「縄文人度合」という概念があるんだそうだ
Sience Portal というサイトに 7月 24日付で "日本人祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫る ゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究" という記事がある。科学ジャーナリストで共同通信客員論説委員の内城喜貴さんによるものだ。
これまでの学説では、日本人の祖先の形成は「二重構造モデル」が定説となっていた。縄文時代の狩猟採集民族である縄文人と弥生時代に大陸の北東アジアから渡来した稲作移民の弥生人の混血により、現代の日本人が形成されたというものである。
しかし近年のゲノム解析技術の進展により、この定説は修正されつつあるのだという。新しい学説は「三重構造モデル」なのだそうだ。
縄文人の祖先集団は、2万~ 1万 5000年前に大陸の集団(基層集団)から分かれて渡来したとされる。その後、弥生時代に北東アジアに起源をもつ集団が、また古墳時代には東アジアの集団がそれぞれ渡来し、その度に混血があったと推定できたという。
これはゲノム解析により、日本人の祖先系統が沖縄県に多い「縄文系」、関西に多い「関西系」、そして東北に多い「東北系」の 3つに分けられたこととも符合しているようだ。沖縄の人たちは縄文人との遺伝的親和性が最も高く、東北系の人たちがそれに次ぐ。そして関西系の人たちは最も低いのだそうだ。
民俗学の柳田国男は『蝸牛考』で、カタツムリを表す方言は、京都を中心に同心円状に分布しているとした。新しい言葉は都から発生して周辺に伝わるので、端に行くほど古い言葉が残っているというのである。
今回の「三重構造」のモデルをこの『蝸牛考』式に解釈すると、周辺に行くほど「縄文人度合」が高くなっているということから、古墳時代に渡来した東アジア系の集団は、権力の中心である関西に入り込んで日本に定着していったのだろうと想像される。南九州や東北は、中央権力から遠かったのだ。
地図を見ると面白いことに、私の生まれた山形県よりも、今住んでいる茨城県の方が縄文人度合は高いようなのだ。なるほど、確かに「顔の濃い人」が多いような気がする。「弥生顔」の北上は、太平洋側より日本海側の海流に乗ったもののようだ。
関西系の人たちというのは古墳時代以後に東アジア方面からやってきた人たちの血が濃いようで、顔の濃い人があまりいないのはそのせいなのかもしれない。そのかわり、日本の政治・文化の中心的な役割を担うことになった。上方文化は、「顔の薄い人」でつくられたようなのである。
私自身は、平均的な上方人よりほんの少し縄文人度合が高いようだが、鹿児島県人や青森県人ほどじゃないような気がする。何しろ茨城県人の縄文人度合が私より高いらしいというぐらいだし。
この研究が深化していろいろなことがわかると、「県民性」の違いみたいなことまでつながるかも知れない。出雲国(島根県)の縄文人度合が高いというのもおもしろいし、来月はその島根県に出張することになっているので、ちょっと楽しみである。
【9月 11日 追記】
島根県に出張すると書いてしまったが、行くのは米子市で、鳥取県だった。この辺りの鳥取県と島根県の区別がしっかりできていなくて、お恥ずかしい。
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