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2025年2月に作成された投稿

2025年2月28日

177番の天気予報が、来月末で終了なんだそうだ

PC Watch に "「177」の電話天気予報サービス終了まであと1カ月。70年の歴史に幕" というニュースを伝えている。電話で天気予報を聞けるサービスがあるなんて、若い人の中には知らないという人もいるだろうが、それが来たる 3月 31日 23時 59分をもって終了になるというのだ。

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今はスマホでいつでも簡単に天気予報を見ることができるが、昔は天気予報と言ったらテレビかラジオで聞くのがフツーだった。天気予報の時間まで待ちきれない場合は、電話で 177番にダイヤルするほかなかったのである。

私がこのつくばの地に引っ越して来たのは 1982年だったから、電話で天気予報を聞くのはあの黒い「イエ電」を使ってのことだった。そしてこの土地で初めて 177番 に電話して天気予報を聞いたときのことは、今でも鮮明に覚えている。何しろ天気予報アナウンスがものスゴい茨城弁だったからだ。

この時のことは、2020年 2月 6日の「統一地方選、茨城のウグイス嬢のアクセント」という記事に書いている。茨城の天気予報のアクセントというのは、選挙カーのウグイス嬢と同様に、かなりスゴい茨城弁だったという話だ。ちょっと引用する。(赤の太字の部分にアクセントがつく)

「明日、晴れ。降水確率 20%でしょう」というのが、「す、れ。コーすいかりつ、にじっぱせんとでしょ〜」で、とくに最後の「にじっぱせんとでしょ〜」の早口の平板アクセントは、曰く言いがたい異様さだった。前半の妙ちきりんなアクセントとの合わせ技で、「この人、歌ってるのかいな?」と思ったほどだ。

茨城県というのは「無アクセント地帯」と言われ、言葉をしゃべる時「単語」自体にはアクセントがなく、文全体のゆったりした山なりの抑揚の中に埋没してしまう。

ところが選挙カーのアナウンスとか 177番とかになると、妙に意識してしまうらしく、変なところに変なアクセントが付く。それでますますおかしくなってしまうのだ。

電話の 177番で茨城弁の天気予報アナウンスを初めて聞いた時はかなりのショックで、「ああ、おれは茨城の地に来てしまったんだなあ」としみじみ感じてしまったのを憶えている。ああしたアナウンスも、もう聞けなくなってしまうというわけだ。

 

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2025年2月27日

「粕汁」とか「かすうどん」とかいうもの

Daily Portal に窪田鳳花さんという方が "神戸で「かすうどん」頼んだら思てたんとちゃうのが出てきた話" という記事を書いておいでだ。久し振りの神戸への帰郷でおばあちゃんと食道に入ったところ、おばあちゃんが即座に「かすうどん」を注文したので、付き合って自分も同じものを頼んだというのである。

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ちなみに関西で「かすうどん」と言ったら「油かす(牛ホルモン)が浮いている出汁のきいたうどんのこと」といい、下の写真のような感じの、ちょっと「ギトギト感」の強いものらしい。彼は「おばあちゃん、かすうどん食うんだ!胃腸が若いな、よしおれも!」と思ったというのである。

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ところが、出てきたものはこんな感じだった。「粕汁のうどん」である。彼は「かすうどんの本場大阪の隣県で、同じ名前のぜんぜん違うものが出てくるとは思わなかった」というのだが、おばあちゃんにとっては「思っていたとおりのものだったらしく、当たり前のように食べ始めた」という。

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名前は同じ「かすうどん」でも、モノはぜんぜん違ってたというわけだ。

ちなみに私が「かすうどん」という名前から想像したのも、「粕汁にはいったうどん」の方である。というのは、私が生まれ育った山形県の庄内では、冬の寒い時期には「粕汁」というのがよく食卓に上っていてお馴染みだからである。こんな感じのもの(参照)で、体がとても暖まる。

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ただ、これでうどんを食うというのは、庄内ではないなあ。関西特有なのかもしれない。

もう春の陽気だが、今度の冬に田舎に行く機会があったら、粕汁で暖まるのもいいなあ。それから、自宅で粕汁のうどんを作って試してみるのもいいかも知れない。

【付記】

この記事、実は 2月 25日付として一度アップロードしていたのだが、26日に実施されたココログの大規模メンテナンスが終わってみたら消えてしまっていた。まったく困ったものである。

それで、こうしてもう一度書くことになってしまった。「ありゃ、一度読んだ憶えがあるぞ」と思った方もおいでと思うが、そういうわけなのでよろしく。

 

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2025年2月26日

現れよ! ボブ・ディランやジョーン・バエズの 21世紀版

イーロン・マスクがすべての連邦政府職員に前の週の成果を返信するよう求める鬱陶しいメールを送り、できなければ辞職と受け止めるとわめきちらしたことについて、トランプは「素晴らしいこと」と支持していると伝えられる(参照)。米国はもはや「まともな法治国家」じゃなくなっているようなのだ。

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こんなのは法的根拠がまったくなく、連邦政府の人事管理局(OPM)は、「返信しなくても辞職とは見なされず、職員にはメールに返信する義務はないと、人事担当者に伝えた」と報道されている(参照)が、実際には全体の半数弱にあたる 100万人強が報告要請に応じてしまった(参照)らしい。

イーロン・マスク、100万通以上の返信メールをどうやって読むんだろう。馬鹿馬鹿しすぎる話である。

トランプとマスクの好き放題に関連して、当然ながら米国内でも批判が起きており、”米国の経済学者が警告「トランプ率いる米国では『エリート機関』が破壊され、進歩が止まるだろう" という記事もある。ジョセフ・スティグリッツ氏の警告を紹介したものだ。

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私は先月 22日に "4年間の長いレイムダックをやり過ごす用意はいいか?" という記事を書き、トランプの任期の 4年間を辛抱すれば次は何とかなるみたいな雰囲気を伝えてしまったが、どうもそれほど楽観的なものでもないようなのだね。これは世界的な潮流の現れのようなのだ。

トランプの任期が終わっても、今回トランプを支持した人たちがいる限り、第2、第3 のトランプが現れないとも限らない。さらに「日本は安心」なんて呑気に構えていられるわけでもないようなのである。

こうなると、1960年代後半に米国で台頭した「公民権運動」のようなものをもう一度再現しなければならないんじゃなかろうか。あの頃一世を風靡したボブ・ディランやジョーン・バエズのフォークソングの 21世紀版を作り出さなければならない。

そうでないと、世界はどんどん悪くなってしまいそうだ。

 

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2025年2月25日

「100万円の過払い金」という話の謎が解けた

Quora に「TV でよく聞く過払い金が戻ってくる CM ですが、100万円が戻ってきたと言ってますが、払い過ぎた利息が 100万円ですよね。一体いくら借金をしたらそんなになるのですか?」という質問がある。私は TV ではなくラジオで何度も聞いているのだが、同じ疑問をもっていた。

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よく聞くのは「息子の結婚披露宴のための借金を 18年で完済したのだが、過払い金が 100万円以上戻ってきた」という話である。息子の結婚披露宴のために親が多額の借金をするというのも馬鹿馬鹿しいが、利息の払い過ぎだけで 100万円にもなるなんて、どんな豪勢な披露宴だったんだと思うじゃないか。

ところが、このQuora の質問への回答によれば、借金の元金はそれほど多額ではない場合がほとんどだというのである。多くは「リボ払い」のために、長年にわたって返済し続けても借金残高がなかなか減らないというケースなのだという。

「へぇ!」ってなものである。「毎月 3万円の返済で OK」なんて話に乗ってしまい、少額返済を繰り返すうちにまたまた借金を繰り返すというパターンが多く、長年にわたって返済しているうちに過払い金が 100万円を超すなんてケースも珍しくないらしいのだ。

この回答をしてくださっている Takashi さんによれば、「会計リテラシーがない人が多すぎる」「リボ払い自体が、情弱をカモにした阿漕な商売でしたからね」ということのようなのである。

いやはや知らなかったが、結構恐ろしい話だよね。

【2025年 2月 26日・記】

2月 25日付の記事としては、昨日に "「粕汁」とか「かすうどん」とかいうもの" という記事をアップロードした(証拠は下の Bluesky 画像)のだが、今回のココログのサーバー・メンテナンスによって消えてしまったようなので、急遽別の記事を書いた。まったく迷惑な話である。

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この消えてしまった記事に関しては、後日書き直して再度アップロードするつもりなので、よろしく。

 

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2025年2月24日

ベジタリアンは異性にモテないって?

