千里の道なんてどーでもいいから、「取りあえずの一歩」
新年を迎えたものの、去年からの仕事の積み残しがあって、相変わらずあくせくしている。そのうち何か新たな一歩を踏み出そうとは思っているのだけどね。
取りあえず、「何か一歩踏み出そう」というメッセージ的なヒントはないかと、「一歩 踏み出す」というキーワードで検索してみると「千里の道も一歩から」というご大層な諺であふれかえっている。世の中には「千里の道も一歩から Tシャツ」なんてものまであると知って、正直ビビってしまったよ。
「いやいや、そんなのはどうでもいいから、どうぞご勘弁を」と言いたくなってしまう。「千里の道」なんて考えてたら、畏れ多くて「一歩」すら踏み出せなくなっちゃうよ。ここは気軽に「取りあえずの一歩」で十分だ。
ここで私は、自分がこの年になるまでずっと「取りあえずの一歩」でやってきたのだということに気付いた。遠大な目標や緻密な計画なんて、まったく縁がない。
「取りあえずの一歩」でチマチマやってきたからこそ何とか暮らしていけてるし、「2本のブログで 21年連続毎日更新」なんてこともできた。初めから大きな目標なんか立ててたら、それだけでどっと疲れてしまう。
こんなことを言うと、「取りあえずの一歩の積み重ねが大切」なんて殊勝なことを考える人もいるかも知れない。いやいや、またしてもぶち壊しみたいなことを言ってしまうが、「取りあえずの一歩」が積み重なるなんてことはまずない。ひたすら、とっ散らかるだけだ。
ただ、「取りあえずの一歩」としてやってみたことのうちほんのいくつかが、忘れた頃になってビミョーな線でつながることがある。初めからそんなことを期待するわけでは決してないが、要するに「結果オーライ」みたいに役に立つことが多少はあるってことだ。
これって案外、「取りあえず主義」の醍醐味なのかもしれない。前さえ向いていれば、期待すらしていなかった方面で「あの時、下手の横好きで手を出していたことが、今頃になって役に立った」みたいなことになってくれることがある。
もしかしたらこの歳になれば、これまでとっ散らかしっ放しだった「一歩」のいくつかが、線で結ばれることが増えるかもしれない。いや、別に結ばれなくても、ちっとも構わないんだけどね。結構楽しくやってきたのだし、まだまだとっ散らかしも増やしたいほどだから。
というわけで、年始めの抱負みたいなこととして、こんなことを書いてみた次第である。いや、こんなの「抱負」にはならないか。「惰性」みたいなものだからね。
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