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2024年5月に作成された投稿

2024年5月31日

北朝鮮の「汚物風船」と「エンガチョ」のまじない

多くのメディアが、北朝鮮が韓国に向けて「紙くずや糞尿をぶら下げた風船」を飛ばしたと報じている。下の動画は TBS の "風船にごみや汚物 韓国・ソウルに飛来 北朝鮮が散布か 韓国軍「国民の安全を深刻に脅かす行為" というニュース動画だが、思わず「エ〜ンガチョ!」と口走りそうだよね。

これについて北朝鮮は、飛ばした汚物は韓国側が金正恩体制を批判するビラ風船を北朝鮮側へ飛ばしていることへの対抗で、「誠意の贈り物」なのだとマジで主張している。かくも低次元な所業で国家としての品位を自ら落としまくってみせるというのは、この国以外に知らない。

ちなみに汚いモノに触れた場合、例えば道で犬の糞なんかを踏んづけちゃったりした時なんかは、昔から「エンガチョ」と唱えれば穢れが落ちるという口伝がある。まことにもって手軽で便利なまじないである。

「エンガチョ」は口で唱えるだけでなく、お約束の仕草を伴うことが多い。例えば人差し指と中指を交差させるというのがある。こんなのだ。

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もっとダイナミックなバージョンは、最近では「エンガチョップ」とも言われているらしく、あの『千と千尋の神隠し』にも出てくる。

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というわけで私自身、幼い頃から「エンガチョ」には慣れ親しんできたわけだが、この言葉の意味とか語源とかいうことまでは考えたことがなかった。今さらのように調べてみると、Wikipedia の「エンガチョ」の項に次のような説明がある(参照)。

網野善彦によると、エンは穢や縁を表し、チョは擬音語のチョンが省略されたもので、意味としては「縁(穢)を(チョン)切る」を表すとしている。他に「因果の性(いんがのしょう)」の転訛とする説、「縁が千代切った」の略とする説などがある。

ふうむ、思いがけなく生じてしまった汚れとの縁をちょん切るということのようなのだね。人差し指と中指を交差させる仕草については、Wikipedia に次のような記述もある。

日本の民俗風習に於ける「穢れを防ぐ行為」は古来よりあるとされ、13世紀ごろの『平治物語絵詞』には信西の生首を見ている人々が人差し指と中指を交差させている図が確認できる。

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信西(「しんぜい」と読んでね)は保元の乱を画策し、平治の乱後に晒し首に処せられた人物である。その晒し首を見た人々は穢れを避けようと人差し指と中指を交差させていたというのだから、ずいぶん古くからある仕草なのだね。この時「エンガチョ」と言っていたかどうかまでは不明だが。

これっておそらく、通常とは別の指の並びという「ちょっとした非日常性」を導入することにより、日常的な身体感覚に紛れ込んだ「不浄のイメージ」を払拭するというような意味合いがあるのだろう。

最初に触れたニュースに戻るが、あの国って弾道ミサイルを発射する一方で、「ウンコ飛ばしちゃおう!」なんてアイデアが実際に採用されちゃったりするのだね。国家施策のコンセプトの幅は狭いが、落差はやたら大きい国である。

これの準備作業に当たらされた人が気の毒だ。

 

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2024年5月30日

自治会の回覧板電子化という問題 その2

昨日付の記事で書いたように、「自治会の回覧板電子化」という問題は思いのほか難しく、抵抗も大きいことがわかってきた。ウチの自治会としても「こりゃ、当分ムリだわ!」と、完全にあきらめムードになっている。

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何しろ自治体から出てくる「市からのお知らせ」からして「紙」の形でしか提供されず、「電子データでもらいたい」と希望したところ「それはできない」という回答だったらしい。市役所に行けば職員のデスクには一応「1人 1台」の体制で PC が置いてあるのだが、一体何に使ってるんだろう?

とにかく行政のデジタル化は民間よりさらに遅れており、「ペーパーレス」なんてのは掛け声ばかりで全然進んでいないらしい。課長レベルだと書類は紙の形でしか読めない人もいると聞いて、どっと疲れた。定年前の地方公務員なんだから、60歳にもなっていないのだろうに。

そんなわけで、回覧板を電子化するとしたら紙の形で配布された「お知らせ」を、自治会サイドで電子データ化する必要が生じる。ところが「コピー → PDF 化」という難しくもなんともない作業のできる人材がほとんどいない。「一体いつの時代に生きてるんだろう」と思うほどだ。

「回覧板を読むためのアプリは、どこでもらえばいいの?」なんて言い出す人までいる。実際問題としては、そんなの LINE (このアプリ、決して好きじゃないんだけど)のグループ機能を使うのが費用もかからず手っ取り早いのだが、それさえよくわからんという人が少なくない。

そんなわけで、世の中ではご大層な「自治会回覧板用のアプリ」が有料で提供されたりしている。中でも派手なプロモーションを展開しているのが「結ネット」というシステムだ。

ただこれは個別の自治会で採用するというより、市町村が一括採用して自治会に流してこそ生かされるといったもののようなのである。ということは、機能がムダに豊富すぎて、どうせフルには使いこなせないのが見え見えだ。私の感覚では「税金の無駄遣い」でしかない。

それに「市町村で一括」なんてことを期待していたら、この辺りはジイさんバアさんが多いから 10年待ってもムリだろう。

というわけで、相変わらず「紙の回覧板」を回すほかないようなのである。昭和はまだ終わっていない。

 

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2024年5月29日

自治会の回覧板電子化という問題 その1

久し振りに順番が廻ってきて、この春からまた地域自治会の役員として名を連ねることになった。任期は来年の春までの 1年間で、やることと言えば突発的な災害とか事件とかでもない限り、市からのお知らせの回覧板管理とか町内会費の徴収、土手の草刈り作業の外部への委託などである。

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以前は町内懇親会なんてイベントがあって、休日に大きな鍋で作ったご馳走などを振る舞いながら楽しむこともあったが、当時の中心メンバーだった人たちは既に 80歳を超えて体力が続かなくなり、さらにコロナ禍などもあったために完全に途絶えてしまった。その分だけ運営は楽になっているわけだが。

そんなわけで日常の運営をもっと効率的かつ楽にするために、回覧板の電子化をしてはどうかという案が出てきて、それが受け入れ可能かどうかを調査するために、このほどアンケート調査を行った。内容は、電子回覧板が必要かどうか、もし実施されたら閲覧することができるかといったことである。

現在その結果が集約されつつあるのだが、回覧板の電子化については賛成意見が 3割足らずで、否定的な意見が圧倒的のようだ。スマホで閲覧可能という回答は 7割程度あるにはあるのだが、やはり紙の形での回覧の方を望む声の方が強いようなのである。

本来ならば電子化した方が時間差なく受け取れるし、前々からの通知を遡って閲覧することも可能なので、忘れた頃の問い合わせなんてこともなくなるからずっと便利なはずなのだが、そうしたことは全く理解されていない。

今年 3月 31日付の記事で書いたように、何しろ現在の 80歳前後というのは「パソコンなんか押しつけられる前に会社を停年になって助かった」なんて思っている層だ。「電子回覧板を送られても、俺はガラケーだから見ることができない」という反応も少なくない。

バアさんはスマホを持っているが、それは孫たちとの LINE のやり取りを楽しむためのもので、町内会の回覧板の受信なんて「私はそんなのイヤですよ」と拒否されている。よほど面倒なものと思われているようなのだ。

子どもの層が同居していれば何てこともないのだろうが、40代の現役世代はほとんど家を出て独立している。一方でジイさんは「情報は新聞とテレビから入ってくるから、それで十分。インターネットはウィルスがコワい」なんて頑固に言い張っているのだから、どうしようもない。

最近つくづく思うのだが、本当に「登場人物が入れ替わる」ことがなければ日本は変わらない(参照)。

 

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2024年5月28日

酒飲んで顔が赤くなる人は、コロナにかかりにくい?

最近ほとんど酒を飲まなくて済むカラダ(というよりココロかな?)になってしまって(参照)、3日前に出席した高校の同窓会で飲んだのが、驚くべきことに今年初めての酒だった。すぐに酔っ払ってしまうかと心配したが、それほどでもなくフツーに飲んでいられたので安心した。

ところで、サガテレビが "酒で顔が赤くなる人は「コロナかかりにくい説」 佐賀大学研究結果を報告" というニュース(上の動画)を伝えている。

佐賀大学の研究チームが去年行ったコロナと飲酒についてのアンケート調査で約 800人からの回答を分析したところ、「2021年8月までの期間で、酒で顔が赤くなる人は感染リスクが約 5分の 1にとどまっていた」(太字注意: 上の動画の 55秒目あたりから注目 )というのである。

とはいえこのニュースを報道したサガテレビが行ったアンケート調査では、「赤くなる人」がコロナにかかった割合は 39%で、「赤くならない人」の場合は 45%だったという。「なんだ、それほどの差がないじゃん!」と言いたくなってしまう程度のものだ(太字部分は駄洒落)。

酒で顔が赤くなるのは東アジア人に多い特有なもので「アジアンフラッシュ体質」と呼ばれ、日本人の概ね 2人に 1人はこの体質らしく、珍しくもなんともない。ところがこの体質でもコロナに感染したことのある人の数は既にかなり多くなっていて、「5分の 1」という数字はまったく実感に添わない。

酒を飲んで顔が赤くなるというのは、私自身そうだし、私の家族・親族でも、妹の夫以外は全員当てはまる。ところがコロナにかかっていないのは私と妻だけで、後はウチの 3人の娘、妹とその家族 2人はみな感染済みだ。つまり「顔が赤くなっても感染率 75%」である。