Gigazine に "「ベジタリアン」は異性にモテない可能性、出会い系アプリでベジタリアンとプロフィールに書くと惨敗するとの実験結果" という記事がある。とくに「肉を食わない男は男らしさに欠ける」みたいに思われる傾向があるというのだ。

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ワルシャワ大学の研究チームはこのほど食事の習慣、特に菜食主義が恋愛の相手としての魅力や適性の認識にどう影響するかを調べる実験を行った。参加したのは女性 204名、男性 200名。全員が異性愛者で、肉を食べる非ベジタリアンだったという。

参加者には架空の男女のプロフィールを提示してその好感度を探ったのだが、そのプロフィールの食事に関する部分のみ、次の 4種類あった。

  1. 「動物愛護のためベジタリアン(倫理的理由)」
  2. 「環境保護のためベジタリアン(環境的理由)」
  3. 「健康のためベジタリアン(健康的理由)」
  4. 「食生活への言及なし」 

この結果、好感度が最も高かったのは「食生活への言及なし」というプロフィールで、逆にベジタリアンは好感度が低かったという。とくに「健康のためのベジタリアン」は最低評価で、最もデートしたくなく、最も男性らしくない、または女性らしくないという評価が下された。

私自身はここでも何度も書いているが、肉食を止めて久しい。ただ「ベジタリアン」というわけではなく、魚介類は食うので「ペスカテリアン」という分類に当てはまる。とはいうものの、詳しくない人から見ればそんな区別はどうでもよくて、「デートしたくない人」ということになってしまうのだろう。

ただ、この結論にはちょっと問題があると思う。それは、実験対象が全員「肉を食べる非ベジタリアン」だったということだ。フツーに肉を食う人にしてみれば、相手がベジタリアンだったりしたら、デートの際にどこで何を食えばいいのか困ってしまう。ということは、避けるのが当然だろう。

ところが逆にベジタリアンからしてみれば、デートの相手もベジタリアンの方がありがたい。つまり、「ベジタリアンは異性にモテない」という言い方をするのは問題で、実際には「食生活が共通している方が付き合いやすい」というだけのことになる。

ちなみにこの記事のタイトルを単純に読んでしまったら「異性にモテたいから肉を食う」なんて人が出てきてしまいそうだが、それは完全に「見当外れ」である。さらに記事中にあるこんな写真みたいなことになっては、逆に敬遠されるだろうから、真似なんかしないように。

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前々から Gigazine の翻訳はかなりアブナいと言ってるが、この記事では写真までヤバい(英語版の元記事には、こんな写真はない)。

ただ、この研究結果は詳細にみればさらにいろいろとおもしろいことが分かってくるので、興味のある方は元記事をどうぞ。

 

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2025年2月23日

ホテルのソープ、シャンプー、コンディショナーのボトル

昨日の記事からもおわかりの通り、このほど一泊で甲州方面に出張した。私はこの方面への出張では昭和町(甲府の隣町)の「ホテル昭和」が定宿なのだが、今回は残念ながら満室だったので、甲州街道を挟んで真向かいにある「スーパーホテル甲府昭和インター」に泊まった。

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リンク先の記事にも書いたように、私は大手ホテルチェーンの中では「スーパーホテル」を支持しているので文句ないといえばないものの、やっぱり「ホテル昭和」の温泉の素晴らしさは捨てがたい。次に行くときは泊まれるといいなあ。

上の写真はスーパーホテルから見るホテル昭和である。まさに昭和っぽいが、ホテル名の由来は「昭和町」という地名だと思うのでよろしく。

で、今回のテーマはそれとは別で、「ホテルのソープ、シャンプー、コンディショナーのボトルは、一見するだけじゃわかりにくい」というものである。下の写真は、今回スーパーホテルで撮ったものだ。

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ホテルに到着し、最初にバスルームでうがいや手洗いをする際に「さて、石けんはどれだ?」と思うのだが、たいてい区別が付きにくいのである。ボトルの小さく目立ちにくい字を見て、ようやく判別するのが思いのほか面倒だ。

スーパーホテルの場合は、左側の "B" の表示があるボトルに「フェイス&ボディソープ」とあり、右側の "C" の表示のボトルに「コンディショナー」とあるのだが、いずれにしても字が小さすぎて一見しただけではわからない。さらに "B"、"C" という表示の意味も謎だ。真ん中が "A" ってわけでもないし。

深読みすると "B" は "Body Soap"、 "C" は "Conditioiner" の略なのかなと思われないでもないが、だったら、どうして "Shampoo" の "S" は無視されてるんだ? いずれにしてもこんなに大きく表示するほど意味のあることとは思われない。

これって、何とかならんもんかなあ。

【2月 24日 追記】

よくよく調べてみると、シャンプーのボトルはちょっと回転させると、"S" の字があるにはあるようなのだ(下は「天然温泉 讃岐の湯 スーパーホテル高松・田町」のページより)。ただ、字の色が不鮮明でよほど注意してみないとわからないよね。私が気付かなかったのは無理もない。

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それにたとえ "S" の文字が見えやすかったとしても "Soap" と区別しにくいし、"B" が "Body Soap" の頭文字というのも苦しいから、いずれにしてもわかりにくい。

 

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2025年2月22日

富士山の雪の降り方の傾向って、初めて知った

昨日付の和歌ログでも書いたのだが、このほど山梨県の富士山の近くに出張したおかげで、富士山の雪の降り方の傾向について初めて知ることができた。本当にこんなの 70歳を過ぎるまで知らなかったよ。

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上の画像の右上は、昨日の『和歌ログ』にも載せた富士五湖方面から見た富士山(参照)、つまり富士山の北側だ。そして左下が昨年の 11月 30日付の "Today's Crack" に載せた(参照)、東海道新幹線つまり南側から撮影した富士山である(撮影は前日)。

昨年 11月末の段階でこれほど真っ白だったのだから、今回は大雪も降ったことだし、北側斜面はさぞかしと思い込んでいたのだが、実際に目の前にすると呆気ないほど雪が少ない。つくば方面からリアルタイムで見える山頂付近と比較しても少なく、ところどころ山肌が青っぽく露出している。

これ、当初は今回の強い北西風のせいで積もった雪が吹き飛ばされてしまったためと思った。しかし地元の人に聞いて見ると、そうじゃないらしい。富士山には富士山の雪の降り方があるというのである。

どんなことかというと、富士山の雪は主として西高東低の冬型気圧配置によって降るのではなく、南岸低気圧によってもたらされるというのだ。平地では雨でも、富士山ぐらいに高くなると雪になる。

そして西高東低型の「いかにも冬らしい雪」は、富士山に届く前に北アルプスや越後山地での大雪になってしまい、富士山までは届きにくいわけだ。

「へぇ!」ってなものである。世の中というのは実際に見たり聞いたりしてみないと、気付かないことやわからないってことが多いのだね。

 

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2025年2月21日

福島と汚染土と原発の問題

HUFFPOST に Keita Aimoto さんによる "除去土壌とは?再生利用は安全?専門家に聞いた「キホン」。福島の復興、NIMBY問題との向き合い方とは" という記事がある。"「ずっと福島に置いておけ」は「地元に帰るな」と一緒。除染土は、“ある小さな地方” の問題ではない" と合わせて読むべきものだ。

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この問題、「だから、昔から原発には反対してたんだ!」で済ませられればいいのだが、実際に 2011年の東日本大震災で被曝してしまった土壌があり、その除去土壌(除染土)が福島県内に大量に保存されているのだから、何とかしなければならない。避けて通れない問題なのである。

茨城県在住の私はあの震災では実際に被害を蒙り(参照)、家の庭に降りるサッシ戸が開かなくなったのだが、何度か余震で揺さぶられているうちに再び開くようになったなんてことまであったのだから、まんざら部外者というわけじゃない。震災後のしばらくは、洗濯物を干すにさえ気を使っていたのだし。

