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2024年2月に作成された投稿

2024年2月29日

まるで別世界の話のような、コンビニの「セルフレンジ」


ℚ(きゅう) さんという方が、コンビニの「セルフレンジ」というものに関する tweet をしておいでだ(参照)。QR コードに暖め時間が登録されており、電子レンジに入れるだけで指定の時間で温めてくれるんだそうだ。へえ!

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私にしてみれば、まるで別世界の話のように思われる。それは電子レンジがそこまでやってくれるという機能に関してではない。コンビニで買った商品を店内の電子レンジで温めて食ってしまうということについてである。

私とてコンビニで飲食物を買うことがないわけではない。しかしそれは、長時間移動の際に買った飲食物をクルマで食うためである。なにしろ田舎暮らしで、移動のほとんどがクルマなもので。

そういうわけだから、買うのは飲み物とパンみたいなスナック食に限られる。おにぎりすら面倒に感じてしまうのに、食うために両手が必要になる丼物を買うなんて、そもそもの発想からしてない。

というわけで、写真にあるような丼物みたいなものがコンビニで売られてるなんてことさえ、今日の今日まで知らなかった。とりあえずそうしたものを買って温めることができるとまではわかったのだが、すぐに次なる疑問が浮かぶ。「温めた丼物、一体どこで食うんだ?」ってことだ。

店外に持って出て、歩きながら食うわけにも行くまい。店の前でしゃがみ込んで食うのは、最近の若者ならやってやれないことはないだろうが、そんなことされたら店の方が迷惑がるだろう。やっぱり店内で食っちまうんだろうか。

改めて「コンビニ 店内 飲食」というキーワードでググってみると、昨今のコンビニには「イートインスペース」なるものがあるとわかったのである。いやはや、そんなの想像したことすらなかったよ。私ってば、今の世の流れからだいぶ後れを取ってしまってるようなのだ。

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というわけで、たった 1つの tweet からまったく別世界の話のような情報を得てしまったのだった。とはいえ、自分自身がコンビニ店内のレンジで温めたものをイートインスペースとやらで食うかと言ったら、「そんなのやだよ!」ということになってしまうのだが。

思わず「自分、古い人間ですから」なんて高倉健風に言いそうになっちゃったよ。

 

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2024年2月28日

"The answer of your life style" というコピー

時々買い物で近所にあるイオンモールつくばというショッピングモールに行くことがあるのだが、そこに入っている "Meets Answer" という名のメンズウェア・ブティックの店先の文字が、前々から気になってしまっている。まあ、日本のブティック関係の英語表示がメチャクチャなのは元からではあるのだが。

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まず "Meets Answer" という店名からして悩んでしまう。これって「何らかの回答に合致する何らか」みたいな、何らか尽くしの謎解きじみた意味なんだろうか。それにしても ”Meets the Answer" と言いたくなっちゃうよね。NHK の子ども番組も ”Meets the World” だし。

さらに気にかかってしまうのが、店名の下にある ”The answer of your life style” というキャッチコピーである。当事者としては「あなたのライフスタイル回答」の英訳のつもりなんだろうが、「〜の」を簡単に "of" で済ますのは、日本人の陥りがちなところだ。

こうした場合の決まり文句として "the answer to ..." (参照)という決まり文句が体に染みついてるので、"the answer of..." だと、見ただけでむず痒くなってしまう。本来なら日本語でも「あなたのライフスタイルへの回答」だから、わかりそうなものだが。

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一方 ”The answer of your life style” を文字通り受け取れば、「あなたのライフスタイル」の方が回答を出したというような意味合いになってしまう。しかし少なくとも私は、自分のライフスタイルでこんな感じの店構えを回答をした覚えはないがなあ。

「ライフスタイル」というのはもちろん "life style" でいいのだが、今っぽい感覚を訴求したい場合は "lifestyle" と続けてしまうことの方が多い気がしている。まあ、そんなことは ”answer of" に比べれば些細なことだけど。

「洋服屋の看板程度のことをいちいち気にする方がおかしい」と言われてしまいそうだが、世の中には文字を見たらつい読んでしまうという私みたいな人間も少なくないのだよ。そしてつい読んでしまった結果「ムズムズしちゃう」ってことも多いので、つくづく因果な体質である。

このブティックを運営しているのは JIN CORPORATION という会社らしいんだが、私はわざわざそこに電話して修正を促すほどマメで親切な男じゃないので、この「ムズムズ感」は "MORNING VIKING" (朝の北欧海賊)より少しはマシと諦め切れるまで、しばらく続いてしまうのだろうね。

 

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2024年2月27日

雨の翌日は、花粉症の症状が重くなるんだそうだ

下の画像は遊ハちさんという方の 1週間前の tweet だ。「よく想像される花粉症と実際の花粉症」というもので、下に描かれた絵の左の方が「よく想像される」という生やさしいパターンである。

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そして、右側がシリアスな「実際の花粉症」で、拡大するとこんな具合になる。

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まさに鬼気迫る様相で、遊ハちさん、相当重症の花粉アレルギーのようだ。

今年は 2月 11日の記事に書いたように花粉症の症状の現れるのが例年に比べて早かったが、先週は雨の日が多かったこともあり、私の場合は遊ハちさんには申し訳ないほどの軽い症状で済んでいた。特に一昨日は朝から晩まで雨だったので、花粉症を忘れそうなほど楽だったのである。

ところが昨日から完全にぶり返し、しんどい状態になってしまった。ラジオに出ていた気象予報士のおっしゃるには、雨の日の翌日は花粉症の症状が重くなる傾向があるんだそうだ。

どういうことかというと、雨の日はスギ花粉があまり周囲に飛び散らず、雨とともに下に落ちる。ところが翌日に晴れるとそれが乾燥し、風に吹かれて舞い上がるため、二日分の量の花粉が襲いかかってくるというわけだ。

なるほど実感である。昨日は夜明け前に雨が上がってよく晴れた上に風も結構強かったから、朝にゴミ集積所まで可燃ゴミを持って行こうとして外に出た途端、目の縁が痒くなって鼻水が流れそうになった。さらにそれだけでなく、帰ってからクシャミが止まらなくなった。

今週はティッシュペーパーの消費が激しそうだから、次の可燃ゴミ収集日が恐ろしい。

 

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2024年2月26日

結婚式招待状の返信ハガキでの句読点のゴタク

Twitter にヒロクライムさんという人が、「結婚式の招待状の返信ハガキでやりがちなミス」という動画付き tweet をしている(参照)。下は動画の最後の場面だが、何がミスなんだか私にはさっぱりわからなかったよ。

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とにかく「ご出席」の「ご」の字を消して 〇 で囲み、「ご芳名」の「ご芳」と「ご住所」の「ご」の字を消している。こうした日本的慣習に関しては、不肖私めもぶっちゃけ面倒とは思いつつ一応従っている。

さらにこの tweet ではご丁寧なことに「出席」の上に「慶んで」なんて一言を添え、メッセージ欄にも、読んでも読まなくてもいいぐらいの決まり文句ながらコメントまで書いてある。まったくもってご丁寧なことじゃないか。この上、何を求めるというのだ?

気になってこのスレッドに付けられたコメントをずっと辿っていくと、港区crewどら𝕏 さんという人の、こんなコメント画像が見つかった。

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要するに、句読点を付けたのがミスだということのようなのである。その理由というのは「句読点には区切りだの終止符だのの意味がある」から、祝い事にそぐわないんだそうだよ。いやはや、そんなことが言われてるとはこの歳になって初めて知った。

この指摘の文章は「それほど気にすることはありません」とか、「句読点は付けずに書くのが無難でしょう」とか、穏やかな言い方だからまだいいが、同じことをエラソーに「知らんようだから教えてやる」みたいに言い出されたら、うんざりしてしまうだろう。

個人的に「お祝い事の手紙などでは、句読点を使いたくないんだよね」と思うぐらいなら一向に構わない。ただ、それをことさらなまでに吹聴するようだと、「鬱陶しいヤツ!」と思われて友達失うことになるのが関の山だ。

とにかくこうした冠婚葬祭関連のしきたりなんて、ただでさえ面倒なことだらけなんだから、句読点がどうのこうのとこじつけじみたことまで言い出されたら、箸の上げ下ろしはおろか ”「お辞儀ハンコ」とか「ZOOM の上座/下座」とか” みたいな枝葉末節地獄に陥ってしまいそうだ。

こんなようなことは「面倒なこと言ってる人もいるみたいだけどね」ぐらいに片付けて、笑い飛ばす方が健康のためにいい。

聞くところによれば最近の若い人たちは LINE なんかで句読点を使わないやり取りに慣れてるらしいから、気が楽かも知れないね。細かいことにうるさいヤツから年賀状欠礼の喪中ハガキなんかもらったら、だらだらと長々しいお悔やみの返事を句読点なしで書いて出せばいい。

 

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2024年2月25日

刑務所の隠語 NG は法務省による「言葉狩り」

朝日新聞の 2月 22日付に ”散髪は「ガリ」、身柄は「ガラ」… 刑務所などで隠語NGに 法務省” という記事がある。この記事は朝日新聞の公式サイトに行くと「有料記事」と表示されて、最後の 81文字を読むには有料会員にならなければならないようだが、まあ、そこまで惹かれる記事でもないから、いいや。

