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2024年6月に作成された投稿

2024年6月30日

奈良公園における「フンコロガシ」の下座の行

「いろいろなものを調べる雑学メディア」という触れ込みの「草の実堂」というサイトに、"奈良公園の観光を影で支えていたのは「働きものの糞虫(フンチュウ)」だった" という記事がある。糞虫というのはあの「フンコロガシ」を含む、一連の糞を分解してくれる昆虫群の総称である。

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奈良公園はこれまで何度訪れたか覚えていないほどだが、あの広い敷地の芝生がきれいなことにいつも驚く。あれは人の手で整備されているわけではなく、鹿たちが芝草を餌として食べているからなのだそうだ。「鹿せんべい」なんて、せいぜい「おやつ」程度のものらしい。

しかし鹿が盛んに芝草を食べれば、当然の結果としてポロポロと「糞」が出る。参道の石畳に落とされた糞は人間の手で掃除されるが、広い芝生の中までは手が回らない。糞がそのまま放置されればウジが湧き、ハエの大発生につながるが、そうならないのは「糞虫」の活動によるものだという。

虫たちが鹿の糞を分解し、土に戻してくれているのだ。

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糞虫は畜産においても重要であるらしく、牧羊の盛んなオーストラリアでは地場の糞虫だけでは足りず、他国から大量の糞虫を移入したことがあるという。何しろ、羊の頭数が人口の 6倍という国だからね。ウールの洋服も、フンコロガシがいてくれるからこそリーズナブルな値段で買えるというわけだ。

げにありがたきは、自然の中で黙々と「下座の行」に取り組んでくれている「フンコロガシ」である。

 

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2024年6月29日

電動スーツケースって、ダッサァ!

"【速報】電動スーツケースで無免許運転 中国籍女性を全国初の摘発「免許必要と思っていなかった」大阪" というニュースがあったのだが、「電動スーツケース」って一体どんなものなのか写真すら載っていない。そこでちょっと検索したら、こんなのが見つかってしまった。

いち早くユーザーとなって実際に乗り回している人たちには恐縮だが、見たとたん「ダッサァ!」と笑ってしまったよ。自分がこんなもの買い求めるなんてことは、まずないだろう。

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さらに上の写真のある「スマートだけどちょっと恥ずかしい? 荷物と一緒に乗って移動できる "スマートキャリー" がいよいよ発売」という記事では「電動スケートボード付きリュックサック」なんてものも紹介されているが、これ、リュックサックとして担いだときにはバッテリーの分が重いだろうね。

ちなみに、このほど大阪で「初摘発」の憂き目に遭った中国女性は「乗り物とも、免許が必要とも思っていなかった」と供述しているようだが、ハンドル、アクセル、ブレーキが付いているのに「乗り物と思わなかった」という言い訳は無理がありすぎるだろう。

ただ「運転免許が必要」という点に関しては、確かに周知徹底されていなかったと思う。私自身もそんなことは全然知らなかった。そもそも「電動スーツケース」そのものすら知らなかったのだし、当局の PR 不足だったということだろう。

いずれにしても Amazon のページで見た限りでは、本体下部にハンドルとの接続バーのようなものを引き込むため、収納スペースが小さいし、バッテリーなんて余計なものが付いているだけ重そうだ。

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ほとんど 10万円近い値段で購入するようなものじゃなさそうに思える。こんなのだったら、キャリー付きを引っ張って歩けばいいし、私だったらリュックサックで十分だ。

「脚の弱った人には便利だろう」と言う人もいるかもしれないが、そもそも脚が弱ったら別の解決策を考えなければならないだろう。

 

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2024年6月28日

30年以上の孤独体験は陰謀論者の中年を作る?

Gigazine に "陰謀論者の中年は学生時代に「ぼっち」だったとの研究結果" という記事がある。元記事は nature communications というサイトにある "Loneliness trajectories over three decades are associated with conspiracist worldviews in midlife" という記事。

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今月 16日の記事でも書いたように Gigazine の翻訳って今に始まったことじゃないが読みにくいし、あまり当てにならない(参照)。時には意味がひっくり返ってしまう誤訳まであるので、一応元記事の方も紹介させてもらった次第である。

今回も元記事タイトルの "Loneliness trajectories over three decades" (直訳すれば「30年以上の孤独の軌跡」)が " 学生時代に「ぼっち」だった" となるのは、いくら何でも「はぁ?」と思ってしまう。30年以上も学生続ける人もいないわけじゃないが、極々少数だろう。

これはノルウェーでの研究結果からの推論で、翻訳記事によれば「思春期に強い孤独を味わった人や、生涯にわたり孤独だった人は中年期に陰謀論的な世界観にはまってしまいやすい」というレポートだ。

ちなみにこの部分にしても「生涯にわたり孤独だった人は中年期に・・・はまってしまいやすい」という翻訳がちょっと不自然で、唐突な「脳内スイッチバック」を強いられちゃうよね。せいぜい「それまで孤独な人生を送ってきた人は・・・」ぐらいに訳しとけばよかったのに。

ただいずれにしても「孤独な人が孤立感から自尊心を守るために陰謀論に走ったり、陰謀論者のコミュニティにつながりを求めたりする」ことから陰謀論者になってしまうという推論は、一つの可能性として心に留めておいてもいいだろう。

英文の元記事にはかなり学術的な見地からの解説や関連記事へのリンクもあるが、詳しく読み込むのは疲れそうで、例によって「流し読み」しかしていないので、そのあたりはよろしく。

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とにかく「人とのつながりを求めつつ、それがうまく行かずに孤独に陥ってしまった人生」というのは、ちょっとアブナそうだ。人付き合いが下手なら下手で、「俺は独立独歩で行くわ!」という方がずっとマシなのかもしれないね。

ちなみに私の場合は常に仲間には恵まれていたのだが、時々は鬱陶しくなって敢えて孤独を求めたりしていたなあ。海とか山とかに一人で行くのが好きだった(とくに登山はほとんど単独行だった)のは、そういうことだったんだと思う。

 

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2024年6月27日

ポテトチップスや袋菓子に、たばこ並みの依存性?

National Geographic 日本版の "「超加工食品」でたばこ並みの依存性が判明、渇望や禁断症状も" という記事を読んで、驚くというより「やっぱりね」と思ってしまった。ポテトチップスや袋菓子、ハンバーガーなどで「超加工食品依存症」という状態になりやすいというのである。

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ちなみにこの記事は、National Geographic 日本版の有料会員でないと最後まで読めないことになっている。オリジナル版なら無料で全文読める(参照)が、英文なのでざっと読み流していたところ、昨日付の日本経済新聞に日本語訳全文が掲載され(参照)ていると知り、おかげで楽にしっかり読めた。

ちなみに「超加工食品」は英語でもそのものズバリ "ultra-processed foods" と言うのだね。というか、元々「翻訳語」なのかな? 

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いずれにしても、日経の翻訳記事がいつまで無料で読めるかわからないので、興味のある方は早めにどうぞ。

内容についてかいつまんで言えば、超加工食品を食べるというのは「脳の報酬系を強く活性化」させるため、その報酬を際限なく求め続けることになるというのである。要するに「つい食べ過ぎる」ということで、次のようなメカニズムだ。

ラットを使った 1980年代の研究で、報酬の餌を得るためにレバーを押すときに、ラットの脳内のドーパミン報酬系が大幅に活性化することが示されたのだ。これは、ラットにコカインを与えたときと(そこまで強烈ではないにせよ)同様の反応だった。

人類の進化において「脂肪分や糖分を多く含む食物を探し求める行動は生存に欠かせなかった」ため、「そうした食物を摂取するとドーパミンが放出されて脳の報酬系が活性化されるように進化してきた」のだという。これは古代人類が厳しい環境の中で生存し続けるための、望ましい反応だったのだろう。

ところが今や、そうした食物はとくに探し求めなくても手軽に手に入る。超加工食品だらけになった現代の食環境で人間の脳は「勘違い」を起こしてしまい、どんなに多量に摂取しても「もっと食べたい」と思ってしまう。コカイン摂取の時と変わらない反応というわけだ。

で、超加工食品とはどんなものなのかというと「袋菓子、朝食用シリアル、ほとんどのファストフード、大量生産されたパンやデザート、ソーセージ、ホットドッグ、冷凍魚フライ、ソフトドリンク、アイスクリーム、キャンディーなど」で、つまりスーパーの棚にある袋詰め食品の大部分が該当する。