さらにクルマで東北方面に出かける度にモロに被災地を通る。宮城から福島にかけての海岸線は今でも大きな太陽光発電施設以外は何にもないというところが多いのだから、まったく他人事じゃないのである。

ぶっちゃけた話、除染土の再生利用は認めるしかないんじゃないかと思っている。地震は起きてしまったのであり、土壌は汚染されてしまったのだから、もうしょうがない。

あの震災直後は福島方面から北風が吹いてくるだけで嫌な気持ちになっていたのだが、今は「とにかく死にもしなかったし、病気にもならなかった」という事実を信じるしかない。除染土を福島だけに押しつけ続けるわけにもいかないじゃないか。

そりゃ、放射能の危険性がわずか 15年やそこらで消えるわけじゃないことぐらい、十分承知している。しかし起きてしまったことはしょうがない。多くの日本人がこれだけ毎日、体にいいわけない農薬や添加物満載の食料で生きてるのだから、放射能だけ特別扱いにはできない。

大切なのは、危険な原発の再稼働や新設を許さないことである。そのうち南海トラフでものすごいのが起きるのは確実なのだから、「除染土を持ってこられるのはイヤ」なんて言ってるより、こっちの方に「イヤ」と言うべきだろうと思うのだ。

今日の記事にはモロに賛否両論あるだろう。このブログに来てくれる人たちはとても良識があるから多分大丈夫とは思っているのだが、もしかしてコメント欄が徒に荒れすぎたりした場合には、閉じさせていただくこともあるので、ご了承いただきたい。

 

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2025年2月20日

ブラウンに着色してあるのを生まれて初めて見た

X(旧 Twitter)に、ぎゅうたんさんという方の「こいつで一生笑える」という tweet がある。一生かどうかはわからないが、確かに笑える。

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アイスクリームのラベルのようなのだが、チョコレート・アイスクリームが擬人化されており、これが見ようによっては、あるいはよらなくとも、モロに「ウンコ」なのである。食い物のラベルでこんなの、生まれて初めて見た。

ウンコとアイスクリームと言えば、7年近く前の 2018年 5月 6日に「排泄物のシンボリズム 」という記事を書いたことがある。「外国人に巻きグソの概念はあるのか」というテーマでの調査によれば、多くの外国人は「巻きグソ」の絵を見せられても「アイスクリーム」と思うようだという話だ。

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これに関しては、「ブラウンに着色でもしてあれば、また別の反応があったのだろうが……」と書いておいたのだが、1週間後にそれを証明するような記事を発見し、「茶色に着色してあれば、アイスクリームとは思われなかった」という記事につながった。本当に素晴らしいタイミングだった。

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人間の排泄物を肥料として使ったらどうなるかという YouTube 動画を紹介したのだが、そのタイトル画面に、まさに「茶色の巻きグソ」が表示してあるじゃないか。外国人でも、茶色に着色してあったら「巻きグソ」に見えてしまうのは当然なのだ。

そんなことを言ってるうちに、何とまあ日本において、「茶色の巻きグソ」がアイスクリームのキャラとして登場してしまったのだから、これは画期的なことと言える。洋式トイレの普及に伴って、これを見ても「ウンコ」と思わない世代が増えてきたのだろうか。

ところがさらにググってみると、上には上があるものだ。山梨県の清里には「便器型容器にこんもりと盛られた、うんこ風ソフトクリーム『開うんク・ソフト』」というのがあるというのだよ。今日はたまたま仕事で山梨県に来ているのだが、さすがに清里までは足を伸ばせないなあ。残念。

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ここまで書いてしまうと、「私ってば、こんな感じのトピックが好きだなあ」と我ながら妙に感心してしまうのだった。

 

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2025年2月19日

新幹線に 2人席と 3人席があるって、そんなに便利か?

「現代ビジネス」のサイトに「新幹線になぜ「2人席と 3人席」があるかご存知ですか…? 多くの人が知らない数学的理由」というページがある。私としては「定員を増やすためだろ」としか言いようがないが、この文の筆者、永田耕作氏は別の考え方を紹介している。

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彼は現役東大生らしく、冒頭で「チキンマックナゲットの定理(フロベニウスの硬貨交換問題)」なんて話を持ち出して長々と論じている。長すぎるので、さっさと手短に言ってしまえば、 2人席と 3人席があるとグループ旅行をしている人たちが「仲間はずれ」を出さずに固まって座れるからというのだ。

2人席しかないと、5人グループで 1人余ってしまうが、2人席と 3人席があれば、グループの人数が 2人でも 3人でも 4人でも 5人でも、はたまた 6人、7人、8人、9人、10人・・・でも、固まって座ることができるというのである。なるほどね、理窟で言えば確かにその通りだ。

しかし実際問題としては、2人席と 3人席が配置されていると当然ながら 1つの席の幅が狭くなってしまい、窮屈になってしまうのである。私なんか日本人としては大柄なタイプなので、西日本鉄道の新幹線等で両側が 2人席というのに遭遇すると、ゆったり座れて本当にありがたい。

新幹線で「仲間はずれを出さない」ことって、「ゆったり座る快適さ」を犠牲にしてまで実現させるほど重要なテーマだなんて到底思えない。もし 5人グループで乗るとして 2人席しかなかったら、私は進んで離れて座るがなあ。知り合いがずっと隣にいて気を使わなければならないより、ずっとマシだ。

それどころか、私なんかグループ旅行でもバラバラに席を取る方がいいぐらいに思っている。グチャッと固まって座ったオッサンやオバサンのグループが賑やかにおしゃべりを始めたりすると、うるさくてしょうがないしね。どうしても一緒にいたいというカップルだけ、2人席を選択すればいいじゃないか。

こうしたことって、3日前に書いた "「Me-Time(自分時間)」って、うまい言い方だ" とも関連するコンセプトだと思う。移動の時ぐらい一人にしてもらいたいと思うのは、私だけじゃないだろう。

同様のことは新幹線の座席ばかりでなく、グループ旅行時のホテルの部屋割りにまで言える。13年も前の「グループでホテルに泊まるとき」という記事に書いているように、外国のホテルはグループ旅行の客でも敢えて「同じフロアの続き部屋」にしないでくれる場合が多いのだ。

日本人も、そろそろ「ぐちゃっと固まった団体旅行」は卒業しようじゃないか。そういうのって、今どきは中国人に任せればいい。

最後に「必殺のぶっちゃけ」を言ってしまうが、新幹線の 3人席って、よほど混雑する時以外はたいてい(おそらく 80%以上)真ん中が空席で、残りの席にムダに窮屈を強いているだけなんだよね。

 

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2025年2月18日

LGBTQ+ の人たちとごくフツーに接することについて

HUFFPOST に "LGBTQ+を「LGB」に変えたストーンウォールの政府サイト⇒トランスジェンダー当事者らが集結「私たちはここにいる」" という記事がある。このLGBTQ+ の人たちの抗議行動、私はしっかりと支持する。

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ただ「しっかりと支持する」と言っているくせに、お恥ずかしいことに私は "LGBTQ+" という言葉について明確に理解していたわけじゃないことに今さらながら気付いた。

"LGBT" なら前々からわかっている。Lesbian(レズビアン)、Gay(ゲイ)、Bisexual(両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー)の頭文字をとったものだ。

トランスジェンダーというのは少し説明しにくいが、ジェンダー・アイデンティティ(性同一性、性自認)が出生時に割り当てられた性別と一致しない人のことだ。当人は言い出しにくいので黙っていることが多いが、実はこれで悩んでいる人はかなり多いようなのである。

最近加わった "Q" に関しては、私は "queer" (変わってる)の略としか認識していなかったが、"qustioning" (疑問が多い)の略とも言われているようで、要するに「どのセクシャリティにも当てはまらない人」のことだ。そしてさらに "+" が付いて、その他にもいろいろあるということが示されている。

Vicki Karaminas という人の 2013年の著書 "Queer Style" の表紙はかなりエクストリームだが、そのぶっ飛び具合が潔いまでにイケてる。