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この記事の中盤には次のようにある。

たとえば、散髪は「ガリ」、身柄は「ガラ」、食事を入れる器は「物相(もっそう)」、食後に食器をさげることは「空下(からさ)げ」などと呼んでおり、意味が分からない人との間で「コミュニケーション不全の原因となっている」「排他性を促進している」といった指摘があった。

(中略)

そこで、「ガリ」や「ガラ」など 35の言葉は施設内で慣習的に使われてきたが、一般社会では使わない不適切な言葉だとし、今月 9日付で使わないことにした。

はっきり言ってよくわからない話で、私には違和感たっぷりである。どこの世界にも「隠語」とか「独特の業界用語」とかいうのがあるものだが、「一般社会では使わない不適切な言葉」だからという理由で排除するなんて聞いたことがないがなあ。

刑務所職員同士(多分受刑者も使うんだろうけど)で使っている隠語というのだから、「意味がわからない人」相手に使うわけじゃないだろう。時として外部とコミュニケーションを取りたかったら、その時は隠語を避ければいいだけの話だ。それぐらいの使い分けができないはずがない。

それに「排他性を促進している」なんていうが、刑務所って「誰でも歓迎! おいでをお待ちしてます」なんて「受容性」を売り物にするようなところじゃない。多少の「排他性」があっても、それはそれでいいじゃないか。

というわけで、これって一種の「言葉狩り」なんじゃないかと思ってしまった。法律用語でもない俗な言葉の世界に、法務省が介入してどうするというのだ。「文化」の醍醐味というのは重層性にあって、決してお行儀のいいファクターだけで成り立っているものじゃないのだよ。

とはいえもちろん、言葉が酷いというより、言葉によって表される内容自体が酷いというような場合は、単なる「言い換え」なんかで済まさず、その内容自体を改めるべきだろう(本稿末尾の【備考】参照)。

それから揚げ足を取るわけじゃないが、食事を入れる器を「物相」というのは別に刑務所の隠語というわけじゃない。昔からかなりフツーに使われてきた言葉である。

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確かに刑務所に入ってしまうことを「物相飯を食う」なんて言うようになったということもあるようだが、これを一律に「不適切な言葉」なんて決めつけたら、大変な地震に遭ったばかりの輪島の人たちに失礼というものだ。

言葉知らずが言葉狩りするって、かなりアブナい。

【備考】

エス🫰称呼番号877番 さんという方による「刑務所用語集」というページに、「ビックリ箱」という言葉が紹介されている。

【ビックリ箱】 :
面会や移送の時に待機したり着替えたり 微罪の時はこの箱に入れられ小一時間ほど刑務官たちから罵詈雑言と人格攻撃のオンパレードで刑務官の息抜きにも使われている 本来の用途は受刑者の会話や合図などを防ぐため。

もし「人格攻撃のオンパレード」なんてことが本当にあるのだとしたら、それはもはや「言葉の問題」じゃない。「醜悪な行為」自体を即刻廃すべきだろう。

 

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2024年2月24日

地獄の沙汰で 煩う前に 戒名さえも 金次第

ぼるしち さんという方が、「人が亡くなったーとかの知らせを聞くと、いつも思い出すのが自分の父親が死んだ時」という tweet をしておられる(参照)。

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坊さんが(明記されていないが、話の流れからして多分坊さんだろう)「いくら払えばいいか」を教えてくれないから、面倒臭くなって 5万円しか包まなかったところ、戒名が 1文字だったというのだ。それで坊さんを出入り禁止にしたらしい。

坊さんに「いくら払えばいいんですか?」なんて聞いても「お気持ちで」ぐらいの返事しか返ってこない。そういうものである。だったら、その「気持ち」をありがたく受け取ればよさそうなものだが、実際には金額によって以後の展開が違ってくる。これもまた、そういうものである。

こうした相場というのは坊さんに聞いてもしょうがないから、親戚か知り合いの訳知りに聞くのがいい。身近に訳知りがいなかったら、今どきはインターネットがあるので試しにちょっと検索してみた。

グリーン司法書士 OnLine というサイトに「葬式でお坊さんに支払う費用は平均 47万円!お布施に関するマナーとは」というページがある。ただ「平均 47万円」とはいえ、そこはやはりランクがあるようで、下のような表が示されている。(地域差もあるようなので、注意)

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こうしてみると、ずいぶん高額なものなのだね。金額の区切りがかなり大雑把だが、こういう場合はアタマに 1、3、5 のつく数字というのがお約束らしいので、いくら平均でも 47万円なんて包むのはヤバそうだ。ちなみに日蓮宗の場合は、50万円包んでも 15万円分の気持ちは伝わらないんだろうか。

ちなみに私の父が死んだのは東日本大震災のあった 2011年の 10月のことだったが、通夜の日のブログ記事に遡ってみても、当然ながらお布施の金額なんて書いてない。そして今となっては、いくら包んだんだかさえさっぱり覚えていない。

我が家の宗旨は浄土真宗だから、上に紹介した宗派の中では最も「リーズナブル」で、「居士」だの「院居士」だのというランクの法名(浄土真宗では「戒名」ではなく「法名」という)はない。さすが「庶民の宗派」で、いっそいさぎよい。

ただお坊さんは父をリスペクトしてくれていたから、頼みもしてないのに「院号」まで付けて、生前の人柄を偲ばせる素晴らしい法名にしてくれた。お布施をむやみやたらにはずんだような覚えはないから、これは「金の力」ではなく「故人の遺徳」というものだろう。

一方で世の中には、生きている間は強欲非道なことをしながら、死んでしまうと「はぁ?」と言いたくなるほど立派な戒名(「〇〇院殿△△大居士」とか)がついちゃってるケースもある。遺族が金の力で買ってるんだろうね。いくら見栄を張っても、今どきは他人の戒名を気にする人なんていなんだが。

「地獄の沙汰も金次第」と言うが、地獄に行く前段階として、戒名はもっと現実的に金次第のようなのである。というわけで、せめて記事のタイトルだけはちょっとだけ洒落て都々逸風(🎵 ツントシャン 🎵)にしてみたのでよろしく。

 

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2024年2月23日

天気の「極端化」がますます進行

下の画像は、私の iPhone に入れてある weatherews というアプリに示されたつくば地域の週間天気予報である。3日前の 20日(火)は最高気温  23℃、最低気温 12℃ だったが、その最低気温が翌 21日(水)の最高気温で、2日間の気温差が 11℃ にもなった。こんなの覚えがない。

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さらに昨日の 22日(木)は最高気温が一昨日の最低気温と同じである。つまり、一日中気温がほとんど上がらなかったというわけだ。そして今日は最低気温が 0℃ まで下がったようだ。この予報では雨のち雪になっているが、窓の外には既にところどころ白い雪が見える。

さらに明朝は晴れて、氷点下の -1℃ まで下がるというじゃないか。2月から 3月にかけては毎年「寒の戻り」というのがあって、いかにも春の陽気になったと思っていても、必ずその反動のように寒さが戻ってくる。

2013年 3月 2日に「春一番の翌日がいつも寒くなるのは」という記事を書いている。こんなような内容だ。

春一番が吹く時の天気図というのは、日本海に強い低気圧がある場合が多い。この低気圧が関東に強い南風を呼び込み、それが「春一番」となる。

ところがこの低気圧はあっという間に東に移動して、太平洋側に抜ける。元々が強い低気圧だから、太平洋側に抜けた途端に、天気図は縦縞ばかりになり、西高東低のいわゆる冬型の気圧配置になってしまう。

今回の急激な天気の変化も、似たような感じになっているようだ。下は初夏のようだった 20日 12時の気圧配置である。

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東海上の高気圧はもう少し南だったらまるで夏の太平洋高気圧みたいで、低気圧はオホーツク海の北に押しやられている。日本は 2つの高気圧に挟まれて、列島には暖かい空気が押し寄せたわけだ。

ところがそれから太平洋高気圧が東に遠離り、代わりにシベリアの高気圧が近付いてきたため、日本付近は西高東低の縦縞で冬型みたいになる。

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こんなのは毎年のことでことさら珍しくはないのだが、何しろ 3日前の暖かさが極端すぎたので、気温差が 20℃ 近いものになってしまっている。下り坂の角度が急すぎるのだ。

私は 2011年 8月 21日に "「温暖化」 というのは 「極端化」 を穏やかに言っただけ" という記事を書いたが、あれから 10年以上経ってこの傾向はますます強くなっているようだ。

 

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2024年2月22日

スコットランドのキルトって、すごいじゃないか!

