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2025年5月に作成された投稿

2025年5月31日

山形県の人口が 100万人を切っちゃったんだそうだ

読売新聞が本日付けで「山形県人口 100万人割れ、45年後には 50万人下回る予測も…1市のみ 20年間で増加」という記事を報じている。私が山形県にいた高校時代までは 120万人台の人口を維持していたのだが、ついに大台割れとなるとちょっと淋しい気がしてしまう。

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私は仕事で日本中出かけることが多く、印象としてはちょっとした地方都市でも駅前は人っ子一人歩いていないというところが少なくない。私の生まれた酒田市も、いよいよそんな感じになるのだろうか。

当ブログで 9年前に触れたことだが、山形県というのは上の画像で示したようにポカンと口を開けた人の横顔の形をしていて(参照)、ちょうど目の辺りに位置するのが酒田市である。江戸の昔から西廻り航路で栄えた港町で、芭蕉も気に入って長逗留したと『奥の細道』に書かれている。

ところが一昨年 6月、その街中にクマが現れた(参照)というのだから驚いてしまう。芭蕉が奥の細道を辿った昔でさえ、クマに遭遇したなんてことは書かれてないのに。

読売新聞によれば、人口が 100万人を切る 12県というのは以下の表の 36位以下。最少の鳥取県は 53万人足らずだから、東京の板橋区(58万人あまり)より少ない。そして山形県も 45年後にはそれ以下になるかもしれないというのだが、私はそこまで生きる気はないので深く考えないでおこう。

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ちなみにこの中で秋田県と山形県は面積が飛び抜けて広い。ということは、人口密度的にはモロに過疎感が漂ってしまいそうだ。

それにしても 47都道府県のうち 12県ということは、4分の 1強が人口 100万人以下ということなのだね。今後も人口はますます減っていくのだろうから、日本の田舎はのどかになるなあ。

【付記】

上の画像中で山形県が庄内弁で呟いている「確かに、人、いねもののぅ」は、「確かに、人がいないものねぇ」という意味なので、よろしく。

 

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2025年5月30日

トランプは ”TACO”(タコじじい?)という一幕

"ウォール街の流行語「TACO(トランプはいつも尻込み)」について問われたトランプ氏、「最も不快な質問」" という記事、見出しだけだと「何のこっちゃ?」となるが、中身を読んで「なるほどね!」と笑ってしまった。「タコじじい」という意味では決してないが、ニュアンス的にはかなり近い。

トランプは 5月28日、ホワイトハウス内の会見で「ウォールストリートのアナリストがタコトレードという新語を作ったがこれについてどう思うか」という趣旨の質問を受けた。"TACO Trade" というのは、記事では次のように説明されている。

タコは「Trump Always Chickens Out(トランプはいつもビビって退く)」という意味の略語で、「タコトレード」にはトランプ大統領が常に関税で脅かした後に退くことから、関税威嚇が出た直後に株式の売りトレンドに参加するなという意味が込められている。

ちなみに "chicken out" というのは英語で「怖じ気づく」とか「ビビる」とかいう意味のくだけた表現のようで、Weblio には次のようにある。

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これまでの経過をみると、確かにその通りなのだから、そんな風に言われても仕方がない。彼自身「私がでたらめに高い数字(関税率)を決めて少し下げたら彼らはその数値、145% を維持しろと要求する」なんて釈明している。

というわけで、彼が最初に言い出すのは数字にしろ何にしろ、「でたらめ」ということのようだから、とりあえずは真に受けない方がいい。これが知れ渡ってしまったからには、彼の言う「交渉術}(そんな立派なものとも思われないが)は、もう機能しないってことのようだ。

任期が始まって間もないというのに、気の毒なことである。

【同日 追記】

本日付で "「トランプはいつもチキって退く理論」に本人激怒"(AFP)なんて記事まで出て、もう笑ってしまうほかない。ただ、多くの米国人としては笑っているわけにもいかないだろうから、トランプ以上に気の毒である。

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2025年5月29日

ゲートボール人口が激減しているわけ

2日続いた「高校生の処分ネタ」から、急に高齢者ネタに飛ばせてもらう。中国新聞の「ゲートボール人口激減 山口県で全盛期 1万人超が 138人に なぜ?」という記事が目を引いたためだ。

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山口県ゲートボール協会の中田理事長(77)によれば、同協会の会員記録が残っているのは 1997年度以降のことらしく、その 97年度の会員数が公式記録としては最高の 5,764人だったのだそうだ。それが今春は 138人にまで落ち込んだというのだから、かなりの凋落ぶりである。

ただ理事長の記憶としてのピークは 80年代で、「当時は 1万人をはるかに超えていた」と話している。この人、今 77歳というのだから、30歳代からゲートボールをやってるのだろうか。さすが理事長を務めるだけあって、「早熟なゲートボール・プレイヤー」のようだ。

山口県にとどまらず全国的に見てもゲートボールの退潮は明らかで、98年度は日本中に約 68万人の会員がいたが直近は 3万 5千人なのだという。30年足らずで 95%減というのだからどう見ても半端じゃなく、消滅した地域団体は少なくないようだ。

激減の理由について中田理事長は、 「(ゲートボールが)『高齢者スポーツ』の象徴になったことがあだになった」「全世代で楽しめ、頭も使う競技なのに若い世代になかなか広がらなかった」とコメントしているという。

ただ、「高齢者スポーツの象徴」というなら、高齢者自体はどんどん増加している(私までその一人になってるし)のだから、普通に考えればそれに連れてゲートボール人口も増加して当たり前で、減少する方がおかしい。理由はもっとほかに求められてしかるべきだろう。

考えられるのは、ゲートボールというスポーツの印象が「殺伐たるもの」になりかけていた時期があったことだ。このスポーツ、詳しいルールは知らないのだが、なんでも「相手の妨害をしてなんぼ」というものであるらしい。

妨害がしつこ過ぎるとルール上では問題ないのだが、相手が感情的に「そこまでやるか!」となってしまい、喧嘩につながるという話をそこらじゅうで聞いたものである。年を取ってキレやすくなったりしてるから、かなりヤバい。

喧嘩だけで済めばまだいいが、殺人事件にまで発展してしまった例もある(参照)。さらにチームのリーダー的なじいさんがやたら威張って口うるさい指導に走りがちで、廻りが引いてしまうということもあると聞く。

これでは熱が冷めるのも当然だ。高齢者の興味は今、喧嘩の多いゲートボールから離れ、平和なグラウンド・ゴルフに向いているらしい。年は取っても流行り廃りというのはあるのだね。

ちなみにこの記事、中国新聞のサイトでは有料記事で、全文を読むには会員にならなければならないのだが(参照)、Yahoo! のサイトだと無料で読めてしまうというのがおもしろい。

 

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2025年5月28日

「学校に来させないで」というなら堂々とサボれるのに

朝日新聞の 昨日(5月 27日)付に "「学校に来させないで」校長の発言巡り高校側敗訴「必要な配慮欠く」" という記事がある。授業中に問題行動を繰り返した生徒の通っていた高校の校長が母親に「明日から学校に来させないでください」と伝えたため、生徒は転校したというのが事の経緯である。

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当事者である元生徒の男性(19)が市に慰謝料約 230万円を求めた訴訟を起こした結果、27日に広島地裁での判決が出た。学校側の対応について「適切な手順や対応を欠く」として、市に 20万円の支払いを命じたのだそうだ。

記事によれば、元生徒は 2021年に授業中にタブレットゲームをしたり教師に「死ね」と発言したりするなど、問題行動を繰り返したため、翌年 9月に校長が学校指導の限界を感じ、生徒の母親に「明日から学校に来させないでください」と伝えた。生徒の転校はこれを受けてのことらしい。

原告の元生徒は判決後に次のようなコメントを発表したという。

もう、通っていた高校にいけないと聞いたときは、本当にショックでした。そこから、私の生活は大きく変わってしまいました。私の高校生活を取り返すことはできませんが、これを機に、学校による不適切な対応が少なくなればいいと願っています。

これ、率直に言って「都合の良すぎる発言」という印象でしかない。それほど学校に戻りたかったなら、一応真摯な反省の態度を示して処分を撤回してもらうという手があったはずじゃないか。

