暇なしの 2週間」になってしまいそうだ。コロナ禍の間は実際に現地に出向く出張は控えられていたが、最近になって急に「月に 2度は旅の空」という生活が戻ってきつつある。

ただ、この 4年近くにわたってあまり旅に出ない生活が続いていたので、はっきり言って体がなまってしまっているようなのだ。そのうえ、「土日は休み」というサイクルでないのが、フリーランスの哀しいところである。

体の感覚を取り戻すのに難儀しているのは、自動的にプラスされてしまう「年齢」というハンデの上に、コロナ禍の間の「体のなまり」が重なってしまっているからなのだろう。さらに来週からは季節の変わり目の上、地理的にもかなり移動するので体調管理にしっかりと気を付ける必要がある。

「忙しさは急に固まって押し寄せる」というのは人生の常だが、いくつになってもそうなってしまうというのは、ある意味ありがたいことでもあるだろう。というわけで、ぶつくさ言わずにやっていこうと思っているので、

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2023年10月 5日

年賀状は面倒だけど、喪中はがきなら毎年出せるって・・・

はてな匿名ダイアリーに「年賀状とかクソめんどくさいので毎年喪中はがきを出している」というチョー短い投稿があって、妙な注目を浴びていた。要するに「めんどくさい...」んだそうだが、私としては「なんじゃ、そりゃ?」と言いたくなってしまったよ。

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このダイアリーには何件かのコメントがついているが、最初の方は、「ちょっと的が外れてるなあ」というようなものばかりである。「誰も得しない制度 暇な老人以外は」というコメントに代表されるように、はてな界隈では年賀状って「マイナスイメージ」が強いみたいなのだね。

ただ、私が「何じゃ、そりゃ?」と言いたくなったのは、そんなような視点からではない。「肝心なことが見落とされてるんじゃないか? もっと当然のコメントがあっていいはずだろう」と感じていたところ、5番目にようやく「毎年年賀ハガキ出すのと手間は変わらんのでは」というコメントがついた。

そうなのである。年賀状を出すのはクソ面倒くさいけど、喪中はがきなら毎年出せるというのは、やっぱりおかしなメンタリティと言うほかない。どうしてこんな当たり前の気付きが 5番目になるまで出てこなかったかよくわからないが、世の中いろいろ遠回りの思考をしたがる人が多いみたいなのだね。

ちなみにずっと下の方のコメントで「世の中には年賀状じまいというものがあるらしい」とか「年賀状だすのやめれば数年で来なくなるよ」とかいうのがある。かく言う私も昨年暮れに「既に「年賀状じまい」してしまったのだが」という記事を書いていて、リアル年賀状は終わりにしてしまった。

そしてインターネット上に画像の年賀状をアップして、それで間に合わせている。宛名と本文の印刷を一枚一枚しなければならない手間から解放されて清々しているので、このやり方はかなりオススメだ。

ただ、受け取る年賀状は減ってはいるもののまだまだゼロではないので、その対策という問題は残されている。「年賀状だすのやめれば数年で来なくなるよ」というコメントを信じて、気長にやっていくほかなさそうだ。

いずれにしても、最初の書き込みをした人は、そろそろ喪中はがきを出す準備をしなければならないんじゃなかろうか。今年は身内の誰に死んでもらうんだろう。

 

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2023年10月 4日

笠置シヅ子の偉大さ その 2: 『ブギウギ』を通じて

このブログを PC で見た時の右側ブロックにある「人気記事ランキング」に、6年以上も前に書いた「笠置シヅ子の偉大さ」というのが表示され続けている。下の画像は、昨日午後の状況だが、なんと 2位にランクアップしていた。ちなみにスマホ版だと、ずっと下の方にスクロールすると見られる。

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3位の「童謡『桃太郎』の歌詞が、最近変わったらしい」というのは、当人としてはそれほど思い入れがないのに、どういうわけかかなりの長期間にわたって「ヒット記事」になっている。しかし笠置シヅ子に関する記事は、これまでほとんど注目されることがなかったのでちょっと驚いてしまった。

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一体どうしてにわかにアクセスが増えてしまったのか、まったくチンプンカンプンだったのだが、試しにググってみて初めて理由がわかった。今月から NHK の朝ドラで『ブギウギ』というのがスタートしていて、そのヒロイン「花田鈴子」のモデルが、何を隠そう、笠置シヅ子だというのである(参照)。

私はテレビはほとんど見ないので、そんなのちっとも知らなかった。さらにググったところ、日刊スポーツの記事で ”朝ドラ「ブギウギ」つかみは OK!「ワクワクする」圧巻オープニング 趣里らの主題歌も絶賛の声” というのが見つかった。「へえ!」である。