念のため佐賀大学の発表したプレス・リリースに当たってみたが、少なくともこのリリースには「5分の 1」なんて文言は見当たらない(参照)。さらにサガテレビのニュース動画をみる限り、佐賀大学の松本明子准教授の口から直接語られているわけでもない。

「それって一体どこから出てきた数字なんだよ !?」と気になって仕方がなくなり、ググってみると、朝日新聞の記事に次の文言が見つかった(参照)。

2回目のワクチン接種が進んでいた 2021年 8月末までに新型コロナに感染した人は、アジアンフラッシュ体質でない人を 1とすると、アジアンフラッシュ体質の人は 0.21で、感染の確率は約 5分の1だった。

なるほど、2021年 8月末では確かに「感染の確率は約 5分の1だった」ということで、要するに、3年近く前の「初期の時点でのデータ」ってわけね。だったら、それ以後にこの差はどんどん縮まっているという事実にもしっかりと触れるべきだったと思うがなあ。

あるいはニュースとしてのインパクトを損なわないために、敢えて過去のデータを強調するにとどめておきたかったのか。いずれにしても、マスコミのこうした姿勢には要注意である。

実際問題としては、とりあえず「自分は飲酒で顔が赤くなるからほんの少しだけコロナにかかりにくいしかかったとしても軽症で済む傾向がないわけでもないようだ」程度にシンプルに思っていれば、少なくとも精神衛生には悪くないだろう。

逆に顔が赤くならない人も、「何だか言われてるみたいだけど、大した差はないみたいだから気にしないでおこう」と思っていても構わないぐらいのものだよね。

 

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2024年5月27日

相撲部屋という異次元の世界

昨日付の『和歌ログ』でも触れた(参照)が、昨夜は高校同窓生からの縁で大相撲八角部屋の五月場所打ち上げの宴会に紛れ込ませていただいた。こんなのは初めての経験で、いしかわじゅんファンの私としては、リアル版『薔薇の木に薔薇の花咲く』の世界を垣間見たような気がしてしまったよ。

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八角部屋は両国国技館から徒歩 10分ぐらい。さすが大相撲協会の理事長を務める八角理事長(元横綱 北勝海)が親方というだけのことはある。

小結まで行ったことのある部屋頭の北勝富士は今場所西前頭 11枚目の地位で 7勝 8敗の負け越しとなったが、山形県酒田市出身の北の若は西十両 5枚目の地位で 8勝 7敗の勝ち越し。再入幕への道を一歩進んだということで、同郷の人たちがずいぶん盛り上がっていた。

オランダせんべい」で知られる酒田米菓の佐藤社長もその一人。ちなみに「オランダせんべい」の商品名が「私たち(おらだ)のせんべい」という庄内弁から来ているというのは、知る人ぞ知る話 。写真は北の若と並んで自社商品の袋を手に持つ佐藤社長である。

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来賓の中にはかの鈴木宗男参院議員もいて、派手な緑のネクタイで目立っていた、この人、参議院のページで確認すると昭和 23年生まれの団塊の世代(参照)で、私より 4つしか上じゃないのだね。ずっと 10歳ぐらい上のジイさんだろうと思っていたよ。後ろは北勝海で、緑の羽織で一緒に目立っている。

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私としてはドサクサ紛れでこの人と一緒の写真に写ったりしてしまわないように極力避けていたのだが、うまくいっただろうか。もし同じフレームに一緒に写ったりしてたら、他人には見せられないね。

印象的だったのは、 昨日付の『和歌ログ』にも書いたのだが、関取になっていない幕下以下の力士がまるで大きな居酒屋の店員の如くにひっきりなしに立ち回り、客に酒肴の提供をしていたことだ。やたら大きな体が一杯の客の隙間を縫って立ち働く姿は、ちょっとした異次元の感覚だった。

既にこうした場に慣れているらしい贔屓筋は、彼らに「おい!! ハイボール」なんて、当ブログの昨日付を彷彿とさせる遠慮もへったくれもない口調で注文し、いろいろ持ってこさせる。相撲取りは十両以上にならないと人間扱いされないという噂の真相を垣間見たような気がした。

ちなみに北の若の身長はかなり高いが、ほかの力士はほとんど私より低い。「日刊スポーツ」によれば、幕内力士の平均は 184.8センチ、十両力士の平均は 182.8センチということになっている(参照)が、ちょっと信じられない。ただ、平均体重は私の 2倍ほどなので横幅がスゴい。

前の方では引退力士 2人の断髪式が始まる。もう少し湿っぽい感じで行われるのかと思ったが、常連らしい客達が淡々と列に並んで、順番にほんのちょっとずつ鋏を入れていく。そしてそれとはほとんど無関係であるかのように、宴はどんどん盛り上がり、進行していく。

下は昨日付の和歌ログにも使った写真だが、テーブルの上にはご馳走が並び、大きな体の相撲取りが忙しく立ち働き、奥の方に秘やかに断髪されていく引退力士の姿がチラリと見える。まさに「非日常」の光景だ。

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おもしろいのは、こうした「非日常」の中に腰砕けになってしまうほどの「日常性」がチラホラ混じり、それがほとんど違和感なしに渾然一体となっていることだ。とくに日常の極みなのが、廊下にあったこんな貼り紙である。力士も人の子だ。

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さらに宴は進み、力士がカラオケで歌を披露する。北の若の歌は「上手でも下手でもない」レベルだったが、若い力士 2人(ゴメン、名前覚えてない)は聞いてる方が悶えるほどの「音痴」だった。なんとなく抱いていた「お相撲さんは歌が結構上手」という既成概念は、木っ端微塵に打ち砕かれたのだった。

ただ、音程はデタラメだがリズムは外さないというところは、さすがに力士である。タイミングの勝負には強いのだね。

70歳を過ぎてからこうした「異次元の世界」を体験できたというのはなかなかよかった。とはいえ二度目に誘われることがあっても、「一度で十分」という気がしているので、その点はよろしく。

【同日 追記】

力士の公式身長は、髷を含めて計ってるので、実際より 2〜3センチ高くなってしまうことがあるのだそうだ(参照)。道理でね。さらに「サバ読み」疑惑もあるようだし。

薔薇の木に薔薇の花咲く』は「力士はなぜごんすと言うのか・・・」がサブタイトルみたいになっているが、リアル相撲部屋では「ごんす」を一度も聞くことができなかった。庄内弁では「がんす」がちゃんと生きている(参照)というのに、残念なことである。

 

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2024年5月26日

50年前の広告にみる「おい!! もう1本」という価値観

出雲で新本と古本を売っていらっしゃる句読点さんという方の tweet がちょっとバズっている(参照)。「昔の料理本を古本買取したら、中の広告がひどい」というもので、何がひどいのかと言えば、東芝電子レンジの広告だ。

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問題の広告を拡大して見ると、冒頭に夕食時の夫婦の会話がある。最初の言い草の「おい!! もう1本」というのは、写真で見ればお銚子つまんでるから、酒をもっと出せということなのだろう。

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"おい!! もう 1本・・・"  "ハイ できています"
"おい!! おつまみ・・・"  "ハイ おいしそうよ"
"おい!! みそ汁・・・・・"  "ハイ 熱いから気をつけて"

とにもかくにも、「おい!!」の 3連発に驚いてしまったよ。今の広告でこんなことしたら炎上確実だし、製品の販売ストップなんてことにもつながりかねない。

Tweet 主の句読点さんによれば、これは昭和 48年、1973年の広告なのだそうで(参照)、決して戦前の話じゃない。まあ、戦前に電子レンジはないしね。

1973年といえば、私は大学に入って 2年目だ。70年安保が終わって政治的にはようやく落ち着き始めていた頃で、「ウーマンリブ」と言われた女性解放運動が注目を浴びていた。

それでもこんな広告が堂々と展開されていたというのは、仕事から帰ってきた男がエラソーに食卓につき、「おい!!」呼ばわりで妻に酒肴のサービスをさせて当然という価値感がしっかり健在だったということだ。ウーマンリブって、気の毒なまでにキワモノ扱いされていたということもあるし。

この広告に登場している夫婦は 30歳前後に見える。ということは戦前から終戦直後ぐらいの生まれで、いわゆる「団塊の世代」よりほんの少し上ということになる。団塊の世代の男は、さすがに妻に「おい!!」なんて言わないよね(いや、言う男もいるかな?)。

この世代は今、少なくとも 80歳前後になっている。ビジネス社会からはほとんど卒業してしまっているが、どういうわけか政治の世界では一番大きな顔をしていて、代表的なのは麻生太郎(83歳)あたりか。

ということは、このあたりの因習的価値観のジイさん連中が、今の日本の政治を牛耳っているってことだ。岸田首相がやたら軽く見られるのは、まだ 66歳で党内の長老連中に頭が上がらない雰囲気だからというのもあるだろう。昔の小泉純一郎ぐらいに思いっきりやれば、何とかなるかもしれないのに。

なるほど、これでは日本が変わるはずないよね。やっぱり、「登場人物が入れ替わる」(参照)必要がある。

 

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2024年5月25日

永遠の『おどるポンポコリン』

先日の明け方、まだ眠りから覚めないうちにどういうわけか頭の中で『おどるポンポコリン』の無限のリピート再生が始まってしまい、当人としても夢の中で大ノリしていた。そして起きてからもそれはしばらく鳴り続け、朝飯を食い終わる頃になってようやく一段落したのだった。

