「上手に楽に老いる」ことを願ってるので
現代ビジネスのサイトに 2ヶ月近く前に掲載された ”「上手に楽に老いている人」と「下手に苦しく老いている人」の意外な違い” という記事が、アクセスランキングの欄で目にとまった。私も来年は 6回目の年男で 72歳になってしまうので、「こりゃ、他人事じゃない!」と、真剣に読んでしまったよ。
この記事は医師で作家の久坂部羊さんの『人はどう老いるのか』という著書(講談社現代新書)から抜粋、編集したもののようだ。実際に多くの高齢者と触れ合う現場からの貴重な提言である。
久坂部氏によれば老人には 2種類あるという。「腰が痛い、膝が痛い、さっさと歩けない、細かい字が読めない書けない、もの忘れが激しい」などとひたすら嘆き続けるタイプと、「年を取ったらこんなもんですわ」と、さまざまな老化による不具合を素直に受け入れるタイプだそうだ。
ある男性は腰痛のせいでほとんど歩けないのに、治療なんて求めていないという。「この腰痛は年のせいやから、どうしようもおまへんな。これが治せたら、先生はよっぽどの名医ですわ」と、軽い気持ちで達観しているらしい。
一方で、脳梗塞で左半身不随になった 82歳の女性はリハビリの効果で状況が改善したので、「だいぶ速く歩けるようになりましたね」と声をかけると、険しい顔でにらみつけ、「もっとさっさと歩けるようになりたいんです」と応えたという。ここで筆者は次のように続ける。
彼女は右半身が自由で言語障害もなく、頭もしっかりしていたので、残っている機能を使えばいくらでも楽しむことができるのに、生来、まじめで努力家の彼女は、麻痺した左半身を回復させることで頭がいっぱいのようでした。
なるほど、「上手に楽に老いる」というのは、とりあえず自分の状態をそのまま何てことなく受け入れることが基本のようなのである。たとえ体はしんどくても、気の持ちようで「楽に老いる」ことは可能ってわけだ。それができないと「下手に苦しく老いる」ということになってしまう。
ちなみに、かなりしょっちゅう「70歳過ぎには見えませんね」と言われる私はその「お世辞度」をはかるため、先日試しに某所で「65歳です」とサバを読んでみた。するともろマジで「お若いですねぇ! とてもそんな歳には見えませんよ」なんて言われてしまい、かなり気を良くしている。
とはいえ、さすがに 70歳を過ぎると体力は年々少しずつ低下する。こればかりはいかんともしがたい。
年が明けたら自転車で何度目かの筑波山ヒルクライム(標高差 500m)に挑戦しようと思っているのだが、途中で足をつかずに登り切れるかどうか、ビミョーに自信がなくなりつつある。このヒルクライムを含め、トータル 140km の初乗りなんてした(参照)7年前は、ムチャクチャ元気だったなあ。
私は今のところ、お陰様で体が不自由なんてことはまったくない。まあ、よほどのアクシデントでもない限り、少なくともあと数年(下手すると 10数年以上?)は苦もなく暮らせるだろう。
ただ、問題はその後である。今がなまじ元気すぎるほどなので、老化で体が効かなくなってしまったらそれを気に病んでしまいかねないところだった。その意味で、今のうちに久坂部氏の提言に触れることができたのは幸運なことである。
これで将来、体が多少しんどくなっても「歳だもの、こんなもんだろう」と、あっけらかんと受け入れる心の準備ができたわけだ。元々「まじめで努力家」ってわけじゃないので、そう難しいことじゃないと思う。
ただ贅沢を言わせてもらえば、そうなる前に「突然死」か何かで呆気なくこの世におさらばできれば、モロに楽なんだがなあ。
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