その初回の「つかみ」部分だが、探してみたら YouTube にあった。『東京ブギウギ』のライブである。さすが NHK らしく他のサイトでの再生が禁じられているということなので、下の画像をクリックし、オリジナルに飛んで見てもらいたい。

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なかなか頑張っているじゃないか。そりゃまあ笠置シヅ子本人のオリジナルの方がずっといいのは当然で、こっちの方はちょっとあざとい感じがしてしまうのはしょうがないところと思えばいいだろう。

いずれにしてもオープニングの主題歌がいい。これも YouTube で見つかったのだが、例によって、画像をクリックしてオリジナル・バージョンでご覧いただきたい。

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ちょっとグッとくるところのある曲と動画で、私なんか往年の『ひょっこりひょうたん島』のオープニングを想起してしまったよ。NHK って、時々思い出したように「なかなかやるな!」と思わせてくれる。

ただ、それもこれもみな笠置シヅ子本人の偉大さによるものと、今日改めて思った次第なので、どうぞ

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【同日午後 追記】

「笠置シズ子の偉大さ」という記事が、ついに「人気記事ランキング」のトップになってしまったよ。びっくりである。テレビの影響力って大きい。

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2023年10月 3日

コーヒーが気軽に飲めなくなるのは 2050年頃らしい

Forbes が「コーヒーの 2050年問題と地球温暖化」という記事を載せている。地球温暖化により、2050年にはコーヒーが気軽には飲めなくなってしまうかもしれないというのだ。由々しき問題である。

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この「2050年問題」の認知度について、記事には次のようにある。

東京都新宿区四谷で喫茶店を運営する珈琲日記は、1杯 500円以上のコーヒーを週に1回以上飲んでいるコーヒー党 108人を対象にコーヒーの 2050年問題に関する意識調査を行った。すると、2050年問題を詳しく知っていると答えた人は 39.8パーセント、聞いたことがある程度という人が 35.2パーセントで、そこそこの認知度があった。

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さすがコーヒー好きの 108人だけあって、 4分の 3がある程度以上知っていたわけだ。ちなみに私としても今年 4月 8日に ”「コーヒーを飲めなくなる日」だと?” という記事を書いているので、無関心というわけではない。

ただこの時点では、まだ「2050年」とは言われておらず、それから半年足らずのうちに「飲めなくなる年」まで特定されたもののようなのである。情報というのは刻々と新しくなるものだ。

というわけで、私はそこまで情報が追いついていなかったので、この記事を読む前に真っ正面から「コーヒーの 2050年問題を知っていますか?」と聞かれたら「それ何?」になっていただろう。そうなると「コーヒー好きのくせに環境意識の低い 4分の 1」に含まれてしまうところだった。アブナい、アブナい。

記事はさらに続く。

そこで、調査に応じたコーヒー好きに 2050年問題に向けて環境に配慮した取り組みを実施するかと尋ねると、「非常にそう思う」と「ややそう思う」が合わせてほぼ 8割となった。

コーヒー好きとしては、好きなものが飲めなくなってはたまらないということで、環境問題に配慮した取り組みを実施するという意識が高いようなのだ。人間、食い物と飲み物で釣るのが一番手っ取り早い。世界中のコーヒー好きが本気で環境対策を始めたら、実際に結構な効果があるかもしれないね。

私個人の問題としては、2050年といったら 98歳になる計算なので、多分生きてはいないだろうと思う。ただ下手するとこのまま元気で 100歳まで生きてしまうかもしれないし、生きてる限りはコーヒーを飲みながらこのブログの毎日更新も続けてるだろうから、ゆめゆめ油断がならない。

まあ、自分の生き死には別としても、後に残るコーヒー好きの人類のためにも環境問題にはしっかり取り組みたいものだ。

 

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2023年10月 2日

豊橋流のカレーうどんって、ちょっとスゴい!