これらの食品の依存性は、たばこにほぼ匹敵するというのだから、「ほとんど麻薬」と言ってもいいだろう。こうした「ほとんど麻薬」の食品で脳内のドーパミン報酬系を活性化させつつ、「もっともっと・・・」と食い続ければ、少なからぬ米国人のようにでっぷり太ってしまう(参照)のも当然というわけだ。

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我が家では主として素材から調理したシュガーレスの料理を食っているのでまだ何とかなっているが、出張や旅行先ではそんなわけにも行かない。「中毒」なんかにならないよう注意することにしよう。

 

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2024年6月26日

Windows XP が現役で動いているというお話

えのげ というサイトに「【不安】歯医者に行ったら…目の前の液晶にとんでもないロゴが表示されたwwww」というタイトルがあるので、どんなロゴかと覗いてみたら、なんと Windows XP だったというので、さすがに笑ってしまった。

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ちなみに「初のまともに使える Windows」と言っていい Windows 3.1 以後のバージョンを挙げると、下のような感じになる(NT 系は除く)。かれこれ 32年の歴史になるし、まったく見たことも触ったこともない超マイナーの Windows 1.0 (1985年発表)から数えたら 39年だ。

  • Windows 3.1      (1992年)
  • Windows 95       (1995年)
  • Windows 98       (1998年)
  • Windows 2000  (2000年)
  • Windows ME     (2000年)
  • Windows XP     (2001年)
  • Windows Vista  (2007年)
  • Windows 7       (2009年)
  • Windows 8       (2012年)
  • Windows 10     (2015年)
  • Windows 11     (2021年)

Microsoft は Windows 10 のサポート期限を 来年の 10月 14日と発表している(参照)のだから、それ以前のバージョンは「昔の Windows」と言っていい。ましてや Windows XP なんて 23年前のものだから、もはや「大昔の Windows」である。

実は私は MS-DOS 時代からの Microsoft OS のユーザーで、Windows に関しては 1992年に展開開始の Windows 3.1(「石器時代の OS」って感じ)から使い始めた。しかし Windows 98 までは、実感的に「頼りになる」とは感じられなかったなあ。

というのも Windows 3.1、95,98 までは「パーソナル用途」と位置付けられていて、「オフィス向け」の Windows NT (これも使っていたことがある)は別系統だった。そしてそれらが統合されたのが Windows 2000 だったのだから、これは信頼性が格段に向上していた。

そして Windows XP はその翌年の 2001年に鳴り物入りで展開開始された。Vista の出現する 2007年まで 6年間もの長期にわたって「最新」の地位にあったのだから、それなりに優秀な OS だったと言えるのだろう。

ただ私としては、XP デフォルトのコチャコチャっとした初期画面が気に入らず、シンプルな Windows 2000 ライクに変えて使っていたので、「完全に気に入っていた」というわけじゃない(参照)。そして、それを次いだ Windows Visita にははっきり言って失望していた(参照)。

その後 2009年に展開開始された Windows 7 は、私としてはその 3年後の 2012年に展開開始された Windows 8 を無視してほぼ 5年近くにわたって使い続けていたほどだから、それなりの「信頼感」があった。Windows 2000 以上の「お気に入り」だったと言っていい。

ところが周囲が徐々に Windows 8 にバージョンアップし始めた頃に試しに触らせてもらい、「うわぁ、こりゃ使いたくない!」と思ったのを今でも鮮明に憶えている。

こんな OS を使わされるぐらいなら、それまで 20年間抱き続けてきた「自分は本来ならば Mac ユーザーであるべきだった」という忸怩たる思いから解放されようと、2014年 1月に MacBook Pro を購入した。私の Mac デビューの直接のきっかけは、Windows 8 のヒドさだったのだよ(参照)。

そんなわけで今となっては「窓の外側」から眺めていると、現行の Windows 11 はまだしっかりした印象だが、これなら「Windows 7」で十分じゃないかという気がしてしまう。それだけにまだ XP を使い続けるというのも、インターネットに繋がないなら「十分あり」と理解できる。

私としても 2017年 5月 15日に「大企業の PC が案外 Windows XP のままで動いてるらしい」という記事を書いているほどだが、とはいえ、せめて Windows 7 にバージョンアップしておいてもよかったんじゃないかという気もしてしまうのだよね。

今となっては遅いが。

 

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2024年6月25日

セルフレジであたふたする人は「文字を読まない」のか?

最近のスーパーでは「セルフレジ」というのが増えてきている。しかし年配者の多くは従来の有人レジに長い列をなしていて、たまたまセルフレジにトライしちゃったバアさんなどは、機械ではなく人間の方がフリーズしてしまって先に進めなくなっている。

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結局のところは店員を呼んで丁寧に教えてもらっているものの、やたら時間がかかるばかりで次からちゃんと自力でできるようには決して見えない。順番待ちで並んでいる者にとっては結構なストレスだ。

この問題で おたろう さんという方が、"あの手の人々の特徴として「文字を読まない」というのがあると思う" と tweet しておられる(参照)。"ディスプレイの中にも外にも文字で色々と使い方が記されてるけど、基本それらを読まずに直感でボタン押してるだけの様子" というのである。

確かに言えてると思う。ただ、より基本的な問題はおたろうさん自身が自己レスとしていろいろ書かれている中にあるように、"行動様式が「情報依存」から「経験依存」にどんどんシフトしていく" ということなのだろう。文字による「説明」なんか読んでも、経験知にないことは理解できない。

支払いの流れを理解している者にはフツーにわかる話が、そうした「準備」のできていない人たちにしてみれば、文字面だけは読めてもお経の文句か魔法の呪文みたいなもので、その意味にまで到達できない。

私が行く地元スーパーのセルフレジは、適切な音声案内もあってかなりわかりやすいインターフェイスだと思う(少なくとも西友のセルフレジよりずっとわかりやすい)のだが、行き詰まってしまう人はやっぱり行き詰まる。

だから結局、あの人たちは「読まない」だけでなく「聞きもしない」と言っていいのだろうね。

いくらインターフェイスを改良してもわからない人はわからないのだから、当分の間は従来の「有人レジ」をしっかりと残すほかないのだろう。

 

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2024年6月24日

世論は「立憲中心の野党連立」を求めるというのだが

毎日新聞によると、22、23日実施の世論調査で、次期衆院選後の政権望ましい枠組みの最多回答は「立憲民主党を中心とする野党連立政権」の 33%で、「自民党、公明党に日本維新の会を加えた政権」の 15%が続き、現行の「自民党、公明党の連立政権」の回答は 11%にとどまったという(参照)。

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注目されるのは、「自公維」と「自公」を足しても 26%で、「立憲中心の野党連立」の 33%に届かないことだ。同じく毎日新聞実施の世論調査では岸田内閣の支持率も 17%と低迷している(参照)。

さらにこれは先月のニュースなのだが、JNN の世論調査でも「政権交代」を望むとの回答が 48% と、「自公政権の継続」の 34% を上回っている(参照)。さらに遡れば、4月の衆院補欠選では、自民党が 3戦全敗している(参照)こともあり、この気運は単なる「気紛れ」ともいえないようなのだ。

問題は、衆議院選挙がいつ行われるかだ。一時は 4月の補欠選挙後や今月の衆院会期中の解散が取り沙汰されていたが、岸田首相としてはこんなに強い逆風の中で解散なんてできるわけがなかった。かと言って、来年 10月末の任期満了まで持ちこたえられるとも到底思われない。

というわけで、次の衆議院選挙は「政権交代」が焦点になるのだろうが、現時点で政権への逆風が吹きまくっているからといって、それがいつまで続くのかはわからない。大衆というのはかなり移り気だから、今回の都知事選後に「やっぱり立憲民主党じゃダメだ」ということになっても何の不思議もない。

というわけで、「政権交代」ということにはあまり過剰な期待を抱かずに推移を見守ることにしたい。せいぜい秋の自民党総裁選後に「石破内閣誕生」ということにでもなれば面白そうなのだが。

【7月 17日 追記】

ちょっと遅めの追記になったが、「大衆というのはかなり移り気だから、今回の都知事選後に『やっぱり立憲民主党じゃダメだ』ということになっても何の不思議もない」というのが、蓮舫の不甲斐なさで現実になってしまってる。

立憲民主党って、政権を担う党になる振る舞い方を知らないみたいなのだね。

 

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2024年6月23日

タンス預金なんてしてる人が、実際にいるのだね

ファイナンシャル・ワールドというサイトに "2024年に「新しいお札」が発行されると、タンス預金が全て「旧札」になってしまいます。このままタンス預金を続けても大丈夫ですか? 銀行で交換する必要はあるのでしょうか…?" という質問のページがあるのを見てちょっと驚いてしまった。