鳴りひびいていたのは『ちびまる子ちゃん』のテレビ放送が始まった 1990年当時のものだから、当然ながら "バージョン 1" で、演奏はあの B.B.クィーンズ。いくら夢の中とて、ノってしまわないはずがない。

この『ちびまる子ちゃん』、長女が幼い頃に読んでいた少女漫画雑誌『りぼん』に載った連載第一回目をたまたま目にして、家族でファンになってしまった。というわけで、我が家は最も古くからの年季の入った『ちびまる子ちゃん』ファンである。

この連載第一回目は 1986年の話だから、テレビ放送が始まったのは 4年後ということになる。このエンディング・テーマは、作詞がさくらももこさんご本人で、歌詞の積極的なまでの無意味さと脈絡のなさは、ここまでくると天才的とさえ思えてしまう。

しかし時代は変わるもので、作者のさくらももこさんが亡くなってから 5年以上の月日が経ち、さらにアニメでまるちゃんの声を担当していた TARAKO さんまで急逝された。

今月 22日付の記事で、時代というのは「要するに『登場人物が入れ替わる』ことで変わるのである」と書いた(参照)。ただし音楽や漫画、アニメなど、「作品」として残っているものは、それに再び触れることで「失った時間を取り戻す」ことができる。

まことにもってありがたいことである。

 

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2024年5月24日

「舌先三寸」と「口先三寸」

山梨県でネットを中心に不動産業を展開しているフロンティア技研のブログに掲載された 2年以上も前の記事なのだが「舌先三寸? 口先三寸? 意味と誤用」というのがある。"「本心でない上辺だけの巧みな言葉」を何という?" という問題だ。

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言うまでもないが、正解はもちろん「舌先三寸」で、「口先三寸」は誤用。

ところで私の使っている日本語入力システムの ATOK で、この記事を書くために多分生まれて初めて「くちさきさんずん」と打ち込んだところ、いきなり下のような警告表示が出てきた。"「舌先三寸」の誤り" だから、shift + return で「舌先三寸」に修正しろというのである。

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なんともはや、実に親切な設定だが、今回は行きがかり上、誤りは重々承知の上で入力する必要があるのだからしょうがない。というわけでそのまま続行していると、何度も同じ表示が出てきてめげそうになった。3度目ぐらいで事情を察して、後は放っといてくれるという設定がないものかなあ。

言うまでもなく、「口先三寸」という慣用句はない。少なからぬ人たちが「口先だけのごまかし」みたいな言い回しに引きずられて、言い間違えているいるだけだ。

ただこの記事には「誤用で使っている人の方が多いというデータがあります」なんてことが書いてあり、次の文章を読むと「おやおや」と思ってしまう。

文化庁の平成 23年度『国語に関する世論調査』では、本来の言い方である『舌先三寸』と回答した人が 23.3% に対し、本来の言い方でない『口先三寸』と答えた人が 56.7% という逆転した結果が出ています。

「逆転した結果」と言っても、並みの逆転じゃない。誤用しちゃう人の方が 2倍以上多いというのだから、かなり嘆かわしいい話だ。

世の中って、一度ボタンの掛け違いが起きると、なかなか修正しにくいもののようなのだ。「あらたし」が「あたらしい」になってしまった(参照)のも道理である。

 

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2024年5月23日

下手すると "人工コーヒー" を飲む日が来そうなのだ

COURIER の 5月 21日付に 【「コーヒーが飲めなくなる日」に備えて "人工コーヒー" の開発が進んでいる】というニュースがある。"人工コーヒー" を飲まなければならないなんて聞くと、何となくいい気分ではない。

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そもそも「コーヒーが飲めなくなる日」というのはいつ頃なのかと言うと、同じ COURIER が 5年前の 2019年 2月 23日付で「知られざる "2050年問題"  30年後、人類はコーヒーを飲めなくなるかもしれません」と伝えている。

2050年といえば私は計算上 98歳になっているわけだが、ここまで健康で丈夫だと 100歳まで生きてしまわないとも限らず、「他人事」として片付けられるわけでもない。

さらに COURIER の記事を読んでみると、次のような聞き捨てならない話がある。

旺盛なコーヒー需要を背景に大規模な森林伐採が進み、コーヒー豆の価格上昇とほぼ無縁の農家は低賃金にあえぎ、生産とサプライチェーン(供給網)の移動の両面で相当な量の二酸化炭素(CO2)が排出される。調査によると、コーヒー栽培に適した土地の約半分が、気候変動の影響で2050年までに栽培に適さなくなるという。ブラジルはその割合が88%に達する。

1日に少なくとも 2〜3杯のコーヒーを飲む(自宅では自分で豆から挽いて淹れる)身としては、罪の意識に囚われてしまいそうな話だ。私は肉を食わないので(参照)、それとのトレード・オフ(これ、言葉としてはビミョーに誤用っぽいが)で、なんとか勘弁してもらえないものだろうか。

"人工コーヒー" とはどんなものなのかも気になる。記事中にはストレートのエスプレッソ試飲の感想として「本物のエスプレッソにそっくりなため、(一杯ずつ丁寧に入れるスタイルの)サードウェーブ・コーヒーショップのバリスタでもない限り、判別できるのかは疑わしい」とある。

ふぅむ、そういうことならブログの毎日更新を続けながら 100歳まで生きて、"人工コーヒー" を啜ることになっても、それほど嘆かずに済むのかも知れない。

とはいえ、インスタント・コーヒーとか缶コーヒーとかしか飲まない「非こだわり派」(参照)の人たちはいっそ日本茶か紅茶に乗り換えて、私のような「純コーヒー派」(参照)を救済してくれないかなあ。

 

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2024年5月22日

郵便料金値上げは「郵送そのもの」を減らすきっかけ

結構前から確実とみられていた郵便料金値上げが、ついに本決まりになった。NHK が「手紙の郵便料金 ことし 10月に 84円から 110円に値上げへ」と伝えている。

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最近は電子メールが増えたので紙の手紙やハガキのやりとりはめっきり減った。しかしまったくなくなったというわけではなく、自治体からの通知、公共料金の請求などは相変わらず郵便で届く。

うんざりするのは広告などのダイレクト・メールだ。前はいろいろな「品物」を売りつけようとするものが多かったが、最近は「80歳以上まで加入できて葬儀費用がまかなえる生命保険」なんていうのばっかりで、さらにうんざりだ。いずれにしても速攻リサイクル・ゴミにしてしまうのだが。

こちらから手紙やハガキを出すことはほとんどなくなったが、外部から受注した仕事の請求書の多くは郵送せざるを得ない。必要経費の領収書の添付が求められるからだ。これが画像や PDF で済むようになれば、紙の請求書なんていらなくなるのだが。

以前は年賀状を 150枚ぐらい出していたが、これは 2023年分から「年賀状じまい」した(参照)のでほとんどなくなった。ただ年賀状はハガキとして出すのを止めただけで、インターネット上で発表しているので、読もうと思えば前世紀まで遡っていつでも閲覧できる(参照)。

はっきり言って、紙の年賀状よりずっと便利なのでオススメだ。何しろハガキ代がかからない。とはいえこの年は世話になった少数の年配者には紙で年賀状を出していた。彼らはインターネットを扱えなかったのでしょうがない。

しかし今年分からはそれも取りやめた。先方のほとんどがボケてしまったか亡くなってしまったかしたからで、時代というのはこんな風にして変わるのだね。要するに「登場人物が入れ替わる」ことで変わるのである。

ということは、自分自身が変わるためには生まれ変わるぐらいの覚悟をしなければならないってことだ。なかなか大変だが、それが必要になることは人生において何度かある。

今後は領収書添付の請求書以外では、紙の郵便は全廃するぐらいのつもりで行こうと思っている。時に「手書きの文字もなかなかいいものだ」なんて思うこともあるが、そんな場合は紙に書いたものを写メしてしまえばいい。

 

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2024年5月21日

私としても Twitter と呼び続けるつもりなので

イーロン・マスク自身が「正直に答えてください。まだ Twitter と呼んでますか? それとも X と呼んでますか?」と問いかけているみたいな tweet があったので、つい「へぇ、彼なりに気にはしてるんだ!」なんて思ってしまったよ。

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ところがこれ、実はパロディ・アカウントのようなのだ。MrBeast さんというユーザーの別名らしい(参照)。

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で、問題はこの tweet へのリアクションなのだが、ちょっと覗いてみると "Twitter" と呼ぶというコメントが圧倒的なのである。まず初っぱなに登場したのが、BaseTrade さんという人だ。

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nobody is saying "I posted on X" lil bro】 というもので、Google 翻訳では「誰も "Xに投稿した" なんて言ってないよ」ということになっている。文末の "lil bro" が無視されてしまっているが、これは "little brother" の省略形で、敢えて言うなら「弟よ」ぐらいの感じかな。

続くコメントもズラリと「Twitter と呼んでるよ」というものばかりだ。ずっと使い続けているユーザーの多くは、"X" という名称にはかなり抵抗があるようなのである。

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Diego Souza さんは "I'll call Twitter forever" (永遠に Twitter と呼ぶ)と高らかに宣言しているし、Question Everything さんのコメントの「X って、ポルノ・サイトみたいな感じ」は、ちょっと言えてて笑ってしまった。

というわけで私としても Twitter と呼び続けるつもりなので、そのあたりなにぶんよろしく。

 

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2024年5月20日

そばの食い方って、いろいろ言われているが

今日はそばの食い方の話である。前にも何度か書いたが、そばというのは、やたらとウンチクを並べて窮屈な食い方をする人がいる一方で、見ている方が恥ずかしくなるほどみっともない食い方をする人も多い。要するに、せめて「フツーに」食ってもらいたいものなのである。