らばQ に「スコットランド民族衣装のキルトは…こんなに着るのが難しかった」という記事がある。この記事からリンクされる動画は、ちょっと感動ものだ。

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何しろ、プリーツ・スカートみたいに見える「キルト」というのは、実は大きな 1枚のウール生地なのである。まずそれを広げてプリーツを着け、寝転がって体全体に巻き付ける。起き上がるとウエストから下が二重のスカートみたいになり、その外側を上半身にたくし上げるのだ。

百聞は一見にしかずというから、下の画像をクリックして Reddit に投稿された動画を見ていただきたい。「なるほど!」と理解できると思う。

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こんなに大きな布を手間をかけて身に付けるというのは一見ナンセンスに思えるが、下に紹介したコメントをみれば納得される。

衣服としてしか使わないのであれば、非効率的だ。キルトは寝袋、毛布、レインコート、テント、タープとしても使える。17世紀の人々にとっては、非常に汎用性の高いものだ。

それがよくわかる動画もある。タイトルからして "The Great Kilt -ULTIMATE SURVIVAL BLANKET? - Outdoor Clothing & Shelter in ONE Multifunctional Cloth"(偉大なるキルト - 究極のサバイバル・ブランケット? - 1枚の多目的生地でのアウトドア服 & シェルター)というものだ。

とにかく動画の冒頭からして簡易テントや寝袋としての使い途の紹介なのだから、ちょっとわくわくする。

「うちにはキルトを着る床のスペースがない」というコメントへの解答は動画の 11分 23秒あたりから示される。草の上に広げてやる方法もあるし、なんなら立ったまま広げずにやる(12分 2秒あたりから)こともできるのだ。

「プリーツを付けるのが面倒」という向きには、ファーストベルトを通して簡単にプリーツを着けるためのループ付きキルト(12分 30秒あたりから)もある。さらに大きなポケットのように使うこともできる(14分 35秒)し、「おぬし、なかなかやるな!」ってなもんだ。

私も 1枚欲しくなってしまうほどだが、これだけ大きなウール生地だと、かなりお高いだろうなあ!

値段を調べようと Amazon にあたってみたのだが、キルティングの生地既製品のスカートみたいなものしか見つからなかった。要するに、大きなウール生地を手に入れればいいのだろうね。

【追記】

ざっと調べてみたところ、ウール 100% のハリスツィードだとこんなところのようだ。お値段は 50cm で 1,990円。

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用尺 4m は必要そうだから、税込みで 9,000円弱。単なる酔狂(さすがに来て外出したら目立ち過ぎ)にしてはちょっとしたお買い物になっちゃうよね。妻に怒られそうだから、我慢しとくか。

 

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2024年2月21日

松任谷由実『春よ、来い』の、歌詞のもやもや

下の画像は、「サラリーマン書道家 教証~KYOSHO~ の 筆文字日記」というブログの 2018年 3月 1日付 「春よ、来い」にあるもの。ほかにも見事な書が満載で、オススメである。

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今日は急に気温が下がってしまったが、昨日まではかなり暖かかったせいか、ラジオを聞いているとこの歌、松任谷由実の『春よ、来い』がやたらと流れていた。私はこの歌を聴くと、ちょっと複雑な気分になってしまうのである。

最初に紹介したブログにはこの歌詞について「文語調と口語が入り混じった独特の歌詞」と紹介されている。確かにこの部分、「春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき」までは文語で、最後の「声がする」が口語だ。

こうなってしまうと私の場合、「独特の歌詞」と物わかりよく済ますことができない。フレーズごとに使い分けるならいいが、一つのフレーズで「なつかしき」までが文語なのだから、結びの一言まで文語で通したいと思ってしまうのだよ。

しかしこれを単純に文語にすると「なつかしき 声す」となってしまい、メロディに乗らない。そこで伝家の宝刀「ぞ+連体形」という係り結びの法則に登場してもらうことになる。

というわけで最後の部分を心の中でそっと「なつかしき声ぞする」と歌い直し、ようやくスッキリするのである。これって、こちらと平行してもう一つ、「和歌ログ」なんてブログをやってるせいもあるんだろうが、早く言えば一種のビョーキみたいなものかもしれないね。

まあ、そもそものことを言ってしまえば、タイトルからして『春よ、来よ』としたいところだし、ほかにも文法的な誤りはあるのだが、これ以上いちいち取り上げたら口うるさいじじいみたいになるから、敢えて放っとくことにする。

 

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2024年2月20日

厚労省「飲酒ガイドライン」におけるジェンダー観

厚生労働省が酒に含まれるアルコールの量によって健康へのリスクが高まることを示した「飲酒ガイドライン」を初めて作成したと各メディアが伝えており、ネット上では「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン(案)」というのが見つかる。下の動画は、昨日の ANN ニュースだ。

この「飲酒ガイドライン」において、生活習慣病のリスクを高める飲酒量は「一日あたりの純アルコール摂取量が男性 40グラム以上、女性 20グラム以上」とされている。この数字自体は目新しいものではなく、2013年発表の「健康日本21(第二次)」の中にも見えるから、10年以上も言ってるわけだ。

私は今月 12日の飲酒に関する記事で「1週間に 14単位以上のアルコールを摂取する人のほとんどは脂肪肝」という海外情報を紹介している。「1単位」はアルコール量 20グラムのことだから、「1週間に 14単位」は 280グラムで「1日当たり 40グラム」と一致する。

要するにガイドラインで示されたアルコール量は、海外情報に基づいた数字のようなのである。ただ、日本人は体質的に酒に弱い傾向がある(参照)というよく知られた点については、ここでは意識的にか無意識的にか無視されていて、欧米人の基準そのままの適用だ。

これと対照的に、厚労省はアルコール摂取量の男女差(上述の「男性 40グラム、女性 20グラム」という数字)という点についてはことさら熱心という印象なのである。女性の摂取量目安が男性の場合の半分とする公式文書は、私がざっと探してみたところでは、少なくとも英語圏では見当たらないのだが。

冒頭で紹介した「ガイドライン(案)」では、この男女の大きな差の根拠を示すために「参考文献」として海外論文を 9つも示しているが、一見する限り 2:1 という数字の十分な理由になるようには思われない。ちなみに他分野の参考文献は、「高齢者」7、「若者」4、「体質」4、「その他」5 である。

このガイドライン作成の関係者は、男性は欧米人並みに飲んでも OK としながら、女性のアルコール摂取量をことさら低く抑えるために、他分野に比して明らかに多くの海外論文を援用しているとわかる。なにしろ「若者」「体質」に関する文献の 2倍以上だから、読むのも大変だったろうに。

その意味で今回のガイドラインの基本は、「男性は欧米人並みにビール 2本飲んでもいいけど、女性は 1本までに抑えてね」というトーンなわけだ。これって因習的な男女観に妙に日本的な配慮をした結果なのかもしれないなんて思うのは、穿ち過ぎだろうか。

それから ANN ニュースにある「行動面のリスクとして暴力行為を起こしたり金銭や機密書類、USBメモリを紛失したりする危険もあるなどの例が挙げられた」という妙に具体的な文言には、ちょっと笑ってしまった。厚労省のお役人の中にも、泥酔して USB メモリなくしちゃったのがいるに違いない。

最後に念のため付け加えておくが、私は「女性ももっと酒を飲め」と言ってるわけでは決してないので、そのあたりなにぶんよろしく。

 

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2024年2月19日

クルマのナンバーで「1122」というのは多いが

クルマのナンバーで「1122」というのはかなり多くて、ちょっと大きめの店の駐車場では必ずといっていいいほど 1台以上見かける。「いい夫婦」という語呂合わせらしい。

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で、先日ある店の駐車場に入ったところ、向かい側の列に 3台並んだクルマが「1122」「1132」「1121」という、何だか示し合わせたようなナンバーだった(画像は辛うじて 4桁のナンバー以外は判読できないように縮小してある。念のため)。

ちなみに 3つのナンバーに表示された地名はそれぞれ違うので、同じ所有者がナンバーを揃えて取得したとは思われない。「それがどうした?」と言われればそれまでのことで大した意味はないのだが、この揃い方がまったくの偶然のようだというのがちょっとした驚きである。

「1122」は RV で、いかにもファミリーで乗るタイプなので「いい夫婦」というのはうなずける。残り 2台は軽自動車で、そうなると「1132」は「いいミニ」というココロなのかもしれない。ただ、残る 1台の「1121」はどういうことなのかわからない。

私のクルマのナンバーはどうでもいい数字の羅列だが、世の中にはいかにも誂えた風のナンバーがかなり多く、とくに「11〜」で始まるナンバーはかなりの比率になると思う。「いい〜〜」というこだわりなのだろうね。

そういえば 2年半ほど前に「希望ナンバーにしてるクルマって、結構多いんだね」という記事でいろいろ写真入りで紹介している。4,000円出すと希望のナンバーを付けてもらえるということらしいのだが、日本語の数字の読み方というのは語呂合わせしやすいのでつい誂えたくもなるのだろう。

ただ私としてはそうした趣味はないので、4,000円でおいしいものでも食う方がいいなあ。

 

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2024年2月18日

指を使った数え方、日本式が便利でスムーズなんだが・・・

パンドラの憂鬱というサイトに ”海外「なんで日本だけ違うんだ?」指を使った数の数え方が日本人だけ世界的に特殊だと話題に” という記事がある。なるほど、日本以外は折った指を立てていくという「外向的」な数え方だが、日本は立てた指を折っていくという「内向的」なアクションだ。

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上の画像では、一番上が米国・中国式、2番目がドイツ、イタリア、フランス、スペインなどのヨーロッパ式、そして一番下が日本式である。

日本では昔から「指折り数える」なんて言うが、日本式以外だと「指立て数える」と言わなければならないだろう。そして日本式は常に掌を自分の方向に向けるのが特徴だ。向こう側に向けて数えるなんてことは、ほとんどない。

