銭湯の混浴がフツーだった江戸の庶民感覚の不思議
Japaaan に「どんだけ混浴したいの! 何度禁止してもしぶとく復活し続けた江戸時代の混浴の歴史」という記事がある。とにかく江戸時代の銭湯って混浴がフツーで、度々禁止されたもののすぐに復活してしまっていたらしいのだ。
江戸時代の初めは銭湯はカップルのデートの場所でもあったらしく、それだけにフツーに混浴だった。寛政の改革で知られる松平定信にはそれが許せなかったようなのである。
彼は寛政 3年(1791年)に混浴を禁止したのだが、実際には形だけのもので、仕切りが粗末な上に浴槽の下の方はトンネル状態で、男風呂から女風呂に潜って行けちゃってたらしい。そして彼の失脚後はあっさりと混浴が復活していた。昔の庶民って、よほど混浴に抵抗がなかったようなのである。
松平定信以上に厳しかったと言われる水野忠邦の天保の改革により、混浴は 50年後の天保 12年(1841年)に再び禁止された。それでも禁止は徹底されずにペリー来航の幕末以後も続いていたという。記事には次のようにある。
明治維新後、明治新政府は欧米への体裁を気にし、混浴禁止令をたびたび出しましたが、なかなか改まらず、都市部でも混浴が廃れたのは明治末期になってからでした。
1853年に来日したペリーは『日本遠征記』には次のような記載があるという。
男も女も赤裸々な裸体をなんとも思わず、互いに入り乱れて混浴しているのを見ると、この町の住民の道徳心に疑いを挟まざるを得ない。他の東洋国民に比し、道徳心がはるかに優れているにもかかわらず、確かに淫蕩な人民である。
江戸の暮らしというのはかなりの洗練を遂げていたのだが、どういうわけか入浴に関してだけは大らかすぎるほど大らかだったようなのである。ずいぶん説明が難しい話だよね。
今でも田舎の山の中なんかに行くと、混浴温泉が残ったりしている。私もだいぶ昔に浸かったことがあるが、一緒に入っていたのはかなりひなびてはいるが元気なバアさん達で、まあ、楽しいと言えば楽しい体験だった。
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コメント
明治初期に来日したイギリスの旅行家イザベラ・バード氏の旅行記を基にした漫画「ふしぎの国のバード」を読んでいますが、そこでも混浴が描かれ、特に上半身に関しては女性でもほとんどタブーが無いような描写でした。湯の中だからシモさえ見えなければOKという感覚が、つい最近まであったようですね。
投稿: らむね | 2025年6月 8日 20:03
らむね さん:
上半身に関しては、山形県の田舎では昭和 20〜30年代でもバアさんたちは平気でしたね 。
腰巻き一つで夕涼みしたりしてましたから (^o^)
投稿: tak | 2025年6月 8日 20:08
世の中には今でもヌーディストビーチとかありますしねぇ。
混浴?に対しての考え方は意外と全世界でも変わらないかもですね。
因みに、若い男はあそこが反応したりしないのですかね(笑)?
え、私?もうオッサンなんで、何とも思いませんね。
ネットでも無●正動画がはびこってますし、観てもなーんとも~。
投稿: Senna | 2025年6月 9日 21:32
Senna さん:
ヌーディストビーチは非日常ですけど、銭湯は日常でしたから、別の感覚だと思いますけどね。
投稿: tak | 2025年6月10日 08:43