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「フツーに」そばを食うための第一条件というのは、上の写真のようにそば猪口を手に持って食うということだ(参照)。これは江戸の昔からの常識で(参照)、これさえ気を付ければそんなにみっともなくなることはない。

ともすると、ちゃんとしたそば屋のサイトの写真が下のようなことになっていることが多い。そばの食い方をあまり気にしていないカメラマンが、単に写真の構図だけを考えた結果だろう。

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これだと、そばを食うためには身をかがめて口を近づけるほかない。これってまともなそば屋でもよく見かけてしまうが、そばに限らず日本食全般で「みっともない食い方」の代表みたいなものだ。いわゆる「犬食い」である。

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あとは、そばを汁(つゆ)の中にドボっと落としてグルグルかき回しちゃったりしないことだ。箸で適量をつまみ上げたそばは箸から放さず、下の方を汁につけてそのまま啜るのが粋というもので、要はこれだけのことである。

「適量」というのは、一息で楽に啜り切れる程度の量ということだ。無闇にどっさりつまみすぎると、『吾輩は猫である』の迷亭君みたいに途中で苦しくなって涙が溢れたりするからね(参照)。さらにみっともないのは途中で力尽き、噛み切ってそば猪口の中にボトッと落としてしまったりすることだ。

よく「三分の一だけ汁につける」なんてことさらなことを言う人がいるが、そんなのは別に気にする必要なない。そばを箸から離しさえしなければ全体を浸すことの方が難しくて、三分の一だろうが半分だろうが、自然に自分の好きな加減で汁に浸すことができるのだから。

さらにいわゆる「通」を気取る人の中は、「最初はそばそのものの味を確認するために、1本だけつまんで汁を付けずに食う」とか「薬味は汁に入れずにそばに乗っけて食う」なんて人もいる。「これが自分のスタイル」と言うなら、さりげなくやってくれれば確かにそれなりにカッコいい。

ただ個人的にこだわる分にはいいが、エラソーに吹聴されたり人にまで押しつけたりされるとかなり鬱陶しい。鬱陶しいというのは、「野暮」の別の言い方である

私は個人的にはそばを啜る時はそばそのものの味を楽しみたいから、汁には薬味を入れず、食べ終えた後でそば湯を飲む段になってから入れる。ただ、人にまでこうしろとは言わない。

まとめると、そば猪口は手に持ち、適量すくい上げたそばは、箸からはなして猪口にドボッと落としたりしないというだけのことだ。要するにそば猪口を手に持ちさえすれば、半分以上は解決する問題である。

最後に付け加えると、そばを啜る音に関してはことさら大きな音を立てるのは、ラジオの落語の世界のお話に過ぎないと思うのだよね(参照)。

【同日 追記】

身をかがめて食器に口を近づける食い方は、日本では「犬食い」といってマナー違反になるが、北朝鮮では決してそういうわけでもないようで、「音を立てない」ことの方が重要みたいなのだね(参照)。

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2024年5月19日

ウシガエルとオオヨシキリの声が目立つようになった

気付いてみれば、5月もとっくに半ばを過ぎて、明日からは下旬である。年をとると時の経つのが早く感じるというが、まったくだ。

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裏の川原で、ウシガエルとオオヨシキリが鳴き始めている。例年だとウシガエルは 5月初めには鳴き始めていたような気がするのだが、今年はちょっと遅いようだ。初夏の暑さになったり初春の肌寒さになったりの繰り返しがひどかったので、鳴き始めるのを戸惑っていたのだろうか。

ウシガエルの鳴き声を知らない人もいるようなので、2017年 6月 17日の「ウシガエルの鳴く日」という記事を紹介しておこう。裏の土手で盛大になくウシガエルの声を聞くことができる。ウシガエルの声のバックにはオオヨシキリの鳴き声も聞こえている。

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そう言えばオオヨシキリの方は、例年よりちょっと早めに鳴き始めているような気がする。同じ生き物でも季節の感じ方に差があるのかもしれない。

このオオヨシキリは「キリキリキリ・・・」という地鳴きに交えて「ギョギョシ、ギョギョシ・・・」とけたたましく鳴くこともあるので、「行々子」という別名がある。この鳥は 1日に 1時間しか寝ないのだそうで、夜になっても鳴き続ける(参照)。

というわけで、今年も本格的な夏に向かっているようなのだ。またしても猛暑になるものと覚悟しておく方がいいのだろうね。

 

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2024年5月18日

暗証番号に凝るより、カードそのものの管理が大切

Get Navi web が " 「4桁の暗証番号」、世界でよく使われる組み合わせが判明! どの国の人も考えることは同じ?" というニュースを伝えている。過去に流出した 340万件の暗証番号を分析した結果、よく使われるものとそうでないものの傾向が見えてきたのだという。

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340万件という膨大なケースの分析というのだから、かなり信じていいんだろう。で、人気の高い暗証番号のベストテンを見ると、1 から始まるのが多い。中でもトップの「1234」なんて当人は忘れずに済むのだろうが、ハッカーではない私でも最初のトライで見破ってしまうだろう。

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対照的に「人気の低い暗証番号」というのは、大きな数字から始まるのが多くてやたら覚えにくい。大きな数字はテンキーを打ちにくいというわけでもなんでもないのに、なぜか避けられがちというのは、人間の無意識の習性ってものがあるのだね。

ただどんな込み入った暗証番号にしてもハッカーは「わずか 5回試すだけで、およそ 20%は暗証番号を解読できる可能性がある」というのだから、面倒っぽい暗証番号というのもそれほど意味がなさそうに思える。とくに私なんか数字に弱いから、語呂合わせしやすい番号しか選ばないし(参照)。

要するに暗証番号云々より、キャッシュカードやクレジットカードそのものをしっかり管理して、どこかに置き忘れたり盗まれたりしないようにするのが先決なのだろうね。

 

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2024年5月17日

8,540円分のキセルで 134万円支払った茨城県職員

本日はローカル・ニュース、しかも茨城県ネタで、茨城県職員のキセル乗車が発覚したというお話だ(参照)。それにしても、8,540円分のキセルで JR に 134万円支払わなければならなかったということについては、「へぇ〜!」と言いたくなってしまうよね。

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このキセルの手口というのは、こんなことだったようだ。

昨年11月28日、自宅最寄りのJR水戸駅から乗車し、県北部の高萩市へ出張するため高萩駅で降車。通勤定期券の区間外となる運賃420円を支払う必要があったが、事前に準備していた別の区間の切符(190円)を使用し、改札で記録が残らない無人駅から乗車したように装っていた。

これ、FNN ニュースの画面で見るとわかりやすいので、下に貼り付けておく。

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みればセコすぎると言いたくなるほどのもので、片道 230円を浮かせるために、本来の下車駅の 1つ先にある無人駅、南中郷駅まで行って最低料金 190円の切符を買い、そこから折り返してその切符で下車していたというのである。

190円の切符を買うためにさらに 190円払って南中郷駅まで行ったら 40円しか浮かないじゃないかと思ってしまうが、そこはそれ、南中郷駅では無人改札を素通りしてたんだろうね。

そもそもこの職員が高萩まで行ったのは「出張」ということのようだから、交通費は県に請求すれば全額支払ってもらえるもののはずだ。にも関わらす 1本早めの便に乗って折り返してまで、しっかりと 230円チョロまかしていたというわけだ。

さらに往復で 460円浮かせてたとしたら、帰路でも南中郷駅まで行って折り返さなければならない。あの辺り、そんなに本数の多い区間じゃないんだから、私に言わせたら完全に「時間の無駄」でしかないのだが、出張の度に同じことを繰り返していたようで、気の遠くなるほどマメな話である。

このチョーマメな職員は同じ手口を 10回繰り返した上に、グリーン料金を払わずにグリーン車に乗るなんてことまでしていたので、セコさの割に「かなり悪質」と見られ、JR東日本の規定通りの厳しい罰則料金を請求されたのだろう。そしてこの料金は、既に JR に支払い済みのようだ。

この職員がゴネもせずに 134万円支払ったというのは、さらに深い事情があるとしか思えない。ここまでマメな手口を使ってまでキセルを繰り返すというのはおそらく常習犯で、もっと言えば愉快犯的ですらある。発覚した 10回にとどまらず、もっとずっと前からやってたんだろう。

これまで 30年ぐらい繰り返してきたとすれば、大小さまざまのキセル金額を合計してこれに近いぐらいに達していてもおかしくない。というわけで「大きな利息付き後払い」になってしまったと思えば、諦めがつくのかもしれないね。

ただ、そのために失った馬鹿馬鹿しいほど無駄な時間までは戻らず、気の毒な限りだが。

 

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2024年5月16日

『猫じゃ猫じゃ』を巡る冒険

漱石の『吾輩は猫である』を完読したのは、小学校 6年生の時だった。昼休みに毎日図書室に通い、長編だけにかれこれ 1ヶ月ぐらいかかって読み終えた。最後の場面は猫が水瓶に落ちて死ぬのだが、その描写が猫なりにかなり哲学的なもので(参照)、私の死生観にかなりの影響を与えてくれたと思う。

ただ、今日は何も「死の哲学」を語ろうというわけじゃない。テーマは『猫じゃ猫じゃ』である。漱石の「猫」が最後に水瓶に落ちて死ぬのは猫のくせにビールを飲んで酔っ払ったからなのだが、その酔っ払った感覚の描写は以下のようなものだ。

