日本初の「修学旅行=長途遠足」を巡る冒険
Yusuke Suzuki さんという方の ”「日本初の修学旅行到達の碑」というのがあった” という tweet を見つけた。この石碑、銚子駅前にあるという。
石碑に書かれた文章は以下の通り。
明治19年、東京師範学校の生徒 99名による長途遠足が、日本最初の修学旅行であり到達の地が銚子であると、公益財団法人全国修学旅行協会編纂の「修学旅行の変遷と意義」に記されている。長途遠足の趣旨は、兵式操練の演習のほか、実地に就いて学術を研究する事を目的としている。同年 2月15日、徒歩にて東京を出発、習志野、佐倉、成田、佐原(これより船行)を経て、20日午前 8時、銚子唐子村に到着した。21日には海浜に出て、ドレッグ・トロールの使用法、海藻乾燥法の実修をした。帰路は八日市場、東金、千葉を経て 25日帰京 11日間の行程を終了した。
この碑にはスタート地点に関して「徒歩にて東京を出発」としか書かれていないが、当時の師範学校は文京区湯島聖堂の地にあったらしい(参照)ので、往路はそこを出発して佐原まで歩き、その先は船で銚子まで、多分夜通しで利根川を下ったもののようだ。
湯島聖堂から佐原にある観光船乗り場(水の里佐原)までの道のりを調べると、当時の道はよくわからないが、2月 15日に出発し、習志野、佐倉、成田を経由すると約 100km ぐらいになる(参照)。19日の早いうちに佐原に着いたとすると、丸 4日とちょっとで往路 100kmを歩いたのだろう。
かなり大雑把に見れば 1日当たり約 25km ほど歩いたわけだが、これは箱根駅伝で言えば丸の内から鶴見中継所のちょっと先ぐらいまでにほぼ相当する。
一見ゆったりしたペースのように見えるが、目的が「兵式操練の演習のほか、実地に就いて学術を研究する」ということにあったのだから、途中でいろいろな演習や見学をし、さらにせっかくだからと成田不動尊へのお参りなどもしたかもしれない。そう考えれば、結構な健脚ペースである。
さらに復路は銚子から 約 130km を 4日間ずっと徒歩だったわけだから、1日当たり 30km 以上歩いたことになる。往復合計約 230km を丸 9日間で歩いたわけだが、当時は東海道五十三次を徒歩で旅していた江戸時代からそれほど経っていないだけに、日本人はこのくらいフツーに歩けたのだろう。
翻ってごくフツーの現代人がいきなり 230km 以上(箱根駅伝の往復よりまだ長い)の距離を歩き通そうなんて言ったら結構な無茶になるから、時代の隔たりを感じてしまう。昔と比べると、日本人の歩く力はかなり落ちているようだ。
この tweet を見た時は、「そうか、『遠足』の語源はここにあったのか!」なんて思ったが、実は語源はもっと古いようだ。Wikipedia に ”「遠足」の語は、遠方に行く・足を延ばすの意味で江戸末期には用いられていた” とあり(参照)、明治 19年に至って学校行事の名称に適用されたのだろう。
なお、手持ちの三省堂『携帯新漢和中辞典』で調べても「遠足」というのは出てこないから、おそらく漢語ではなく日本で作られた熟語なのだろう。
ちなみに今の世の中でクルマを使ったら、11日かければ本州の全都府県を経由して一周できるだろう。ただこの歳でそれをやろうとしたら、結構キツいかもしれないなあ。そもそも 11日間というまとまったスケジュールを取るのもほぼ不可能だろうし。
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