ということは、日本式は自分の目で確認しながら数えていくためのメソッドで、いわば「内向的」かつ「連続進行的」である。そして日本式以外は「数える」という連続性よりも、外に向かって「数を示す」という「外向的」かつ「固定的」な機能の方がやや大きいだろう。

「残りは 3つしかないよ!」と言う時には、指を 3本立てて他に示す方が圧倒的にわかりやすい。そして注目すべきことに、日本人だってそんな場合は米国・中国式に指を立てる。指を 3本折った状態で他に示すことなんてないのだから、意識的、無意識に関わらず使い分けているのだ。

それだけに「数を連続的に数えていく」という機能に限定すれば、日本式の「指折り数える」やり方にメリットがある。それは 5 まで達したら、あとは逆戻りして指を開きつつ「6,7,8・・・」と、10 まで数えられるということだ。他の方式だと 10まで数えるには両手を使わなければならない。

さらに余計なお世話かもしれないが、米国・中国式だと 3 を示すのに小指を折って親指で押さえるというのが結構難しいし、ヨーロッパ式だと 3 から 4 に移る時に一度開いた親指をたたんで小指を開くという、ちょっと変則的な動きになってしまう。その点でも日本式は圧倒的にスムーズだ。

元記事へのコメントを見ると、外国でも日本式の数え方をしているという人は少なくない。それだけ、慣れてみれば日本式が便利と言うことだろう。そしてパンドラの憂鬱の記事は、最後で筆者が次のようにまとめている。

基本的には人によるでしょうかね。
自分も最後から2番目の方と同じで、
自分のために数える時は「日本式」で、
相手に伝える時は「米国式」ですね。 

穿った見方をすれば、「内向き/外向き」で表現がガラリと変わるメソッドというのは、そもそもの日本的メンタリティを象徴しているとも言えそうである。

 

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2024年2月17日

大阪万博を通して見える不思議な現象

毎日新聞が「万博費膨らみ大阪府・市 836億円超 今後 10年赤字 当初予算案」というニュースを伝えている。万博関連で発生する大赤字の穴埋めなどに 10年かかるというのである。まあ、これで得する土建屋とか広告代理店とかのセクターはハッピーなんだろうけどね。

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それにしても不思議な現象である。大阪周辺に限った調査でも 3人に 1人しか行きたいと思っていない(参照)イベントの開催を無理矢理推進している大阪維新の会が、選挙となるとどういうわけかやたら高い支持を得てしまうのだ。

そしてこのイベントに関しては、自民党まで不思議な執着を見せているというのも不思議な現象である。昨年秋に菅元首相が「国を挙げて取り組むべき」なんて寝言を言っているが、所詮寝言だけに意味がわからない(参照)。

こんなものに「国を挙げて」取り組んでもしょうがないだろうに。いずれにしても、維新の会というのは自民党とかなり通じちゃってるというのが透けて見えてしまう話だ。

現代ビジネスが ”プーチンなみの「支持率 7割超え」…!? なぜ維新は「大阪人だけ」をこんなにも熱狂させているのか” と報じている。こんなに極端ではないにしろ、国政も似たようなところがある。岸田内閣の支持率がわずか 25%(参照)なのに、自民党政権は安泰なのだから。

どうもこの国では、個々の政策や政権が支持できなくても政党は支持するという、摩訶不思議な傾向があるようなのだね。

不満はいろいろあっても、大きな変化は望まないということなのか。あるいは表面的に大きな変化と見えることがあっても、中身は全然変わらないということが見透かされているのか。まあ、この両方の合わせ技なんだろうが。

それにしても維新の会という政党は、保守のようで革新のようで、絶妙なまでに訳のわからない立ち位置だよね。

 

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2024年2月16日

トランプとバイデンの「じいさん対決」を巡る冒険

マネー現代が ”トランプとバイデンの「高齢対決」再び?米大統領選から考えるアメリカ人の「定年後」” という記事で "「本選挙では 81歳のバイデン氏と 77歳(11月5日の投票日の時点で78歳)のトランプ氏の「再対決」の可能性" と報じている。実際は「可能性」どころじゃなく、「ほとんど決まり」だよね。

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「もうちょっと若くてマシな候補者っていないのか?」と言いたくなるが、結論としては「いない」ということになる。いればこんな「じいさん対決」になんかならない。

どうしてこんなことになってしまったのかと言えば、有能な若手の参入がなかったからに決まってる。ほかの分野ではそれなりに有能な若手が輩出しているのに、政治の世界ではこんなじいさんしかいないというのは、政治家というのがもはや「不人気職業」になってしまったからだろう。

ドナルド・トランプとジョー・バイデンの 2人はたまたま親の代からの政治家というわけではないが、米国でも政治家は世襲が多くなっている。ケネディ家とブッシュ家が有名だが、ほかにも世襲議員は山ほどいる。米国の選挙はとにかく金がかかるから、金持ちの家系でないと参入しにくいのだ。

世襲議員といえば、日本はそればっかりみたいな様相になっている。金の問題ばかりでなく「地盤」だの何だのという面倒な要素が絡むので、親が政治家だとぼんくら息子でも後を継ぎやすい。

私は世襲ということに意味があるのは、歌舞伎や能などの伝統芸能ぐらいのものだと思っている。日本では政治が伝統芸能みたいな世界になってしまっているのだから、まったくどうしようもない。

さらにタレントからの転身というのも多い。ちなみにドナルド・トランプは富豪ではあるが、タレント政治家とみるとかなりしっくり来る部分があり、下の動画がそれをよく示している。

この動画でトランプはレスラーのボビー・ラシュリーと組んでド派手なベビーフェイス(善玉)を演じ、プロレス団体 WWE のオーナーでヒール(悪役)のヴィンス・マクマン(東スポ的には「ビンス・マクマホン」)を坊主頭にしている。詳しいストーリーはこちらだが、お恥ずかしいほどの猿芝居だ。

バイデンはさすがにこんな馬鹿はやらないが、いくらなんでも年を取り過ぎている。というわけで私は今年の米国大統領選にはシラけきっていて、政治そのものに関してもあまり期待しない方がいいと思っている。

【2月 17日 追記】

上のビデオで頭を丸刈りにされるというパフォーマンスを見せたヴィンス・マクマン(東スポ的には「ビンス・マクマホン」)が、性的暴行で提訴されて WWE を保有する親会社の会長職を辞任したんだそうだ。いやはや、私生活でまでヒールだったとはね。

プロレスの話題だけに、東スポの記事にリンクしておく。

 

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2024年2月15日

「50歳からの」という通俗マーケティングの怪現象

読売新聞オンラインに ”出版界の怪現象「50歳からの」と題名をうたった本が続々……読書案内や精神論、旅案内も” という記事がある。このタイトル、「〜と題名をうたった本」という言い回しにもちょっと「怪現象」っぽさを感じるよね。

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ただこれ、見出しを付けた編集者の方の言葉センスの問題のようで、本文はオーソドックスにこんな書き出しなので安心した。

題名に「50歳からの」とうたった本を最近、書店でよく見かけるようになった。

「50歳からの〜」というタイトルの本が増えたことの理由はまったく単純な話で、日本の年齢別人口を見ると 50歳前後が最も多いということのようだ。人口が多いなら少しは売れるだろうという、単純マーケティング視点である。

記事に添えられた統計グラフによれば、50〜54歳の人口が 970万人、45〜49歳の人口が 903万人と、明らかに多い。いわゆる「団塊ジュニア」世代だ。

ただ驚いたことに、見たところ私(現在 71歳)の属する 70〜74歳 という年齢層が 45〜49歳に続いて 3番目になっている。詳しい資料(総務省統計局人口推計)を参照してみると 2024年 1月現在、70〜74歳は 867万人で、団塊の世代より多いじゃないか。

いわゆる「団塊の世代」は「第一次ベビーブーム期(1947~49)の生まれだから、昨年 1月時点の資料では 75〜79歳の層なのだが、人口は 755万人となっている。「数の力」を武器としてきた彼らもそろそろあの世に召される時期に差しかかり、減少し始めているようなのだ。

世の通俗マーケッターたちとしては、これまで金科玉条としてきた「団塊の世代」の威力が失われてしまったので、それならばと「団塊ジュニア」に軸足を移したということなのだろう。

ちょっと蛇足だが、こうした企画の一つ、中央公論新社編『50歳からの読書案内』という本の紹介文に "50歳は「人生100年時代」の折り返し地点 " とある(参照)のに驚いてしまった。いつの間にか、人はフツーに 100歳まで生きるってことにされてしまったようなのだね。

しかし 80歳に近付いた「段階の世代」向けに『残された 20年以上の読書案内』なんて本を出しても売れるはずがないから、これもまたお馴染みの「雰囲気のもの」なのだろう。

 

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2024年2月14日

今どきの定期券事情を巡る冒険

私はかなり前から いしかわ じゅん マンガのファンで、”毎日新聞朝刊の 「サクラダ・ファミリア」(聖なる桜田家)” (2015年 2月 5日付)を書いた当時は紙の新聞で読んでいたが、今は新聞購読を止めてしまったので、恐縮ながら金を払わずネット(参照)で読んでいる。

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というわけで、『桜田です!』も連載開始から既に 7年が経ったのだね。上は今月 12日付のもので、桜田家のお母さんの「寝ぼけネタ」は定番だが、この日はお父さんまで春の陽気のせいで寝ぼけてしまっている。