次第にからだが暖かになる。眼のふちがぼうっとする。耳がほてる。歌が歌いたくなる。猫じゃ猫じゃが踊り度くなる。主人も迷亭も独仙も糞を食らえと云う気になる。

私はこの『猫じゃ猫じゃ』というのが妙に気になってしまったのである。この時から 6年足らずしてワセダの第一文学部演劇学科なんてところに入り、歌舞伎をテーマにした卒論と修士論文を書くことになるだけに、12歳の子どもらしくもないものに興味津々になっちゃったのだね。

大人に聞いても「子どもがそんなもの知らなくていい」と言われるのが関の山だから、自分でいろいろ調べたところ、江戸時代末期からの俗曲とわかった。寄席の「出囃子」にも使われるというのだが、ラジオの寄席番組を聴いても、どれがそうなのかさっぱりわからない。

今なら下の動画などで、いつでも簡単に確認できるのに。(落語ファンなら聞き覚えあるでしょ)

それだけでなく、漱石の「猫」が酔っ払って踊りたくなったという踊りだって手軽に見ることができる。今の子たちは本当に幸せなものである。

これは市丸のオーケストラ付きバージョンで踊られているのだが、上の土谷利行のバージョンと比べると、良くも悪しくもずいぶん洗練されてしまっている。歌詞まで変わって、「杖付いて」という部分がカットされているし。

洗練といえば、石川さゆりのバージョンまで来るとちょっとスゴい。ここまでくれば、もはや俗曲とも言えなくなってしまう。

最後に、『猫じゃ猫じゃ』というタイトルの元になった 1番の歌詞に触れておく。

猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが
猫が、猫が下駄はいて絞りの浴衣で来るものか
オッチョコチョイノチョイ

これ、旦那の囲っている妾に他の男ができてしまい、ちょうど旦那が来たときにその間男を隠した場面というココロである。

妾は「今の物音は、猫が逃げてったのよ」と言い訳するが、目の前に男の下駄と浴衣が残っているのでバレバレだ。最後の「オッチョコチョイノチョイ」が何度か繰り返されるので、これ、別名「オッチョコチョイ節」とも呼ばれる。


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2024年5月15日

ローマ字表記は「ヘボン式」が基本になるだろう

NHK が「ローマ字表記 70年ぶり改定も視野に 文化庁の審議会に検討諮問」というニュースを伝えている。内閣告示では今でも「訓令式」(「ち」を "ti" と表記する方)が基本となっているというのだが、実情としては「ヘボン式」("chi" と表記する方)が主流だからね。

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実際、「し」と「ち」を訓令式で "si"、"ti" なんて表記したら、「スィ」「ティ」と読んでしまう。私の「庄内」だって "Shonai" と表記すればこそ曲がりなりにも「しょーない」と読んでもらえるのであって、"Syonai" だったら「すょーない」なんて、日本語にない音になってしまう。

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駅名表示にしても完全にヘボン式が主流で、例えば「新宿」は "Shinjuku"、「神保町」は "Jimbocho" だ。"Sinzyuku"とか ”Zinbotyo”  とか表記されたら、私だって戸惑ってしまい、にわかにはまともに読めない。

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おそらく今後はヘボン式が基本になるのだろうが、ニュースの最後の部分を読んで少々驚いた。こんな風に書かれているのである。

2023 の文化庁の世論調査では「訓令式」と「ヘボン式」のどちらが学びやすいか尋ねたところ音によって意見が分かれていて、文化庁は今年度、詳細な調査を行うことにしています。

おいおい、問題は「どちらが学びやすいか」ではなく、「どちらが自然に読みやすいか」だろうよ。「何を今さら妙な調査を」と言いたくなってしまう。

ちなみに「ヘボン式」というのは米国長老派教会の医療伝道宣教師、医師のジェームス・カーティス・ヘボンによって作られたものだ。前にも書いたことがある(参照)が、「ヘボン」のスペルは "Hepburn"であり、オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)と同じ苗字である。

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オードリーの場合は、"Hepburn" をローマ字まがいの読み方されちゃったわけだね。「ヘップバーンとは 私のことかと オードリー言い」なんて字余り狂句ができてしまう。

 

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2024年5月14日

私の場合、数字の語呂合わせは体にしみついた反応

私は 2006年 2月 4日付の "「語呂合わせ」 にも美学が要るのだ" という記事で書いているように、数字にからっきし弱く、4桁以上の数字は、語呂合わせしないと覚えられないという体質である。本当に数字そのままの状態では頭の中に定着しないのだ。

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ちなみに、私は一泊以上の出張の際には全国にチェーンが存在する「スーパーホテル」を利用することが多いのだが、今月 11日に大阪での宿泊では新大阪のスーパーホテルに泊まった。『秀吉ゆかりの天下取りの湯』なんていう、かなり大げさなサブタイトル付きの物件である。

このスーパーホテル、いつの頃からか部屋に入る時のキーやカードみたいなものがなくなってしまっている。フロントで部屋番号と暗証番号入りのレシートを渡され、部屋のドアノブのところについたテンキーで暗証番号を入力するのだ。

この暗証番号は 6桁で設定されているのだが、何しろ私は 4桁以上の数字は覚えられないので、エレベーターに乗っている間に語呂合わせに変換する。今回の新大阪の場合の暗証番号は、もうチェックアウトした話なのでバラしてしまうが「728858」というものだった。

これ、一瞬の間に「浪速屋権八」という語呂合わせ文字で頭の中に焼き付けられた。場所が大阪なので「浪速屋」というのは自然だし、最後の 2桁「権八(ごんぱち)」はご存知、歌舞伎の『鈴ヶ森』である(下の浮世絵で、左が播随院長兵衛、右が白井権八)。

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播随院長兵衛が駕籠の中から 「お若えの、お待ちなせぇやし」と声をかけると、白井権八が 「待てとお止(とど)めなされしは、拙者が事でござるよな」と応える場面は歌舞伎ファンでなくてもご存知だろう。それでこの場面の芝居は『御存鈴ヶ森』(ごぞんじすずがもり)のタイトルになったりする。

「鈴ヶ森」は江戸の刑場で、浪速とはかけ離れているが、まあ、何となく歌舞伎っぽいイメージということですんなり覚えられ、あとはメモなしでスイスイ出入りできたというわけだ。

私がこうした数字を語呂合わせで覚えるなんていうと、「語呂合わせを考える方がずっと大変でしょう」なんて言う人もいるが、とんでもない。私の場合は数字を見れば一瞬で語呂合わせの文句が出てくるのである。これはほぼ自動的な反応だ。

そんなわけで「語呂合わせ」はもう、私の体に完全に染みついてしまっているようなのである。「習い性となる」とは、まさにこのことだね。もっとも、誰に習ったわけでもないけど。

 

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2024年5月13日

「バニラ」をこれまで同様に思い浮かべられなくなる

togetter に ”友人の結婚式に出た。料理の1品目が「ウナギのバニラムース添え」だったので博識故にキモくなってしまった→「フロイトが悪いよフロイトが” というエントリーがある(参照)ので、「何のこっちゃ?」とクリックしてみたら、堀元さんという方の tweet(参照)が発端のようだった。

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友人の結婚式で出てきた料理のしょっぱなが「ウナギのバニラムース添え」だったというのである。で、この堀元さんという人は博学がウリのようなので、「おっ!フロイト的にはウナギは男性器の象徴だし、バニラの語源はヴァギナなので、これは男女交合のメタファーだね!」と語ったのだそうだ。

この語源説、私もだいぶ昔に聞いたことがあるのだが、「ずいぶん悪趣味な洒落だね」程度に思い、本気にしていなかった。しかしもしかして、これってマジネタだったのかとググってみたところ、なんと本当に「バニラの語源はヴァギナ」というページがどっさりヒットしたのである(参照)。

「へえ! 本当の話だったのか!」と驚いてしまったのだが、それでもまだ信じ切れない。下手に信じてしまうと、後々になって「あれは国民的誤解だったのさ」なんてどんでん返しになり、恥をかかきかねないなんて思ったので、念のため英語でもググってみた。

すると、The Saturday Evening Post(サタデー・イブニング・ポスト)」の記事でおもしろいのが見つかった。内容は多くの日本語のページとほぼ同様のことを丁寧に説明してあるのだが、見出しがなかなかおもしろい。

"In a Word: You’ll Never Think of Vanilla the Same Way Again" (要するに、バニラを前と同じように思い浮かべることができなくなる話だよ)というのだ。

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いやはや、ここまでくると、この語源説はマジネタもマジネタ、本当のことのようなのである。確かに「バニラ・アイスクリーム食べたい」なんて、気軽に言えなくなっちゃう。

ただ、英語の発音はまるで違うけどなあ。「バニラ」は日本人の耳には「ヴィネーラ」みたいに聞こえるし、もう片方は「ヴァジャイナ」だしね(どちらも太字部分にアクセント)。

 

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2024年5月12日

ANN、「目途」を「メド」と表記するビミョーな恥

NTT が決算発表記者会見で、社名変更の可能性を示唆したのだそうだ。正式名称は「日本電信電話株式会社」だが、既に「電信」のサービスは終了しているので、社名が実情にそぐわなくなっているためらしい。

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で、今日の記事で問題にしたいのは、この社名変更そのものについてではない。私のことだから、言葉についてのちょっとした問題である。

ANN のニュース見出しは "NTT 社名変更を検討「来年メド」" と表記されているが、動画を見る限り NTT の島田明社長のコメント時の字幕は「来年ぐらいを目途にしっかりと考えていきたい」となっている。字幕では「目途」だが、見出しではなぜかカタカナの「メド」に変わっている。

