『さるかに合戦』の不条理と「雰囲気のもの」
もうとっくに書いてしまったような気がしていたのだが、自分のブログ内を検索してみても出てこないので、どうやらまだ書いていないようなのだ。というわけで、今さらながら "『さるかに合戦』の不条理と「雰囲気のもの」" というテーマで書かせていただくことにする。
今となっては遠い昔のことだが、幼稚園時代に『さるかに合戦』の紙芝居を見せられた。この時私は、「早く芽を出せ 柿の種、出さぬとはさみでちょん切るぞ」というカニの歌にとんでもない違和感を覚えてしまったのである。
「はさみでちょん切るぞ」と言っても、一体何をちょん切るというのだ。この時点で芽はまだ出ていないのだから、ちょん切るものなんてない。もしかしたら、土をほじくり返して種を見つけ、ちょん切るとでもいうのだろうか。いずれにしてもナンセンスな話である。
ところが紙芝居が終わってからこのことをクラスの子たちに話してみても、信じられないことに、この当然の道理が誰にも通じなかったのである。「そう言えば、確かに変だよね」なんて言ってくれる子は一人もいない。これには完全に拍子抜けだった。
彼らにとって重要なのは最後に猿が臼に押しつぶされて痛い目に合うというお約束の勧善懲悪カタルシスであり、ちょっとしたセリフの不条理なんて「どうでもいいこと」だったのである。
私が「この世で大切なのは、ざっとした『雰囲気のもの』なのだ」と気付いたのはこの時だったように思う。「神は細部に宿る」(God is in the details)という重要なテーゼを知っていたらもっと深い考察ができたのだろうが、なにぶん幼稚園時代のこととて、そこまでには至らなかった。
多くの人は「重要な細部」の話なんかされると「雰囲気のもの」としての「心地良い流れ」をぶち壊されたような気がして、下手すると怒り出したりする。今後の長い人生をスムーズに運ぶためにはこのあたりに気を付けなければならないという処世術を、私は幼心に悟ったのだった。
それ以来、「雰囲気のもの」というのは私の中で重要なキーワードとなり、このブログでも結構書いている。ざっと挙げただけでこんな具合だ。
「デューダ」って、スウェーデン語で「虐殺する」って意味らしい (2017/2/6)
アリナミン V の CM は、「雰囲気のもの」 でしかないのね (2017/11/8)
人は何かを隠したいとき、「ポエマー」になる (2021/1/7)
写真はイメージです/言葉は雰囲気です (2021/10/7)
ただ最近になって、『さるかに合戦』のこのカニのセリフを「雰囲気のもの」として済ませたくない人が他にもいることに気付いたのである。ポプラ社の絵本『さるかにばなし』(作: 西郷武彦、絵: 福田庄助)は、本文が「はようめをだせかきのたね、ださぬとはさみでほじくるぞ」になっているようなのだ。
うむ、ちょっとした「変痴奇論」と言えないこともないが、論理の流れからすれば「それでこそ!」だよね。
最後に付け加えておくが、石原和三郎作詞・納所弁次郎作曲の『さるかに』という歌では、ご丁寧なことにまだ成ってもいない柿の実まで「ちょんぎるぞ」と言っている。スゴいなあ、ほとんど四次元の世界だ(参照)。
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