私の時代には、学校にプールなんてなかったのだよ
³&₈ さんという方のこんなような tweet を見つけた(参照)。多分学校のプールについての話だろう。
プールは「令和=暑くて中止、平成=寒くて中止」で、"昭和はたとえ後期でも「うるせぇ寒かろうが雨だろうが今日はプールの日なんだよ黙って浸かれ」であった" とある。ただ、これにはちょっとだけ引っかかりを覚えてしまう。
それは昭和に関して「たとえ後期でも・・・」とある点で、これだとつい「じゃあ、前期はどうだったと言いたいの?」となってしまうのだ。昭和って 64年まであったから、フツーに考えれば後期は昭和 33年(1958年)以後、前期は 32年(1957年)以前ということになるよね。
私の小学校入学は昭和 34年(1959年)だから辛うじて「昭和後期」なのだが、その頃は東北の地方都市の学校にプールなんてほとんどなかったのだよ。何しろ校舎本体ですら木造のオンボロだった(参照)し、泳ぎたかったらこの同じ年に完成した「市営プール」に行くか、海水浴に行くしかなかった。
高校 2年だった昭和 44年に、初めて自分の学校にプールができたが、実際に入った記憶は 1〜2度しかない。高校はサボってばかりだったし(参照)、すぐに卒業しちゃったので、かなり印象が薄いのだよね。
そしてこの年より 12年以上遡らなければならない「昭和前期」なんて時代には、そもそも学校のプールなんて一般的じゃなかったし、あったとしても防災用溜め池に毛の生えたようなものだったらしい。
つまりこの問題に関する限りは「昭和はたとえ後期でも・・・」なんて言うより、「昭和後期になってようやく・・・」という方が実感なのだよね。むしろ「寒かろうが雨だろうが学校でプールに入れるだけマシ」と言っていい時代だったような気がするので。
さらに平成になって「寒くて中止」と言えるようになったというが、私としては「多少寒くても、泳ぎたいよね」ってな感覚だったし、令和の「暑くて中止」なんて風潮には、「暑いからこそ、水に入りたいってもんだろうよ!」とモロに反感を覚えてしまうほどだ。
こんなことを書いていると、自分では若いつもりでも数字だけ見ればやっぱり 70歳を過ぎてるんだなあと感じてしまった。なにしろあと半月ほどするとまたしても誕生日で、72歳なんてことになってしまうのだから。
いやはや、そんな年になるなんて自分でも信じられないが、プールの思い出をとってみれば、たしかに「そんな年」というほかないのだね。
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コメント
そういえば、海での授業で悲惨な水難事故が起こったのをきっかけに学校のプール整備が始まったんでしたね。
参考:
https://note.com/minamizato/n/n4decdaea7a76
https://www.huffingtonpost.jp/entry/nakagawara_jp_62e0d119e4b03dbb991eb7d6
投稿: 柘榴 | 2024年7月12日 04:48
柘榴 さん:
へえ、ご紹介の記事については初めて知りました。何しろ 1955年と言えば、私はまだ 3歳でしたので。
この事件をきっかけに学校のプール整備が始まったとすれば、ウチの田舎にまで波及するのに 15年という長い年月がかかったというわけですね(と、じっと遠くを見る目になってしまう私 ^^;)
投稿: tak | 2024年7月12日 05:34
私の聞いた話だと、学校へのプール設置の機運がたかまったのは 昭和30年の紫雲丸の海難事故に修学旅行の生徒が多数巻き込まれて死亡したのがきっかけとなったということです。そして、今回プールの事故を起こした現場の南海中学校は、その時の事故で28名の犠牲者を出した学校なのです。
投稿: basara10 | 2024年7月12日 11:04
basara10 さん:
へえ、昭和 30年って、小中学生の大きな海難事故が続いた年なんですね。
こうした事故がきっかけで学校プール設置の気運が高まったのに、そのプールで死亡事故とは、悲しい話ですね。
投稿: tak | 2024年7月12日 15:22