漫画家は 赤塚不二夫、いしかわじゅん、いしいひさいち の 3人でいい
近くの大手チェーン系ブックストアに立ち寄ると、売り場のかなりの部分(多分、半分近く)が漫画(今は「コミック」なんていうのかな)で占められていることに驚く。しかもそれは、販売ではなくレンタルだったりするようで、今は「本屋」と「貸本屋」が合体しちゃってるのだね。
ちなみに私の個人的な感覚では、「漫画」と言ったら 赤塚不二夫、いしかわじゅん、いしいひさいち の 3人がいてくれればいいと思ったりしている。要するに上の画像に象徴されるような趣味なので、今のブックストアにズラリと並んでいる下のような絵を見ると、正直言ってうんざりしてしまうのだよ。
よく見れば確かにビミョーに違っているのだが、ぱっとみた限りではどれもみな同じに見えて、「ちょっと遠慮しときますわ」となってしまうのだよね。若いコミック好きには申し訳ないが、やっぱり『天才バカボン』とか『バイトくん』とか『薔薇の木に薔薇の花咲く』とかの方がずっといい。
私は小学校 5年生の頃から『おそ松くん』読みたさで、少ない小遣いを何とかやりくりして『少年サンデー』を買い始めた。それからというもの、赤塚ワールドにどっぷりとハマり、イヤミの「シェー!」や、バカボンパパの「これでいいのだ」の生き方が身についてしまったというわけだ。
その後、 1960年代末から 70〜80年代にかけては、私より少し年上の「団塊の世代」の連中が、『巨人の星』とか『あしたのジョー』なんかを夢中で読む時代になった。いわゆる「スポ根もの」の絶頂期である。
ところが、私は『巨人の星』の星飛雄馬なんて、「勝手に力み返ってな!」と思うばかりで、まったく思い入れがなかった。『あしたのジョー』は少しマシという気もしたが、いずれにしても夢中で読む気にはなれなかった。どちらも、いいところで気を持たせて次週につなぐ「引き延ばし」が露骨だったしね。
中には「梶原一騎原作の『巨人の星』は下世話なスポ根ものだが、高森朝雄原作の『あしたのジョー』は素晴らしい」なんていうヤツもいたが、高森朝雄は梶原一騎の別名で、どちらも同じ原作者だとは知らなかったようなのだね。そんなわけで、「付き合ってても疲れるばかり」と言うほかなかった。
そうした中で、70年代後半から登場した いしかわじゅん と いしいひさいち は、赤塚不二夫が全盛期を過ぎた後の漫画界において大きな救いとなった。私は、ああした「単純な線の絵」しか受け付けないカラダなのである。それに、吹き出しの中のセリフが手書き文字というのもいいなあ。
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