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いくらお金のことに疎い私でも、旧札が問題なく使えることぐらいフツーに知っている。ただ、大昔の聖徳太子の 1万円札を 1枚ぐらい記念にとっておいてもよかった気もするが。

紹介した記事には、「新紙幣が発行されたとしても、旧札の法的効力が失われるわけではないため、店舗での支払いなど問題なく利用できます」と、ごく当然の回答が示されている。とはいえ「将来的には使えなくなるかもしれない」という、気になる小見出しもある。

これは「いずれ自動販売機や ATM 等で読み込みができなくなる可能性があります」ということで、「少しずつ新紙幣に変えていくことが必要になるでしょう」と現実的なアドバイスにつながっている。

実際には「新紙幣に変える」なんて面倒なことをするより、銀行に預金してしまう方が手っ取り早いし確実なのだが、世の中には通帳の数字なんかより形のある「現ナマ」の方が信じられるという人がいるのだろう。こうなると、ほとんど「現金信仰」だ。

私の場合、とくに最近はキャッシュを使うことがあまりなくて、ほとんどカードで済ませている。自動販売機でも SUICA が使えるのだから、タンスの中どころか財布の中にさえ現金は最小限しか入っておらず、現行紙幣の肖像が誰だかも覚束ないほどだ。

いずれにしても、家に当座必要な額以上の現金を置くのはリスクが大きすぎる気がしてしまう。実際に数百万円の空き巣被害なんてニュースを聞くこともあるし。

一体どうして多額のタンス預金なんかするのかというのをググってみたところ、相続税申告相談プラザというサイトに「タンス預金のメリットは 5つ! 相続税対策には使えないため注意が必要」というページが見つかった。

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このページではタンス預金のメリットが 5点紹介されているが、総合的に見ればデメリットの方が大きいのは明らかだ。

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まあ、いずれにしてもウチは遺産相続の心配をするほどの財産なんてないから、気楽なものだ。

 

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2024年6月22日

梅雨入り宣言の翌日は晴れるという「お約束」

昨日、関東甲信越地方の梅雨入りが発表された。一時は土砂降りのようになったので、いろいろと外出する用が重なった私は結構濡れてしまった。晴れ男としては 数年に一度ほどの珍事である。ところが今朝はきれいな青空が広がっているじゃないか。

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昨日付の『和歌ログ』でもこれを見越して「明日は晴れるらしいが、梅雨入り宣言の翌日は晴れるというのはお約束みたいなものだからいいだろう」と書いている(参照)。例年より 2週間も梅雨入りが遅れていることもあり、気象台としても見切り発車したのだろうから、ツッコミを入れてもしょうがない。

ちなみに「梅雨入り宣言の翌日は晴れる」というのは、実際のところどうなのだろうかと気になってしまった。そこで自分の『和歌ログ』で確認してみたのである。こちらも 20年以上連続で毎日更新しており、テーマのほとんどが身近な自然なので、遡ってみることができる。

すると、こんなようなことだった。

  • 梅雨入り宣言の翌日が「晴れ」だった年は 9回(2006年、2009年、2010年、2012年、2015年、2018年、2020年、2021年、2022年)。
  • 曇り」だったのは 4回(2004年、2011年、2017年、2023年)。
  • 小雨のち晴れ」だったのは 1回(2016年)。
  • 曇りのち雨」だったのは 1回(2005年)。
  • 小雨」だったのは 1回(2013年)。
  • 」だったのは 1回(2008年)。

2007年、2014年、2019年は、関東地方の梅雨入りをはさんで地方出張していたため、残念ながら記録なしなので度外視すると、多少なりとも「雨が降った」という年は 4回しかない。

というわけで「梅雨入り宣言の翌日は晴れ」という年が半分以上ということで、やっぱり私の印象は外れてはいなかったようなのだ。

ちなみにこの記事は「梅雨入り宣言の翌日」についての話であり、梅雨入りの日が後になって修正された年があったかもしれないが、そのあたりは考慮していないのでよろしく。

 

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2024年6月21日

都知事選立候補者、「諸派」38人の中身のお話

東京都知事選挙がスタートし、過去最多の 56人が立候補したと各メディアが伝えている。日本経済新聞の記事は「小池都政継続か刷新か」という見出しだが、結局のところ争点はそこに絞られて、対抗は蓮舫氏ということになるのだろう。

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2人以外の顔ぶれはとしては、マスコミ視点では石丸伸二氏が取り上げられていて、あとは清水国明氏、いつもの田母神俊雄氏あたりが話題になっている。おっとそれから、96歳になるドクター中松氏がまだしっかり名を連ねていて、ここまで来ると「立派」と言いたくなってしまう。

この選挙、立候補者 56人中、18人が無所属で 38人が諸派ということになっている。この 38人の「諸派」の内訳というのが気になってあちこち調べてみたのだがなかなかわからず、やっと見つけたのが朝日新聞のサイトの「東京都知事選挙 2024 候補者一覧」というページだった。

このページでやたら目立つのが 38人の「諸派候補」のうち、ちょうど半分の 19人を占める「N国党」(NHKから国民を守る党だ。この大量立候補はポスター枠の「販売」の結果とも見られ(参照)、選挙後に一悶着あるだろう。

さらに「覇王党」「カワイイ私の政見放送を見てね」「ポーカー党」「ゴルフ党」「石丸幸人党」から立候補の 5人も N国党推薦ようで、産経新聞も「総勢 24人」(参照)と報じている。そもそもこの党は "syoha.jp" という公式アドレスからして「勝手に強引」という感じだよね。

他の党派名もなかなかバラエティに富む。「清水国明と東京都の安全な未来をつくる会」「市民がつくる政治の会」などはまともで、サイトを見ても意味がちゃんと通じる。「日本第一党」は党名が示す通りの政策のようで、わかりやすいと言えばわかりやすい。

ラブ&ピース党」というのは、まあ意味はわからなくもない。「AI 党」(人工知能が日本を変える党)も党名が示す通りの政策のようだが、候補者が顔面マスクしちゃってるし、AI 党という名称の割には公式サイトがどこをどう探しても見つからない。

忠臣蔵義士新党」「ネオ幕府アキノリ党」はインターネット発信はしているものの、わかりそうで結局のところやっぱりよくわからない。「ジョーカー議員と投票率を上げる会」は一夫多妻制が公約らしく、決してつまらないってわけじゃないが、結局のところよくわからない。

名称は単純だが中身のよくわからないのは「未来党」「つばさの党」だ。「未来党」は一瞬「日本未来の党」の末裔かと思ったが全然別のようで、こちら で紹介されているものの、読むとかえってわからなくなる。「つばさの党」の方もいろいろやってる(参照)ようで、今回は獄中立候補のようだ(参照)。

土頭を働かし最高裁裁判官5人を弾劾する党」は代表者が Facebook をやってる(参照)が、それを見てもよくわからない。

核融合党」の候補はあちこちの選挙に立候補して知る人ぞ知る存在のようだ(参照)が、よくわからない。そして「お金をみんなヘンシン独立党」「プリベントメディカル久米慶被害者の会」となると、今の段階では申し訳ないがさっぱりわからない。

わからないからといって、政見放送を聞いてみようという気にもならない。全部聞いたら 11時間以上になるらしいし(参照)、こっちも決してヒマってわけじゃないからね。そもそも東京都民じゃないし。

【同日 追記】

「ジョーカー議員と投票率を上げる会」の河合ゆうすけ氏が「全裸ポスター」とやらで話題になっているが、自らの主張を貫き通すというわけじゃなく、当局の警告を素直に受け入れ、剥がし終えたという(参照)。なんだ、つまらない。

 

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2024年6月20日

「当たり前」と「あたりめ」「当たり鉢」「当たり棒」

突然だが「当たり前」という言葉の語源についてである。広く支持されているのは「当然」という語からの変化という説で、江戸時代に「当然」を「当前」と書く当て字が流行ったことからきているという。

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もう一つの説は、「当然の分け前」から来たというのだが、私は当て字の「当前」説を支持する。実際に古文書には「当前」の表記が散見される。

「前」という字は、草書体だとひょろひょろっとあっという間に書ける(上画像の左側)ので、ややこしい「然」(右側)の代用にしちゃったんだろう。「當然」を「当然」にしちゃったんだから、「当前」にするぐらい何のてらいもない。

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江戸時代に庶民の間で読まれていた人情本や黄表紙みたいなものは上の画像のように変体仮名のオンパレードで、難しいことは言わないのだ。八つぁん熊さんが楽しく読めさえすればいいのである。

「当然」が「当前」という表記になってしまえば、後は「あたりまえ」と読む方が親しみやすいので、それが広まってしまう。そして国語辞典にも載ってしまう当たり前の言葉になってしまった。まさに言葉は生き物である。