私だったら、校長に「学校に来させないで」と言われた時点で「しばらくの間、堂々と学校をサボれる」とばかりに喜んでいただろうとさえ思う。「退学処分」というわけじゃないのだから、ある程度の時間が経てば学校に復帰できただろうし。

以上、昨日に続いての「高校の生徒処分ネタ」終了。

 

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2025年5月27日

高校生の「飲酒」は「女風呂の覗き」以上の罪なのか

今月 21日から 23日まで、たまたま山梨県がらみの記事を書いたついでというわけでもないが、今日は「山梨学院高校サッカー部員数人が "飲酒"」というニュースに乗っかってみようと思う。これで数人が「退学と停学の処分」になったのだそうだ。

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部員同士で集まって酒を飲むぐらいで退学や停学になるんだったら、高校時代から行きつけの焼き鳥屋で飲んでいた(参照)私なんて、2〜3回退学になっていてもおかしくない。最近の世の中は未成年の飲酒問題に厳しくなったような印象がある。

というのは、このニュースの末尾に次のようにあるからだ。

山梨学院高校では去年 11月、サッカー部員を含む複数の男子生徒が修学旅行の宿泊先で、女性浴場を盗撮しようとしたとして停学の処分を受けていました。

文章から判断するに「盗撮しようとした」というのだから、実際の盗撮までには至っていないのだろう。それでもおそらく「覗き」まではやったのだろうから、行為としては飲酒よりずっとヤバいと思うがなあ。

それが「停学」で済んでいるのに、今回の飲酒に関しては「退学と停学の処分」と確実に重くなっている。学校界隈では、高校生の「飲酒」は「女風呂の覗き」より重罪扱いされてしまうようなのだ。これって、ちょっとした違和感だよね。

というわけで、高校生諸君は酒を飲む時には学校にバレないよう、「覗き」をする時以上にしっかり気を付けようね(と、問題発言)。

 

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2025年5月26日

新紙幣がかなり出回ってきたが、肖像に馴染めない

新紙幣が発行されたのは昨年 7月のことだったようなのだが、しばらくは目にするのは旧紙幣ばかりだった。最近になってようやく自分の手元にも新紙幣が廻ってくるようになった気がする。

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ところがこの新紙幣、なんだかデザインがごちゃごちゃしていてあまりいい感じじゃない。それに印刷されている肖像にあまり馴染みがなく、誰の顔だかすぐに忘れてしまうのである。

先日も出張前に新 1万円札を手にして妻に「このおっちゃん、誰だっけ?」と聞くと、返事は「渋沢なんとかって人でしょ」というものだった。「そうそう、渋沢の何だっけね」とネットで調べ、ようやく「渋沢栄一」と思い出したのである。我々夫婦は経済関係の人間に本当に馴染みがない。

おまけに「5千円札は樋口一葉だよね」と聞くと、「それは前のお札で、新しいのは津田梅子よ」と言われるし、千円札に至っては二人とも「これって誰だっけ?」となり、調べてみてやっと北里柴三郎とわかった。こんな顔だったのだね。

そもそもかなり前から現金を使うことがあまりなくなり、財布に 1万円札を入れるなんて出張の時ぐらいのものになった。しかも最近は出張先でもクレジットカードと SUICA だけでほとんど用が足りてしまうので、お札を財布から出すことがあまりなくなってしまったのである。

今回も 1万円札を 2枚持って行ったのだが、そのまま使わずに帰った。もはや 1万円札の必要性はほとんどなくなったんじゃなかろうか。

この分だと、ずっと「渋沢なんとか」のままになってしまうかもしれない。

 

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2025年5月25日

「ペットボトル症候群」というのがあるんだそうで・・・

TBS の報じる【"がぶ飲み" 要注意!「ペットボトル症候群」重症化で意識を失うケースも 専門家に聞いた水分補給の正しい方法】というニュースに「"がぶ飲み" 血糖値上昇の悪循環に」なんて中見出しがあるのに驚いてしまった。

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私はペットボトル飲料といえば天然水か「お〜いお茶」みたいなものしか飲まないので、「どうしてそんなもので血糖値が上昇するんだ?」と、頭の中が妙に混乱してしまったのである。で、記事をよく読むと、ここで言うのは糖分たっぷりの清涼飲料水や炭酸飲料のことのようなのだ。

一昨日まで 2泊 3日の出張に自分でクルマを運転して出かけていたもので、途中でトイレに寄りたくなった時など、コンビニのトイレを借りたりしていたのだが、タダで借りるのも気が引けるので、その度にペットボトルの天然水を買ったりしていた。かなり暑かったので喉も渇きがちだったしね。

で、そんな時に糖分たっぷりの炭酸飲料なんかがぶ飲みして、クルマを運転している時に意識を失ったりしたら、大変なことになっていただろう。そんなものが好きな人間じゃなくて本当によかったよ。

 

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2025年5月24日

「まんじりともせず」とはどういう意味か

昨日「肌寒い」の読みなんていう言葉の問題を取り上げてしまった勢いで、今日は「まんじり」について書かせていただく。この言葉、"buncul"(文化庁広報誌「ぶんかる」)2015年5月 1日付にあるように、誤用の多い代表的日本語みたいなのだ(参照)。

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平成 25年度の「国語に関する世論調査」の中で「まんじりともせず」の意味を尋ねたところ、「じっと動かないで」という誤解答の割合が 51.5% で,正解の「眠らないで」の 28.7% を 23ポイントも上回ったのだそうだ。

この報告書には「まんじりともせず」の使用例として、以下の 3つの文学作品が挙げられている。

女房は一夜まんじりともせず,烏からすの声を聞いたそうである。(泉鏡花「夜釣」明治44年)

殆(ほとんど)夜中まんじりともせずに,寝返りばかり打っていた。(芥川龍之介「秋」大正9年)

一夜まんじりともしないで踊りつづけ暁あけ方近くには疲れきって舞台に俯伏うつぶしたまま前後不覚に寝入ってしまった。(大倉燁子「鷺娘」昭和21年)

泉鏡花の例で言えば「じっと動かないで」でもあまり違和感がなく、誤った解釈をしてしまいやすい。しかし続く 2例でそんな解釈をしたら、「じっと動かないで寝返りばかり打っていた」とか「じっと動かないで踊り続け」などと、とんでもない矛盾に陥ってしまう。

ただいずれにしても、最近は「まんじりともせず」なんて言葉を使うことはめっきり減ってしまった。私自身、「まんじりともしないで〜」という言い方をこれまでの人生で 2〜3度したぐらいのものだろうと思う。

その意味で、「やぶさかではない」という言葉も似たところがあり、"誤用率高し!「やぶさかではない」の本当の意味は?" という記事があるほどだ。

この言葉、本来は「~する努力を惜しまない」「喜んで~する」「積極的に~する」という意味なのだが、巷では「〜するのも必要ならば仕方がない」というような意味合いで用いられることの方が多くなっているようなのである。

いずれにしても「まんじり」とか「やぶさか」とかいう言葉を単独で用いることが滅多にないこともあり、それぞれの単語の意味合いがまともに伝わっていないというのが致命的な要因なのだろう。

 

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2025年5月23日

「肌寒い」の読みは、”はださむい” か ”はだざむい” か

昨夜から山梨県昭和町のホテルに宿泊し、今日は帰ればいいだけの予定だったので、あちこち寄り道しながらゆったりと帰ってきた。クルマの旅は、長距離だと運転が疲れるとはいえ、融通の利かせやすいのがありがたい。

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途中、カーラジオで YBS(山梨放送)を聴いていたのだが、「はみだし しゃべくりラジオ キックス」という番組で「肌寒い」という言葉についてのウンチクが語られていた。この言葉は、最近のように半袖などで肌を露出するような季節でないとそぐわないというような話だった。

ただ、この番組の本日のパーソナリティ、山田 ルイ53世 という芸人が、「肌寒い」を一貫して「はださむい」と発音していたのが気になってしまった。私としては "今の世の中では「はだざむい」と濁る方が一般的なんじゃないかなあ" と思ったのである。

ただ名詞的に「肌寒」という場合は「はださむ」と濁らずに発音するので、本来の読みは「はださむい」なのかもしれず、どっちが正しいのかわからない。この時は国道を運転しながら聴いていたので iPhone でネットを検索するわけにもいかず、かなりモヤモヤしてしまったのだった。