しかも島田社長は、「メド」なんて言っていない。上の動画をクリックすると、ちょうどその直前辺りからの音声を聞くことができ、「目途」をはっきり「もくと」と言っているのが確認できる。

もしかして ANN のニュース・スタッフ、「島田社長ったらしょーがねえなあ、 『目途』の読み方も知らねえで『もくと』なんて言ってやんの!」みたいに考えてしまい、見出しではわざわざこれ見よがしに「メド」なんてカタカナ使いにして添削してやったぐらいのつもりなんだろうか。

もしそうだとしたら、しょーがねえのは ANN の方である。

「目途」は「めど」とも「もくと」とも読むのだ。下は Goo 辞書での検索結果で、それぞれの画像をクリックすると元の辞書ページに飛ぶ。日本人の多くは「めど」と読みたがるが、それだと重箱読みなので、こだわる人ほど「もくと」と読む傾向があるように思う。

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これって ANN がビミョーに恥かいてると思うのだよね。余計なことを考えずに、記事見出しを「来年メド」なんかじゃなく「来年を目途に」ぐらいにしておけば、当たり障りなく済んだのに。

 

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2024年5月11日

徳山から姫路に移動して

山口県徳山での仕事を終えて、新幹線で姫路まで戻ってきている。明日はここでもう一つの仕事だ。途中、広島を通り過ぎたときに広島球場で野球の試合が行われているらしい光景が見えた。カープファンの赤い帽子が目立つ。

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ネットで調べてみると、この時間帯は広島対中日の試合が終了に近付いていたか終了直後だったらしいことがわかった。結果は 4 - 0 で中日が勝ってしまったらしい。ありゃりゃ、カープファンは荒れるだろうなあ。今日の宿泊地が広島でなくてよかった。

やっと着いた姫路では、駅から大通りの真っ正面に姫路城が見える。なかなか壮観だ。

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姫路城に関しては思い出してみれば、2015年 10月 10日に、鳥取からの帰路、姫路で列車を乗り換えるのを機に、天守閣まで登ったのだった(参照)。よって、今回はパス。

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昨日の朝からかなりバタバタして西日本まで来たので、結構疲れてるし、明日もまたいろいろこなさなければならないので、今日は早めに風呂に入って休ませてもらうことにする。

おやすみなさい。

 

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2024年5月10日

紙の消費量がこの 17年で半減というのだが

NHK ニュースによれば、国内の紙の消費量がピーク時の 2007年度と比較しておよそ半分に減っているんだそうだ(参照)。そう言えば、昔はせっかく PC で文書を作成しても取りあえずプリントしてそれを FAX で送ったりしてたから、メチャクチャ紙を使っていたんだよなあ。

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2007年と言えば今から 17年前で、私はその 3年前にそれまでの宮仕えを辞めて独立し、自分で事業を始めていたんだった。とりあえずいろいろな企業のウェブサイトを構築したり、IT 化のコンサルなんかをしていたのだが、当時の中小企業と言ったら「IT 化なんてどこの話?」みたいな感じだった。

まあ、独立したての零細企業だから、クライアントは圧倒的に中小企業が多かったのだが、とにかくまともな話が通じない。社内に PC を扱える社員が 2〜3人しかおらず、経理担当のオバチャンが電卓で仕事してるなんて企業もザラだったのだから、今世紀の話とも思われない。

そんな時代だから、とにかくデジタル・ファイルをそのまま取り扱うなんて発想がなくて、とにかく紙に印刷した資料を FAX でどっさり送って来る。そしてこちらからメールの添付ファイルとして送った資料にしても、「誰も開けないので、FAX してください」なんて言ってくるのである。

そりゃ、紙を使うわな。

そう言えば、私が中学校時代だから半世紀近く前のことだが、社会の教師でやたら自作のレジュメを配りがたるのがいた。教科書を開けば書いてあるようなことを、わざわざ自分で(当時のことだから)ガリ版印刷して配るのである。彼は「文明とは紙をたくさん使うことだ」なんて言っていたのを覚えている。

彼の頭の中にあった理想的な文明って、今から見れば完全に「旧文明」だったのだね。そして、その旧文明にブレーキがかかったのは、わずか 17年前のことだったのだ。いやはや。

というわけで、私の仕事も中小企業の IT には付き合いきれなくなって、どんどん「ライター」としての業務の比率が上がってしまったのである。ただ、最近は文章にする資料を FAX でどっさり送ってくるなんてことはなくなったから、精神衛生にはいいよね。

 

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2024年5月 9日

Apple のプロモーション動画は、ヒド過ぎだね

HUFFPOST の "プレス機で破壊される楽器や機材。「酷すぎる」Apple 新型 iPad Pro のプロモーション映像に批判の声" という記事を読んで驚いてしまった。Tim Cook のtweet参照)を下に貼り付けておくが、動画を再生するにはちょっとだけ覚悟しておく方がいい。

上に貼り付けた tweet では翻訳が表示されないので、一応 Google による自動翻訳を下にコピーしておく。

新しい iPad Pro をご紹介します。これまでで最も薄い製品、これまでで最も先進的なディスプレイ、そして M4 チップの驚異的なパワーを備えています。このチップを使ってどんなものが作られるか想像してみてください。

この動画では 5月 7日の発表会で公開されたものらしい。新型 iPad Pro の圧倒的な薄さを、大型プレス機でいろいろなものを押しつぶして見せることによって強調したかったのだろう。

押しつぶされるものが楽器、音響機器、絵の具など、多様なクリエイティブ表現のツールというのも、メッセージの一部のようだ。ただ「新型 iPad Pro が 1枚ありさえすれば、コンベンショナルな道具など必要ない」という比喩的表現なのだとしたら、それは完全に Apple の「思い上がり」でしかない。

HUFFPOST の記事は次のように結ばれている。

実際に楽器を破壊したのかなどは分かっていない。しかし、撮影方法や動画撮影の方法に関わらず、「リスペクトを欠いている」「例え CG だとしても気分が悪い」と各国のクリエイターやアーティストからは批判が集まっている。

例え CG だとしても気分が悪い」という指摘は至極まっとうなものだ(ただし、下の【補足】参照)。とくにクリエイティブな分野に関わっている人、あるいは関わった経験のある人にとっては「見るに堪えない」ほどである。

Apple の顧客はクリエイション分野の人が多いのだから、こうしたプロモーション動画は逆効果としか思われない。

 iMac と MacBook の 2台の PC だけでなく、iPhone、ipad、Apple Watch まで愛用している私としても、かなり気分が悪くなってしまった。そろそろ新しい iPad に買い換えようかなんて思っていたのだが、その気がすっかり失せてしまったよ。

この動画が一度だけの単発使用で終わるもので、継続的な CM などには用いられないことを切に願う。

【補足】

例え CG だとしても気分が悪い」という表現の場合の「たとえ」は、後に逆説的表現を伴う「たとひ」という古語から生じた副詞なので、「例」の文字を使うべきではない。

HUFFPOST のライターさんには、もうちょっと日本語を勉強してもらいたいなあ。4月 26日付で触れた件もあることだし。

【5月 10日 追記】

Apple がこの動画について謝罪し、「テレビ CM として流す予定はない」とコメントしているという(参照)。少しホッとした。

 

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2024年5月 8日

「日本人は外国人嫌い」ということについて

ちょっとだけ旧聞気味で今さら感があるかもしれないが、今月 1日に米国バイデン大統領が「日本は外国人嫌い」と発言したこと(参照)に関するゴタゴタに触れておきたい。

バイデン発言は、次のようなものだった(上の動画でご丁寧にも文字で示されている)。

”Why is China stalling so badly economically, why is Japan having trouble, why is Russia, Why is India, Because They're xenophobic. They don't want immigrants. Immigrants are what makes us storong"

【翻訳】「中国はどうして経済的にひどく失速しているのか、日本はどうして問題を抱えているのか、ロシアやインドにおいてはどうしてなのか、それは彼らが外国人嫌いだからだ。彼らは移民を欲していない。移民は我々を強大にしたのだ」

中国、日本、ロシア、インドの失速は「外国人嫌い」(xenophobic:「外国人恐怖症」とも訳される)だからで、米国が成功しているのは移民を積極的に受け入れてきたからだとしている。

このバイデン発言は日本を含む 4カ国を対象にしているわけだが、さすがに中国は即座にしっかりと反論している。

米国の経済誌 BARRON'S は "China Accuses US Of Hypocrisy Over Biden 'Xenophobic' Claims"(中国がバイデンの「外国人嫌い」発言を偽善として非難)と伝えている。抗議内容は「バイデンは中国ではなく自国のことについて言ってるんだろう」という結構挑戦的なもので、いかにも中国らしい。

そしてアルジャジーラは "India, Japan dismiss Biden’s ‘xenophobic’ comment"(インドと日本がバイデンの「外国人嫌い」発言を否定)と伝えており、要するに「米国が言っているようなことはないよ」と言っているってわけだ。

各国の反応は比較するとちょっと面白い。中国はいかにも「お約束通り」みたいな聞かなくてもわかる反論で、日本とインドはやんわりとした「否定」ということになっている。

そしてロシアの反応については、検索しても見つからなかった。ロシアとしてみれば、そんなことを強いて取り上げるとかえって面倒なことになるから無視ということなのだろう。

ちなみに日本の「外国人嫌い」ということについては、いかに政府が否定しても国際的にはかなり定評のあるところで、"xenophobia in japan -biden" (「日本における外国人嫌い」: 今回のバイデン発言関連を除外するために "-biden" としている)というキーワードでググると、どっさりヒットする(参照)。

 

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2024年5月 7日

鯉のぼりの「布製」と「ナイロン製」という表記って?

