「田舎の徒歩」と「都会の徒歩」で【情報量】に差?
X(Twitter)に S-N曲線 さんという方の「田舎の徒歩と都会の徒歩の違いは距離じゃねえんだ。情報量なんだよ」といいうスレッドがある。「都会で 5分歩いていても飽きないが、田舎で 5分も歩いたら嫌になってくるぜ」と、自らコメントまで付けている。
要するに、都会の道に比べたら田舎の道は情報量が少なすぎてつまらないということのようなのだ。
これに対して dg さんという方が「実は情報量に差があるというよりは、興味の対象があるかどうかで取得しようとする情報の量に差が出て来るのではないか」とコメントしておられる。ここでは「鋭い指摘」となっているが、実は「当たり前」だよね。
「田舎の徒歩」と「都会の徒歩」で【情報量】に差があると決めつけるのは、実に乱暴な話というほかない。「田舎は情報量が少ない」と思ってしまうのは、そこにある情報に気付けないというだけのことだ。
スレッド中の多くのコメントを眺めると、「情報」ということについて考えの浅い人が多いことに驚かされる。受け身でいても勝手に飛び込んでくる刺激的な要素のみが「情報」だと思っているかのようだ。
しかしもう少し掘り下げて考えてみると、まさにその「掘り下げ甲斐」があるのは田舎道という気がする。私はつくばの田舎暮らしだが、田舎道を散歩していると「自然」に関する具体的な情報ばかりでなく、「時空」といった抽象概念を刺激するような情報さえも豊富に得られるという実感がある。
もっとも都会の道を歩いていても、その気になればいくらでも掘り下げられるだろうが、刺激的な情報ばかり多くて掘り下げる前に疲れてしまったりする。これがちょっと問題だ。
重要なのは、取得する情報の「選択」とか「ふるい分け」を、意識的に、かつ上手にするということだろう。初めから一方が情報豊富で、他方が貧弱だなどと決めつけるようでは、「無意識的な選択」(これを「予断」と言う)が行き過ぎてるってことだ。
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コメント
これ、私なんかはかつて、都会の街中を歩くと季節感があまり感じられなくて、嫌になった覚えがあります。
そのことを友人に話ても共感を得られずで、やっぱり興味の対象なんでしょうね。
投稿: いなか者 | 2026年3月24日 08:14
いなか者 さん:
>これ、私なんかはかつて、都会の街中を歩くと季節感があまり感じられなくて、嫌になった覚えがあります。
モロに同感! 都会の道は、暑いか寒いかしかありませんからね ^^;)
とくに今の季節、田舎道を歩くのは楽しいですよね。
投稿: tak | 2026年3月24日 13:39
まさに「興味の対象」の問題なんでしょうけど、ひとくちに「都会」といっても、歩いて楽しい街と、全然面白くない街がありますね(チェーン系の店ばっかりの商店街とか)。
田舎道を歩くのは、不快な刺激が少ない分(たまに「臭う」ことはありますが)、都会の道を歩くよりも、繊細な情報への感度が上がるという印象があります。
投稿: 山辺響 | 2026年3月25日 09:08
山辺響 さん:
>ひとくちに「都会」といっても、歩いて楽しい街と、全然面白くない街がありますね(チェーン系の店ばっかりの商店街とか)。
それはかなり感じるところですね。面白くもなんともありません。
田舎道は、強烈に邪魔な情報というのが少ない分、いろいろ能動的に関われますね。
投稿: tak | 2026年3月25日 13:06