帰宅してから調べてみると、NHK のサイトに「語形のゆれ・表記・意味の解釈が分かれる語の扱いについて」という文書が見つかった。「第1461回放送用語委員会(東京)2022 年10月7日」によるもののようだ。

この文書の P77 にあるのが「肌寒い」に関するもので、上の画像がそれだ。昔は「ハダサムイ」という濁らない読みの方が一般的だったが、昨今では濁る方が 67%と多数を占めるようになったため、NHK としても「ハダザムイ」を第一推奨形とするようになったらしい。

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ただ、年代が上がるほど「ハダサムイ」派が多いようなのだね。1999年の調査によれば、60歳以上では「ハダサムイ」派が 53% と過半数になっている。今の 40〜50代より若い層になると圧倒的に「ハダザムイ」派が増えるようなので、1960年代から 80年代にかけてが大きな分岐点だったようだ。

ちなみに「肌寒」というと俳句の世界では秋の季語なので、半袖の季節であればいいってわけでもないようなのだ。言葉というのはこだわり始めるとなかなか難しい。

さらに「奥深い」は「オクフカイ」なのか「オクブカイ」なのかなんてのもあり、これも今では「オクブカイ」が第一推奨形なんだそうだ。

この他にもいろいろな言葉が論じられていておもしろいので、ざっと読んでみることをオススメしておく。

 

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2025年5月22日

岐阜県下呂市から山梨県昭和町へ

和歌ログに書いたように、昨日は日本三名泉の岐阜県下呂温泉のホテルに泊まり、今日は下呂の街で仕事をこなして帰路に就いた。たださすがにつくばの里にまで戻ることはできず、今日は山梨県昭和町のホテル昭和に泊まっている。このホテル、前にも書いたように私の大のお気に入りなのだ(参照)。

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で、このホテル昭和と甲州街道をはさんで向かい合って立つのが、スーパーホテル甲府昭和インターだ。上の写真は今夜の部屋の窓から見えるスーパーホテルである。ちなみに、スーパーホテルから見たホテル昭和の写真は、今年 2月 23日の記事で見ることができる。

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上で紹介した過去記事にも書いているように、私は出張で泊まるのはスーパーホテルがご贔屓なのだが、甲府(昭和町は甲府の隣町)近辺に来るときだけは目の前のスーパーホテルではなくホテル昭和と決めている。それほどまで気に入ってるというわけだ。

今日は下呂から高山、松本経由で昭和町まで来たのだが、途中の中央道が工事のため大渋滞で、想定していたより 1時間近く余計にかかってしまった。それで結構疲れてしまったので、本日も簡単な記事でおしまい。

明日はゆっくりと家に帰ることにする。

【翌日朝 追記】

このホテルに久しぶりでチェックインした昨日、なんとなくこれまでと違った雰囲気を感じていたのだが、一晩過ごしてそのわけがはっきりわかった。内装の壁紙が全館きれいにリニューアルされ、ワイルドな感じだった大浴場も床や壁がきれいなタイルになっていたのだった。

これで「ホテル昭和」が「ホテル平成」みたいになっていたわけである。決して「ホテル令和」っぽくはないのでよかった。

 

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2025年5月21日

”FREE SMOKING SPACE” って、どういう意味?

クルマで岐阜県まで出張してきている。出張先が 2か所に及ぶので、途中で山梨県に寄り、その用を済ませて 午後 7時過ぎに岐阜県の下呂市に入った。早朝に家を出てクルマの運転だけで 9時間に及び、70歳を過ぎた身としてはさすがに疲れたので、今日は軽い記事で失礼したい。

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上の写真は中央高速道の駒ヶ岳サービスエリアで見た「喫煙コーナー」の入り口である。どう見ても独立した建物なのだが、本館の一部と錯覚させるような「喫煙コーナー」なんていう看板があり、さらに入り口ドアには "FREE SMOKING SPACE" と表示されている。どっちが正式名称なのかわからない。

"FREE SMIOKING SPACE" というのは「無料喫煙空間」という意味なのかとも思ったが、他に「有料喫煙空間」というのは見当たらないから、さしずめ「自由喫煙空間」というつもりなのかもしれない。他はすべて禁煙なので、「この中だけは自由に喫煙できますよ」ということなのか。

とはいえ、別に "FREE" という但し書きなんか付けずに "SMOKING SPACE" だけで意味は十分に通じるし、むしろことさらに付ける方が「ん? どういう意味?」なんて思ってしまうから、かえってややこしいことになるよね。喫煙以外の目的でここに入るのは、お掃除の人以外いないだろうから。

高速道路では他のサービスエリアでもみんなこんな表示になってるのかなあ。どうも喫煙者に過度に気を使って「自由なんですよ!」と妙な謳い方をしているような気がする。日本人ってどうやら、余計な気の回し方をして意味を曖昧にしてしまうクセがあるのだね。

ちなみに、今夜は日本三大温泉の一つ、下呂温泉に浸かってゆっくりと寝ることにする。役得、役得。

 

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2025年5月20日

「コメ買ったことない」なんてネタはヤバいよ、江藤さん

江藤拓農林水産相が「(コメを)買ったことがありません」「支援者の方々がたくさんコメをくださるので、まさに売るほどあります」などと発言し、それが批判されると急に「先週も買いました」「ちょっと受けを狙って強めに言った」なんてトンチンカンを言い出して、かなりの話題になっている(参照)。

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東大なんか出たエリートがそのまま大臣になると、世間じゃどんなネタがウケるのかなんてことには疎いのだろうと思い、一応ググってみたところ、この人は二代目政治家で出身は東大じゃなくて成城大だという(参照)。なんだ、エリートじゃなくて単なる「お坊ちゃま」だったのか。

コメなんか買わなくても食品庫には売るほどあるなんて話をしたら、ヒカれることはあっても「ウケる」はずがない。最近の二代目政治家って、その辺りのヤバさを関知するセンサーが働かないのかね。

おまけに同日付の "江藤農相「支援者からもらうのも大変」とも発言 講演でコメ巡り" という記事には、「大変なんですよ、もらうのも。石とか入っているんですよ」なんて余計なことまで言ったとある。これ、もらう身としてはフツー言えることじゃないよね。「お坊ちゃま体質」にもホドがある。

こんな感じのお坊ちゃまに、どんなネタをどんな風にしゃべったらウケるのか、あるいはヒカれるのかなんてレクチャーしてあげても、あまり通じないんじゃなかろうか。何しろお坊ちゃまのままで 40歳過ぎてしまったオッサンだから。

「病膏肓に入る」とはこのことである。

【5月 22日 朝 追記】

ちなみに故安倍晋三氏も成城だったかなと思って調べてみたら、こちらは成蹊だった。名前もイメージも似ていて、悪いけど区別つかない。どちらもペラペラよく喋るけど、あんまり意味がないみたいな。

調べてみたら、成城は世田谷のお金持ち地帯にあるらしいけど、成蹊は吉祥寺なのだね。中央線沿線は学生時代に住んでたのだが知らなかった。後任の小泉進次郎は関東学院大学ということで、こちらは横浜にあるらしいがほとんど知らない。ちょっと前は箱根駅伝で名前を聞いたけど。

偏見たっぷりの追記でごめん。まともな成城、成蹊の方もおいでだろうから(あ、それから関学も)、全てが全てじゃないだろうしね。

 

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2025年5月19日

「退職代行」って、何のためにあるのかよくわからない

東洋経済 ONLINE に "≪退職代行は大迷惑!≫ 人事部の本音に納得の理由 中途採用時には「今後は利用したか調べることにする」の声が多数" という記事がある。読んでみるとフツーに「そうなんだろうなあ」という気がする。

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「退職代行」というサービスが存在すると知ったのはつい最近だが、その時は「退職の手続きぐらい、自分でやればいいだろうに」と思った。最悪、自力で手続きができないぐらいに落ち込んでしまっていたなら、会社に行かなければそのうちクビにしてもらえる。

もしかしたらクビになるといろいろな諸手続ができなくて失業手当などが減ってしまうかもしれないので、そうした利益だけは確保しようと「退職手続きのプロ」に依頼するのかもしれない。しかしそんなこと、フツーは「退職届」を出しさえすれば会社がルーティン・ワークとして淡々とやってくれるがなあ。