ホーボージュンさんという方の tweet、「ビジネスホテルの朝食バイキングに出てきたカレーうどんの作り方。寝ぼけているのかと思って 3回読み直した」というだけあって、ちょっとスゴい(参照)。写真を見れば、「とろろご飯」と「カレーうどん」の合わせ技みたいである。

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とにかく、①「お椀にご飯を入れましょう」、②「ご飯の上にとろろをかけましょう」、③「とろろご飯のうえにうどんをのせましょう」、④「カレースープをかけて出来上がりです」という 4段階なのだから、食べ応えたっぷりだろう。朝食バイキングでも、これだけで腹一杯になりそうだ。

こちらとしては「スゴいなあ!」と驚きつつ読んだのだが、これに付けられたコメントというのが、「豊橋風^^」とか、「あ、豊橋カレーうどんだ!」とか、「豊橋(勢川)で食べたなあ……」とか、呆気ないほどフツーすぎる。ある意味、これもまた「スゴいなあ!」ということなる。

初めての者にはびっくりだが、知ってる人にはごくフツーにお馴染みってことのようなのだ。これだから愛知とか名古屋とかの食文化というのは、よそ者にはちょっと脅威なところがあるのだよね。

ちなみに日本の全都道府県に旅して宿泊したことのある私だが、この「豊橋風カレーうどん」というのはちっとも知らなかった。愛知県に行ったら、ほとんど名古屋市内で宿泊していたためなのかもしれない。その名古屋市内というのも、食い物に関してはなかなか侮れないのだが。

「名古屋めし」では「味噌煮込みうどん」が圧倒的に有名だが、そのほかにも「味噌カツ」「土手煮」「ひつまぶし」などいろいろある。しかし個人的にはどれも決して「不味い」というわけじゃないがビミョーに「何だかなあ・・・」と避けたい気がしていて、「名古屋メシは要注意」と思っている。

結局のところ、名古屋では新幹線ホームにある「住よし」のきしめんがサイコーというのは、2018年 3月 16日の記事で書いたとおりである。

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2023年10月 1日

同性婚を巡る「スティグマ」というもの

HUFFPOT に ”国が「スティグマ」を社会に根付かせている。結婚の平等裁判で原告が訴え「景色を変えたい」” という記事がある。結婚の平等、つまり同性婚の法制化を求めて国を訴えている裁判と連動して、同性カップルとその支持者たちが社会にアピールする活動を続けているというものだ。

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この記事で私が注目したのは、見出しにもなっている「スティグマ」という言葉だ。一般的な辞書では「恥辱。汚名。負の印。名折れ。烙印 (らくいん) 」などと説明されているが「非営利用語辞典」というネット上の辞書には、次のように解説されており、言葉そのものの背景やイメージが伝わってくる(参照)。

本来の語義は、ギリシャ語で、奴隷や犯罪者の身体に刻印された「しるし」を意味し、恥辱、汚名、烙印を意味する。身体上の障害や人種・民族・宗教などの集団的特性など、ほかと異なっているがために望ましくないとみなされることを意味して使われている。Goffman, E.(ゴッフマン)は、個人が社会の一員として受けるべき尊敬が否定され、その社会から受け入れ(られ)ない状態のこととしている。

私が若かった 1970年代頃には結婚や婚姻制度に関して、「社会的因習」とする風潮もあったものだ。しかしその「因習」からさえ受け入れを拒否されるほどの「より根深い因習的イメージ」というのが、LGBT には付きまとっている。

こうしてみると、この問題においては「スティグマ」という言葉を使うのがふさわしいとわかってくる。つまり「奴隷や犯罪者」を見るのと同じような視線を同性愛者に送る人が、今でも存在するということだ。

下手すると、同性愛者ってジャニー喜多川みたいな人ばっかりなんて思ってる人もいる。その意味でもあの人のやったことというのは社会に悪影響を与えていて本当に困ったものだが、我々は困った人なら異性愛者にだっていくらでもいるということを思い出さなければならない。

というわけで、今日の記事は要するに、LGBT 関連のスティグマから解放されなければならないということだ。既に解放されている人はほとんど問題ないのだが、根深いスティグマでしかものを見られない人の場合は、なかなか簡単にはいかない。

「個人的に、そういうの嫌い」というなら、それはもう仕方がない。「好きになれ」とまでは強制できないからだ。ただ少なくともそうした否定的言辞をことさらに撒き散らすべきではない。

荒井勝喜という男が総理大臣秘書官をしていた時の「(LGBTは)見るのも嫌だ。隣に住んでいたらやっぱり嫌だ」という発言(参照)や、「同性婚が気持ち悪いと言って何が悪い」という渡辺昇という愛知県会議員 の発言(参照)などは、とんでもないということである。人間の尊厳を否定したものだ。

とはいえ今年 2月 6日の記事で触れたように、同性婚に強硬に反対していたニュージーランドの国会議員が、自身の息子にゲイであることを告白されたのをきっかけに、それまでの過ちを認めて謝罪したというケースもある。

人間というもの、どんなに強い思い込みをもっていても、きっかけ次第でそこから解放されることがある。日本でも同性婚法制化をあきらめてはいけない。

 

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