次に「あたりめ」である。近頃は裂いた形で売られているものに「あたりめ」と表示されていることが多いので、するめを裂いたものがあたりめだと思っている人も少なくないようだが、結論から言えば「するめ」と「あたりめ」は同じものである。

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「するめ」の「する」の部分は「博打ですってしまう」みたいなことを連想させるので「忌み言葉」的に捉えられ、いっそ縁起のいい「当たり」に置き換えられた。それで「あたりめ」になったというわけだ。

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同様に「すり鉢」を「当たり鉢」と言い換えることもよくある。ただ「すりこぎ」の方は「当たりこぎ」とは言わずに「当たり棒」になってしまう。「当たり木(あたりぎ)」という言葉もあるようだが、あまり聞かない。

さらに最近では「当たり棒」と言えば、アイスキャンディでこれが出ればもう一本もらえるみたいなものになってしまったようだ。

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まさに言葉は生き物というほかないよね。

 

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2024年6月19日

路上飲酒と飲酒運転を巡る冒険

東京渋谷駅周辺の路上などでの夜間飲酒が年間通じて禁止されることになったと、各メディアが伝えている。下は NHK ニュース(参照:クリックすると別画面で動画が表示される)で、同様の措置は隣の新宿区でも検討されているという。

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ただ私としては、こうした禁止措置の範囲外では路上で大っぴらに飲酒できるという現状に、我が国のことながら驚いている。昨年 10月 29日付の「警官だらけじゃ、ハロウィーンなんか楽しめないよね」という記事で、次のように書いたほどだ。

ニューヨーク辺りでは路上飲酒は完全に禁止だし、それは諸外国では珍しいことではない。そもそも公共の場で酒を飲むというのはフツーにお恥ずかしいこととして憚られるのが常識なので、アル中なんかはウィスキーの瓶やビール缶を紙袋で隠したりしてこっそり飲んでるよね。

というわけで、日本って飲酒に寛容すぎるんじゃないかと思ってしまうのだ。「日本では繁華街の路上で大っぴらに酒が飲める」と聞きつけた外国人が大勢集まってきているほどで、日本の飲酒文化ってちょっと特殊なんだと思う方がいい。

最近、飲酒運転による人身事故のニュースが多い気がする。80歳を過ぎた老人の飲酒運転事故というのが連続していたので、とくに印象づけられているのかもしれない。

今年 3月の例はまだ明るいうちの事故で、87歳男性が事故直前に飲酒してブレーキとアクセルを踏み間違えたのだという。交通の便が悪い田舎では高齢になっても運転せざるを得ないということが問題になっているが、これは神戸元町という都会の例だから、何をか言わんやである。

次も 80歳男性の飲酒運転事故だ。ところはさいたま市で、やはり田舎というわけじゃない。

飲酒運転のバレるのを怖れて身代わりを立てたなんていう姑息すぎる例もある。

最後は千葉県警の飲酒運転取り締まりのレポートで、とんでもないケースのオンパレードだ。最後には、現職警察官が飲酒運転を知りながら同乗していたという救いようのない話まで登場する。

昔から「酒は百薬の長」なんて言われてきたが、最近では「酒は毒」ということが明確にわかってきている(参照)。さらに私は昔から「大酒飲みは早くボケる」という印象をもってきたが、これは既に医学的に「アルコール性認知症」として証明されているそうだ(参照)。

私は若い頃は 1日に 20本以上の煙草を吸っていたが、1976年の酒田大火をきっかけに禁煙した(参照)。そして酒に関しては、以前は酒を飲みながらこのブログの更新をしていたほどだが、最近はほとんど飲まなくなった。今年初めて飲んだのが、5月の同窓会というほどである(参照)。

個人的には、タバコは完全に止めた方がいいし、酒は何か特別な日に飲めばいいぐらいに思っている。

 

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2024年6月18日

高校時代の 3年間をテキトーにつつがなく過ごすには

地方ニュース界隈で、高校運動部顧問の不適切な指導が集中的に取り上げられている。中でも話題なのが中京テレビの「部員16人に“丸刈り強要” 高校顧問が不適切指導で処分 岐阜」というものだが、岐阜県ではこれを含む 5校が問題になっている。

この高校というのは岐阜県立池田高校で、サイトの冒頭には「生徒一人一人を大切にし、ESD(持続可能な開発のための教育)を推進するユネスコスクール」(参照)なんて文言が掲げられているが、空々しさが半端ない。

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今回ニュースになった 50代顧問は「全員丸刈りになるか、自分が辞めるかだ」なんて口走ったらしいが、それを言うならさっさと自分が辞めればよかったのだ。仮にも「ESD を推進するユネスコスクール」だというんだからね。

こうした馬鹿馬鹿しい状況って、私が高校生だった半世紀以上前とほとんど変わっていない。ちなみにこの「運動部」が具体的に何部かというのは伏せられているものの、ニュース画面からは「テニス部」というのが、「そこはかとなく」以上に感じられるよね。

今回の不祥事の関連で中日新聞が報じている "試合に負けた部員 16人を丸刈りに 岐阜県立高の 5校で不適切指導「クソガキ」など暴言も" という記事には、下のような表も載っている。頭の悪い教師ほど生徒を「ばか」呼ばわりする傾向は、今も健在だ。

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今回は岐阜県の高校ばかりが問題になったが、日本中の高校が程度の差こそあれ似たようなものなのだろう。

私個人について言えば、一応地元の進学校とされる高校に通っていた当時から、授業はサボり放題で好き勝手ばかりしていた。それでも一応現役でワセダには進学しちゃった(田舎のこととて、同学年では私を含め 3人だけ)のだから、下手にマジメな高校生を演じてスポイルされるよりずっとよかったよ。

何しろ病気でもないのにサボってばかりで授業の出席率は断トツで悪く、学校の外では結構活発な活動をしつつ、飲酒と女の子との付き合いでは「非行」と言われてもしょうがないほどだったのだが、別に何の叱責も処分も受けなかった。

学校というところはテキトーに距離を置いて「即かず離れず」でいると、何をしても教師たちは常に「見て見ぬふり」で、ありがたいほど放任してくれる。「決して従わず、自由気ままに振る舞うが、他に迷惑はかけない」というスタンスでいるのがいい。

とにかく日本の高校というのは、マジメに順応してもストレートに反抗してもやたらしがらみが多くなるばかりだから、できるだけ関わりを薄くして 3年間やり過ごすのが一番だ。少なくとも付き合いきれない教師と必要以上に付き合うよりはずっといい。

できれば日本の学校にも「飛び級制度」みたいなのがあって、うまくやれば 1年ぐらいでさっさと卒業できるならありがたかったんだがなあ。

 

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2024年6月17日

"Prostitute" と「花魁」の共通性

昨日の記事を書いていてふと思い出したのだが、私が "prostitute" という英単語を初めて知ったのは、50年ほど前のこと、"The Catcher in the Rye" (ライ麦畑)をペーパーバックで読んだ時(参照)のことだ。この言葉、いきなり本文の 2ページ目に登場して、その後も何度か出てくる。

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初めは意味がわからず辞書を引いてしまった。"stitute" という語根の単語は institute(協会、研究所)や constitute(構成する)などが思い浮かび、いかにも「試験に出る英単語」の最初の方に登場しそうな「お堅い」イメージなのだが、こればかりは見たこともなかったのでね。

というわけで、辞書でいきなり「売春婦」なんて訳語が出てきた時は「へぇ!」と驚いてしまった記憶がある。道理で「でる単」に収録されされるはずがない。

そのペーパーバックは今ではページがすっかり飴色に変色し、iMac の白いキーボードとの対比が目立つ。ちなみにこの小説は自分の兄をいきなり prostitute 呼ばわりだから、米国では禁書扱いされることもあり、NY 公共図書館では一昨年になって初めてフリーアクセスが認められた(参照)。

"Prostitute" という英単語は語源学の専門サイト etymonline によれば、ラテン語の "prostitutus" (「前に置く」または「前面に出す」という意味の動詞 "prostituere" の過去分詞形)がもとで、ここから派生した単語がヨーロッパ全体に広まっているとある(参照)。

さらに etymonline では次のように書かれているのも興味深い。

「金銭と引き換えの性行為」という概念は、語源に本来含まれてはおらず、「欲望にさらされる」(本人または他人によって)、あるいは性が「無差別に提供される」という意味を強く示唆しています。

つまり性の対象として「前面に出され」「公然と晒されている」というイメージがとても強いようなのだ。キリスト教的倫理では性は隠しておくべきものとされてきたが、それを公然と晒すという点で、フォーマルな価値観から離れた「非日常的存在」であることが示されている。