結局のところ「退職代行」というサービスは、自分では退職届も書けないような「使い物にならない人」をたらし込んで、退職金のうちの相当な額を「手数料」という名目で取ってしまうものとしか思われない。これって、偏見が過ぎるだろうか。

最悪、従業員が退職の意思を示しても簡単に辞めさせてくれない会社というのもあるにはあるらしい。辞表を受け取った直属の上司が「これは俺が預かっておく」なんて下手なテレビドラマの台詞みたいなことを言って、人事部に渡さないなんてこともあるようなのだ。

それでも退職する 2週間前に届けを出しさえすれば辞めさせないのは明らかに違法なのだから、堂々と辞めてしまえばいい。もし会社がきちんとした対応をしてくれなかったら、退職代行なんかより訴訟に持ち込む方が直接的だ。

一般的には退職代行を通して従業員から意思表示をされた場合、会社の人事部としては「大迷惑」らしい。その後の連絡が必要になっても本人と連絡をとることができないケースが多いからだそうだ。

こうした印象があるだけに、前職を「退職代行を通して辞めた」という人材に関しては採用したくないという反応が目立ったという。要するに、自分で会社を辞める手続きもできない無能な人と思われてしまうのだろうね。

以上、何だか当たり前すぎて気が抜けてしまうような結論である。

 

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2025年5月18日

Apple Watch の転倒時緊急機能というもの

外干しした洗濯物を採り入れるとき、花粉の季節(先月あたりまでがスギ花粉で、今月はヒノキ花粉が優勢)は、乾いたタオルなどを手に持ってパタパタとはたく。すると、3日に 1度は Apple Watch に下の写真のような画面が現れる。

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はたいた時の結構派手な音と腕の動きのせいで、Apple Watch としては私がひどく転倒したと勘違いしてしまうようなのだ。それで放っておくわけにもいかず、「SOS」の赤いボタンをタッチすれば緊急通報できるように取り計らってくれるのである。

しかし私としてはまったく転んでなんかいないので、画面下部の「大丈夫です」という文字をタッチする。すると次に「転倒していません」という文字が現れるので、それもタッチする。Apple Watch としてはそこで初めて安心するようなのだ。誠に親切なことである。

ただ親切ではあるが、タオルのパタパタ程度のことでこの表示が現れるのは「余計なお世話」過ぎる。というわけでこのほど、転倒検出は「ワークアウト中にのみ」というモードに切り替えた(参照)。ということは、今後はワークアウト以外の場面で突然転倒しても、放っとかれるわけである。

考えようによってはリスクが増すわけだが、突然病院に運ばれるほどの転倒なんてまだまだしそうにないから、当分はこれでいこうと思っている。

ちなみに Apple Watch の転倒時緊急機能というのは、こんなふうな仕組みになっているという。確かによく考えられてはいるよね。

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まあ、実際には決して使いたくない機能だけど。

 

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2025年5月17日

「みんなちがって、みんないい」が通用しない社会

今朝、このブログのアクセス管理ページを覗いてみたところ、"「謎マナー」と、サラリーマン社会" というページへのアクセスがやたら多くなっていることに驚いた。2021年 9月 17日付の記事だから、ある意味「狂い咲き」である。

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最近は「謎マナー」が話題になっているのかと思い、試しにググってみたところ、「ピクシブ百科事典」のそのものズバリ「謎マナー」というページを筆頭に、ずらっと並んでいるじゃないか。私が上述の記事を書いた 3年半前頃は、いくら「謎マナー」でもこんな盛況じゃなかった気がするのだが。

検索されたページの日付を見ると多くは 2023年以後で、中でも 2024年以後に作成されたページが圧倒的に多い。ということはこの「謎マナー」というのは遙か昔から存在するものの、ネット社会でメジャーな話題になりかけているのは、この 1〜2年のことなのだろう。

自慢じゃないが、私は結構話題の先取りをしていたことになる。そしてこの「謎マナー」の多くは、「サラリーマン社会」の話なのだと気付く。とくに「ハンコのお辞儀」なんてのは、サラリーマン社会以外じゃナンセンスのかたまりとしか思われないしね。

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というわけで、この「謎マナー」というのは、ひたすら「画一性」を求めたがる日本の「ムラ的価値観」の凝縮されたものとみることができる。変わったことをすると居心地が悪くなるように、じわじわと真綿で首を絞めるようなところがあるのだ。

童謡詩人の金子みすゞは、『私と小鳥と鈴と』という歌を残してくれた。歌詞の最後が「みんなちがって、みんないい」という言葉である。

この当たり前のテーゼが通用しにくいのが日本社会、とくにサラリーマン社会のようなのだ。小学校時代からひたすら醸造されてきた「みんな一緒で、みんないい」という窮屈な価値観の終着駅みたいなものだからね。

 

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2025年5月16日

都道府県別のインバウンド・ランキング

ELEMINST というニュースサイトに「各都道府県のインバウンドランキング 国別の傾向も紹介」という記事がある。その中に 2023年 1月〜12月の、都道府県別のインバウンド数ランキングというのがあった。

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5位までを見てみると、トップは圧倒的に東京都である。そして 2位、3位が大阪府、京都府と続き、4位、5位が北海道、福岡県だ。上位 5番目までで「都道府県」がすべてカバーされているのがおもしろい。順序は「都府道県」になってしまっているが。

私は日本中あちこちに出張する機会が多いが、このデータを知る前まではインバウンドの多いのは圧倒的に京都だと思い込んでいた。京都駅やその周辺はモロに外国人ばかりで、東京駅に帰ってくるとそれほどでもない気がするのである。

ところが実はそんなわけじゃなく、数的には京都府は大阪府にも及ばないのだから、印象というのは当てにならない。京都は多分、比較的狭いエリアに外国人が押し寄せるので、密度が高くなってしまのだろう。

ちなみに私が今住んでいる茨城県は順序としては 36位で、かなり下の方になってしまう。18万 3000人あまりだから、大阪府の 100分の 1だ。さらに出身地の山形県は 17万人足らずと、38位である。

ここまで来ると、外国人の姿を見かけることなんて本当に少なく、茨城県ではいろいろな仕事に中東出身者が多く就いている気がする。

 

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2025年5月15日

米国の「サマーキャンプ」というもの

山口慶明さんという米国在住の方が Togetter に「アメリカの『サマーキャンプ』という制度は、実はアメリカの格差や教育問題と密接に結びついていて闇が深い」と書いておいでだ。下にその一部を画像で示したが、小さくて読みにくい場合はクリックすればオリジナルのページが別画面で表示される。

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リンク先を読んでいただければわかるが、米国の子どもが行く「サマーキャンプ」というのは、ちっちゃなテントを設営してバーベキューなんかしてる日本的イメージとは、次元の違うものなのだ。いわば「エリート育成所」みたいなものらしいのである。

私はこの書き込みを見て、即座に高石ともやの『小さな箱』を思い出してしまった。米国の中産階級を皮肉った歌である。中産階級と言っても、医者、弁護士、会社の重役などもいるのだから、日本の「中堅サラリーマン」などとは比較にならないほど豊かな階層を指すのだが。

この歌の3番目の歌詞(4行目)は、もろに Togetter の書き込みそのものだ。

ビールを飲んで ゴルフをして
可愛い子どもがいて その子どもは
きちんと 学校へ通って
夏が来ればキャンプに行き そして大学へ行き
そして箱に入り ちっちゃな箱はみんな同じ

歌のタイトルにもなっている「ちっちゃな箱」というのは、米国のロサンジェルスあたりの丘の上に立ち並ぶ中産階級の家々のこと。くどいようだが、決して「つつましい家」なんかじゃない。日本の感覚からすると、むしろ「豪邸」に近いぐらいだ(ただ、塀はないけど)。

この歌のオリジナルはマルヴィナ・レノルズ(Malvina Reynolds)の "Little Boxes" で、高石ともやの訳詞は原詩にかなり忠実だ。彼女の代表作「雨を汚したのは誰?(What Have They Done to the Rain)」は、かなり多くのシンガーがカバーしているし、このおばさん、かなり骨のある人だった。

