「マルハラ問題」ってどういうことなのかが見えた
もう 70歳を過ぎてしまったから、「マルハラ」なんて言葉を知ったのはごく最近のことだ。近頃の若者は語尾に句点(マル、つまり「。」のことね)を使われると、相手が怒ってるんじゃないかと思ったり、冷淡さや威圧感を感じたりすることがあるというのである。
そんなことを言われても「なんじゃ、そりゃ?」ってなもので、ほとんど実感が湧かなかった。私とて若い連中と交流がないわけじゃなく、メールのやり取りだってしょっちゅうしているが、句読点が省かれたメールなんてもらったことがない。
じじいの私に気を使って、特別に句読点を付けてくれているというわけでは決してないようで、彼らの Facebook や Twitter などの書き込みを見ても、フツーに句読点が付いている。「マルハラ」なんて言ってるのはどんな連中なんだろうと、ずっと不思議に思っていたのである。
この疑問は、朝日新聞 DIGITAL の昨日付「LINEのマルハラ、漫画が影響? 句読点研究の調査と異質な出版社」という記事を読んで、かなり氷解した気がする。要するにマルハラって、「ほとんど LINE 限定」の話のようなのだね。
冒頭に示した画像にある、部下と上司の LINE 上でのやり取りの例をちょっと拡大してみよう。
部下のコメントの末尾に「マル」が全然ないのは、記事によると LINE の画面構成が漫画で言うところの「吹き出し」をベースにしてることによるらしい。次のようにある。
漫画では、吹き出しでの囲みが文章の区切りを意味するため、吹き出し内の文字には句読点を使わないのが一般的だ。文末には「!」「!?」や「…」を多用し、長文の時は改行を入れたり吹き出しを複数に分けたりする。これは若者の LINE 文章と共通する点が多い。
なるほど。LINE のコメントは漫画感覚なのだ。フツーのメールなら「明日の会議の資料を出しましたが、これで問題ないでしょうか?」と一繋がりになるようなテキストが、LINE だと意識的にか無意識的にか 2つの吹き出しに分けられる。「すみません、数字直しました」というのも同様だ。
こんな感じで並んでしまうと、上司のしっかりと句読点が入った吹き出しはいかにも満を持したようなご大層なものに見えてしまう。それを読む部下としては堅苦しさが先に立って、無言の圧力みたいなものを勝手に感じてしまうようなのである。
ちなみにここに示された「ありがとう。数字の部分が少しずれているから、会議までに直しておいて。」という上司の最初のコメントがもし LINE 的な添削を受けたら、こんなように短い 3つのコメントに分割されるだろう。
「サンクス!」
「数字の部分が少しズレてるね・・・」
「会議までに直しといてくれる?」
そして部下の報告を受けての最後のコメントは「了解 😀」で締める。これなら部下はかなりリラックスするかもしれない。もっとも上司としてはそんな芸当、ちょっと無理だろうが。
要するにこの問題の根源は、LINE 上ではコメントがすべてマンガチックな「吹き出し」で表示されるってことなんだろう。そんなわけで他愛もないやり取り以外には向かないのだ。私が前々から「はっきり言って、LINE は嫌いだ」(2017年 6月 20日付)と公言しているのは、このためでもある。
ここで話は急に変わるが、朝日のこの記事の見出しの後半部分「句読点研究の調査と異質な出版社」の「異質な出版社」という言い回しがかなり唐突で、まさに「異質」だ。
記事中に同じ漫画雑誌でも「少年サンデー」(小学館)だけは吹き出し中の句読点使用が多かったとあるので、そのことを指しているのかもしれないが、だからといって見出しでいきなり「異質な出版社」なんて言われたら、それこそ「冷淡さや威圧感」みたいなものを感じてしまうよね。
| 固定リンク
「パソコン・インターネット」カテゴリの記事
- 新規 SNS の Bluesky、なかなかいいかも(2024.09.08)
- 実は Threads を試し始めている(2024.08.29)
- 近頃出番のなくなったもの ー USB メモリ(2024.08.13)
- 読売新聞のサイトに行っただけで表示される詐欺サイト(2024.08.04)
- だったら LINE なんて、使うの止めちまおうよ(2024.07.15)
「言葉」カテゴリの記事
- 画びょう、押しピン、プッシュピン・・・ 同じ物? 別物?(2024.09.03)
- 「異にする」を「いにする」と読んじゃうことについて(2024.09.01)
- 茨城の「いばらき/いばらぎ」より根源的な問題(2024.08.26)
- 「流暢」「流ちょう」「悠長」、そして「流調」(2024.08.21)
- 感じのいい人って、そんなこと言うんか!?(2024.08.12)
コメント