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上の浮世絵と写真は昔の吉原の遊郭の様子(写真は後から彩色されたのだろう)で、花魁(おいらん)たちが文字通り公衆の面前に晒されて、"prostitute" の語義そのものである。東西の性に関するコンセプトの共通性が感じられるよね。

 

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2024年6月16日

iPhone でのやり取りと Gigazine の翻訳にはご注意

Gigazine に "「iPhone での売春婦とのメッセージを削除したつもりが iMac に残っていたせいで離婚した」と主張する男が Apple への訴訟を準備中" という昨日付の記事がある。この男、離婚の慰謝料として 500万ポンド(約10億円)支払ったというから、まあ「いいご身分」ではある。

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彼は iPhone の「メッセージ」アプリを使って売春婦とやり取りしていた。そしてそれは全部削除したつもりでいたのだが、iCloud 経由で家族共有の iMac の方に保存されており、全部妻に見られてしまったというのである。

慰謝料を 500万ポンドも支払う経済力があるくせに PC は個人用じゃなく家族共用だったというのは、意外というよりむしろセコい話である。その程度のカジュアル・ユーザーだったからこそ、iPhone 上で削除しても PC の方に残ってしまう設定になっていることを認識できずにいたのだろう。

いずれにしても、iPhone でヤバいやりとりをしている人は、くれぐれもご注意ということだ。ただ、今日の記事はこれでおしまいというわけではない。本題はこの翻訳記事の見出しへのイチャモンである。

元ネタは The Times の "Husband pursues Apple after wife finds ‘deleted’ messages to prostitute" という記事のようで、Gigazine の見出しはかなり意訳してある。ただ「Apple への訴訟を準備中」というのはヒドい日本語だ。Apple は裁判所じゃないんだから「〜への」はおかしい。

ここは元記事の見出しに沿って「Apple を追求」とすればよかっただろう。あるいはどうしても「訴訟」にこだわりたいというなら、「Apple の告訴を準備中」でもよかった。

ちなみに Gigazine の翻訳のお下手さ加減については過去にも何度か取り上げていて、めぼしいものだけでもこんな具合だ。

「予測」という言葉の誤用 (2015/9/7)
ファストフードを避ける最大の理由は「罪悪感」(2022/2/16)
"「他にやることがない時間」を嫌がらない" って ?(2023/10/4)

実際のところは、翻訳が下手という以前に、日本語センスがおかしいという気がしてしまうのだがね。

 

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2024年6月15日

「正義の人」は、「美しく澄んだ目」ではいられない

king-buiscuit さんという方が「戦争中、小学校に代用教員がいて、ときどき抜身の日本刀をひっさげて歩くのを得意にしていた」と tweet しておいでだ(参照)。この代用教員は、「天皇陛下」という言葉を口にするとき、気をつけするのが一瞬でも遅れると頬を殴ったというのである。

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「ところがその目は大変美しく澄んでいたものである」という。そして戦後になって見かけたときには「赤旗を押し立てたトラックの上で、大音響をはりあげて共産党の選挙演説をやっていた」とあり(参照)、「その時も、やはり彼らの眼は美しく澄んでいた」というのだから、なかなかのものである。

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king-buiscuit さんは、「『正義派』たちはいつも『美しい』眼を輝かせて叫ぶ」と書かれている。「すごいなあ」と思う。人というのはそんなにもたやすく「正義派」になれてしまうのだ。しかも「美しい」眼を輝かせながら。

しかし私としては、「正義」というのはもっとずっと難しいものだと思うのである。というのは、ある人にとっての「正義」は、別の人にとって「邪悪」ということもよくあることで、普遍的な「正義」などというものは存在しないのではないかという気さえするのだ。

多数派にとっての「正義」というのはあり得るだろうが、それでも普遍的な「正義」とはなり得ない。正義を求めるのはなかなか難しいことで、その過程でどうしてもいろいろな矛盾に直面しなければならない。そうなると、美しい眼を輝かせてなんかいられない。

king-buiscuit さんの言われる「正義派」というのは、実は「常に『正義』らしいものを振りかざす人」、あるいは「いつも振りかざしやすい『正義』の側に付く人」ということなのだろう。そうすることで人は、余計なことを考えずに済む。

余計なことを考えないでいさえすれば、「美しい眼」を輝かせて生きることもできそうだ。ただ、それってかなりアブないことなのだと思うほかない。

 

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2024年6月14日

飲食店で傍若無人の大声で話すオバサンという存在

昨日は「喫茶店などでオバサンたちに付けてもらいたいマスク」という記事を書いたが、とにかく飲食店などでオバサンたちがうるさくてたまらないというのは、ネット上でもあちこちで語られている。下は "年齢は関係ないかも!? 「おばさん」がやりがちな言動 4つ" という記事にあるイラストだ。

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確かに、ピャーピャー話をしているだけで十分にうるさいのだが、時々混じるバカ笑いのけたたましさは、こちらがブチ切れてしまいそうになるほどだ。あの人たちには「周囲には他者が存在する」ということが、ほとんど意識されていないみたいなのだね。

ただ、ちゃんと静かに語り合っているオバサンだって少なくないので、「うるさいオバサン」と「ちゃんとわきまえたオバサン」の違いというのは、確実にある。先日、その象徴的な場面に居合わせてしまったことがあるので書いてみたい。

外出先で隙間時間ができてしまい、喫茶店でノート PC を広げて仕事をしていた時のこと、隣のテーブルにオバサンの二人連れが来て座った。

話の都合上、片方の上品そうな方を「オバサン A」、もう片方を「オバサン B」とする。そして、この オバサン B が、席に着くなりやたら賑やかな声で世間話を始めたのである。それはもう、「傍若無人」という感じだ。

当然ながら周囲の客は眉をひそめて迷惑そうな表情でオバサン B を睨むのだが、彼女はまったく意に介さない、というか、周囲の様子には気付きもしていないようだ。ただ、オバサン A の方はいかにも居心地が悪そうな面持ちである。

彼女ははついにたまりかねたように、ちょっとした手振りで「少し静かに話しましょうよ」というサインを送る。オバサン B はさすがにその時だけは少しだけ声のトーンを落とすのだが、1分も経たないうちにまた元の大声に戻る。どうやら「静かに話す」ということの感覚が全然身についていないようだ。

このことが 2度繰り返された後は、オバサン A は諦めてしまったようで、「そろそろ帰りましょうか」と言い出すタイミングを探るばかりになっている。気の毒さで言えば、周囲の客よりもそのオバサン A の方がずっと上だ。

この経験から、オバサン B タイプには、次の 3点の特徴があるとわかった。

  1. 地声が大きい上に、その地声のコントロールができない。
  2. 自分の声は目の前の相手に届きさえすれば十分で、それより遠くまで広がったら「騒音」になることを身体感覚として理解できない。
  3. 周囲を認識する能力に欠けるので、自分が迷惑がられているなんて思いもしない。

ちなみに「話し声」について、私は「西欧型」と「東南アジア型」があると思っている。香港に行くと、西洋レストランはたいてい静かで、客同士(西欧人が多い)も静かに語り合っているが、庶民向け中華レストラン(香港人が多い)は、入り口のドアを開けただけで押し返されそうなほどの喧噪だ(参照)。

この差は、衛星放送などで欧米とアジアの映画やドラマを見比べても如実にわかる。欧米ドラマの台詞の言い回しはフツーの場面ではごく穏やかだが、その直後にアジア(日本を含む)のドラマを見ると、なんでもない場面でも半ば怒鳴っているようにさえ聞こえてしまう。これって、かなり決定的な差異だ。

日本における オバサン B タイプの人たちというのは、香港に生まれていれば問題なかったのだろうが、西欧型と東南アジア型の文化が中途半端に入り交じった日本に生息しているので、実に「困った人たち」ということになってしまうのだよね。

 

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2024年6月13日

喫茶店などでオバサンたちに付けてもらいたいマスク

PC Watch に「70cm離れれば声を聞かれない消音マスク」という記事がある。Web 会議用に自分の声を消音して周りから聞き取りにくくするためのものだそうだ。なるほど、これなら個室でなくても Web 会議に参加できるだろう。

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ただ、この記事を読んで私は「web 会議以外にもふさわしい用途がある!」と思ってしまった。それはコーヒーショップなどに集まってやたらかしましい嬌声で世間話に花を咲かせるオバサンたちにこそ付けてもらいたいということである。