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試しにググってみると、現在のところ日本語版の Wikipedia では "LGBT" という項目までに留まっており、英語版でも "LGBTQ" までなので、"+" が付くのはまだ新しい概念であるとわかる。これらのページは今後さらに充実するだろう。こんなところでトランプに遠慮する必要はない。

つまりジェンダーというのは、「男」と「女」だけでは割り切れず、かなり多くのバリエーションが存在するのである。それを無理矢理「男/女」の二元論に押し込めてしまうのは、それに当てはまらない人たちを異常者扱いで抑圧することとなり、人権無視にもつながってしまう。

私は歌舞伎論で修士号を獲得したということもあり、昔からゲイの知人は少なくない。日舞なんかしている人には結構多く、彼らは芸に自信をもっているから自身のジェンダーをことさら隠したりせず、開放的に生きて救われている。

私の知り合いはこっちのタイプが圧倒的だから、あまり心配ない。しかし一般社会に暮らしながら自身のジェンダー意識と戸籍上の性別が一致していないという場合は、軋轢がかなり大きいだろう。周囲が抑圧したりことさらなまでに特別視したりしないように気を付けなければならない。

要するに我々は LGBTQ+ の人々を特別扱いせず、ごくフツーの隣人として接すればいいだけのことなのだ。この「ジェンダーにはいろいろあって当たり前」という感覚って私なんかには「ごく当然の話」で、どうして問題になるのかさっぱりわからないほどだ。

まともな目で見れば、トランプの方がずっと異常だろうよ。

 

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2025年2月17日

会議中の居眠りって、極楽みたいなもの

Bluesky で SAWASAKI Fuyuhi さんが、伊藤ケンジさんの国会議員の居眠りが「気持ちよさそうだな」という記事に「国会議事堂居眠りツアーとか企画したらけっこう応募者集まりそう」とコメントしておいでだ(参照)。なるほど、そんな企画が本当にあったら私も参加してみたい。

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とにかく会議中の居眠りって、その心地よさと言ったら極楽みたいなものだ。これは一度でも体験してみればよくわかる。授業中の居眠りとは段違いなのだ。

実を言うと私は若い頃に団体事務局勤務が結構長かったので、いつも会議を主催する側にいた。会議当日、過不足ない資料を揃え、パワーポイントなどをきちんとセットして準備しておくのに、いざ蓋を開ければいつも出席者の 1割近くは居眠りするのである。

若かりし頃のこととて、これにはちょっと腹が立った。口には出さないが、腹の底では「会議出席手当と交通費を支給してやってるんだから、そんなに堂々と寝るんじゃねぇよ!」と思っていたのである。

ところが長ずるに及んで、自分がいろいろな団体でプロジェクト責任者とか役員みたいな立場となり、会議の「出席者」として参加するようになる。すると申し訳ないことに、今度は自分が睡魔に勝てなくなってしまうことが度々あるのだ。

エアコンのよく効いた会議室で配布された資料を眺めているうちに、いつの間にか目がうつろになり、「意味のある文字」として認識できなくなる。そして、会議のやり取りの声もどんどん遠のく。

初めの 5〜6分ほどは「ヤバい!」と気付き、気を取り直す。しかしそのうちに何の抵抗もできなくなって、意識が一瞬の間にすぅーっと異次元にまで遠のく。

そして実に立派に居眠りしてしまうのだ。これ、本当に気持ちがいいものなのである。

それは単に「陶酔」の世界に入るからというだけではない。身に課せられた「責任」みたいなものを何のてらいもなく意識の外に放り出してしまうのだから、その背徳的開放感も半端じゃない。

これが国会内のことで、しかもテレビで全国に流れるとなったら、その極楽気分はある程度のリスクを超越することとも相まって、一般人の想像を遙かに超えるまでに高まるんじゃあるまいか。

これだからこそ、国会議員っていくら年取っても引退したがらないのだろうね。

 

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2025年2月16日

「Me-Time(自分時間)」って、うまい言い方だ

私は昔から「一人で時間を過ごせないやつは、ろくなもんじゃない」と思っている。Gigazine の "1人で過ごす時間を「孤独」ではなく「自分時間」と呼ぶとポジティブな気分になれるという研究結果" という記事を読んでも、「それ、当たり前じゃん」と思うばかりだ。

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そりゃ仲間と一緒に賑やかに過ごす時間も楽しいが、だからといって「自分一人でいる時間」が確保されなかったら、大変なストレスになってしまう。そんなわけで、この記事の冒頭の一文を読んで驚いてしまった。

1人で過ごす時間は孤独でさみしいものだと考えている人もいるかもしれませんが、近年は「自分時間」という言葉で 1人の時間を肯定的に捉える動きもあります。 

うぅん、それって「近年」に始まったことじゃないだろう。昔からの常識だと思うがなあ。そうでなかったら、ゲーテもカントも生まれない。

そう思いつつ元記事の 【From “isolation” to “me-time”: linguistic shifts enhance solitary experiences】(「孤独」から "me-time" へ: 言葉を変えると一人がカッコよくなる)に当たったみると、こんなふうな書き出しだった。

Spending time alone is a virtually inevitable part of daily life that can promote or undermine well-being.
(一人で時を過ごすのは日常生活で不可避なことで、健康や幸福感を促進したり弱体化したりします)

「一人の時間」にはいい面も悪い面もあると説き起こされ、とくに近年に始まったこととは書かれていないので、これならまあ納得できる。相変わらず、Gigazine の翻訳にはひっかかるところが多い(参照)。

要するにこの記事で紹介されているのは、「一人の時間」をどう呼ぶかということに関する研究の結果だ。

1つ目の実験ではアメリカに住む500人の成人に対し、無作為に「Me-Time(自分時間)」「Time Alone(1人の時間)」「Solitude(孤独)」「Being Alone(1人でいる)」「Isolation(孤立)」の 5つどれかを割り当てて、それぞれの言葉についてさまざまな質問をしました。

結果は次のようなことだった。

「自分時間」は一貫して最もポジティブで望ましいものだと評価され、被験者はそれが幸福にとって有益であり、積極的に経験したいものだと認識していました。

実質的には同じような状態でも、それを肯定的な言葉で表現するとハッピーでいられるというわけだ。まさに「物は言いよう」で、その意味で「Me-Time(自分時間)」とはなかなかうまい言い方である。"My time" だと、「持ち時間」的なニュアンスのせいでストレスにつながるからね。

というわけで、「一人で時間を過ごせない」というタイプの人間は、「一人の時間」じゃなく "Me-Time" や「自分時間」と言い換えてみると、感覚が変わってしまうかも知れない。

 

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2025年2月15日

ビヨンセの「最優秀カントリー・アルバム賞」受賞

今さらのようだが、今月初めのビヨンセのグラミー賞受賞のことについて触れる。第67回グラミー賞において、彼女の "COWBOY CARTER" に「年間最優秀アルバム賞」が授与された。ただ注目したいのは、このアルバムが「最優秀カントリー・アルバム賞」も同時受賞していることである(参照)。

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カントリー・ミュージックと言えば「白人の音楽」というイメージが強いが、よく調べるとブラック・ミュージックの影響もないではないし、黒人のカントリー・ミュージシャンだっている。

ところがこれまで、グラミー賞の「最優秀カントリー・アルバム賞」は、白人以外に与えられたことがなく、今回のビヨンセが黒人初の受賞となる。それだけに、かなり画期的なことと言える。

さらに言えば、これって米国の音楽界のトランプに対する反発と見ることもできる。トランプが聞きそうなカントリー・ミュージックと言ったら、モーガン・ウォーレンみたいな、日本で言えば「ド艶歌」みたいなものになってしまいそうだが、ビヨンセのはかなりソウルフルだし。

今回受賞したアルバムに収録されたヒット曲、" TEXAS HOLD 'EM" を聞くだけでそれは如実にわかる。こんな感じだ。

それに何より、ビヨンセは今回の米国大統領選で民主党のハリス支持を明確に打ち出していたしね。

トランプはムチャクチャな政策を矢継ぎ早に打ち出しているが、米国民の中にビヨンセの歌を楽しむ流れがあれば、4年後はきっと大丈夫と信じることにしよう。

 