お父さんが定期券を持たずに会社に行こうとしたので、お母さんが寝ぼけまなこで探し当て、それをもって自分が「じゃあ、いってきまーす」なんて出かけようとしてしまうというオチだ。後ろでお父さんが半分寝ながら「いってらっしゃ〜い」なんて言ってるのも、なかなかの風情である。

我が家ではこのマンガに夫婦で笑った後で、「ところで今の定期券って、一体どんなの?」という話になった。私は 2011年(あの東日本大震災の年だ)に勤めを辞めてフリーランスになって以来、12年以上にわたって定期券なんて持ったことがないから、今どうなってるのか全然知らないのだよ。

ちなみに昔の紙の定期券って、こんな感じだった(参照)。何と今の世の中では、こんなものが売り物になってしまうのだね。

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素材は単なる紙だった定期券が、いつの頃からか改札口の無人化に伴い磁気カードに変わったのを今でも覚えている。入場する度にいちいち定期入れから取り出して、改札口のスリットに通してやらなければならないのが面倒だったなあ。そして何と、この磁気カード式の定期券は今でも現役のようなのだ(参照)。

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もっとも今は IC カード(JR 東日本で言えば ”Suica”) が当たり前になってるから、定期券も「Suica 定期」が定番になってるんだろうと検索してみたら、やはりそうだった。今は多くの人がフツーに自動販売機で Suica 定期券を購入して(参照)、フツーに「ピッ」とタッチして改札を通っているのだね。

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ただ、私は最近では Suica アプリを iPhone に入れて「モバイル Suica」として使っているのだから、「モバイル Suica 定期」ってものもなければ困る人が多いだろう。そう思って調べてみたら、これもやっぱりあった(参照)。

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Suica アプリを自分で操作し、クレジットや Apple Pay で定期を購入できるというのだから、自動販売機に並ばなくてもいいというメリットが大きそうだ。しかし桜田家のお父さんは、スマホは持ったのに定期券は忘れてるというのだから、Suica アプリなんて使っていないんだろう。

ちょっと調べたところ、「鉄道会社のアプリ利用率は 1割、ICカード利用は約 8割――スパコロの調査から(首都圏 1都 3県対象)」という記事が見つかった。2021年 6月の記事だからちょっと古いが、やっぱり Suica などの IC カードって、明確な「カタチ」があるだけにアプリなんかより強いようなのだ。

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モバイル IC カード(いわゆる「Suica アプリ」みたいなもの)の比率は 20代でも 22.6% だったのだから、全体的な比率は今でもそれほど大きくは変わっていないのではなかろうか。もしかしたら、いしかわ じゅん先生の脳内の定期券は Suica ですらなくて磁気カード止まりだったりして。

もっともかく言う私だってこんなようなことは今回調べてみて初めて知ったのだから、必要のないことなんて全然知らなくてもそれほどの不都合はないようなのだね。

とはいえ、直接必要のないことでもいろいろなことに興味を持って調べてみるというのは脳の活性化にいいという話もあるから、たまにはこんなような酔狂をしてみる意味はあるのだろう。

 

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2024年2月13日

過度の飲酒習慣は「幻想」によってもたらされる

昨日は「酒って、カラダとアタマの両方を変えてしまうのだね」なんて思わせぶりなタイトルの記事を書いたが、それは本日付と合わせて 1セットにしようと考えていたからである。参照したのは昨日同様 Gigazine の、「なぜアルコールのない人生はつまらないと感じるのか?」という記事だ。

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この記事は冒頭からして飲酒にかなり批判的だ。こんな感じである。

以前は「適度な飲酒は健康にいい」といわれることがありましたが、その後の研究により飲酒は適量であっても脳を萎縮させ、心臓の健康を害することなどが明らかになっており、アルコール製品にがんに関する警告表示を義務づけるべきとの声も上がっています。

Gigazine ではこの他にも、飲酒に批判的な記事が目立つ。これは Gigazine の方針が「反アルコール」だからというわけじゃなく、このサイトのほとんどが欧米のニュースを翻訳紹介したものだからだろう。要するに昨今の欧米のトレンド自体が「反アルコール」なのだ。

今回の記事の元記事は Psychology Today の "Why Life Can Seem Joyless Without Alcohol" で、サンフランシスコのセラピスト、ジャネット・フー(Jeanette Hu AMFT)氏の寄稿によるものだ。彼女自身も以前はアルコールが手放せない生活を送っていたというだけに説得力がある。

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日本語版のタイトルはまんま翻訳だが、元記事には”An illusion created by habit, desire, and narrowed attention.”(習慣、欲望、狭められた関心によって形成される幻想)というサブタイトルが付いていて、これが全てを物語っていると言っていいだろう。

彼女によれば、飲酒は習慣化しやすく、それは「きっかけ」から入って「ルーチン」(決まり切った日課)となり、そして「報酬」という道筋を辿る。飲酒の場合の「報酬」とは、酔った時の「陶酔感」だろう。

この道筋によるループを繰り返すうちに「習慣」がもっと酒を飲みたいという「欲望」に繋がり、さらには「狭められた関心」に至る。それは飲酒のほかに喜びが見いだせないという状態だ。

フー氏は、こうしたことは「脳によって作られた幻想」に過ぎないとし、次のように語る。

喜びのある人生には、お酒に酔って騒ぐことよりもはるかに多くの価値があります。アルコールだけが価値あるものだという脳の主張にだまされてはいけません。強烈な欲求があったとしても、時間がたつにつれて渇望は弱まり、最終的に収まります。

これって過度の飲酒習慣の克服に限らず、人生のいろいろな問題においてもかなり示唆的な話だろうね。

 

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2024年2月12日

酒って、カラダとアタマの両方を変えてしまうのだね

Gigazine に「断酒するとわずか 2~3週間で肝臓の健康状態が改善してがんや脳卒中のリスクも減る」という記事がある。酒の好きな人にとっての「2〜3週間」というのは決して「わずか」じゃないと思ってしまうが、それはそれとして、健康状態の改善に 1ヶ月とかからないというのは悪くない情報だ。

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元記事は英国プリマス大学の肝臓専門医、アシュウィン・ダンダ(Ashwin Dhanda)氏が THE CONVERSATION に寄稿した ”What happens to your liver when you quit alcohol” (アルコールを断つと肝臓で何が起きるか)というもの。画像的には元記事の方が直接的に訴えてくるよね。

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ちなみに私自身は決して「断酒」しているというわけではないのだが、普段は全然飲まず、何かの付き合いで年に 5〜6回飲むぐらいのものだ。20年ぐらい前までは毎日飲んでいたのに、今年は正月のお屠蘇さえ飲み忘れていたことに今頃気付いて、自分で驚いてしまっている。

Gigazine の記事にはアルコールの「単位」(unit of alcohol)」というのが出てくる。アルコールの「1単位」(1 unit)は純アルコール換算で 20g(アルコール度数 5%のビール 500ml、アルコール度数 14%のワイン 180ml)というから、日本酒でいえばほぼ 1合と思えばいいだろう。

ダンダ氏は、1週間に 14単位以上のアルコールを摂取する人のほとんどは脂肪肝だと指摘している。ということは他ならぬ私も、日本酒換算で 2合ほどを飲み続けていた頃は脂肪肝だったかもしれない。

それでも肝臓は酒を断てば 2〜3週間でまともになるというのだから、ほぼ 20年にわたり、年間 10単位ほどしか飲んでいない私の肝臓は、今ではかなり健康な状態になっていると思う。そんなことは普段まったく意識していないが、こうしたことに関しては意識せずに済んでいるというのが一番だ。

ただ、酒が好きでしょっちゅう飲んでいる人としてみれば「そんなこと言っても、酒のない人生なんてつまらな過ぎる」と言いたくなるだろう。私も毎日飲んでいる頃はそう思っていた。

ところが飲まなくなってみれば、酒なんて別になくても済むのである。これって面白いことで、酒というのは飲み続けている人には「手放せない楽しみ」だが、飲まない人にしてみれば「楽しみは他にいくらでもある」ということになる。

酒というのは、どうやらカラダだけじゃなくアタマの中身まで変えてしまうようなのだ。

【2月 13日 追記】

この記事は 2本立ての前半で、翌 2月 13日付 "過度の飲酒習慣は「幻想」によってもたらされる" が後半となるので、合わせてお読みいただければ幸いである。

 

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2024年2月11日

スギ花粉の飛散、今年はメチャクチャ早いのだが・・・

JIJI.COM が ”花粉症、例年より早く 暖冬影響、連休明け注意―専門医「マスク着用を」” と伝えている。「特に 10~12日の 3連休明けは気温が急上昇して飛散量が増える恐れ」というのだが、既に先月から難儀している(参照)私なんか、明後日以後はどうなってしまうのだろう。

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最近はティッシュペーパーの消費が激しくて、屑籠もすぐに一杯になってしまいゴミ処理も大変だ。週に 2度の可燃ゴミ収集日も、最近は出されるゴミの量が増えて袋が山積みになっているほどで、近所でも花粉アレルギーがかなり多いことを窺わせる。