仕事などで外出してちょっと隙間時間ができてしまった時など、コーヒーショップに入り ノート PC を広げて仕事をすることがよくある。ところがそんな時に限って、賑やかなオバサン・グループがドヤドヤっと入って来て、隣のテーブルでピャーピャー頭に響く嬌声をあげ始め、仕事の邪魔をするのだ。

あのオバサンたち、目の前 70cm の距離にいるお友達に声が届きさえすれば十分なはずなのに、店全体に響き渡る大声で話し、それが 1秒として途切れることなく延々と続くのである。周囲への配慮なんて、生まれてこの方一度も考えたことがないのだろうね。

はっきり言ってうるさくてたまらないし、そのように感じているのは決して私だけじゃない。試しに「喫茶店 おばさん うるさい」の 3語でググると、こんなにたくさんの悲痛なまでの訴えが検索される。

さらにあのオバサンたち、大声で話すのは何も喫茶店やレストランでだけというわけじゃない。これは前にも書いたことがあるのだが、講演会や授業参観の真っ最中でもお構いなしに世間話に花を咲かせるのだ(参照)。単純な話、話をしたかったら外に出ればいいのだが、そんな気配はまったく見せない。

そればかりでなく美術館でもオバサン・グループの嬌声はかなり迷惑だし(参照)、さらにコロナの予防接種の場で、オバアサンたち(オバサンじゃない)がやたらうるさかったという話もあったんだった(参照)。

マグロやサメは泳ぎ続けていないと死ぬと言われるが、オバサンといいオバアサンといい、しゃべり続けていないと死んでしまうんだろうと本気で思ってしまう。

というわけで、世の中のオバサンたちにはぜひこの消音マスクを身に付けてもらいたいと思った次第なのである。ただ、あの人たちって、自分が周囲に迷惑がられてるなんてつゆほども気付いていないみたいだから、無理だろうなあ。

最後に念のため付け加えておくが、世の中のオバサンたちがすべてうるさいってわけでは決してない。当然ながら静かに会話してる人の方が多いのだが、まあ、とにかくうるさい人たちの 90%以上はオバサン・グループなのだよね。

 

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2024年6月12日

『ドレミの歌』の「シ」と "tea" の謎が解けた

実は長い間の疑問があった。それはほぼ 60年にわたって抱き続けてきた疑問なのだが、『ドレミの歌』のオリジナル版(英語版)の歌詞についてである。

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『ドレミの歌』の出だし、「ドはドーナツのド」はペギー葉山の訳詞によるもので、オリジナル版では "Doe, a deer, female deer" (ドゥは鹿よ、牝の鹿)と歌われる。「鹿」は英語で "deer" だが、「牝鹿」は "doe" になるのだ。以下、こんな具合である。

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一見して気付くように、日本語版では「は幸せよ」と歌われる部分が、英語のオリジナル版では「ティはジャム付きパンに付いてる飲み物よ」である。

英語では「」が「ティ」のようで、実際にそう歌われてるんだからそう信じるしかない。ただ、どうしてそうなるのかまで納得したわけではなく、ずっと心の底に引っかかっていた。

"Do, Re, Mi..." は、実はイタリア語である。英語ではフツーは音階を "C, D, E..." で表す(ドイツ語もほぼ同様だが、「注記」を参照のこと)のだが、米国人でも "Do, Re, Mi..." にはある程度馴染みがあり、『ドレミの歌』はちょっとオシャレにイタリア式なのだが、なぜか「」が「ティ」なのだ。

ずっと不思議でしょうがなかったのだが、このまま死ぬまで不思議がっていてもしょうがないと思い立ち、おもむろにインターネットで調べたところ、長年の謎があっという間に解けてしまったのである。Yahoo 知恵袋にある nan**** さんの解答が分かりやすいので以下に引用させていただく。

音感を鍛えるのには、メロディーを「ドレミ・・・」で歌うのが有効ですが、♭や ♯ のあるメロディーは困ります。

英語圏では、♯ は母音を i、♭ は母音を e に変えて発音するようにして、メロディーを音階で歌えるように工夫したそうです。ド♯ は di レ♯ は ri という要領です。

そうすると ソ♯ が si になってしまうので、英語圏では シ を ti に変えました。

なるほど、「シ」をまんま "Si" と言ってしまうと、"ソ♯" と同じ発音になって区別がつかないので、敢えて "ti" にしてしまったというわけか。積年の疑問の解け方が呆気なさ過ぎて不満なほどだ。

とはいえ、昔はこんなに容易には調べがつかなかった。インターネットのある世の中って本当にありがたい。

【注記】

英語では「シ」の音は "B" だが、ドイツ語だと "H"(ハー)で、♭ が付いた場合に限り "B"(べー)になる。つまりドイツ語式で「べー」と言ったら、それはとりもなおさず英語式での "B♭" (ビー・フラット)のこと。詳しくは こちら を参照。

 

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2024年6月11日

「3文字略語」を巡る冒険 - AED と NHK

ベイルアウトした Grant さんという方の「弊社で開催された救急救命講習においてAEDの代わりに要求されたもの一覧」という tweet(参照) には笑わせてもらった。AED の代わりに ATM とか FBI が出てくるなんてファンタスティックですらあるが、「全員大真面目」だったという。

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問題の "AED" に関しては公共施設などでたまに見かけるが、病気関係にまったく疎い私は正直言って、「消火器じゃなさそうだし、一体何だろう?」ぐらいにしか思っていなかった。こうした 3文字略語がまともに定着しないのは、元の言葉(英語のことが多い)がまったく意識されないからじゃなかろうか。

例えば "AED" でググって一番上に表示される「日本光電の AED 情報サイト AED ライフ」の「AED って?」というページには、次のようにある。

AED(自動体外式除細動器)とは、心臓がけいれんし血液を流すポンプ機能を失った状態(心室細動)になった心臓に対して、電気ショックを与え、正常なリズムに戻すための医療機器です。

翻訳語の「自動体外式除細動器」という言葉は出てくるが、元の英語は文末まで辿っても全然出てこない。「自動」とあるので最初の "A" は "automatic" か "automated" だろうと容易に推量され、"E" は "external" かもと思うが、"D" はちょっと難度が高い。

2番目に表示されたオムロンのページでは、さすがに "Automated External Defibrillator" の略語であることが冒頭に表示されている(参照)。 私なんかこれだけで日本光電よりオムロンの方を信用したくなってしまったよ。

"Defibrillator" というのは結構難しい専門用語で、英語で表示してもどうせ通じないと言われそうだが、そんなこと言ったら「除細動器」だって同じぐらいわからない。日本語表示さえすればいいってわけじゃないのは、これを見ただけでわかる。

言葉としての「AED = 自動体外式除細動器」と "Automated External Defibrillator" とのリンクが軽視、あるいは無視されているのは、かなり問題だ。きちんと表示すれば、少なくとも "AED" と "FBI" の区別が付かなくなってしまうなんてみっともないケースは減るだろうと思うのだが。

かなり前のことだが、"SDGs" (3文字+小文字だが)をテーマにした勉強会に出席したところ、登場した講師が冒頭一番「"SDGs" の "S" は『サステナブル』の頭文字で、つまり"SDGs" は『持続可能』ということです」と説明するのだった。

せっかく "S" の意味を説明したのだから、続く "DGs" ("Development Goals" で、続けて「持続可能な開発目標」ね。念のため)も説明してくれればよかったのだが、そこは素通りされてしまった。多分、自分でもピンときてなかったんじゃなかろうか。

こんなわけで、この国ではアルファベット 3文字のわけのわからない略語があふれかえっている割には、漢字の訳語を丸覚えすることを強いられるだけということが圧倒的に多い。元の言葉を表示してくれさえすれば、それとのリンクで少しは覚えやすくなるのにね。

ちなみに、冒頭の tweet に出てきた 3文字略語の元の形は以下の通り。

ATM: Automatic Teller Machine
ADO:  Ado (略語ですらないみたい)
AGF: Ajinomoto General Foods
DEF:Drug Enforcement Administration
FBI: Federal Bureau of Investigation
IED: Improvised Explosive Device
OCN: Open Computer Network
OEM: Original Equipment Manufacturer

日本で一番普及した 3文字略語は文句なしに "NHK" だろうが、これは「日本放送協会(Nihon Hoso Kyokai)」の略だというのだから、ある意味スゴい。さらに「松竹歌劇団」を "Shochiku Kageki Dan" ("Dan" って何だ?)の 3つに分けて "SKD" にしたというのは「過激」とも言える手法だ。

こうした日本語ローマ字の略称となると、外国人には案外馴染みにくいだろうね。

 

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2024年6月10日

秋田の「人食いグマ」が「ヒグマとの交配」だって?

