「透析しないと死ぬ」は「透析しないと死ぬ」という意味
X (旧 Twitter)に Earl さんという方が次のような tweet をしておられる(参照)。最初に読んだ時は「透析しないと死ぬと言われたけれど、透析しないと死ぬという意味だと思わなかった。何でちゃんと説明してくれなかったのか」というのが理解できず、頭の中が「?!?!?!」になってしまった。
二度繰り返して読み、これはこの通りの意味なのだと、やっとわかった。トアロさんという方のこのような tweet (参照)を踏まえたもののようなのである。
これって実際にあったケースのようなのだ。医師はある女性患者に「透析しないと死にます」と説明したのだが、その患者は「手術はしたくない。透析も、もうしたくない」と言い、透析中止の同意書にサインした。
夫も妻の意思を尊重して「本人がいいならそれでいい」と了承。ところが実際に透析を止めた後に妻が死に至ると、夫は病院を訴えたというのである。
まさに「透析しないと死ぬと言われたけれど、透析しないと死ぬという意味だと思わなかった」というケースのようなのだ。こうしたことが少なくないため、病院はかなり苦労してしまうらしいのである。
ただ、医者の言葉をきちんと理解した上で「透析しない」と宣言し、その上で「医師の力」ならぬ「意思の力」で生き延びたら、「透析止めても死ななかったじゃないか。デタラメ言われたせいで余計なストレス味わったから、『医者料』ならぬ『慰謝料』よこせ」なんて病院を訴えるのも面白いだろう。
とはいえ「いずれ必ず死ぬんだから、決してデタラメじゃない」なんて言われたら、まさにその通りだから和解するしかないだろうけどね。
ちなみに私個人としては、生きるだの死ぬだのいうことにあくせくし過ぎるのは鬱陶しいと思うようになっている。ほとんど病気知らずで、20年以上元気に 2本のブログを毎日更新し続けていられる(来月 25日で 21年になる)のは、この「ほんの小さな達観」のおかげかもしれない。
最後に蛇足っぽいが、佐々木⋈和守さんという方のコメントにはちょっと笑わせていただいた。
なるほど、「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っていると・・・」というような「小泉進次郎構文」にもそれなりの意味はあるようなので、そこにそれなりの意味を認めることにはそれなりの意味があるようなのである(チョー進次郎構文)。
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コメント
日常生活だとこんなのよく感じます。
「明日〇〇必要だから持って来てね」
・・・
「なんで〇〇持って来てないの?なんも出来ないじゃん!」
「そんなに必要だと思わなくて」
必要って言葉の意味、わかってますか(笑)
投稿: らむね | 2024年11月26日 19:39
らむね さん:
なるほど、確かによくあることなんでしょうね。
ただ「そんなに死ぬとは思わなくて・・・」となってしまうと、忘れ物とはレベルが違ってきちゃうので、ヤバいですね ^^;)
投稿: tak | 2024年11月26日 20:05