肝心のスギ花粉飛散量に関しては、JIJI.COM の記事では「昨年より少ないが、平年並みか平年を上回る地域が多いとみられる」とある。決して少なくはないが、昨年ほどじゃないということだろう。

じゃあ昨年はどんな感じだったのかと、自分のブログを遡ってみると、こんな具合になっている。

この春の花粉飛散量は、ハンパじゃない!(3月 3日)

先月末までは「言われてたほど大したことないじゃん」と感じていた。ところが月が変わって 3月になってからというもの、メチャクチャしんどくなっている。

花粉飛散量の増加と「免疫系の蘇り」(3月 6日)

ここ 2〜3年、若い頃に比べると花粉症の症状が軽くなっていた〜(中略)〜今年は飛び交う花粉の量には勝つことができず、とんでもない悲惨な状態になっている。

年を取ると免疫系が花粉の進化に付いていけなくなるため、症状は逆に軽くなる傾向があることが知られている。ところが昨年は、70歳を過ぎても圧倒的な花粉の量には負けてしまったようなのだ。逆に言えば「自分の免疫系はまだ若い」ってことなのかも知れないが。

ちなみに今年のスギ花粉飛散量は、ウェザーニュースによれば下の画像(上が昨年比で、下が平年比:クリックで拡大表示される)のようなことになっている(参照)。

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ここ茨城県は、平年よりは 2割以上多いものの、昨年比では 50〜80% で済むということだ。今年は暖冬のせいで症状の現れるのが早かったが、昨年ほど悲惨なことにはならずに済むと考えていいようだ。

この情報はある意味で「救い」である。三連休明けはある程度覚悟して迎えなければならないようだが。

 

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2024年2月10日

一瞬心が動いてしまった「積ん読タワー」というもの

「フリーランスの家づくり日記」というブログの 今月 7日付記事「積読タワーを導入した」を読んで、一瞬心が動いてしまった。思いとどまったのは身も蓋もない話だが「値段」のおかげで、15%割引で 43,945円もするんだってさ(日本語サイト参照)。

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これ、販売元のハーマンミラー(HermanMiller)のオリジナル英語サイトによれば、ちゃんとした商品名は Story Bookcase, Tall(「階層ブックケース、トール版」とでも訳すか)というらしく、価格は 396ドルだ。円安の昨今だが、円建ての方がお買い得感があるみたいだ。

ちなみにこの商品の日本語サイトにはこんな風に説明されている。

ストックホルムを拠点に活躍している、Hung-Ming Chen と Chen-Yen Wei によるデザイン事務所、Afteroom によるデザイン。北米を中心にオーセンティックデザイン家具業界をリードしている Design Within Reach のオリジナルのブックシェルフ。

ちょっとわかりにくいので英語版を参照しながら読み解くと、デザイン事務所 Afternoon の共同代表 Hung-Ming Chen と Chen-Yen Wei は台湾出身の夫婦。で、この二人が Design Within Reach のためにデザインしたものが、オリジナル商品化されたということのようだ。

つまり Design Within Reach はメーカーで 、HermanMiller はネット上の販売元という関係のようなのである。この辺が、日本語サイトの説明だと今イチ伝わりにくく、「どうして Design Within Reach のオリジナル商品を HermanMiller が販売できるんだ?」なんて混乱してしまいやすいよね。

ちなみに、元のブログ記事にはこんなような記述もあるのが気になった。

もっと安い製品もあるけど、ハーマンミラーのやつはトールだと高さが 1920mmあり、収納効率良さそうなのでこれにした。

「もっと安い製品」って、どんなんだ? と、試しに Amazon に行って「ブックタワー」で検索してみたところ、結構いろいろある(参照)。例えば、こんなの(価格は 14,300円)だ。

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ただ、これは高さが 111.5cm しかなく、キャスター付きで移動可能とはいえ、棚は固定式(取り付ける際の向きは、前と左右で自由)で、回転させられない。

もう少し背の高いのを探すとこんなの(価格は 22,111円)もある。

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しかしそれでも高さは 135cm 止まりだ。棚は手軽に違う高さに付け替えられる仕様だが、回転はできない。

とにかく Amazon で探しても、高さが 150cm 以上のものはほとんど見つからない。日本製だとそんなものなのかなあ。こうなるとなるほど、192cm のハーマンミラーを選ぶ方が結局のところリーズナブルなのかもしれない。

さらにちょっと視点を変えると、こんなの(価格は 2,990円)もある。「積ん読タワー」というより「ちょっとお洒落で省スペースの卓上ブックスタンド」って感じだが、ベッドサイドなんかにおいて「寝る前の読みかけスタンド」みたいに使う分には手頃かもしれない。

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ただちょっと魅力的ではあるが、この程度のものなら自分で手作りする方が楽しそうな気がしてしまうよね。

というわけで、大きな「積ん読スタンド」はどうしても必要ってわけじゃないので取りあえず忘れることにしよう。よく考えてみれば、本というものは横にして積み重ねるより立てて並べる方が扱いやすいし。

そしてそのうち時間ができたら、ベッドサイド用の「読みかけスタンド」を手作りしてみよう。もっとも差し迫ってるわけじゃないので、いつになるかわからないが。

【備考】

紹介したブログのタイトルにある「積読」は、当ブログでは敢えて「積ん読」の表記を採用した。Wikipedia によればどちらもありのようだが、元々は明治後半の洒落的言い回しで、オリジナル表記はカタカナだったのだね。

積読(Wikipedia)
積読、積ん読(つんどく)は、入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態を意味する言葉である。(中略)
1879年の小雑誌『東京新誌』に「ツンドク家」「ツンドク先生」の記述があることが確認されている。

 

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2024年2月 9日

例のタマホームの件、かなりムカついた

当ブログの 1月 29日付記事で触れた「タマホーム」の件だが、2月 6日になってこの会社がかなり一方的な「和解成立のお知らせ」なる文書を発表している。その文面を読んで、部外者ながらかなりムカついた。

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「先般お知らせいたしました X(旧 Twitter)上における当社に対する不適切な投稿に関しまして、投稿された方と和解が成立しましたことをお知らせいたします」というのである。おいおい、「当社に対する不適切な投稿」とは、一体どのツラ下げて言えるんだ。

この会社、これに 4日先立つ 2月 2日にも「X(旧 Twitter)上における当社に対する不適切な投稿について」というリリースを発表しており、その中に「本件に関しまして現在警察に相談を行なっており、また損害賠償請求の準備を行なっていることをお知らせいたします」とある。

一見すると被害者ヅラだが、今回の件の一体どこが「損害賠償請求」の事由になるのか、公平に見るとさっぱりわからない。そもそもこんなことを持ち込まれたら警察だって対応に困るだろうし、要するに恫喝のためだけの言い草としか思われない。

Tweet 主の こしあん さんが同日付で、これ以上関わり合うのがほとほと嫌になったというような雰囲気を濃厚に漂わせて最終報告されているのを見ても、恫喝を疑うのはごく自然というものだろう。

こう感じるのは、決して私だけではない。検索してみたところ、「タマホーム、恫喝訴訟匂わせて和解…施工不良写真の投稿を“不適切”と喧伝 」(ビジネスジャーナル)という記事を始め、同様のトーンの記事がかなり多い。

会社の体質を窺わせるに十分なのでさらに検索すると、こんな Tweet まで見つかった。なんだかビッグモーターを連想しちゃうよね。

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というわけで今回の一件、私が先月紹介した記事のタイトル「やればやるほど反発食らって逆効果というお話」というタイトル通り、タマホームの一連の反応は自らのブラック度を世間に知らしめるという逆効果しか生んでいないわけだ。

ちなみにタマホームの今回のリリースの URL はかなりふるっている。こんなのだ。

https://www.tamahome.jp/qkeioebqx4/wp-content/uploads/2024/02/20240206.pdf

サブドメインの "qkeioebqx4" というどーでもいい文字の羅列はいかにも「間に合わせ感」たっぷりで、そのうちトボけて削除するつもりなんだろう。というわけで、いちおう 2本のリリースのコピーを保存させていただいたので、よろしく。

20240202.pdf20240206.pdf ← 誰でもいつでも閲覧できる。

 

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2024年2月 8日

FF 車の後輪にチェーン巻く人って、本当にいるんだね

関東などでは、たまに雪が降ると FF 車(前輪駆動車)の後輪にチェーン巻いて動けなくなっちゃったなんてのが話のタネになるが、雪国生まれの私としては正直なところ、「いくら何でも、そんなヤツいないだろ!」と冗談扱いしていた。しかし実は、いるんだね。しかも箱根の山道登ろうってのに(参照)。

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このホンダ車、FF なのに後輪に赤い布チェーン巻いて、箱根の登り坂でスタックしてる。その上、報道ステーションのインタビューに顔出しで応じちゃったものだから、気の毒なことに全国に恥を晒してしまった。助手席に女の子乗せてデート中だったのだろうが、今頃破局に至ってなければいいが。

まあ、このホンダ車のドライバーは JAF に助けてもらって無知を反省すればいいわけなのだが、私が驚いてしまうのは報道ステーションの扱い方だ。ちょっと見ればチェーンを巻くタイヤを間違えていることぐらい、すぐに気付きそうなものなのに、インタビューではそのことに全然触れていない。