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2025年2月14日

あおり運転されたら、すぐに停まって先に行かせてしまう

「くるまも by 三井住友海上」というサイトに、「あおり運転をするのはなぜ? あおられたときの対処法は? 加害者1,000人にヒアリングした教授に話を聞いた」という記事がある。答えてくれたのは明星大学で「あおり運転」について研究している藤井靖教授だ。

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あおり運転には 10類型あるとされるが、圧倒的に多いのは「車間距離不保持」というもので、要するに車間距離を極端に詰めて迫るといやつだ。これって、追い越し車線をノロノロ運転しているクルマの後ろで発生しやすい。つまり「通せんぼ運転」があるから、つい車間距離を詰めてしまいがちなのだ。

それだけに藤井教授は「加害者の 83%は自分があおり運転をしている自覚がない」と指摘する。つまり加害者は「相手が悪いから自分もそうせざるを得なくなっている」と考えていて、むしろ被害者心理の方が強かったりする。

私も「通せんぼ運転」運転されてイライラすることがよくある。しかしそんな場合は、決して車間距離を詰めてあおったりせず、むしろ別の車線を走って「通せんぼ運転」のクルマには近付かないようにする。

というのは、「通せんぼ運転」するような人は、生まれてから一度もバックミラーもサイドミラーも見たことがないんじゃなかろうかと思うからだ。つまり、自分が「通せんぼ運転」しているということに気付いていないのである。

そんなような人の運転するクルマには、危なくて近付きたくないじゃないか。私は 2019年 12月 13日付の "「煽り運転」は、元(通せんぼ走行)から絶たなきゃダメ" という記事で、"「通せんぼ走行」のドライバーにも、高い違反点数を課すべきだと思う" と書いている。

実際には追い越し車線で「通せんぼ運転」しているクルマとは別の車線を走っていると、自然にそのクルマを追い越してしまうことになる。あおったりするよりずっと「結果オーライ」になることが多いのだ。

高速道路とは別のケースとなるが、片側一車線の地方道で後ろからもの凄いスピードで迫ってくるクルマがあったりする。こちらが常識的なスピードで走り続けていたら、確実に「あおられる」ことになる。

こんな場合、私はすぐに左端にクルマを停めて道を譲ることにしている。相手はすぐに追い抜いて猛スピードで走り去るが、しばらく行くと、バックミラーもサイドミラーも見ないノロノロ運転のクルマ(運転)に「通せんぼ」されているのに追いつくことが多い。要するに「煽り」って危険なだけでムダなのだ。

冒頭で紹介した記事の写真に、"対処法は 3つの「と」" と表示されているが、これは「① とらえる(捉える)  ② とまる(止まる) ③ とる(撮る)」ということだそうだ。「捉える」は早めに気付くことで、「撮る」はドライブレコーダーで記録することだという。

たしかにこの 3つの「と」は有効だと思う。とくに早めに気付いて停まるという 2つの「と」で十分ということがほとんどだ。

 

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2025年2月13日

茨城県常総市の火事 坂手町全域に避難指示だって

茨城県常総市の坂手町で今日午後に山林から出火、付近の住宅に燃え移って午後 6時を過ぎてもまだ燃えている。坂手町には知り合いもいるので心配だ。今のところ、ケータイに電話してもつながらない。

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今日は大変な強風が吹き荒れているので、ニュースの動画を見ると風に飛ばされた火の粉が離れた所に落ちて燃え広がっている様子もうかがえる。この分だと鎮火はかなり難しいだろう。

強風の元での火事と言えば、私は 1976年 10月の「酒田大火」を思い出してしまう。私が高校時代にいつも通っていた映画館「グリーンハウス」から出火して、折からの強風に煽られてどんどん燃え広がり、酒田市中心部の商店街を焼き尽くしたというものだ。私もブログに書いている(参照

今のところけが人は出ていないようなので、避難は順調に進んでいるのだろうが、下手するとかなり多くの家屋が焼失してしまうかもしれない。

かなり心配である。

【2月 14日 追記】

この火事は本日午前 7時前に鎮火したようだ(参照)。49年前の酒田大火のような惨事にはならずに済んだようで、ホッとしている。繁華街ではなかったので、急には燃え広がらなかったようだ。

 

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2025年2月12日

PC のタイプ音がうるさいという人向けの昔話

毎日新聞 2月 11日付に "タイプ音がうるさい! 意外と多い職場の「音ハラ」、どう対処?" という記事がある。実は昨日このニュースを目にしたのが、「絶妙」というほどのタイミングだった。

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ちょうどその時、スタバの隣のテーブルで PC を開き熱心に仕事をしていたニイチャンのタイピングが、やたら大きな音だったのである。こちらの画面に表示された「タイピング音がうるさい!」という文字と見比べながら、つい笑ってしまうほどだった。

あの手の人たちというのはたいていタイピングがかなり快速で、常にこれ見よがし(これ聞けがし?)なほど大きな音を立てたがるが、とくに Enter キーを叩く時の音が大きい。まさに「バシッとパンチする」感じである。

Enter キーは右手の小指でさりげなくタッチするのがフツーのはずだが、隣のニイチャン、時々は気合いを入れるためなのか、ホームポジションから離れて右手中指あたりで「バシッ!」とやりたがる。あれで、よく肩が凝らないものだなあ。

ちなみに私はそれから締め切りの迫った原稿書きに没頭したため、このタイプ音なんて全然気にならなかった。しかしこうしたことで「ハラスメント」と感じてしまうような繊細な神経の持ち主の隣にこのニイチャンが座ったりなんかしたら、悲惨なことになってしまうだろう。

最近「昔の話をよくするようになったら、年ってことだよ」なんて言われることがあるが、今日はちょっと半世紀近く前の話をさせてもらおう。

私がキーボード文化に触れたのは、20代半ば頃に、会社の片隅でほこりをかぶっていた「英文タイプライター」なんてものを使い始めたのがきっかけだった。その時の話は 10年以上前に「バカバカしいが魅力的な iPad 用キーボード 」という記事の中にも書いている。

当時私は外国向けに日本の繊維産業をレポートする雑誌の記者をしていて、英語で記事を書いていたのである(勿論ネイティブに校正してもらってはいたが)。そのタイプライターは、モロに中古品のブラザー電動タイプライターで、やたら大きな音を「ガチャガチャ・・・」と周囲に響かせる代物だった。

というわけで、あの騒々しい電動タイプライターを通してキーボードの世界に入った私は、ちょっとやそっとのタイプ音は気にならないカラダになってしまったのである。PC のタイプ音なんて、あれに比べればずいぶんおしとやかなものだ。

世の中、何が幸いするかわからないというわけで、昔話はこれでおしまい。ただいくら昔と比べれば静かとはいえ、よい子は無駄に大きなタイプ音を響かせないように気を付けようね。

それにしても、最初に紹介した毎日新聞の記事に添えられたイラスト画像、下手くそすぎて大きなタイプ音なんかよりずっと気になる。 "CHAOS" と書かれた Enter キーらしきモノを、なぜか左手の指(に見えるが、それにしてもやや不自然)で打ってるし。

 

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2025年2月11日

タイムカプセルとしての『サザエさん』と、紀元節

私の Mac の「写真」フォルダに、どういうわけか大昔のサザエさんの 4コマ漫画の画像がある。波平お父さんが盆栽を手入れしながら朗々と歌う『紀元節』の歌を、カツオが「きげん節(ぶし)でしょう」なんて言い、波平さんがブチ切れるというものである。

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「サザエさん きげんぶし」でググってみたところ、こちら のブログが「現代では通用しないオチ」として紹介してくれているおかげで、1967年 2月 7日付朝日新聞掲載のものとわかった。なんと 58年も前の漫画である。

なるほど、このオチは現代では通用しないだろう。この漫画の掲載当時でさえ、中学校 2年生の私は辛うじて笑うことができたが、同級生達にはほとんど通じてなかった。

時代が下って現代となってしまっては、ますます難しいだろう。国会に持って行ったら、石破首相はニコリともせず、高市早苗女史は怒り出すかもしれない。

一方で『サザエさん』自体は新聞の 4コマ漫画としての連載が終了してからも、テレビ・アニメとして脈々と「半世紀以上前の世界観」を伝え続けている。Courrier に "ギネス世界記録に輝いた85歳 サザエさんを演じて55年「永遠の24歳」加藤みどりに米紙も注目" という記事があるほどだ。

