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2024年1月10日

今日は強行軍の日帰り出張なので

出張で郡山に向かっている。今日は強行軍で日帰りとなるので、まとまった記事を書いている時間がないと思う。ということで道中での細切れアップロードということにしたい。現在午前 11時前。とりあえず、ちょっと早めの昼食をとっている磐越道阿武隈高原サービスエリアでのアップロードである。

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日陰には雪が解け残っている。ただ今日のところは、空は曇り空でも雪にはならずに済みそうだ。続きはまた後ほど。


午後 3時半を過ぎたところ。もっと時間がかかると思っていたのだが、先方が用意周到に整えてくれていたため、用件はかなりサクサクと運んで一段落となった。ありがたい。

これから帰路につく。案外早く帰宅できそうだ。続きはまた後ほど。


磐越道を走ってトイレ休憩に寄ったパーキングエリア、「差塩」と書いて何と読むのかをいつも忘れてしまい、看板文字の下に添えられたローマ字表記を見る度に「ああ、そうだった!」となってしまう。これで「さいそ」と読むのだよね。

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見事なまでの音位転換だ。いやはや。


午後 6時半を過ぎたところだが、途中のココ壱で海老カレーを食べている。昼食が早かったので腹が空いてしまったのだ。

ちなみに、この時期に福島県に行ったら当然の如く地震の話になる。2011年の東日本大震災での福島の被害は、原発事故での強制避難だった。今は避難先に根付いてしまい、浜通りの家に戻る意思のなくなった人も多いという。福島県の人口減少はかなり目立つようだ。

そして宮城県での人的被害の多くは津波によるものだった。私の妻の弟嫁の家族も津波で亡くなった(参照)。そして今回の地震での人的被害の多くは、倒壊した建物での圧死のようなのである。ニュース画像でみる限り、伝統的な木造日本家屋の多くが見る影もなく潰れてしまっている。

最初の震度 5 程度の揺れで家から脱出しておけば助かった人もいただろうが、そのまま留まり、直後に襲った震度 7 の揺れで家の下敷きになったケースが多いようだ。本当にお気の毒である。

日本に住んでいる限り地震から逃れることは難しいのだから、遭遇した時はしっかり判断して生き延びようと語り合って来た。


午後 7時 40分、家に辿り着いた。途中の食事休憩を除いて、往復合わせて 7時間以上運転していたが、まあ、なんとかなっている。自分自身の体力に感謝しておこう。

後は風呂に入って『和歌ログ』を更新し、ベッドに入ろうと思う。

 

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