ということは報道スタッフの方も、FF 車の後輪にチェーン巻いても意味がないってことを知らないのだと思うほかないじゃないか。今どきのクルマは FF が圧倒的に多いから、後輪のチェーンを見ただけで「はぁ?」と思うのがフツーなのだが。

スタッフがこうした常識をフツーに知っていたら、顔にボカシを入れずに放映するなんて「この愚か者の顔を見てやってください!」と言ってるようなものだから、気の毒過ぎてできるわけがない。つまりこれって、無知同士だからこその産物だ。都会の人間の雪対策の知識って、この程度なのかなあ。

それにしても我が故郷、庄内のドライバーだったら、この程度の雪でスタックなんてしないけどなあ。冬用タイヤを履くか、チェーンを(ちゃんと駆動輪に)巻くかして、しっかり対策してるからね。

雪国のドライバーは、テクニックも装備も違い過ぎってことは、こちらの動画を見れば一発でわかるので、よろしく。

 

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2024年2月 7日

MOA美術館のガラスって、見えないんだって

静岡新聞デジタルが「透明ガラス ”ゴツン” 注意 MOA美術館(熱海)の展示ケース SNS で話題」という記事を載せている。この美術館、展示を保護するガラスの透明度がやたら高く、さらに照明などが映り込むことがないので、ガラスがあると気付かず、つい頭をゴツンとぶつける人が後を絶たないらしい。

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MOA美術館がこうした特殊なガラス(「低反射高透ガラス」というらしい)を使い始めたのは 2017年からだという(参照)。この美術館は写真撮影が自由ということなので、カメラで撮影する時に照明の反射が写り込まないというのはありがたい。

上の写真の右側は、頭ゴツンを避けるためにガラスの下の方に小さな黒い点を入れているのを示している。ただ、それでもぶつけちゃう人が絶えないというのだから、ぐっと近寄って細部まで鑑賞したがるのは人情というものだ。これって MOA美術館の誇る日本画のような場合は、とくに「あるある」だと思う。

ちなみに私は MOA美術館には行ったことがないが、その前身の「熱海美術館」時代には何度か立ち寄ったことがある。それは前世紀の 1970年代後半のことだから「低反射高透ガラス」なんてものとは無縁の時代だった。

早稻田大学って、熱海に坪内逍遙が晩年を過ごした「双柿舎」という施設をもっていて、大学院時代はここで忘年会などを一泊してやっていた。そしてその帰りには「熱海美術館」に立ち寄ったりしていたのである。当時から素晴らしいコレクションだったから、寄らずに帰るのはもったいなかったのだよね。

ところで、今日の記事の最後に触れておきたいのは「MOA美術館」という名称についてである。

私はずっと「日本語にしたら『美術館美術館』って、変な名前にしちゃったもんだよなあ」と思っていた。”MOA” は ”Museum of Art” の省略以外の何ものでもない(だって、フツーそうでしょ)と思い込んでいたためである。

これが創設者である岡田茂吉にちなむ ”Mokichi Okada Association”  の頭文字(参照)と知ったのは、恥ずかしながら極々最近の話だ。なるほど、そういうことだったのか! ものごとはよくよく調べてみるものである。

と、こんなことを書いていたら、実際に MOA 美術館に行ってみたくなった。仕事で熱海近辺に行く機会があったら、時間を作って是非寄ってみよう。

 

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2024年2月 6日

青森から新潟まで行くのに、大宮経由の方が早いとは

資正さんという方が、「正直これは交通政策の失敗と言わずして何を失敗というのやら…」と tweet しておられる。青森から新潟までの鉄道路線を検索すると、新青森で東京新幹線に乗り換えて埼玉県の大宮まで南下し、そこから上越新幹線で新潟に北上するルート(下図の赤い線)が示されるというのだ。

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青森から新潟までと言ったら誰もが日本海に沿ったルート(緑の線)をフツーに思い浮かべるだろうが、検索アプリで優先的に示されるのはとんでもない遠回りルート。この方が「最短ルート」よりずっと速く着ける「最速ルート」ということのようなのである。

どれどれと、試しに青森駅を午前 7時過ぎに出発するという設定で調べてみると、下のように秋田経由だと、青森発が 7時 4分発で、新潟着が 14時 19分着となってしまうが、大宮経由だと 7時 24分発で 12時 32分着と、2時間以上短縮される。20分遅く出て 1時間 47分早く着くというのはすごい。

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ただ、距離にすると直線に近い秋田経由ルートは 458.8kmだが、大宮経由の新幹線ルートは倍以上の 990.9km になる。一見すれば馬鹿馬鹿しいほどの遠回りなのだ。

それでも日本海ルートの方が時間がかかるのは、青森から秋田までの区間を延々と各駅停車で南下するほかないからである。東北日本海側というのは、本当に交通が不便なのだ。まったくもう、どんだけ僻地扱いされてるんだ。

ただ、運賃はさすがに秋田経由の方が安く、特急料金を入れても 9,790円で済む。距離が倍以上長い上に新幹線を 2本乗り継ぐ大宮経由ルートの 23,230円と比べれば半額以下だ。ちなみに東海道山陽新幹線だと、23,610円で博多まで行けてしまう。

こんなことだったら、私は断然秋田経由の方を選ぶなあ。2時間ちょっと余計にかければ 13,440円浮くんだから、1時間あたり約 6,700円である。こんな時給の高いバイトはそうそうない。

私は秋田と新潟のほぼ中間地点となる山形県庄内の出身だから、東北日本海側の交通の不便さは身を以て知っている。その不便な中で、東京から秋田と新潟までは新幹線が通されたが、庄内の酒田までは来ていない。

東京までの往復は在来線特急の「いなほ」で新潟まで行き、そこで上越新幹線の「とき」に乗り換えることになる。不便の中のさらなる不便だ。

上越新幹線は新潟止まりだが、そこから先の秋田、青森まで延長し、上越・羽越新幹線としてしまえば、東北新幹線の盛岡から分かれて、秋田まで山の中をエッチラオッチラ行く秋田新幹線なんて、作る必要がなかったのになあと思う。どうしてその発想がなかったんだろう。

こうなったら我が地元、庄内としてはこの不便さを逆手にとって、東北日本海側独自の文化を熟成していくほかない。その意味でも、阿部彩人さん、頑張れ!

 

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2024年2月 5日

常識が理解できないなら、ヤバい実例を示すほかない

1年ちょっと前の 2023年 1月 18日に、「ニュース見て呆れた! 六本木ビル爆発火災の事情」という記事を書いた。ビルの室内でスプレー缶のガス抜き作業をし、さらにライターをハンマーで壊すなんてことをしたために爆発火災が起きてしまったという事件に触れたものである。

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今年 1月 21日になり、t.t さんという方からこの記事にコメントが付いた。この方はなんと、火元となった不動産会社にこの事故の直前まで勤務されていたというのである。

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「スプレー缶に関しては、一から十まで注意しておりました。が、すべて聞き入れてもらえず、勝手にいろいろ作業している為、諦め会社を去ったものです」とある。貴重な内部告発である。

室内でガス抜き作業をすることの危険性について、私は「ちょっと考えればわかることだ」と書いた。しかしこの t.t さんのコメントで、「ちょっと考える」なんてことをせず、さらに「一から十まで注意」されても、それを理解することすらできない人が存在すると知って、愕然としてしまった。

t.t さんは、さらに次のように書かれている。

作業、工事等統括していたのですが、私以外の作業員が、道具の使い方、ガス、電気等の扱いにまったく無知だっため、私の指導に従わない為、社長に工事等の事業から手を引くか、彼らに指導するかをえらばせたのですが、反応が無く、2022.12月会社辞める時、会社が、つぶれるか、死人がでるよと忠告していました。

つまり作業員たちはごく当然の指導を理解することができず、さらにその危険性を社長に伝えても通じなかったということのようだ。これでは本当にどうしようもない。コメントには次のようにある。

スプレー缶あけるんも室内でやるんおかしいけど、そこでライターかちわるかね、頭のネジ飛んでると思う。寒いからと窓も閉め切った状態だと、

このような危険なことをしてしまう人間というのは、「他人の言うことを聞かない」というより、そもそも「常識的なことを理解する能力に欠けている」のだろう。そしてこの会社というのは、そうした「致命的な理解力不足」の人にスプレー缶の処理を任せっぱなしにしていたわけだ。

これでは爆発火災事故に至るのも当然だ。今回の t.t さんの告発に感謝し、さらにここで改めて紹介するのは、今後こうした事故が起きないようにという願いからである。

常識が理解できない人が現実に存在するとなったら、そうした人たちには「そんなことをしていたら、いずれ自分自身が大怪我するか死んでしまうかということになるぞ!」ということが嫌でもわかるヤバい実例を示して脅すしかない。

昨年の事故に辛うじて何らかの意味があるとすれば、この「ヤバい実例」として機能することができるということだろう。

 

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2024年2月 4日

今回は、冬用タイヤに換えることなんてしない

関東甲信越地方の天気予報で、週明けの 5日(月)夜から 6日(火)朝にかけて本格的な雪になると伝えられている(参照)。都心部でも 5〜10cm の積雪になるとみられているようだ。

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つくば周辺は 5cm 程度の雪とみられるが、予想以上の冷え込みになるとさらに積雪が増すので、警戒が必要とのことである。こうなると、頭を悩ますのが「クルマのタイヤを冬用のスタッドレスに換えるかどうか」という問題だ。