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「永遠の24歳」というのは、サザエさんの年齢設定が 24歳ということになっているからだろう(参照)。この漫画の連載開始は 1946年らしいから、計算してみると 1922年(大正 11年)生まれである(参照)。

サザエさんが大正生まれだったなんて、気付いてる人はそれほど多くないだろう。そして 80年近くずっと 24歳のままでいるというのは、ものすごい荒技である。本来なら加藤みどりさんの 85歳なんてもんじゃなく、とっくに 100歳を超えているはずなのに。

この記事には "忠実なファンにとって、『サザエさん』は「タイムカプセル」なのだと、シンガポール国立大学で日本学研究をしているデボラ・シャムーン准教授は指摘する" という一文がある。日本でも "『サザエさん』は時代劇" という指摘があったりするが、「タイムカプセル」とは言い得て妙だ。

ちなみに波平さんは『紀元節の歌』を歌っていい気持ちになってるが、一見するとそんな歌は知らない世代に見えるサザエさんも、実は戦前の教育を受けているはずで、放っといたら波平さんと一緒に歌い出しかねない。人は見かけによらないものだ。

さらに言ってしまうと、カツオだって昭和 13年生まれで終戦の昭和 20年には小学校 2年生だったはずだから、『紀元節の歌』を習っていても不思議じゃない。もしかしたらそれっきり途切れたので、題名を間違えて覚えたままになってしまったのかなあ。うむ、そうか、きっとそうに違いない。

こうしてみると、『サザエさん』というのはかなりフレクシブルで、時々の都合によりどうにでもなるタイムカプセルである。

 

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2025年2月10日

世界の大都市で増加中のネズミが、東京では減少

CNN が「世界の大都市でネズミが増加、最大の原因は温暖化 米研究」という記事を伝えている。ネズミの増加まで「温暖化」のせいだったのか。

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米リッチモンド大学の研究チームが 16都市を対象として平均 12年にわたる集計結果をまとめた研究によると、11都市で、ネズミの数が大幅に増える傾向にあることがわかったというのである。ネズミが減っていたのは、米国のニューオーリンズとルイビル、そして東京の 3都市だけだった。

残る 2都市は Science Advances の "Increasing rat numbers in cities are linked to climate warming, urbanization, and human population" (都市のネズミ数増加は温暖化、都市化、人口と関連している)という記事によると、ダラス(微増)とセントルイス(微減)らしい。

とりあえず「へえ、東京じゃネズミが減ってるのか!」と驚いたが、ネズミさえ棲みにくい環境になってその分周辺に広がり、郊外がとばっちりをくってるのかもしれない。茨城県は利根川に阻まれて、とばっちりから免れているというならありがたいのだが。

いずれにしてもつくば周辺のネズミは普段は屋外に棲んでいるようなのだが、冬になると暖かさを求めて家の中に入り込んでくるのがいる。夜のうちに人間の食い物を齧ったりするので、油断がならない。

我が家ではいつもハーブから作られた忌避剤を屋内各所においてガードしているのだが、それでも冬になって天井裏から「パタパタパタ・・・」とネズミの走る微かな音が聞こえたら、粘着式のネズミ捕りの出番になる。この「ハーブの忌避剤」と「粘着式ネズミ獲り」の二段構え作戦はかなり効果的だ。

ただ、昨年は考えられないことが起きた。外に餌が豊富なはずの真夏にネズミが屋内に侵入してきたため、冬にしかやったことのない「二段構え作戦」で追い払うことになったのである。そしてこの冬はなんと、ネズミが入って来たような形跡が今のところない。

思うに昨年の夏は、屋外が「暑すぎた」のだろう。それでネズミとしても耐えきれず、日影と冷房でマシになっている屋内に逃げ込んできたとしか考えられない。そして冬にネズミが入ってこないというのは、温暖化も進み過ぎて、この辺りでも東京のように個体数が減ってしまったのかもしれない

昨年はヨーロッパの大都市も大変な暑さになったらしいから、もしかしたら東京のようにネズミが減少傾向に転じたりして。

 

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2025年2月 9日

1ヶ月予報によれば、この寒さは徐々に和らぐらしい

一昨日まで出張していた西日本では凍えるほどの寒風に震え、昨日はその風が関東まで侵入してきた。気温が低いだけならなんとか我慢するが、風が強いと体感温度がますます下がってしまう。ただ、風速が 1m 増すごとに体感温度が 1℃ 下がるというのは俗説のようだ(参照)。

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今日の夜明け前が今回の寒波による寒さの底だったらしく、確かにベッドから抜け出すのに一大決心を要した。ただ、底から脱したとはいえ今日の天気予報を聞くと「晴れても寒い」ということのようである。

一方、気象庁の発表した 2月 8日から 3月 7日までの 1か月予報を受け、ウェザーニュースは「厳冬の寒さは徐々に和らぐ 花粉の飛散と融雪に注意」との見通しを発表している。「徐々に和らぐ」というのはかなりビミョーな表現で、さらに「花粉の飛散」というのがかなり気になる。

ちなみに私の生まれた庄内(酒田)の天気はというと、「今日は雪が降り、ドカドカと強まることがあります」ということのようだ。「ドカドカと」というのが迫真に迫る。

そういえば私の通った小学校は築 60年のオンボロ木造校舎で隙間風がひどく、学校に着くと教室の机の上にうっすらと雪が積もっていたものだ。酒田というところは地吹雪がひどく、雪は上から降るのじゃなく横から下から吹き付けるので、ガラス戸の隙間から吹き込んでくる。

そんなわけで。授業中も教科書の上にハラハラと雪が落ちてきたものだ。あんなところで授業を受けさせるなんて、今から思えば「児童虐待」だよね。そして小中高の全てが、私の学年の卒業した翌年に鉄筋の新校舎になったんだから、我々ってよほど「間の悪い年代」のようなのだ。

それを思えば、この程度の寒さの我慢できないことはないか(と諦める)。

 

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2025年2月 8日

「よほど忌まわしい不祥事」でもあったのかと思ったよ

読売新聞オンライン 6日付の "明治時代から販売するJR 米原駅の名物駅弁、さよなら…「井筒屋の DNA 残すべきでないと判断」" という見出し、はっきり言って意味不明だ。「DNA 残すべきでないと判断」なんていうから、経営者の身内がよほど忌まわしい不祥事でもしでかしたのかと思ってしまったよ。

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ところがどうやらそういうわけじゃないようで、「湖北のおはなし」などの駅弁の販売から撤退するということのようなのである。

記事中には、この駅弁の販売開始は 1987年とあるが、見出しはどういうわけか「明治時代から販売する・・・」となっている。明治時代というのは、井筒屋の創業である。これがまず、間違いの一つめだ。ちなみに記事には次のようにある。

同社は今年 1月1日、ホームページ上で駅弁事業からの撤退を発表。宮川亜古社長の名前で「食の工業製品化が一層加速し、手拵えの文化も影を潜めつつあります。そのような環境に井筒屋の DNA を受け継いだ駅弁を残すべきではないと判断致しました」とつづっている。

この挨拶文は同社サイトの「駅弁事業から撤退のご挨拶」にあるものだ。

ただ井筒屋のサイトを見ると、「お弁当」や「お寿司」などの事業も展開しているようで、同社の「DNA」は、駅弁以外の事業に残されるものと読み取れる。とすれば読売新聞記事見出しの「井筒屋の DNA 残すべきでないと判断」というのは二つめの間違い、しかもひどい間違いである。

「残すべきでない」と判断したのは、挨拶文にもちゃんと書いてあるように「井筒屋の DNA を受け継いだ駅弁」に限ってのことであり、決して「井筒屋の DNA」そのものに関してではないことが明らかだからだ。

この記事見出しでは「井筒屋が廃業」と読み取られてしまい、さらに言えば私が最初に感じたように、「忌まわしい不祥事」でもあったのかという誤解にまでつながりかねない。

短い見出しの中で 2つも間違ってしまうというのは、しようとしてもなかなかできるもんじゃない。読売新聞編集部、大したものである。

 

