「正念場」という言葉の深い意味
朝のラジオ・ニュースで、「石破内閣は、年明けにはいよいよ正念場を迎えることになりそうです」と言っていた。この「正念場」というのは政治の世界の典型的な決まり文句で、政治家たちって年がら年中いろいろな「正念場」を迎えているようだ。そんなに「正念」なんてものがありそうに見えないのだが。
そもそも「正念場」というのは、元々は芝居の世界の言葉だった。辞書にもこんなようにあるし、添えられた写真も歌舞伎座だ。
- 歌舞伎・人形浄瑠璃などで、1曲・1場の最も大切な見せ場。性根場(しょうねば)。
- 真価を表すべき最も大事なところ。ここぞという大切な場面。「交渉は―を迎える」
歌舞伎や人形浄瑠璃などの「正念場」というのは「性念場」や「性根場」とも言われ、本心を隠していた人物がいよいよの場面で究極の思いを明かす場面である。インターネットでは note 24 というサイトの「歌舞伎の楽しみ 〜性念場、性根場〜」には次のようにある。
「正念場」は歌舞伎で、主人公がその役の性根をどう表すのかはっきりわかる、言い換えれば、場面中の重要な箇所を指す。古くは性念場、正念場という文字も当てられている。「寺子屋」、「熊谷陣屋」、「盛綱陣屋」の首実検、「封印切」の忠兵衛が金の封を切るところ、主に場面の中核にある場合が多い。
ここに挙げられた "「寺子屋」、「熊谷陣屋」、「盛綱陣屋」の首実検、「封印切」の忠兵衛が金の封を切るところ" などは、まさに歌舞伎の見所である。下の写真は私の大好きな『熊谷陣屋』のまさに正念場。それぞれの説明は、上のリンク先にあるので、ここではくどくど触れない。
「正念」という言葉をさらに辿れば、仏教の「八正道」(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)に行き着く。「正念」はその 7番目に当たり、Wikipedia では次のように説明されている。
正念(しょうねん, 巴: sammā-sati, 梵: samyak-smṛti)とは、四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが「正念」である。
語り出したらやたら難しいことになりそうなので、ここは深い哲学的真理から出た言葉ということで片付けておこう。
というわけで、政治の世界でしょっちゅう出てくるようなレベルの「正念場」というのは、「またか」と思っていればいいだけのようなのだ。
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コメント
とすると、正念場という言葉は ‟さわり″に近い意味と捉えていいのでしょうか?
投稿: ハマッコー | 2024年12月31日 08:52
ハマッコー さん:
近いと言えば近いですが、「さわり」には「正念の吐露」という要素を伴わないものも多いので、「含む/含まれる」の関係という方がいいと思います。
投稿: tak | 2024年12月31日 09:37