2日遅れの話題となってしまったが、HUFFPOST がウェザーニュースの "「鯉のぼり」の泳ぐ風速ってどれくらい? 5月5日はこどもの日" という記事を紹介している。「ゴールデンウィーク終盤の 5月 5日はこどもの日。鯉のぼりが元気に泳ぐ風速について解説します」というサブタイトル付きだ。

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ウエザーニュースならではのおもしろい視点の記事だが、中身を読んでちょっと残念な気持ちになった。というのは、下の図のように鯉のぼりの分類の仕方が「布製」「ナイロン製」「子供用」という 3種類なのである。

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これ、分類としてはメチャクチャだ。というのは、「布製でない鯉のぼり」なんて「紙で作ったおもちゃ」ぐらいのものだからだ。

この場合、「布製」は「大分類」、「ナイロン製」は「中分類」だから、「含む・含まれる」の関係である。綿だろうがウールだろうが、ポリエステルだろうがナイロンだろうが、糸を織れば「布」 で、「ナイロン」はその素材だから、同列に並べることはできない。

さらに「子供用」と言ってしまうと、それは素材についてはまったく問わず、単に「小さなヤツ」ってなことなのだろう。これではまったく分類になっておらず、単に「雰囲気のモノ」でしかない。

想像するに、この生地の「布製」というのは多分伝統的な「綿織物」を指しているつもりなのだと思われる。一方、「ナイロン製」は「合成繊維織物」(おそらくポリエステルもごっちゃになってる)を使ったものというココロなのだろう。

そうでなければ、「ナイロン製」というのはナイロンの樹脂を糸にせず、そのまま延ばしてビニール袋みたいな筒状に整形したものということになってしまう。そんな鯉のぼりは存在しないが、あったとしたら破れやすいだろうなあ。

雛人形、五月人形、鯉のぼりなどを扱う prefer というサイトの「鯉のぼりが表しているものは? どんな素材でできているの?」というページの説明によれば、最近の鯉のぼりの素材は「ポリエステル生地とナイロン生地が主流」とある。綿生地は一般的ではなくなっているようだ。

綿はナイロンやポリエステルより比重が重いから、綿製の鯉のぼりを泳がせるには結構な風が吹かなければならない。最近の鯉のぼりがちょっとした風でも元気に泳いでいるのは、軽いからなのだね。

ちなみに、屋外が舞台となる鯉のぼりというのは直射日光による退色が進みやすく、案外寿命が短いようだ。徳永鯉のぼりというメーカーのサイトでは、ポリエステル製はナイロン製よりやや退色しにくいものの「5~8年程度で色褪せがはじまる場合があります」とされている(参照)。

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なるほど、5月の連休になると一時は小貝川を横断してズラリと吊されていた鯉のぼりが最近はかなり淋しくなってきたのは、どんどん寿命が来ちゃってるからなのだろうね。雛人形だと江戸時代に作られた値打物の骨董品が博物館などに展示されたりしているが、それとはエラい違いだ。

こうした視点からも、男の子とは哀しいものである。

 

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2024年5月 6日

自転車のヘルメット着用と右側通行の問題について

読売新聞が "自転車ヘルメット浸透せず、都内着用9%…「面倒」「置き場所ない」「髪形崩れる」" という記事を伝えている。着用しない言い訳 3つが見出しになっているのが、ちょっとお笑いだ。

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この記事は東京版の記事らしく、連動しているらしい大阪版では ”大阪 5.8% 東京 9.1%、自転車ヘルメット浸透せず…努力義務化から1年” と、東京を哀しく意識した見出しになっている。

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どちらも「自転車ヘルメット浸透せず」というトーンは共通した事実で、これほどまでに惨憺たる状態なのは「努力義務」なんていうチョー曖昧な制度だからなのだろう。自転車に関して日本人の多くは、「努力なんて嫌い!」と明確に態度表明するのを厭わない。

私はこれまで何度も書いているが、とにかく自転車に乗る場合の日本人の「遵法意識の低さ」に関しては、正直言ってどうしようもないと思っている。私が「ヘルメットをかぶらない」ということ以上に問題だと思っているのは、自転車の右側通行だ。

現実に多くの自転車が道路の右側を走っており、多分きちんと左側通行しているよりもずっと多いと思う。これが危険なのは、2017年 5月17日付同年同月 19日付でも書いている通りだから、ここでは改めて書かない。

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エスカレーターに乗る時は法律でも何でもないのに左側に(大阪では右側だが)一列に並ぶ日本人が、自転車だと急にデタラメになって道交法を守らないというのは、説明しにくい不思議な事実である。深く分析すれば、とてもおもしろい日本人論になるだろう。

ただ、自転車のヘルメット着用率に関しては、愛媛県が 59.9%、大分県が 46.3%、群馬県が 43.8%と、比較的高い数字(と言っても褒められるほどのものでもないが)を示しているので、自治体の取り組み次第というところもありそうだ。

要するに多くの都道府県が「掛け声」ばかりで、実際には有効な措置を全然取っていないだけである。自転車に乗る人だけじゃなく、警察やお役所も「努力は嫌い」みたいなのだ。念のため書いておくが、私はちゃんと着用してるからね。

「面倒」とか「髪型崩れる」とか言ってヘルメットを着用しないでいて、最悪の場合は命を失うことになるのは当人なんだから知ったこっちゃないが、右側通行は他人の命まで危険にさらすのだから、本当に止めてもらいたいんだがなあ。

【5月 10日 追記】

世の中にはこういう馬鹿もいる。

3年前に埼玉県で逮捕された時の映像だとスポーツ車だったのが、罰金払うために売っ払ったのか、今度はママチャリでやっちゃってる。ほとんどビョーキだね。

こういうことしたいんだったら、ちゃっとヘルメット被れよな。

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2024年5月 5日

日本の報道の自由度が世界 70位という妥当な評価

国境なき記者団(仏語: Reporters Sans Frontières 略称 RSF、英語:Reporters Without Borders 略称 RWB」が 3日に発表した 2024年の「報道の自由度ランキング」(調査対象 180カ国)で、日本は前年の 68位から順位を 2つ下げ、G7(主要7か国)で最下位の 70位と伝えられた(参照)。

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この件について、日本の大手メディアはどれも粛々と「客観報道」していて、とくに踏み込んだところまでは伝えていない。これは当然と言えば当然で、少しでも踏み込んでしまったらかなり真摯に自己批判しなければならないからね。

欧州在住のフリージャーナリスト木村正人氏は、大手メディアと比較すれば多少は具体的な点まで書こうとしているのを感じさせる(参照)。冒頭はこんな感じだ。【括弧内の(同〜位)というのは、昨年の順位】

G7 ではドイツ 10位(同21位)、カナダ 14位(同15位)、フランス 21位(同24位)、英国 23位(同26位)、イタリア 46位(同41位)、米国 55位(同45位)だった。

欧州連合(EU)内部からロシアのウラジーミル・プーチン大統領を援護するオルバン・ビクトル首相が強権主義を強めるハンガリーでさえ 67位(同 72位)。アフリカのコンゴ共和国は日本よりランクが 1つの上の 69位である。

日本の報道の自由度は例年 70位内外で(2019年 67位、20年 66位、21年 71位、22年 68位)、「自由とは決して言えない」レベルを保っている(参照)。つまり自慢にならない安定レベルだ。

RSF のフィオナ・オブライエン英国支部長は、日本の報道自由度の低さは「ジャーナリストが特定のテーマについて報道するのが難しい」ことに由来するとして、次のように語る。

ジャーナリストがよりデリケートなテーマについて報道する自由に伝統の重みや経済的利益、政治的圧力が影響を与え、政府の責任を十分に問うことを妨げている。

この慎重な言い方を思いっきりかみ砕くと、日本では「このように報道しろ」という露骨に強権的なまでの報道介入は一般的ではないものの、「この件には触れないでくれ」という無言の圧力は確実にあるということだ。つまり、かなり重要な情報でもニュースにならないことが少なくないのである。

こうした雰囲気の温床となっている「悪名高い記者クラブ制度」について、「記者会見や政府高官との接触を既存の報道機関にのみ認めており、記者を自己検閲に追い込み、フリーランスや外国人記者に対する露骨な差別となっている」との指摘を、木村氏は率直に書いている。

これなどは、大手メディアの最も書きにくいところだろう。何しろ、突出したことを書いてしまうと記者クラブから外され、公式記者会見にも参加できなくなるのだから、自動的に「自己検閲」が働くシステムになってしまっているのだ。

この記事ではジャニー喜多川の性的虐待に関して英国 BBC 放送が TV ドキュメンタリーで報じるまで、「週刊文春や告発本を除き、日本の主要メディアはダンマリを決め込んだ」と指摘されている。日本のメディアが「触れてもらいたくない」という圧力に極めて弱いという典型的実例である。

これに類したことは芸能界に限らず、政治経済の世界にだっていくらでもある。この国では関係者なら誰でもフツーに知っているスキャンダルでも、外部にはほとんど伝わらない仕組みになっているのだ。このほどようやく明るみに出た自民党の「裏金問題」などは、そのほんの一例だろう。

こうしたことを思えば「報道の自由度 70位」というのは、かなり妥当で仕方のないところである。

最後に、このニュースに関する日本のどの記事も触れていないことについて書いておく。それはこの記者会見の写真で見る限り、発表者側の席にいるのが「全員女性」ということだ。あるいはフレーム外の端っこに男性がいるのかもしれないが、「メインは女性」であることに変わりはない。

