北九州の地で「平均寿命」と「健康寿命」を考える
「飯豊の空の下から」で、食工房の青木さんが「平均寿命」と「健康寿命」について語っておられる。彼は 73歳 8ヶ月で、私も来月には 73歳になるということもあり、遠く北九州まで出張して来てこの 2つの「寿命」が気になってしまった。ちなみに下の写真は、JR 日田彦山線の香春(かわら)駅構内。
食工房の記事によれば日本人の平均寿命は 2023年時点で男性が 81.09歳、女性が 87.14歳らしい。私のこのブログは 78歳になる 2031年 5月で「連続 10,000日 毎日更新」の記録に達する計算だが、私は文章を書くことはちっとも苦にならない体質なので、サボりさえしなければ十分イケるだろう。
ただ、問題は「健康寿命」だ。日本人はこちらの方では男性 72.7年、女性 75.4年とされているらしい。おいおい、私はこうして仕事ではるばると北九州まで来るほど元気なわけだが、実は既に健康寿命の平均を過ぎちゃってるじゃないか。
「健康寿命」の定義というのは こちら のページに詳しいが、要するに日常生活が制限なくできて本人が「健康である」と思っている期間のことを言うらしい。ずいぶんざっくりとした話のようなのだね。
日本人は「平均寿命」は長いものの、「健康寿命」との差が大きいとも言われている。上述の数字からすると、日本人男性には単純計算で平均 9年余り、女性にいたっては 12年近くの「健康じゃない期間」てのがあるわけだ。
さらに認知症とか寝たきりとかで、「ただ生きてるだけ」(酷な言い方をすれば「死んでないだけ」?)というケースも結構多いとされる。私の祖父母(血はつながってない実家の祖父母:参照)は、二人ともこの期間が結構長かった。
祖母は若い頃から病弱(当初は当人がそう思い込んでいただけというフシもあるが)のため、毎日医者通いしなければ気が済まない人だった。そして 50代後半には自分で起き上がることもできなくなっていた。
若い頃にしなくてもいい注射を医者にせがんでまでし過ぎていたせいか、本当に悪くなってからはどんな薬も効きにくい体になっていたのである。「医者は体によくない」という私の印象は、この辺りから来ている。
そして祖父は酒の飲み過ぎで 60代で体がガタガタになり、さらに認知症も重なって「自分は健康じゃない」と自覚することすらできない状態だった。二人とも結構悲惨だったよね。
そんなわけで、はばかりながら私としては世の中とのまともな関係性を維持できなくなってまで、形だけ生き続けようとはまったく思わないようになってしまったのだよ。とくに文章(当然ながらこのブログを含む)を書けなくなってまで生き続けるなんて、考えも及ばないのだ。
世の中では「長生き」はほとんど無条件に「めでたいこと」とされているが、私にはそうは思えない。少々非人情に聞こえてしまうかも知れないが、実際には「長生きは健康であってこそめでたい」のだよ。
この点に関しては妻も似たような考えなので、「将来病気になったとしても、過剰治療だけはお互いに拒否しようね」と確認を取り合っている。そのうち文書化して署名捺印しておくのもいいかもしれない。
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