関東でもつい 5〜6年前までは年明けから 2月にかけて、時々結構な雪が降った。クルマが主要交通機関であるこのあたりでは、冬用タイヤに付け替えるのが必須だったのである。

10年以上前は下の写真(2012年 1月のものだと思う)のように、雪かきをしなけれがクルマが駐車場から急カーブを切って道路に出ることができないほど積もることがあった。ところが最近では、そんなことは絶えてなくなってしまった。

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3年前は 1月末の降雪予報を機にスタッドレスタイヤに換え、雪国と言われる飛騨の旅を楽しんだ 3月(参照)までずっとそのままでいたのだが、遂には空振りに終わった。まともな雪なんてちっとも降らなかったのである。

私のもう一つのブログ『和歌ログ』で 2020年以後の記事を確認してみたのだが、裏の土手が雪で白くなることはあっても、夜が明ければすぐに解けてしまい、道路交通に影響が出るほどになったことは一度もない。冬用タイヤに付け替えてもずっと空振りに終わっているわけだ。

というわけで、今回はタイヤ交換なんてしないでおこうと思っている。火曜の朝に積もっていたとしても、どうせすぐに解けてしまうだろうから。

2日後の朝に「しまった、甘すぎた!」なんて思うことがないように、祈るばかりである。

 

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2024年2月 3日

東京が中国リベラル・インテリ層、新富裕層の避難先に

東洋経済 ONLINE の 2月 3日付 ”中国人向けの書店が東京で続々開業する深い事情 言論統制を嫌うインテリが日本に脱出している”(9:50付)と ”習近平の手を逃れ、中国のインテリが東京に大集結 中国国内の政治対立が日本を巻き込み始めた”(9:51付)という 2本の記事が注目される。

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いずれも中国のインテリ層が、自国の言論統制を逃れるために東京に集結しているという内容だ。中国内では自分の信念に基づいた活動ができないため、東京に逃れてきているというわけだ。2本目の記事の小見出し「中国国内の政治対立が日本を巻き込み始めた」というのが気になるところである。

いずれも中国・東南アジア専門ジャーナリスト、舛友雄大氏によるもので、彼は昨年 8月にも ”中国から日本へ大脱出する「新富裕層」驚きの生態 日本でのお目当ては不動産買収と子どもの教育” という記事を書いている。こちらの主語は「インテリ層」ではなく「新富裕層」である。

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とにかく中国の新富裕層とインテリ層は、自国の不自由な政治体制に嫌気がさしていて、東京で自由な活動を展開し始めているというのである。彼はこの状況が 1895年〜1920年代半ばごろの「辛亥革命」前後の状況と通じるとして、次のように述べている。

当時、魯迅、梁啓超、孫文といった進歩派の中国人の文学者、思想家が日本に滞在していた。混沌とした清末〜中華民国初期にあって、彼らは日本で貪欲に西洋思想を身につけた。東京では、清朝打倒を目的とする中国同盟会が設立され、横浜では「清議報」や「新民叢報」といった雑誌や新聞が誕生した。

こうした状況から、彼らの東京での活動が中国にフィードバックされる可能性があるというわけである。私としては、こうした動きに注目せざるを得ない。

現在の中国の鬱陶しい状況が打開されるきっかけになるならば、歴史的にも意味があるのではなかろうか。下手するととんでもなく面倒なことになるかもしれないが。

 

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2024年2月 2日

大阪万博って、すっかり "アウト・オブ・トレンド"

KYODO が ”万博「行きたい」、33%に減少 2年連続下落、大阪府・市調査” というニュースを伝えている。大阪府と大阪市が府内 4千人と府外 2千人を対象に実施したインターネット調査の結果で、「行きたい」と答えた人の割合が 1年前の調査から 7.4ポイント減少したという。

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大阪府民で万博に「行きたい」と応えたのは、アンケート全体のポイントより少しはマシとはいえ 36.9%しかいないという。ところがともに維新の会所属の吉村府知事と横山市長は、「ここまできたら、もう引っ込みがつかない」みたいな感覚で万博を推進しているようなのだ。

このイベントには大阪府と大阪市が合計 1,112億 7,000万円もの費用を投ずる(参照)と伝えられ、さらに国の負担も 1,647億円になる(参照)という。どちらも当初の見通しを遙かに超えてしまっているのはこうしたことではほぼお約束みたいな展開とはいえ、まったく付き合いきれない。

というわけで、大阪府民としても 6割以上は「万博には付き合いまへん」と言ってるわけだ。

万博と言えば、前回の大阪万博のあった 1970年の夏、私は翌年の大学受験に備えて「大学の下見」に行くという名目で上京した(宿泊は親戚の家に世話になった)。そして東京との往復キップとほんの少々の持ち合わせしかないのに、ついでとばかりにヒッチハイクで京都まで行ってしまったのだった。

親には「関西に行く」とだけ電話したので、てっきり万博に行くものと思われていたようなのだが、実際にはそんなものボイコットし、一歩手前の京都の街で、当時全盛だったカウンター・カルチャーを満喫していたのだった。夜はドヤ街や京都駅の待合室で寝ていたなあ。

さらに時代は下り、1985年の「つくば科学万博」の時には、会場がすぐ近くということもあって、当時まだ幼かった 3人の娘の「遊園地替わり」みたいなつもりで 2度だけ連れて行った覚えがある。

ただこの時も長時間行列するような人気パビリオンは一切無視して、子供だましのアトラクションで遊ばせるだけだった。元々「遊園地替わり」というつもりでしかなかったし、実際の印象もそんなようなものだったからね。

というわけで、私は「万博」というものにほとんど興味のない人間なのである。今どきはほかでいくらでもいろいろな体験ができるし、大抵の情報はインターネットでゆっくり仕入れられるのだから、混雑する会場なんかに足を運んで疲れて帰る意味なんてさらに薄れている。

それでもまあ、「行きたい」って人が 3分の 1 ほどはいるみたいなので、「どうぞお好きに」と言うばかりだ。ただ、その程度のイベントにかける費用としては、莫大すぎる気がしてしまうなあ。

会期が過ぎたら取り壊してしまうという木造大屋根「リング」とか、何とかいう名の公式キャラとかも、かなり違和感たっぷりだしね。

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2024年2月 1日

庄内の小学生に庄内弁を教えるという、不思議な時代

庄内でユニークな活動を展開する阿部彩人さんが、"方言どご「おもしぇぐ」学ぼう" (方言を「おもしろく」学ぼう)というこれまたユニークな企画で、小学生に庄内弁を伝授するという興味深い取り組みを行ったという。これには遠く離れたつくばの地から、拍手喝采を送りたい。

ただそれにしても、庄内の小学生に庄内弁を教えるというプロジェクトが成立するとは、不思議な時代になったものである。おらだの頃だば「ひょーじゅん語」おしぇでもらわねばねけんどもの(俺たちの頃だったら「標準語」を教えてもらわなければならなかったけどね)。

上に紹介した YouTube 動画の初めの方で、八幡小学校の生徒が上機嫌ではしゃいでいる場面では、結構きれいな標準語に近い言葉が聞こえる。なにしろ「こんにちは」という挨拶を、ちゃんと「こんにちわ」と発音してるじゃないか。私たちの頃には「こんぬづわ〜」に近い発音だったけどね。

時々帰郷すると、酒田市の街中でも近所の子供たちがとてもきれいな共通語で会話していることに驚く。はっきり言って、私が今住んでいる茨城県(一応「関東」ではある)の連中よりずっときれいである。なにしろ茨城県は、名にし負う「無アクセント地帯」だからね(参照)。

庄内で生まれた人間も高校を卒業すると東京などに出てしまうことが多く、そこで知り合った人と結婚して一緒に Uターンするなんてケースが少なくない。そうなると家庭内の会話が共通語になってしまいがちで、子供たちは庄内で暮らしていても庄内弁を身に付けることができない。

帰郷すると、近所のじいさん、ばあさんに「孫どはなすすても、『おばあちゃん、何言ってるかわかんなーい』でらって言わいんだよの〜」(孫と話しても、『(翻訳不必要)』なんて言われるんだよね〜)なんて嘆かれてしまう。はなはだ気の毒な話である。

幸いなことに我が家では妻も 3人の娘も、庄内弁は自分では話せないながらヒアリングに関しては問題がなく、私の母の生前の濃〜い庄内弁もほぼ理解できていた。私が父親の責務として、家庭内でことあるごとに庄内弁をしゃべってきた甲斐があったというものだ。

ところが今の庄内の子供たちって、庄内弁を学校で学ばなければならないことになってしまったようなのだね。時代は変わるものである。

阿部彩人さんには今後もしっかりと活動を継続していただきたい。美しい庄内弁を後の世に伝えるために。

最後に触れておくが、阿部さんの来ておられるシャツの胸にプリントされた文字には少なからず感動した。これ、例えば「たかし」という人名の「し」の音を庄内弁で発音した場合の表音文字のようである。「し」という時の口の形にして(つまり唇を横に開いて)「す」と言うと、これになる。

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これを使って本日の記事のタイトルにある「不思議な時代」を平仮名で書けば、こうなるだろう。

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おお、なかなかいい感じじゃないか。

 

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