下手すると "人工コーヒー" を飲む日が来そうなのだ
COURIER の 5月 21日付に 【「コーヒーが飲めなくなる日」に備えて "人工コーヒー" の開発が進んでいる】というニュースがある。"人工コーヒー" を飲まなければならないなんて聞くと、何となくいい気分ではない。
そもそも「コーヒーが飲めなくなる日」というのはいつ頃なのかと言うと、同じ COURIER が 5年前の 2019年 2月 23日付で「知られざる "2050年問題" 30年後、人類はコーヒーを飲めなくなるかもしれません」と伝えている。
2050年といえば私は計算上 98歳になっているわけだが、ここまで健康で丈夫だと 100歳まで生きてしまわないとも限らず、「他人事」として片付けられるわけでもない。
さらに COURIER の記事を読んでみると、次のような聞き捨てならない話がある。
旺盛なコーヒー需要を背景に大規模な森林伐採が進み、コーヒー豆の価格上昇とほぼ無縁の農家は低賃金にあえぎ、生産とサプライチェーン(供給網)の移動の両面で相当な量の二酸化炭素(CO2)が排出される。調査によると、コーヒー栽培に適した土地の約半分が、気候変動の影響で2050年までに栽培に適さなくなるという。ブラジルはその割合が88%に達する。
1日に少なくとも 2〜3杯のコーヒーを飲む(自宅では自分で豆から挽いて淹れる)身としては、罪の意識に囚われてしまいそうな話だ。私は肉を食わないので(参照)、それとのトレード・オフ(これ、言葉としてはビミョーに誤用っぽいが)で、なんとか勘弁してもらえないものだろうか。
"人工コーヒー" とはどんなものなのかも気になる。記事中にはストレートのエスプレッソ試飲の感想として「本物のエスプレッソにそっくりなため、(一杯ずつ丁寧に入れるスタイルの)サードウェーブ・コーヒーショップのバリスタでもない限り、判別できるのかは疑わしい」とある。
ふぅむ、そういうことならブログの毎日更新を続けながら 100歳まで生きて、"人工コーヒー" を啜ることになっても、それほど嘆かずに済むのかも知れない。
とはいえ、インスタント・コーヒーとか缶コーヒーとかしか飲まない「非こだわり派」(参照)の人たちはいっそ日本茶か紅茶に乗り換えて、私のような「純コーヒー派」(参照)を救済してくれないかなあ。
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