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2025年2月 7日

日本人の英語力って、下から数える方が圧倒的に早い

Courrier の "現在進行形で落ち続ける英語力… どこまでも「英語ができない」日本人に仏紙記者「英語を『死語』にする気?」" という記事が話題だ。「現在進行形で落ち続ける」というのが、私の個人的な印象とも一致していてコワい。

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記事の冒頭には「2024年 11月に発表された、英語力を示す国際ランキング(参照)で、日本は 116ヵ国中 92位と過去最低順位を更新」とある。しかも「2014年、63ヵ国のみの統計ではあるが、日本は 26位でフランスより3つ順位を前につけていた」とあるので、この 10年で急落したようなのだ。

昨年の調査によれば、近隣ではフィリピンが 22位、マレーシアが 26位、香港が 32位、韓国が 50位と健闘しており、インドは 60位と意外に低いが、それでも日本よりはずっとマシだ。それにしても 91位の中国より下というのは、かなりのショックだなあ。

ところで紹介した記事冒頭にある貼り紙だが、「関係者以外 立ち入り禁止」の訳語としては、実際のところ "PRIVATE" の一言で必要十分だ。その直接的な意味は「私的空間」ということで、要するに「関係者以外立入禁止」というココロになる。英語圏の貼り紙でもフツーに目にする言い方だ。

ところが上の例ではその後に、"PROBABLY"(おそらく)と "NO TRESPASSING"(不法侵入なし)という余計な「謎の呪文」が続く。どうしてこんなことになったのか、初めはわけがわからなかったがしばらく考えてようやく想像がついた。

これって、「貼り紙に書いてある "Private" ってどういう意味?」といった質問に、【"PRIVATE" って、おそらく「入るな」って意味だよ】というココロで届いた英文のレスを、意味もわからずまんまコピペしちゃったのだろう。そうとしか思われない。さすが世界 92位というお粗末である。

そもそも日本人って「フツーの英語」を覚えずに、「日本語としてさえ意味が曖昧な回りくどい言い方」をそのまま機械的に訳せば英語としても通じるなんて考える傾向があると思う。そのため、まともな英語からどんどん遠離ってしまうのだ。

まずは「雰囲気のもの」じゃない「ちゃんとわかる具体的な日本語」を磨く必要があるのだろうね。そうすれば自然に英語感覚に近づける。

 

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2025年2月 6日

我が故郷のクマ騒動

我が故郷、酒田市がここ 3〜4日ほど「クマ騒動」で揺れている(参照)。一昨年の 6月にも市街地にクマが現れて大変な騒動になった(参照)が、今年はまだ寒いうちからこんなことになったのでさすがに驚いている。

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今回クマが出たのは、酒田市でも中心街から離れた地域で、民家の車庫に入り込んだのを捕獲するために厳戒態勢で臨んでいたのだが、30数時間後に隙を見て逃げ出されてしまった。今のところ見つかっていない。山に逃げ戻ってくれていればいいのだが。

私は高校卒業の 18歳まで酒田で暮らしていたのだが、市街地にクマが出たなんて話は聞いたことがない。もっと言えば、鳥海山麓や朝日連峰などの山登りをしたのに、クマが出るかもしれないなんて考えたことすらない。それだけに、最近の状況には驚いてしまっている。

クマとしても、先週辺りはちょっと暖かくなったので「そろそろ春かな」と思って冬眠から覚めて動き出したのだろうが、市街地をうろついていると周り中の人間が大騒ぎするわ、さらに急に冬に逆戻りして寒くなるわで、驚いてしまっているかもしれない。「ちょっと早まったかな?」ってなもんだ。

ところで、今名古屋から新幹線で岡山に移動中。途中の関ヶ原から琵琶湖にかけて、薄ら雪化粧しているのに驚いた。この辺はいくらなんでもクマはいないだろうなあ。遙か向こうの紀伊山地まで行ったら、そりゃいるだろうけど。

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とにかく最近はちょっとした市街地でも、クマにはご注意のほどよろしく。

ちなみに新幹線車内での Wifi 接続は、新大阪を過ぎると急にスピードがまともになる傾向がある。名古屋より東京寄りは使い物にならないほど遅いので、iPhone 経由で接続してる。今は快調に Wifi 接続中。

 

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2025年2月 5日

最近とみに「美食」への興味がなくなった

先日 TBS ラジオ平日夕刻の「荻上チキ セッション」のパーソナリティ、荻上チキさんが「食べることに興味がない」と言うのを聞き、「おお、私と同じじゃん!」と思ってしまった。彼は こちらの記事 でも「おいしいものには興味がない。食事は動画観賞のお供」と言い切っている。

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私もだいぶ昔からそんなところがあるが、とくに最近は「美食」ということへの興味を失ってしまった。ただ腹が減らないというわけじゃないので、食べるのは空腹感を消すためである。

日常的にはほとんど決まり切った玄米と全粒粉パン中心の質素なメニューで過ごし、ちゃんと満足しているが、正直言ってしまうと「人間、メシを食わずに済んだら、どんなに幸せだろう」と心の底のどこかで思っているところがある。

「好きな食べ物は?」と聞かれたら取りあえず「そば」と答えるが、その理由のかなりの部分は「あっという間に手繰れて、面倒がないから」ということで占められると思う。できることなら、面倒な食い物は避けたいのだ。

昨年の初め頃、身内に夫婦で招待され、かなり評判のいいフランス料理店で食事をしたことがあった。確かにおいしかったが、正直なところシェフのもったいぶった説明付きで順を追ってチマチマ供される料理を、おもむろに食い続けることにうんざりした。

本当に、食事なんてさっさと済ませたいのである。私はクルマを運転することが多いのでワインを飲むわけにもいかないし、そうなるとますます場がもたないのだよ。

あの日は食事を終えて帰る時、妻に「あなた、よく我慢できたわね」と褒められた。「不満が顔に出たりしないか、内心気が気じゃなかったわよ」

うぅむ、さすがに妻はよくわかってくれてる。

あんな場面ではじっと我慢の子で、楽しいフリして食うほかなかったわけだが、「この店は誘われても二度と来ない」とマークすることは忘れなかった。どんなに美味しい料理でも、「面倒くささ」という苦痛に耐えてまで食いたいとは決して思わない。

ただ、我が家では普段から玄米食や手作りの全粒粉パンなどを食す。玄米を炊いたり、全粒粉をこねてパン生地を作ったり(参照)するのは 40年来の私の担当だが、それらは「当たり前のものを当たり前に食うためのプロセス」と位置付けているから、面倒でも苦痛でもない。

耐えられないのは、外で「コース料理」なんてもったいぶったものを食わされることなのだよね。あれだけは、いくらおいしくても付き合いきれない。「不味い」というだけならあっという間の我慢で済むが、コース料理はじわじわと長時間に及ぶから、かなりの「美味しさ」でも「苦痛」に圧倒されてしまう。

ちなみに上の画像は、新幹線東京駅で買える駅弁の中で一番安い「深川めし」。今、名古屋に向かいつつこのメシを食っている。他の色とりどりの総菜が入ったのや焼き肉がどっさりなんていうのは見るだけで食欲が失せるが、これはシンプルに食えていい。ちゃんとうまいし。

そう言えば、先月も "「ひとりメシ」って、私にも当たり前のことなんだが" というタイトルで、似たようなことを書いたんだった。よかったらどうぞ。

 

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2025年2月 4日

マンガに出てきた「空き地+土管」の景色を巡る冒険

藤井一至 (土の研究者) さんという方の "『ちびまる子ちゃん』のさくらももこさんが小学生だった50年前、当たり前にあった空き地+土管の景色。上下水道整備に使われた。今、ちょうど耐用年数の50年" という tweet が話題だ。埼玉県八潮市の事故みたいなのは今後もあり得るってことのようなのだ。

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そういえば、昔は空き地と土管の組み合わせという場面をマンガで見ることがとても多かった。ちびまる子ちゃんに限らず、この tweet へのコメントにはドラえもんの一コマも引用されている。

