松任谷由実『春よ、来い』の、歌詞のもやもや
下の画像は、「サラリーマン書道家 教証~KYOSHO~ の 筆文字日記」というブログの 2018年 3月 1日付 「春よ、来い」にあるもの。ほかにも見事な書が満載で、オススメである。
今日は急に気温が下がってしまったが、昨日まではかなり暖かかったせいか、ラジオを聞いているとこの歌、松任谷由実の『春よ、来い』がやたらと流れていた。私はこの歌を聴くと、ちょっと複雑な気分になってしまうのである。
最初に紹介したブログにはこの歌詞について「文語調と口語が入り混じった独特の歌詞」と紹介されている。確かにこの部分、「春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき」までは文語で、最後の「声がする」が口語だ。
こうなってしまうと私の場合、「独特の歌詞」と物わかりよく済ますことができない。フレーズごとに使い分けるならいいが、一つのフレーズで「なつかしき」までが文語なのだから、結びの一言まで文語で通したいと思ってしまうのだよ。
しかしこれを単純に文語にすると「なつかしき 声す」となってしまい、メロディに乗らない。そこで伝家の宝刀「ぞ+連体形」という係り結びの法則に登場してもらうことになる。
というわけで最後の部分を心の中でそっと「なつかしき声ぞする」と歌い直し、ようやくスッキリするのである。これって、こちらと平行してもう一つ、「和歌ログ」なんてブログをやってるせいもあるんだろうが、早く言えば一種のビョーキみたいなものかもしれないね。
まあ、そもそものことを言ってしまえば、タイトルからして『春よ、来よ』としたいところだし、ほかにも文法的な誤りはあるのだが、これ以上いちいち取り上げたら口うるさいじじいみたいになるから、敢えて放っとくことにする。
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コメント
わはは、もうじゅうぶん口うるさいj…ゲフンゲフン
youtubeで「春よ、来い」を聴きながら、「が」を「ぞ」に脳内変換してみましたが、慣れのせいかもしれませんがしっくりこなかったですねえ。なんか強すぎるんですよね、「ぞ」の語感が。
考えてみれば「ぞ+連体形」は強調の意味になりますね。この部分の歌詞を通して読むと、特に「声」を強調する情景は思い浮かばないです。むしろ「なんとなく、あんなことを言っていたな」のような。takさんの心をいつもモヤっとさせる「雰囲気に合わせて言葉を変えた」ってことになりますかね(笑)。
ちなみに、瞳は閉じられないと揚げ足を取るつもりは無いとのことですが、歌詞は「瞼」ですので、そもそも足が揚がっていません。takさんには珍しい勘違いかと。
つくづくtakさんと相性の悪い歌詞ですねえ(笑)。
投稿: らむね | 2024年2月21日 16:14
らむね さん:
>ちなみに、瞳は閉じられないと揚げ足を取るつもりは無いとのことですが、歌詞は「瞼」ですので、そもそも足が揚がっていません。takさんには珍しい勘違いかと。
あ、本当だ! ずっと勘違いしてた。
ご指摘、ありがとうございます。問題部分、削除させていただきます。ありがとうございました。
投稿: tak | 2024年2月21日 19:05