現代ビジネスが "地元猟友会の男性が危惧!秋田の山中に出没した「人喰いグマ」は、本当にツキノワグマなのか…指摘されている「ヒグマとの交配」の可能性" というかなり怖い記事を伝えている。先月秋田県でクマに襲われ、警察官 2名を含む計 3人の男性が死傷した件についての話だ。

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ツキノワグマとヒグマは、生息地が津軽海峡で本州と北海道に隔てられているのだが、この記事の見出しに「交配」という文字があるので驚いてしまった。もし本当に交配されたとしたら、ツキノワグマよりずっと大きなクマになってしまうだろう。

記事には「大型の個体の目撃例が増えていて、しかも、そのほとんどが赤毛の個体だったという」とある。そしてこの記事の前篇は、"『秋田の山中に出没した「人喰いグマ」の「ヤバすぎる正体」…!報じられない地元の証言「どう見てもツキノワグマじゃねえ」「デカすぎる」』" というものだ。

付近には 2012年まで「八幡平熊牧場」という施設があり、閉園直前にヒグマが脱走して従業員 2名を殺傷するという事件があった。この時に脱走したヒグマは全頭射殺処分され、閉園時にも飼育されていたクマはすべて別施設に移動されたということになっている。

しかし地元では、飼育されていたヒグマのうち数頭が行方不明になっていると密かに言われているらしい。脱走したヒグマがもしツキノワグマと交配してしまっていたとしたら、かなり大きな個体となって生息している可能性があるというのである。

一昨日新潟出張の帰路、群馬サファリパークに寄り(参照)、間近でライオンやツキノワグマを見る機会があった。クルマのウィンドウ越しに見てもかなりの迫力だったが、あれより大きいクマに山の中で出くわすなんて、考えたくもない

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最近、ただでさえ各地でクマの個体数が増え、里に降りて来るというケースが起きている。交配種が人里に出没したら、大変なことになるだろう。

ここは念のため、十分な調査をしてもらいたいものだ。

 

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2024年6月 9日

京都の「オーバーツーリズム問題」を考えてみる

現代ビジネスが "住民が市バスに乗れないほど観光客が殺到、舞妓さんを執拗に追いかける者も… 京都が苦しむ「オーバーツーリズム」の現状" という記事を伝えている。前々から噂には聞いていたが、住民が市バスに乗れないほどというなら、それは確かに大きな問題だろう。

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私は個人的に、関西方面への出張の度に京都に寄り道して神社仏閣巡りなどをするのを楽しみにしている。最近は確かに外国人観光客の姿が増えている印象があるので、祇園などのいかにも混雑しそうなスポットは避けて、地下鉄で郊外まで行って静かな寺などを訪れることが多い。

2ヶ月ほど前も姫路への出張の帰りに京都に立ち寄り、この時は時間が足りなかったこともあって、珍しく京都の中心街を歩いて、手ぬぐいの博物館なんてのを眺めてから家路に就いた(参照)。ただこの時は、雨の降るウィークデイだったこともあってか、それほどの混雑ではなかったがなあ。

そもそも私は、京都での移動は地下鉄を利用することが多い。京都駅前のバス乗り場は確かにうんざりするほどの人混みになっていることがあるが、地下鉄はそんなに混まないし、バスより迅速に移動できるので、どうしてみんな地下鉄に乗らないのか不思議でしょうがないほどだ。

率直な印象を言わせていただけば、京都というのは一大観光地の割には、人混みを分散させることが下手だ。駅構内、駅前などでは、目立つところにある JR 指定席券売り場は長蛇の列だが、少し歩けばスカスカの売り場があったりする。このあたりの案内が、かなり不親切に感じることが多い。

そもそも京都人というのは、必ずしも「親切」ではなかったりする。大昔からこの「不親切」で十分にやってこれたのだから、今さら急に「親切になれ」と言っても無理なのだろうが、混雑を分散させるということに関しては「不親切」を通り越して「下手」の領域にあると思う。

祇園などでは「一見さんお断り」などの「来るな」というアピールはしているようだが、街を挙げて「ほかにも行くところがいくらでもあるよ」という案内をする必要があるだろう。

ただそうした案内が行きすぎると、これまであまり外国人が行かなかったようなスポットにも人が押し寄せて、私のような「静かな穴場好き」はうんざりしてしまうかもしれないが。

 

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2024年6月 8日

たまにテレビを見ると、そのつまらなさに呆れる

二泊三日の出張旅行から帰った。もっとも最終日は和歌ログの方に書いた(参照)ように、群馬サファリパークなんてところに寄り道して楽しんだわけだが。

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ちょっとだけ旧聞めいてしまうが、「全局視聴率下落…主要テレビ局の直近視聴率実情(2024年3月期下期・通期)」という 6月 1日付のニュースがある。冒頭に添えられた三世代揃って楽しそうにテレビを見る家族の写真が、白々しさの極致だ。

私は自宅ではテレビをほとんど見ない。正月の能登半島地震の時にはさすがにテレビのニュースを見たが、それっきりだ。1日当たりのテレビ視聴時間なんてものを無理矢理に計算したら、おそらく 3分未満ということになるだろう。

ただ旅行中は、ビジネスホテルの部屋に入ったらとりあえずテレビのスイッチを入れる。ラジオだと高速移動中は選局が追いつかないし、Radiko も Premium にしてないから、旅に出るとわけがわからなくなる。そんなわけで、その日の情報を得るにはホテルのテレビが一番手っ取り早いのだ。

とりあえず NHK のニュースや天気予報なんてものを見た後に、リモコンをいじくり回して民放の番組なんかを覗いてみることもあるのだが、興味のあるスポーツ中継やドキュメントみたいなものを覗けば、馬鹿馬鹿しいものばかりだ。

とくにいわゆる「バラエティ系」の番組というのは、「いくら何でもつまらなすぎだろう!」と言いたくなるほど次元が低すぎる。最近の若者はテレビなんかより YouTube を見ることの方が多いというのももっともな話である。

とくにフジテレビの視聴率低下が著しいというのだが、一時代前とは様相が違っているのだね。ある時代のトレンドに適合し過ぎてしまうと、次のトレンドに付いて行けなくなる。

 

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2024年6月 7日

ガソリンよりずっと高い値段の水を飲む我々

昨日からクルマで出張に出ているのだが、やはり気になるのはガソリン価格である。高速道路を走るとかなりガソリンを食うが、一般道でもやはり走っていれば燃料メーターの針はどんどん下がってくる。で、最近はガソリンが高い。

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レギュラーガソリンの価格は 1リットルで 100円程度の時代が案外長く続いていて、安いときは 90円台前半なんてこともあった。ところが3年ぐらい前(だったかな?)からどんどん上がり始めて、最近はいつも 160円以上で 170円以上になっていることまである。これはかなりイタい。

そして金がかかるのはガソリンばかりではない。長く運転していると喉が渇くので、水分を摂りたくなる。水筒に冷たい水を入れて持ってきてはいるのだが、すぐに飲み干してしまって、道の駅とかコンビニなどで飲み水を買うことになる。コンビニだと 100円を切るが、自動販売機だとほぼ 120円だ。

しかも飲料水のサイズは大抵 500ミリリットル・サイズのペットボトル入りだから、1リットルに換算したら 240円なんてことになる。てことは、ガソリンより 5割近く高いということだ。我々はとんでもない値段の水を飲んでいることになる。

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こんなに高い水をクルマのガソリンタンクに入れても走らないのだから、イヤになってしまうよね。ガソリンを飲むわけにもいかないし。

 

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2024年6月 6日

新潟に移動して、庄内のポスターを見る

今日は新潟の三条市に出張で来ている。もっとも今日は単に移動日で、つくばの地をクルマで出て上越新幹線の燕三条駅前のホテルにチェックインしただけなのだが。

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バス、JR 電車、新幹線を乗り継ぐと 3時間 50分ぐらいかかるのだが、クルマで高速道路を使うと 4時間かかる。クルマの方が 10分余計にかかるのだが、乗り換えの手間がかからないだけ楽だ。

さらに、今回は試しに高速道路を使わずに来てみたところ、5時間半で着いた。6時間ぐらいかかるかと思っていたのだが、案外早く着くものだ。

いつも思うのだが、「移動の楽しみ」という観点からすると高速道路での移動というのはつまらない。一般道、しかも大きな幹線道路を避けた移動の方がずっと面白みがある。

ホテルの駐車場にクルマを入れて燕三条駅を覗いてみると、庄内の観光キャンペーンポスターが貼ってある。左側は遊佐町にある「丸池様」で、「様」の敬称が付くのは、「丸池神社」の御神体だから。池は湧き水だけで満たされていて、鳥海山の山頂にある鳥海湖と水脈がつながっているという説もある。

そして右は、「酒田のラーメン」をフィーチャーしたもの。昨年 10月の日本ご当地ラーメン総選挙」で日本一に輝いたことを受けている。私はこの栄冠に輝いて3日後の 10月 12日に、父の 13回忌で酒田に行って食べる幸運に恵まれたのだった(参照)。

自然の美しさととおいしいラーメンが好き人は、ぜひ庄内に旅してみていただきたい。

 

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2024年6月 5日

東京とマニラの違法建築、スケールが違いすぎる!