米国の「サマーキャンプ」のコンセプトって、トランプの時代になっても変わらないんだろうなあ。彼の熱烈支持層であるプア・ホワイトにしてみれば、ほとんど関わりのない世界だし。

 

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2025年5月14日

押収大麻 20トンの屋外焼却で、ちょっとしたことに

ググットニュースが「押収大麻20トンを野外焼却、町中が "ハイ状態" に… トルコで衝撃的な事態発生」という話を伝えている。燃やした大麻の量は金額にすると約 372億円分というから、トルコって結構スゴいことをする国だよね。

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ただこの記事、ちょっと曖昧なところがある。冒頭では「トルコ南東部ディヤルバクル県ライス(Lice)地区で、押収された大麻約 20トンを警察が焼却処分したところ、住民が意図せず "ハイ" な状態に・・・」とあるのだが、次のパラグラフでは「憲兵隊は(中略)、市街地近くで野外焼却を実施」とある。

焼却処分を実施したのは「警察」なのか「憲兵隊」なのか、一体どっちなんだ? いろいろ検索して元記事の英語版と思われるものを見つけたのだが、焼却処分に携わったのは "the authorities" と表記されているだけで、これってフツーは「当局」と訳されることが多いんだがなあ。

警察」と訳したまではまだ理解できるが、どうしてここで「憲兵隊」が出てくるのかわからない。この翻訳者はたまたま軍事関係のニュースか何かを訳した直後で、それとごっちゃになったりしたのかなあ。

いずれにしても、記事冒頭では「住民が意図せず "ハイ" な状態に」とあるが、実際には「住民およそ 2万5000人がめまいや吐き気、幻覚などの症状を訴え」、さらに「子どもたちの中には、体調を崩し病院に運ばれるケースも」とある。実際は「ハイ」というより「バッド・トリップ」だったようだ。

それにしても、わざわざ "LICE" の文字状に並べて燃やしている写真を見ると、大量のシラミ(シラミは英語で "louce" だが、複数形だと "lice")を燃やしているように勘違いしてしまいそうだよね。めまいや吐き気をもたらしたのも無理もない。

ちなみに、燃やしたのは大麻であって「お米(rice)」じゃないのでよろしく。多くの日本人は "lice/rice" を区別して発音できないから(参照)、米価が何かと話題の今どきは下手すると大変なことになってしまいそうだ。

 

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2025年5月13日

どうしてそれほどまでに夫婦同姓にこだわるのか

先月 22日に報じられた記事だから取り上げるタイミングがちょっと遅くなってしまったが、「維新 結婚後も旧姓の通称使用可能にする法案要綱まとめる」という NHK NEWS の内容が気になってしまった。

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日本維新の会の案は、記事によれば「結婚で姓を変えることが、女性の仕事や社会活動に不利益をもたらしており、早急な対応が必要だとして、結婚後も旧姓を通称として使用できることを規定した法案の要綱が示され」とある。どうやら「姓の変わるのは女性」というのが前提とされているようなのだね。

そして要項内容の重要ポイントは次のようなことだ。

要綱では戸籍法を改正し、希望する人が結婚前の旧姓を通称として戸籍に記載できるようにするとともに、住民票や運転免許証、それにパスポートなどにも旧姓を記載できるようにするとしています。

つまり戸籍上では「本名はあくまでも本名」で、「通称としての旧姓が補足的に記載できる」ということのようなのだ。ただ「住民票や運転免許証、それにパスポートなどにも旧姓を記載できるようにする」というのは画期的ではあるものの、表現がかなり紛らわしい。

「本名」を原則としながら「旧姓」も補足的に表記できるというのか、「旧姓」のみの表記でいけるのかが曖昧で、明確に読み取れない。いずれにしても一人の人間に「本名」と「通称」の二通りの名前を法的にもたせるということ自体、かなり鬱陶しい制度ということができる。

これ、次のように考えてみればその不毛さが実感されるだろう。

結婚に際して男の方が妻の姓に変わることだって当然あるわけで、他ならぬ私の父がそうだった。母が一人娘だったために、いわゆる「婿入り」の形で結婚したのである。ところが通称としての旧姓使用に関する最近の情報は、ほとんど女性の場合のみを想定して語られている気がする。

これがこの問題をややこしくする第一歩みたいなものだ。根底にあるのが「男権社会」のコンセプトのままだからである。

私は 7年近く前に "「夫婦別姓」 は、保守派にもメリットがあるだろうに" という記事の中でこんなことを書いている。少々長くなるが引用しておく。

思えば、「夫婦別姓」ならぬ「親子別姓」というケースがある。今の世の中では、親が離婚して、母親が旧姓に戻ったために、子どもと姓が違うという場合が多いだろう。しかし昔は、そうではない理由での「親子別姓」というのがあった。

それは一人娘が結婚して姓が変わってしまったために、「家督相続」する者がいなくなり、どうしても「家」というものを継続させたいがために、生まれてきた子の 1人を母親の両親の養子として縁組してしまい、それによって母方の「家」を継がせるというものだ。大方は子どもの知らないうちに養子縁組を成立させてしまうので、子どもが幼いうちは、当事者ながらよくわからない事情であっただろう。

保守派は「夫婦別姓では、親と子の姓が違ってしまい、家族の一体感が阻害される」などといって反対するが、その昔の「子どもが知らないうちに、祖父母の家に養子縁組されてしまっている」というケースに関しては、「親と子の姓が違ってしまい…云々」 みたいなことは言わない。これは甚だ不公正な態度と言えるだろう。

そもそも夫婦別姓を取り入れると言っても「選択的夫婦別姓」なのだから、全ての夫婦が別姓を名乗れというわけじゃない。妻が夫の姓を名乗りたければそうすればよく、旧姓のままでいたければそれも合法とするというだけのことだ。

そのせいで世の中がひっくり返ったりするわけじゃないというのは、日本以外の国がごくフツーに証明してくれている。どうしてそれほどまでに「戸籍上の夫婦同姓」にこだわるのか、本当にわからない。

最後に付け加えておくが、この記事に添えられてる写真、妙に寂しい光景だなあ。

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2025年5月12日

金属製の水筒の「さび」に中毒の可能性だってさ

歩いているだけで汗をかくこれからの季節に限らず、冬場でも乾燥で喉が渇くので、私はほとんど一年中水筒を持ち歩いている。ところが grape LIFESTYLE  が "金属製の水筒で中毒 医療局の注意喚起に「知らなかった」「怖すぎだろ」" なんてニュースを伝えているので、ちょっと気になってしまったよ。

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とはいえ実際に記事を呼んで、かなり安心した。まとめるとこんなようなことになる。

金属製の水筒は長期間使用で飲み物が触れる内側もコーティングが剥がれ、傷が付いたり、サビが生じたりすることがある。この状態で酸性の飲み物や食品に触れると、金属が溶け出す恐れがある。実際に古い水筒でスポーツ飲料を飲んだ人が、頭痛やめまい、吐き気などの症状を起こした事例がある。

これは水筒の銅が溶け出したことによる中毒症状で、防止の方策はいろいろ紹介されているが、基本的には金属製の水筒にスポーツ飲料などの酸性飲料を長時間保管しないということに尽きるようだ。

私は水筒には真水しか入れないので、中毒の心配はあまりないと言ってよさそうだ。めでたしめでたし。

ちなみに同じ grape LIFESTYLE のサイトにある関連の "水筒に絶対入れないで 企業の呼び掛けに「ダメだったのか…」「これはやりかねない」" という記事には、金属製の水筒に入れてはいけないものが、次のように図で示されている。

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おもしろいのは「葉入りお茶」はダメだが、「煮出したお茶」「ティーバッグや水出しを含むお茶」「茶こししたお茶」はいいんだそうだ。きっとお茶の葉がいけないのだろうね。

また最初に紹介した記事では「スポーツ飲料」はダメということになっているが、後者では OK とされている。

ただ、「スポーツ飲料は、塩分や糖分を含んでいるため、手入れが不十分だとカビやサビの発生原因になるとのこと。もし入れる際は、その日のうちにしっかりと洗い、乾燥させてから保管するようにしましょう」なんて但し書き付きで、ずいぶんビミョーな話である。

