「グリコ・森永事件」が起きた 40年前って・・・
りうのすけさんという方が「引き出しの中から 40年前の POP が発掘された」と、画像付きの tweet をしておいでだ。POP には「グリコ製品の報道に基づきグリコ製品を一時、売り場より撤去させていただきます。ー店長ー」と、一世を風靡した丸文字で書かれている。
「これとセットで」として添えられた画像もまたいい。
40年前でグリコ、森永関連と言ったら、1984年から翌 85年にかけて阪神間で起きた一連の企業脅迫事件「グリコ・森永事件」が、犯人像とされた「キツネ目の男」(下の画像)とのセットで思い出される。この事件、ついに未解決のまま 2000年に時効になってしまった。
と、ここまで書いたが、これは 40年前の事件をあまりご存じない若い読者のための注釈みたいなもので、実は私個人としてもグリコや森永のお菓子なんてほとんど食べないこともあり、事件そのものにはあまり興味を抱かなかった。ただ私が今回注目したのは、りうのすけさんご本人の次のようなコメントである。
「POPは手書きの原稿をコピーや簡易印刷(リソグラフ)したものが主流でした」という記述に、「そうそう、そうだったよねぇ!」と膝を打ちたくなった。確かに当時はワープロ専用機でさえそれほど普及しておらず、手書き原稿を FAX で送れるというだけで画期的と思われていた時代である。
当時、私は 30歳を過ぎたばかりで、企業の中では中堅に近い若手。1985〜86年頃からいち早くワープロ専用機の OASYS LITE を自前で購入して使っていた(参照)。会社は買ってくれなかったのでね。
下の写真のような A4 対応の簡便な熱転写式インクリボンのプリンター付きで、要するに「書いて印刷する」ためのものである。写真で白く見えるのは液晶画面なんかじゃなくプリント中の A4紙で、インターフェイスは、この写真ではキーボードの上に申し訳程度に付いている小さな液晶画面のみ。
ハードディスクなんて別世界のもので、作成した文書は 3.5インチのフロッピー・ディスクに保存する以外になく、通信するにはプリントアウトしたものを FAX で送るしかない。まるで原始時代である。
私としては、ワープロで書いた原稿を MS-DOS テキストに変換して「パソコン通信」(当時はそう称されていた)で送稿したいと希望したのだが、「そんなもの送られても、誰も受け取れない」という理由で会社に却下された。当時は本当に「FAX さえあれば十分以上」という時代だった。
PC が本格的に普及しだしたのは Windows 95 という OS が発表されてからだから、「グリコ・森永事件」の 10年後のことである。そしてインターネットが当たり前に使われるようになったのは、さらに 5年後、Windows 2000 が世に出てからだった。この事件に時効が成立した後のことである。
40年前にインターネットが普及していたら一般からの草の根情報が豊富に上がってきて、グリコ・森永事件もお蔵入りにならずに済んだかもしれないなんて思ってしまったよ。こうしたことの進歩って速いように見えても、振り返ってみると案外トロかったりするのだね。
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