Twitter に相次いで、東京とマニラの違法建築の写真が載った(参照 1参照 2)のだが、そのスケールの違いに絶句するほどだ。東京なんてまったく可愛いらしいモノと言うしかない。

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写真の左側が東京駒込で見たという事例で、tweet 主の Hiroki TOMINAGA さんは一級建築士だけに「勇気!としか言えない違法増築」とおっしゃっている。ところが「ドヤ街探訪家」であられるニュー伊吹さんの tweet にあるマニラの事例はその何倍もスゴい!

「増築の上に増築さらに仕上げのバラックと全部乗せ状態で確実にトップヘビーw 盗電でクロスしまくる電線はご愛嬌」という tweet そのままで、よく崩れ落ちないものだと感心してしまう。さらに「盗電」のためという電線の複雑な絡まり具合を見ると、よく火事にならないものだと思う。

駒込の例では屋根の上に乗っかっている部分はこぢんまりしたものだが、マニラの場合は上に行くほど大きくなって、まさに「トップヘビー」状態。一番上の面積は、1階部分の倍以上あるよね。

フィリピンというところだって日本同様に、地震は多いはずで、最近では昨年の 11月と 12月に大地震があってかなりの被害が発生している(参照)。それでもこんなようなスゴい増築をするというのは、「勇気」なんてもんじゃなく「無鉄砲」のレベルというほかない。

何だかんだ言っても、日本というのはかなりモデレートな国である。

 

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2024年6月 4日

ダリって、かなりしっくりきてしまったよ

妻と一緒の裏磐梯旅行から、さっき帰宅した。さんざん運転して疲れてしまったので、昨日に続いて短かめで失礼。

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今日は五色沼の近くにある諸橋近代美術館で、サルバトール・ダリのコレクションをたっぷりと見た。

妻はちょっと前に東京で開催されたダリ展を、ダリ・ファンの長女と共に見たことがあるというのだが、私としてはダリ作品をナマで見るのは今回が初めてで、しかもあれだけのボリュームなので、すっかりノックアウトされてしまった。

彼の絵はは時計がダラリとぶら下がったりして「わかりにくいシュールレアリズム」の代表格みたいに思われているが、よく見るとかなり言葉で表現しやすかったりするのだね。実はフロイト的なメッセージが色濃く感じられたりして、それがアメリカ人好みなんだろうと思われる。

で、私自身アメリカ趣味だったりするものだから、かなりしっくりときてしまった。このことが実感できたのは、今回の大きな収穫だった。

 

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2024年6月 3日

裏磐梯の奇景を楽しむ

今日は本当に久しぶりで妻と二人で旅行に来ている。目的地は福島県の裏磐梯だ。

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一昨年の 10月にも来ているのだが、最大の眼目だったスカイライン沿いの「浄土平」が雲の中に入って景色が見えなかった(参照)ため、その雪辱戦みたいな意味で来たわけだ。今回は天気に恵まれて、しっかりと楽しむことができた。

ここは 1893年の一切経山の噴火でできたもので、赤茶けた山肌のところどころから火山性のガスが噴き出し、自動車は窓カラスを閉じて通行するようにとの注意書きがある。

「日本のアリゾナ」と言われるほどの荒涼とした景観は、「絶景ロード」と言うに相応しい。これで 1年半越しの願いが叶ったことになる。

というわけで、今日はいろいろ巡って疲れたので、これにて失礼。

 

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2024年6月 2日

外国人に日本語で話しかけられたら・・・

米国のソーシャル・メディア reddit に "People’s common reaction when you start speaking their language" (「彼らの言語を話し始めたときのリアクション」 )という、とてもおもしろい記事がある。外国に行ってその国の言葉で話したらどんな反応が示されるかを調査したものだ。

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その結果を最大公約数的に示すと、上の図のようになるという。日本語版に示された翻訳にちょこっと修正を加えれば、こんなようなことだ。

赤:(南欧に多い反応)
  われわれの言葉を一言でも話してくれたからには、
  もう公式で永遠の親友だよ!
青:(東欧、ロシアに多い反応)
  いいね。でも、なぜわざわざ……?
ピンク:(ドイツ、北欧の反応)
  お上手だけど、英語で話しましょ。
オレンジ:(フランスに限った反応)
  お願いだからやめて。
グレー:(英国とアイルランドのみ)
  反応なし

南欧の人たちにしてみると、外国人が自分たちの言葉で話してくれるというのはかなり嬉しいことのようだ。それとは対照的に、ドイツや北欧の人たちはごく冷静に「ここは英語で話しましょう」と反応する傾向が強いようなのである。

北欧では英語を当たり前に話せる人が多いので、「あなたにとっての第二あるいは第三外国語を話すより、慣れた英語で話す方がお互いに楽だよね」ってなことなのだろう。南欧がホットでエモーショナルな率直さとすれば、北欧はクールでロジカルな率直さだ。

こうした反応と比べると東欧とロシアではちょっと複雑で、ペシミスティックなニュアンスが感じられる。「なんでわざわざよりによって、ウチらの言葉なんて学んだの?」といったような感覚、わからないじゃない。

そしてフランス人の反応は、完全にフランスならではのものと言っていいだろう。「こなれないフランス語は止めてくれ!」って感じで、大変な言語的自尊心である。

そして英国人とアイルランド人が「反応なし」というのは、決して素っ気ないのじゃない。元記事が米国のメディアのものなので、「お互いに外国語じゃない」というだけのことだ。そうでなくても外国人が英語を話すぐらいはごく当たり前なので、取り立てて反応することもないのだろうね。

翻って、日本人が外国人に日本語で話しかけられたらどんな反応になるだろうかと考えてみたのだが、なかなか明確なイメージが思い浮かばない。多分、日本語を話す外国人に遭遇する機会が少ないからだろうと思う。

日本語というのはネイティブな話者が 1億人を超してる割には国際的位置づけが特殊すぎるのだよね。日本に出張してくる外国人にしてもほとんど英語で用を足そうとするばかりで、観光客となるとなおさらだ。

私自身の乏しい経験から言えば、相手の日本語がちゃんと通じるレベルだったら、とりあえず「日本語お上手ですね」と褒めてフツーに話す。しかし日本語が下手くそでまるで要領を得ないようなケースでは、北欧の場合同様に「英語で話しましょか?」と助け船を出すことになる。

ただ、これ幸いとものすごい中国語訛り(だと思う)の英語で話し出されてますます難儀した経験もあるので、なかなか一筋縄では行かないのだが。

 

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2024年6月 1日

マイナンバーカードが iPhone に入るというので

来年春からマイナンバーカードを iPhone に追加できるようになる(参照)ことに関して、IT Media が "iPhoneへの「マイナンバーカード」にまつわる誤解を解く プラスチックカードより安全だが課題もある" という記事を載せてくれている。わかりやすい記事で、ありがたい。

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マイナンバーカードは健康保険証と一体化というのだから、箪笥の奥にしまいっぱなしというわけに行かない。私は財布にいろいろなカードを入れて持ち歩くことに抵抗があるので、カードそのものを持ち歩かずに済むのは基本的に賛成だ。

その昔は「定期券入れ」というものを持つのがかなり一般的で、この中に通勤・通学定期券のほか、社員証、学生証を始めとするいろいろな証明書などを入れていた。ところが定期券が SUICA と合体し、その他の証明書やカードもほとんどスマホに入ったので、定期入れは必要なくなった。

その代わり、スマホに入らないカードは財布に入れることになったので、財布はちょっと分厚くなってしまっている。お札が増えたわけじゃないに、ちょっとムカつく現象だ。マイナンバーカードがスマホに入れば、財布が少しはスリムになるし、後は運転免許証の番だろう。

ただ、当初の発表ではマイナンバーカードがスマホと一体化されるのは今年の 4月なんて言われていた(参照)のだから、運転免許の方はさらに遅れてしまうのが確実だ。お役所って、こうしたことの対応がやたらトロいというか、さっさと推進する気がないみたいだよね。

 

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