私なんか極めて大雑把な人間だからずいぶん面倒に感じてしまうのだが、まあ、要するに元々真水しか入れないので忘れてしまってもいいよね。心と体の健康に悪いのは、「どうでもいい話を気にしすぎる」ってことだから。

とはいえ、ジュースだの牛乳だのいろいろ入れたがる人は、念のためご注意を。

 

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2025年5月11日

NHK から国民を守る党・立花孝志の「選挙ハック」

TBS NEWS が【「選挙って儲かるんですよ」の裏側 ポスター代を水増し請求 "選挙ハック" の実態】というニュースを伝えている。例の「NHK から国民を守る党」党首・立花孝志氏が夏の参院選で兵庫選挙区から立候補すると表明した件のからみである。

立花氏が昨年 11月の兵庫県知事選(参照)において斎藤元彦知事を応援するために立候補した際、「2馬力選挙」による「選挙ハック」が問題となった。ちなみに彼は 2023年の選挙立候補で、「今回の選挙もなぜやってるか。 金儲けです。儲かるんですよ」と言っている。

選挙ポスターの作成に関して、候補者の得票率が一定のラインを超えた場合には印刷会社が経費を自治体に請求して受け取ることができるのだという。彼は自身の設立した印刷会社で選挙ポスターを印刷しているので、この自治体から受け取る金額が馬鹿にならない。

しかも「ポスターを 10万円で作っても 40万円とか請求できるんですよ。めっちゃ儲かるんですよ」なんて、図々しいことを言ってるじゃないか。

彼が昨年 12月に大阪府泉大津市長選挙に出馬した際の得票率は 10%を超え、ポスター代は公費負担となった。この際には 140枚印刷されていたのだが、支給された額は泉大津市が定める上限ぴったりの 39万2140円で、1枚あたり単価は 2801円となる。こんな高いポスターがあるものか。

ちなみに「自分の当選を目的としない立候補」も問題視されているが、この記事では鳥取県の取り組みを紹介している。同県は "立候補届出の際に他の候補者の当選を目的とする選挙運動をしない、などとする「宣誓書」を提出させることを定めた" というのだ。

こうしたことは国全体でも実施すべきだろう。そうでないと選挙に立候補することが「営利事業」と化し、馬鹿馬鹿しいことで公的経費が無駄遣いされてしまう。

 

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2025年5月10日

鯉のぼりは一匹から群れに変化しているらしい

紹介のタイミングがちょっと遅くなってしまったが、nippon.com のサイトに 5月 5日付で「こいのぼり:時代とともに 1匹から群れで泳ぐスタイルに」という記事がある。鯉のぼりというのは江戸時代からどんどん変化しているようなのだ。

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江戸時代初めの鯉のぼりは、サイズも小さいものでほとんど存在感がなかったようだが、幕末から明治期にかけて大きな鯉のぼりが盛んになったようだ。ただ、安藤広重の「江戸名所百景」に描かれたものを見ると、当初は大きな真鯉が単独で揚げられていたようなのである。

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それが明治後期から大正の頃には、真鯉(黒い鯉)と緋鯉(赤い鯉)の2匹セットが主流になった。しかしこれは「鯉の夫婦」というわけではなく、武家の発想による「父と子(男児)」を表していたらしい。そんなわけで唱歌の「こいのぼり」にも、お母さんは登場しない。

屋根より 高い こいのぼり
大きい まごいは お父さん
小さい ひごいは 子どもたち
おもしろそうに 泳いでる

家族観の変化に伴って 3匹構成(赤い緋鯉が「おかあさん」となり、小さな青いこどもが加わった)が基本になったのは、1970年以降だという。鯉のぼりの家族におかあさんが加わるまでには、戦後から 25年という年月を要したわけだ。

それが現代では、観光名所や川などに多数の鯉のぼりが揚げられるというような形に変わりつつある。個別の家庭で大きな鯉のぼりを揚げるという余裕がなくなってきたことが背景にあるわけだが、これってもしかしたら「家族」のあり方の変化を先取りした現象かもしれない。

鯉のぼりを揚げるというのは、それほど歴史の古い風習ではなく、江戸時代後期から案外短期間のうちに様式が変化しているのだね。これは鯉のぼりが時代ごとの「家族のコンセプト」を反映しているからで、古来の「宮廷」を模した「雛祭り」とは基本的に異なっているからなのだろう。

 

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2025年5月 9日

いかに齢を重ねても、人生の未知の分野は限りなく広い

X(旧 Twitter)で、たちばな TOKYO BUNNYS CLUB さんという方が「一生に一度の記念品にこだわる人は将来ゴミ屋敷確定やぞ」と tweet しておられる。父親が彼女の使っていたベビーベッドやらちっちゃい椅子やらを捨てられない人らしく、それらで一部屋埋まってるんだそうだ。

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そんなことやってたら娘が 3人(それぞれもう独立しているが)の我が家なんて、一部屋が埋まるどころじゃ済まないだろう。しかし実際は大抵あちこちに「お下がり」としてあげまくったから、そんなことにはまったくなっていない。

私も妻も、子どもの使っていたものを手放せないようなセンチメンタリズムとは無縁の性格ようで、まことに至福の至りではある。ただそれはそうと、今日の記事の重要ポイントはむしろここから先なのだ。

上の画像で示した tweet に「お前の娘はもう BBA なんやぞって誰かおしえてやってくれ」という一文があるが、当初は彼女が大学の経営学部か経済学部を出て「経営学士」になってるんだという話かと思ってしまった。

フツーの常識では BBA ってのは Bachelor of Business Administration の省略形で、世間で(とくに米国なんかで)それよりありがたがられるのが MBAMaster of Business Administration:経営学修士 ) ってわけだからね

しかしそう解釈してしまうと、そこはか以上の違和感が生じてしまう。いや、別に経営学士でも一向に構わないし、もしかしたら実際にそうなのかもしれないが、この文脈でそれを前面に押し出したところでナンセンスでしかない。実際は別の意味で使っていると考えるのが自然のような気がする。

というわけでググってみると、どうやら こんなこと らしい。いやはや、「ババア」とは思いっきり意表を突かれた。

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この項目には「2012年 3月 27日更新」とあるから、私はこの用法をまったく知らないままで少なくとも 13年以上生きてきたことになる。となると、自分自身はモロに JJY(ジジイ)ってことか。常に日本標準時(JST)を発信してくれているありがたい無線局という意味じゃなく。

いかに齢を重ねても、そしてどんなにちょっとしたことでも、人生の未知の分野は限りなく広い。先月末には「 "Happee Birthdae" って、私が知らなかっただけ」という記事を書いてもいるし、「わし、な〜んも知らんもんね」と思っている方が事実に近いし、何より楽なのだよね。

 

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2025年5月 8日

「スマホ認知症」なんてのがあるんだそうだ

TBS NEWS が "若年層も注意!「人や物の名前が出てこない…」もしかしたら "スマホ認知症" かも… 原因は「スマホの使い過ぎ」?【Nスタ解説】" という、ちょっと気になるニュースを伝えている。

いわゆる「認知症」と「スマホ認知症」の違いは、次のようなことだそうだ。

認知症」とは、情報を脳にインプットすることができなくなっていく。「海馬」と呼ばれる部分が萎縮していってしまうので、情報を取り入れることができなくなる。つまり、記憶ができない状態

一方で、「スマホ認知症」とは、スマートフォンを目的もなく見ていると、情報がどんどん脳に入ってきます。その膨大な情報に脳が疲れてしまうことにより、今度は情報を取り出すことができなくなってしまう。

覚えてはいるもののその引き出しがどこにあるのかが分からないため、取り出せなくなってしまうというのが「スマホ認知症」なのだという。「おとといの夕飯に何を食べたのか」がすぐに出てこない人は、スマホの使い過ぎによる "スマホ認知症" かもしれないとと指摘されている。

幸い私はすぐに思い出せたのでちょっと安心したが、もしかしたらいつも同じようなものしか食べてないからかもしれないと思い、またちょっと気になってしまった。

というわけで、下のチェックリストに挑戦してみるといいらしい。
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私は ⑤ の「人・ものの名前がすぐに出ない」という 1項目だけが該当したが、これは最近に限ったことじゃなく昔からのなので、別に「スマホ認知症」のせいってわけじゃないだろう。というわけで一応安心していいようだ。

いずれにしても、一日中スマホとにらめっこという生活は避けた方がいいということである。

 

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2025年5月 7日

「ベルマーク」がまだ続いてたなんて、びっくり

昼のラジオ番組で「子どもの頃、学校で何の係でしたか?」という特集をしていて、聴取者からの回答の中に「ベルマーク係でした」というのがあった。「そう言えば、昔はそんなのがあったよね」と思いつつ試しにググってみたところ、まだ続いているのだと知って驚いてしまったよ。

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たまたま最近報じられた毎日新聞の(4月 27日付) "ベルマーク協賛企業が減少 「PTA 保護者の負担」と脱退も" という記事が、「やっぱり時代だよね」と思わせる。記事によれば、ベルマーク運動の始まりは次のようになっている。

ベルマーク運動の始まりは1960年。「すべての子どもに等しく、豊かな環境の中で教育を受けさせたい」と財団が設立され、全国の PTA に参加を呼びかけ 2263校でベルマーク運動が始まった。06年からは幼稚園や小中学校、高校だけでなく大学や公民館なども参加対象とするようになった...

