区域と時間帯限定での「路上飲み禁止」は生ぬるい
東京・渋谷駅の周辺で、一昨日から夜間の路上飲酒が年間を通して禁止ということになったんだそうだ。ただ禁止となるのは限られた区域内で、さらに時間も限定だから 朝 5時から夕方 6時までは大っぴらに飲んでも構わないらしい。
路上での飲酒全般が違法という国が多いという常識からすれば、ずいぶん「生ぬるい」規制である。こんな具合だから、「路上飲みは日本の文化」なんて妙なことを言い出す人が出てくる(参照)。
とくに最近はハロウィーンや大晦日の渋谷駅周辺での馬鹿騒ぎが話題になり、「日本では路上で大っぴらに酒が飲める」という話が外国人にまで広まって一種異様な雰囲気になってしまった(参照)。それで当初は、ハロウィーンと年末年始に限って路上飲酒が禁止されたものと記憶する。
ところが最近は年がら年中目に余る状態になったので、「通年禁止」ということになったようなのだ。対応が遅いと言えば遅すぎるし、罰則もないので実効性という点でも疑問が残る。生ぬるいにも程がある。
路上飲みが「日本の文化」というのは言い過ぎだが、日本が路上飲みに寛容すぎるというのは明らかだ。さらに言えば、公共の場でぐでんぐでんに酔っ払ってしまうことにも寛容すぎる。酒に関する「お恥ずかしい話」が、日本ではなぜか「ご愛敬」として大目に見られてしまいがちなのだ。
日本人が酒の上での醜態に寛容であることの理由は、一緒に酒を飲んで「罪のない共犯関係」を構築したがる意識にあるのだと思う。ズブズブの「運命共同体」を作り、もたれ合って安心したいのだ。
もっとも「罪のない共犯関係」というのは日本だけのことで、諸外国では「実際の罪となる共犯関係」となってしまうことも多い。ニューヨークなどでは路上で栓の開いた酒瓶を持っているだけで罰金を取られたりするほどだから、「酒」というものの捉え方がかなり違う。
日本でもそろそろ、こうしたことをシリアスに考え直さなければならないだろう。はっきり言って路上飲みは「終日禁止」にすべきだし、それを渋谷だけでなく多くの都市に広げてもらいたい。路上で酒を飲めなくても生活には何の差し障りもないのだから、ためらう理由はないだろう。
極端に聞こえるかも知れないが、「花見」などでの飲酒も例外にすべきではないと思う。花見シーズンの早朝に桜の名所と言われる公園などに行ってみれば、目を覆うほどのゴミの山に驚いてしまう。人間、集団で酔っ払ってしまうと行動に責任を取れなくなってしまう。
どうしても花見と酒をセットにしたかったら、桜を見たその足で飲み屋に行けばいいし、飲み屋が満席だったらさっさと帰って家で飲めばいい。。
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コメント
屋外では全面的に飲酒禁止でいいですね。
路上で酒を飲むひとたちは居酒屋にはいきません。
居酒屋に行く金もない人達が路上飲酒します。
酒飲み人の最底辺層が路上飲み人なんです。
当然マナーなんて期待できません。マナーを訴えても無駄です。
全面禁止にしたらコンビニ業界から大反対されるでしょうね。今回の路上飲酒禁止の内容が甘いのはすでに業界から圧力を受けているかも知れません。
投稿: ハマッコー | 2024年10月 5日 00:55
ハマッコー さん:
>全面禁止にしたらコンビニ業界から大反対されるでしょうね。今回の路上飲酒禁止の内容が甘いのはすでに業界から圧力を受けているかも知れません。
なるほど、それがあるか ^^;)
投稿: tak | 2024年10月 5日 07:53