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これだけマンガに登場しているってことは、実際にも珍しくない光景だったのだろう。しかし告白すると、私はこうした「空き地+土管」という景色をリアルで見たことがない。

私の生まれた山形県庄内の地は、高校を卒業した 1971年(今から 50年ちょっと前)の頃には下水化はほとんど進んでおらず、トイレもいわゆる「ボットン式」だった。そんなわけで、私の少年時代、庄内の空き地には土管なんてなかったのである。

もっとも酒田市には「前田製管」(読みは濁らない「まえたせいかん」)という、その世界では著名なコンクリート製品(土管も含む)製造の企業があって、この会社の敷地にはデカい土管が山と積まれていた。しかしあれってほとんど都会の下水管に使われて、地元ではお呼びじゃなかったのだね。

そしてワセダに入って上京した頃は、少なくとも都心は下水が行き渡っていたし、土管を積み重ねておくような空き地もほとんどなかった。だから、リアルで「空き地+土管」という景色に馴染みがあるのは、都心からちょっと離れた郊外や大きめの地方都市で育った人たちなのだろう。

さくらももこさんは、まさにそうした存在なわけだね。なるほど、なるほど。

というわけで、私にとっての「土管の原風景」というのは、「空き地に 2〜3本」というのじゃなく、「広大な工場敷地に山と積まれてる」というちょっと変わったものなのだ。そんなこともあり、空き地で土管に座って夕陽を眺めるなんて光景には、ちょっと憧れてしまうのである。

それにしても、その土管の多くが耐用年数に迫っているというのは気になるニュースである。酒田の土管はまだ少し余裕があるだろうが、都会の土管はそろそろ交換しなければならないのだね。

こりゃ、前田製管が忙しくなるかも。

 

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2025年2月 3日

やっぱり正統的呼称は「メキシコ湾」のようなのだ

トランプがメキシコ湾の「アメリカ湾」への改称なんてことを言い出したせいで、ややこしいことになっている。Gigazine が "Googleマップで「メキシコ湾」が「アメリカ湾」に変更される件にメキシコの大統領が抗議、「アメリカ」を「メキシカン・アメリカ」に変更することも提案" と伝えている。

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日本語で「メキシコ湾」と言い習わしている海域というのは、英語では "Mexico Bay" じゃなく "Gulf of Mexico" である。"Bay" という英語の概念は、もっと小さな湾だからね。そしてメキシコを初めとするスペイン語の国では "Golfo de México" と言う。

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当のメキシコ人にしてみればトランプの主張は寝言じみたことであるらしく、CNN は "「馬鹿馬鹿しい」 トランプ大統領が命じた湾の名称変更、冷笑で受け流すメキシコ人" と報じている。なかなか大人の対応である。

なお、冒頭で紹介した記事タイトルの後半部分、"「アメリカ」を「メキシカン・アメリカ」に変更することも提案" というのは、メキシコのシェインバウム大統領が米国の国名を変えろなんて無茶を言ったかのように聞こえてしまうが、もちろんそんなことじゃない。

彼女は北米大陸全体をそう言ってはどうかと提案したのである。記事の本文まで読めばそう理解できるものの、見出しだけで読み飛ばしたらアブナい。Gigazine の翻訳って相変わらずちょっとテキトーなところがあるから、気を付けなければならない(参照)。

もちろん彼女は "Mexican Amarica" とは言わず、スペイン語で "America Mexicana" と言ったわけだが、彼女が示した 1607年の地図には確かにそう表記されている(参照)。ジョークとはいえ歴史的根拠はトランプの寝言よりもずっと確かだよね。

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それに何よりも、この地図の右下辺り、メキシコ湾に相当する部分を拡大して見ると、ちゃんと "Golfo Mexicano" とあるじゃないか。やっぱり「メキシコ湾」の方が歴史的にも正統な呼称なんだろうと思わせるに十分な資料である。

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さらに細かいことを言えば、「アメリカ」という地名の元になったイタリアの探検家、アメリゴ・ヴェスプッチはメキシコ湾にはあまり興味を示さず、もっぱらカリブ海から南米にかけて探検したもののようだ(参照)。よってこの勝負、圧倒的にシェインバウム大統領の勝ち。さすが博士号もつだけある。

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ただ、トランプはこんな単純なことがわからないんだろうなあ。Google のスタッフならわからないこともないんだろうけど、ずいぶん日和見だよね。信頼感がかなり落ちた。

 

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2025年2月 2日

トランプ、実は「老人ボケ」が出てるんじゃないの?

時事通信が "「原因は多様性政策」 根拠示さず民主党批判―米航空機事故でトランプ氏" というニュースを伝えている。見出しにあるように「根拠示さず」というのがこの人の困ったところで、自分が大統領になった途端に起きた事故を前政権の責任にするというのはずいぶん無茶で勝手な話だ。

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ところで最近、トランプがずいぶんジイさんぽく見えてしまうことに気付かないだろうか。昨年の選挙戦華やかなりし頃にそうでもなかったのは、当人も気が張っていたからなのだろうが、当選が決まって安心してからというもの、急に皮膚がたるみ、目の周りのシワも増えたような印象なのだ。

かなり目立つのが、眉毛とヘアスタイルの変化である。眉毛がジイさんっぽく垂れ下がるようになり、独特のヘアスタイルも維持できなくなっているようなのだ。

これについてはあの Newsweek も触れている。米国版オリジナルは "Donald Trump Unveils New Haircut"(トランプ、新しい髪型を披露)と当たり障りのないタイトルだが、日本版は "トランプ、「トレードマークの髪型」に大きな変化が...「短い」「いったい何が!」驚きの声続々" と、ぶっちゃけだ。

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米国版の左の写真はフロリダのパームビーチで演説した時のものだが、右側は昨年ゴルフ・リゾートで撮影されたものである。念入りにヘアメイクする時間が取れなかったようで、まるで別人だ。ついでに言えば、最近のアメリカ大統領でこんな腹の出たオッサン体型なのはこの人以外にいない。

そういえば一番上で紹介した時事通信の記事の写真では、頭頂部がかなり透けて見えてしまってるよね。年は隠せない。

そんなわけで、トランプの「老人ボケ」的発言は今後どんどん増えて行くんじゃなかろうかと、かなり心配になってしまっている。いや、「トランプが心配」というのじゃなく、「米国が心配」なのだが。

 

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2025年2月 1日

この歳になると、時の経つのがメチャクチャ早い

今日から 2月である。正月早々の箱根駅伝に夢中になったのがほんの少し前のような気がしているのに、年の初めの 1ヶ月の過ぎる早さは尋常じゃない。さらに 2月は短いから、うかうかしてるとあっという間に梅が咲いて 3月になってしまいそうだ。

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年を取ると時の経つのが早く感じられるということについては前にも何度か書いているが、そのうちの 1つが 2013年 12月 14日付の「何故年をとると 1年が短い? その2」という記事だ。ここでは「ジャネの法則」ということに触れていて、こんなように書いている。

例えば、50歳の人間にとって 1年の長さは人生の 50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては 5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての 10年間は 5歳の人間にとっての 1年間に当たり、5歳の人間の 1日が50歳の人間の 10日に当たることになる。

となると私はもう 72歳なので、50歳の人間よりさらに 4割増しぐらいで時の経つのを早く感じていることになる。いやはや、道理で目まぐるしいわけだ。

ただ私はこの記事の中で、「長く生きていろいろな経験を重ねるにつれて、『感動』が少なくなるので、ただ淡々と時が過ぎるだけになるのではないか」という考えの方を大切にしたいとも書いている。「きちんと感動する」というのは、案外老化防止につながったりするかもしれない。

そういえば先月半ば頃に、名古屋と岡山に行く仕事が入り、さっそく今月の 5日と 6日に連続で出張する予定を立てたのだった。その時には「まだ半月先だから、のんびり準備しよう」なんて思っていたのだが、気付いて見ればあと 4日後の早朝には出発じゃないか。しっかり準備しなければ。

時の経つのが早く感じられるというのは、暇な時はありがたいことなのだが、忙しい時には目が回りそうになってしまう。ここは落ちついてしっかり準備して、出張中にはしっかり感動のタネを見つけるようにしよう。

 

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