ただ、Wikipedia には「朝日新聞社創立 80周年記念事業として 1960年(昭和 35年)に始まった」とある(参照)。なるほど、毎日新聞社としては遠慮なく最近のベルマーク運動の低調さを報じることができたのだろう。

ただ「現在も全国の小学校の約 7割、中学校の約 6割が参加しており、年間約 3億円分の点数が・・・」とあるので、決して壊滅してしまったわけではないようだ。とはいえ我が家の娘たちが小学生だったほぼ 30年前頃でも、「ベルマーク集めにご協力を」というような呼びかけなんてなかったなあ。

ベルマークは 1枚 1点で、1円の計算となるらしい。こんな浮世離れしたシステムでは、"「活動に携わる保護者の負担になっている」という理由で企業が脱退するケースもあった" と報じられるのも無理はない。ベルマーク 100枚集めるのと直接 100円寄付するのと、どちらが楽か考えれば一目瞭然だ。

これでは「事実上、終わってしまったプロジェクト」とみる方がずっと現実的だろうと思ってしまう。

 

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2025年5月 6日

特攻を「美談」として語る幻想

読売新聞が 5月 4日付で "特攻隊員を見送った元女学生「特攻は無謀な作戦で、美談などではない」…知覧の慰霊祭に参列" という記事を伝えている。「特攻隊員を見送った元女学生」として、今はたった一人の参列者となった北九州市の三宅トミさん(95)のコメントだ。

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記事には次のようにある。

三宅さんは「特攻は無謀な作戦で、美談などではない。戦争を知る世代が少なくなり、また、あの時代がやってくるのではと気がかりだ」と強い口調で訴えた。

確かに、特攻を自らの命を犠牲にして国を護るという尊い美談のように語る風潮はなくならない。しかしこんなのは、実際に敵艦に体当たりする前に撃墜されたものの方がずっと多いという事実を知るまでもなく、幻想に過ぎない。

前にも書いたことがあるが私の父は戦時中(旧制中学時代)、易者に「お前は若死にする」と言われて「同じ死ぬなら空で死のう」と予科練に志願した。ところがいかにも「最後の予科練兵」らしい話で、入隊したものの「空で死ぬため」の飛行機は一機も残っていなかったというのである。

しかたなく、上陸した米軍に自爆攻撃を仕掛けるための地上訓練ばかりさせられていた。背中に重い爆弾を背負って匍匐前進するというものである。とことん馬鹿馬鹿しい訓練で、実行に移したとしてもほとんどは敵陣に突入する前に撃たれてしまうというのは、飛行機での特攻と同様だろう。

この作戦が行われる前に終戦となったため父は易者の占いに反して生き残り、私という人間がこの世に生まれた。そして半世紀以上経ってこんなことを書いているわけである。

父は戦時中の日本のやり方についてはとことん批判的だった。実際に体験した者の思いは強い。

【5月 9日 追記】

これは直接「特攻隊」に触れたことではないのだが、「ひめゆりの塔」についてムチャクチャな思い込みを語って撤回しない自民党の西田昌司参院議員みたいな人が、今後減りはしないのだろうと思うと、ちょっと警戒しなければと思ってしまう。

【同日 再追記】

西田参院議員は、ひめゆりの塔についての自身の発言を撤回したらしい(参照)。もっとも、発言は他の展示と混同してしまったためなんて言ってるので、自身の思想については反省もへったくれもないようだ。

 

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2025年5月 5日

私にとっての「外食」と、サイゼリヤの好調

東洋経済 ONLINE に【「もう値上げも間近?」「今までが安すぎた」との声も出たが… サイゼ「下方修正でも絶好調」が示す大変化の "進捗"】という記事がある。サイゼリヤはつくば周辺でもあちこちに店があって、かなり好調をキープしている印象だ。

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この店については 5年近く前の "「サイゼリヤ」って「さいぜり屋さん」なんでしょ" という記事のコメント欄で「サイゼリヤは、我が家の娘たちが小さかった頃に何度か入ったことがあるはずですが、まったく印象がありません」と書いている。しかし最近は、妻との外出時に時々利用するようになった。

やはり圧倒的なコスト・パフォーマンスがある上に、味も決して悪くないというのが市場での強みを発揮する要因になっているのだろう。記事の筆書の谷頭和希氏はこれを「ファストカジュアル化」と表現して、次のように書いている。

ファストカジュアルとは、「ファミリーレストラン」と「ファストフード」の間に位置するもので、価格帯としてはファミレスよりも安く、ファストフードより手の込んだ料理を食べられる、という業態だ。

なるほどね。ちなみに私はこの店ではいつもスパゲティの中でも最もシンプルな「ペペロンチーノ」のドリンクセットしかオーダーしないので、 ファストフードより安上がりなほどの 500円で済む。ところが妻はいろいろなバラエティで食べたがるので、2人合わせると 1500円ぐらいになる。

それでも、2人で外食して 1500円というのはメチャクチャ安い。妻は「もっといろいろ頼んだら?」と言うのだが、私はメニューの中から選ぶのが億劫でたまらない人なので、つい「いつもの最小限」になってしまう。毎回いろいろ異なったものを選ぶのが楽しそうな妻との決定的な違いだ。

なにしろ私の「外食」の原点は、そば屋とラーメン屋である。そば屋では「もりそば」しか食わないし、ラーメンは酒田の「ワンタンメン」が定番である。その他にどんなメニューがあっても、私にはまったく意味がない。

というわけで、メニュー表はどんなにすっきりさせてもらっても構わないのである。そういえば、今年 1月 31日の「日本のスタバも、メニュー削減してくれないかなあ」という記事でも似たようなことを書いていたんだった。

 

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2025年5月 4日

「恥」も「畏れ多さ」も知らないトランプ

共同通信が "トランプ氏、教皇模した画像投稿 「私がなりたいね」と冗談も" という記事を画像入りで伝えている。自分が教皇の姿をした合成写真を SNS に載っけちゃったもののようだ。この人って要するに「いい年こいて、頭の中はガキンチョ」なのだね。

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どうやら「恥」と「畏れ多さ」のどちらも知らない人のようなのである。どちらか片方だけでも知っていたら、こんな馬鹿なことはできるものじゃない。

JIJI.COM の記事によれば、当然ながら翌日にはあちこちで批判が相次いでいるようだ。イタリアのレンツィ元首相は「(カトリック)信者を不快にさせる」と批判して、写真に「恥」と上書きしたという(参照)。

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イタリア語で「恥」は "vergogna" というのだね。英語の "shame" よりきつい感じだ。よほど怒ってるのだろう。

ちなみに JIJI.COM は次のようにも伝えている。

トランプ氏は数日前、記者団に「教皇になりたい」と冗談を飛ばしたほか、「非常に優秀なニューヨーク出身の枢機卿がいる」と発言。次期教皇候補としてドーラン・ニューヨーク大司教(75)に肩入れしたと受け止められている。