これって、オッサンが冴えない雁首揃えてお約束の決まり文句だけ並べる日本の記者会見とは、天と地ほどの違いだよね。そういえば日本のジェンダー・ギャップのランキングは、報道の自由度よりさらにずっと低いんだった。

【2023年版】世界のジェンダー・ギャップ指数ランキング | 日本は過去最低となる世界 125位に後退

 

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2024年5月 4日

花札の謎が解けた

日本独特のカードゲーム、花札だが、私は60年以上も不思議に思ってきたことがある。それは 1月の「松」、8月の「芒(すすき)」、12月の「桐」の札の絵が、どうしても「松」にも「芒」にも「桐」にも見えないということである。

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他の札は、2月の「梅」でも 3月の「桜」でも 4月「藤」でも 5月の「菖蒲(あやめ)」でも、素直にそのように見える。しかし、「松」と「芒」と「桐」だけは、そうじゃないと思っていたのだ(参照)。

しかし、このほど調べてみて謎が解けた。解けてみれば「なぁるほど!」というようなことだ。

まず 1月の「松」である。誰が見ても「どうして、こんなサボテンみたいなのが松なんだ?」となるが、実はこれ「正月飾り」などにする「若松」の図案化のようなのだ(参照)。なるほど、門松だと下の左のようになり、玄関口などにぶら下げる若松だと、右のようになる。

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花札の「松」は 1月の札だから、この「若松」を象徴化したデザインになったのだね。まあ、どうしても一見サボテンのように見えてしまうが、ここは一応納得しておこう。

次に 8月の「芒」だが、ただ黒くて丸い禿げ山みたいなのがあるだけなので、通称「ボーズ」なんて言われる。私も単なる禿げ山だと思っていたが、よく見ると黒い中にススキのような線があるではないか。うむ、確かにススキである。これまでこんなところまでしっかり見たことがないので気付かなかった。

最後は 12月の「桐」である。「桐箪笥」なんてものがあるぐらいだから、私は「桐」というのは木なのだとばかり思っていたが、実は草本なんだそうだ(参照)。道理で桐箪笥が軽いわけである。

そんなこともあって、花札の「桐」は花の部分を図案化してこんな草みたいな形になっているらしい。いやはや、調べてみるものである。

花札って、他の札はかなり具象的なデザインなのだが、「松」「芒」「桐」だけは妙に抽象的なのだね。

 

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2024年5月 3日

「将門煎餅」という堅い堅い堅い煎餅

近頃「将門煎餅」というものを食っている。日本三大怨霊の一人、平将門の本拠だった茨城県坂東市にある将門煎餅本舗という店の作っている煎餅で、県西から県南にかけての名物として土産物にもされているようだ。スーパーなどの店頭でもよく見かける。

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実はこれ、この土地に引っ越して来た 40年前頃にもどこかから戴いたことがあって、口にするのはそれ以来のことである。決して自分で買ってまで食おうとは思わなかったのだ。

というのは、最初に食った時にその堅さに音を上げてしまったのである。「せっかくの頂き物なのだから」と必死に食ったのだが、私としたことが 1日に 1枚食うのがやっとで、2袋(1袋 14枚入り)を完食するのに 1ヶ月ぐらいかかった。

決して不味いというわけじゃない。いや、むしろ旨い。とても旨い。しかし何しろ堅くて歯が立たない。1枚ごとの個包装なので袋に入れたまま小さく割ってから頬張るのだが、口の中で噛むのも一苦労で、1枚食えばアゴが疲れてしまう。

それ以来「アレって、旨いことは旨いんだけどねぇ・・・」と言いながら遠ざけていたのだが、このほど再び頂き物として我が家のテーブルに登場してしまったのである。「うひゃあ、大変なことになったなあ!」と思いながら袋を見ると、そこには「薄焼」と表示してある。

前に食ったのは「厚焼」だった気がするので、「おお、薄焼というのもあるのか、それだったら食えるかもしれん」と、袋から取り出してみたのだが、いわゆるフツーの「薄焼煎餅」の倍ぐらい厚い。要するに自分のところの「厚焼」と比べれば多少薄いというだけのことのようだ。

それだけに、口に入れればやっぱり堅い。ただ、40年前に食った厚焼よりは、口の中でガリッと噛み砕けるだけまだ何とかなる。

そして食えば旨いので、1日に 2枚食ってしまった。これなら 2週間で完食できる。40年前の厚焼だったら考えられないことである。ちなみに妻は半分試してみただけでギブアップしてしまった。

将門煎餅本舗のサイトに行ってみると、驚いたことに「薄焼」「厚焼」のほかに「極上厚焼」というものまである。厚焼でもあれだけ難儀したのに、極上厚焼なんていうのは一体どんなことになってしまうのだろう。

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検索してみたところ食べログに青田波さんという方の「厚くて、硬くて、旨い。極上厚焼」という口コミがあり、将門煎餅の本店まで行ってやっと買い求めた時の会話がこんな風に書かれている。

私、「極上厚焼と他の煎餅はどう違うんですか?」

お店の人、「厚くて、堅いです。」
「この煎餅でなくては、というお客様がいらっしゃいます。」

むむむ、「この煎餅でなくては」なんていうのは、相当マニアックな顧客だろう。地元で生まれて幼い頃からこれを食って育ったら、なまじの堅さの煎餅では満足できない体になってしまうのだろうか。

というわけで摩訶不思議な魅力の煎餅で、さすが将門の名を冠しただけのことはある。何しろ店の所在地が坂東市岩井というのだから、堅いのも当然か。

 

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2024年5月 2日

肉のようだけど肉じゃないものの存在意義って?

WIRED に「植物性代替肉のブームが終了。価格、排出量削減、そして味に立ちはだかる課題」という記事がある。。代替タンパク質を推進する非営利団体の Good Food Institute によれば、米国での植物性代替肉と海産物の売上が この 2年間で 13%減少したというのだ。

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米国でベジタリアンが減ってしまっているのかと思ったが、実はそういうわけではないようだ。記事によれば 2018年から 21年の間に、米国における植物性の代替食品の総売上は 48億ドルから 74億ドルへと 50%以上の増加を見せたが、これはコロナウィルス感染症のパンデミックの影響らしい。

当時、パンデミックによる食肉処理場の閉鎖が相次いだため肉の供給が激減し、消費者は肉を使っていないハンバーガーやソーセージ、海産物を試すようになった。こうした事態を背景に、2020年には代替タンパク質業界に 31億ドルの投資資金が集中したと伝えられる(参照)。

しかしコロナ禍が収まってしまうと肉が元通り安定して供給されるようになったので、人々の多くは「本物の肉」に回帰したということのようなのである。「肉のようだけど肉じゃないモノ」では、満足できなかったわけで、31億ドルもの投資をした人たちには「お気の毒様」と言うほかない。

当ブログでも 2022年 6月 8日付で "「代替肉市場」が拡大しているらしいが" という記事を書いているのだが、これってやっぱり一時的な現象だったというわけだ。

ちなみに今世紀に入ってから肉をほとんど食わずに「ペスカテリアン」(魚介系は食う)となっている私は、この記事で次のように書いている。

だいぶ前から肉を食わなくなった私としては、「食いたいけど我慢してる」というわけでは決してないので、そうした「肉の代わりみたいなモノ」を買ってまで食いたいとは全然思わない。

周囲には「肉食を止めた」と宣言したものの、それなりに工夫して調理した「肉の代わり」みたいなものを食っているヒトもいる。肉を使ってないハンバーグとか、餃子みたいなものだ。

私としては、肉を止めたのならいっそ潔く「肉みたいなモノ」も止めとけばいいのにと思ってしまうんだがなあ。そんなの作るのは面倒くさいし。

 

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2024年5月 1日

桂由美さん 追悼

昨日の午後、桂由美さんの急逝を知った。このニュースは繊維・ファッション業界のメディアはもちろん(参照)、 NHK も大きく取り上げていて(参照)、彼女がいかに大きな存在だったかがわかる。

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私のブログを数本でも読まれた方なら、「アンチ・エスタブリッシュメント的な立ち位置の tak-shonai が桂由美さんの追悼記事を書くなんて似合わない」と感じられるかもしれない。何しろ彼女のブライダル・ドレスには、確かに「お金持ちの御用達」というイメージがあるからね。

しかし彼女を知るものなら、そんなイメージを遙かに超えた人間的魅力を讃えたいと思うのが自然だろう。

私は現役記者時代、何度も乃木坂の「桂ブライダルハウス」にお邪魔してインタビューさせていただいた。彼女ぐらいの大物だと、メジャーなメディア以外からのインタビューのオファーなんてあっさり門前払いしても当然ぐらいのものなのだが、少なくとも私は断られたことがなかった。

インタビュー・ルームに通されるると、桂由美さんはこちらを待たせることなくすぐに姿を見せてくれ、質問にとても真剣に答えてくれた。

彼女の言葉は「美」の哲学を感じさせるものだったが、それは「シンプルなものからすべてが生まれる」というようなものだったと思う。豪華絢爛みたいなデザインはむしろ遠ざけていた。桂ブライダルハウスは、ディスプレイされたドレスやインテリアに至るまで、その思想で統一されていたと思う。

彼女の業績については既にいろいろなメディアで紹介され尽くしているから、今さら私が述べるまでもない。私が書くべきなのは、彼女が決して奢ることなく「すべての人を大切にする」という姿勢を貫く魅力溢れる人だったということだと思う。

最後に改めて彼女の冥福を祈る。

 

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