このドーラン・ニューヨーク大司教という人とトランプはおそらく一脈通じてるんだろうが、今回の騒動のせいでコンクラーベで彼を推す人は既にいなくなってしまっただろう。

【5月 7日 追記】

6日付の NHK ニュースによれば、トランプはそのうえで「誰かが教皇にふんした私の写真を作成し、インターネットに公開したものだ。私が作成したわけではない。AI かもしれないが、私は何も知らない」「誰かが冗談でやっただけだ。別に問題ないだろう。私も少しは楽しむのが好きだ」と述べたという。

そう言われてみれば、トランプ自身にこんな合成画像を作成する技術があるとは思われない。ただ仮に誰か(関係者?)が作成して公開したものだとしても、「ホワイトハウスも公式 SNS で同じ画像を投稿」というのはどうかしているよね。

【5月 9日 追記】

先ほど、クルマを運転中にカーラジオで「新ローマ教皇に初のアメリカ出身の枢機卿」というニュースが流れた(参照)ので、「まさかね !?」と思ったのだが、本文中で触れた「ドーラン・ニューヨーク大司教」とは別人の「ロバート・フランシス・プレボスト枢機卿」(レオ 14世)とわかって一安心した。

 

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2025年5月 3日

「面倒だから遠くに捨てる」という行為の深層意識

奇しくも同じ日付の昨日 5月 2日、似たようなニュースが 2本報じられた。自宅から出たゴミを路上や山中に放置した男が逮捕されたというものである。

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一つはゴミもゴミで、"「トイレまで行くの面倒」路上に尿入りボトルを捨てた疑い 100本以上か、47歳男逮捕" というものだ。尿入りペットボトルというのは、今回のみならず時々ニュースになる。

もう一つは "ビールの空き缶 3000本を山に捨てたか... 金沢市に住む 65歳の男を逮捕「自分で飲んだ。他にも捨てた」" というニュースだ。大量の空き缶をわざわざ山の中まで運んで捨てるというのは、軽い気持ちでできることじゃない。

路上に捨てられた尿入りボトルの多くは過密労働のトラック・ドライバーによるものと言われるが、今回のケースは話が違う。フツーに考えれば路上に捨てるよりトイレに行く方がずっと面倒がないのだから、別の心理が働いているとしか考えられない。

PRESIDENT Online の 【「1本あれば 100本はある」ゴミ屋敷から出てくる "ションペット" という爆弾" 】 という記事によると、「ゴミ屋敷」には尿入りペットボトルが大量にあることが多いのだそうだ。孤独死現場の第一人者という石見良教さんが、記事中で次のように語る。

"家" の共同体意識がなくなり、常に自分、個だけの動きとなったのだと感じます。 誰とも関わりを持たない、持ちたくない、ゴミをため込むことにより他を寄せ付けず、威嚇するのです。私は "ゴミシェルター" と言っています。

ゴミがシェルターなら、その中でも尿入りペットボトルは最も強力な「城壁材料」なのだろう。そしてそのペットボトルを路上に捨てるという行為からは、シェルターあるいは自己領域の拡大という意識が感じられる。かなり歪んだ自己主張である。

一方のビールの空き缶というのも、心理としては共通しているような気がする。わざわざ山の中に持って行って捨てるより「不燃ゴミ」として出す方がずっと楽なのだが、そこはそれ、山の中に人知れず自分の領域を残すことに意味があるのだ。ある意味、そこは自分の「別荘」になるのだろう。

いずれにしても共通するのは「人を寄せ付けない孤独」ということのような気がする。

 

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2025年5月 2日

トランプ離れの中でも「熱烈支持者」が動じないのは

Bloomberg が "遠のく「黄金時代、米景気減速でトランプ離れも ー 責任転嫁は裏目に" というニュースを歌えて伝えている。「米景気減速でトランプ離れも」というのは当然の成り行きだが、「熱烈支持者は動じず」というサブタイトルがちょっと気になってしまうよね。

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トランプは包括的な上乗せ関税が米経済を復活に導くとして、国民には「短期的な痛み」に耐えることを要求していたのだが、どうみても「短期的」では済みそうにないことが見え見えになってきた。国内での支持率は 39%にまで低下している。

これに関して私は先月 29日の記事で「まだ 4割近くの支持率があることの方が驚きと言いたいぐらいだ」と書いているが、要するに「熱烈支持者は動ぜず」ということのようなのである。人の心というのは本当に様々だ。

ちなみに上の画像にある「解放の日」(Libration day)というのは、トランプが「上乗せ関税」関連を導入した 4月 2日ののことなんだそうだ。ちっとも「解放」になんかなってないのだから、いい気なものである。

この「解放の日」以後の経済低迷については、当の共和党の世論調査担当員であるウィット・エアーズ氏までが「多くの米国人の目には、この経済の責任は完全にトランプ氏にあると映る」と述べている。

興味深いのは、反トランプ派のサイト「ザ・ブルワーク」を運営するサラ・ロングウェル氏の指摘だ。

2020年の大統領選でバイデン氏を支持し、24年の選挙ではトランプ氏に投票した人を中心に、トランプ氏は有権者の支持を失いかねない状況にあると同氏は指摘する。特にトランプ氏支持に乗り換えた有権者は、商才を兼ね備えたトランプ氏や共和党が物価を下げ、景気を良くしてくれると期待していたためだ。

「商才を兼ね備えたトランプ氏」というのは幻想に過ぎなかったことが、早くも明らかになったわけだ。当然だよね。

それでも同氏は「トランプ氏の支持者の中には、政策が成果を生むまで待ち、経済状況がどれほど悪化してもトランプ氏を支え続ける層が存在する」と語る。なかなか頑迷な支持層が存在するわけだ。これについては、斎藤元彦兵庫県知事とも共通しそうだ。

この点の解釈には、"「最初は『最悪な奴やな』と思っていたけど」支持者はトランプ信者と瓜二つ… 斎藤元彦が兵庫県知事選挙で「まさかの勝利」を手にした理由」" という文春オンラインの横田増生氏の記事が参考になる。

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要するにこの二人の支持者には、「見たいものしか見ない、聞きたいことしか聞かない」という共通点があるようなのだ。これ、かなりアブナい話である。

やっぱり人は、時には見たくないものも見なければならないし、聞きたくないことでも聞かなければならないのだ。

 

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2025年5月 1日

カーナビ代わりのスマホ、ホルダー固定でもヤバい?

NBC 長崎放送のサイトに "「スマホをカーナビ代わり」は違反? 手持ち操作で一発免停のケースも… ホルダー固定は OK ? 警察に聞いた" という記事がある。手持ちは違反だが、ホルダーに固定してしまえば備え付けのカーナビと変わらないんじゃないかという気がするがなあ。

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記事によれば、スマホを手に持っての運転は当然にも「ながらスマホ」になり、「6月以下の懲役または10万円以下の罰金」が課せられるのだそうだ。これには「スマホでナビアプリを見ながら運転する行為も含まれており、手に持って画面を注視したり、操作したりすれば違反となります」とある。

ということは、運転中にスマホが鳴っても無視するほかない。私は問題のないところまで移動してから停車し、こちらからかけ直すことにしている。

一方、ホルダーに固定したスマホをカーナビ代わりに使うというのはどうなるのかということだが、長崎県警は「たとえ手に持っていなくても、運転中に画面を注視していたら安全運転義務違反にあたります」と説明しているようだ。かなりビミョーな話というほかない。

「運転中に画面を注視」というのは備え付けのカーナビを見るのとどう違うのか、納得できる説明がないし、そもそも運転中にスマホ画面のみを注視して前を見ないドライバーなんていないだろう。いや、あるいは中にはいるのかな?

さらにホルダーを取り付けるにも、「前面や側面のガラスに装着すると整備不良車両として違反になる可能性があるので注意が必要」とある。実際問題としてそんな取り付け方をしているのは見たことがないが、やはり時にはいるのだろうか。

というわけで、要するにスマホはホルダーに取り付けて、運転中は操作しないという原則を守ってさえいればいいようだ。

私は自分の車のカーナビがかなり古い型なので新しくできた道路をカバーしていない場合が多いため、時々スマホの地図の世話になることがある。そんな時にはまともなホルダーに固定することにしているので、これまで通りのやり方で一応大丈夫そうだ。

それにしても長崎放送の記事からは警察ってスマホをかなり「敵視」しているみたいな雰囲気が感じられるのだが、それも運転しながらスマホで通話するドライバーが少なくないからなんだろうね。

 

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